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小説 アイスブレイカー第一章」(2005/08/14 (日) 14:22:23) の最新版変更点

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 昔、ムカシ、むかし、MUKASHI…。  何時だか知らないけど、まぁ、とにかくかなり昔の話だ。  まだこの地に言葉が無かった時代、人々が言葉を作っていた頃に、魔法みたいな不思議な力が存在した。  その力は、その頃の人々に平等に与えられ、四つの言葉を繋げて慣用句を作ると、作り上げたその慣用句の意味に近い力が発動した。  後に、人はそれを四字熟語と呼んだ。  電光石火、以心伝心、一石二鳥、一心同体、等など――簡単な四字熟語しか覚えていないのは気のせいだ――。現在の時代でもこれ等の四字熟語は語り継がれている。  それは普通に小学校で習うし、テストにも出てきた。  しかし、今の人々には文字に力を起こさせる源が無くなっているらしい。  それが理由で普通に口ずさんでも、そんな力は起こらないし、どっちにしろそんな事が有り得る訳が無かったのだ。  そう、有り得ない筈なのだ。それなのに、俺、アイスブレイカーこと、空唄高校二年生、風間 秋(かざま しゅう)は最近自分にそんな力が有るのではないのか?と期待していた。否、有ったら良いなと思っていた。  そもそも、家に昔からあった倉を漁っていたら、こんな大昔の事について書かれた羊皮紙を見つけてしまったのが原因なのだが…。  死んだ爺さんの悪戯なのかも知れないが、これには興味を注がれた。  だけど、俺は後に激しく後悔する事になる。  この羊皮紙を見つけてしまった時点で、俺は二度と生きて帰る事の出来ない一方通行の運命を歩かされていたのだ。 1.優等生とアイスブレイカー  遅刻だ!  心の中はこんなに慌てているのに随分とのんびりしているのは寝起きが悪いせいだ。  時刻は現在7時55分。一時間目開始時刻は8時調度、身支度で10分、家から学校まで徒歩で10分位、自転車に乗って5分程度、ちなみに本気で走れば自転車より早くて3分とか。  とにかく朝の俺の思考回路はミトコンドリア以下だ。つまり俺は今どれだけ遅刻が危険なのか理解していない。一体ミトコンドリアに思考回路が有るのか、どれくらい頭が良いのかは知らないが、とにかくそれだけボケボケしている。  軽く目覚まし時計に踵落としを食らわせて、天井に投げつけて、落下しているところをバックナックルで殴り飛ばしただけで壊れるなんて…。 俺はこの目覚まし時計の製造会社にイタデンを毎日10回はしようと思った。 ついでに今までやってみたかった悪戯ランキングでダントツ1位の俺俺詐欺や、2位の脅迫電話などを実行してみようという考えを浮かべ、俺は寝癖を直し、制服を着て靴下を履いた。ちなみに3位は逆留守電コールだ。これの良い所は電話を掛けておいて受け取った受信者に「現在留守にしております――」でお馴染みの留守電システムを発動させる事だ。 俺が通っている学校、空唄高校の制服は――今の時期では夏服だが――白い半袖シャツに黒い長ズボンである。 良くある制服だが、別に文句なんて思いつかなかった。 そんな文句を考えている暇が有ったら俺は目覚まし時計の製造会社に爆弾テロを起こしている筈だ。 最後に適当に教科書の入った鞄と、銀色の携帯を手にして俺は家の中で一人ドタバタしていた。 この家に現在住んでいるのは俺一人だけ。 理由を聞かれれば、期待通りに両親が交通事故で――、と嘘泣きをしながら答えるが、本当は、両親は現在共にラブラブ旅行に出かけているのだ。 確か、旅行先はハワイだったか…。去年はエジプトだったから、今年はマシか。 まぁ、おかげで家の中は何時もよりも涼しい。 あの二人が居ると夏は特に暑くて、でも奴らは常に熱くて、良くもこうラブラブ熱中症が長続きするな、と感心する位にイチャイチャしているのだ。 年に一度、俺を放ってどっかに二人きりで旅行に行くが、友人の話によると、その時の俺の笑顔が一番輝いて眩しいらしい。二度と帰って来なければ幸せすぎて死ぬだろう。 玄関で靴を履き終えた俺は自転車なんて面倒だと思い、もっと面倒だがスケートボードを抱えた。 家の戸締りをしっかりチェックし、日差しの下に立てば長居は無用。 スケートボードをアスファルトの上で滑らせ、熱中症になって倒れる前に速攻で学校へ向かった。 /  私、榊原 楓(さかきばら かえで)は今、気分が優れていない。  それは体調が悪いのではなく、機嫌が悪いという事なのだ。  原因はアイスブレイカーの事である。  アイスブレイカーとは、学校中で有名のあの、風間 秋の事である。  別に恋しているとか、そういった関係で機嫌が悪いのではなく、あいつは今日も私の宿題ノートを横から奪って人間とは思えない速さで答えを写した。その速度、私が事前に分かっていて速攻で対処しようと追っても2秒。  走りながらしかも正確に答えを書き写す事が出来る超人だ。  それは良い、別にそんな大した問題じゃない。  問題は、彼が走っている途中躓いて、彼と私の宿題ノートは開いていた窓を抜け、その先、下にある学校のプールに落ちて沈んだのだ。  おかげで今日の宿題はペンが滲んで読めなくなり廊下に立たされている。  廊下に立たすとは随分と古い考えを持った先生だ、と私はぶつくさ悪態を吐いていた。  その隣でアイスブレイカーも私と同じ罰を受けた。  しかし彼の場合はこれが初めてでは無いので水が満々と入った掃除用バケツを二つ抱えている。  彼も私が吐いていた悪態と同じ台詞をブツクサ呟いていた。  私が隣でざまぁみろ、と微笑を浮かべていると急にアイスブレイカーがこっちに振り向いたので慌てて真顔にした。 「…ぷっ、さ、榊原、顔が引きつってる…お、面白い」  とりあえず吹き出しそうで仕方が無いというアイスブレイカーの足を靴の踵で踏み、煙草の火を踏み消す様な感覚で捻っておいた。  茶髪で何も手を加えられていない、ただ真っ直ぐの髪を持ったアイスブレイカーの痛がる顔に向かって私は自分の舌を突き出した。 /  相変わらず榊原はキツイ。  俺の爪先はきっと今真っ赤に晴れ上がっているだろう。  この眼鏡悪魔、と口にしては確実に殺される言葉を心の中で叫んでバケツを持っていた。  まぁ、確かに榊原には悪い事をしたと思っているが、なんだかこいつに向かって謝ると、「あら、明日はドリルが振ってくるのかしら?」とでも言いそうだから辞めておいた。  やがて最初の授業が終わると旧式の罰から解放されて俺はゆらゆらと自分の席に腰を降ろした。一時間目は遅刻、二時間目は罰。今日はついていないな、と思いつつ俺はちらりとさりげなく榊原を見た。  栗色の長い真っ直ぐな髪が歩くたびに揺れて、角が丸い四角眼鏡、いや左右に伸びた丸眼鏡が正しいのか…。とにかく眼鏡をかけていた。  目が合うと、わざとらしくそっぽを向く動作をして彼女は自分の席に座った。 「よう、風間。お前、今日はとことんついてないな」  と短い休み時間に俺の机の前に立って坂本英二(さかもと えいじ)が声を掛けてきた。 「でも今朝の登場シーンは中々、かっこよかったぞ、勇敢だったぜ風間」  励ましのつもりか、かっこつけ野郎こと、英二が親指を突き立ててウィンクをかました。  今朝といえば、スケボーで廊下を滑り教室に飛び込もうとしたら、黒板の前に立って先生の出した問題に答えている最中の榊原に突っ込んだ事があった。  そういえば、と今頃思い出した俺は、今頃榊原のかなりの機嫌の悪さに納得が入った。 「そういえば、英二。お前、三宅に告ったんだって?」 「ん?嗚呼、結果は見ての通り砕けたさ…」 「でもきっと、お前は全力で体当たりしたんだな」 「割れ物だったんだよ、俺は」  金髪でかっこつけ野郎の英二は今年に入って五人告白して全部落ちた。ちなみに三宅恵里(みやけ えり)というのは隣のクラス、こっちは二組だから一組のクラスの女子生徒の事だ。そいつが英二の六人目だが…。  立ち直りが早いのが逆に最低で、女子生徒からプレイボーイと呼ばれた事もある。  今はまだ落ち込んで、暗黒の空気を纏っているが、明日になるとあら不思議。暗黒の空気が聖なる輝きとなり、まるでギリシャの神を現す絵で、神の後頭部で眩しい光のようなオーラを発する。  しばらく俺が慰めてやると三時限目の開始チャイムが学校内で響いた。 /  四時限目に入ればもう後は我慢の時間。  この授業さえ終われば私の空腹でくうくう鳴っているお腹を満たす事が出来る。  此処の食堂はつい最近になって順式になった。おかげで食べ物の取り合いや生きる為に突入して死んでいった兵士達は羨ましがるだろう。  しかし私は何時も弁当所持なので食堂には顔を出さない。  たしか今日用意した弁当の中には――。  と不意に先生に名前を呼ばれたので、なるべく動揺せず冷静に席から立ち上がり、しばらく目を離した隙に進んだ黒板に書かれた文章や問題を一瞬で読み上げて、答えを返した。  先生は頷き、「よし、正解」とだけ言うとそのまま続けて現在習っている物の説明を続けた。  自分で言うのも変だけど、私は学校で優等生と呼ばれている。  毎年の成績は学年トップ。先生達が大学への推薦状を出そうかと聞いてくる時もあって、勿論、私はお願いしますと頼むのだ。  しかしこのクラスには私のライバルが居る。  アイスブレイカーだ。  その時、私はちらりと後方の席で空腹で死にそうな顔をしているアイスブレイカーを見た。  こいつは勉強を真面目にしていない様に見えて、テストや試験などでは必ず私の後ろにくっついてくる。  学年二位のアイスブレイカーは油断出来ない奴だ。  私が少しでも気を抜けば確実に一位に上がるだろう。  しかし勉強の態度が悪いのでアイスブレイカーには推薦状も通知表で全てにA+が付かないのである。  ちなみにこの男は勉強だけではなく、他の無駄な能力や技術を沢山見につけている。  彼が言うには、走りながら綺麗に絵を描けるとか、先生に気づかれない様に居眠り出来るとか、何処かの八百屋の小父さんに物の値段をまけてもらう方法とか…。  そして彼がアイスブレイカーと呼ばれる理由も技術の一つに有った。  それはどんな暗い雰囲気や冷たい状況で、必ずクラスを明るくし、皆を笑わせる技術だ。  凍った状況を砕き暖かくする事から彼はアイスブレイカーと呼ばれている。  ちなみに私は優等生と呼ばれ、一学年上の小野雄也(おの ゆうや)先輩はラフメイカーと呼ばれ、隣クラスの飯島加奈子(いいじま かなこ)は不思議少女とか呼ばれている。  嗚呼、それと坂本英二はプレイボーイだったっけ?  そんな事を考えながら既に知っている事を教えている教師が次のページを開きかけた所でチャイムが鳴った。 / 「よっしゃああ!ご飯だ、食い物だ、飯だ、腹ごしらえだー!」  大食いの倉田宗助(くらた そうすけ)がチャイムが鳴って先生が退場したと同時に席から飛び上がって、教室から出て疾走した。行く先は食堂だろう。これからは早く並んだ者勝ちだからな。  何時もの俺は弁当派なのだが、今朝は寝坊したので弁当は持っていない。食堂に行こうかと思って立ち上がりポケットに手を突っ込んだが金が無いのに気づいた。  しかも今朝は何も食べないで飛び出してきたから現在、絶体絶命の大ピンチ。  チラリ、俺は英二に目をやった。  英二は見て見ぬフリをして教室から出て行った。  続けてクラスに誰か良い奴残ってないか?と目を配らせると…。 「っげ」  榊原と目が合ってしまった。  そして榊原は女子生徒に囲まれつつ満足で美味しいという顔をして弁当を食べていた。  さらに、勝ち誇った笑みを向けてきやがった。  っく、俺という事がなんたる失態。  あの榊原にはこれ以上差をつけられたくないと思っている俺はとにかくどうにかして何か腹を満たす方法を考えた。 「あのぅ、風間君?」 「ん、嗚呼?隣のクラスの…、三宅さん?」  熟思して数秒で声を掛けられ俺はその方を振り向くと顔を真っ赤にした茶髪と少し短めの髪型の女子、三宅が立っていた。  俺よりも身長が30センチ近く違うので見下ろす形になる。ちなみに俺の身長は178cmなので三宅は148cmくらいだろう。  彼女は元々体が病弱で背が伸びないそうだ。 「あ、あの、えっと…こ、これ!」  顔を真っ赤にしていた三宅は俺と目が合うと俯き、急に手に持っている弁当を押し付けてきた。 「そ、それじゃ私、これで…!」  