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あ<ここまでのまとめ>
梟雄董卓に率いられた騎馬軍を用いて、何人の武将を殺せるのかをテーマにプレイ日記を書いています。
縛りは「125~25の相性で登用or処断」、「鍛冶はたてない」、「褒美は半年に1度」、「裏切りには死を」、「初期メンバーたちを出来る限り使う」
≪犠牲者リスト≫(各回ごと、すべて処断or戦死した順)
-廬植、王匡、馬休、馬岱、馬騰、馬超、馬鉄、馬雲緑、楊氏、韓遂、龐徳、龐会、梁興、張横
-朱儁、皇甫嵩(戦死)、成宜、楊秋、李堪、王伉(戦死)、張嶷、楊柏(戦死)、馬玩、羅憲、程銀、侯選、秦宓、呂凱、楊任、楊松、陳寿
-陶謙、廖立、董承、何進、呉巨、張松、郭攸之、劉諶、劉岱、王渾、向寵、荀顗、荀勗、王業、藩濬、閻行、馮習、李氏、司馬昭、司馬伷、孔伷、樊建、傅士仁、濮陽興、毌丘甸、楊肇、馬謖、司馬師(戦死)、申儀
-王允、陳到(戦死)、毌丘倹(戦死)、袁遺、顧譚、何晏、司馬攸、司馬炎、楊済、程昱、夏侯威、典韋、司馬懿、司馬孚、司馬朗、司馬望、周旨、羊祜、張春華、王淩、辛毘、呂虔、高堂隆、王祥、王惇、何植、劉辟、王韜、丁儀
-関彝、夏侯淵、夏侯恩、曹洪、夏侯和、夏侯恵、傅巽、橋瑁、陳珪、鮑三娘、徐庶、雷銅、呉蘭、劉封、劉琦、鄧芝、陳震、★馬邈(戦死)、蘇由、典満、方悦、曹昂、曹丕、曹植、夏侯徳、万彧、陳登、董厥、呉班、関興、孫異、黄忠、黄月英、蒯良、許靖、黄祖、劉琮、趙累、趙範、黄皓、孫皓、曹純、曹爽、裴秀、高幹、劉璿、張紹、沮鵠、呂曠、袁紹、袁熙、袁尚、劉氏、沮授、審配、麹義、辛評、高柔、呂威曠、眭元進、張邈、藩鳳、穆順、曹豹、鄒靖、王桃
-龔都(戦死)、傅彤、韓莒子、荀諶、魏攸、朱霊、諸葛瞻、董允、譙周、向朗、趙広、郤正、華覈、歩協、滕胤、徐晃、曹髦、曹訓、傅僉、関靖、公孫続、公孫範、辛憲英、孟宗、劉巴、梁緒、公孫瓚、王平、張翼、孫乾、沙摩柯、諸葛喬、丁原(戦死)、厳綱、劉和、王門、鄒丹、張南、田疇、単経、張華(戦死)、田予、李厳、田楷、公孫越、蒋義渠、州泰、田豊、季雍、楊奉
-馬忠、孫朗、孫匡、樊氏、馬遵、卞喜(戦死)、楊修(戦死)、曹宇、宋謙、逢紀、陸績、夏侯尚、卑衍、婁圭、王濬、呉懿、韓当、祖茂、王粲、賈逵、施朔(戦死)、裴元紹、関寧、蒯越、麋竺、毌丘秀、帯来洞主
-蒋済、焦触、韓嵩、虞翻
-孫仲、呂拠、公孫度、郭奕、王修、許攸、陶濬(戦死)、董旻、忙牙長、董荼那、高定、胡班、霍峻、孟獲、阿会喃、鄂煥、花鬘、朱褒、木鹿大王、孟優、雍闓、劉璋、張梁、張緝、温恢
≪董卓軍武将リスト≫
-董卓、李儒、李傕(飛将)、郭汜、華雄、徐栄、樊稠、胡軫(疾走)、牛輔(疾走)、李粛(明鏡)、董白、成公英、陸凱(指導)、楼玄(繁殖)、張球、張承/胡遵(掃討)、閻圃、張衛(掃討)、張魯、徐質(猛者)、費耀(猛者)、楊昂(猛者)/胡車児、李通、于禁、邵悌(威圧)、張繍、賈詡(深謀)、鄒氏、張済(連戦)/桓範、蘇飛、国淵、韓忠、諸葛誕、蔡琰、臧覇、崔林、董昭、夏侯玄、太史慈、太史享(連戦)/杜預、楊阜(指導)、鄧茂、韓徳、張闓、朱異、謝旌、留賛、孫休(覇王)、鍾毓、張悌、王異(指導)、凌統、楊祚(築城)、蒋欽、文虎、賈範(火神)、牛金、孫魯班、周泰、何儀、程遠志、高昇、張曼成(掃討)、公孫恭、孫観、陳蹇、孫礼/賀斉、張郃、王双、黄蓋、鮑隆、管亥(連戦)/楽進、李典、曹仁/許褚
#ref(http://www4.atwiki.jp/sangokushi11?cmd=upload&act=open&pageid=2625&file=sangokushi114.png)
また今回も無駄な長文でありますが、お付き合い頂けたら幸いです。
*第5部「終焉の開演」
第10回
267年7月
南蛮での戦いが終わった頃、董卓軍本隊に出動がかかった。
濮陽の董卓軍精鋭部隊は兵を補充し、再度北海に攻め込む。
予想通り、途中の臨済港のあたりで呂布軍と戦闘になる。出てきたのは呂布の弩兵、顔良の騎馬、曹彰の騎兵、張宝の戟兵という顔ぶれ。
こちらは華雄、太史慈、張繍、張郃の各隊がそれぞれ11000、楽進隊が8000である。
同時に呂布軍の留守を狙って、平原の高唐港から賀斉隊と孫観隊が攻め入り、臨済港を陥落させる。ここで相性22の戯志才を登用する。
張繍隊の徐質の「猛者」により顔良がまた負傷し、最初に顔良隊が壊滅。
