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2008-11-08T03:02:58+09:00
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報道のギャップ
https://w.atwiki.jp/longboxman/pages/47.html
*アニメ人気の分裂
マスメディアにおける欧米の「アニメ人気」報道で必ずといっていいほど無視されている……というよりはそもそも理解されていない点がひとつある。
それは欧米におけるアニメの人気、評価がじつは二極分化していることだ。
これは東海岸と西海岸の差ともパラレルなものなのだが、アメリカのメインストリームメディアにおけるクリティカルな「評価」と子供を中心とした一般ユーザーのコマーシャルな「人気」がはっきり分裂しているのである。
たとえば同じ『New York Times』のフィルムレビューでも宮崎駿や押井守のような作家の作品と『ポケモン』や『遊戯王』のようなマーチャンダイズがらみの作品ではその語られ方自体がまったく異なっている。
> 押井守の幻惑的な機械世界の影にある生の瞑想『Ghost in the Shell2: Innocence』の中ではアンドロイドは機械羊の夢など見ない。そこで彼らが夢見るのは自殺である。あるアンドロイド、この世界では「ガイノイド」と呼ばれる能面のような顔を持ち、悲しみにくれる未亡人のような人工的な外見を裏切る不気味に折れ曲がる四肢を持った性的愛玩物がプログラム上ありえない暴力事件を起こす。この哀切で、しばしば驚くほど美しいアニメではセックスドールがフィルムノワール風の陰謀の渦に巻き込まれてバーチャルなセップクを試みる。哲学的な考察と目を奪うイメージとシリアスなサイエンスフィクションが持つクールネス、その中毒性の霧は明日のパーティーすべてで漂っているだろう。
>(「FILM REVIEW; Philosophizing Sex Dolls Amid Film Noir Intrigue」、MANOHLA DARGIS、『New York Times』09.17.04、http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9904E1DD1639F934A2575AC0A9629C8B63)
> この情報番組とカタログ雑誌に溢れた時代にあってエンターテインメントとアドバタイジングの境界はどんどん曖昧になっている。本日全国公開される日本のアニメ映画『遊戯王』においてはこの境界線はきっぱりと消し去られている。
>(中略)
> ここ数年日本のアニメは宮崎駿の『千と千尋の神隠し』、今敏の『千年女優』など、息を呑むほど美しい映画を何本も送り出してきた。しかし『遊戯王』は土曜の朝、ディズニーチャンネルでやっている『ピノキオ』のようなカートゥーンとたいして変わらない代物だ。キャラクターデザインは平坦かつみな似通っていて、背景はお粗末で魅力がない。そして動きはといえばギクシャクして最低限だ。これらは映画としては悲しむべき欠点だが、ただひとつの点によってそんなことは問題ではなくなる。これは入場料の必要なコマーシャルなのだ。
>(「FILM REVIEW; For Movie and Its Marketing, A Marriage of Convenience」、DAVE KEHR、『New York Times』08.13.04、http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9A01E0DC173FF930A2575BC0A9629C8B63)
個々の記事は評価としてそれぞれけっこう妥当なことをいっているような気がしないでもないが、単純にいって「高尚」と「俗悪」とでもいうべきくっきりした評価の違いがすでにそこにはある。
こうした評価の分裂自体は実際には国内のマスメディアの報道にも存在するものであり、よほどのアニメマニアでもなければ作品的なレベルでポケモンと宮崎アニメを同列に語ったりはしないし(たぶんやろうと思ってもできない)、マーケットが巨大化したために最近は希薄になった気はするが、80年代くらいまでは日本にも「よいアニメ」、「悪いアニメ」といった漠然とした区分けはあった。
にもかかわらず海外での日本アニメ受容の場合には、こうした側面がほとんど語られないのは、報道レベルでは批評的な評価とビジネス上の成功の切り分けがほとんどなされないことに主原因があると思う。ざっと検索したらたまたまちょうど上記2作品の世界配給を報じた朝日新聞の記事が見つかったので引いておく。
> 封切り前の日本製のアニメ映画「イノセンス」(押井守監督)と「遊戯王」(高橋良輔監督)の2本が、年内にも欧米で公開されることが26日、明らかになった。アニメ映画が相次いで、製作段階のうちに世界規模で配給決定されることは極めて珍しい。宮崎駿監督を始めとする日本アニメへの高評価が後押しした。
> 「イノセンス」は、米国のビデオ販売チャートで1位を記録した押井監督のアニメ映画「攻殻機動隊」(95年)の続編。スティーブン・スピルバーグ監督率いる米映画製作会社大手「ドリームワークス」が、12月にも全米や欧州で配給する予定。
> 製作費は約20億円で、大手アニメ制作会社「プロダクションI・G」(東京・国分寺市、石川光久社長)が製作。宮崎監督のスタジオジブリが宣伝や配給に協力している。日本では3月6日に全国公開される。
> 「遊戯王」(米国名は「Yu-Gi-Oh!」)は、テレビ東京系で放送中の人気アニメの映画版。テレ東の番組は米国でも土曜日午前に全国ネットで放送中で、小中学生の支持が高く、ディズニーアニメなど米国製アニメを上回る視聴率を稼いでいる。
> 製作費は3億5000万円で、テレビ東京や出版社の集英社などが出資。日本での公開予定はなく、ワーナーブラザーズが8月にも、全米3000館以上で配給する予定。英国やドイツ、フランスなどでも公開される。
