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「アジアinコミック2005」の風景
四谷まで「アジアinコミック2005」のシンポジウムを見にいって、会場がわからなくなってしばらく道に迷う。
小雨そぼ降る土曜日の四谷はひともまばらで、雪にこそなってはいないもののえらく寒い。
文化庁傘下の国際交流基金が主催しているこのイベントも昨年に続き二度目、今年のテーマは「躍進する中国、韓国、日本のオンライン漫画の現状と将来」。一日目の今日は各国のオンラインコミックスパブリッシャーの社長クラスによるそれぞれの国の現状のレポートとそれを踏まえたうえでの今後を見据えた3者とコメンテーターの中野晴行(『マンガ産業論』)氏を交えた討論、という構成。
最初は横浜国立大学で修士号をとり、富士通の奨学金をとってアメリカ留学を果たしたという日本との関係も深い通力計算机通信技術(上海)有限公司(TriWorks)社長、梁鋼(リアン・ガン)氏による中国の現状についてのレポート。
経済成長が現在進行形で続いている中国の話だけあって基本的には景気のいい話が多く、デモで見せられたソフトウェアの完成度も三カ国のうちでは段違いに高い。市場の特徴としては国内に店内端末100台規模の店舗が15万店舗存在するというインターネットカフェ経由でのインターネット利用が中心、利用目的としては若者層を中心にオンラインゲームが圧倒的という話。
感心したのはDigiBookと名づけられた提供コンテンツの閲覧に関し、閲覧用ソフト(DigiBook Reader)、書棚型のファイル収納フォルダ(DigiBook Shelf)、コンテンツのダウンロードもしくはストリーミングのためのポータルサイトの三つを完全に統合した形でユーザーに提供していることで、前述したように、クリックによって物理ブックライクにページがめくれるアクションをし、ジャバやフラッシュにも対応、インスタントメッセンジャーを使ったチャットも可能な読み取り用のソフトウェアの完成度も異様に高い。
コンテンツ自体も効果音や台詞がつき、コマごとにフラッシュなどの演出効果が入るという紙のマンガの感触を残しながらもデジタル独自の演出を追及したもので、三カ国の中ではもっともラジカルだ。
これに対して韓国イーコミックス社副社長鄭熙運(チョン・ヒウン)氏(たしかこのひとアジアマンガサミットにも来てたと思う)の語る韓国の現状はアジア通貨危機以降の国内のオフラインコミックス市場の急激な落ち込みを経たうえで現在のオンライン市場の成長があるだけに、語られる現状もチョン氏自身の認識としても「過渡期」の印象が強い。
90年代後半の通貨危機の時期にそれまで成長を続けていたオフラインマンガの市場の中心が「貸し本屋」へと移行したという韓国のマンガ市場は、それが経済的に不安定な状況とセットになっていたこともあって、即座に市場の伸び悩みと国内のクリエイターの作品制作への圧迫という結果に直結した。今回は直接触れられなかったが、この時期からじつにオフラインマンガの75%を日本マンガの翻訳が占めるという状況が出来し、韓国国内のマンガ家はほとんど自作で生活できなくなってしまったのだという(この辺の話は横浜でおこなわれた私を含めわずか7人しか観客がいないというじつに情けない状況でおこなわれたパネル「アジア各国のマンガ出版の現状」で聞いた)。
こうした壊滅的な状況から00年以降のインターネットブームに乗るかたちで新しいオンライン市場に活路を見出してきたのが、韓国のオンライン漫画、というよりマンガ業界なのだといえる。このためか、コンテンツもいまのところ本の形態で発表されたものの電子化が中心で、中国産コンテンツに見られるような音、アニメーションを使った演出へのニーズはさほど高くないらしい。
だが、そんな韓国においても変化の兆しは見られ、ネットオリジナルの作品の増加に伴い、フルカラーでスクロールバーによる操作が前提の新しい形態のコミックスが定着してきており、この新しいフォーマットの登場により、それまでは市場のニーズによりスポイルされてきたファンタジーなどのジャンルの作品が描かれるようになり、作品が多様化してきているという。最初は及び腰だった既存のマンガ出版社も、貸本屋の件数分しか売り上げを見込めないリアルの市場から、直接ユーザーからの収益が見込めるオンラインでの展開へと関心を移しつつあるという。
また、こうした環境の変化にしたがい、オンラインでの人気作が書籍化されるといった現象も起きはじめているということで、ネットを介在させることによって壊滅状態だった自国のマンガ市場が息を吹き返しつつある、というのが韓国の現状のようだ。
経済成長の原動力や国内市場の再活性化のキーとしてじつにイノベイティブにインターネットを捉えているこれら二国の現状に比べると国内最大の電子出版の会社である株式会社イーブック社長、鈴木雄介氏の語る日本国内の現状は四谷の街を吹き抜ける風のように「お寒い」もののように個人的には思えた。
