欧米の熱烈な美術愛好家の極一部に実現不可能ではあるが、夢として、『ダビンチのモナリザ』や『ミロのビーナス』を一瞬でも、自分の手元に置いて愛好したい夢を捨てきれない人々がいるらしい。多分、中国の美術愛好家の中の変質狂的信者に同様の質問をすれば、その多くが、「張択端の清明上河図」を臨終の枕元でもよいから飾りたいと答えるであろう。

中国人が愛してやまない北宋時代の名画、『清明上河図』の存在を知ったのは社会に出て間もない頃のことだった。当時見た余り写りの良くない白黒の図版を見ても、高校時代に水滸伝で読んだ宋の都、東京開封府の姿が、恐ろしい程の臨場感で伝わってきた。それから、長い間、実物を見る機会を渇望してきたが、有難いことに、この正月に上野の国立博物館で、海外初公開のこの約5.3mの絵巻の実物を見る機会に恵まれた。

朝一番近くに行ったにも関わらず、長時間待たされて、中々、目の前の玩具に触らして貰えない子供の様な時間を経過した後、ようやく永年待ち焦がれた張択端の実物の前に立つことが出来た。

絵巻は、林間を清明節の荷を運ぶ人々の列から始まる。プロローグである。種々の人々が生き生きと生活する姿が描かれ、家屋も段々と大きくなっていく。絵巻の進行と共に水運の街、開封を象徴する様に大きな川と水上を行きかう多くの船が登場する。そして、絵の中央部分に都市生活と大運河による繁栄を象徴する様に大きな曲線を描いて虹橋が登場する。いよいよ、本絵巻の主題の登場である。

 虹橋で思い出すのが、2010年の上海万博の中国館の展示で、この虹橋を中心に清明上

河図をアニメ化した物をメイン会場の壁面に大面積のディスプレーで展示していた。同時に秦の始皇帝陵の近くの兵馬俑から出土した精巧な青銅製の1号馬車の実物を反対側に展示していたが、目の前に広がる絵巻の本物の感動には遠く及ばない。

 虹橋の下、複数の船を操る人も橋を行き交う人の群れも周囲の建物も心地よい緊迫感の中、生き生きと躍動している。余りの精巧さに画院による共同制作説もあるように聞くが、実物から受けるこの緊迫感は、一人の作者によって生み出されたもので、共同制作では到底、到達しえない画境であると強く感じた。行商人や駕籠で行きかう上流階級、茶店、大きな彩楼歓門(客寄せの為に木や竹で高く組んだ看板兼門)の酒家、占いの店等々、当に北宋全盛期の都の姿を活写して現代に伝えている。

 北宋の徽宗時代の都の繁栄と庶民の謳歌する姿が全巻に溢れている。しかし、絵巻は後半の城門を潜るラクダの隊列の所で急に終了している。それも極めて唐突な終わり方である。あたかも徽宗の治世が北方の金の侵攻によって、不本意に当然、中断されたような終わり方である。更にその後の黄河の度重なる大洪水によって、宋の都、東京開封府は厚い黄土層の下に今は眠っている。更に、現在は河南省の省都が鉄道の便の良い鄭州に移ってしまった為に穏やかな地方都市として存在するに過ぎない。

 長い間求めていた『清明上河図』を見ての帰り、車の中で徽宗時代の物が何か欲しいと我儘にも思った。人間は誠に勝手なもので憧れの絵巻を見る思いが叶った傍から、次の願望が出て来てしまう。我ながら困ったものである。すると数日後、友人のS氏が思いがけなく徽宗時代に鋳造された政和通宝をプレゼントしてくれた。

我家にある宋時代の現物で確実なものは、机の上に今ある『政和通宝』一枚である。しかし、幸せなもので、徽宗時代の開封で使用された銅銭一枚が『清明上河図』との時空を超えた大きな距離を一瞬で短縮してくれる。

 『政和通宝』を手に取りながら、ふと、バイユーのタピストリーのことを想った。有名な1066年のノルマンディー公ウイリアムのイギリス征服の顛末を現存の全長、約64mの亜麻布に各色の毛糸で刺繍した歴史絵巻である。イギリス、フランスの両国史に於ける大事件の一つを今に伝えている歴史的価値は計り知れない。日本で例を挙げると伴大納言絵巻や蒙古襲来絵詞等が挙げられる。もっと古い長編の資料ではエジプトの死者の書もある。

制作年代では、紀元前の死者の書がもちろん最も古く、11世紀後半のバイユーのタピストリー、12世紀前半の『清明上河図』、12世紀後半の伴大納言絵巻と続く。古代エジプトの死者の書を除くと後者の三点は、近似した約百年の間に東西の別々の文化圏で制作された。バイユーのタペストリーのヨーロッパ史に於ける歴史的評価は極めて高いし、伴大納言絵巻の応天門の変の絵画表現の豊かさも感動ものである。

しかし、美術品としての完成度から見た場合、実物を見た直後の個人的な感想ではあるが『清明上河図』に軍配を挙げたい。バイユーのタピストリーも『清明上河図』も画面に登場する人物の数は同数に近い、約600余人であるが、片や長さが約64m対して十分の一以下の長さながら人物一人一人の動きは素晴らしい。更に両者ともに船や動物が多数描かれているが、そちらの方でも『清明上河図』の表現力を評価したい。率直に言えば、民族文化が上り坂の途中とはいえ、まだ坂の方にある国と大文明が既に一定の完成期にある国の芸術品の違いとでも考えられよう。

画家、張拓端の実像はあまり良く知られてはいない。しかし、張拓端の確かな腕が描く、約千年前の中国の大都市の圧倒的な臨場感と精細な描写に感動してしまい、絵画としての完成度では他の絵巻では到底太刀打ちできないと勝手に思ってしまった。

古来、この絵巻の評価は高く、『中国第一画』の評がある位である。

 

参考文献:謎の名画・清明上河図、野嶋剛著2012

wikipediaより引用
 

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最終更新:2012年05月21日 19:14