指揮官が張宝の戟兵部隊は敵ではなく、太史慈隊が撃破し、張宝を捕らえ、登用に成功。
曹彰隊は囲んで一斉で撃破し、曹彰を捕虜にして、副将の高覧を登用できた。
問題は呂布隊で、副将が知力87の張角と「威風」の張遼なので1発の乱射で酷いことになった。
だがこれも全部隊で囲んで撃破し、呂布と張遼は逃げたが張角を捕虜にした。
北海城には兵が8000しかおらず、いくら呂布とはいえ守りきれず呆気なく陥落。
またも呂布や張遼、朱桓などを逃すが、ここで閻柔、郝萌、蒋班、辛敞、眭固、諸葛靚、呂翔、呂玲琦を捕獲。
閻柔、郝萌、蒋班、辛敞が一気に登用に応じ、憧れの呂玲琦を捕虜にして、他3人を処断。
この戦いの間に登用したばかりの孫冀、張郃隊の副将厳畯が呂布軍に寝返っていた。
最近になって寝返る武将が増えてきたため、それを追って処断しようと殺伐としてきた感がある。
だが北海城の陥落後に曹彰の登用に成功した。曹彰と張宝は良い戦力になりそうである。
さらに在野の呂蒙も登用に成功していた。
267年8月
柴桑。周瑜の守る柴桑と我が軍の陸口港とは1年にわたり小競り合いをしていた。
柴桑の開発地を破壊したり、柴桑領内に連弩櫓などを作り、それを阻止しにきた敵部隊と度々交戦していた。
陸口の武将は胡遵、張悌と新たに現地で登用した凌操と留略のたった4人で、兵は30000であった。
柴桑には周瑜以下20名の武将が40000で籠っていた。
しかし1年が経った頃には、将の数にそれほど変化はないが兵数が10000まで減っていた。
こちらも兵は9000に減っていたが、ある時、敵の孫尚香隊が3000で櫓を壊しにきた。
我が軍は2部隊でこれと交戦。慌てて敵の増援3000が出てくる。両軍を撃破し、孫尚香と諸葛瑾を捕虜にして、張氏を処断した。
これを機にそのまま柴桑城に攻め込み、兵力を失った柴桑城を陥落させた。
周瑜は逃がしたが、伍延、沈瑩、張允、杜畿、麋氏、劉賢らを捕獲。
伍延、沈瑩、張允、劉賢が登用に応じ、杜畿を捕虜にして、麋氏を処断した。
さて、前々回、前回、そして今回は毎度恒例(?)の董卓様による軍議がなかった。
その理由は董卓様が未だに戦闘中で城に入っていないためであった。
董卓隊は張済、張燕、曹仁らの部隊と一緒に小沛を落とした後、寿春と下邳攻略のために施設建設をしていた。
しかしその途中で毎度妨害が入り、それらと戦闘していたため未だに入城していないのだ。
この間、張済隊や張燕隊も外にいるので副将の歩隲、陳矯が呂布軍に寝返ってしまっていた。
さらには後方で輸送部隊を率いていた厳政、劉度という2人も呂布軍に部隊ごと寝返っている。
はっきり言って、武将たちの忠誠度は半年に1度の褒賞ではどうにもならない状況になっていた。
明日は誰が董旻、張梁になっているかわからない。
それでも濮陽の留守の陳羣が曹叡、曹熊、傅嘏、龐娥という在野の武将を登用して補充していた。
裏切る者と新たに加わる者、どちらの数も増えてきたようだ。そして死ぬ者も。
267年9月
東での戦いが終わった次は西である。
大陸の西、漢中には襄陽などから集められた70000の兵がいた。
これを胡軫13000、樊稠12000、さらに臧覇12000、張曼成8000、管亥8000らに預ける。
彼らに加えて許昌太守の成公英を10000騎で参謀として久しぶりに出陣させる。
漢中太守の閻圃と5000騎を城に残し、補給隊として2000を董昭に預ける。
目指すは鄧艾勢力の江州である。江州には45000の兵がいるが目立った武将は特にいない。
漢中から騎馬で行軍して梓潼のあたりを過ぎると、同盟している鍾会軍も綿竹関へ出撃していった。
成都の鄧艾軍45000が鍾会軍に気をとられている間に成都領の東側を抜け、12月江州領へ到達する。
江州はこの頃、建寧の李傕らに向けて20000ほどが出撃していて城兵は25000であった。
先鋒の張曼成、管亥が迎撃に出てきた高翔の弩兵とぶつかる。さらに牽弘の槍兵も出てくる。
あの新野城を数刻で陥とした豪火球を放つも、江州城内に「火神」もちの郭馬がいるため効かない。
成都から援軍も来ており、軍容は名将鄧艾の10000、郝昭の10000、楊懐の8000、孟建の8000というもの。
我が胡軫軍団は江州城を前にして腹背に敵を受けることになる。幸いなことにこれらは全て戟兵であった。