「電子書籍専用端末」の普及が鍵だとするじつに古臭い発想もそうなのだが、いちばん驚いたのは国内最大手の電子出版社であるイーブックの電子書籍がマンガはともかく一般書籍の類まですべて取り込みによる画像データだという話。要するにタグ埋め込みによる検索や関連付けどころか、ソフトウェアによるテキスト検索すら効かない「本のページを複写した画像データ」が自社の電子書籍であることを氏は得々と語るのである。
これまでもほとんど電子書籍には興味を持ってこなかったのだが、これを聞いて正直「いったいなんの役にたつんだそんなもの?」と思わざるをえなかった。鈴木氏は紙を使わず、印刷コストもかからず、保管や流通の費用もかからない電子書籍のメリットを述べるのだが、はっきりいって単なるユーザーであるこちらとしてはそんな企業の側の都合は知ったことではない。大枚はたいて端末買わなきゃ持ち歩けないうえ、普通の本より読みにくい電子書籍を買うんだったらブックオフでもいって本を探したほうがはるかにリーズナブルである。
コンテンツに関しても「既存の資産のアーカイブ化」という今後積極的に必要とされる課題への言及こそあったものの、逆に過去の人気マンガの電子化以外は考えていないとはっきり明言し、そうでない新しい作品の市場的な可能性も「現状見えないからやらない」とばっさり切り捨てている。
雑誌の電子化といった新しいトピックはあったものの(しかし、これもハードウェアの開発との連動が前提だ)要は書店の棚スペースや印刷費、倉庫代を浮かすために電子化しましょう、といっているようなもので、考え方として反動的なことこの上ない。
はっきりいって、個人的にはそんな電子出版ならまったくいらない。
コメンテーターの中野氏はオンラインコミックス環境でのクリエイターの育成とその経済的な保障の問題を重視し、海賊版や電子データの私的複製の問題にも触れたうえで、各国間で国際的なコンテンツ保護と収益確保のシステムをつくりあげる必要を示唆していた。要するに課金のシステムや収益構造が不明確で自立したメディアとしては弱いのではないか、という指摘だ。
中野氏はこの前提に立ったうえで、現在はまだ紙のマンガが中心であると思わざるをえないといい、最終的には手塚治虫のような革新的な作家があらわれることでオンラインコミックスが「新しいマンガ」として確立されるのではないか? というじつに古典的な作家主義に立脚した結論をする。
個人的にはこの中野氏の立論にも非常にがっかりさせられた。ちょっと辛辣な表現になるが、とても『マンガ産業論』を書いたひとの言葉とは思えない。
リアン氏にしろ、チャン氏にしろ、たしかに「ダウンロードやストリーミングによる収益だけでは現状作家に対して安定した収入を保証するほどの売り上げにはなりえない」といっていたし、個人的にはむしろ将来的にも「それだけ」で安定収入がみこめるとは全然思わない。チャン氏はアドセンスやバナー広告それにポータルサイト側の広告制作費からの原稿料供出といった副次的なかたちでの収益確保についても触れていたが、まあ、それだってものすごい儲けにはなりえないだろうと思う。
しかし、オンラインコミックスの場合(というか実際にはリアルのマンガもそうだと思うのだが)「それだけ」で収益を確保する必要などべつにないのである。パネルセッションの中でチャン氏は「1コンテンツ、マルチユース」の語をあげ、中野氏も「日本のマンガもじつはそれだ」として連載から単行本化、アニメ化、関連商品販売へとつらなるキャラクターマーチャンダイズモデルとしてのマンガについて触れていたが、なぜそういう発想があるにもかかわらず「オンラインマンガがオンラインマンガであることによって収益を確保できなければならない」と考えるのかが私にはわからない。
リアン氏もチャン氏もオンラインマンガの目指すべき市場イメージとして現在のオンラインゲーム市場を挙げており、それを踏まえて考えれば、彼らが考える「オンラインマンガ」の役割が必ずしも自立した文芸作品のようなものではないことは容易に想像できるはずである。
たとえばそのものずばりでオンラインゲームと連動してオンラインコミックスのサイトを立ち上げ、収益自体はゲームからあげ、逆にキャラクターやアイテム、ストーリー展開などを読者の反応を見ながらゲームにフィードバックする、なんてことはすぐに考えつくし、そこまでサービスと密着させなくても企業キャラクターとの組み合わせやアバターへの利用、テレビアニメやドラマのトレーラーをオンラインコミックスにして公式サイトで配信するなど、「パーツとしてのオンラインコミックス」を利用して収益を生み出す方法ならいくらでも考えられる。
もちろんそうしたものが「自立した作品」としてすぐれたものになるかどうかはまたべつな話になるが、収益性やクリエイターの育成を問題にするのであれば「オンラインマンガ」がビジネス全体の中で主導的な役割を担う必要は特にないのである。