> 海外で過去最大の興行収入をあげた映画は99年の「ポケモン ザ・ファースト・ムービー」(日本名「ミュウツーの逆襲」)。北米、欧州などで約170億円に達したが、98年の日本公開時に海外配給はまだ決まっていなかった。
> ベルリン映画祭金熊賞とアカデミー賞長編アニメ賞を受賞した宮崎監督の「千と千尋の神隠し」を始め、日本製アニメの評価は国際的に高い。
> 世界のアニメ放送量の6割が日本発と推定されている。テレビ局制作のアニメ番組も年々増えており、NHKも4月から放送する手塚治虫原作「火の鳥」の海外販売を表明。アニメは、日本のコンテンツビジネスの中核となっている。
>(「日本製のアニメ映画、封切り前に世界評価 海外配給決定」、『朝日新聞』02.26.04、http://www.asahi.com/culture/update/0226/011.html)
一目瞭然、見事なまでに「国際的な評価」と「ビジネス的な成功」がひとつの記事の中で混同されている。ほとんどワザとなんじゃないかとも思ったりするのだが、まあこの字数の新聞記事でそんなことまで言及する余裕がなかったのだろうととりあえずは解釈しておく。
ただ、こういう報道が困るのは往々にして「評価」が「成功」を生んでいるというひどく短絡的な因果関係を読者に植え付けてしまうことである。実際にはそれは無関係とはいえないが、ほぼべつな現象であり、しかも価値観としてはほとんど対立しているとさえいえる。
前述したようにこの対立は私たち自身も無意識に共有しているはずのものだが、なんで海外の場合に限ってこんな倒錯したことになってしまうのだろう。
*マンガへの反発
……という疑問の答が12月28日付けの『New York Times』に載った記事「Girl Power Fuels Manga Boom in U.S.」とそれに対するコミックス系のBlogの反応を見てちょっとだけわかった気がした。
NYTの記事自体は「マンガブーム」がそれまで欧米のコミックスの読者としてはほとんど存在していなかった大量の女性読者を新たに呼び込んでいることを目新しい現象として論じたもので、これまで報道された「マンガブーム」関連の同種の記事と比較してさほど論調が異なる訳ではない。ICv2のミルトン・グレップ(Milton Griepp)のコメントではじまっているのもいかにもだ。
では、どこいら辺がコミックス系のBlogで反響を巻き起こしているのかといえば、問題は記事の冒頭部分にすでに集約されている。
> 気をつけたまえ、坊やたち。街には新しい子供がやってきている。
> MANGA(MAHN-gaと発音する)という呼び名で知られる日本のコミックスのセールスが合衆国で上昇している。このブームの大きな原因となっているのがコミックパブリッシャーの若い男性読者を超えた読者層を取り込もうとする取り組みである。そして、それは実際「男性」を超えた広がりを見せている。
>「アメリカのマンガプロデューサーたちはコミックスに新しい読者を呼び込んでいる、それは女性読者だ」小売店向けのポップカルチャー情報サイトICv2の創立者兼パブリッシャーであるミルトン・グレップはいう。
> 書店ではカラフルなダイジェストサイズ(訳注:日本の単行本サイズのペーパーバック)のマンガコレクションが国内の古典的なキャラクター、バットマンやスパイダーマンをフィーチャーしたグラフィックノベルの棚の横に並べられている。マンガはしばしば強い女性キャラクターを冒険物語の中で肯定的に描き、あるいは少女たちの恋愛関係にスポットを当てる。これらのタイトルは少女向け(少女マンガ)、少年向け(少年マンガ)に分類されている。
>(「Girl Power Fuels Manga Boom in U.S.」、GEORGE GENE GUSTINES、『New York Times』12.28.04、http://www.nytimes.com/2004/12/28/books/28mang.html?ex=1261976400&en=aeb6fc3571ef551d&38;ei=5088&38;partner=rssnyt)
原文冒頭の「Look out boys」とか「New Kids in town」(イーグルスだ)とかいう言い回しはそれ自体が慣用的なもので、訳しにくいことこの上ないが、これはそれぞれ元からのコミックス読者である少年層(boys=コミックブックファン)と新規読者である女性層(new kids=マンガ読者)をあらわしている。一読するとなんでもないような表現だが、この辺の書き方にはそれ自体「古いドメスティックなアメリカンコミックス」と「新しいコミックス、マンガ」とを対比的に扱おうとする無意識の身振りがよくあらわれている。
私がこの記事を知ったのは「New York Times shocker: GIRLS LIKE MANGA」というMile High ComicsのBlog『the Beat』(http://www.comicon.com/thebeat/)でのエントリ経由でのことだが、記事でもコメントでもアメリカのコミックファンたちはこうした報道姿勢への反発を隠していない。特に反発を買っているのはアーティストでコミック史家のトリナ・ロビンスのコメントだが、この辺は読んでいてかなりおかしい。
> 不幸にも新聞記事の例に漏れず、馬鹿げた無意味な犯人探しがここでもおこなわれている。たとえばトリナ・ロビンスによるこんな糾弾がそれだ。
(「New York Times shocker: GIRLS LIKE MANGA」、http://www.comicon.com/thebeat/archives/2004/12/new_york_times.html)
で、NYTの記事のロビンスのコメントはこんな感じ。
