日本の野球

2127 :トミー ◆DP8T6w/4nI:2013/01/03(木) 23:31:33 ID:Hdrt.o3w
本スレで日本人の特性をワインに泥水っていう表現で例えてたけど、
全体主義で反知性主義でサドマゾヒズムにされた日本人と
完全に融合したのが野球だなと色々読んでて思った。
野球を楽しみたいという真っ当な考えを持った子供たちが、
勝利至上主義に染まった精神論者の餌食になり、
そういう偏った思想に染まらなければ野球が出来ない環境になっている。
自分も中学3年間野球部にいたけど、最初の2年間の顧問は勝利至上主義でありながら
技術的指導は殆どなく、失敗をすればただ怒りをぶちまけるような人だった。
そんな人が顧問でありながら自分は当時、
先生は絶対的で恐いもので敬うものという洗脳と、それが野球だという洗脳でそれを疑うことは無かった。

あまり日本を知らない外国人に日本を紹介する時、
日本の異常性が詰まってる未成年の野球風景を見せれば本当の日本理解が進むと思う。
野球に関する記事をまとめてみたから読んでみて欲しい。本当に狂気的で恐ろしい。


「野球をしに日本に来たつもりが海軍に入っていた。自分の服を洗濯し、バッグを運び、
 くどくどとうるさいコーチの説教に耐えている。コーチは訓練軍曹よりひどい。
 連中はなんでも選手全員にやらせ、あらゆる行動を指図する。走る時でさえ隊列を組み、
 掛け声をかけなければならない。コーチはそばで檄を飛ばしながら監視している」
「みんながリーダーに従い、全員が同じことをする。まるで宗教だ。
 コーチは高僧で選手は敬虔な信者といったところか」
「日本人はベタベタといつも一緒にいる。リーダーに従うのが一番だと思っている。
 自分たちのやり方に固執する。彼らの生活には“意外性”が全くない。
 現行のシステムに挑戦する人間なんてまずいない。安全でワンパターン。野球でもそうだ。
 先頭打者にヒットが出れば次の打者は99%、バントをするだろう」
「『幸せになる』というのは純粋に西洋的な発想なのかもしれない。日本人はただ黙々と義務を果たし、
 自分の時間をありったけ注ぎ込んで、期待されるとおりのことをやっている。ただ漫然とやっている。
 幸せなんか求めていないのかもしれない。『人生=義務』、きっとそれだけなのだ」

ウォーレン・クロマティ『さらばサムライ野球』より



[橘玲の日々刻々]
30年前、プロ野球のガイジン監督に対する日本人の「民度」はこんなものだった
http://diamond.jp/articles/-/26934

しかし翌年になると、様相は一変します。きっかけは、タイガースに鳴り物入りで入団した岡田彰布と、
ヤクルトから解雇された外国人内野手を競わせたことでした。ブレイザーは岡田の天性の資質を認めながらも、
いきなりプロ野球で130試合プレイするのはリスクが大きいと判断します。
しかしタイガースファンとスポーツ新聞は、ブレイザーがポンコツの(お払い箱になった)外国人選手を優遇し、
日本人の有望な若手を差別していると激怒したのです。

 この対立はブレイザーが岡田の起用にあくまでも慎重だったことでさらに激化し、ある週刊誌は、
「ブレイザーは外国人選手から賄賂を受け取っているから使わざるを得ないのだ」と事実無根の記事を掲載しました。
さらには、後楽園球場で行なわれた巨人戦の後、暴徒と化した一部のタイガースファンが、
ブレイザーと選手の家族(それも妊婦)の乗ったタクシーを取り囲み、
「アメリカへ帰れ!」「ヤンキー・ゴー・ホーム!」「死んじまえ!」などと
車に拳を叩きつけながら叫ぶという騒ぎになります。

 ブレイザーの元には毎日のように脅迫やいやがらせの手紙が送られてきて、なかには
「お前もお前の家族も殺してやる」というものもありました。今ならどれも大問題になる事件ですが、
当時は新聞も週刊誌も一切報道しませんでした。