さて、この後の戦いは簡単な文章にすると5行で終わるのだが、そうするには勿体ないのである。
せっかくなので胡軫軍の戦いぶりを詳しくご覧いただきたい。
「くそっ、ついに来たか」
江州の軍と戦いを初めてちょうど1か月、胡軫は焦り始めていた。
敵城に対して我が軍必殺の豪火球がまったく効果がなく、ほとんど城攻めが進んでいないからだ。
さらに成都から援軍も来たという伝令が斥候から入り、胡軫は作戦変更を迫られた。
「・・・なんだと?そうか、これならばいける」
援軍の軍容と大将の名前を聞いて胡軫にはひとつの案が浮かんでいた。
「樊稠、臧覇、張曼成、管亥たちに伝令だ!」
胡軫の号令で全軍が動き出す。
「いくぞ、左から突っ込め。樊稠の奴が押し込んだら反転するぞ」
まず胡軫隊が牽弘隊に突っ込む。「疾走」によって絶ち割られた敵軍へさらに樊稠が押し込む。
牽弘隊が混乱したのを見て、臧覇隊とやり合っている高翔の弓隊に横から突っかける。
弓兵の矢を払い落としながら敵兵を蹴散らしていく。
「よしっ、反転。もう1度向こうに突っ込んでやれ」
高翔隊も断ち割られたのを見て、胡軫は牽弘隊へ再び突っ込む。
樊稠も押し込んでおり、だいぶ崩れてきていて、揉まれて揺れる牽弘の旗が見て取れる。
あと少しで潰走させられるだろう、と胡軫が思ったとき戦場の反対の方で爆音がする。
この爆音はもちろん我が軍によるものである。
「予定通りだ、いけるぞ」
爆音が合図だったかのように樊稠隊が楔形になり、しゃにむに突っ込んでゆく。
息にして3つほどの間に樊稠が牽弘に迫り、旗が倒れるのを見た。
胡軫は次へ駈け出した。
「曼成、火ぃつけるぞ」
僚将の管亥がこちらに向かって叫ぶ。戦場でも通るでかい声である。
「おうっ、こいや」
張曼成、管亥の二人は成都からの援軍を火計で足止めする役割を胡軫から任された。
敵の4部隊をどれだけ足止めできるかがこの戦いの分け目になるとも言われた。
長く黄巾で賊将と呼ばれてきた二人はそんな大事な所で自分たちが戦えることに喜びを感じていた。
管亥が火をつけた火球は転がっていき、うまく相手の進路を塞いだ。
しかしさすがは鄧艾、すぐに消火してこちらへ突破してくる。このままだとまともにぶつかることになる。
管亥と二人だけで増援の大軍を相手にする方法はない。いや、一つだけあった。
「管亥ぃ、俺らごと火を付けろ」
「な、なに言ってやがんだよ」
「ばか、せっかくの俺らの舞台だ。最後までやり遂げようぜ」
張曼成は豪火種を敵軍の真ん中に作り、あたりを火の海にすることを考えたのだ。
8000騎いた兵力も半分ちかくに減った今、鄧艾ら相手にはおそらくこの手しかないだろう。
「気合入れろよ、おまえらぁ」
今なら何でもできる気がする。張曼成は不思議な昂揚感に包まれていた。
予定外の二度目の爆発音を聞き、急いで胡軫は西の戦場に広がる火炎の中に躍り込んだ。
張曼成の軍が火炎の中央に陣取っているがどうやら部隊は混乱しているようだ。
管亥の部隊は孟建隊を突破しようとしているが難しい形勢だ。
さらに戦場を見回す。楊懐隊は消火をしている。
ここで胡軫は重大なことに気付いた。鄧艾の部隊も豪火種により混乱しているのである。
「費耀、ついてこい。ここが勝負だ」
副将で「猛者」もちの費耀に声をかけ、鄧艾隊へ馬を向ける。
敵の総大将の部隊が目の前で混乱しているというまたとない好機である。
後ろからは牽弘隊を破った樊稠の部隊が追い付いてきているのがわかる。
「いくぞっ、俺につづけっ」
胡軫は息を吸うと、鄧艾へ突撃を仕掛けた。一気に駈け、すぐに敵兵の顔が見えてくる。
敵が気付いた時には胡軫の剣は数人の敵兵を切り倒していた。さらに敵陣へ切り込んでいく。
「鄧」の旗の両隣に「王」の旗と「丘」の旗。副将の王頎と参謀の丘本のようだ。
胡軫はただ鄧艾の旗だけを目指して疾走していく。費耀もすぐ後ろについてきている。
横あいから「王」の旗。王頎は胡軫を遮ろうと出てくる。鄧艾はまだ全軍を立て直せていない。
王頎の手勢が突っかけてくるのを胡軫は回り込むようにかわし、王頎のいる真ん中に突っ込む。
剣を構える。そして、騎馬と騎馬がすれちがう。
いや、胡軫だけが走りぬけていく。
敵の隊列中央。剣を繰り出す敵将王頎と目が合う刹那。その剣をはじき、首を刎ねとばす。
敵が静まり返るとすぐに胡軫は鄧艾の旗の方へ向き直す。すると、費耀が肉薄しているところだった。
鄧艾はさすがに費耀の攻撃をかわした。が、費耀は振り向いて矢を放った。さすがの「猛者」だ。
