「大学時代の記録」(2005/07/31 (日) 23:17:44) の最新版変更点
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*大学時代(2001~2005)
**大学一年時・2001年
4月
*大学時代(2001~2005)
-浪人後、晴れて国際基督教大学へ入学。
**大学一年時・2001年
4月
-男子寮へ入った。キリスト教系だった高校寮とは違い、まったく何をしてもいい自由な雰囲気は最高だった。
-学校の方はというと、何もわかってないのに期待してたから、期待はすぐつぶれた。ちゃんと考えなきゃね。何をしたいかは。
-知らない人が多いという環境はかなり重圧的。
5月
-男子寮ボールを手伝う。中高5年間のキャリアとして、授業すべてを放棄して大道具を手伝う。満たされる。
3月
-南米へ渡る。アンデス山脈をトレッキング。しかし4000mで高山病に。19年の短い人生が走馬灯のように駆け巡った。
**大学二年時・2002年
5月
-ゆいと晴れて付き合うことになる。
9月
-このままでは何しに大学へきたのかわからなくなると思い、涙の退寮。問題の根本は流されやすい性格なのに…。そしてアパートを借り、積極的に開発学関連ののゼミや研究会へ出席。教育開発に出会い、これだと思ってUNESCOを志す。
12-1月
-シリア・ヨルダン・レバノン・イスラエルへ渡る。日本でのニュースと現地では伝わってくるモノが全く違う。気が滅入った。
2月
-縁があって、国際協力NGO「アドラ・ジャパン」で1年半ほどインターンを経験する。主な仕事はファンドレイジングと寄付金管理。財務に近い仕事に関わっていたためか、日本のNGOはこのままじゃダメだという危機感が染みこむ。
3月
-ケニア・タンザニアへ。圧倒的に外資(華僑・印僑)が経済を支配し、現地人が虐げられている様子を見て、妙に生まれ故郷・沖縄がかぶってきた。
**大学三年時・2003年
7月
-開発コンサルタント会社「IC-Net」主催の国際協力研修を20日間受ける。
PCM理論や組織強化を学ぶうちに、開発の現場はビジネスでやっていることの
マネであると考えた。また、インターン先の問題解決につながる気づきも多く、
教育開発ではなくNGOで起業してみたいと漠然と思う。そのため、就活を考える。
2004年 就職活動をやってみるが、どの企業の仕事も心にひっかからない。
1月 やりたいことに直結しないと、どうもモチベーションがわかない性格みたいだ。
卒業がムリなことも手伝い、途中でやめる。
4月 国際経営学のゼミへ入る。しかし研究内容は、「非営利組織の経営」一直線。
7月 ゼミの先輩が働いている企業へ、マーケティングスタッフとしてスカウトされる。
経営学の実践の場で金ももらえると思い、浮かれまくって仕事を始める。
しかし、高く買ってもらった先輩の期待を一週間で裏切り、ビジネスが
全く甘くない事を悟る。こんなんでNGO起業できるのかと、ネガティブへ。
2005年 その後現在まで、学校へ通いながら仕事という両立に精を出す。
精をだしてやっと使える人間になったが、初心を忘れている今日この頃なので
原点を思い出そうと活動再開をもくろむ。
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