 追いつめられたブレイザーは、阪神のフロントと対立して辞表を出すことになります。
それについてあるスポーツ新聞は
「合理的精神の持ち主であるアメリカ人の監督にはやはり日本人の考え方が理解できなかった」と書き、
セリーグの会長は「ガイジン監督は、やはり日本の野球には合わないと思います」とコメントしました。
またブレイザーの後任となった阪神の監督は、
「結局のところ、日本人の心をわかることのできるのは、日本人しかいないと思う」と記者会見で発言しました。

 日本人の「民度」も、30年前はこんなものだったのです。

 参考文献:ロバート・ホワイティング『和をもって日本となす』
 『週刊プレイボーイ』2012年10月15日発売号に掲載


2132 :脱日本人:2013/01/03(木) 23:44:07 ID:???
 >>787にもヤンキース黒田の学生時代の話がある、まあ俺が貼ったんだけど。

 >「『幸せになる』というのは純粋に西洋的な発想なのかもしれない。日本人はただ黙々と義務を果たし、
 > 自分の時間をありったけ注ぎ込んで、期待されるとおりのことをやっている。ただ漫然とやっている。
 > 幸せなんか求めていないのかもしれない。『人生=義務』、きっとそれだけなのだ」

これかなりショックな言葉だなw
でも言われたらその通り、標準って何が楽しくて社畜やったりイジメやパワハラやるんだろうと思っていたが
義務としてやっているというのなら納得だわ。
俺やここの人達みたいに、幸せになろうと思って人生を送る事自体が異端なのかもしれない。


2133 :2132:2013/01/03(木) 23:44:30 ID:???
あ、すまん貼りつけたのか。


2128 :トミー ◆DP8T6w/4nI:2013/01/03(木) 23:33:00 ID:Hdrt.o3w
全国高等学校野球選手権大会
大会運営の問題点
http://ansaikuropedia.org/wiki/%E5%85%A8%E5%9B%BD%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E9%87%8E%E7%90%83%E9%81%B8%E6%89%8B%E6%A8%A9%E5%A4%A7%E4%BC%9A

1998年にあの松坂大輔が17回完投の疲労を訴えるというパフォーマンスを演じ、現在の延長15回終了になった。
このように数十年ごとに延長の回数を減らしはしているが、
しかしWBCのような大会を通じての投球数の制限などは一切しようとしていない。

また、選手の疲れがピークに達するはずの決勝戦を、
13:00開始という最も気温が上がる時間帯に行うという過酷な仕打ちを続けている。
さらに、勝ち進むにつれてスケジュールが緊密になり、場合によると3連戦となる。
県大会で散々ダメージを受けている後にこれである。特に投手が一人しかいない場合、
猛暑の中で3連投という、いまどき修行僧でもやらないような過酷な試練が待っている。
プロ野球でも「中3日はきつい」といわれるのにも関わらず、である。最近では投手の継投制を採ったり、
投手を複数用意して過酷な日程に対応するケースが目立つが、過酷なことに変わりはない。

8月初旬~中旬という最も暑い時期に開催される。これは水泳など、
一部を除いていかなるスポーツにおいても身体的な負担から最も不適な時期である。
ほとんどの日本人は、生まれたときにはすでにこの大会が開催されているので疑問にすら思わないが、
外国からは非常に奇妙に映る。現に外国人記者が「なぜこの時期にスポーツをするのか理解できない」と評されたことがある。
このように、甲子園での活躍選手、優勝選手、特に投手はプロ野球に進んだとしても怪我などで活躍できないことが非常に多い。
たとえ活躍している選手でも、松坂大輔ですら、西武時代は毎年のように怪我をして、オールスターを欠場したことがあり、
読売ジャイアンツの桑田真澄などは丸一年登板しない年があった。
こうして選手に五体満足ではいられないほどの負担を掛けるのが現在の高校野球大会の実態であり、
大会を盛り上げてくれれば選手の将来や健康などは知ったことではないのである。



高校野球の真実  「enjoy baseball」を解き明かせ!
http://www006.upp.so-net.ne.jp/esbok/-koukouyakyuunoshinnjitsu.htm