そして俺が呆然としてありがとうと返す前に三宅は教室から走って出て行った。  ……。  何だか良くわからないが――、勝った!  俺は榊原に勝ち誇った笑みを向けると榊原は俺の顔を見ないようにして、軽い舌打ちをした。 /  アイスブレイカーは、可笑しな所や変な所が有るけど、モテる、らしい。  私も一応毎年幾つかラブレター等を貰っている。しかし、アイスブレイカーは男女構わず人気が有るので友達や知人の数はきっと私より多いだろう。  それにしても、奴は蹴っても殴っても治らない鈍感だ。  三宅さんの気持ちも知らず弁当を受け取って食べている奴を私は蹴飛ばしたくなった。  まぁ、鈍感ではない私は、その点、彼より上回っているわけでは有る。  私もアイスブレイカーも好かれる人は居るが好きな人は居ない。だから私は必ず好きになれる男性を早く見つけて付き合おうと思った。  アイスブレイカーに遅れを取る訳にはいかない! /  昼休みの時間、俺は弁当を食べ終わると三宅に弁当を返した。  相変わらず顔を赤くしているが熱があるわけではないらしい。  とにかく俺は正直に美味しかったと弁当の感想を言って、言い逃した感謝の言葉を言い早々と立ち去った。  最近の昼休みは特にする事が無い。  食堂に行けば沢山友人が居るが、現在はまったりしたい気分だったので俺は教室に戻ると自分の席に腰掛けてまったりした。 /  最後のチャイムが鳴って放課後に入ると私は鞄に教科書を詰めていた。  隣から黒髪の少女、友人の仙波南(せんば みなみ)がカラオケに行かないか聞いてきた。  人付き合いはアイスブレイカーに完全に勝つ為には必要だが、今日はちょっとした用事が有ったので、私は丁寧に断った。  また今度誘ってね、と付け加えて私は鞄を持って教室から出た。  教室から出れば廊下が有って、一番近い階段を使って二階から一階に下りて下駄箱へと向かった。  その途中でアイスブレイカーが私の目の前をゆっくり横切った。  スケートボードの上でロボットダンスを踊っている。  そのまま自分の下駄箱の前に止まると、ロボットダンスを止めず靴を履き替え、再びロボットダンスを踊りながらゆっくりとスケートボードを走らせた。  あのスケートボードは確か先生に没収された筈だったけど、どうやら返してもらったらしい。  途中、踊っているアイスブレイカーを見た生徒が奴を指しながら笑っていた。  と、こうしては居られなかった。  今日はちょっとした訓練が有った事を思い出した私は小走りに自分の下駄箱へ駆けて、上履きから革靴に履き替えると早歩きで帰路に着いた。 /  家に辿り着くなり俺は靴を揃えず脱ぎ散らかして自分の部屋に鞄を投げ捨てた。今朝は寝ぼけていたから気にはならなかったが、何時見ても俺の家は大きいというか、小さいというか。  家に自体はそんなには大きくないが、まぁ、隣の家と比べると二倍くらいの広さが有るだろうか?  さらに広い庭が付いていて、何故か倉が用意されていた。  俺は父親に何故、倉が此処に有るのか聞いたが、父は何時も日本人だからとしか言わないのである。  詳しい話は良く解らないが、俺のひいひいお爺ちゃん辺りの世代の人が所有していた倉らしい。  母親は便利だ、とか言ってとりあえず物置場に使用している。  俺は小さい頃から良く倉に出入りしていた。かくれんぼの時とか、スパイごっこの時とか、ストーリーを良く知らない癖してニンジャータートルごっことかもした。  嗚呼、今思い出せば懐かしき…、と思い出に老けて溜息吐くのは年寄りがやる事だ。  そういえば、宝探しもした。勿論、そんなすばらしい宝は見つからなかったが。  俺は倉が見える自分の部屋の窓から離れて、家の中を歩いた。  そして一階から庭に出て倉へと向かった。両親が居ない間は勉強をする時間やスケジュールを強制される訳ではないので自由に過ごしている、故にかなり暇な時は倉に何か面白い物は無いかと探しに出かけるのだ。  普段は友人達多人数とゲーセンとかカラオケとかに出掛けるのだが、今日は色々と疲れたので――榊原に突っ込んで本人から昇竜拳を食らったとか、プールに落とした榊原のノートを拾い上げるのに服を脱いで泳いだとか、榊原にセクハラと呼ばれ蹴り飛ばされたりとか、バケツ持ちで廊下立たされたりとか、言っては本人に凄く申し訳ないんだが弁当の量が足りなかったりとか。  というわけで、今日は家でまったり過ごそうと思った。  倉の前に立つと、それは二階建ての様に高い長方形の箱の様だった。  屋根には瓦が使われていて、昔のままなので古臭さが残っている。  木材で出来た巨大な扉に手を掛けて横にスクロールさせようと力を入れた。  扉は少々重くて数センチ進む度に何処かに引っかかるので、更に力を入れる必要が有った。  子供の頃は良く開けられたな、と自分の過去に感心しつつ人、一人が体を横にして通れる位の隙間を開けると中から黴臭いというか錆びた臭いが嗅覚を刺激した。  入ると直ぐ近くに何時も用意されている懐中電灯を持って、明かりの入らない密室だった場所を照らした。  二階らしき場所には人の顔一個分の四角い穴が有り、微かな白い光が微かに見えた。  一階は調べつくしていて、殆どが母の使わなくなった掃除機や扇風機などガラクタだらけで有った。  二階はまだ調べてない場所や、鍵が掛かった場所が有って結構臭い。宝の匂いがプンプンしてるぜ、という何処かの漫画で有った台詞を思い出した。  二階に上がるには梯子を使わなければならない。  この梯子が結構高くて上っている最中が中々怖いのだ。  二階には穴から小さな光が辺りを薄暗く照らしているので視界は悪くならない筈だ、と思い懐中電灯を消し、ポケットに突っ込むと俺は空いた両手で梯子を掴んだ。  木で出来た梯子は軋んでいて今にも折れるのではないかと思える位にガタガタしている。  それでも平均的な高校二年生の体重は支えきれるらしく、俺は二階へとゆっくり上がっていった。  二階に上がると目の前には小さな四角い穴が有り視界は別に悪くなかった。  二階の面積は一階より少し狭く感じた。  俺はまだ調べていない筈の棚に歩み寄って一つ一つ錆び付いて開きにくい引き出しを引いて開けては中の物を一つ一つ取って確かめた。  最初の引き出しには、墨汁や筆などが入っていた。良く調べてもそれ以外に怪しい物は出てこなかった。  二つ目の引き出しには大量に本が入っていた。面白そうなので開いてみると虫食いの穴だらけで、まだ蛆虫みたいなのが残ってウネウネ動いているので気持ち悪くなって直ぐに元の場所に戻した。  三つ目の引き出しには鍵が一本だけ入っていた。鍵が掛かっていて開けなかった引き出しを俺は思い出し、喜び早速試してみようと鍵を手に取ったら、鼠らしき生き物のミイラが触れた鍵の奥に有ったので滅茶苦茶ビビッてうっかり二階から一階に転落してしまった。  幸い母が残した使わなくなった布団の山の上に落ちたので、命は取り留めた。  片手には鍵が有るが、先ほどのネズミイラ――鼠のミイラだから略した――で少し気が滅入ったのでまたの機会にするとして俺は倉を後に出直す事にした。 / 訓練を終えた私は汗を流そうとシャワー室に入って、体を洗った。  眼鏡は曇るので、風呂に入る時や寝る時は勿論眼鏡を外している。  私の視力はそんなには悪くない、けど、眼鏡を外すと使っているシャンプーの名前が少しぼやけて見える。  体の疲労を御湯と共に流して、シャワー室から出た私は冷たい空気を感じながら近くに掛けていたタオルを手に取ると、髪の毛の水をある程度吸い取ってから体を拭いた。  長い髪の毛は手入れが中々難しく、適当にタオルで掻き回すと、乾く事は乾くが、後にドライヤーで真っ直ぐに乾かすのが大変なのである。  だから私は、長い髪の一部をタオルで挟んで、ゆっくり髪の先に水を持っていくような感じで降ろしていく。  ストレートパーマを掛けるあの挟む機械と同じ感じだ。私はストレートパーマにはしては居ないけど…。  髪が長いとタオル一つでは足りないので、私は髪用のタオルと体用のタオルを何時も用意している。  体を拭き終えて、後は宿題をし、寝るだけなのでパジャマを着ると、私はドライヤーと櫛を持って丁寧に髪を乾かした。  女性は準備に時間が掛かると男達から文句を偶に聞くが、準備に時間を掛けず、変なルックスで表に出ても男性は喜ばないだろう。  つまり、男性は女性の準備に文句を言うべきでは無い、と思う。  髪が完全に乾けば、私は居間へと裸足で歩いた。  木材で出来た廊下が夏なのにヒンヤリして気持ちが良い。  確か、アイスブレイカーは、夏に昼寝する時は玄関が一番だ、と言っていた事が有ったが、あれは床ではない場合だろう。  庭から聞こえる虫達の声を聞きながら廊下をさっさと進み、私は居間の襖の前に立つと、丸い窪みに指を引っ掛けて、開いた。 「やぁ、カエデちゃん。今日は苺柄の可愛いパジャマですか。ふむ、これはこれで中々、萌え、と言いますかね」  居間に敷かれた座布団の上で足を組み顎に片手を添えて、その腕の肘を空いている片手で支えたポーズを取った金髪ツンツン頭の男。  一見不良に見えるその男は髪型に似合わない愛想の良い笑顔を私に向けながらお茶を片手に手を挙げて挨拶をしていた。  とりあえず、この男の挨拶に紛れていた言葉にムカついたので私は居間に置いてあった大きな熊のぬいぐるみを男へ投げつけておいた。 「あんたね…、また変な日本語覚えてきて…。一体、何処でそんな言葉を覚えるのよ?」  デッドボールと化した熊のぬいぐるみが顔面に直撃したにも関わらず、お茶はこぼさずしっかり持っている金髪の男は、少しナマリの入った日本語で喋った。 「あー、今日、街を散歩してたら可愛い女の子の描かれた看板を掲げて、モエーって叫んでる男達が居たから、どういう意味か聞いてみた。可愛い女の子が年上の男の子を『お兄ちゃん』って呼ぶとか、そんな感じの良く解らない説明していたけど、とりあえず可愛いって意味なんでしょ?キュート、キュート」 「何処を歩いてたか知らないけど、萌えなんて言葉、女性に使っても誰も喜ばないわよ。可愛いって意味かどうかは知らないけど…」 「あと、今日は、『ロリ』とか『胸キュン』とか『ネカマ』とか『ピ――――(放送禁止用語)』とか覚えてきたよ」  私はとりあえず、どんどんヤバイ日本語を覚えてしまっているこの男の顔面に、今度は拳を入れ、続けて無限コンボ。鮮血の返り血を浴び、ノックアウトした亡骸を踏みつつ何事も無かったように言葉を放った。 「…で?今日は仕事が無かったの?」  それでも彼は生き返った。良いサンドバッグだ、と私は素直に思った。 「ノゥ、じゃなくて、違う。今日はこの家の近くなんだ」 「え?それで、こんな所でくつろいでいて良い訳?」 「勿論よくないけど、そろそろカエデちゃんも言術者として公式に登録されると思うから、僕がお手本を見せてあげようと思ってね。だからギリギリまで此処で待っていたのさ」  今思い出したが、この金髪の男、アレックス・ウェールズは私の保護者で有り、言術者でも有る。保護者というのは、私の両親は現在不在なので代わりに彼が私の面倒を見ているのである。それと唱術者というのは…、とこの先は思い出すまでも無いので私はアレックスに向き直った。 「私、パジャマ何だけど」  アレックスはゆっくりお茶を飲み干して食卓のテーブルに置くと近くに掛けてあった黒い革ジャンを私の肩に乗せた。 「とりあえずこれ着て行こう。こんな時間だから外に出歩いている人は少ないから、しっかりした服は着なくても大丈夫」  そしてアレックスはテーブルの上に置かれている桃色の携帯電話と、白い手袋を手に取ると、携帯を私に渡して青い眼を向けて笑顔で言った。 「気が変わったよ。どうせだから、実践もやろう」 /  宿題も終わったし、後は寝るだけ。  俺は椅子にどっしりと背を預けて大きく背伸びをした。  ちらりと時計を見て時間を確認したが針が有り得ない時刻を指していたので、今朝、破壊した事を思い出して、代わりに机に置いてある腕時計を見た。  現在の時刻は夜11時56分。  時間に気付いて反応したのか、俺は大きな欠伸をして椅子から立ち上がり、勉強机から離れ、部屋の電気を消すと部屋には月明かりだけが残った。 俺は手探りでベッドに辿り着くと布団にさっさと潜り込んだ。  眼を閉じると眠気より先に庭に居る虫の鳴き声が聞こえて、うっすらと眼を開けると完全に閉め切っていないカーテンから差し込む光が見えた。  カーテンを閉めようかと思ったが、もう眠気が強くなり面倒なのでそのままにして瞼を閉じた。  