> アメリカンコミックスにおいては50年代末以降少女向けのコミックスはマイナーな存在になったのだと『From Girls to Grrlz: A History of Women's Comics』(Chronicle Books刊、1999年)の著者、トリナ・ロビンスは語る。少女たちもかつては『Millie the Model』、『Patsy Walker』、『Betty & Veronica』のようなタイトルを楽しんでいた。
「マンガはそれらと同じ主題を、ただ21世紀の日本の繊細さでアレンジして語っているのです」彼女はいう「少女たちはキュートで、決して性差別的に扱われたりしません、そしてバストばかりが強調された描きかたもされないのです」ロビンス女史はスーパーヒーローコミックスにおける若い女性の描かれ方と比較してこう語る。
>(「Girl Power Fuels Manga Boom in U.S.」、GEORGE GENE GUSTINES、『New York Times』12.28.04、http://www.nytimes.com/2004/12/28/books/28mang.html?ex=1261976400&en=aeb6fc3571ef551d&38;ei=5088&38;partner=rssnyt)
「バスト」のくだりでロビンスのマンガ認識が間違っていることがよくわかるが(w、要するにこの記事では「マンガ大国ニッポン」を偶像化するかわりに既存のアメリカンコミックスを貶める構図が出来上がっているのである。これは普通に考えてみればわかるだろうが、向こうのコミックファンは怒る。
記事後半でもマーヴルのパブリッシャーの「(マンガ人気は)女性もグラフィックフィクションを求めている証拠だ」という発言や、DCが新たにはじめたマンガライン(『SWAN』や『エロイカより愛をこめて』など秋田書店系の少女マンガを含む)副社長の「(マンガ出版によって)これまでの自社コミックスでは取得できなかった新たな読者に到達できる、これはすごいことだ」という発言などが続き、完全に「女性読者が得られるのはマンガだけ」というプロパガンダになっている。腹をたてた『the Beat』の記者はこの記事の書き手を「こいつはパラレルワールドに住んでいるとしか思えない」とこき下ろしている(実際にコミックファンダムが女性にやさしくしてこなかった面もあるので、この態度はこの態度でどうかとも思うが)。
これは「女性読者」の存在によって「マンガ」を特別扱いしている例だが、もともとファン層が微妙に異なっていることもあり、アメリカのコミック業界ではもっと一般的にコミックスとマンガを区別している面がある。この「区別」に対して反発しているのが、これもNYTの記事と同じタイミングで見つけたカナダのコミックショップ店員のBlog『comics.212.net』(http://comics.212.net/)の12月28日付けのエントリだ。
こちらの背景としてはメインストリームメディアである『TIME』のアンドリュー・アーノルド(Andrew. D. Arnold)によるオンラインコラム「TIME.COMIX」でのコミックスの扱いと専門誌である『Wizard』のようなメディアでのコミックスの扱いの乖離の問題がある。これは事情としてはより複雑(というほどのこともないが)で、そもそもの遠因はアーノルドが年末ベスト10に選んだ作品(http://www.time.com/time/bestandworst/2004/comics.html)がメインストリームのコミックスファンの嗜好とかけ離れたオルタナティブ系の作品ばかりだったことにある。べつに年末ベストなんて個人の趣味なんだから、なに選んだっていいじゃないかとも思うのだが、このBlogの書き手であるクリストファー・ブッチャー(Christopher Butcher)という青年はそこから敷衍して現在のアメリカにおけるコミックスメディアがコミックスの全体像を見ようとせず、ある種のセクショナリズムに閉じこもっている現状を批判している。そんなこといっても、アメリカンコミックスはその構造自体が重層的で、訳わからないんだから仕方ないじゃないかと私なんかは思わないでもないが、その問題意識はわからなくはない。
で、そういう問題意識があったうえで彼は「マンガの特別扱い」を批判する。
> なんで議論になると「レビュワー」や「評論家」はみんなマンガを特別なものとして扱いたがるんだろう。問題はマンガ(ここでいうのは「日本か、せいぜい韓国で描かれたコミックス」って意味だけど)が異なった文化と歴史によってつくられた独自性を持つものだ、ということであって、全体としてのコミックスを考えた場合にその特殊性を気にする必要なんかないじゃないか。
>(「I had a thought」、Christopher Butcher、http://comics.212.net/2004_12_01_archive.shtml#110425500214476479)
彼は返す刀でスーパーヒーローコミックスの話ばっかりするのに対しても批判の目を向けているが、このテキストはあくまでも「同じコミックスなのにマンガだけ別扱いする批評家」に対する批判が主目的である。
彼は続けて「吉本ばななや村上春樹の本を文学の棚とは分けて置いたりしないじゃないか?」とも書いていて、この辺も別な意味で興味深かったりするが、それはともかく。必ずしもブームのためばかりではないこうした「マンガの特別扱い」は『the Comics Journal』の常連寄稿者であるトム・スパージオン(Tom Spurgeon)なども自身のBlogで少し触れている。
> 私が依然として奇妙に思うのはマンガが議論の的になってからすでに3年が経つのに、なぜアメリカのコミックス業界の誰かが特定のマンガ出版社の戦略などよりもっと分析に値するものとしてうまく扱えないのだろうということだ。90年代の一時期DCは「マーヴルではない会社」としてしか扱ってもらえない時期があった。同様に私たちはマンガを「コミックスでないもの」として扱おうとしてはいないだろうか?
