南田

南田
ひょうたん湖の水を用いた灌漑水田地帯
室町時代半ば、戦国の世になるよりも前にこの地の指導層がひょうたん湖の水を用いて新田を開拓したのが始まり。
長期の天候不順による食糧不足に端を発した戦国とは比較的無縁に近い状態をすごす。
上の谷と下に谷に要害を築いて外部からの侵入を防ぎつつ富を蓄積する源となった。

江戸時代から明治時代にかけて、水田の大半は大庄屋**氏の持ち物となった。
大正時代に地主小作関係から、農事会社の社長と社員の関係に構造変革を行ったことで、太平洋戦争敗戦後の農地改革の影響は受けなかった。もっとも**氏宗家は昭和大恐慌の頃の外部への出資の焦げ付きにより家産を減らして没落。支族が農地を分けて、複数の農事会社に分立した後のことであった。

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最終更新:2011年12月04日 12:48