矢は鄧艾の右肩に刺さり、怪我を負ったようであった。
「手負ったぞ。いける、いけるぞ」
費耀と時間差攻撃になり、まだ鄧艾は備えが出来ていない。
まばたきする間に胡軫と鄧艾の距離が近づく。胡軫は叫ぶ。
「鄧艾っ、背中を見せるは武官の恥だ。お前は文官かっ」
その声に反応したのか、瞬間的に鄧艾は馬を反転させる。胡軫も馬を駈けさせる。
鄧艾は胡軫の馬のすぐ横に並んで走り、大将同士の一騎討ちの格好となる。
鄧艾の馬槊槍は普段なら必殺の一撃であった。胡軫は確かに鄧艾の武技と気迫を感じた。
しかし肩の矢傷である。勝負はわずか数合であった。
胡軫は突き出された槊を剣で円を描くようにして弾き、剣を回した勢いそのままで斬りつけた。
剣は鄧艾の胴を袈裟に斬り、敵の総大将は馬から落ちた。
「やった・・・、やったぞっ。それ、全軍かかれっ」
戦場が粛と静まりかえる。そしてすぐに董卓軍から湧き上がる喊声。
それでもすぐさま、敵の参謀、丘本は指揮を取ろうとする。
その瞬間に丘本の後方から樊稠が突っ込む。間髪入れずとはこのことである。
慌てふためく間もなく、馬群の前に丘本も樊稠に討ち取られるのが見えた。
さらに臧覇隊が高翔の隊を打ち破り、副将の郭馬を処断したという伝令が入った。
胡軫はそのまま樊稠と共に、管亥隊を押し込んでいる孟建隊と楊懐隊にぶつかる。
こんな爽快な気持ちで戦場を走るのは初めてであり、こんなに鋭い突撃も初めてであった。
最初の突撃で胡軫は敵陣中央まで突き抜けていく。
唖然とこちらを見ている楊懐に向けて剣を振る。あっけなく首を取った。
樊稠も孟建隊を蹴散らしていく。
自分ひとりで3人の大将を斃し、全体でも計6人の将を討ち取った。大勝利である。
「こんなことを、こんなことを俺がやり遂げるとは・・・うおおおっ」
胡軫はどこまでも駈けていたい気持ちであった。
はい。というわけですんごく無駄な長文で胡軫の活躍を書きました。ごめんなさい。まさか胡軫が鄧艾を討ち取るとは・・・。驚きました。
この戦いはこんな感じで久しぶりの騎馬戦死祭りでしたので長文にしてみました。
この後、一斉により江州城を陥落させ、尹黙、崔州平、董朝を捕獲して処断。
孟建隊は壊滅したが、孟建は逃げ、郝昭隊は交戦せず、成都へ帰っていった。
鄧艾の勢力の後継は何故か息子の鄧忠ではなく、呂伯奢であった。
鄧忠は何故か知らないうちに建寧の捕虜になっていた。
成都所属だったのだが、どうやら同一ターン中に建寧に計略をしかけて捕まったようである。(推測)
残念なことに、この戦いの間に陳留所属の陳羣と江陵所属の魯粛が裏切っていた。また在野の丁奉が仕官してきたので登用した。
陳羣と魯粛の離反は高政治力であるだけに痛手である。しかしもう政治も必要のない局面となってきた。
今回の犠牲者
-左奕、眭固、諸葛靚、呂翔、張氏、麋氏、牽弘、王頎(戦死)、鄧艾、丘本(戦死)、郭馬、楊懐(戦死) 、尹黙、崔州平、董朝
指名手配
-賈充、袁譚、淳于瓊、賈華、吾彦、金禕、孫冀、厳畯、歩隲、陳矯、厳政、劉度、陳羣、魯粛
新加入武将
-戯志才、高覧、閻柔、郝萌、蒋班、辛敞、張宝、曹彰、呂蒙、曹叡、曹熊、傅嘏、龐娥、伍延、沈瑩、張允、劉賢、丁奉
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ご無沙汰しております。わけあってネット環境が崩壊しまして復旧まで2か月近くかかりました。。。
前回の投稿から4か月も経っていたのですね・・・、申し訳ありません。正直、削除されないかヒヤヒヤしておりました。
また無駄な駄文長文ではありますが、更新させていただきますので、よろしくお願いいたします。(10/09董卓の日記著者)
第11回
董卓「ええい、まだか、まだワシは城に戻れぬのか!?」
張済「ははっ、まことに申し訳ございませぬ」
董卓「まったく、いったいどれほど城を留守にしていると思っておるのだ」
張燕「それはもう長いこと、でございますな」
董卓「だいたい戦をしようにも副官の張球はどうした!?顔が見えんぞ」
張済「ちょ、張球は敵方の呂布軍に寝返ってございます」
董卓「ぐぬぬぬぬ、ただでさえ気の抜けぬ敵軍だというに」
張燕「おう、敵将の張遼でございますな」
董卓「ううぬ、ここには張しかおらんのか!?」
張済「ははぁー」
董卓「李儒や李傕、郭汜、胡軫たちはどうした!?」