ほら、瞼さえ閉じれば、そんなの関係無い――。 / 「ねぇ、アレックス。…これは――、一体どういう事?」 「解らない、何もしていないのに“夜”が自ら退くなんて…」  私達は真夜中の静まった街中の道路の真ん中に立ちつくしていた。  何故進まないのか?進めないから。  元々私達は仕事をしに此処に来たと言うのに、その仕事が無くなってしまったからどうすれば良いのか解らなかった。  別に大した問題は無い。無いけど、これは凄く珍しい状況なのである。 「もしかしたら、“夜を導く者”が居るのかも知れない…」  アレックスが眉間に皺を寄せながら私の隣で仮説を立てた。 「だとすると、“夜”の出現位置が直ぐにでも変わる可能性が有る」 「それって…」 「霊力の位置でそれを確かめよう、急がないと一般人が巻き込まれる可能性が有る!」 /  あれだけ眠かったのに眠れないというのはどういう事だろう?  俺はゆっくり瞼を持ち上げてどれくらいの時間が経ったのか時計を見ようとした。  しかし、眼はまだ暗闇に慣れていないのか、視界が不気味に真っ暗だ。  まるで黒いフィルターが目の前を多い尽くしている様で少し不安になる。  だが可笑しい。  少なくとも横になってから二十分は過ぎた筈、だというのに眼は全然暗闇の先を見てくれない。  それだけはなく、暑い筈の夏の部屋が今では凄く寒い。  気温ではなく、気配が…。  まさか、と思った。  俺は幽霊なんて信じないし知りたくないし、見た事も無い。  だから気のせいで全て終わらせようと布団を集めて、それに包まった。 「ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオォ!!」  だが、もう気のせいでは済むはずの無い声がした。 / 「来たっ、あの家からだ!」  普段は気が抜けているアレックスもこの状況でそんな様子は見せなかった。  私達は人気の無い様な真っ暗な住宅街の道を駆けていて、その先にある暗闇より暗い暗黒、いや、混沌と言ったほうが近いだろうか?それに向かっていた。 「突撃するよ、カエデちゃん!」  先行したのはアレックスだった。私は出来る限り彼に追いつける様に走って、桃色の携帯電話を握った。  この携帯電話は――、と説明している暇は無い! / 「ゥぁぁぁああああああああああああああ゛あ゛!!」  逃げ切れない!何が起こったのか、何から逃げているのか、此処は何処なのか何なのか、何なのか、何なのか、何がどうなのか、何何何、何か解らないが逃げないと殺される!  直感で解る!いや、直感でしか解らない。何故ならこの空間では五感が頼りにならないからだ!  背に何かが追ってくる、此処はもう既に自分の部屋じゃない!  夢かと思った、だけど夢にしては苦しすぎる。  夢落ちで終わる程度の悪夢では無い!  死んでも一生呪われ続けそうな悪夢だ!  背から何かが俺の体を掴もうと伸びてきた。  俺はそれを直感で感じ取ってとっさに駆けたまま地面へ、否、暗黒へ飛び込む。  上下左右三百六十度の黒黒黒、ハッキリと見えるのは自分の姿だけ。  この世界に光や影なんて存在しない、何もかもが常識を外れている。  伸びてきた手は飛び込んだ俺の背を掠めて宙を掴んだみたいだ、俺にはそれが見えないからこれも直感でしかない。  初めて五感がこれほど役立たずだと思った。  何にせよ、もう俺は助からない。直感がそう告げた。  俺は既に伸びてきたもう一つの手に掴まれていたのだ。  何かが、何かの顔が俺の顔に近づいてニヤリと気持ち悪い笑みを浮かべてきた。 「こら、ま   そん  じ   嫌    ぞ    から       風間」  脳の一部が何かに触れて、何か、ずっと忘れていた事を俺は思い出した気がした。  確か、あれはあのひまわり畑の―――。  その記憶のリコールを、一つの呪文が断ち切った。 「我が源よ、言霊を呼べ!彼の意味は悪霊を拒絶せん!――退散!!」  その声は、学校で良く喧嘩する榊原の声だった。 / 「まさか、こいつが被害者とはね…、記憶の書き換えお願いね」 「知り合いかい?」  私が駆けつけた時に既にアイスブレイカーは食われかけていた。  まさか私が助けたのがこいつだった事を私は微妙に後悔していたが、逆に私の方が上回っているというのを証明できた気がして気分は悪くなかった。  アレックスの問いには「べつに」とだけ答えておいた。 「にしても凄く上手になったね。完璧な言術だったよ」  アレックスはベッドの上で倒れている、というか寝ているアイスブレイカーの額に手を添えると言術を唱え始めた。  言術は英語で唱えられているので日本語の言術を使う私には少し難しい。 「ん、ありがとう。これで私も正式な言術者として働く自信がついたわ。…でも、あの言術は初歩じゃない。あの程度で退散してくれる夜も随分と貧弱な事ね。もう少し激しい戦闘を期待していたわ」 「ハハ、無理だよ。昔の夜ならともかく、現代の夜はあの程度なんだから」 「それじゃあ、何の為にあれだけの量の言術を覚えたのかしらね?」  …沈黙。  彼が話した昔というのは、日本列島がまだ大陸の一部だった位前の話である。  言術が生まれた場所は丁度、現在で言うとインドかその辺りの場所である。  聞く話によれば、中国語や日本語も元々はその場所から発展したらしい。  しかし、現在のインドには言術者なんていうのは既に存在していないので、多くの言術者は中国が発展の地だと思っている。  そして、言術は月日が過ぎる度にその力を世界に広めた。  ヨーロッパの方では魔法というのが一時期発展したと言われている。  彼の有名な『魔女狩り』は一般的に表に公開されている歴史では、本当に魔法を使う者達を狩ったわけでは無い、と言われているが、実は本当に魔法を使う者も狩られた女性の中に居たという裏話もある。  ちなみに現代の言術で一番一般人にも知られているのは、南無阿弥陀仏だとかの日本の葬式に使われる長い文や、四字熟語などなど。  しかし言術というのは言えば発動する訳でも無いので、一般人にはその存在を知られる事は滅多に無いだろう。 「問題は…“夜を導く者”が居るという事だ。先程の様に弱い悪霊を操っているならまだ安全かも知れないが、放っておけば危険だ」 「そうね。最初の仕事は“夜”を導く者退治って事になりそう」  “夜を導く者”。  その存在は言術者しか知らない、この世界で悪霊を操る者の事である。  つまり、――夜を導く者というのは私達と同じ人間であり、故意に悪霊を集めて世間に良からぬ事をしようと企む悪党、敵なのである。 「しかし、何でコイツが狙われるのかな?」 「微かだけど、彼に守護霊が取り付いている気配がする。もしかしたら、良霊を狙って食いに来たのかもしれない」 「そっか、確か良霊って悪霊の好物なんでしょ。だったら、消しちゃう?」 「…いや、この守護霊、この人の魂の直ぐ傍に居るから、下手に消そうとすると、間違って彼の魂を消してしまうかも知れない」  良霊、というのは守護霊や精霊、死んで行き先を失った一般霊の事である。  アレックスはアイスブレイカーの傍から立ち上がると、行こう、と一言放って、彼の家の壁をすり抜けて外に出た。  何時の間にそんな事が出来る言術を使ったのかは知らないけど、とりあえず私も続いて同じようにすり抜けて、外に出た。  壁抜けは結構、気持ちの悪い感覚だった。 / 「ふぁ~あ、何だろう、何だか体が重い…」  朝、目を覚ました俺はまるで自分の体が言う事を聞かなくなった様な感覚を覚えた。  風邪をひいたか、とにかく一度顔を洗って目を覚ます事にした。  洗面所で顔を荒いサッパリすると意外と体は重さを忘れていて、何時もどおり生活する分には問題の無い感覚だった。  鏡に映った自分の顔。  何か曇った感覚があるが、別にその曇りを払う必要も無く、俺はさっさと寝癖を直して朝食の準備に取り掛かった。  念の為、学校で吐くと困ると思い、朝食はなるべく胃に優しい料理にする事にする。  おかゆ、目玉焼き、味噌汁。  和風料理なら殆どマスターしているが、洋風はまだまだ極められるだろう。  朝のテレビに映っているニュースを見ながら飯を食べて、時々興味深いニュースの内容を見つけると手を止めた。  どうも最近は不眠症が流行っているらしい。  俺も気をつけようとか、今日は早めに寝るかとか、そんな事を思っては朝食をゆっくりとすませて、学校に行く準備をした。  靴を履いて、玄関のドアを開ける。  夏の熱気と蝉の鳴き声が入る。  今日は休もうかなぁ、と学校さぼりたくなったりするが、母が知ったら大変だと思い、諦めて学校へ行く事にした。 /  校門でアイスブレイカーと出くわした。  今日は何だか、というかやはり元気が無い様で、元気が良いと装ってはいるが、その何時もの笑顔には影が有った。  まぁ、悪霊に襲われて少し霊気を吸われたくらいだから、一日経てば元に戻るだろう。  それよりも私はアレックスがちゃんと彼の記憶をどうにかしたのか疑っている。  覚えてもらっても困るけど、私への挨拶の仕方を見れば覚えて無いようだ。  心配性だ、と自分で自覚しながら、私は何時もの態度で教室へと向かう。 / 「おい、どうした風間?珍しく元気が無いな?」  英二が授業中に隙を見て隣席に座る俺に話しかけてきた。  なるべく平常を保つつもりだったが、流石腐れ縁がある友人、俺の見事完璧と思える―?―作り表情を見破りやがった。 「嗚呼、風邪かな…?」  ばれてしまっては隠す必要が無いので正直に話した。 「あんま無理すんなよ。御前が倒れたら榊原の笑いもんだぜ?」 「はは、そいつは嫌だな」  榊原という存在が頭の中で浮かぶと、何か頭の中で曇っている物に光が一瞬差し込んだ気がしたが、しかし結局は曇ったままだった。 「英二、頼みが有るんだけど」 「駄目」 「英二、かよわい病人が頼み事を抱えているんだけ…」 「駄目」 「…お、お願いします英二様、…頼み事を聞いて頂けませんでしょうか?」 「OK」  こ、こいつ、後で殴って良いか? 「この学校に居る、金髪の女子の顔が映った写真を全て用意してくれ」  その俺の頼み事に英二が目を丸くして、顎を限界まで落とした。 「…そうかぁ、風間…。オマエもついに理解できる用になったか…」 「黙れ、勘違いするなよ。俺はちょっと探している人が居るんだ」 「へぃへぃ、わーてる、わーてる、ケッケッケ」  お主も悪よのぅ、な状況でする様な顔して笑ってる英二を激しく殴り飛ばしてやりたい衝動に俺の掌は自然と拳になるが、ある限りの理性で静止させた。  英二は勘違いしている様だが、俺はさっきから思い出しかけている何かを思い出す為に頼んだのだ。  一瞬だが、脳裏に見えたのは金髪で、この空唄高校の制服を着た同い年くらいに見える女子。  誰だか解らないが、彼女は俺が良く知っている筈の人だった気がする。  その日の授業は何時も聞いているつもりも無く過ごしている毎日より何も聞こえなかった。  プリントの宿題も色々出た気がするが、プリントを貰った記憶さえなかった。  夏バテ?  その程度でやられる俺じゃない。  ただの熱だろう、家に帰ったらETコールゲン三錠を飲んで、さっさと寝るか…。  そう自分の中で決めて、気がついた時には放課後になっていた。  さて、今日は何をしたのかがサッパリ覚えていない。  どうやら途中から記憶が抜けている様だ。  とにかく、こんな弱った状態で何をしようも「無駄無駄無駄ァッ」な状況なので、ボーっとしながら、なるべく誰にも会わずに下駄箱まで行って、靴を履き替え学校から出た。 「なっ…」  しかし目の前にある非日常的な光景と出くわして思わず声を出してまで驚いてしまった。  目の前にある光景は何時もと同じ校庭と200メートル走れるランニングトラック、そして端に有る鉄棒、そこまでは日常的見慣れた光景の内だが、俺の目には無駄に多い物が映った。  白い糸。いや帯か。  校庭の有りとあらゆる固体と言う固体、特に地面から数え切れないくらい沢山、まるで毛でも生えたかのように存在していた。  そして下校している生徒達は、何にも気がつく事無くその白い帯をすり抜けながら校庭を歩いていた。  丁度隣に知らない奴だが話しかけ易そうな男子生徒が通ったので声を掛けてみる。 「なぁ、ちょっと良いか?」 「ん?嗚呼、御前はアイスブレイカー」 「俺の事知ってるなら自己紹介は不要だな。ちょっと聞きたい事があるんだけど良いか?」  相手が知っていて、俺が知らないなんて言う人はこの学校には多かった。  