ボランティアベースで作家がBlog的にオンラインコミックスを発表し結果的に人気が出てそれが書籍化されるというモデルも当然ありだろうし、ポータルサイトや企業サイトなどが最初から広告として発注するオンラインコミックスもありだろう。
「物語を読むためのメディア」としての中心が紙媒体であったとしても、作家自身のプロモーションメディアとしての意味やキャラクターマーチャンダイズの一環としてなどオンラインコミックス自体には使いようでいくらでも可能性がある。システム自体を構築中であったり結果的にデコンストラクションを経験しているがゆえにおそらくはそうした可能性まで見据えてビジネス展開をおこなっていると思われる中国、韓国に比べて「印刷費と倉庫代が浮くのが電子化のメリット」だという日本側のスタンスはあきらかに「マンガとはこういうものだ」という硬直した視点に縛られたもので、そのことでべつに暗澹たる気分になったりはしないが、ちょっとバカバカしい気分にはなった。
ちなみに20日の日曜日は中国、韓国、日本の実作者によるパネルがおこなわれる。んでもってこっちはいかない。
小雨そぼ降る土曜日の四谷はひともまばらで、雪にこそなってはいないもののえらく寒い。
文化庁傘下の国際交流基金が主催しているこのイベントも昨年に続き二度目、今年のテーマは「躍進する中国、韓国、日本のオンライン漫画の現状と将来」。一日目の今日は各国のオンラインコミックスパブリッシャーの社長クラスによるそれぞれの国の現状のレポートとそれを踏まえたうえでの今後を見据えた3者とコメンテーターの中野晴行(『マンガ産業論』)氏を交えた討論、という構成。
最初は横浜国立大学で修士号をとり、富士通の奨学金をとってアメリカ留学を果たしたという日本との関係も深い通力計算机通信技術(上海)有限公司(TriWorks)社長、梁鋼(リアン・ガン)氏による中国の現状についてのレポート。
経済成長が現在進行形で続いている中国の話だけあって基本的には景気のいい話が多く、デモで見せられたソフトウェアの完成度も三カ国のうちでは段違いに高い。市場の特徴としては国内に店内端末100台規模の店舗が15万店舗存在するというインターネットカフェ経由でのインターネット利用が中心、利用目的としては若者層を中心にオンラインゲームが圧倒的という話。
感心したのはDigiBookと名づけられた提供コンテンツの閲覧に関し、閲覧用ソフト(DigiBook Reader)、書棚型のファイル収納フォルダ(DigiBook Shelf)、コンテンツのダウンロードもしくはストリーミングのためのポータルサイトの三つを完全に統合した形でユーザーに提供していることで、前述したように、クリックによって物理ブックライクにページがめくれるアクションをし、ジャバやフラッシュにも対応、インスタントメッセンジャーを使ったチャットも可能な読み取り用のソフトウェアの完成度も異様に高い。
コンテンツ自体も効果音や台詞がつき、コマごとにフラッシュなどの演出効果が入るという紙のマンガの感触を残しながらもデジタル独自の演出を追及したもので、三カ国の中ではもっともラジカルだ。
これに対して韓国イーコミックス社副社長鄭熙運(チョン・ヒウン)氏(たしかこのひとアジアマンガサミットにも来てたと思う)の語る韓国の現状はアジア通貨危機以降の国内のオフラインコミックス市場の急激な落ち込みを経たうえで現在のオンライン市場の成長があるだけに、語られる現状もチョン氏自身の認識としても「過渡期」の印象が強い。
90年代後半の通貨危機の時期にそれまで成長を続けていたオフラインマンガの市場の中心が「貸し本屋」へと移行したという韓国のマンガ市場は、それが経済的に不安定な状況とセットになっていたこともあって、即座に市場の伸び悩みと国内のクリエイターの作品制作への圧迫という結果に直結した。今回は直接触れられなかったが、この時期からじつにオフラインマンガの75%を日本マンガの翻訳が占めるという状況が出来し、韓国国内のマンガ家はほとんど自作で生活できなくなってしまったのだという(この辺の話は横浜でおこなわれた私を含めわずか7人しか観客がいないというじつに情けない状況でおこなわれたパネル「アジア各国のマンガ出版の現状」で聞いた)。
こうした壊滅的な状況から00年以降のインターネットブームに乗るかたちで新しいオンライン市場に活路を見出してきたのが、韓国のオンライン漫画、というよりマンガ業界なのだといえる。このためか、コンテンツもいまのところ本の形態で発表されたものの電子化が中心で、中国産コンテンツに見られるような音、アニメーションを使った演出へのニーズはさほど高くないらしい。
だが、そんな韓国においても変化の兆しは見られ、ネットオリジナルの作品の増加に伴い、フルカラーでスクロールバーによる操作が前提の新しい形態のコミックスが定着してきており、この新しいフォーマットの登場により、それまでは市場のニーズによりスポイルされてきたファンタジーなどのジャンルの作品が描かれるようになり、作品が多様化してきているという。最初は及び腰だった既存のマンガ出版社も、貸本屋の件数分しか売り上げを見込めないリアルの市場から、直接ユーザーからの収益が見込めるオンラインでの展開へと関心を移しつつあるという。