という感じで、董卓隊は張済らと共に張遼隊、朱桓隊と小競り合いをしている状況。
これは北海から下邳へ南下する部隊のための陽動である。
さて、董卓様の気にする李、郭、胡の3将はいよいよ大詰めに入っていた。
胡軫軍団は鄧艾を討ち取った勢いのまま成都へ向かう。
成都城の南の開発地に攻撃をかけたあたりで鄧艾の後継、呂伯奢の迎撃隊が出てくる。
出てきたのは郝昭、張任、孟達、冷苞、黄権らが率いる20000で、これも激戦となった。
頼みの「疾走将軍」胡軫隊の気力は突撃1回分まで使い切っており、兵力の削り合いとなりそうである。
それでも胡軫、樊稠、臧覇、管亥、成公英で35000騎は残っていた。
が、敵軍のほうが良将が幾人もいるので削り合いでは負けてしまう。
そのため、まず火計で時間稼ぎを行なって、その間に軍楽台で気力を回復させる持久策をとった。
これであとはもう時間次第で勝負はついたと思った矢先、古株の智将、成公英が呂伯奢軍に寝返ってしまう。
これにより形勢逆転してしまい押され気味に、と思いきやここで援軍である。
著者は、江州戦で胡軫がこんな完勝すると思ってなかったので建寧から成都を衝く部隊を既に送っていたのだ。
3か月かけてちょうど良いところに到着したのは「偽飛将」李傕と郭汜(能力はまだない)である。
ここからは逆襲の董卓軍である。
偽飛将の疾走った後を郭汜たちが粉砕していく形で次々と敵を撃破していった。
その中で、
「殿、横です、横から敵がっ」
呼び掛けられた男、成公英は今度の戦の前から決意と覚悟はしていた。
戦から離れた許昌太守から一転、益州攻め要員に加えられた。勿論はじめは喜んだ。
しかしすぐに彼の頭には攻略後の成都太守という安穏の図が浮かんだ。
彼も「北の男」である。戦わずして平穏に生きて何が男か、という気持ちはある。
それ以上にあの董旻さえ戦って死んだことが大きかった。
もっと戦いたい。それが成公英が長く仕えた軍を離反する理由であった。
「我らは騎馬だ。止まるな、動けっ」
下知しても味方は浮き足立つばかりである。
我らが寝返れば勝てるはずの戦だった。だがそれが覆った。
「これが戦。これが戦なのだ」
成公英は呟いた。と、同時に右方より衝撃を感じ即座に振り向く。
たなびく「胡」の旗。向かってくる「樊」の旗。
成公英は馬首を向け、愛槍を構え、一気に走り出す。
「樊」の騎馬隊とぶつかって息をできたのはひと呼吸だけだった。
「これだ、この騎馬隊だ、私はこの軍にいたのだ」
ぶつかってくる騎馬の奔流に飲み込まれていく自分の騎馬隊。
遮二無二突き進んでくる。まるできらめく槍の穂先のような突撃。
その光を身に受けながら成公英は思った。
最期に董旻の奴も見たのだろうか、騎馬たちのきらめくこの光景を、と。
という流れで樊稠の突撃で成公英が戦死。さらに冷苞隊の副将の韓馥を捕らえて処断した。
このまま成都城に取りつき、一斉攻撃をかける。
張任らの奮闘もむなしく、267年12月の暮れに成都城は陥落。
呂伯奢以下、
-張任、黄権、袁渙、鄧忠、孟達、孟建、高沛、冷苞、師纂、寧隋、高翔、劉循、王忠、馬均、徐邈、申耽、党均、楊欣、丘建
これらを捕らえ、相性と捕虜枠の都合、全員を処断。
ここに呂伯奢軍は滅亡した。
さて、喜びもつかの間、ここで急報が入る。
先に戦死した成公英が治めていた許昌の太守は人員の関係上、輸送部隊の隊長あがりの楊醜という武将だった。
こいつが太守不在をいいことに配下の曹熊と共に呂布軍に寝返ったのだ。
許昌には兵こそ5000しかいないものの、たくさんの物資があった。
既に北海から下邳に華雄軍が南下しているが、ここで下邳を落とすと呂布軍の武将たちが許昌に入ってしまう。
北海城の華雄の軍団は人材登用と徴兵、訓練に励んでいた。
268年6月
下邳侵攻軍が進発。華雄、太史慈、張郃、張繍ら55000の主力部隊が呂布軍60000とぶつかる。
迎撃には呂布や張遼も出てきているものの敵軍は兵装がしっかり整っておらず剣兵であった。
それでも敵将の質は良いため、激戦は4か月続き、迎撃軍を退ける。
この戦いで捕らえた陳羣、公孫康、魏諷を処断。
11月、下邳の城へ向かう。
しかし、この時既に下邳にいた呂布軍の武将のほとんどが許昌へ移っていることに気付く。
仕方なく攻城を始めるが、華雄が間違えて水門を壊してしまう。
これにより先に下邳城に到着していた董卓様の部隊が全滅し、16000騎を失う。(何やってる自分!?)
