今日もまた、桜が綺麗だ。
満開の桜を見上げていたら、ずっと昔のことを思い出した。
―これもまた、もう少しで散ってしまうのだろうか。
僕は空を見上げた。
今日はいい天気だ。空には雲一つない。こんな日は、決まって彼女がここに日向ぼっこに来るはずだ。
「今日も来ちゃいました。黒猫さんに会いに」
ほら、来た。
彼女はいつものように僕を抱き上げると、自分の膝の上に乗せる。
彼女の膝の上からの景色は、いつもと何ら変わらない。
立ち並ぶビル。光の反射。
昔と同じ位置なのに、紅なんてひとつも見えない、平和な日常。
ガラッと変わった。世界の全てが。
気が遠くなるような時間が経ったというのに、この桜の木は何一つ変わっていない。
まるで、僕みたいだ。
「この桜、もうすぐ死んじゃうんですよ」
彼女が、桜の花びらを掴まえて呟いた。その言葉が、やけにはっきり耳に残る。
「きっと、私と似てるから―」
言い終えて、掴まえた花びらを強く握りしめた。
咲良 砂希(さくら さき)。
彼女は、僕が最期をみとった奴の子孫だ。そして、だからこそ、彼女は野郎によく似ていた。
彼女もまた、何かを傷つけることでしか、人は人を幸せにできないものだと思っている。
桜次郎と同じように。
全く、馬鹿らしくて見ていられない。
彼女の私生活は、とても厳しい。
全身のアザは痛々しく、見るに耐えない。
彼女の母親は、幼い彼女を捨てた。その頃には、もうすでに父親の存在はなかった。
つまり、彼女は、もの心つく頃には、両親のいない生活を送っていたのだ。自分がどんなに大変な状況に
あるのか、彼女は幼くして理解していた。
そして、彼女は今、学校で悲惨ないじめを受けている。
家族も友達も、誰も助けてはくれない。それでも彼女は、学校に変わらず通っていた。
そして、いつもの変わらない笑顔で、彼女は言うのだった。
『愛される必要なんて無い』と。
彼女は一体、どんな風に世界を見ているのだろう。
純粋で美しいその瞳に映っているのは、一体何だろうか。
まっすぐに見つめるその先に、一体何があるのだろう。
黒猫は彼女を見つめる。
「どうしてお前は学校にわざわざ行く?」
そう聞けば、彼女は少し困ったように笑う。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「それが、私の価値だからです」
たったそれだけ。それだけの言葉で、彼女が何を思っているのかが分かってしまう。そして、次の言葉で、
黒猫はもう駄目だと思った。
「―それに私、もうそんなに長くないから」
彼女の笑顔は、切な気に歪む。その目からは、今にも涙が溢れてしまいそうだ。
彼女の笑顔は、僕に言うのだ。
独りぼっちは嫌だと。本当は愛されたいと。誰にも助けてもらえない、支えてもらえない生活なんてたくさんだと。
―死んでゆくのが怖いと。
風が強くなってきた。
桜の花びらが、一斉に舞い散っていく。
掴まえようとする彼女の手を、華麗にすり抜けながら。宙を舞う花びらは、美しく、そして儚い。
こんなにも綺麗なのに、一瞬で落ちて失くなってしまう。
膝の上から黒猫を下ろし、彼女は立ち上がって、歩いていく。
『さようなら。』
こちらに背を向けて、そう呟いて去って行った。
そして、その言葉通り、彼女がここに来ることは二度となかった。あんなに強く、美しかった桜は、
枯れてなくなってしまったのだ。彼女と同じように。
黒猫は空を見上げた。
今日はいい天気だ。こんな日は一人で気ままに日向ぼっこをしよう。変わらないこの町を眺めながら。
新しい桜、君と一緒に。
ああ、今日もまた、桜が悲しいほどに綺麗だ。こんな日には、決まってやって来るであろう人物を
待ちながら、黒猫は思うのだった。
―これもまた、もう少しで。
…end