また、こうした環境の変化にしたがい、オンラインでの人気作が書籍化されるといった現象も起きはじめているということで、ネットを介在させることによって壊滅状態だった自国のマンガ市場が息を吹き返しつつある、というのが韓国の現状のようだ。
経済成長の原動力や国内市場の再活性化のキーとしてじつにイノベイティブにインターネットを捉えているこれら二国の現状に比べると国内最大の電子出版の会社である株式会社イーブック社長、鈴木雄介氏の語る日本国内の現状は四谷の街を吹き抜ける風のように「お寒い」もののように個人的には思えた。
「電子書籍専用端末」の普及が鍵だとするじつに古臭い発想もそうなのだが、いちばん驚いたのは国内最大手の電子出版社であるイーブックの電子書籍がマンガはともかく一般書籍の類まですべて取り込みによる画像データだという話。要するにタグ埋め込みによる検索や関連付けどころか、ソフトウェアによるテキスト検索すら効かない「本のページを複写した画像データ」が自社の電子書籍であることを氏は得々と語るのである。
これまでもほとんど電子書籍には興味を持ってこなかったのだが、これを聞いて正直「いったいなんの役にたつんだそんなもの?」と思わざるをえなかった。鈴木氏は紙を使わず、印刷コストもかからず、保管や流通の費用もかからない電子書籍のメリットを述べるのだが、はっきりいって単なるユーザーであるこちらとしてはそんな企業の側の都合は知ったことではない。大枚はたいて端末買わなきゃ持ち歩けないうえ、普通の本より読みにくい電子書籍を買うんだったらブックオフでもいって本を探したほうがはるかにリーズナブルである。
コンテンツに関しても「既存の資産のアーカイブ化」という今後積極的に必要とされる課題への言及こそあったものの、逆に過去の人気マンガの電子化以外は考えていないとはっきり明言し、そうでない新しい作品の市場的な可能性も「現状見えないからやらない」とばっさり切り捨てている。
雑誌の電子化といった新しいトピックはあったものの(しかし、これもハードウェアの開発との連動が前提だ)要は書店の棚スペースや印刷費、倉庫代を浮かすために電子化しましょう、といっているようなもので、考え方として反動的なことこの上ない。
はっきりいって、個人的にはそんな電子出版ならまったくいらない。
コメンテーターの中野氏はオンラインコミックス環境でのクリエイターの育成とその経済的な保障の問題を重視し、海賊版や電子データの私的複製の問題にも触れたうえで、各国間で国際的なコンテンツ保護と収益確保のシステムをつくりあげる必要を示唆していた。要するに課金のシステムや収益構造が不明確で自立したメディアとしては弱いのではないか、という指摘だ。
中野氏はこの前提に立ったうえで、現在はまだ紙のマンガが中心であると思わざるをえないといい、最終的には手塚治虫のような革新的な作家があらわれることでオンラインコミックスが「新しいマンガ」として確立されるのではないか? というじつに古典的な作家主義に立脚した結論をする。
個人的にはこの中野氏の立論にも非常にがっかりさせられた。ちょっと辛辣な表現になるが、とても『マンガ産業論』を書いたひとの言葉とは思えない。
リアン氏にしろ、チャン氏にしろ、たしかに「ダウンロードやストリーミングによる収益だけでは現状作家に対して安定した収入を保証するほどの売り上げにはなりえない」といっていたし、個人的にはむしろ将来的にも「それだけ」で安定収入がみこめるとは全然思わない。チャン氏はアドセンスやバナー広告それにポータルサイト側の広告制作費からの原稿料供出といった副次的なかたちでの収益確保についても触れていたが、まあ、それだってものすごい儲けにはなりえないだろうと思う。
しかし、オンラインコミックスの場合(というか実際にはリアルのマンガもそうだと思うのだが)「それだけ」で収益を確保する必要などべつにないのである。パネルセッションの中でチャン氏は「1コンテンツ、マルチユース」の語をあげ、中野氏も「日本のマンガもじつはそれだ」として連載から単行本化、アニメ化、関連商品販売へとつらなるキャラクターマーチャンダイズモデルとしてのマンガについて触れていたが、なぜそういう発想があるにもかかわらず「オンラインマンガがオンラインマンガであることによって収益を確保できなければならない」と考えるのかが私にはわからない。
リアン氏もチャン氏もオンラインマンガの目指すべき市場イメージとして現在のオンラインゲーム市場を挙げており、それを踏まえて考えれば、彼らが考える「オンラインマンガ」の役割が必ずしも自立した文芸作品のようなものではないことは容易に想像できるはずである。