俺が相手から質問を問わせて貰う了承を得ると、 「校庭に白い帯とか見えないか?」  っと、なるべく変に思われないような質問の仕方を選んで聞いてみた。 「白い帯?落し物…?」  彼の質問に質問で返した答えから察して、どうやらこの白い帯は俺にしか見えないらしい。 「いや、良いんだ。気にしないでくれ、引き止めて悪かったな。放課後なんだからゲーセンとか行きたいだろうに」  俺は苦笑しながら男子生徒の背中を軽く叩くと彼の元から去り校庭から校門へと歩いた。  良く見ると白い帯は少し透明でぼやけて見える。まるで幽霊が動いてるみたいで少し寒気と身震いを感じた。 「―――ッ?!」  ――幽霊?  頭の中に何かが走った。  五感の無い空間。  妙な叫び声。  榊原…?  何時か見た出来事が頭の中で幾つもフラッシュバックする。  そして大きな頭痛が俺を襲った。 「ぐっ…」  片手で特に頭痛の激しい左脳辺りを押さえる。  押さえても頭痛は治らないが気休めくらいにはなってくれた。  そこを、そんな所で、バッドタイミング、榊原が俺に声を掛けた。 「あら?アイスブレイカーじゃない。今日はどうしたのかしら?何時もならもう既に学校から数百間離れた場所まで飛んでいる筈なのに。誰かと待ち合わせ?」 「さ、榊原…」  頭痛が有るのを隠したいが為に片手を頭から離して、背後から声を掛けていた榊原に顔を向けた。なるべく平静を装って。 「ち、ちょっと、アンタどうしたの?凄く顔色が悪いわ」  どうやら平静を装っているつもりの俺の顔は、一見して顔色が悪いと言うのが解るくらい顔色が悪いのだろう。  そんな事より俺は聞きたい事があった。 「榊原、単刀直入に聞く」 「え?」  何時もの俺が発する普通の声が、どうしてか重く低い声、真剣に話しをするかの様な声で榊原に俺は今まで脳裏に引っかかっていた何かを聞いた。 「御前、昨日夜中に俺の家に何しに来た」 「―――!!」  そして榊原は思いっきり心当たりが有り、まさかバレるとは思わなかったみたいな、普段は見る事の出来ない驚きの表情をしていた。  頭痛が段々酷くなって、意識が遠のいて行く。  まだ榊原から問題の答えを受け取っていないが、既に限界を越えていた俺の意識は完全に落ちた。 /  アイスブレイカーが私の目の前で倒れた。 「ちょっ、アイスブレイカー?!」  私は驚きを隠せず、とにかく慌ててうつ伏せに倒れたアイスブレイカーを仰向けに転がして、額に手を当てた。  熱は…有る。  それに凄い汗だった。彼の呼吸も通常より速い。  とても苦しそうにしている。  周りに居る下校中の生徒達もこの様子を見て驚いて、何時の間にか私とアイスブレイカーの周りには野次馬の人盛りが出来上がっていた。  先程から私は何時もの冷静さを失って、少々パニック状態である事に気付き、急いで息を吸って吐いてする。 「カエデちゃん!」 「アレックス?!」  人盛りで出来た人の壁の向こうから、アレックスの手が生えたのが見えた。 「ごめん、ちょっとどいてくれっ」  そして人込みを掻き分けてアレックスがリングの中に入ってくる。 「急いで彼を此処から連れ出すよ!」  何故アレックスがこの事態に気づいて来てくれたのか不明だけど、それよりも今はアイスブレイカーを此処から連れ出すのが最優先。  アレックスはぐったりとしているアイスブレイカーを背負うと叫んだ。 「テメェら、全員どきやがれゴルァ!!」  良い感じで恐ろしい程怖い不良台詞がアレックスの口から出ていた。  慌てた野次馬達は急いで校門外への道を作った。 「よし、グッジョブ!」  先程の台詞を全部水に流してしまっても良いくらいキマッタ笑みを浮かべて彼はアイスブレイカーを背負いながら駆け出し、これに乗って来たのか、黒いスポーツカーが校門前止まっていた。  アレックスは片手に持っている車の遠距離鍵のボタンを押して車の扉のロックを外した。  それから何をするか直ぐに解った私は先回りして車の後部席のドアを開ける。  続けてアレックスが私にウィンク一つ掛けて扉にアイスブレイカーを放り込んだ。  まるで誘拐みたいな荒いやりかたね。そう思った。  ちなみにウィンクはしっかりと片手の甲でハラリと弾いておいた。  アレックスは駆け足で運転席の方へと回りこみ、ドアを開けて車に乗る。  私も慌てて助手席の方へ乗った。  ドアを閉めるとガラスの向こう側から野次馬達が心配そうな顔、疑問を持った顔、呆けた顔が見える。 そして、彼等はこちらを見ながらエンジンが掛かると直ぐに走り出した車を見送った。 「ね、アレックス?」 「嗚呼、さっきの言葉遣い?あれね、この辺りの不良が使ってた言葉遣いを真似して使ったんだんだけど、なかなか味が出てたでしょ?」 「そんな話じゃなくて、さっきの事、あれほどタイミング良く駆けつけられた理由とか色々と説明してくれるんでしょうね?」  アレックスの車、機種とかは解らないけどメーカーはニッサンの黒いスポーツカーが走りだしてしばらくした後に私は切り出した。  運転しているのはアレックスで、私は助手席。ぶっ倒れて大変かと思っていたアイスブレイカーは客席で横になりながら安息を立てている。  彼が寝返りは私が話しを切り出すタイミングになってくれていた。 「アイスブレイカーって、彼の事?その件だけど、ちょっと深刻なんだよね」  アレックスの喋り方は深刻さを無にしていた。 「この間、彼に記憶処置を行っただろう?その時に失敗したんだ」 「え、失敗?アレックスが、珍しいわね」  言術者の中でもかなりの実力者として知られる彼が失敗するとは、猿も木から落ちるものね、と小さく驚きつつ呟いた。 「まぁね、僕も偶に失敗するさ。その失敗なんだけど、書き換えは成功したんだ、けど一つ見落としていた事が有った。彼はどうやら一度記憶処置を受けていたらしいんだ。念の為と思って情報局に確認したら、彼の顔写真と名前が載っていてね。はい、これプリントした奴」  赤信号機で止まると足元に置いてある彼のブリーフケースから数枚の書類を取り出し、それを私の手元へ渡す。  書類に書いてある情報を私は声に出して読み上げた。 「風間秋、88年7月12日、日本東京生まれ、血液型O…」 「あ、違う違う、経歴の方」 「経歴、桜橋幼稚園卒、水上小中学校卒、中学三年の時バスケットボール全国大会で活躍を見せるものの試合中の怪我により残り試合を退場。その次の年の1月、彼の恋人である水城 愛里(みずき あいり)(14)が夜に襲われ死亡。同時に処置方法と経路は不明だが風間秋に記憶処置が行われる…ってこれ、」 「そう、記憶処置が一度でも行われている人間に、二度目の記憶処置をするとどうなるんだっけ?」 「確か、全ての記憶処置が無効になり、処置された記憶が戻るんだっけ?」 「正解。つまり僕は彼の記憶を呼び戻してしまったんだ」 「それじゃぁ、彼は昨夜の私達の事を思い出すって事?」 「そ、しかも彼は二度と記憶処置の利かない体質になってしまった。だから仕方ないけど、彼には現実を話して黙っていて貰う事になるね、あるいは…」 「殺害」 「…………」  私は迷っていた。仕事の為とは言え、やはり知っている人を、しかも同じ人間を殺すなんて事は許せない。とはいえ、彼に真実を教えて、彼自身その事を黙り続けていられるのかどうかも解らない。  世間に夜と言術の事を知られる訳には行かなかった。何故ならそれを利用して悪用しようとする人間もきっと出て来るはずだから。  しばらくの沈黙に耐え切れなくなって、気紛れにアイスブレイカーの経歴を読み続けてみた。  空唄高校に受験、受験合格。部活はバスケ部に入り、完全復活を試みる。その年、夏の県大会の決勝試合は奇跡の連発で有名である。風間秋にアイスブレイカーという称号が与えられたのは、その試合と、8月に行われた修学旅行でのトラプルがきっかけである――…。  夢を見ていた。  あの時の試合だ…。  67対66、残り時間10秒。  空唄高校は一点差で相手チームに負けていた。  残り10秒、これで点を入れれば逆転で勝利出きる。  そんな奇跡を誰もが見たいと思っていた。  俺は14番の番号を胸と背に赤いユニフォームと共に他の4人と走り続けていた。  タイムアウトは既に使い切っていて、10秒は止まらずカウントダウンを続けていた。 「加奈寺!パス!」  不幸にもボールは相手チームがキープしていた。  9秒。  全員が全力で戦っている。相手は点を取られない様、こっちは逆転する様。  8秒。  相手チームがハーフラインを越えてこっちの陣に攻めてくる。  こちらからボールを取りに行かなくては、相手は時間潰しをするだけだ。  味方の一人がボールを取りに走った。  7秒。  奇跡的にも彼が伸ばした手はボールを弾いた、そしてボールはバウンドして外野へと飛んで行く。  6秒。  俺はディフェンスから一気にオフェンスへと周り走り出した。  負けたくない。  その思いだけで、重い体を無理矢理走らせた。  そして外野ラインギリギリのボールへと俺は食らい付いた。  5秒。 「みんな、あがれえええ!!」  食らい付いたボールを内野の敵陣の方に投げる。  味方が速攻を見せカウンターでハーフラインを駆け抜けていた。  4秒。  流れたボールを取ったのは味方で、その後は…。  3秒。  ディフェンスとの小競り合い。  時間が無い、シュートしろ!  2秒。  ボールがゆっくりと宙を舞った。  1秒。  リングに当たり、ボールはゴールからはずれ外に流れて行く。 「うああああああああっ!」  0.5秒。  何時の間にかゴール下に走っていた俺が落ちるボール、リバウンドを取りボレー。  0秒。  試合終了の深いアラームが鳴ると同時にボールはリングへと入り得点を奇跡的に得た。  俺達は県大会を優勝し全国大会へと出場する事になるが、俺は怪我の再発で再び大会参加を断念しなければならなくなった。  この期に俺はバスケを辞める事を決意する。  俺の奇跡的得点は一ヶ月間学校で騒ぎになった。  その騒ぎが収まる間にあったのが修学旅行。  その時の事件が次の夢にフラッシュバックされる。 「なぁ、俺達もう助からないのかな…」 「お母さん…」  どこかの洞窟を見学しに行った時の話しだ。  急な地震で洞窟の道が崩れた岩で塞がってしまい、旅行に同行している生徒全員と先生達が取り残されて5時間が経過した時だった。  救助隊は相変わらず来なくて、皆精神的に危険な状態だった。  泣き続ける女子達や落ち込み頭を抱えてる男子達を俺は見て俺は怒鳴った。  何を怒鳴ったかは良く覚えていない。  けれど俺の怒鳴った言葉がどうやら皆に勇気を与えたらしく、皆諦めを捨てて前を見始めた。  救助隊が車での3時間、俺達はなんとか洞窟で楽しく話し合ったりして、笑ったりした。  それが、アイスブレイカーの称号が与えられた理由なのだろう。  アイスブレイカーと呼び始めたのは、クラスになってまだ名もハッキリと覚えていない男子生徒からだった。  それが自然と学校中に広まり、俺は噂のアイスブレイカーとなった。  別にこの称号に誇りなどは感じてはいないけど、確かこの称号のおかげで、榊原と衝突する事になったんだっけな?  榊原楓が空唄高校に転入してきたのは高校二年になってからだ。  彼女はイタリアからの帰国子女らしく、自己紹介の時なんかはイタリア語を披露してみせた。  俺だってイタリア語ぐらいは喋れるぜ。  イタリアーノパスタミートソーススバケッティーノ。  まぁ、とにかく彼女はどうやら学校で一番で居たいらしく、俺の噂を聞いて俺の所にやって来た時は思いっきり喧嘩腰でこう言っていた。 「アイスブレイカー!貴方に決闘を申し込むわ!」 「はぁ?」  それから色々あったけど、榊原は相変わらず俺に対してライバル心を燃やしている。  まぁ、俺も榊原に負けるのは嫌なんだけどな。  思えば、最近は楽しい事が一杯で、凄く大事な事を忘れていた気がする。  そう、大事な…――。 /  私はもう一枚の書類を読んだ。 「水城愛里、88年11月12日、日本東京生まれ、血液型O…、言術者…?」 個人情報 [水城愛里]  水城愛里  88年11月12日  日本、東京生まれ  血液型O  言術者資格獲得日03年4月4日  04年1月5日、殉職。 経歴  桜橋幼稚園卒  水上小中学校通   中学時代は剣道部 中学2年の時に風間秋と恋人関係に   中学3年の時に剣道部の部長となる   中学3年の末、04年1月5日、『夜』に殺害され死亡    葬式は出きる限り内密に行われた   両親は言術者として99年10月に女房夫共に殉職している。 1.優等生とアイスブレイカー END