>(「Apparently, 2004 Kind of Sucked」、Tom Spurgeon、http://www.comicsreporter.com/index.php/apparently_2004_kind_of_sucked/)
ブッチャーはこれと似たような意味合いで「よくてゼノフォビア(異文化恐怖症)、悪くとればレイシズム(人種差別)ではないか」といっているのだが、いくらなんでもこれはいいすぎだろう。単にコミックスファンのあいだでもマンガと既存のアメリカンコミックスの関係性はうまく整合性がとれていないのだ。
それに『TIME.COMIX』のアーノルドのスタンスにも多少の疑問はあり、彼がベスト10に挙げているのは手塚の『火の鳥』なのだが、これは書店やコミックショップの売り上げとはなんの関係もないチョイスなのだ。
もともとアーノルドは東海岸的なアート志向の強いレビュワーだから個人の趣味としてこういうチョイスをするのは理解できるのだが、そういう個人の嗜好の枠を超えてメインストリームメディアによって受け売り報道がなされると、今後アニメ同様の「よいマンガ」、「悪いマンガ」という暗黙の価値観が出来上がっていく可能性はある(すでに前述したロビンスの例にはその萌芽が見られるといえるだろう)。べつにアーノルドのせいではないが、それが現在すでに見られるような「マンガ大国ニッポン」幻想と混在することを考えるとちょっと気が遠くなる気がするのだ(断っておくがアーノルド自身は非常にバランス感覚の優れたライターである)。
個人的にはこういう形でコミックファンの側からマンガ(というよりはその報道)に対する反発が出てきたのはけっこう意外だったのだが、これは私自身が考えていたより一般のアメリカ人の自国のコミックス文化(というかコミックブック文化)に対する軽視の念がはるかに強いということなのだろうと思う……どうも「ダメなはずのもの」がなぜか売れているからその原因を「日本製」の部分に求めている匂いが強烈にするのである(なんとなくかつての「Japan as No.1」報道などとも共通するものを感じる)。
これを翻って、日本のアニメやマンガの海外人気報道や政府のコンテンツ産業育成政策などに当てはめて考えると、共通していえるのは「市場や海外で報道する側がなにが評価されてるんだかよくわかっていない」という部分である気がする。もともとアメリカのコミックスファンにしろ、日本のアニメ、マンガのファン(オタクといってもいいが)にしろコミュニティー的に閉じたカルチャーであったのであり、マーケット規模が大きくなったことによってその価値観をオーバーグラウンドな「社会」が共有しようとしたときにまず社会通念とのギャップが生じているのである。
そのギャップが解消されないうちに輸出産業になったりしているから報道にも混乱が生じているわけで、なんとなく海外のアニメ・マンガ人気に喜ぶ日本のファンとマンガの特別扱いに怒るアメリカのファンはほとんど合わせ鏡のような関係にあるのではないかと思った訳だ。
まずこういう価値観レベルでの混乱が解消されないと、個人的な経験から考えても、日本のマンガと欧米のコミックスとの表現レベルでの文法の違いやテマティックなレベルでの比較研究などは今後もなかなかキチンと成立していかないのではないかと思う。
追記:かなり適当に読み飛ばして書いていたので、まともに読み返してみたらまるでニュアンスが違っていた『comics.212.net』と『TIME.COMIX』のくだりをあとから修正した。ちゃんと読んだらブッチャーはべつにアーノルドに否定的でもなかった。皮肉っぽい部分はあるが「『TIME』の読者に勧めるなら僕もこの10冊を選ぶ」と書いている。『the Comics Journal』に関してはもっとひどくて「新編集長になってから目配りが効いてよりよくなった」という趣旨で挙げている(個人的には前任者の編集方針も好きだったんでそうかなあという感じだが)。ただ、セクショナリズム批判のニュアンスはあるのでそこは残した。
追記2:id:lovelovedogさんの指摘を受けてさらに修正。女性読者に関する記述を追加。頭がおかしくなっているので、欧米に女性読者がいなかったことを常識扱いしていた。
2008-11-08T03:02:58+09:00
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資料/Definition of Comics
https://w.atwiki.jp/longboxman/pages/85.html
コミックスとはなにか
*Definition of Comics
『St. James Encyclopedia of Pop Culture』における記述。
>**コミックス
> コミックストリップとコミックブックは二十世紀アメリカ文化における二本の大きな柱である。コミックストリップは二十世紀最初の10年に国中の新聞に登場し、急速に新聞の一要素として確立された。コミックブックも同様に1930年代末から1940年代はじめにかけて、特にスーパーマン、バットマン、キャプテンマーヴルなどのコスチュームヒーローが登場して以降、多くのアメリカ人の想像力を捉えた。コミックスはそのはじめからはっきりしたわかりやすい他に転用可能なイメージを伴ったキャラクターをつくりだしていた。コミックスキャラクターはアメリカ文化に娯楽やビジネスとして偏在するものになった。
> コミックストリップの起源は一般的に1895年の『New York World』紙へのイエローキッドの登場に求められるが、コミックスの先祖ということになるとそれより少々複雑だ。1889年に『World』紙の日曜版がユーモアコーナーをはじめた当時、その読者をつくりだしたのは『Puck』、『Judge』そして『Life』といったアメリカのイラストユーモアマガジンである。これらの雑誌は一枚刷り、諷刺イラスト、滑稽本、『Fliegende Blätter』、『Charivari』、『Punch』のような雑誌といったヨーロッパの伝統を元に鋭い風刺的なアメリカンビジュアルユーモアをつくりだした。この国際的な、そしてアメリカ国内でのイラストレーテッドユーモアの広がりの流れからすれば、『Hogan's Alley』連作でのイエローキッドの登場はこの点で驚くべきことではなかった。イエローキッドをそれ以前のイラストレーテッドユーモアにおける街の浮浪児ジャンルと隔てているのはそれが独立した記事だったこと、大きなサイズのコマに描かれた連載だったことだ。
