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Justice League

 『ブレイブ&ボールド(Brave & Bold)』誌での3号の試験運転(スタートは28号から)を経て、私の新しいジャスティスリーグ・オブ・アメリカは『ジャスティスリーグ(Justice League)』1号(1960年10/11月)で本格的なデビューを飾った。開始時のメンバーラインナップはフラッシュ、グリーン・ランターン、ワンダーウーマン、ジョン・ジョンズ=マーシャン・マンハンター、そしてアクアマン。これにすぐバットマンとスーパーマンのふたりが加わるはずだった……ところが私はここでくだらない社内政治の問題に足を引っぱられることになる。
 ジャック・シフ、当時のバットマン担当編集と当時スーパーマンの担当編集だったモートがいきなり自分たちのキャラクターが露出過多になることへの危惧を表明しはじめたのだ。彼らはいっしょになって自分たちのキャラクターをジャスティスリーグのオンゴーイングシリーズのメンバーにはしないでくれと頼んできた。それどころか彼らはたまにふたりのスターをカメオ出演させるなり、1号限りのゲスト出演させるなりは許してもいいが、その場合でもカバーに彼らのキャラクターを使ってはダメだという。
 タイトルの発行部数が落ちてきて、ようやく私はこの部数増大の秘策をたずさえていくことに決めた。
「あの、スーパーマンとバットマンを『ジャスティスリーグ』の表紙に使いたいんですが」私は言った。
「なんで君はとっととそうしないのかね?」彼はむしろそのことに不満そうである。
「いや、モートとジャックがやるなというものですから」私はそう答える。
「じゃあ行ってそのロクデナシどもにこう伝えろ、スーパーマンもバットマンもDCコミックスに帰属する版権物であって、モート・ウェイシンガーだとかジャック・シフ個人の持ち物なんかじゃない! ってな」彼は私を怒鳴りつけた。
 こうしてスーパーマンとバットマンがカバーに登場し、時に冒険にも顔を出すようになると本のセールスは劇的に伸びた。
 いまや私の直属の上司であるDCのボス(彼はその名をジャック・リーボウィッツといった)はよく当時のマーヴルのボス、マーティン・グッドマンとゴルフをやっていた。ある日ジャックはゴルフで彼をコテンパンにしたついでに自分の会社のあるタイトルが他のどんな本よりもよく売れていることを彼に自慢しはじめた。
 グッドマンは疑わしげに――しかし内心おもしろくないのがありありとわかる調子で――それはどんな本なのかとたずねた。
「ジャスティスリーグ・オブ・アメリカというヤツだ」ジャックは答えた。
「ふむ、聞いたこともないがな」グッドマンがやりかえす「そりゃどんな代物で、なにがそんなにおもしろいんだね?」
「そう、おれたちは単発のスーパーヒーローものをベースに商売してるわけだ。ところが、こいつはその連中をいっぺんに集めて悪党と戦わせて大冒険させちまうんだな。子供は喜ぶぜ。ススんだ思いつきだとは思わないか……でまあ、こいつが毎号売り切れってわけよ」
 そうしてゴルフが終わると、グッドマンはまるで逃げるようにそそくさと自分の会社へとかけもどり、自分のところの若い編集者を呼びつけた。この編集者、名前をスタン・リーという。で、この編集者にすぐさまスーパーヒーローがチームを組んで活躍する本を考えろ、と申しつけた。つまり、これがマーヴルに『ファンタスティック・フォー』が誕生した瞬間だ。(もちろん『ファンタステック・フォー』は売れに売れ、マーヴルの売り上げ向上に多いに寄与した。賢明な読者諸君はもうおわかりだと思うが、私はここで自分のジャステス・リーグの成功がDCのみならず間接的にマーヴルをも救ったのだと言っているのだな)
(『 MAN OF TWO WORLDS: MY LIFE IN SCIENCE FICTION AND COMICS 』、Julius Schwartz、Harper Collins刊)




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