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持論を展開します。
誰でもそうだとは限らないからな。
小説と論文は根本的に違う。
何が違うかって、「書き方」が違う。
読書感想文でも何でもいいんだけど、論文(エッセイじゃないくて)を書こうとする時は
何より論理関係を構築していく作業に徹することになる。
そうすると、一を書いてそれに二をつなげ、三を書き四を書いてから
五でまとめて六で例示。
といった具合に、あたかも蒸気機関車の車両を並列直列上下左右多次元虚数軸方向にさえ
どんどんつなぎ、合わせていくような論理思考展開になる。
ところが、小説において先ず大事なのは「書きたいこと」という小さな微細なフラグメント。
例えば、「梨花ちゃんがこうしてるのが書きたい」に始まり、
「梨花ちゃんが男のせいでこうしてるのが書きたい」
「梨花ちゃんが男のせいでこうしてそう云っているのが書きたい」
「梨花ちゃんが男のせいでこうしてそう云ってしかもあーんな情況になってるのが書きたい」
「梨花ちゃんが(略)情況に陥るための効果的な前後関係はこうあるべきだ、それが書きたい」
……といった具合だ。
要するに小説は肉付けが主な作業なのである。
プロット(骨組み)に厚みを持たせること。
あたかも、小さな微細な塵屑に水分子が集合し、
美しい雪の結晶を形成するかの如き叙情発生になるわけだ。
以上、前者と後者の違いは「展開」と「発生」の違いなのでありました。
さっきからJ.STRAUSSⅡの「こうもり」序曲を聴いてるが、
プロの演奏はやはり凄まじい。フルートやピッコロ聴いてると
寒気がしてくる。
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