> 1896年10月、ウィリアム・ランドルフ・ハースト(William Randolph Hearst)は『NewYork Journal』紙日曜版にユーモア欄を設け、イエローキッドのクリエイター、リチャード・アウトコールト(Richard Outcault)と契約を交わした。さらに『Journal』はルドルフ・ダークス(Rudolph Dirks)とフレデリック・オッパー(Frederick Opper)を雇用した。イエローキッドはコミックスに特定のキャラクターがレギュラー出演する形式を確立したことで重要だが、アウトコールトは現代のコミックスの持つ他のふたつの構成要素--連続したコマとフキダシ、このふたつはヨーロッパとアメリカのグラフィックアートにおいて世紀をまたいで使われてきたものだ--は常用しなかった。ダークスとオッパーは『Journal』紙の連載ページにこれらの要素を取り入れ、発展させた。1897年12月から1901年3月までのあいだにダークスの『Katzenjammer Kids』とオッパーの『Happy Hooligan』はメディアに登場する特徴的なレギュラーキャラクターたち、連続したコマを用いた物語形式の確立、台詞を伝えるためのフキダシの使用、というモダンコミックスの構成要素を完全に統合した。たいていの場合、ダークスとオッパーのストリップは新聞の一面全体を12コマで割ってギャグを表現していた。
> 1900年から1903年のあいだに新聞社のオーナーたちとシンジケートは国中の新聞へのコミックストリップのライセンス配信をおこなうようになった。このメディアの拡大はより広汎なアメリカンカルチャーの発展、国内市場の確立と通信輸送設備の整備と結びついたものだ。コミックストリップは新聞にとっては購読者獲得の原動力だった、1908年までに国内の新聞の75パーセントは日曜版にコミックストリップの連載を持つようになっていた。そのほとんどの新聞にとってコミックス連載の開始は部数の上昇につながった。1907年11月、『San Francisco Chronicle』で連載を開始したバド・フィッシャーの『Mutt and Jeff』にはじまる日刊連載のコミックストリップの登場はこのメディアを新たな次元に引き上げた。1908年にはコミックストリップを日刊連載する新聞はわずか5紙に過ぎなかったが、その5年後には少なくとも全米で94紙がデイリーストリップを連載していた。1913年までには新聞は日刊連載のコミックストリップばかりを集めたページを一面設けるようになった。この短期間に見慣れない新参者から文化になった。『Comic Strips and Consumer Culture, 1890-1945』によれば1924年までには全米の児童のうち少なくとも55パーセント、多く見積もった場合には82パーセントがコミックストリップを定期的に読んでいたという。同様にジョージ・ガルプ(George Gallup)らの調査によれば平均的な大人の新聞読者の75パーセントはコミックストリップを読んでいたという。
> デイリーコミックストリップの4、もしくは5コマで白黒という12コマで4色のサンデーストリップと対照的な形式は、コミックストリップに最初のテーマおよび図像面での多くの革新とこのメディアへの大衆的な支持をもたらした。この発展の重要な点はこれが物語に継続性のあるコミックストリップの芽生えを含んでいたことだ。コミックス史家のロバート・ハーヴェイ(Robert Harvey)によれば『Chicago Tribune』および『New York Daily News』紙のオーナーだったジョセフ・パターソン(Joseph Patterson)がシドニー・スミスの『The Gumps』を掲載し、大々的に宣伝したことがコミックストリップに継続的な物語性を導入したキッカケになっている。この作品は断片的な風刺ではなくいまでいうソープオペラ風のコメディだった。こうした連続した物語性(continuity)を持ったコミックストリップの登場は『Wash Tubbs』や『Little Orphan Annie』のようなアドヴェンチャーストリップの出現をもたらした。そしてそれは次に『Buck Rogers』や『Flash Gordon』のようなサイエンスフィクションストリップを登場させ、ギャグストリップの分野においても『Winnie Winkle』のような働く女性を描いたコミックストリップでは一定期間に渡って継続したストーリーラインが続くやり方が導入されている。こうした継続したストーリー性を持ったコミックストリップの登場は、現実的な表現により説得力を持たせるためコミックアートのスタイルをよりカリカチュアライズ「されない」ものへと変化させた、だがその内容自体は荒唐無稽なものだった。どんなアートスタイルが主流になろうとコミックページにはギャグストリップ、アドベンチャーストリップ、リアリスティックストリップが隣りあわせで掲載されていた。
> その開始時点から「キャラクター」の存在は新聞の紙面を越えた可能性を持っていた。イエローキッドのイメージはタバコやクラッカー、女性用の扇子などを売るために使われたが、その名前が明示されているのはそのうちのほんの一部に過ぎなかった。劇場プロデューサーのガス・ヒルは1898年キッドを題材にしたミュージカルを上演し、1920年代までコミックストリップをテーマにしたミュージカルの上演を続けた。人形制作会社は同じようにコミックストリップキャラクターの人形を製作した。バスター・ブラウンはその名前を靴や洋服、ピアノとパンを含むそのほかたくさんの商品に提供した。イエローキッドの冒険は早く見積もって1897年頃には書籍のかたちにまとめられていた、以後20世紀の最初の20年を通してCupples and LeonやF. A. Stokesのような出版社が人気のあるコミックストリップを単行本化した。1930年代はじめにはコミックストリップの商業的な可能性は新聞社の広告担当重役にコミックストリップの読者数の規模はこのアートフォームを娯楽を通じて消費者に商品を買わせるための宣伝材料に使えるのだと理解させるほど拡大していた。この戦略に基づき、1933年にthe Eastern Color Printing Companyがいくつかの企業に対しコミックストリップを小冊子にまとめ、それを宣伝用に配るという企画を売った。
> いくつかの販促用コミックブック企画をプロデュースしたあとEastern社は1934年に『Famous Funnies』を出版する。このコミックストリップのリプリントを集めた64ページのコミックブックには10セントの値段がつけられていた。この最初の号では同社は多少の赤字を出したが、それはコミックブック内に広告スペースを設け、その掲載権を売ればすぐに回収できる程度の額だった。パルプ作家のマルコム・ホイーラー=ニコルソン少佐(Major Malcolm Wheeler-Nicholson)はこの未成熟な業界に可能性を見出し、1935年2月、完全新作のコミックブック『New Fun』でコミックブック出版に参入した。ホイーラー・ニコルソンの財政事情では流通業者とのパートナーシップを必要とした、そこで彼はハリー・ドネンフェルド(Harry Donenfeld)とジャック・リーボウィッツ(Jack Liebowitz)が経営するthe Independent News Companyと提携し、3者は1937年Detective Comicsを立ち上げた。1938年までにはドネンフェルドとリーボウィッツはホイーラー=ニコルソンを経営の中枢から遠ざけてしまい、そのすぐあとに両者は新タイトル『Action Comics』の創刊を決定する。この創刊号にはMcClure SyndicateでM.C.