それでも城を囲み、一斉をかけて下邳を陥落させる。
呂布と張遼を逃したものの、陳琳と呉綱を処断し、魏続と荀攸を捕縛した。
喜びもつかの間、ここで更に2つの急報が入る。
濮陽太守の傅嘏が、配下の曹奐と共に呂布軍に寝返ったのだ。
濮陽は兵2000ではあるが北からの物資集積基地であった。
さらにもう1つ。江夏太守の杜預まで寝返ったのである。江夏は兵5000のみである。
対応として濮陽には小沛から董卓隊を、江夏には江陵から徐栄隊と李通隊を向かわせる。
269年2月
まず董卓隊が守兵2000の濮陽城に攻撃。太守の厳政を蹴散らして濮陽を奪還する。
傅嘏と曹奐は逃したが、裏切り者の厳政を捕らえて処断。
次に江夏。杜預が抵抗を試みるも徐栄隊、李通隊が蹴散らして奪還を果たした。
最期に許昌。ここには呂布軍の武将20人ほどが所属し、兵10000で籠っていた。
これを于禁隊10000と朱異隊8000で急襲し、豪火球を浴びせる。
朱桓、高順、顔良、文醜などが妨害迎撃にくるもなんとか陥落させる。
城将の多くを逃したが、楊醜、焦彝と李勝を処断した。
また、寿春の北で築城をしていた荀彧隊を小沛から張燕隊が急襲する。
「捕縛」もちの龐娥がいることもあり荀彧を討ち取る。
しかし援軍にきた呂布隊と曹操隊にやられ、龐娥と張燕が捕らえられてしまう。
先に捕虜にしていた荀攸と魏続と交換をした。
呂布軍の最後の城郭である寿春が王朗軍に攻められていることに気付く。
両軍を一網打尽にすべく、董卓軍本隊は準備にかかった。これが呂布軍との最後の戦いとなるだろう。
今回の犠牲者
-成公英(戦死)、韓馥、呂伯奢、張任、黄権、袁渙、鄧忠、孟達、孟建、高沛、冷苞、師纂、寧隋、高翔、劉循、王忠、馬均、徐邈、申耽、党均、楊欣、丘建、陳羣、公孫康、魏諷、陳琳、呉綱、厳政、楊醜、焦彝、李勝、荀彧
指名手配
-賈充、袁譚、淳于瓊、賈華、左奕、吾彦、金禕、孫冀、厳畯、歩隲、陳矯、劉度、張球、曹熊、傅嘏、曹奐、杜預、陳蹇
新加入
-張角、郝昭、(まだいるので確認中)
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数年ぶり?の更新になります。遅くなりまして申し訳ありません。
ここまで読んで下さった方、ありがとうございます。
もう少しで終わると思いますので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
第12回 「大董帝国 三面六騎」
タッタッタッタッ
「おう、どけ、どいてくれ」
小沛城の狭く短い廊下を飛燕将軍こと、張燕が素早く駈けてゆく。
行き先はもちろん董卓の居る宮城の広間である。
「大変だ、大変な報せだ」
目を丸くする周囲の兵たちの間を通り抜ける。
張燕はそれこそ飛燕のように広間へ飛び込んでいった。
張燕「董太師!董太師!」
董卓「なんじゃ、張燕。ワシは今方ようやく城に戻ってきて、ひと段落したというに」
張済「鄴を出て、平原、濮陽、小沛とずいぶん長うございましたな」
張燕「大変な報せでございます!だれか文官も呼んだ方がよろしいかと」
董卓「何を言っておる。我が軍に文官など数えるほどしかおらんわ」
張郃「それで、報せとはどのようなもので?」
張燕「それは、長安からの!」
一同「!?」
張燕「帝からの使者で!」
一同「まさか!!?」
張燕「禅譲の報せにございますっ!」
一同「うわぁぁあ!!(椅子から転げ落ちながら)」
董卓「ふははは、ついに来たか。さっさと2回断らんか!」
張燕「1度に2回断るのですか!?」
董卓「そうじゃ、帝位とは再三乞われて承諾するものなのじゃ。おう、はやくしろ」
張燕「ははっ」
董卓「まったく、こんなときに李儒も賈詡もいないのがつらいのう」
張済「董卓様、国号は何としましょう?」
董卓「ふむ、そうじゃな、では、涼としよう。我ら出発の地じゃ」
華雄「おう、涼国!」
臣下一同「涼国ばんざい!董卓様ばんざい!」
董卓「ははは、ははははははっ!」
269年3月
こうして董卓軍は禅譲を受け、国号を「涼」として、太師董卓は帝位に就いた。
丞相は李儒、大将軍は華雄である。
ついでに董卓帝がたまたま小沛にいたこともあって、イベント「封禅の儀」も発生。
董卓帝の能力が大きく上がり、騎馬適性もSになった。
そして何より大きいのは、帝位イベントにより武将たちの忠誠が大幅に上がったことである。
これにより、忠誠が100に上がり、今後の裏切りの心配はまずなくなったと言える。
しかし、ここで長い付き合いの同盟軍、鍾会軍が同盟を破棄。
鍾会軍の虎将厳顔の隊8000が守兵3000の漢中へ侵攻してきたのだ。
漢中には太守の閻圃しか武将がおらず、迎撃軍を編成できないため、速攻の作戦をとる。
それは成都を胡軫に任せ、李傕と郭汜、管亥の3将で梓潼を衝く作戦である。
