Long Box:
Comic Book Politics
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コミックブックにおける政治性の研究
アメリカではコミックブック(特にスーパーヒーローコミックス)と政治的な現実とのかかわりを論じた本はすでに何冊も発売されており、私の手許にもおもに第二次大戦から冷戦期のコミックブックのテーマを現実の社会的変化と関連させて論じた『COMMIES, COWBOYS, AND JUNGLE QUEENS: Comic Books and America, 1945-1954』(William W. Savage, Jr.、Wesleyan University Press刊)や冷戦期アメリカのポップカルチャーにおける反共プロパガンダをまとめて論じた『RED SCARED!: The Commie Menace in Propaganda and Popular Culture』(Michael Barson and Steven Heller、Chronicle Books刊)など何冊もある。中でも以前*紹介した『Comic Book Nation: The Transformation of Youth Culture in America』(Bernerd W. Wright、Johns Hopkins University Press)はやはり群を抜いてすばらしい。
まず先に発売されたハードカバー版を買ったのだが、ペーパーバック版に「9-11」以降を論じた新章「Spider-Man at Ground Zero」が追加されたのを知ってけっきょくこっちも買ってしまった。最初からペーパーバックを待てばよかったのだが、研究書の類は情報も限られるし、ペーパーバックにならないタイプの本も多いしで、ほぼめくら買い状態なのでどうしようもない。最近さすがにだいたい中身がわかって買っているが、買い始めた当初などはほとんどどういう本なのかもわからずにオーダーを出していた。
もともと社会学部出身だったりするので、美術系の表現論の類よりどっちかというとこういうテーマの研究のほうが趣味的に好きなのだが、個人的にはこの種の研究に関してははっきりいって日本のマンガ研究は量的にも質的にもアメリカの足元にも及ばないと思う。もともとさほど日本のマンガ評論を買っているわけではないが、手許にあるのは夏目房之介『マンガと戦争』(講談社現代新書)くらいなもので、他にも何冊か「戦争とマンガ」の関係を論じた評論があるのは知っているが、逆にいうと評論だけで、まとまったテマティックな研究は寡聞にして知らないし(たぶん宮本大人の現在の研究がまとまればそういう性格を持つのだろうが)、テーマ的にも戦争、それも第二次大戦、敗戦、原爆体験などにほとんど限定されている。
夏目の前掲書は朝鮮戦争やベトナム戦争の影響を論じているが、冷戦との対応でマンガのテーマがどう変わったかというようなオーバーグラウンドな視点のものではないし(それが悪いということではなく単に「そうじゃない」)、バブル経済や戦後のGHQ体制、あるいは生活の欧米化といった社会の変化と作品との関連はしばしばマンガ評論の中で批評的に指摘はされるのに、具体的にそうした視点に沿って作品のテーマの変化を追うような評論はほとんどない。
べつにないから悪いといいたいわけではなく、単にアメリカには豊富にあるのに日本にはほとんどない。民族性として日本ではそういうアプローチが好まれないということなのかもしれないが、それもどうでもいい。私がいいたいのは「子供の読むもの」としてコミックブックがバカにされているアメリカで、にもかかわらず案外シリアスに「コミックブックの中に浮き彫りになった政治性」は継続して研究され続けてきた、ということだけだ。
同様にこれは「だからアメリカはえらい」という話でもない。
もともとスーパーマンやキャプテンアメリカといったスーパーヒーローたちはその存在自体が一種の記号的な意味を帯びている。キャプテンアメリカならそれは「Patriotism(愛国心)」だし、スーパーマンの場合もその存在は「Trueth, Justice, American Way(真実、正義、アメリカンスピリット)」と結びつけて語られる。彼らは「手塚治虫とアトム」のような特定の作家との緊密な結びつきを欠く代償のように、アメリカ社会の中のある特定の価値観を象徴する存在になっている。
アメリカ人にとってこうしたスーパーヒーローのあり方はほとんど暗黙の了解事項であり、だからこそその存在はストレートに政治的な現実と結びつけて論じられもする。その議論自体も『the daily Standard』や『Free Republican』みたいなガチガチの保守層による「最近のスーパーヒーローのリベラルぶりはいかがなものか」みたいな話(最近だと<a href="http://www.weeklystandard.com/Content/Public/Articles/000/000/005/181egxmv.asp?pg=1">「Marvel Comics and Manifest Destiny」</a>なんてのがそれ)から、アメリカのコミック業界支援NPO「<a href="http://www.comicarts.org/index.php">ICAA(International Comic Art Association)</a>」の支援を受け、たぶんカルチャラルスタディーズ系のポップカルチャー研究団体「<a href="http://www.h-net.org/%7Epcaaca/2005/index.htm">PCA/ACA</a>」の下部組織である「<a href="http://www.comicsresearch.org/CAC/">comic art & Comics</a>」部会のオフィシャルな研究プロジェクトとして展開されている「<a href="http://captionbox.net/eeb/">Ever-Ending Battle - Superheroes</a>」なんていう完全に学問的なものまでさまざまだ。