ゲインズ(M. C. Gaines)が掲載を断った作品が含まれていた。その作品、ジェリー・シーゲル(Jerry Siegel)とジョー・シャスター(Joe Shuster)の『スーパーマン』は1938年6月に創刊号の表紙を飾った。この創刊号の発行部数はすぐに二十万部に達し、1941年までには『Action Comics』は平均して九十万部を売り上げるようになっていた。同社は1938年5月に『Detective Comics』でバットマンを初登場させこの成功に続けた。スーパーマンと今日DCコミックスとして知られるこの会社の成功は1930年代末から1940年代にかけて他のコミックス出版社にもコスチュームヒーローの登場を促した、DCの姉妹会社であるAll Americanのワンダーウーマンとフラッシュ、のちのマーヴルであるTimelyのキャプテンアメリカ、ヒューマントーチ、サブマリナー、そしてFawcetのキャプテンマーヴル。コミックブックのセールスは劇的に上昇し、コールトン・ウォウ(Coulton Waugh)によれば1942年には月当たり千二百五十万部を売り上げるようになったという。ロン・グーラートのような研究家によればスーパーヒーローコミックブックのブームは大恐慌の時期の強い指導力と手っ取り早い解決法を求める大衆の意識、そして第二次大戦によって引き起こされた文化、社会の混乱に呼応したものだ。さらにコミックブックは海外に派遣された兵士によってアメリカの象徴として大量に読まれ、収集された。
> アメリカの戦争参加はまた当時『Chicago Daily News』紙の文芸担当編集をつとめていたスターリング・ノースによるアンチコミックスキャンペーンを挫折させた。1947年にはコミックブックのセールスは月当り六千万部に達し、その規制の試みや消費の拡大を抑えようとする動きをはるかに超えてしまったように見えた。しかし、1948年、ニューヨークの精神科医フレデリック・ワーサム(Fredric Wertham)のはじめたアンチコミックスキャンペーンはコミックブックの実態に関する上院の調査委員会開催につながり、これによってコミックス業界に政府からの直接的な規制を回避するために自主規制コードであるコミックスコードを制定させることに成功した。ワーサムの1954年出版の著作『Seduction of the Innocent』は彼がコミックブックが子供の健康に与えると信じる「危険」に対し大衆の関心を惹きつけたという点での頂点だった。ワーサムの考えは青少年犯罪に関する上院小委員会で取り上げられ、そのもっとも熱心な推進者はエステス・キーフォーバー(Estes Kefauver)上院議員だった。この小委員会の公聴会において重要なターゲットとされたのが1950年にホラーコミックスのラインを立ち上げたEC Comics社の社主、ウィリアム・M・ゲインズ(William M. Gaines)である。ワーサムの攻撃とコミックスコードの導入はこれまでしばしばコミックスの「黄金時代(Golden Age)」の原因とされてきた。これに対して研究者のエイミー・ナイバーグはECだけがその直接的な影響を受けたのであり、そこには流通の変化やテレビの普及によるコミックブック出版の下降といった他の要因があるのだと論じている。
> いずれにせよ、このワーサムショックの影響をコミックス業界は比較的早くやり過ごした。1956年にDCコミックスはゴールデンエイジのスーパーヒーロー、フラッシュをリメイクし、これがコミックブックでのスーパーヒーロー復活のきっかけとなった。この成功を期に1960年にはスーパーヒーローチームをフィーチャーした『ジャスティス・リーグ・オブ・アメリカ(Justice League of America)』誌が創刊。
> レス・ダニエルズによればDCのこのタイトルの好調な売れ行きは同社のライバル会社に刺激を与え、1961年にスタン・リー(Stan Lee)とジャック・カービィ(Jack Kirby)による『Fantastic Four』がマーヴルコミックスのロゴのもとで発売されることになる。こうしてスパイダーマンとXメンが誕生したスーパーヒーローコミックスブームによってこの時期はファンからコミックスの「白銀時代(Silver Age)」と呼ばれている。この1950年代後半から1960年代にかけてのファンの存在は以後のコミックブックの歴史と方向性を決定付けた点でとりわけ重要である。これらのファンはコミックスの娯楽としての価値以上にそのアートと物語の出来に関心を持っていた。ファンの多くはヤングアダルト層であり、コミックブックの将来の方向性の重要な分岐点を担っていた。たとえば彼らの興味関心のほとんどはスーパーヒーローに偏っており、結果としてハーヴェイ、デル、アーチーといった出版社の本はコミックブックの歴史を巡る議論においてはほとんど語られることがない、これはその内容がこうしたヤングアダルト層にとってとるにたらないものだったからだ。
> たぶんより高い年齢層へのコミックブック販売の可能性に最初に気づいたパブリッシャーはウィリアム・M・ゲインズ(William M. Gaines)だったろう。ワーサムのキャンペーン時に彼のホラーコミックスのラインは終焉の憂き目を見たが、以後ワーサムはその関心を風刺コミックブック『MAD』を雑誌形式で刊行することに変更する。『MAD』のおこなったアメリカ文化に対するパロディは多くの若い未来のアーティストたちに影響を与えた。
>(「&html(<a href="http://www.findarticles.com/p/articles/mi_g1epc/is_tov/ai_2419100313" target="none">Comics</a>)」、 Ian Gordon、『St. James Encyclopedia of Pop Culture』)
「continuity」という単語のニュアンスは思ったより複雑なもののようだ、以後注意。
**コミックストリップ
(「(&html(<a href="http://www.bartleby.com/65/co/comicstr.html" target="none">comic strip</a>))」、『The Columbia Encyclopedia, Sixth Edition.』)
2007-06-18T09:45:27+09:00
1182127527
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Right Menu/2007年04月11日/ゴーストライダーのクリエイターがマーヴル他を起訴
https://w.atwiki.jp/longboxman/pages/354.html
#blognavi
これはむつかしい裁判だなあ
[[THE BEAT: Ghost Rider creator sues for ownership>http://pwbeat.publishersweekly.com/blog/2007/04/10/ghost-rider-creator-sues-for-ownership/]]