たとえばそのものずばりでオンラインゲームと連動してオンラインコミックスのサイトを立ち上げ、収益自体はゲームからあげ、逆にキャラクターやアイテム、ストーリー展開などを読者の反応を見ながらゲームにフィードバックする、なんてことはすぐに考えつくし、そこまでサービスと密着させなくても企業キャラクターとの組み合わせやアバターへの利用、テレビアニメやドラマのトレーラーをオンラインコミックスにして公式サイトで配信するなど、「パーツとしてのオンラインコミックス」を利用して収益を生み出す方法ならいくらでも考えられる。
もちろんそうしたものが「自立した作品」としてすぐれたものになるかどうかはまたべつな話になるが、収益性やクリエイターの育成を問題にするのであれば「オンラインマンガ」がビジネス全体の中で主導的な役割を担う必要は特にないのである。
ボランティアベースで作家がBlog的にオンラインコミックスを発表し結果的に人気が出てそれが書籍化されるというモデルも当然ありだろうし、ポータルサイトや企業サイトなどが最初から広告として発注するオンラインコミックスもありだろう。
「物語を読むためのメディア」としての中心が紙媒体であったとしても、作家自身のプロモーションメディアとしての意味やキャラクターマーチャンダイズの一環としてなどオンラインコミックス自体には使いようでいくらでも可能性がある。システム自体を構築中であったり結果的にデコンストラクションを経験しているがゆえにおそらくはそうした可能性まで見据えてビジネス展開をおこなっていると思われる中国、韓国に比べて「印刷費と倉庫代が浮くのが電子化のメリット」だという日本側のスタンスはあきらかに「マンガとはこういうものだ」という硬直した視点に縛られたもので、そのことでべつに暗澹たる気分になったりはしないが、ちょっとバカバカしい気分にはなった。
ちなみに20日の日曜日は中国、韓国、日本の実作者によるパネルがおこなわれる。んでもってこっちはいかない。
無限のカンバス
竹熊さんのところの一連のエントリとかこないだの「アジアinコミック」とか最近なんとなくオンラインコミックスのことを考える機会がちょこちょことあった。
で、思ったのが「意外とスコット・マクラウドの話が出てこない」ということだったのだが、よく考えるとこれはオレの頭がおかしいだけで意外でもなんでもなく、スコット・マクラウドが『マンガ学』(美術出版刊)以降、デジタルに傾倒して、ほとんどオンラインコミックスの伝道師のような立場になっていること自体が日本ではほとんど紹介されていないだけだった。
これまで何度か書いているが、私個人はオンラインコミックスにはあまり魅力を感じておらず(「FlashかGIFアニメにしたほうがいいじゃん」というのが個人的な見解)必然的に興味も薄めなのだが、最近マクラウドが『マンガ学』の続編『ReInventing Comics』(DC Comics刊)で提起した「infinite Canvas」という概念がちょっとおもしろい方向で実を結びつつあるのを知って少し感心している。
「無限のカンバス(Infinite Canvas)」とはマクラウドがオンラインコミックスの特性として挙げている「紙」という物理的な制約が存在しないことによる表現上の自由度のことである。つまり、スクロールや分岐などの処理によって紙のマンガとは異なる視線誘導、リズムを持ったマンガを作り出すことがデジタル環境では可能になる、というのがマクラウドの主張で、この新しい表現環境を彼は「無限のカンバス」と呼ぶ。
彼のこうした考え方は2000年に発表した『ReInventing Comics』の後半でかなり体系化されたかたちで述べられているが(前半はアメリカのコミックス産業の構造と歴史の分析)、その後彼はそこでの理論を実践してみせるべく「無限のカンバス」理論を応用したスクロールで読むコミックス「I Can't Stop Thinking!」を発表、以後も自分のサイト(scottmccloud.com)や他のコミックス系のウェブマガジンなどでさまざまなスタイル、ソフトウェア的な処理をおこなった実験的なコミックス作品を多数発表している。
そのイノベイター的な性格から彼は自作の発表だけでなくウェブでコミックス制作、発表をおこなおうとするクリエイターたちを積極的に紹介、育成しようと動いてもいて、ここ半年ほど更新がないのでちょっと「今現在の」ものとしては駄目だが、一時期の彼の公式サイトのリンクページはアメリカにおけるオンラインコミックスに関する最大のハブだった。
もともと『ReInventing Comics』という作品自体『マンガ学』と違いアメリカでは賛否両論を巻き起こした作品で、コミックスファンや批評家からはけっこう批判が多かった反面で、コンピュータ技術者やデジタル系のクリエイターからは絶賛されるというなかなか象徴的な著作だったのだが、マクラウドの考える「表現としての自由度」や「デジタルコミックスの可能性」は、たとえばここにあるものを見るだけでもなんとなく(納得できるかどうかはべつにして)理解はできる。