成都の北、涪水関に45000の兵を集め梓潼攻略の準備をする。
一方、同じ頃、江陵の徐栄軍団は永安の劉備軍へ侵攻を開始していた。
軍容は徐栄隊15000騎、賈詡隊15000騎、周泰隊12000騎、蒋欽隊12000騎、李通隊12000騎である。
対する劉備軍の兵は30000で、迎撃に来たのは25000ほど。
やはりと言うか、関、趙、張の3将が討って出てくる。さすがの将たちであるが寡兵である。
白帝の渡しを敵軍が越えたところで全軍がぶつかる。
劉備軍の迎撃部隊が城を出払ったところで、江州城から本命の部隊が出撃する。
これを率いるのは智将李儒で、軍容は牛輔と新規登用の郝昭、呂岱を連れて4部隊20000騎である。
永安の施設を破壊しながら北上して城に攻めかかる。
そして最後に東部方面、寿春の呂布を攻める董卓帝国軍本隊。
寿春城は呂布軍最後の城郭であるが、江東の王朗軍と戦闘を繰り返しているせいで疲弊している。
張遼と高順の双壁、軍師陳宮、そして曹操一味など将はいるが、兵力と兵装がない。
城の兵力は20000を切り、兵装も騎馬と弩が少し残っており、あと1度迎撃できる程度。
此方は皇帝陛下以下、華雄、張郃、張燕、太史慈、張繍、張済、楽進、高覧など総勢12万騎
呂布軍から迎撃の兵は来ないため、騎馬大行軍は淮水を渡ったところで二手に分かれる。
本隊は城攻めをし、半分は堤防の決壊を狙う王朗軍を駆逐しに行く。
華雄「おう、おう、おう、涼軍六騎のひとり、華雄様だ!」
呂布軍の陳蹇隊、鮑信隊と、王朗軍の胡奮隊と趙弘隊が堤防近くで小競り合いをしている。
その中に突っ込んでいく狼腰将軍の華雄隊、そこに張繍隊、張郃隊が続く。
寿春付近は騎兵の戦法が使えない地形であるが、尖鋒のような攻撃で敵を打ち倒していく。
第二軍の太史慈隊、楽進隊などが騎射を浴びせてさらに兵力を削る。
もう一度そこへ華雄たちがぶつかり、鮑信隊、陳蹇隊を続けて撃破。
ここで鮑信と副将の陳矯、陳蹇と副将の謝旌を捕らえ、帝国後初の処断をした。
緒戦を圧勝した勢いのまま先鋒部隊は王朗軍の部隊を潰しにかかる。
しかしここで下邳の太守である張角から報せが入る。
呂玲琦が牢から逃亡したというのだ。
続く
犠牲者
鮑信、謝旌、陳蹇、陳矯
指名手配
-賈充、袁譚、淳于瓊、賈華、左奕、吾彦、金禕、孫冀、厳畯、歩隲、劉度、張球、曹熊、傅嘏、曹奐、杜預
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- 新たにページを作らせて頂きました。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします。 -- 董卓の日記著者 (2012-05-05 20:27:30)
- 処断と殺戮の天下取りまであと4歩…ぐらいですかね? しかしこれと似たようなことをやったら最後は雑魚しか残らなかったんですよね そのあたりどう調整してますか? -- 名無しさん (2012-05-06 01:49:08)
- はい、ありがとうございます。あと少しって所まできました。調整というか、騎馬で戦い易い所から攻めていたらこのように残った感じです。 -- 董卓の日記著者 (2012-05-06 19:52:00)
- ああっ!なるほど -- 名無しさん (2012-05-15 18:49:40)
- なんかやけに敵将を登用できたのは、北海と柴桑は金不足で俸給が払えてなかったためのようです。 -- 董卓の日記著者 (2012-05-16 00:42:08)
- そういう「運」も持ってらしゃるんですね うらやましいです。 -- 名無しさん (2012-05-16 08:59:54)
- ↑遅くなりましたがコメントありがとうございます。運といっても配下に裏切られまくりなので何とも言えないですねw -- 董卓の日記著者 (2012-06-04 21:19:22)
- 更新しました。また長文な駄文を書かせていただきました。内容は濃かったけどあまり進展はなかったので、つい・・・。胡軫かっこいいよ胡軫 -- 董卓の日記著者 (2012-06-04 21:20:45)
- 確かに少し長いですが内容は面白いですよ こちらもコメント遅くなってすみません -- ちょっと体を悪くしたもので… (2012-06-17 01:52:26)
- 呂玲埼が御好きとは良い感性をされてますね そして呂蒙とは…ほんとにうらやましい -- もはや小説の (2012-06-17 01:58:17)
- 途中で送ってしまいました 本当に文で「胡軫」の活躍が際立ってます -- 名無しさん (2012-06-17 02:08:26)