 昔、ムカシ、むかし、MUKASHI…。  何時だか知らないけど、まぁ、とにかくかなり昔の話だ。  まだこの地に言葉が無かった時代、人々が言葉を作っていた頃に、魔法みたいな不思議な力が存在した。  その力は、その頃の人々に平等に与えられ、四つの言葉を繋げて慣用句を作ると、作り上げたその慣用句の意味に近い力が発動した。  後に、人はそれを四字熟語と呼んだ。  電光石火、以心伝心、一石二鳥、一心同体、等など――簡単な四字熟語しか覚えていないのは気のせいだ――。現在の時代でもこれ等の四字熟語は語り継がれている。  それは普通に小学校で習うし、テストにも出てきた。  しかし、今の人々には文字に力を起こさせる源が無くなっているらしい。  それが理由で普通に口ずさんでも、そんな力は起こらないし、どっちにしろそんな事が有り得る訳が無かったのだ。  そう、有り得ない筈なのだ。それなのに、俺、アイスブレイカーこと、空唄高校二年生、風間 秋(かざま しゅう)は最近自分にそんな力が有るのではないのか?と期待していた。否、有ったら良いなと思っていた。  そもそも、家に昔からあった倉を漁っていたら、こんな大昔の事について書かれた羊皮紙を見つけてしまったのが原因なのだが…。  死んだ爺さんの悪戯なのかも知れないが、これには興味を注がれた。  だけど、俺は後に激しく後悔する事になる。  この羊皮紙を見つけてしまった時点で、俺は二度と生きて帰る事の出来ない一方通行の運命を歩かされていたのだ。 1.優等生とアイスブレイカー  遅刻だ!  心の中はこんなに慌てているのに随分とのんびりしているのは寝起きが悪いせいだ。  時刻は現在7時55分。一時間目開始時刻は8時調度、身支度で10分、家から学校まで徒歩で10分位、自転車に乗って5分程度、ちなみに本気で走れば自転車より早くて3分とか。  とにかく朝の俺の思考回路はミトコンドリア以下だ。つまり俺は今どれだけ遅刻が危険なのか理解していない。一体ミトコンドリアに思考回路が有るのか、どれくらい頭が良いのかは知らないが、とにかくそれだけボケボケしている。  軽く目覚まし時計に踵落としを食らわせて、天井に投げつけて、落下しているところをバックナックルで殴り飛ばしただけで壊れるなんて…。 俺はこの目覚まし時計の製造会社にイタデンを毎日10回はしようと思った。 ついでに今までやってみたかった悪戯ランキングでダントツ1位の俺俺詐欺や、2位の脅迫電話などを実行してみようという考えを浮かべ、俺は寝癖を直し、制服を着て靴下を履いた。ちなみに3位は逆留守電コールだ。これの良い所は電話を掛けておいて受け取った受信者に「現在留守にしております――」でお馴染みの留守電システムを発動させる事だ。 俺が通っている学校、空唄高校の制服は――今の時期では夏服だが――白い半袖シャツに黒い長ズボンである。 良くある制服だが、別に文句なんて思いつかなかった。 そんな文句を考えている暇が有ったら俺は目覚まし時計の製造会社に爆弾テロを起こしている筈だ。 最後に適当に教科書の入った鞄と、銀色の携帯を手にして俺は家の中で一人ドタバタしていた。 この家に現在住んでいるのは俺一人だけ。 理由を聞かれれば、期待通りに両親が交通事故で――、と嘘泣きをしながら答えるが、本当は、両親は現在共にラブラブ旅行に出かけているのだ。 確か、旅行先はハワイだったか…。去年はエジプトだったから、今年はマシか。 まぁ、おかげで家の中は何時もよりも涼しい。 あの二人が居ると夏は特に暑くて、でも奴らは常に熱くて、良くもこうラブラブ熱中症が長続きするな、と感心する位にイチャイチャしているのだ。 年に一度、俺を放ってどっかに二人きりで旅行に行くが、友人の話によると、その時の俺の笑顔が一番輝いて眩しいらしい。二度と帰って来なければ幸せすぎて死ぬだろう。 玄関で靴を履き終えた俺は自転車なんて面倒だと思い、もっと面倒だがスケートボードを抱えた。 家の戸締りをしっかりチェックし、日差しの下に立てば長居は無用。 スケートボードをアスファルトの上で滑らせ、熱中症になって倒れる前に速攻で学校へ向かった。 /  私、榊原 楓(さかきばら かえで)は今、気分が優れていない。  それは体調が悪いのではなく、機嫌が悪いという事なのだ。  原因はアイスブレイカーの事である。  アイスブレイカーとは、学校中で有名のあの、風間 秋の事である。  別に恋しているとか、そういった関係で機嫌が悪いのではなく、あいつは今日も私の宿題ノートを横から奪って人間とは思えない速さで答えを写した。その速度、私が事前に分かっていて速攻で対処しようと追っても2秒。  走りながらしかも正確に答えを書き写す事が出来る超人だ。  それは良い、別にそんな大した問題じゃない。  問題は、彼が走っている途中躓いて、彼と私の宿題ノートは開いていた窓を抜け、その先、下にある学校のプールに落ちて沈んだのだ。  おかげで今日の宿題はペンが滲んで読めなくなり廊下に立たされている。  廊下に立たすとは随分と古い考えを持った先生だ、と私はぶつくさ悪態を吐いていた。  その隣でアイスブレイカーも私と同じ罰を受けた。  しかし彼の場合はこれが初めてでは無いので水が満々と入った掃除用バケツを二つ抱えている。  彼も私が吐いていた悪態と同じ台詞をブツクサ呟いていた。  私が隣でざまぁみろ、と微笑を浮かべていると急にアイスブレイカーがこっちに振り向いたので慌てて真顔にした。 「…ぷっ、さ、榊原、顔が引きつってる…お、面白い」  とりあえず吹き出しそうで仕方が無いというアイスブレイカーの足を靴の踵で踏み、煙草の火を踏み消す様な感覚で捻っておいた。  茶髪で何も手を加えられていない、ただ真っ直ぐの髪を持ったアイスブレイカーの痛がる顔に向かって私は自分の舌を突き出した。 /  相変わらず榊原はキツイ。  俺の爪先はきっと今真っ赤に晴れ上がっているだろう。  この眼鏡悪魔、と口にしては確実に殺される言葉を心の中で叫んでバケツを持っていた。  まぁ、確かに榊原には悪い事をしたと思っているが、なんだかこいつに向かって謝ると、「あら、明日はドリルが振ってくるのかしら?」とでも言いそうだから辞めておいた。  やがて最初の授業が終わると旧式の罰から解放されて俺はゆらゆらと自分の席に腰を降ろした。一時間目は遅刻、二時間目は罰。今日はついていないな、と思いつつ俺はちらりとさりげなく榊原を見た。  栗色の長い真っ直ぐな髪が歩くたびに揺れて、角が丸い四角眼鏡、いや左右に伸びた丸眼鏡が正しいのか…。とにかく眼鏡をかけていた。  目が合うと、わざとらしくそっぽを向く動作をして彼女は自分の席に座った。 「よう、風間。お前、今日はとことんついてないな」  と短い休み時間に俺の机の前に立って坂本英二(さかもと えいじ)が声を掛けてきた。 「でも今朝の登場シーンは中々、かっこよかったぞ、勇敢だったぜ風間」  励ましのつもりか、かっこつけ野郎こと、英二が親指を突き立ててウィンクをかました。  今朝といえば、スケボーで廊下を滑り教室に飛び込もうとしたら、黒板の前に立って先生の出した問題に答えている最中の榊原に突っ込んだ事があった。  そういえば、と今頃思い出した俺は、今頃榊原のかなりの機嫌の悪さに納得が入った。 「そういえば、英二。お前、三宅に告ったんだって?」 「ん?嗚呼、結果は見ての通り砕けたさ…」 「でもきっと、お前は全力で体当たりしたんだな」 「割れ物だったんだよ、俺は」  金髪でかっこつけ野郎の英二は今年に入って五人告白して全部落ちた。ちなみに三宅恵里(みやけ えり)というのは隣のクラス、こっちは二組だから一組のクラスの女子生徒の事だ。そいつが英二の六人目だが…。  立ち直りが早いのが逆に最低で、女子生徒からプレイボーイと呼ばれた事もある。  今はまだ落ち込んで、暗黒の空気を纏っているが、明日になるとあら不思議。暗黒の空気が聖なる輝きとなり、まるでギリシャの神を現す絵で、神の後頭部で眩しい光のようなオーラを発する。  しばらく俺が慰めてやると三時限目の開始チャイムが学校内で響いた。 /  四時限目に入ればもう後は我慢の時間。  この授業さえ終われば私の空腹でくうくう鳴っているお腹を満たす事が出来る。  此処の食堂はつい最近になって順式になった。おかげで食べ物の取り合いや生きる為に突入して死んでいった兵士達は羨ましがるだろう。  しかし私は何時も弁当所持なので食堂には顔を出さない。  たしか今日用意した弁当の中には――。  と不意に先生に名前を呼ばれたので、なるべく動揺せず冷静に席から立ち上がり、しばらく目を離した隙に進んだ黒板に書かれた文章や問題を一瞬で読み上げて、答えを返した。  先生は頷き、「よし、正解」とだけ言うとそのまま続けて現在習っている物の説明を続けた。  自分で言うのも変だけど、私は学校で優等生と呼ばれている。  毎年の成績は学年トップ。先生達が大学への推薦状を出そうかと聞いてくる時もあって、勿論、私はお願いしますと頼むのだ。  しかしこのクラスには私のライバルが居る。  アイスブレイカーだ。  その時、私はちらりと後方の席で空腹で死にそうな顔をしているアイスブレイカーを見た。  こいつは勉強を真面目にしていない様に見えて、テストや試験などでは必ず私の後ろにくっついてくる。  学年二位のアイスブレイカーは油断出来ない奴だ。  私が少しでも気を抜けば確実に一位に上がるだろう。  しかし勉強の態度が悪いのでアイスブレイカーには推薦状も通知表で全てにA+が付かないのである。  ちなみにこの男は勉強だけではなく、他の無駄な能力や技術を沢山見につけている。  彼が言うには、走りながら綺麗に絵を描けるとか、先生に気づかれない様に居眠り出来るとか、何処かの八百屋の小父さんに物の値段をまけてもらう方法とか…。  そして彼がアイスブレイカーと呼ばれる理由も技術の一つに有った。  それはどんな暗い雰囲気や冷たい状況で、必ずクラスを明るくし、皆を笑わせる技術だ。  凍った状況を砕き暖かくする事から彼はアイスブレイカーと呼ばれている。  ちなみに私は優等生と呼ばれ、一学年上の小野雄也(おの ゆうや)先輩はラフメイカーと呼ばれ、隣クラスの飯島加奈子(いいじま かなこ)は不思議少女とか呼ばれている。  嗚呼、それと坂本英二はプレイボーイだったっけ?  そんな事を考えながら既に知っている事を教えている教師が次のページを開きかけた所でチャイムが鳴った。 / 「よっしゃああ!ご飯だ、食い物だ、飯だ、腹ごしらえだー!」  大食いの倉田宗助(くらた そうすけ)がチャイムが鳴って先生が退場したと同時に席から飛び上がって、教室から出て疾走した。行く先は食堂だろう。これからは早く並んだ者勝ちだからな。  何時もの俺は弁当派なのだが、今朝は寝坊したので弁当は持っていない。食堂に行こうかと思って立ち上がりポケットに手を突っ込んだが金が無いのに気づいた。  しかも今朝は何も食べないで飛び出してきたから現在、絶体絶命の大ピンチ。  チラリ、俺は英二に目をやった。  英二は見て見ぬフリをして教室から出て行った。  続けてクラスに誰か良い奴残ってないか?と目を配らせると…。 「っげ」  榊原と目が合ってしまった。  そして榊原は女子生徒に囲まれつつ満足で美味しいという顔をして弁当を食べていた。  さらに、勝ち誇った笑みを向けてきやがった。  っく、俺という事がなんたる失態。  あの榊原にはこれ以上差をつけられたくないと思っている俺はとにかくどうにかして何か腹を満たす方法を考えた。 「あのぅ、風間君?」 「ん、嗚呼?隣のクラスの…、三宅さん?」  熟思して数秒で声を掛けられ俺はその方を振り向くと顔を真っ赤にした茶髪と少し短めの髪型の女子、三宅が立っていた。  俺よりも身長が30センチ近く違うので見下ろす形になる。ちなみに俺の身長は178cmなので三宅は148cmくらいだろう。  彼女は元々体が病弱で背が伸びないそうだ。 「あ、あの、えっと…こ、これ!」  顔を真っ赤にしていた三宅は俺と目が合うと俯き、急に手に持っている弁当を押し付けてきた。 「そ、それじゃ私、これで…!」  そして俺が呆然としてありがとうと返す前に三宅は教室から走って出て行った。  ……。  何だか良くわからないが――、勝った!  俺は榊原に勝ち誇った笑みを向けると榊原は俺の顔を見ないようにして、軽い舌打ちをした。 /  アイスブレイカーは、可笑しな所や変な所が有るけど、モテる、らしい。  私も一応毎年幾つかラブレター等を貰っている。しかし、アイスブレイカーは男女構わず人気が有るので友達や知人の数はきっと私より多いだろう。  それにしても、奴は蹴っても殴っても治らない鈍感だ。  三宅さんの気持ちも知らず弁当を受け取って食べている奴を私は蹴飛ばしたくなった。  まぁ、鈍感ではない私は、その点、彼より上回っているわけでは有る。  私もアイスブレイカーも好かれる人は居るが好きな人は居ない。だから私は必ず好きになれる男性を早く見つけて付き合おうと思った。  アイスブレイカーに遅れを取る訳にはいかない! /  昼休みの時間、俺は弁当を食べ終わると三宅に弁当を返した。  相変わらず顔を赤くしているが熱があるわけではないらしい。  とにかく俺は正直に美味しかったと弁当の感想を言って、言い逃した感謝の言葉を言い早々と立ち去った。  最近の昼休みは特にする事が無い。  食堂に行けば沢山友人が居るが、現在はまったりしたい気分だったので俺は教室に戻ると自分の席に腰掛けてまったりした。 /  最後のチャイムが鳴って放課後に入ると私は鞄に教科書を詰めていた。  隣から黒髪の少女、友人の仙波南(せんば みなみ)がカラオケに行かないか聞いてきた。  人付き合いはアイスブレイカーに完全に勝つ為には必要だが、今日はちょっとした用事が有ったので、私は丁寧に断った。  また今度誘ってね、と付け加えて私は鞄を持って教室から出た。  教室から出れば廊下が有って、一番近い階段を使って二階から一階に下りて下駄箱へと向かった。  その途中でアイスブレイカーが私の目の前をゆっくり横切った。  スケートボードの上でロボットダンスを踊っている。  そのまま自分の下駄箱の前に止まると、ロボットダンスを止めず靴を履き替え、再びロボットダンスを踊りながらゆっくりとスケートボードを走らせた。  あのスケートボードは確か先生に没収された筈だったけど、どうやら返してもらったらしい。  途中、踊っているアイスブレイカーを見た生徒が奴を指しながら笑っていた。  と、こうしては居られなかった。  今日はちょっとした訓練が有った事を思い出した私は小走りに自分の下駄箱へ駆けて、上履きから革靴に履き替えると早歩きで帰路に着いた。 /  家に辿り着くなり俺は靴を揃えず脱ぎ散らかして自分の部屋に鞄を投げ捨てた。今朝は寝ぼけていたから気にはならなかったが、何時見ても俺の家は大きいというか、小さいというか。  家に自体はそんなには大きくないが、まぁ、隣の家と比べると二倍くらいの広さが有るだろうか?  さらに広い庭が付いていて、何故か倉が用意されていた。  俺は父親に何故、倉が此処に有るのか聞いたが、父は何時も日本人だからとしか言わないのである。  詳しい話は良く解らないが、俺のひいひいお爺ちゃん辺りの世代の人が所有していた倉らしい。  母親は便利だ、とか言ってとりあえず物置場に使用している。  俺は小さい頃から良く倉に出入りしていた。かくれんぼの時とか、スパイごっこの時とか、ストーリーを良く知らない癖してニンジャータートルごっことかもした。  嗚呼、今思い出せば懐かしき…、と思い出に老けて溜息吐くのは年寄りがやる事だ。  そういえば、宝探しもした。勿論、そんなすばらしい宝は見つからなかったが。  俺は倉が見える自分の部屋の窓から離れて、家の中を歩いた。  そして一階から庭に出て倉へと向かった。両親が居ない間は勉強をする時間やスケジュールを強制される訳ではないので自由に過ごしている、故にかなり暇な時は倉に何か面白い物は無いかと探しに出かけるのだ。  普段は友人達多人数とゲーセンとかカラオケとかに出掛けるのだが、今日は色々と疲れたので――榊原に突っ込んで本人から昇竜拳を食らったとか、プールに落とした榊原のノートを拾い上げるのに服を脱いで泳いだとか、榊原にセクハラと呼ばれ蹴り飛ばされたりとか、バケツ持ちで廊下立たされたりとか、言っては本人に凄く申し訳ないんだが弁当の量が足りなかったりとか。  というわけで、今日は家でまったり過ごそうと思った。  倉の前に立つと、それは二階建ての様に高い長方形の箱の様だった。  屋根には瓦が使われていて、昔のままなので古臭さが残っている。  木材で出来た巨大な扉に手を掛けて横にスクロールさせようと力を入れた。  扉は少々重くて数センチ進む度に何処かに引っかかるので、更に力を入れる必要が有った。  子供の頃は良く開けられたな、と自分の過去に感心しつつ人、一人が体を横にして通れる位の隙間を開けると中から黴臭いというか錆びた臭いが嗅覚を刺激した。  入ると直ぐ近くに何時も用意されている懐中電灯を持って、明かりの入らない密室だった場所を照らした。  二階らしき場所には人の顔一個分の四角い穴が有り、微かな白い光が微かに見えた。  一階は調べつくしていて、殆どが母の使わなくなった掃除機や扇風機などガラクタだらけで有った。  二階はまだ調べてない場所や、鍵が掛かった場所が有って結構臭い。宝の匂いがプンプンしてるぜ、という何処かの漫画で有った台詞を思い出した。  二階に上がるには梯子を使わなければならない。  この梯子が結構高くて上っている最中が中々怖いのだ。  二階には穴から小さな光が辺りを薄暗く照らしているので視界は悪くならない筈だ、と思い懐中電灯を消し、ポケットに突っ込むと俺は空いた両手で梯子を掴んだ。  木で出来た梯子は軋んでいて今にも折れるのではないかと思える位にガタガタしている。  それでも平均的な高校二年生の体重は支えきれるらしく、俺は二階へとゆっくり上がっていった。  二階に上がると目の前には小さな四角い穴が有り視界は別に悪くなかった。  二階の面積は一階より少し狭く感じた。  俺はまだ調べていない筈の棚に歩み寄って一つ一つ錆び付いて開きにくい引き出しを引いて開けては中の物を一つ一つ取って確かめた。  最初の引き出しには、墨汁や筆などが入っていた。良く調べてもそれ以外に怪しい物は出てこなかった。  二つ目の引き出しには大量に本が入っていた。面白そうなので開いてみると虫食いの穴だらけで、まだ蛆虫みたいなのが残ってウネウネ動いているので気持ち悪くなって直ぐに元の場所に戻した。  三つ目の引き出しには鍵が一本だけ入っていた。鍵が掛かっていて開けなかった引き出しを俺は思い出し、喜び早速試してみようと鍵を手に取ったら、鼠らしき生き物のミイラが触れた鍵の奥に有ったので滅茶苦茶ビビッてうっかり二階から一階に転落してしまった。  幸い母が残した使わなくなった布団の山の上に落ちたので、命は取り留めた。  片手には鍵が有るが、先ほどのネズミイラ――鼠のミイラだから略した――で少し気が滅入ったのでまたの機会にするとして俺は倉を後に出直す事にした。 / 訓練を終えた私は汗を流そうとシャワー室に入って、体を洗った。  眼鏡は曇るので、風呂に入る時や寝る時は勿論眼鏡を外している。  私の視力はそんなには悪くない、けど、眼鏡を外すと使っているシャンプーの名前が少しぼやけて見える。  体の疲労を御湯と共に流して、シャワー室から出た私は冷たい空気を感じながら近くに掛けていたタオルを手に取ると、髪の毛の水をある程度吸い取ってから体を拭いた。  長い髪の毛は手入れが中々難しく、適当にタオルで掻き回すと、乾く事は乾くが、後にドライヤーで真っ直ぐに乾かすのが大変なのである。  だから私は、長い髪の一部をタオルで挟んで、ゆっくり髪の先に水を持っていくような感じで降ろしていく。  ストレートパーマを掛けるあの挟む機械と同じ感じだ。私はストレートパーマにはしては居ないけど…。  髪が長いとタオル一つでは足りないので、私は髪用のタオルと体用のタオルを何時も用意している。  体を拭き終えて、後は宿題をし、寝るだけなのでパジャマを着ると、私はドライヤーと櫛を持って丁寧に髪を乾かした。  女性は準備に時間が掛かると男達から文句を偶に聞くが、準備に時間を掛けず、変なルックスで表に出ても男性は喜ばないだろう。  つまり、男性は女性の準備に文句を言うべきでは無い、と思う。  髪が完全に乾けば、私は居間へと裸足で歩いた。  木材で出来た廊下が夏なのにヒンヤリして気持ちが良い。  確か、アイスブレイカーは、夏に昼寝する時は玄関が一番だ、と言っていた事が有ったが、あれは床ではない場合だろう。  庭から聞こえる虫達の声を聞きながら廊下をさっさと進み、私は居間の襖の前に立つと、丸い窪みに指を引っ掛けて、開いた。 「やぁ、カエデちゃん。今日は苺柄の可愛いパジャマですか。ふむ、これはこれで中々、萌え、と言いますかね」  居間に敷かれた座布団の上で足を組み顎に片手を添えて、その腕の肘を空いている片手で支えたポーズを取った金髪ツンツン頭の男。  一見不良に見えるその男は髪型に似合わない愛想の良い笑顔を私に向けながらお茶を片手に手を挙げて挨拶をしていた。  とりあえず、この男の挨拶に紛れていた言葉にムカついたので私は居間に置いてあった大きな熊のぬいぐるみを男へ投げつけておいた。 「あんたね…、また変な日本語覚えてきて…。一体、何処でそんな言葉を覚えるのよ?」  デッドボールと化した熊のぬいぐるみが顔面に直撃したにも関わらず、お茶はこぼさずしっかり持っている金髪の男は、少しナマリの入った日本語で喋った。 「あー、今日、街を散歩してたら可愛い女の子の描かれた看板を掲げて、モエーって叫んでる男達が居たから、どういう意味か聞いてみた。可愛い女の子が年上の男の子を『お兄ちゃん』って呼ぶとか、そんな感じの良く解らない説明していたけど、とりあえず可愛いって意味なんでしょ?キュート、キュート」 「何処を歩いてたか知らないけど、萌えなんて言葉、女性に使っても誰も喜ばないわよ。可愛いって意味かどうかは知らないけど…」 「あと、今日は、『ロリ』とか『胸キュン』とか『ネカマ』とか『ピ――――(放送禁止用語)』とか覚えてきたよ」  私はとりあえず、どんどんヤバイ日本語を覚えてしまっているこの男の顔面に、今度は拳を入れ、続けて無限コンボ。鮮血の返り血を浴び、ノックアウトした亡骸を踏みつつ何事も無かったように言葉を放った。 「…で?今日は仕事が無かったの?」  それでも彼は生き返った。良いサンドバッグだ、と私は素直に思った。 「ノゥ、じゃなくて、違う。今日はこの家の近くなんだ」 「え?それで、こんな所でくつろいでいて良い訳?」 「勿論よくないけど、そろそろカエデちゃんも言術者として公式に登録されると思うから、僕がお手本を見せてあげようと思ってね。だからギリギリまで此処で待っていたのさ」  今思い出したが、この金髪の男、アレックス・ウェールズは私の保護者で有り、言術者でも有る。保護者というのは、私の両親は現在不在なので代わりに彼が私の面倒を見ているのである。それと唱術者というのは…、とこの先は思い出すまでも無いので私はアレックスに向き直った。 「私、パジャマ何だけど」  アレックスはゆっくりお茶を飲み干して食卓のテーブルに置くと近くに掛けてあった黒い革ジャンを私の肩に乗せた。 「とりあえずこれ着て行こう。こんな時間だから外に出歩いている人は少ないから、しっかりした服は着なくても大丈夫」  そしてアレックスはテーブルの上に置かれている桃色の携帯電話と、白い手袋を手に取ると、携帯を私に渡して青い眼を向けて笑顔で言った。 「気が変わったよ。どうせだから、実践もやろう」 /  宿題も終わったし、後は寝るだけ。  俺は椅子にどっしりと背を預けて大きく背伸びをした。  ちらりと時計を見て時間を確認したが針が有り得ない時刻を指していたので、今朝、破壊した事を思い出して、代わりに机に置いてある腕時計を見た。  現在の時刻は夜11時56分。  時間に気付いて反応したのか、俺は大きな欠伸をして椅子から立ち上がり、勉強机から離れ、部屋の電気を消すと部屋には月明かりだけが残った。 俺は手探りでベッドに辿り着くと布団にさっさと潜り込んだ。  眼を閉じると眠気より先に庭に居る虫の鳴き声が聞こえて、うっすらと眼を開けると完全に閉め切っていないカーテンから差し込む光が見えた。  カーテンを閉めようかと思ったが、もう眠気が強くなり面倒なのでそのままにして瞼を閉じた。  ほら、瞼さえ閉じれば、そんなの関係無い――。 / 「ねぇ、アレックス。…これは――、一体どういう事?」 「解らない、何もしていないのに“夜”が自ら退くなんて…」  私達は真夜中の静まった街中の道路の真ん中に立ちつくしていた。  