ちょっとおもしろいと思うのは「アジアinコミック2005」で見た中国の作品の既存の紙のマンガのレイアウトを残しつつデコラティブにアニメや音声による演出を加えていく手法や日本の「e-manga」のように既存のマンガにアニメ的な演出を加えて映画的に再構築していくという発想とはマクラウドの主張するオンラインマンガの発想は根本的に異なるように思える点で(韓国の縦スクロールで読ませるウェブオリジナルの作品が発想的には一番近い)、この辺既存のコミックスタイトルのデジタル化は圧倒的にPDFかコミックストリップが多いアメリカの事情も関係あるのかもしれないが、よくはわからない。
マクラウドの場合発想としては「いかにこれまでとは違ったコミックス表現を実現するか?」という部分にあきらかに力点が置かれており、ある意味でその発想がいきつくところまでいったのがその名も「Infinite Canvas」というオンラインコミックス作成支援ツールの開発である。
で、思ったのが「意外とスコット・マクラウドの話が出てこない」ということだったのだが、よく考えるとこれはオレの頭がおかしいだけで意外でもなんでもなく、スコット・マクラウドが『マンガ学』(美術出版刊)以降、デジタルに傾倒して、ほとんどオンラインコミックスの伝道師のような立場になっていること自体が日本ではほとんど紹介されていないだけだった。
これまで何度か書いているが、私個人はオンラインコミックスにはあまり魅力を感じておらず(「FlashかGIFアニメにしたほうがいいじゃん」というのが個人的な見解)必然的に興味も薄めなのだが、最近マクラウドが『マンガ学』の続編『ReInventing Comics』(DC Comics刊)で提起した「infinite Canvas」という概念がちょっとおもしろい方向で実を結びつつあるのを知って少し感心している。
「無限のカンバス(Infinite Canvas)」とはマクラウドがオンラインコミックスの特性として挙げている「紙」という物理的な制約が存在しないことによる表現上の自由度のことである。つまり、スクロールや分岐などの処理によって紙のマンガとは異なる視線誘導、リズムを持ったマンガを作り出すことがデジタル環境では可能になる、というのがマクラウドの主張で、この新しい表現環境を彼は「無限のカンバス」と呼ぶ。
彼のこうした考え方は2000年に発表した『ReInventing Comics』の後半でかなり体系化されたかたちで述べられているが(前半はアメリカのコミックス産業の構造と歴史の分析)、その後彼はそこでの理論を実践してみせるべく「無限のカンバス」理論を応用したスクロールで読むコミックス「I Can't Stop Thinking!」を発表、以後も自分のサイト(scottmccloud.com)や他のコミックス系のウェブマガジンなどでさまざまなスタイル、ソフトウェア的な処理をおこなった実験的なコミックス作品を多数発表している。
そのイノベイター的な性格から彼は自作の発表だけでなくウェブでコミックス制作、発表をおこなおうとするクリエイターたちを積極的に紹介、育成しようと動いてもいて、ここ半年ほど更新がないのでちょっと「今現在の」ものとしては駄目だが、一時期の彼の公式サイトのリンクページはアメリカにおけるオンラインコミックスに関する最大のハブだった。
もともと『ReInventing Comics』という作品自体『マンガ学』と違いアメリカでは賛否両論を巻き起こした作品で、コミックスファンや批評家からはけっこう批判が多かった反面で、コンピュータ技術者やデジタル系のクリエイターからは絶賛されるというなかなか象徴的な著作だったのだが、マクラウドの考える「表現としての自由度」や「デジタルコミックスの可能性」は、たとえばここにあるものを見るだけでもなんとなく(納得できるかどうかはべつにして)理解はできる。
ちょっとおもしろいと思うのは「アジアinコミック2005」で見た中国の作品の既存の紙のマンガのレイアウトを残しつつデコラティブにアニメや音声による演出を加えていく手法や日本の「e-manga」のように既存のマンガにアニメ的な演出を加えて映画的に再構築していくという発想とはマクラウドの主張するオンラインマンガの発想は根本的に異なるように思える点で(韓国の縦スクロールで読ませるウェブオリジナルの作品が発想的には一番近い)、この辺既存のコミックスタイトルのデジタル化は圧倒的にPDFかコミックストリップが多いアメリカの事情も関係あるのかもしれないが、よくはわからない。
マクラウドの場合発想としては「いかにこれまでとは違ったコミックス表現を実現するか?」という部分にあきらかに力点が置かれており、ある意味でその発想がいきつくところまでいったのがその名も「Infinite Canvas」というオンラインコミックス作成支援ツールの開発である。
「Infinite Canvas」とはなにか?
