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コミックスの制作現場の変化

 これはいまのところ確証はなくて、仮説に過ぎないのだが、どうも最近のコミックスアーティスト系のサイトを見ているとアメリカンコミックスにおける制作プロセスがかなりドラスティックに変わってきている気がする。
 90年代以降のもっともドラスティックな変化は当然デジタルカラーリングとDTPの導入になるわけだが、これとフォントによるレタリングをあわせたコミックス制作におけるデジタル化が完全に一般化したために、コミックスの分業体制そのものが変わってきている感じがある。というのもアーティストが「個人としてのアーティスト」ではなく「制作集団としてのスタジオ」で活動しているケースが多くなってきているからだ。
 もちろんこれまでのアメリカにもスタジオはいろいろあった日本でいう「虫プロ」とか「石森プロ」みたいな「作家とアシスタント」で構成される工房的な「ウィル・アイスナースタジオ」とか。70年代にバリー・スミスやマイクル・カルタなどのアーティストが共同で借りていたスタジオにアーティストたちが集っていたサロン的な「ザ・スタジオ」とか。アダム・ヒューズやアダム・ウォーレンといったアーティストが集っていた「ガイジンスタジオ」とか。ただ、現代のコミックススタジオはこうした過去のスタジオとは少し趣の異なる「コンテンツ制作請負会社」のようなものだ。カラーリングとレタリングがデジタル化され、DTPが一般化したおかげで、どうやら脚本(とおそらくネーム)が完成した状態で受注を受け、それをスタジオ単位で完全版下状態に仕上げて入稿している節が濃厚なのだ。
 おそらくこうした仕事の請け方をしていると思われるスタジオの代表は東アジア系のクリエイター中心の「UDON Entertainment」だが、おそらく台湾や香港、あるいは韓国でのマンガ制作の形態をそのまま持ち込んだと思われるこうしたクリエイター集団とはまたべつに現在コミックス制作の現場を大きく変えていると思われる要素がもうひとつある。
 それが最近のカートゥーンへの興味から調べ始めたFlashアニメの制作スタジオである。
 もともと最近出版されるオルタナティブ系(といっていいかどうかもはや怪しいのだが)のアンソロジー、具体的にいうとAlternative ComicsやTop Shelfのそれはアニメーターを作家に起用している場合が多く、ちょっといぶかしく思っていたのだが、この背景にはどうやらテレビ放映されるカートゥーンの制作に実際にFlashが使われるケースが増えてきていることにあるようだ。こうしたFlashアニメの制作スタジオでは業務としてウェブデザイン、アニメ制作、キャラクターデザインとともに「コミックス制作」が挙げられていることが多く、ちょっと「あっ!」といわされた。
 つまり、「デジタルコンテンツの制作」という点でアメリカではもはやウェブデザインやGIFアニメ、Flashアニメの制作と「コミックスの制作」が業務としてはパラレルなものになりつつあるのだ。もちろん、Top Shelfあたりのアンソロジーに描こうという作家は「自分が書きたいから」描いているのだろうが、将来的にどころか現在進行形でこういうデジタルコンテンツ系の企業がオリジナルのウェブコミックスを制作したり、中堅レベル以上の出版社に対して作品制作を請け負ったりといったことは起きはじめている。それにDTPの普及がもうひとつポイントになっていると思われるのはブックデザインの面だ。
 だいたい出版社ごとの統一フォーマットが決まっていたコミックブックのデザインフォーマットが90年代以降ずいぶんラジカルなものへと変化してきている。この変化を促進したのがデジタル技術であるのは間違いないが、これによりコンテンツの制作とは無関係にカバーデザインとカバーイラストを専門に請け負うような業務形態のスタジオが出現しはじめている(たとえばデイブ・ジョンソンの Studio Devil Pig などがそれだ)。もともとアメリカンコミックスではカバーのみを著名なアーティストが描いているケースも多かったのだが、これはその「カバーアーティスト」という考え方をもう一歩進めブックデザインまでをひとつの制作プロセスとして切り出したものだろう。
 こうした制作プロセスの変化はコミックスの制作現場にデジタル技術が導入されたことで「分業の単位」が変化している現象だといえる。
 Flashアニメ周りの情報についてはもう少しきちんと調べないといけないが、アメリカにおけるこういう変化はちょっとおもしろいと思う。これはクリエイターにとって「マンガかアニメか」というメディアの違いが「ジョブの専門性の違い」としてはあまり意味を持たなくなってきていて、「単なる手段の違い」へと変化してきていることを意味しているような気がするからだ。
 この辺もうちょっと突っ込んでみてもいいかなと思うが、いかんせん極度にめんどくさい。




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