2.高校野球の問題点

戦後50年。高校野球は時代に取り残されている。
軍隊のように足並みそろえた入場行進。過剰なまでのお辞儀。一律化をもとめる坊主頭。
これがはたして理想とする高校生らしさだろうか?
これらの現状は野球学校(甲子園に出て名前をあげようとする学校)においてよくみられる。
そこで野球学校の特徴を上げてみる。

有望な中学生を推薦で取る。
監督は絶対で監督の意見に逆らうことは出来ない。
上下関係が厳しく、グランド整備などの雑用は当然下級生の仕事で、
その日の練習が声出しや球拾いだけだったり、ひどいところでは先輩に口も聞けないところもあるという。
スパルタ。体罰はあたりまえ。意味のない罰則のような練習がある。
たとえば練習が夜の10時までキャッチボールだけとか、グランド40周とか、
試合で負けたピッチャーに異様なまでの投げ込みを課すなど。
レギュラーだけの練習で、故障した選手は捨てられ他の選手を補充する。層の厚さに物を言わせた練習をする。
選手はみんな坊主。(減ってきた)
精神論を唱え根性で何でも出来るという。
off がない。ほぼ1年中練習。1月1日は休みだが、監督の家に挨拶に行く。また、一日の練習も長い。
このシステムは、監督が選手を動かすのに一番楽な方法である。

自分を恐い存在と思わせることで、絶対的な権力をもち、
自分の命令に対して有無を言わさず服従させることができるからである。
選手は不平や不満があっても口には出せない状況で、むしろ選手は疑問をもつことすらない可能性もある。
つまり、与えられたことはきちんとこなすが、自分で考えることは出来ない様に洗脳されているのである。
甲子園を観て、ぞっとする事はないだろうか。
坊主頭でみんな一緒に見えて、操り人形のように同じ挨拶をし、
キチガイのように守備位置までをダッシュする人間味のない動きに。
高野連(高校野球連盟)の人間はこれを高校生らしい爽やかさだと言うのである。
しかし、たとえば甲子園のベンチからレフトの守備位置まで90メートル。
一試合18本のダッシュ。無駄なスタミナの浪費だと思いませんか?


2129 :トミー ◆DP8T6w/4nI:2013/01/03(木) 23:34:35 ID:Hdrt.o3w
カメラータ・デイ・タマキ
高校野球の「教育」が「暴力」を生む
http://www.tamakimasayuki.com/sport_bn_61.htm

 「スポーツ選手は罰の体系のもとで機能している」
 そのように喝破したのはアメリカのスポーツ心理学者であるデューカス・スーザン・バットであり、
彼女は、そのようなスポーツのあり方を、最も「非スポーツ的」なものとして非難した
(『文明としてのスポーツ』(日本経済新聞社・刊より)。

 プレイでミスをすれば腕立て伏せ20回。集合時間に遅れたらグラウンド10周・・・。
そのような「罰」が課されると、何のためにスポーツをプレイしているのか、何のために規則を守るのか、
といった理由は忘れられ、選手は、ただただ「罰」を恐れ、その「罰」を回避しようとしてプレイするようになる。

 さらに、「罰」は「体罰」へとエスカレートし、
スポーツ選手は指導者の「暴力」を恐れ、文字通り必死になってプレイするようになる・・・。
 そのようなスポーツにおける「罰の体系」で、最も陰惨だったのが、
サダム・フセイン政権下のイラクのスポーツ選手だった。

(中略)

スポーツとは基本的に遊びであり、楽しいものであり、楽しいから自発的に行われるものである。
この基本が蔑(ないがし)ろにされ、「命令」や「罰」によってスポーツが強制されることになると、
それはもはやスポーツとはいえない「別物」(体育?興業?)になってしまい、
スポーツが自然に有している教育的要素も失われてしまう。

 そして「命令」や「罰」によってでもやらせなければならない目的(スポーツをやること以外の目的)が前に出て、
「命令」や「罰」は、「体罰」や「暴力」へとエスカレートする。
 さらに「暴力」は「隠蔽」され、発覚したら「罰」が与えられ、「罰」を恐れて「隠蔽」する・・・という悪循環を生む。

 駒大苫小牧以外にも最近は高校野球部の暴力事件が続発している。
 その根本的原因は、高校野球に野球(スポーツ)をやる(楽しむ)こと以外の別の目的が存在しているから、といえる。
高校の野球部は高校生の課外活動であり、演劇部や軽音楽部と同様、正式な高等学校教育ではないはずだ。

 にもかかわらず、高野連を初めとする高校野球関係者が「教育、教育」と連呼するのは、
野球(スポーツ)に教育的要素が自然に備わっていることを知らないからか、
あるいは、さらに別の目的(新聞の拡販?私学の宣伝?)が存在することを隠蔽したいからか?

