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通訳残留 9


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バスの座席に深く身を沈めながら、私は目を閉じていた。
快晴の朝の光がまぶたを透過して、黒いはずの闇をおぼろげな白に変えている。
シャワーを含めた朝の支度を終え、こうやって学園行きのバスに乗り込んでも尚、私の意識はおぼろげなままだった。
通学に使っているバスが、利用者の少ない路線であるために大抵は閑散としていて、
通勤通学の時間帯でさえもこうして座席に空きがあるというのは、今の私には有難かった。
立っている人はいないけど、座席はほとんど埋まっているといった状態の車内には、丁度一人分の座席の空きがあり、私はそこに落ち着けた。
腰をおろした際、座席からはほんのりとした人肌の熱が感じられた。
バス停に車両がやってきたときに、一人降りた人がいたけど、きっとそれまでその人が座っていたのだろう。
知らない人のぬくもり、というのは普通はあまり良い気分はしない。
けれど綺麗に入れ替わる形で私が座った、という事を考えると、座席を前の人から受け継いだみたいな気がして、薄い微かな嫌悪は相殺された。
 
体はバスの移動を伝えてくる。
目を閉じていて外の様子がわからなくても、角を曲がるたびに重力が働いてくる。右折なら左半身に。左折なら右半身といった具合に。
そんな風に揺られていると、時折バスが停止する。
停止するのは信号機が赤だったりバス停があったからだったり。
こういった市営のバスは、環境保護の観点からか、停車するときはエンジンも含めて完全に止まってしまう。
先ほどまで恒常的に耳や体に届いていた空気の振動がピタリと止む。すると、車内は水を打ったような静けさに包まれる。
それはまるで、エンジンの振動や音だけでなく、空気も時間さえも止まってしまったかのようだった。
そんな奇妙な世界が、訪れては去り、またやってくる。
その繰り返しの何度目か。不意に、以前バスで眠ってしまった時に見た夢の記憶がよみがえってきた。
 
それはあの、今や私の頭の片隅にしっかりと根を張ってしまった一日。その終わりに見た夢。
奇妙なトラ吉の通訳。その日の終わりに、こことは別の路線のバスで同僚君と出会った後に見た夢。
 
いつも、こうやって眠りに入るつもりで目を閉じると、起きている時には全く失念、忘却していた筈の記憶が頭に浮かんでくる。
脳の神経は網のようになっていて、近しい事象の記憶は神経回路でつながっているとかいう話だ。
なのできっと、似たような状況になることで、思い出せなかったコトが思い出させるのだろう。
特に、意識が形を成さなくなってくる『眠り』という状況では、記憶は鮮明な幻視となって再生された。
   ◇
夢の中では、私はまだ幼い頃の姿で、やっぱり同じく幼稚園生くらいの姿で同僚君も登場してきた。
彼の小さかった頃なんて見た事はないのだけれど、そこはやっぱり夢らしく、私はなんの疑問も抱かない。
私たちは、その年頃の子達がするように、あまり意味のない遊びに興じていた。
大人には理解できないような、『おままごと』とか『おにごっこ』と言ったはっきりとした名称や形式の存在しない、二人の間だけで通じる愉しみ。
原っぱで元気に駆け回ったり、立ち止まって目に付いた動物や大人の真似をしてみたかと思うと、夢見る私にさえも全く意味のわからない言動を繰り返したり。
それは、ほほ笑ましい子供の姿そのものだった。
将来への不安も自分自身に対する疑問もない、幼い子供の幸せな一場面。
文字通り、『夢のような』光景だった。
   ◇
バスは、再び静止する。 
夢の狭間から帰還すべく、私は重い瞼を押し上げた。
意識の半分が埋没していた幸せな夢想の世界は、春めいた柔らかい色彩もろともに消え去っていく。
見開いた目に映ったのはバス内にひしめき合って立つ、乗客の姿だった。
私が目を閉じている間に乗り込んできたのだろう。
車内に足を踏み入れたばかりの頃には、後ろの座席から、見ているだけで寒くなるような青空が、フロントガラスの向こう側にあるのが見通せた。
けれど今は、ベージュやエンジ色などの暖色系を中心としたコートが、森の木みたいに視界を遮っている。
通常、ほとんど人がいないこのバスであっても、通勤通学の時間帯には混雑は免れないのだ。
私は座席の中で少しだけたじろいで、膝の上の鞄や衣服の乱れを整えた。
バスの乗客は、満員という程ではないけれど、釣り革は全て誰かしらの手によって握られている。
だと言うのに、車内の空気は冷やりとしたモノを含んでいた。
バスは私が乗る前からヒーターを作動させていた筈だし、これだけの人がいれば車内は人いきれで満たされるはずなのに。
『おそらくは今年一番の冷え込みになる』と予報された一日の始まりは、暖房のきいた車内にまで沁みわたる様な冷気が満ちていた。
  視線を、通路とは反対側に向けると同時にバスが発車した。
縁石のある歩道の先に見えていた、コンビニや住宅の塀はバスの速度に比例して輪郭を曖昧にしていき、遂には過ぎ去る『色の幻影』になってしまった。
窓には、こちらを見つめ返す少女が映る。黒のダッフルコートを羽織った上に、人形めいた顔が乗っていて、その瞳はどことなく虚ろだった。
「―――――――・・・・・・・・・・」
あれから・・・ずっと考えていた。
もしも、ずっと昔に同僚君と出会っていたなら、私達はあの夢の中のように、何かを憚ることのない関係でいられたのかも知れない。
彼と一緒にいる事に息苦しさなんて覚えない関係になれたのかも知れない。
 