#right{
カテゴリ: [[[メモ>Right Menu/カテゴリ/メモ]]] - &trackback() - 2007年04月11日 03:30:37
}
#blognavi
2007-04-11T03:32:52+09:00
1176229972
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Right Menu/2007年04月11日/ジョー・カザーダ、イーグルアワード、ベストエディターノミネートを辞退
https://w.atwiki.jp/longboxman/pages/352.html
#blognavi
ちょっとおもしろい
[[JOE QUESADA WITHDRAWS FROM EAGLE AWARDS>http://www.comicbookresources.com/news/newsitem.cgi?id=10249]]
#right{
カテゴリ: [[[ニュース>Right Menu/カテゴリ/ニュース]]] - &trackback() - 2007年04月11日 03:25:08
}
#blognavi
2007-04-11T03:27:07+09:00
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Right Menu/2007年04月11日
https://w.atwiki.jp/longboxman/pages/353.html
-[[Right Menu/2007年04月11日/ゴーストライダーのクリエイターがマーヴル他を起訴]]
-[[Right Menu/2007年04月11日/ジョー・カザーダ、イーグルアワード、ベストエディターノミネートを辞退]]
#blognavi
2007-04-11T03:26:46+09:00
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戦争はいかに「マンガ」を変えるか-アメリカンコミックスの変貌-
https://w.atwiki.jp/longboxman/pages/151.html
*戦争はいかに「マンガ」を変えるか-アメリカンコミックスの変貌-
このページは本サイトの管理者、[[longboxman/小田切博>プロフィール]]の単著『戦争はいかに「マンガ」を変えるか-アメリカンコミックスの変貌-』(NTT出版刊)のサポートページです。
→&html(<a href="http://www.nttpub.co.jp/vbook/list/detail/4144.html">NTT出版 商品詳細情報</a>)
→&html(<a href="http://www.bk1.co.jp/product/02757198">ビーケーワン</a>)
→&html(<a href="http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31858955">セブンアンドワイ</a>)
→&html(<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/redirect.html?ie=UTF8&location=http%3A%2F%2Fwww.amazon.co.jp%2F%25E6%2588%25A6%25E4%25BA%2589%25E3%2581%25AF%25E3%2581%2584%25E3%2581%258B%25E3%2581%25AB%25E3%2583%259E%25E3%2583%25B3%25E3%2582%25AC%25E3%2582%2592%25E5%25A4%2589%25E3%2581%2588%25E3%2582%258B%25E3%2581%258B-%25E5%25B0%258F%25E7%2594%25B0%25E5%2588%2587-%25E5%258D%259A%2Fdp%2F4757141440%3Fie%3DUTF8%26s%3Dbooks%26qid%3D1173609696%26sr%3D8-2&tag=longbox-22&linkCode=ur2&camp=247&creative=1211">アマゾン</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=longbox-22&l=ur2&o=9" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />)
→2007年4月1日毎日新聞朝刊書評欄『今週の本棚』で取り上げられました。
「&html(<a href="http://hondana.mainichi.co.jp/2007/04/post_9e4c.html">「9・11」後、えがけなくなった光景とは 井上章一・評</a>)」
この書評、なぜか毎日新聞のサイトのほうには掲載されていません(w
#ref(http://www4.atwiki.jp/longboxman?cmd=upload&act=open&pageid=49&file=%E5%A4%89%E6%8F%9B+%EF%BD%9E+CoverLike.png)
-Not Actual Cover
編集さんの意向で没になった「夜」バージョンのカバーイラストを30分ばかりいじってつくったコミックブックカバーバージョン。80年代の売れないB/Wパブリッシャーがカバーだけがんばって有名アーティスト使いました風にしたつもり。
#ref(http://www4.atwiki.jp/longboxman?cmd=upload&act=open&pageid=49&file=USAComic.png)
-It's Actual Cover(Art)
実際のカバーではエフェクトかかっててよくわからない採用版カバーイラスト。縮小&減色かけているので原画のクォリティには遠く及ばないが、こういう絵だとはっきりわかるように掲載。
-[[My Cover Artist, Takeshi Miyazawa]]
この本のカバーイラストを描いていただいたコミックスアーティスト、タケシ・ミヤザワ氏の[[英語版Wikipediaの記述>http://en.wikipedia.org/wiki/Takeshi_Miyazawa]]よりも詳しい(w なにしろ本人に聞いている)プロフィール。ミヤザワ氏は現在日本在住、日本でのマンガ家としての仕事を模索中なので、興味のある方はコンタクトしてみてください。
-[[「9-11」以降のアメリカンコミックスの変化から学ぶべきこと]]
本書の原型になった原稿のひとつ。なぜか2003年8月発行のスタジオジブリのPR誌『熱風』に掲載されたもの。掲載号の特集は「私とNPO」だったので特集ともなんの関係もなく、紙面では非常に浮いていたように記憶する。内容的にはこのテーマに関して私は一貫して同じことしかいっていないため、新味も意外性もないと思うが、一種のレアトラックとしてここに収録しておく。
-[[参考文献リスト]]