 いずれにしろ、「教育」の連呼を止めないかぎり、高校野球の「暴力」と「罰」の連鎖は幕を閉じないだろう。
 今回の「事件」を受けて高野連は「暴力のない高校野球を目指して」と題した声明を発表した。
「目指して」などと書かなければならない甘さは、もはや笑うほかない。
どうして「暴力部長」や「暴力監督」をきちんと指導できないのか? 
それは、高野連自体が、「罰」をくだす頂上に君臨しているからにちがいない。
 高校の野球部の多くが高野連の下す「罰」を恐れて行動しているナンセンスに、
高野連関係者は気づいていない(気づかぬふりをしている?)のか?



ニューヴォイス 嶋村プロ
◎ 永遠の課題
http://www.shimamura.ne.jp/column/060726.htm

甲子園を目指す高校野球は素晴らしいものなのだが、
今年も嫌な記事を目にするとやりきれない想いにかられる。
秋田県の代表に決まった学校が準決勝で故意に三振をしたり、
ランナーがわざとアウトになるような行為をしたというニュースを読んだ。
大量点のリードを奪っていたら、雨が激しくなりコールド勝より、
ノーゲームになりそうだったので試合展開を故意に早めようとしたのだった。
勿論、監督からの指示が出ていたという。

高校野球の悪しき弊害と言える「勝利至上主義」は相変わらずなくならない。
かつて、甲子園で星稜の松井秀喜選手に対する五つの敬遠が話題になった。
真剣勝負をすべきという意見と作戦だから許されるという考えが対立した。
敬遠は卑怯と片付けてしまえばそれまでだが、敬遠は野球の作戦の中に現実には行われている。
この時も「勝利至上主義」が話題になったのだが、今回のケースとは違う。
恐らく、今回の選手たちには「罪悪感」「後味の悪さ」がずっとついてまわるのではあるまいか。
改めて、指導者のあり方が問われることになるだろう。


2130 :トミー ◆DP8T6w/4nI:2013/01/03(木) 23:40:22 ID:Hdrt.o3w
zakzak
NYも驚愕! 「熱い屋根の上で正座」 黒田が米紙に語った仰天エピソードの数々
http://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20121011/bbl1210111136007-n1.htm

「黒田が少年時代に置かれた環境は米国だったら犯罪になるのではないか。
最近、日本でも親が訴訟をおこすなど、状況は劇的に変わっているが、
当時は児童虐待、いじめだった。黒田はしごきを体験した最後の世代だ」

(中略)

水を飲むことが禁止されたまま、早朝から深夜までの練習、正座、ケツバット。
およそ米国人には信じられない日本の野球カルチャーのオンパレードだったからだ。
前近代的な野球練習を体験したことのある日本の熟年世代の元球児たちでも、驚かされる事実が並んでいた。

 大阪・上宮高校時代、練習中にのどの渇きに耐えかねた選手たちが、監督の目を盗んで川や水たまり、
トイレの水を飲んだエピソードは、異様な光景として同紙の中で紹介されている。

 「そういう時代だったんでしょうね。練習中に水は飲んではいけないと監督が信じていましたから。
みんなよく気絶したものです。自分も川に水を飲みに行きました。
きれいな川ではありませんでしたが、きれいだと信じたかったですね」(黒田)。

 高校1年のとき、制球を乱して自滅したあと、罰走を命じられた場面も驚きだ。
朝6時から午後9時まで、15時間連続で4日間走り続けたという。もちろん水を飲むのは禁止だった。