何故進まないのか?進めないから。  元々私達は仕事をしに此処に来たと言うのに、その仕事が無くなってしまったからどうすれば良いのか解らなかった。  別に大した問題は無い。無いけど、これは凄く珍しい状況なのである。 「もしかしたら、“夜を導く者”が居るのかも知れない…」  アレックスが眉間に皺を寄せながら私の隣で仮説を立てた。 「だとすると、“夜”の出現位置が直ぐにでも変わる可能性が有る」 「それって…」 「霊力の位置でそれを確かめよう、急がないと一般人が巻き込まれる可能性が有る!」 /  あれだけ眠かったのに眠れないというのはどういう事だろう?  俺はゆっくり瞼を持ち上げてどれくらいの時間が経ったのか時計を見ようとした。  しかし、眼はまだ暗闇に慣れていないのか、視界が不気味に真っ暗だ。  まるで黒いフィルターが目の前を多い尽くしている様で少し不安になる。  だが可笑しい。  少なくとも横になってから二十分は過ぎた筈、だというのに眼は全然暗闇の先を見てくれない。  それだけはなく、暑い筈の夏の部屋が今では凄く寒い。  気温ではなく、気配が…。  まさか、と思った。  俺は幽霊なんて信じないし知りたくないし、見た事も無い。  だから気のせいで全て終わらせようと布団を集めて、それに包まった。 「ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオォ!!」  だが、もう気のせいでは済むはずの無い声がした。 / 「来たっ、あの家からだ!」  普段は気が抜けているアレックスもこの状況でそんな様子は見せなかった。  私達は人気の無い様な真っ暗な住宅街の道を駆けていて、その先にある暗闇より暗い暗黒、いや、混沌と言ったほうが近いだろうか?それに向かっていた。 「突撃するよ、カエデちゃん!」  先行したのはアレックスだった。私は出来る限り彼に追いつける様に走って、桃色の携帯電話を握った。  この携帯電話は――、と説明している暇は無い! / 「ゥぁぁぁああああああああああああああ゛あ゛!!」  逃げ切れない!何が起こったのか、何から逃げているのか、此処は何処なのか何なのか、何なのか、何なのか、何がどうなのか、何何何、何か解らないが逃げないと殺される!  直感で解る!いや、直感でしか解らない。何故ならこの空間では五感が頼りにならないからだ!  背に何かが追ってくる、此処はもう既に自分の部屋じゃない!  夢かと思った、だけど夢にしては苦しすぎる。  夢落ちで終わる程度の悪夢では無い!  死んでも一生呪われ続けそうな悪夢だ!  背から何かが俺の体を掴もうと伸びてきた。  俺はそれを直感で感じ取ってとっさに駆けたまま地面へ、否、暗黒へ飛び込む。  上下左右三百六十度の黒黒黒、ハッキリと見えるのは自分の姿だけ。  この世界に光や影なんて存在しない、何もかもが常識を外れている。  伸びてきた手は飛び込んだ俺の背を掠めて宙を掴んだみたいだ、俺にはそれが見えないからこれも直感でしかない。  初めて五感がこれほど役立たずだと思った。  何にせよ、もう俺は助からない。直感がそう告げた。  俺は既に伸びてきたもう一つの手に掴まれていたのだ。  何かが、何かの顔が俺の顔に近づいてニヤリと気持ち悪い笑みを浮かべてきた。 「こら、ま   そん  じ   嫌    ぞ    から       風間」  脳の一部が何かに触れて、何か、ずっと忘れていた事を俺は思い出した気がした。  確か、あれはあのひまわり畑の―――。  その記憶のリコールを、一つの呪文が断ち切った。 「我が源よ、言霊を呼べ!彼の意味は悪霊を拒絶せん!――退散!!」  その声は、学校で良く喧嘩する榊原の声だった。 / 「まさか、こいつが被害者とはね…、記憶の書き換えお願いね」 「知り合いかい?」  私が駆けつけた時に既にアイスブレイカーは食われかけていた。  まさか私が助けたのがこいつだった事を私は微妙に後悔していたが、逆に私の方が上回っているというのを証明できた気がして気分は悪くなかった。  アレックスの問いには「べつに」とだけ答えておいた。 「にしても凄く上手になったね。完璧な言術だったよ」  アレックスはベッドの上で倒れている、というか寝ているアイスブレイカーの額に手を添えると言術を唱え始めた。  言術は英語で唱えられているので日本語の言術を使う私には少し難しい。 「ん、ありがとう。これで私も正式な言術者として働く自信がついたわ。…でも、あの言術は初歩じゃない。あの程度で退散してくれる夜も随分と貧弱な事ね。もう少し激しい戦闘を期待していたわ」 「ハハ、無理だよ。昔の夜ならともかく、現代の夜はあの程度なんだから」 「それじゃあ、何の為にあれだけの量の言術を覚えたのかしらね?」  …沈黙。  彼が話した昔というのは、日本列島がまだ大陸の一部だった位前の話である。  言術が生まれた場所は丁度、現在で言うとインドかその辺りの場所である。  聞く話によれば、中国語や日本語も元々はその場所から発展したらしい。  しかし、現在のインドには言術者なんていうのは既に存在していないので、多くの言術者は中国が発展の地だと思っている。  そして、言術は月日が過ぎる度にその力を世界に広めた。  ヨーロッパの方では魔法というのが一時期発展したと言われている。  彼の有名な『魔女狩り』は一般的に表に公開されている歴史では、本当に魔法を使う者達を狩ったわけでは無い、と言われているが、実は本当に魔法を使う者も狩られた女性の中に居たという裏話もある。  ちなみに現代の言術で一番一般人にも知られているのは、南無阿弥陀仏だとかの日本の葬式に使われる長い文や、四字熟語などなど。  しかし言術というのは言えば発動する訳でも無いので、一般人にはその存在を知られる事は滅多に無いだろう。 「問題は…“夜を導く者”が居るという事だ。先程の様に弱い悪霊を操っているならまだ安全かも知れないが、放っておけば危険だ」 「そうね。最初の仕事は“夜”を導く者退治って事になりそう」  “夜を導く者”。  その存在は言術者しか知らない、この世界で悪霊を操る者の事である。  つまり、――夜を導く者というのは私達と同じ人間であり、故意に悪霊を集めて世間に良からぬ事をしようと企む悪党、敵なのである。 「しかし、何でコイツが狙われるのかな?」 「微かだけど、彼に守護霊が取り付いている気配がする。もしかしたら、良霊を狙って食いに来たのかもしれない」 「そっか、確か良霊って悪霊の好物なんでしょ。だったら、消しちゃう?」 「…いや、この守護霊、この人の魂の直ぐ傍に居るから、下手に消そうとすると、間違って彼の魂を消してしまうかも知れない」  良霊、というのは守護霊や精霊、死んで行き先を失った一般霊の事である。  アレックスはアイスブレイカーの傍から立ち上がると、行こう、と一言放って、彼の家の壁をすり抜けて外に出た。  何時の間にそんな事が出来る言術を使ったのかは知らないけど、とりあえず私も続いて同じようにすり抜けて、外に出た。  壁抜けは結構、気持ちの悪い感覚だった。 / 「ふぁ~あ、何だろう、何だか体が重い…」  朝、目を覚ました俺はまるで自分の体が言う事を聞かなくなった様な感覚を覚えた。  風邪をひいたか、とにかく一度顔を洗って目を覚ます事にした。  洗面所で顔を荒いサッパリすると意外と体は重さを忘れていて、何時もどおり生活する分には問題の無い感覚だった。  鏡に映った自分の顔。  何か曇った感覚があるが、別にその曇りを払う必要も無く、俺はさっさと寝癖を直して朝食の準備に取り掛かった。  念の為、学校で吐くと困ると思い、朝食はなるべく胃に優しい料理にする事にする。  おかゆ、目玉焼き、味噌汁。  和風料理なら殆どマスターしているが、洋風はまだまだ極められるだろう。  朝のテレビに映っているニュースを見ながら飯を食べて、時々興味深いニュースの内容を見つけると手を止めた。  どうも最近は不眠症が流行っているらしい。  俺も気をつけようとか、今日は早めに寝るかとか、そんな事を思っては朝食をゆっくりとすませて、学校に行く準備をした。  靴を履いて、玄関のドアを開ける。  夏の熱気と蝉の鳴き声が入る。  今日は休もうかなぁ、と学校さぼりたくなったりするが、母が知ったら大変だと思い、諦めて学校へ行く事にした。 /  校門でアイスブレイカーと出くわした。  今日は何だか、というかやはり元気が無い様で、元気が良いと装ってはいるが、その何時もの笑顔には影が有った。  まぁ、悪霊に襲われて少し霊気を吸われたくらいだから、一日経てば元に戻るだろう。  それよりも私はアレックスがちゃんと彼の記憶をどうにかしたのか疑っている。  覚えてもらっても困るけど、私への挨拶の仕方を見れば覚えて無いようだ。  心配性だ、と自分で自覚しながら、私は何時もの態度で教室へと向かう。 / 「おい、どうした風間?珍しく元気が無いな?」  英二が授業中に隙を見て隣席に座る俺に話しかけてきた。  なるべく平常を保つつもりだったが、流石腐れ縁がある友人、俺の見事完璧と思える―?―作り表情を見破りやがった。 「嗚呼、風邪かな…?」  ばれてしまっては隠す必要が無いので正直に話した。 「あんま無理すんなよ。御前が倒れたら榊原の笑いもんだぜ?」 「はは、そいつは嫌だな」  榊原という存在が頭の中で浮かぶと、何か頭の中で曇っている物に光が一瞬差し込んだ気がしたが、しかし結局は曇ったままだった。 「英二、頼みが有るんだけど」 「駄目」 「英二、かよわい病人が頼み事を抱えているんだけ…」 「駄目」 「…お、お願いします英二様、…頼み事を聞いて頂けませんでしょうか?」 「OK」  こ、こいつ、後で殴って良いか? 「この学校に居る、金髪の女子の顔が映った写真を全て用意してくれ」  その俺の頼み事に英二が目を丸くして、顎を限界まで落とした。 「…そうかぁ、風間…。オマエもついに理解できる用になったか…」 「黙れ、勘違いするなよ。俺はちょっと探している人が居るんだ」 「へぃへぃ、わーてる、わーてる、ケッケッケ」  お主も悪よのぅ、な状況でする様な顔して笑ってる英二を激しく殴り飛ばしてやりたい衝動に俺の掌は自然と拳になるが、ある限りの理性で静止させた。  英二は勘違いしている様だが、俺はさっきから思い出しかけている何かを思い出す為に頼んだのだ。  一瞬だが、脳裏に見えたのは金髪で、この空唄高校の制服を着た同い年くらいに見える女子。  誰だか解らないが、彼女は俺が良く知っている筈の人だった気がする。  その日の授業は何時も聞いているつもりも無く過ごしている毎日より何も聞こえなかった。  プリントの宿題も色々出た気がするが、プリントを貰った記憶さえなかった。  夏バテ?  その程度でやられる俺じゃない。  ただの熱だろう、家に帰ったらETコールゲン三錠を飲んで、さっさと寝るか…。  そう自分の中で決めて、気がついた時には放課後になっていた。  さて、今日は何をしたのかがサッパリ覚えていない。  どうやら途中から記憶が抜けている様だ。  とにかく、こんな弱った状態で何をしようも「無駄無駄無駄ァッ」な状況なので、ボーっとしながら、なるべく誰にも会わずに下駄箱まで行って、靴を履き替え学校から出た。 「なっ…」  しかし目の前にある非日常的な光景と出くわして思わず声を出してまで驚いてしまった。  目の前にある光景は何時もと同じ校庭と200メートル走れるランニングトラック、そして端に有る鉄棒、そこまでは日常的見慣れた光景の内だが、俺の目には無駄に多い物が映った。  白い糸。いや帯か。  校庭の有りとあらゆる固体と言う固体、特に地面から数え切れないくらい沢山、まるで毛でも生えたかのように存在していた。  そして下校している生徒達は、何にも気がつく事無くその白い帯をすり抜けながら校庭を歩いていた。  丁度隣に知らない奴だが話しかけ易そうな男子生徒が通ったので声を掛けてみる。 「なぁ、ちょっと良いか?」 「ん?嗚呼、御前はアイスブレイカー」 「俺の事知ってるなら自己紹介は不要だな。ちょっと聞きたい事があるんだけど良いか?」  相手が知っていて、俺が知らないなんて言う人はこの学校には多かった。  俺が相手から質問を問わせて貰う了承を得ると、 「校庭に白い帯とか見えないか?」  っと、なるべく変に思われないような質問の仕方を選んで聞いてみた。 「白い帯?落し物…?」  彼の質問に質問で返した答えから察して、どうやらこの白い帯は俺にしか見えないらしい。 