本書巻末に収録した参考文献リストと内容的には同じもの。英語文献に関してはタイトルを簡単な内容紹介ページにリンクし(アマゾンにデータがあるものはそこにアマゾンへのリンクを貼ってある)、ネット上で読めるテキストに関してはタイトルを当該テキストそのものへリンクしている。要は「実際に使える参考文献リスト」である。コミックスや日本語文献に関してはとりあえず紹介ページをつくる気はない。
なお「参考文献」といいつつリストの中にリファレンス系のサイトや研究団体のページが混じっているが、これはべつに文献数の「カサ」を増すためではなく(編集者にはむしろ「多すぎる」「やりすぎ」といわれた)、このリストから読者が文献検索などの資料収集までを独自にできるようにするため。
最初は参考文献リストの作成などというめんどくさいことはあまりやりたくなかったので、どうしても書かなきゃならないものを2、30冊あげればいいやと思っていたのだが、&html(<a href="http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/menu.html">紙屋研究所</a>)に「&html(<a href="http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/storymanga2.html">参考文献リストに海外文献を挙げるのは衒学趣味だ</a>)」と書かれているのを読んで、頭にきて可能な限り実用性のあるかたちでリストを整備した(海外文献しか参考にならない人間の身になってもらいたい)。それで「これならやろうと思えば文献検索からなにから可能だ」といったら今度は担当編集を含む複数の人間から「そんなことをするのはアンタだけ」といわれたので(よく考えるともっともな気もする)、また頭にきてこのネットワーク版をつくることにした。
-[[SpiderMan WTC Trlr>http://www.pocketmovies.net/detail_145.html]]
本文中で触れた事件後公開中止になった『スパイダーマン』予告編。YouTube等ではなくダウンロードサイト。ご利用は自己責任で。
-[[The Authentic History Center>http://www.authentichistory.com/images/attackonamerica/comics/Spider-man_WTC_Poster.html]]
同じく回収された『スパイダーマン』ポスター。これもリンクのみ、画像への直接リンクはしない。いちおうこっちは「[[The Authentic History Center>http://www.authentichistory.com/]]」のアーカイブコンテンツなので予告編ムービーよりは問題は少ないと思うが、こちらもご利用は自己責任で。
-[[American Elf: The Sketchbook Diaries of James Kochalka>http://www.americanelf.com/]]
スーパースター(w、ジェームス・コチョールカのサイト。デイリーストリップ『American Elf』が1日分だけタダで読める。前は一週間分読めたのに、ケチだよ、スーパースター(w まあ、たぶん忙しくなったからメンテ面倒でこうしたんだろう。金かかるほうもペイパルで月$1.95でコミックブック買うより安いし。どうせ単行本買うので個人的にはあまり見ないが、コチョールカの作品を読んだことがないひとはぜひいってみてください。
-[[コメント]]
なんかいいたいひとはこちらにどうぞ。ただ、いま使ってるプラグインの仕様が気に入らないので、もうちょっといいものができたり、気に入ったサービスがあったら変えるかもしれません。
#ref(http://www4.atwiki.jp/longboxman?cmd=upload&act=open&pageid=49&file=%E5%A4%89%E6%8F%9B+%EF%BD%9E+FAKEAD.png)
-&counter()
2007-04-10T02:58:48+09:00
1176141528
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Right Menu/2007年04月10日/Topshelfのオンラインコミックス
https://w.atwiki.jp/longboxman/pages/351.html
#blognavi
[[Well Come to Top Shelf's online comix section>http://www.topshelfcomix.com/comix.php]]
重たくて見づらい(w
#right{
カテゴリ: [[[メモ>Right Menu/カテゴリ/メモ]]] - &trackback() - 2007年04月10日 02:14:29
}
#blognavi
2007-04-10T02:16:50+09:00
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Right Menu/2007年04月10日/レズビアンコミックスのまとまった研究
https://w.atwiki.jp/longboxman/pages/349.html
#blognavi
出た! コレは重要。
[[Lesbians Get Graphic>http://www.afterellen.com/books/2007/4/graphicnovels]]
#right{
カテゴリ: [[[メモ>Right Menu/カテゴリ/メモ]]] - &trackback() - 2007年04月10日 02:09:47
}
#blognavi
2007-04-10T02:11:15+09:00
1176138675
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Right Menu/2007年04月10日
https://w.atwiki.jp/longboxman/pages/350.html
-[[Right Menu/2007年04月10日/Topshelfのオンラインコミックス]]
-[[Right Menu/2007年04月10日/レズビアンコミックスのまとまった研究]]
#blognavi
2007-04-10T02:10:57+09:00
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Nerd World
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*&html(<a href="http://time-blog.com/nerd_world/">Nerd World</a>)
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2007-04-08T23:53:24+09:00
1176044004