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meta


私は本日、Q-hiveから地域通貨Qへの再入会拒否の回答を通知された。それで、LETS或いは自由通貨と私が呼ぶもの=metaについての再定義を迫られた。

先ず第一に、metaは、「地域」通貨というより「ネットコミュニティ」通貨としての側面を強調し、その「グローカル」な理念を極限まで追求するものである。

それから第二に、metaは、一般的な経済システムとなることを目指すものではなく、社会運動貨幣、もろもろの運動を繋ぐメディアとなることを目指すものである。例えば、運動内部での活動や労働には何をどのように支払うのか、或いはデモに何をどのように支払うのか、といった問題を提起するのがmetaである。それらは単なる「経済的」活動ではなく、「政治的」な行為なのである。

さらに第三に、metaは、「贈与」の意味を再考するものである。詳しくいえば、家族や閉鎖的共同体の外で「贈与」という出来事(奇蹟)を生起させるための道具がmetaである。

metaが優れてネットコミュニティ通貨であるということから、それが交換の対象とする財が、知・情報に集中したものだということが帰結する。脱物質化した情報は、metaが扱う対象として最も適切なものである。モノであれば、送料の問題が避けられないが、情報であれば、無料でネットでやりとりできる。metaは、「言葉」に対して何をどのように支払うか、という、お話し療法talking cureの課題を引き受けるものである。

またmetaは、闘う・遊ぶなど、資本家的「賃労働」に還元されない多数多様な自由活動に対して支払われる貨幣でもある。metaが目指すのは大まかに言って2つあり、技能交換と相互扶助である。資本家的経済の下では、市場的交換の対象とならない、言い換えれば「プロの技術」とは看做されない多様な器用仕事に対して支払われるのが円ではなくmetaである。

metaは、幻想(意味)を過剰に生産し、且つ同時に、それらから身を引き離す。言い換えれば酩酊(陶酔)と覚醒との間を時に激しく時に静かに往還し、生/死、夢想/現実の間を往還する。それは、批判(批評)或いは分析のための道具なのである。metaは、ありとあらゆる宗教及びその代理物(ナショナリズムなど)を批判する。それは、解放の一般的プログラムであるRAM WIKIにおいて流通する運動貨幣なのである。没入でもシニシズム(冷笑)でもなく、ユーモアをもってことにあたるのがmetaの倫理的姿勢である。それは社会的現実に関与し、介入し、変革する。言葉を与えるのみならず、現実の諸関係を組み替える。metaとは、理念としてのコミュニズムに向かう果てしない運動=意味生産の過程である。それは既成のあらゆる抑圧的な信仰に反対するとともに、現実の活動に生気を与える新たな信を生み出し続けるのだ。それが生み出すのは、現にあるこの世界への信である。この世界を信じること(ドゥルーズ)、それこそmetaの効用=昂揚である。

☆自由通貨meta
http://www.ccsp.jp/cc/meta/

Linda