「Infinite Canvas」はシーケンシャルアート(コミックス)をデジタル環境の中で表示し、ナビゲートするメソッドである。「Infinite Canvas」というコンセプトに関する詳しい説明はともにスコット・マクラウドによるこの概念が始めて紹介された『Reinventing Comics』もしくは「I Can't Stop Thinking!」を見てもらいたい。
Infinite Canvas、オンラインコミックスの試み
「Infinite Canvas」はアップルの「iApps」(iTunes、iPhoto…)の考え方に基づいてつくられている。私たちは使いやすく、「Infinite Canvas」の概念とデザインが直感的に理解できるアプリケーションをつくろうとした。このアプリケーションは二つのコンポーネントからなっている。ひとつはObjective-C Cocoa(アップルのフレームワークのひとつ)を実装したエディター、もうひとつはJavaで書かれたオンラインビュワーだ。Javaのプログラミング言語的な特性としてJava Applet同様のビュワーをウェブサイトに実装できる。
歴史
「Infinite Canvas」はコンピュータサイエンス専攻の学生マーカス・ミュラー(Markus Mu"ller)によってウィーン科学技術大学( University of Technology Vienna(Institute for Design and Assessment of Technology))での実践研究と卒業論文のためのプロジェクトとして制作された。このプロジェクトにはインターフェイスデザイナーのピーター・パーガソファー(Peter Purgathofer)が参加しており、彼はオリジナルアイディアの提供とプロジェクトの進行管理をおこなった。
開発は2003年2月にはじまり、最初の公式バージョンのリリースはそれから1と4分の1年後の2004年6月。現在はバージョン1.1がリリースされており、完全にコードを一新したバージョン2.0の制作を計画中である。
(「About」、『Infinite Canvas - an online comics experiment』、http://www.infinitecanvas.com/static.php?page=static041105-162223)
これはマクラウドが主導したわけではなく、『ReInventing Comics』に刺激を受けたヨーロッパのエンジニアが自作したフリーウェアなのだが、アメリカのオンラインコミックスにはこのツールで作成された興味深い作品が徐々に増え始めている。
以下にこのツールを使って作成された作品をいくつかリンクしておくが、実際に見にいってもらえば(おもしろいかどうかは別にして)おそらく通常のオンラインコミックスやマンガの概念がちょっと揺さぶられることになるだろうと思う。
Everybody Loves Chris WareBy Timothy Godek
『Acme Novelty Libraly』(Drawn & Quarterly刊)などでラジカルにデザインとコミックスを融合し続けるクリス・ウェアの作品をその特徴を活かしつつオンライン・コミックスに仕立てた作品。正直、ウェア本人の作品より読みやすくてグットだと思ったりする(w。
ZBy Ryan Estranda
コミックスにおける視線誘導をソフトウェアに代替させることで成立しているような作品。ある意味でマクラウドの「無限のカンバス」理論をもっともわかりやすいかたちで反映しているのがこれかもしれない。
The Infinite Gag StripBy Timothy Godek
4コママンガの各コマをクリックするとランダムにコマの内容が入れ替わり、無限に新しい4コママンガを作り出していくという作品。
THE ZOOMQUILT | a collaborative art projectBy razghul and co
でもって、一番すごいなと思った作品がこれ。最初はなんだかわからないと思うが、ロードが終わったら画面のどこかでマウスをクリックし、そのままドラッグさせてみるとなにかが起こる。騙し絵のような独特の酩酊感のある作品で、もはやコミックスとはまったくいえないが、忘れがたい余韻が残る。
以下にこのツールを使って作成された作品をいくつかリンクしておくが、実際に見にいってもらえば(おもしろいかどうかは別にして)おそらく通常のオンラインコミックスやマンガの概念がちょっと揺さぶられることになるだろうと思う。
Everybody Loves Chris WareBy Timothy Godek
『Acme Novelty Libraly』(Drawn & Quarterly刊)などでラジカルにデザインとコミックスを融合し続けるクリス・ウェアの作品をその特徴を活かしつつオンライン・コミックスに仕立てた作品。正直、ウェア本人の作品より読みやすくてグットだと思ったりする(w。
ZBy Ryan Estranda
コミックスにおける視線誘導をソフトウェアに代替させることで成立しているような作品。ある意味でマクラウドの「無限のカンバス」理論をもっともわかりやすいかたちで反映しているのがこれかもしれない。
The Infinite Gag StripBy Timothy Godek
4コママンガの各コマをクリックするとランダムにコマの内容が入れ替わり、無限に新しい4コママンガを作り出していくという作品。
THE ZOOMQUILT | a collaborative art projectBy razghul and co
でもって、一番すごいなと思った作品がこれ。最初はなんだかわからないと思うが、ロードが終わったら画面のどこかでマウスをクリックし、そのままドラッグさせてみるとなにかが起こる。騙し絵のような独特の酩酊感のある作品で、もはやコミックスとはまったくいえないが、忘れがたい余韻が残る。