「いや、良いんだ。気にしないでくれ、引き止めて悪かったな。放課後なんだからゲーセンとか行きたいだろうに」  俺は苦笑しながら男子生徒の背中を軽く叩くと彼の元から去り校庭から校門へと歩いた。  良く見ると白い帯は少し透明でぼやけて見える。まるで幽霊が動いてるみたいで少し寒気と身震いを感じた。 「―――ッ?!」  ――幽霊?  頭の中に何かが走った。  五感の無い空間。  妙な叫び声。  榊原…?  何時か見た出来事が頭の中で幾つもフラッシュバックする。  そして大きな頭痛が俺を襲った。 「ぐっ…」  片手で特に頭痛の激しい左脳辺りを押さえる。  押さえても頭痛は治らないが気休めくらいにはなってくれた。  そこを、そんな所で、バッドタイミング、榊原が俺に声を掛けた。 「あら?アイスブレイカーじゃない。今日はどうしたのかしら?何時もならもう既に学校から数百間離れた場所まで飛んでいる筈なのに。誰かと待ち合わせ?」 「さ、榊原…」  頭痛が有るのを隠したいが為に片手を頭から離して、背後から声を掛けていた榊原に顔を向けた。なるべく平静を装って。 「ち、ちょっと、アンタどうしたの?凄く顔色が悪いわ」  どうやら平静を装っているつもりの俺の顔は、一見して顔色が悪いと言うのが解るくらい顔色が悪いのだろう。  そんな事より俺は聞きたい事があった。 「榊原、単刀直入に聞く」 「え?」  何時もの俺が発する普通の声が、どうしてか重く低い声、真剣に話しをするかの様な声で榊原に俺は今まで脳裏に引っかかっていた何かを聞いた。 「御前、昨日夜中に俺の家に何しに来た」 「―――!!」  そして榊原は思いっきり心当たりが有り、まさかバレるとは思わなかったみたいな、普段は見る事の出来ない驚きの表情をしていた。  頭痛が段々酷くなって、意識が遠のいて行く。  まだ榊原から問題の答えを受け取っていないが、既に限界を越えていた俺の意識は完全に落ちた。 /  アイスブレイカーが私の目の前で倒れた。 「ちょっ、アイスブレイカー?!」  私は驚きを隠せず、とにかく慌ててうつ伏せに倒れたアイスブレイカーを仰向けに転がして、額に手を当てた。  熱は…有る。  それに凄い汗だった。彼の呼吸も通常より速い。  とても苦しそうにしている。  周りに居る下校中の生徒達もこの様子を見て驚いて、何時の間にか私とアイスブレイカーの周りには野次馬の人盛りが出来上がっていた。  先程から私は何時もの冷静さを失って、少々パニック状態である事に気付き、急いで息を吸って吐いてする。 「カエデちゃん!」 「アレックス?!」  人盛りで出来た人の壁の向こうから、アレックスの手が生えたのが見えた。 「ごめん、ちょっとどいてくれっ」  そして人込みを掻き分けてアレックスがリングの中に入ってくる。 「急いで彼を此処から連れ出すよ!」  何故アレックスがこの事態に気づいて来てくれたのか不明だけど、それよりも今はアイスブレイカーを此処から連れ出すのが最優先。  アレックスはぐったりとしているアイスブレイカーを背負うと叫んだ。 「テメェら、全員どきやがれゴルァ!!」  良い感じで恐ろしい程怖い不良台詞がアレックスの口から出ていた。  慌てた野次馬達は急いで校門外への道を作った。 「よし、グッジョブ!」  先程の台詞を全部水に流してしまっても良いくらいキマッタ笑みを浮かべて彼はアイスブレイカーを背負いながら駆け出し、これに乗って来たのか、黒いスポーツカーが校門前止まっていた。  アレックスは片手に持っている車の遠距離鍵のボタンを押して車の扉のロックを外した。  それから何をするか直ぐに解った私は先回りして車の後部席のドアを開ける。  続けてアレックスが私にウィンク一つ掛けて扉にアイスブレイカーを放り込んだ。  まるで誘拐みたいな荒いやりかたね。そう思った。  ちなみにウィンクはしっかりと片手の甲でハラリと弾いておいた。  アレックスは駆け足で運転席の方へと回りこみ、ドアを開けて車に乗る。  私も慌てて助手席の方へ乗った。  ドアを閉めるとガラスの向こう側から野次馬達が心配そうな顔、疑問を持った顔、呆けた顔が見える。 そして、彼等はこちらを見ながらエンジンが掛かると直ぐに走り出した車を見送った。 「ね、アレックス?」 「嗚呼、さっきの言葉遣い?あれね、この辺りの不良が使ってた言葉遣いを真似して使ったんだんだけど、なかなか味が出てたでしょ?」 「そんな話じゃなくて、さっきの事、あれほどタイミング良く駆けつけられた理由とか色々と説明してくれるんでしょうね?」  アレックスの車、機種とかは解らないけどメーカーはニッサンの黒いスポーツカーが走りだしてしばらくした後に私は切り出した。  運転しているのはアレックスで、私は助手席。ぶっ倒れて大変かと思っていたアイスブレイカーは客席で横になりながら安息を立てている。  彼が寝返りは私が話しを切り出すタイミングになってくれていた。 「アイスブレイカーって、彼の事?その件だけど、ちょっと深刻なんだよね」  アレックスの喋り方は深刻さを無にしていた。 「この間、彼に記憶処置を行っただろう?その時に失敗したんだ」 「え、失敗?アレックスが、珍しいわね」  言術者の中でもかなりの実力者として知られる彼が失敗するとは、猿も木から落ちるものね、と小さく驚きつつ呟いた。 「まぁね、僕も偶に失敗するさ。その失敗なんだけど、書き換えは成功したんだ、けど一つ見落としていた事が有った。彼はどうやら一度記憶処置を受けていたらしいんだ。念の為と思って情報局に確認したら、彼の顔写真と名前が載っていてね。はい、これプリントした奴」  赤信号機で止まると足元に置いてある彼のブリーフケースから数枚の書類を取り出し、それを私の手元へ渡す。  書類に書いてある情報を私は声に出して読み上げた。 「風間秋、88年7月12日、日本東京生まれ、血液型O…」 「あ、違う違う、経歴の方」 「経歴、桜橋幼稚園卒、水上小中学校卒、中学三年の時バスケットボール全国大会で活躍を見せるものの試合中の怪我により残り試合を退場。その次の年の1月、彼の恋人である水城 愛里(みずき あいり)(14)が夜に襲われ死亡。同時に処置方法と経路は不明だが風間秋に記憶処置が行われる…ってこれ、」 「そう、記憶処置が一度でも行われている人間に、二度目の記憶処置をするとどうなるんだっけ?」 「確か、全ての記憶処置が無効になり、処置された記憶が戻るんだっけ?」 「正解。つまり僕は彼の記憶を呼び戻してしまったんだ」 「それじゃぁ、彼は昨夜の私達の事を思い出すって事?」 「そ、しかも彼は二度と記憶処置の利かない体質になってしまった。だから仕方ないけど、彼には現実を話して黙っていて貰う事になるね、あるいは…」 「殺害」 「…………」  私は迷っていた。仕事の為とは言え、やはり知っている人を、しかも同じ人間を殺すなんて事は許せない。とはいえ、彼に真実を教えて、彼自身その事を黙り続けていられるのかどうかも解らない。  世間に夜と言術の事を知られる訳には行かなかった。何故ならそれを利用して悪用しようとする人間もきっと出て来るはずだから。  しばらくの沈黙に耐え切れなくなって、気紛れにアイスブレイカーの経歴を読み続けてみた。  空唄高校に受験、受験合格。部活はバスケ部に入り、完全復活を試みる。その年、夏の県大会の決勝試合は奇跡の連発で有名である。風間秋にアイスブレイカーという称号が与えられたのは、その試合と、8月に行われた修学旅行でのトラプルがきっかけである――…。  夢を見ていた。  あの時の試合だ…。  67対66、残り時間10秒。  空唄高校は一点差で相手チームに負けていた。  残り10秒、これで点を入れれば逆転で勝利出きる。  そんな奇跡を誰もが見たいと思っていた。  俺は14番の番号を胸と背に赤いユニフォームと共に他の4人と走り続けていた。  タイムアウトは既に使い切っていて、10秒は止まらずカウントダウンを続けていた。 「加奈寺!パス!」  不幸にもボールは相手チームがキープしていた。  9秒。  全員が全力で戦っている。相手は点を取られない様、こっちは逆転する様。  8秒。  相手チームがハーフラインを越えてこっちの陣に攻めてくる。  こちらからボールを取りに行かなくては、相手は時間潰しをするだけだ。  味方の一人がボールを取りに走った。  7秒。  奇跡的にも彼が伸ばした手はボールを弾いた、そしてボールはバウンドして外野へと飛んで行く。  6秒。  俺はディフェンスから一気にオフェンスへと周り走り出した。  負けたくない。  その思いだけで、重い体を無理矢理走らせた。  そして外野ラインギリギリのボールへと俺は食らい付いた。  5秒。 「みんな、あがれえええ!!」  食らい付いたボールを内野の敵陣の方に投げる。  味方が速攻を見せカウンターでハーフラインを駆け抜けていた。  4秒。  流れたボールを取ったのは味方で、その後は…。  3秒。  ディフェンスとの小競り合い。  時間が無い、シュートしろ!  2秒。  ボールがゆっくりと宙を舞った。  1秒。  リングに当たり、ボールはゴールからはずれ外に流れて行く。 「うああああああああっ!」  0.5秒。  何時の間にかゴール下に走っていた俺が落ちるボール、リバウンドを取りボレー。  0秒。  試合終了の深いアラームが鳴ると同時にボールはリングへと入り得点を奇跡的に得た。  俺達は県大会を優勝し全国大会へと出場する事になるが、俺は怪我の再発で再び大会参加を断念しなければならなくなった。  この期に俺はバスケを辞める事を決意する。  俺の奇跡的得点は一ヶ月間学校で騒ぎになった。  その騒ぎが収まる間にあったのが修学旅行。  その時の事件が次の夢にフラッシュバックされる。 「なぁ、俺達もう助からないのかな…」 「お母さん…」  どこかの洞窟を見学しに行った時の話しだ。  急な地震で洞窟の道が崩れた岩で塞がってしまい、旅行に同行している生徒全員と先生達が取り残されて5時間が経過した時だった。  救助隊は相変わらず来なくて、皆精神的に危険な状態だった。  泣き続ける女子達や落ち込み頭を抱えてる男子達を俺は見て俺は怒鳴った。  何を怒鳴ったかは良く覚えていない。  けれど俺の怒鳴った言葉がどうやら皆に勇気を与えたらしく、皆諦めを捨てて前を見始めた。  救助隊が車での3時間、俺達はなんとか洞窟で楽しく話し合ったりして、笑ったりした。  それが、アイスブレイカーの称号が与えられた理由なのだろう。  アイスブレイカーと呼び始めたのは、クラスになってまだ名もハッキリと覚えていない男子生徒からだった。  それが自然と学校中に広まり、俺は噂のアイスブレイカーとなった。  別にこの称号に誇りなどは感じてはいないけど、確かこの称号のおかげで、榊原と衝突する事になったんだっけな?  榊原楓が空唄高校に転入してきたのは高校二年になってからだ。  彼女はイタリアからの帰国子女らしく、自己紹介の時なんかはイタリア語を披露してみせた。  俺だってイタリア語ぐらいは喋れるぜ。  イタリアーノパスタミートソーススバケッティーノ。  まぁ、とにかく彼女はどうやら学校で一番で居たいらしく、俺の噂を聞いて俺の所にやって来た時は思いっきり喧嘩腰でこう言っていた。 「アイスブレイカー!貴方に決闘を申し込むわ!」 「はぁ?」  それから色々あったけど、榊原は相変わらず俺に対してライバル心を燃やしている。  まぁ、俺も榊原に負けるのは嫌なんだけどな。  思えば、最近は楽しい事が一杯で、凄く大事な事を忘れていた気がする。  そう、大事な…――。 /  私はもう一枚の書類を読んだ。 「水城愛里、88年11月12日、日本東京生まれ、血液型O…、言術者…?」 個人情報 [水城愛里]  水城愛里  88年11月12日  日本、東京生まれ  血液型O  言術者資格獲得日03年4月4日  04年1月5日、殉職。 経歴  桜橋幼稚園卒  水上小中学校通   中学時代は剣道部 中学2年の時に風間秋と恋人関係に   中学3年の時に剣道部の部長となる   中学3年の末、04年1月5日、『夜』に殺害され死亡    葬式は出きる限り内密に行われた   両親は言術者として99年10月に女房夫共に殉職している。 1.優等生とアイスブレイカー END ---- #comment

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