Long Box:
Research Overview
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Research Overview
コミックブックの持つ途方もないポピュラリティーに対し、芸術や文学について書くひとびとは長いあいだほとんどコミックブックに対して注意を払ってこなかった。だが、コミックストリップに関しては事情が異なる。一九四二年前半にはマーティン・シェリダン(Martin Sheridan)の新聞マンガを主題とした長編評論『コミックスとそのクリエイターたち(Comics and Their Creaters)』が出版されている。シェリダンはこの本の中で新聞のコミックス記事に対して文学的な地位を与え、その内容を紹介し、作家たちのキャリアを描き、コマ(パネル)を引用している。しかし、彼はコミックブックに対してはほとんど関心を払っておらず、シェリダンのこの本におけるコミックブックについての言及はスーパーマンのコミックストリップ版に関する部分のみである。
(「Introduction」、Richard Lupoff、Don Thompson『ALL IN COLOR FOR A DIME』Krause Publications、一九九七年、一二頁)
そうして'80年代に入り、特にその後半以降、ポップカルチャー研究とメディア論の分野においては、伝統的な思考を再検討し、旧来の理論的枠組みの不完全さを認める必要が認識されるようになってきた。これはそれまで蔑視されてきたポピュラーカルチャーに対する積極的な再評価と連動したもので、それまでの印象論にもとづいたメデイア評価が相対的なものであったか、独断的なものに過ぎないのか、を改めて洗いなおそうとするものである。さらに最新の研究においては用語、カテゴリー、前提条件、方法論の再定義、再検討が試みられ、マスメディアが習慣的に主観的、あるいは一般的にどう捉えられ、現代の社会構造の中に生じる文化的階層のどの部分への関心を喚起しているのかが考えられている。それまでのアプローチと違い、ほとんどの研究において、メディアが持つ影響力の探究とその影響力がもたらす現象の解明がその目的となる。最新の研究においては、明示的にも暗示的にも理論とその処理はこうしたメディアの影響に対する疑問を解き明かすためのものである、その研究の動機はなにか? どのような立場から研究がおこなわれているのか? 誰が研究をおこない、それは誰に対するものなのか? どんなイデオロギーが支持され、また批判されているのか? 新しい批評(ニュークリティック)は旧来のメディア論に対してメディアの持つ影響力がどのような位置を占め、現代においてどのような働きを持っているかを問いかけることで待ったをかけただけではない。そこではどのようにその現象が起きたのかが明らかにされなければならない。どのような思考が、イメージが、主張が、形式が、そして内容が、特定のメディアの中に含まれているかを解き明かし、テキスト化して読者へと届けなければならない。
このコミュニケーションとメディア研究における広く、そして深いアプローチは非常に建設的な形で映画、テレビ、ロマンス小説や推理小説などの大衆小説ジャンルに適用されてきた。しかし、いまだにコミックス研究においてはあまり一般的なものになってはいない。
(「Chapter One: Comics and Cultural Studies」、『READING COMICS: Language, Culture, and the Concept of the Superhero in Comic Books』、Mila Bongco、GARLAND PUBLISHING,INC刊)