同人誌の代替物としてのオンラインコミックス
『WIREPOP』はインターネットと出版物を通じてプロフェッショナルに、ハイクォリティーな、クリエイターが権利を持つコミックスを配信していこうと試みている「次世代」のコミックブックパブリッシャーである。
WirePop.comははじめてのマンガとマンガスタイルの英語のウェブコミックスを扱うオンラインパブリッシャーである。このサイトの有料メンバーは毎週新しいウェブコミックを閲覧することができ、このサービスは通常のコミックスにかかるコストのほんの数分の1で済み、インターネットに接続すれば自動的に受けられる。最終的にはWIREPOPはその範囲を印刷媒体にまで広げ、熱心な読者の手にウェブコミックスを届けていく予定である。WIREPOPはその作品のつくりてたち、アーティストたち、ライターたちとともにコミックス制作の新しい方法を切り拓いていこうと考えている。
(「About」、『WIREPOP』、http://www.wirepop.com/about.php)
前述したように現在アメリカにはいくつか「マンガの描き方」を教えるサイトが存在していて(紹介したものの他にもなんだかよくわからないがいっぱいある)、これにはボランティアベースのもの(といってもアフィリエイトやPayPalのシステムを使った寄付などは導入されている)もあれば、企業ベースのものもある。
こうして「マンガ絵」や「マンガ」を描くようになったひとびとが次に欲するのは当然発表の場な訳だが、現在そのための絶好の場を提供しているのが上で紹介している『WIREPOP』のようなウェブ上のサービスである。
『WIREPOP』はサイト上にクリエイターから寄せられたウェブコミックスを掲載する代わりに読者から閲覧料を徴収し、それをクリエイターに還元するサービスだが、作品はそれぞれ1話程度がサンプルとして読めるようになっており、クリエイターの持つウェブサイトへのリンクも張られているため、作品の販売自体よりクリエイターのプロモーションという意味合いが大きい気がする。「マンガ」を対象としている訳ではないが、総合アートディストリビューションサービス『deviantART』なんかも見ているとどうもそういう使い方をしているクリエイターがけっこう多そうだ。
自ら「マンガ」を標榜しているだけあって『WIREPOP』に集まっている作家の作品はどれもよく日本マンガを研究したものでコマ割りなんかも完全に日本のスタイルを踏襲している。性別的には女性が多く、絵柄的には日本の少女マンガの影響が圧倒的だ。例を挙げるとこれとかこれとか、ま、半分以上そうだといってもいい。
ウェブコミックスとはいっても『WIREPOP』に寄せられている作品はプログラムと連動してインタラクティブな動きをするようなものではなく、ごく普通のマンガをページスクロールで読めるようにしたものに過ぎない。ただ、こうした「場」があることで結果的にクリエイターが作品やプロジェクトを読者や出版社にアピールする場になっているようだ。
アメリカの場合日本ともっとも違うのはその地理的な馬鹿デカさで、出版社が地理的に集中しているニューヨークやロサンジェルス辺りの出版社に対して、他の州に住むクリエイターがアプローチするのはそれだけで一苦労である。インターネット上の個人サイトや『WIREPOP』のようなサービスはその部分のコストを軽減するだけでもじゅうぶんな意味がある。同人誌だって、つくっても近所のコミックショップに置いてもらうか、手近かなコンベンションで手売りするくらいしか流通のさせようがない訳だから、より広範囲の読者に読んでもらうためにはじつはオンラインコミックスというのはもっとも簡単でリーズナブルな手段なのである。
こうして「マンガ絵」や「マンガ」を描くようになったひとびとが次に欲するのは当然発表の場な訳だが、現在そのための絶好の場を提供しているのが上で紹介している『WIREPOP』のようなウェブ上のサービスである。
『WIREPOP』はサイト上にクリエイターから寄せられたウェブコミックスを掲載する代わりに読者から閲覧料を徴収し、それをクリエイターに還元するサービスだが、作品はそれぞれ1話程度がサンプルとして読めるようになっており、クリエイターの持つウェブサイトへのリンクも張られているため、作品の販売自体よりクリエイターのプロモーションという意味合いが大きい気がする。「マンガ」を対象としている訳ではないが、総合アートディストリビューションサービス『deviantART』なんかも見ているとどうもそういう使い方をしているクリエイターがけっこう多そうだ。
自ら「マンガ」を標榜しているだけあって『WIREPOP』に集まっている作家の作品はどれもよく日本マンガを研究したものでコマ割りなんかも完全に日本のスタイルを踏襲している。性別的には女性が多く、絵柄的には日本の少女マンガの影響が圧倒的だ。例を挙げるとこれとかこれとか、ま、半分以上そうだといってもいい。
ウェブコミックスとはいっても『WIREPOP』に寄せられている作品はプログラムと連動してインタラクティブな動きをするようなものではなく、ごく普通のマンガをページスクロールで読めるようにしたものに過ぎない。ただ、こうした「場」があることで結果的にクリエイターが作品やプロジェクトを読者や出版社にアピールする場になっているようだ。
アメリカの場合日本ともっとも違うのはその地理的な馬鹿デカさで、出版社が地理的に集中しているニューヨークやロサンジェルス辺りの出版社に対して、他の州に住むクリエイターがアプローチするのはそれだけで一苦労である。インターネット上の個人サイトや『WIREPOP』のようなサービスはその部分のコストを軽減するだけでもじゅうぶんな意味がある。同人誌だって、つくっても近所のコミックショップに置いてもらうか、手近かなコンベンションで手売りするくらいしか流通のさせようがない訳だから、より広範囲の読者に読んでもらうためにはじつはオンラインコミックスというのはもっとも簡単でリーズナブルな手段なのである。