 「野球を続けるためには、生き残らなくてはならなかったのです。
そのためには免疫機能を鍛えるなければいけなかったですね。
小学校のときから軍隊にいるみたいなもで、ミスをすればケツバット。次の日は椅子に座れない」(黒田)。

 先輩に怒鳴られ、焼けた歩道に正座をさせられて殴られるのは日常茶飯事。
専修大学へ進学してからは、4人部屋に詰め込まれ、
下級生は早く起きて先輩の靴下を手洗いをしなければならなかった。

 「大学1年生のときは基本的に奴隷です。洗濯ができていないと、
今度は熱くなっている屋根の上に正座させられました。足の感覚がなくなり、はって部屋に帰ることになるのです」

 米国ではスポーツは娯楽、が大前提。同紙は「ほとんど信じられない話ばかりだが、
黒田は真顔ですべて本当だと言った。黒田にはマウンドで臆する様子がない。
それも彼の歩んできた人生を考えれば当然かもしれない」と結んでいる。


Number Web
<外国人監督が語る> ニッポン野球の正体。 ~バレンタイン・ヒルマン・ブラウン・コリンズの証言~
http://number.bunshun.jp/articles/-/71342?page=3

'07年にオリックスの監督を引き受けたテリー・コリンズは、日本人のトレーニング過剰が気になった。
1月の合同自主トレしかり、春季キャンプの夜明けから日没までのトレーニングしかり、
シーズン中の試合前の長ったらしい練習しかり、強圧的なコーチが主導する秋季キャンプしかり。

 コリンズに言わせれば、「日本人選手のコンディションは、3月の時点なら世界一だろう。
だからWBCであんなにいい結果が残せるんだ。しかし8月にはガス欠になる。特にピッチャーが肩を壊す」。
 コリンズは2年目の'08年、シーズン半ばにして辞任した。

「日本人の異常な練習好きに嫌気がさした。ピッチャーはブルペンで毎日投げ込んでいる。
やめるように忠告したが、聞く耳を持たない。これ以上我慢できないよ」

(中略)

ヒルマンが講演の聴衆からされた忠告の中身。

'07年、ヒルマンは札幌の保守的なビジネスマングループから講演を頼まれた。
彼はそのなかで、選手を褒めることと、一対一の対話の重要性を強調した。
そして日本では監督やコーチが選手を殴ったり、脅したり、体罰を加える傾向があると非難した。

「聴衆は私の指導法にあまり興味がなさそうだった」とヒルマン。「なぜ私に講演を頼んだのか不思議だね。
日本人は上から命令されたり怒鳴られたりするのが好きなのさ。聴衆から忠告された。
あなたはもっと強く出るべきだ、さもないとなめられて収拾がつかなくなりますよ、とね。
だからこう言ってやった。それは単にあなたの権勢欲を満足させるためでしょう。相手をへこませる必要がどこにありますか、と」
 同年、リーグ連覇を果たした後、ヒルマンは帰国を決意した。故郷テキサスへ戻り、こう語った。

「日本野球は本当に変化しているのかな。古臭いやり方が少しは薄れたと思ったけど、あまり変わっていない。
へとへとになるまで練習するし、フルカウントにもちこみたがる」


2135 :脱日本人:2013/01/03(木) 23:50:30 ID:???
 >「なぜ私に講演を頼んだのか不思議だね。
 >日本人は上から命令されたり怒鳴られたりするのが好きなのさ。聴衆から忠告された。
 >あなたはもっと強く出るべきだ、さもないとなめられて収拾がつかなくなりますよ、とね。
 >だからこう言ってやった。それは単にあなたの権勢欲を満足させるためでしょう。相手をへこませる必要がどこにありますか、と」

これ普通の国なら正論なんだろうけど、日本だと本当に舐められてしまうからね。
権勢欲がなくとも下らない威嚇めいた態度を取り続けるというバカげた行動を
普通の大人社会でまでやらないといけないのがこの国の現実。


2131 :トミー ◆DP8T6w/4nI:2013/01/03(木) 23:43:39 ID:Hdrt.o3w
少年野球の親
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2012/0624/518609.htm

