大名の定義

室町時代に守護が巨大化した守護大名が始まり。
室町時代は巨大化した守護を。
戦国時代は領地を持ち、家臣を従える武士たちを。
江戸時代は1万石以上の武士を大名としていた。

主だった大名たち

守護大名

武士と言っても半分は文官と言ってもよい。
源頼朝?地頭?と共に設置した守護?が巨大化したもの。
有名なのは
中国の大大名山名氏。全国66カ国の内11カ国を支配し、
六分の一殿と呼ばれた。

戦国大名

守護大名と違い、完全なる武士であった。
守護大名が戦国大名となったもの。
家臣や一般の武士が大名となったもの。
農民から出世たもの(秀吉に限定ですが…)
がいた。

守護大名から変化したのは、
甲斐の武田氏。
北九州の小弐氏。
等がいる。
やはり半分文官としてぬるま湯に浸かっていたのであろう。
小弐氏は大友氏や菊池氏によって滅ぼされ、一度は再興するもそれを援けた竜造寺氏の裏切りで滅亡する。
武田氏は宿敵上杉謙信?と5回の川中島の戦いを行った名将であった。
が、やはりこれは例外的であった。

家臣や一般の武士が大名となったのは、
越後の上杉謙信。
小田原の北条早雲。
等がいる。
実力でのし上がっただけあってなかなかの名将ぞろい。
上杉謙信は宿敵武田信玄?との川中島の戦いや、関東管領の地位を利用して北条攻めを行うなど名将振りを発揮した。
北条早雲は小田原から関東一帯に勢力を広げ、秀吉?にも、最後まで屈しなかったほう上司の基礎を築いた。

農民から出世していったものは秀吉限定なので
秀吉のページで解説とします。
豊臣秀吉?

大名(江戸時代)

江戸時代に入ると、大名は将軍家との関係で親藩?,譜代?,外様?の三つに分類された。
譜代は江戸や京都大阪などの重要地の近く。
親藩はその周りに。
外様は東北や九州中国四国に配置された。
武家諸法度?にそむいたり、謀反を企てたとされるとお家断絶となった。

江戸時代は基本的に大名=藩主であった。
幕府の下である程度の自治を行った藩の当主であった。

徳川将軍家の家臣として扱われ、戊辰戦争?まで特に武力行動することは無かった。
最終更新:2006年11月03日 20:12