同僚君は私と同じ寂しさを抱えていた。
自分は他人とは違うから、自分の考える事が他人には通じない。
自分が普通だと思っていることをやっても理解されずに変な目で見られてしまう。
それが、まるで自分だけ普通の人とは別の存在で、永劫に溶け込めない部分を含んでいるような。
ずっと一人なんだって言う、耐えられない程の寂しさを。
あの時の彼は確かに心に抱いていた。
「似ているって・・・そういうことですか?」
プツリと――――息だけで呟く。
トラ吉が言っていたのはこういう事なのだろうか?
私達が似ているのは、同じ寂しさを抱えているのだからなのだろうか?
でも、一体なんでだろう?
彼は、あの胃の締め付けられる寂しさは、やっぱり一人でいるから?
だったら何故、一人でいるのだろう?男さんがあんなにも必死になって説得しているのだから、それを受け入れればいいのに・・・・
なんで、あんなに冷たく跳ねのけるんだろう?
あんな男さんの決意を踏みにじるような酷い事をして、同僚君は一体何がしたかったのだろう?
 
考え始めると、疑問符で頭が埋め尽くされてしまう。
そもそも同僚君は、あの寂しさが嫌じゃないのだろうか?辛くはないのだろうか?
私の読心を受け付けないくらいだから、あり得ない話じゃない。
ピッタリと心を閉ざせる彼になら、私を悩ます程度の寂しさなんて大した事じゃ無いのかもしれない。
でも・・・・・・・
そんな彼の閉ざされた心を、押しあけて出てくるくらいの感情だ。
どちらにしろ平気なはずはない。
彼が、私と同じくらい、もしかしたらそれ以上の孤独に心を苛まれているのは、確かな筈だ。
それだったら、彼が男さんをあそこで拒んだ理由はなんなんだろう?
男さんの記憶からすれば、やはり中学時代の一件に理由があるに違いない。
だけど私も男さんと同様に、何故それが親しかった人間さえも拒絶する理由になるのかが分からなかった。
本当に、同僚君は一体何を考えているんだろう?
彼については、ちょっと心が読めたからと言っても、解らないことだらけだ。やっぱり彼は変な人である。
分からないことだらけの今回の事について、私が言えることと言えば、恐らくは―――
 
「もう、無関心では、とても、とても・・・」
 
誰に言うでもなく口にする。
そうだ。今までのように、私が同僚君の問題に対して無関心でいることなんて出来ない。
いくら、人に対する興味の薄い私でも、それだけは出来ないし、したくなかった。
男さんの顔が頭をよぎる(あの時の彼の悲痛な顔が窓に映ったような気がした)。
彼は、もう同僚君を見限ってしまった。
心では、まだ同僚君のことをなんとかしたいと思ってはいても、頭では完全に関係を終えるつもりでいた。
あの時の男さんからは、そう言った意志が確かに感じられた。
今は多少の未練は残っているかもしれないけど、時間が経つにつれて同僚君の事を気にかけなくなっていくだろう。
そうなったら、同僚君は本当に独りだ。
そこからは、もう後戻りはきかない。
それはやっぱりとても寂しいことなのではないだろうか?
昔からの親友を失ってしまうのは、孤立してもなお気にかけてくれる人間を失ってしまうのは。
寂しくて、悲しくて、辛い事だと思う。
事実、同僚君だって隠しきれない程の寂しさを感じていた。
彼が強情な人間なのは、男さんの記憶からも私の経験からもなんとなくわかる。
なんでかは知らないけど、その性格のために素直に男さんや周りの人間を受け入れられない事も。
けれど、それでも。
できることなら、こんな寂しさはない方がいい筈だ。解消できるなら、そうするべきだと思う。
頑なな同僚君の意思を解きほぐす事の出来る人間・・・・・・・・・
男さんは、必死にそれをしようとしたけど、ダメだった。ダメだったから、諦めて離れていこうと今は考えている。
でも、心の読める私なら、彼の心から自分と同じ寂しさを読み取ることのできる私なら、同僚君の意思を解きほぐして、また元の関係に戻ろうと思わせられないだろうか?
時間は、あまりない。
まだ男さんが心の中で同僚君との関係を気にしているうちに、修復しなければいけない。
時間が経てば経つほど男さんの心は同僚君から離れて行って、仮に関係の修復をこちらから申し出ても、今度はあちらから跳ね退けられてしまうかもしれない。
私ならば、『同僚君とは飼育委員』、『男さんとは友人』という繋がりがあるし、あの現場を見ているから、仲介を申し出ても不自然ではないはずだ。
時間的な面から考えても、同僚君と話し合うのは明日の飼育当番の日をおいて他にはない。
 
