As I have said before, things tend to have the other side's story. In this case, there are very limited information in my hand right now, and so far I've seen "one-sided story" in all of the reports written in 1956.

現時点で手に入れられる資料の全てが揃ったところで、当時の報道順序で日本のマスコミが何を書いたか公開する。私の大前提は英語でWikiに描かれている状況を正としているので、日本の新聞・雑誌に記載されていることの多くは金子ヒデ子が捏造した話であると考えている。何故ならば・・・それはこのブログを読まれる方達にも追々分かってくることだと思う。

【昭和31年㋂8日(水曜日)】: 神奈川新聞5面

“数奇な運命のマリアンヌちゃん - スエーデン(ママ)公使が引渡請求”

 在日スエーデン公使ラーゲルフェルト男爵から横浜市神奈川区白幡町1021に
 住む山口正勝さん(35)、ヒデ子さん(34)夫妻が養育しているスエーデン人の
 女の子を引き渡せという幼児引渡し請求が横浜地裁第一民事部へ出され、
 来る14日に第1回口頭弁論が開かれる。ヒデ子さんはスエーデン夫人の死後、
 5年余にわたり養って来たのだが、法律的には引き渡しに応じなければならなく
 なるものとみられ、事情を知る人の同情をよんでいる。それにすっかり育ての
 親になついて明るく育ってきた女の子は、この4月、1年生に入学する準備も
 すっかりととのったのに正式に入学できるかどうかも危ぶまれている。”

“悲観にくれる養母 - せめて文通できるまで”

この記事によると、ヒデ子さんはヴィヴィアンとジェームスが「愛の巣」を営んでいた頃からの知り合いで、夫を失った傷心の母親のために何かと相談相手になっていたと言う。結核に侵されたヴィヴィアンが死の床で「我が子の養育のすべてをヒデ子さんに頼んで」昭和25年の8月に亡くなったそうだ。そこでヒデ子さんは「長く育てるつもりで」マリアンヌちゃんを引き取り、美容師をやるかたわら育てていたと言う。

記事によると、ジェイムズとヴィヴィアンは同棲しており、マリアンヌちゃんがお腹にいる間に「突然」帰国したと書いてある。当初は仕送りも毎月100ドル近くあったが、友人の中傷で間もなく途絶えたとのこと。(この中傷についてはまた改めて・・・)ヒデ子さんは昭和27年に山口正勝さんと結婚したが、その時もマリアンヌちゃんを明るく育てることに意見が一致し、卑屈にならぬようあらゆることに気を配って育ててきたという。しかし、子供の入学期が迫って初めて「籍」が心配になり昭和30年12月にスエーデン公使館に話をすると、「その子は明らかにスエーデン国籍だから返して欲しい」といたって事務的に言われたとか。

ヒデ子さんは「今別れることは永遠に別れること、どうしても返さなければならないのなら、せめて文通ができるまで育てたい。その用意に母国の言葉が必要ならば幾らでも努力する」と言っていたそうだが・・・「返す」という言葉に妙に反応せざるを得ない。

マリアンヌちゃんは問題が解決するまでは武相学園小学部に通うことになり、この記事が出た3月は同じ校内の幼稚園に通っていた。幼稚園の先生やおかあさん達、地元白幡青年会、新生協の婦人たちは署名運動まで行っていた模様。

記事は法律関係者のコメントとして、「母親が存命中に何か特別の依頼をしている事がよほどはっきりとした証拠で明らかにならないと、法的には引き渡しに応じなくてはならなくなるだろう、としめくくっている。

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同じ記事にスウェーデン側(当時はスエーデン)の訴状内容が記載されている。

①こどもはマリアンヌ・ウィルソン(6歳)といい、昭和24年スエーデン人婦人ヴィヴィアン・ウィルソンさんを母とし、在日米国軍ジェームス・ヴォーンさんを父として横浜に生まれた。母親は翌年8月に死んで山口(旧姓金子)ヒデ子さんに引き取られた。

②母親はスエーデン人であり、スエーデンの国籍法によると、母がスエーデン人で正式の婚姻によらないで生まれた子は同国の国籍をもつから、マリアンヌちゃんは生まれながらのスエーデン人である。

➂ラーゲルフェルト男爵は昭和30年12月ストックホルム市裁判所からマリアンヌの監護権者(後見人)を命ぜられたので、引渡を要求したが応じられなかった。

➃マリアンヌが祖国語もわからず祖国の教養に恵まれないスエーデン人になることは悲劇であり、山口さんの長い間養ってきた苦労は察するが個人的感情で幼児の幸福を左右すべきではない。

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私の疑問:  

私の引っかかるのはジェームズが突然帰ったとヒデ子さんが言っていることにある。突然帰ってその後連絡が途絶えるような人が米国上院議員を動かしてまでヴィヴィアンと娘の市民権を得るべく働きかけるであろうか? 

前述の通り、私はヴィヴィアンの父にあたるジョン・ウィルソン教授が5年間も国際赤十字を始め日米孤児救済委員会などを介してマリアンヌちゃんを探していた事を信じる。何故ならば、金子ヒデ子が突然スウェーデン公使館に姿を表し、国籍云々を言っただけで、当時全てが国王の信任なければ何事も決められなかったスウェーデンが即座に在日公使を監護権者として任命するだろうか? この行為は、長年マリアンヌちゃんを探していたからこそなされたものではないのだろうか?
最終更新:2006年08月06日 15:13