少年野球(スポーツ少年団)をしている小学生の親です。
子どもは野球を始めて2年目ですが、始めて1ヶ月で腕を骨折してしまい、
完治後また同じところを骨折し、昨年はほとんど練習ができませんでした。
本格的に練習を再開できたのが今年の1月。つまり半年の経験です。

そんな中、他の母親から
「投げ方がなってない。そろそろちゃんと投げられないとね。もっと練習させなくちゃ」とか、
「体力がない。自主練で走りこみするなりしないとダメ」だとか言われます。
そのたびに「そうですね~」とかなんとかお茶を濁してます。

子どもは野球が好きで始めていて、本人も楽しく野球ができればいいという感じです。
体は大きめでちょっと太っているように見えますが、標準内です。
体力的には同じ年代の子どもより病弱な感じもなく、元気です。ただ動きがおっとりとしています。
私は、やっと怪我が治って、楽しそうに野球をやっている子どもを見ていて、
毎日頑張っているなぁ、と思っていたのですが・・・。

スポ少は週1回の休みしかなく、毎日3時間の練習をしていて、練習後はくたくたになって帰ってきます。
宿題も疲れきった状態でやっとやってる感じなのです。
そんな子どもを見ていて、自主練をさせる気はとてもおきないのです・・・。

少年野球は、自主練しなくちゃやっていけないほどだとは思ってなかったので、正直ビックリしています。
しかも、指導者でもない母親からダメ出しされたのも気になっています。
自分の子どもに自主練させている風でもないのに・・・。
ホントに必要なら、指導者から言われると思っていたのです。
チームのレベルしだいのところはあると思うのですが、けっこうある話なんでしょうか。

私はスポ少の親として浮いているんでしょうね・・・。



REDBOYS
監督のひとりごと・・・・・指導方針について
http://www.redboys.jp/kantoku-01.html

もう一つ、具体的に常日頃、親御さんに伝えていることは、『野球をやってきてよかった』と思えるような指導をする。
これは最終目標です。

-example-

「最終目標」それは何故か?
  簡単にみんなプロ野球とか甲子園とか言いますが、山口県で簡単な計算をしてみましょう!

   1.山口県(神奈川は200近い?高校です)は60校の高校から1校だけ甲子園に選ばれます。確立60分の1です。
   2.その高校の野球部員が平均どれくらいいるか?
     40人前後です。その中の9人にえらばれなければいけません。
     高校野球をやる人間は中学校野球をやる人間の6割(3年間やり遂げる)です。
   3.その中学校に入る少年野球からは8割程度です。
     ザットですが計算していくと以下のようになります。

   小学生:8/10←中学校野球へ
   中学生:6/10←高校野球へ
   高校選手:約10/40←高校野球レギュラーへ
   甲子園:1/60←高校野球レギュラーから甲子園へ

  を掛けた物が『その年の山口県で甲子園出場者に入る人』の確率になります。
  計算すると0.002(0.2%)です。小学校から野球をしていた子から1000人に2人です。

これは本当にザットした計算ですので、学年や地域時代はいけによっても違います。
ただ、この計算だと998人が野球が好きであることによって、その競技は成り立っていくということは確かですよね?

数字がピンと来ない人のためにもっと、具体的な例を書きますね!

今宇部市で野球をやっている子は500人程度です!

ほとんどの子が甲子園にいけないんですね!だから、最終目標があるわけです。
甲子園にはいけなかったけど、野球をやっていてよかった。と思ってもらえればいいと思っています。
キツイばっかりの練習で、もうボールも見たくない!というのでは寂しすぎます。
出来れば、全員0.2%に入って欲しいと思っていますが・・・・

ほとんどの子供が甲子園に行けない事を書きました。
だからこそ、野球だけでなく野球を通じて人間勉強(人格形成)をしていかないと、
野球漬けの日々が終わった後、99.8%の子は人間失格になる恐れがあるのではないでしょうか?