――――――次の停留所で降りる事を告げる、ブザーの音が鼓膜に突き刺さった。
遅れてバスのアナウンスが響く。
女の人の声を録音したその放送は、次の停留所が新ジャンル学園前、すなわち私の降りるバス停であることを示していた。
 
・・・・・・私は、何を馬鹿な事を考えていたのだろう。
確かに私は心が読めるけど、だからなんだというのだろう?
同僚君とは飼育委員の同僚だし、男さんとも親しくていて、さらには二人が決裂する現場までも、しっかりと目撃している。
だけど、私と同僚君は結局のところ他人だ。
彼が私の生活の中で占める部分なんてたかが知れている。知りあってから1年と経ってもいない。
つまり私には、男さんのように彼をどうにかする義理や理由なんて、本来存在しない。
そんな私が、一体何をしゃしゃり出ようとしているのだろうか?
きっと、にべもなく跳ね付けられて、私は傷つくに決まっている。
 
バスは、次第に速度を落とし始めた。
窓の外の景色はそろそろ降りる準備を始めなければいけない事を私に告げている。
外に見える大通り。そこから一段狭い住宅街の中を行く道へ進入するためにバスは速度を落としている。
左折すればバス停はすぐそこに視認できるはずだ。
  私は乗り込んだときに、スカートのポケットに入れておいたバスカードを取り出した。
5000円分バスを利用できるそのカードは、使用した事を示す穴が丁度真ん中あたりまで並んでいる。
 
座席についてからは外されて、小さく丸まっていた手袋を再びはめた。
ハンカチくらいの厚さの比較的薄い手袋は、私の細い指の輪郭を保ちながらも、綿やポリエステルなどが合成された生地によってしっかりと外気を遮断してくれる。
先ほどまで私の心にあった、もうすぐバス停だという焦りが、両手に感じていた冷気と一緒に薄らいでいった。
 
―――いや、本当は、解っている。
私は同僚君と男さんを仲直りさせたい。
それが紛れもなく私自身が抱いている望みであることは、解っている。
男さんは同僚君との関係を終わらせる事を悲痛に思いながらも、それ以上にどうしようもない現実に対して絶望し倦み疲れている。
同僚君は同僚君で、やはり男さんが離れて行ってしまう事に対して、私に読心を許す程の深い寂しさを抱いている。
二人とも苦しく辛い思いをしているのにも関わらず、今やそれを解消する方向性を失ってしまっていた。
同僚君が男さんや周囲の人間を拒絶し続ける、その根本的な理由を解消しさえすれば、後は何とかなると思う。
けれど、その為には障害がありすぎた。
まずもって当の本人達が既に解決する意思がない。
それに、私・・・・・・さっき考えた通り、関係的にも状況的にも何とか出来るのは私しかいなかった。
けど私には同僚君を説得できる自信がなかった。と、いうよりも、同僚君を説得するのに失敗して傷つくのが怖かったのだ。
そう。未だに同僚君は、私にとっては『怖い』人だった。
彼が何故人を拒絶するのか、ある程度のヒントは得たけれど、それでも同僚君が心の読めない相手であることに変わりはない。
しっかりと向き合って頑張って意識を集中すれば、もうちょっとは読めそうだけど、彼を前にして言いたい事をはっきり言えるかどうかは怪しかった。
もっと言うと、誰かを説得するなんて事が初めてで、どんな風にすれば良いかが分からない。
それが、同僚君を説得することに対する恐怖に拍車をかけている。
今まで、誰かの意思を通訳したことはあった。けれどそれは、あくまで誰かの代弁であって私自身の気持ちはそこにない。
誰かの心が動くから、通訳も反応していた。
今は、なんとなく『通訳』するのではなく自分の意思で『説得』したいと思っている。
そうなって初めて、今までやってきたことがどれほど単純なことだったか、思い知らされた気分だった。
私が今抱いているこれは、他の誰の物でもなく、紛れもない私自身の意思。
けれどその意思は尻込みをしているか弱いもので、今のままではとても実行に移すことは難しい。
今まで『通訳』しかしてこなかった私には、『説得』する資格なんて無いのではないか?
そんな考えと同僚君への恐れが、私の意思が一線を越えるのをとどめ続けていた。
 
なにか、後押しが欲しかった。
 
誰でもいいから、『私にも出来る』『私が同僚君を説得しても良い』という後押しをしてほしかった。
 
バスが停止して、車内の人間を、中よりも更に寒い外へと押し出す列に加わりながら、私はそんな事を思う。

もしかするとその『後押し』は、今まであまり多くを望まなかった私が、心の底から渇望していたモノだったのかもしれなかった。