最近はBlogを使って展開されている試みもあって「<a href="http://www.comicbookpolitics.com/">Comic Book Politics</a>」はコメントとトラックバックの機能をフルに使って、コミックス系のBlogで展開されている『Dark Knight Returns』、『Watchmen』、『Kingdom Come』などといった作品にたいする論考を相互にリンクし、そこからさらにこのBlogのエントリ、コメントでそれぞれの作品に対する議論を展開していこうとしている。
私個人は「議論するためにBlogを書く」なんてことは正直アホくさいと思うが(つーか議論するためには、最低限議論するもの同士のテーマに対する手持ちの情報量がイーブンか、それに近い状態じゃないと成り立たないと思う)、アメリカでのこうした動き自体はおもしろいと思う。
まず先に発売されたハードカバー版を買ったのだが、ペーパーバック版に「9-11」以降を論じた新章「Spider-Man at Ground Zero」が追加されたのを知ってけっきょくこっちも買ってしまった。最初からペーパーバックを待てばよかったのだが、研究書の類は情報も限られるし、ペーパーバックにならないタイプの本も多いしで、ほぼめくら買い状態なのでどうしようもない。最近さすがにだいたい中身がわかって買っているが、買い始めた当初などはほとんどどういう本なのかもわからずにオーダーを出していた。
もともと社会学部出身だったりするので、美術系の表現論の類よりどっちかというとこういうテーマの研究のほうが趣味的に好きなのだが、個人的にはこの種の研究に関してははっきりいって日本のマンガ研究は量的にも質的にもアメリカの足元にも及ばないと思う。もともとさほど日本のマンガ評論を買っているわけではないが、手許にあるのは夏目房之介『マンガと戦争』(講談社現代新書)くらいなもので、他にも何冊か「戦争とマンガ」の関係を論じた評論があるのは知っているが、逆にいうと評論だけで、まとまったテマティックな研究は寡聞にして知らないし(たぶん宮本大人の現在の研究がまとまればそういう性格を持つのだろうが)、テーマ的にも戦争、それも第二次大戦、敗戦、原爆体験などにほとんど限定されている。
夏目の前掲書は朝鮮戦争やベトナム戦争の影響を論じているが、冷戦との対応でマンガのテーマがどう変わったかというようなオーバーグラウンドな視点のものではないし(それが悪いということではなく単に「そうじゃない」)、バブル経済や戦後のGHQ体制、あるいは生活の欧米化といった社会の変化と作品との関連はしばしばマンガ評論の中で批評的に指摘はされるのに、具体的にそうした視点に沿って作品のテーマの変化を追うような評論はほとんどない。
べつにないから悪いといいたいわけではなく、単にアメリカには豊富にあるのに日本にはほとんどない。民族性として日本ではそういうアプローチが好まれないということなのかもしれないが、それもどうでもいい。私がいいたいのは「子供の読むもの」としてコミックブックがバカにされているアメリカで、にもかかわらず案外シリアスに「コミックブックの中に浮き彫りになった政治性」は継続して研究され続けてきた、ということだけだ。
同様にこれは「だからアメリカはえらい」という話でもない。
もともとスーパーマンやキャプテンアメリカといったスーパーヒーローたちはその存在自体が一種の記号的な意味を帯びている。キャプテンアメリカならそれは「Patriotism(愛国心)」だし、スーパーマンの場合もその存在は「Trueth, Justice, American Way(真実、正義、アメリカンスピリット)」と結びつけて語られる。彼らは「手塚治虫とアトム」のような特定の作家との緊密な結びつきを欠く代償のように、アメリカ社会の中のある特定の価値観を象徴する存在になっている。
アメリカ人にとってこうしたスーパーヒーローのあり方はほとんど暗黙の了解事項であり、だからこそその存在はストレートに政治的な現実と結びつけて論じられもする。その議論自体も『the daily Standard』や『Free Republican』みたいなガチガチの保守層による「最近のスーパーヒーローのリベラルぶりはいかがなものか」みたいな話(最近だと<a href="http://www.weeklystandard.com/Content/Public/Articles/000/000/005/181egxmv.asp?pg=1">「Marvel Comics and Manifest Destiny」</a>なんてのがそれ)から、アメリカのコミック業界支援NPO「<a href="http://www.comicarts.org/index.php">ICAA(International Comic Art Association)</a>」の支援を受け、たぶんカルチャラルスタディーズ系のポップカルチャー研究団体「<a href="http://www.h-net.org/%7Epcaaca/2005/index.htm">PCA/ACA</a>」の下部組織である「<a href="http://www.comicsresearch.org/CAC/">comic art & Comics</a>」部会のオフィシャルな研究プロジェクトとして展開されている「<a href="http://captionbox.net/eeb/">Ever-Ending Battle - Superheroes</a>」なんていう完全に学問的なものまでさまざまだ。
最近はBlogを使って展開されている試みもあって「<a href="http://www.comicbookpolitics.com/">Comic Book Politics</a>」はコメントとトラックバックの機能をフルに使って、コミックス系のBlogで展開されている『Dark Knight Returns』、『Watchmen』、『Kingdom Come』などといった作品にたいする論考を相互にリンクし、そこからさらにこのBlogのエントリ、コメントでそれぞれの作品に対する議論を展開していこうとしている。
私個人は「議論するためにBlogを書く」なんてことは正直アホくさいと思うが(つーか議論するためには、最低限議論するもの同士のテーマに対する手持ちの情報量がイーブンか、それに近い状態じゃないと成り立たないと思う)、アメリカでのこうした動き自体はおもしろいと思う。