2134 :トミー ◆DP8T6w/4nI:2013/01/03(木) 23:48:59 ID:Hdrt.o3w
あま野球日記@大学野球
桑田真澄、「野球道」害毒論
http://plaza.rakuten.co.jp/amayakyuunikki/diary/201004150000/

■著書『野球を学問する』の内容は以下のとおり。

現在でもアマチュア野球界に根づく「練習量の重視」「絶対服従」「精神の鍛練」。
これは飛田穂洲の唱えた『野球道』に基づくもので、いまだに強く受け継がれている。
だが現在は多くの弊害を抱えており、桑田さんは再定義を試みる必要があると考えた。

その再定義の内容。
(1)「練習量の重視」→「練習の質の重視(サイエンス)」
長い時間をかけて練習すればいいという思想に対し、桑田さんの指摘は「いや、そう
ではなく、学生は野球だけでなく学問や遊びももっと経験すべき」と言っている。
ではどういう練習が効率的・効果的か?その答えとして「プロ野球経験者の指導が
必要」。さらにそのためには「プロ・アマの人材交流が欠かせない」と言っている。 

(2)「絶対服従」→「尊重(リスペクト)」
意味のないいじめや体罰とは決別し、指導者と選手間や、さらに先輩・審判に対して
もっと思いやりをもつ。

(3)「精神の鍛錬」→「心の調和(バランス)」
精神は野球だけで鍛えるものではなく、勉強からも遊びからも養うことができる。

(4)「野球道」→「スポーツマンシップ」
上記(1)~(3)の根幹をなすのは、「野球道」ではなく「スポーツマンシップ」である。


■これらの結論は、桑田さん自身が現役のプロ・アマ選手たちに実施したアンケート
調査の結果により導き出された。

なるほど! と思うことがいくつかあったけれど、ボクにとって残念なこともあった。
その1つは「プロ・アマの人材交流が欠かせない」という指摘について。

桑田さんの指摘を待つまでもなく、プロ・アマの人材交流が必要なのはだれもがわか
っていることなのだ。なのに、それがなぜできないかといえば、原因に「裏金」を媒介と
したブローカー(タチの悪い指導者を含む)の存在がある。その実情を最も知っている
のはアンケートに協力した現役の選手たち自身だから、その点についても調査・公表
することで徹底的にそんな輩を排除できればよかったと思う。

これまでの経緯から、この手の問題解明にプロ野球選手会が非協力的であることは
明白。だからこそ桑田さんにやってほしかった。そのことが桑田さんの願う「プロ野球
の未来」につながる懸け橋になるはずだったのだ。



あま野球日記@大学野球
飛田穂洲の唱えた「野球道」
http://plaza.rakuten.co.jp/amayakyuunikki/diary/201004160000/

■戦前から現代まで続く「練習量重視」。その元凶は、飛田穂洲の唱えた『野球道』に
あると桑田真澄さんが著書『野球を学問する』(平田竹男共著、新潮社刊)で問題視
をしていたが、では飛田穂洲という人は、いったいどんな考えをもった人物だったか?


■今日の記事は飛田穂洲のこと。wikipediaにはこう記されている。
水戸中出身、早稲田大野球部・第5代主将。ベースボールを日本発祥の武道に通じ
る「野球道」と捉え、試合よりも練習に取り組む姿勢を重要視し、学生野球は教育の
一環であると説き、「一球入魂」や「練習常善」(※)などの言葉を作った。
※「練習常善」。試合でいかなる状況においても実力を発揮しうるために、練習では
常に最善をつくすべし。過酷な猛練習の末に真の実力が備わる。

また、野球技術(プレーだけでなく選手の体格・力量、トレーニング理論なども)が進化
した現代においては、古い時代の精神論として軽視、ときには敵視される事が多い。


■ここまで書いて、ボクは1993年頃に近鉄バファローズで起きた、鈴木啓示監督と
当時エースだった野茂英雄との確執を思い出した。まるで「練習常善」の流れを汲んだ
かのように根性論を押し通す鈴木監督に対し、科学的なトレーニングを好んで取り入
れた野茂。2人の確執のエピソードが、これもwikipediaにあった。
野茂は立花龍司トレーニングコーチとのマンツーマンの指導形態で、遠投など自己流
でスタミナを作っていたが、鈴木はひたすら走りこむことを要求し、野茂が「では一体
何周走ればいいんですか?」と問うと、「何周とかと違う。野球選手はひたすら走るもん
なんや」と根性論を押し通した。

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最終更新:2018年08月11日 00:04
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