- コメントいつもありがとうございます!(同一の方でしょうか?) 今回のプレイ中も玲琦ちゃんが脱走しないかハラハラしながら遊んでいましたw 胡軫の長文、読んでくださりありがとうございました。思わぬ活躍をしてくれていますw -- 董卓の日記著者 (2012-10-10 00:28:45)
- 張任が亡くなったのは惜しいですが縛りであるなら仕方がない いよいよ大詰めですね 「成公英」殿、戦とは無常です -- 名無しさん (2012-10-16 12:30:25)
- 別ゲームに浮気しまして、だいぶ間が空いてしまいました。ぬるぬると更新していきたいと思います。 -- 董卓の日記著者 (2013-05-25 11:28:56)
- お久しぶりです、楽しみにしており期待しております -- 名無しさん (2013-05-25 16:08:38)
- 文章上手ですね -- 名無しさん (2013-05-29 13:15:19)
- ↑2の方へ。(いつもの方かな?)コメントありがとうございます。ちょいちょい更新していきますので最後までよろしくどうぞ! ↑の方へ。ありがとうございます、頑張ります。 -- 董卓の日記著者 (2013-05-31 00:35:43)
- 昨年より別ゲームに浮気し続けていまして、そちらが落ち着き次第、去年の書き溜め分ですが更新したいと思います。宜しくお願いします。 -- 董卓の日記著者 (2014-08-17 00:22:40)
- 荀彧・陳羣・魏諷・陳琳ら後方で有能な文官がなくなったのは痛いですが、張角・郝昭ら名将が加入したことは非常にありがたいですね。落雷は除かれて無いようですのでこれから、遠距離の落雷からの火計や削りあいも有利かと思います。寝返りが祭り状態ですが・・・それでも含めて統一の時は近く、次作を楽しみとしています。あと、 -- 名無しさん (2014-08-17 12:33:27)
- 途中で送りましたねすいません、現在の勢力地図をお願いします。 -- 名無しさん (2014-08-17 12:34:23)
- お久しぶりでございます。昨年より別ゲームに浮気しておりましたがようやく磯風も落ち着いたので、書き溜め分ですが更新させていただきました。 -- 董卓の日記著者 (2014-10-05 23:11:30)
- ついに皇帝即位しました。忠誠激上げが嬉しいですね。現在の勢力図は次回に更新いたします。 -- 董卓の日記著者 (2014-10-05 23:13:06)
- 久しぶりに見たが相変わらず鬼畜で楽しい -- 名無しさん (2014-10-12 07:28:19)
#comment
あ<ここまでのまとめ>
梟雄董卓に率いられた騎馬軍を用いて、何人の武将を殺せるのかをテーマにプレイ日記を書いています。
縛りは「125~25の相性で登用or処断」、「鍛冶はたてない」、「褒美は半年に1度」、「裏切りには死を」、「初期メンバーたちを出来る限り使う」
≪犠牲者リスト≫(各回ごと、すべて処断or戦死した順)
-廬植、王匡、馬休、馬岱、馬騰、馬超、馬鉄、馬雲緑、楊氏、韓遂、龐徳、龐会、梁興、張横
-朱儁、皇甫嵩(戦死)、成宜、楊秋、李堪、王伉(戦死)、張嶷、楊柏(戦死)、馬玩、羅憲、程銀、侯選、秦宓、呂凱、楊任、楊松、陳寿
-陶謙、廖立、董承、何進、呉巨、張松、郭攸之、劉諶、劉岱、王渾、向寵、荀顗、荀勗、王業、藩濬、閻行、馮習、李氏、司馬昭、司馬伷、孔伷、樊建、傅士仁、濮陽興、毌丘甸、楊肇、馬謖、司馬師(戦死)、申儀
-王允、陳到(戦死)、毌丘倹(戦死)、袁遺、顧譚、何晏、司馬攸、司馬炎、楊済、程昱、夏侯威、典韋、司馬懿、司馬孚、司馬朗、司馬望、周旨、羊祜、張春華、王淩、辛毘、呂虔、高堂隆、王祥、王惇、何植、劉辟、王韜、丁儀
-関彝、夏侯淵、夏侯恩、曹洪、夏侯和、夏侯恵、傅巽、橋瑁、陳珪、鮑三娘、徐庶、雷銅、呉蘭、劉封、劉琦、鄧芝、陳震、★馬邈(戦死)、蘇由、典満、方悦、曹昂、曹丕、曹植、夏侯徳、万彧、陳登、董厥、呉班、関興、孫異、黄忠、黄月英、蒯良、許靖、黄祖、劉琮、趙累、趙範、黄皓、孫皓、曹純、曹爽、裴秀、高幹、劉璿、張紹、沮鵠、呂曠、袁紹、袁熙、袁尚、劉氏、沮授、審配、麹義、辛評、高柔、呂威曠、眭元進、張邈、藩鳳、穆順、曹豹、鄒靖、王桃
-龔都(戦死)、傅彤、韓莒子、荀諶、魏攸、朱霊、諸葛瞻、董允、譙周、向朗、趙広、郤正、華覈、歩協、滕胤、徐晃、曹髦、曹訓、傅僉、関靖、公孫続、公孫範、辛憲英、孟宗、劉巴、梁緒、公孫瓚、王平、張翼、孫乾、沙摩柯、諸葛喬、丁原(戦死)、厳綱、劉和、王門、鄒丹、張南、田疇、単経、張華(戦死)、田予、李厳、田楷、公孫越、蒋義渠、州泰、田豊、季雍、楊奉
-馬忠、孫朗、孫匡、樊氏、馬遵、卞喜(戦死)、楊修(戦死)、曹宇、宋謙、逢紀、陸績、夏侯尚、卑衍、婁圭、王濬、呉懿、韓当、祖茂、王粲、賈逵、施朔(戦死)、裴元紹、関寧、蒯越、麋竺、毌丘秀、帯来洞主
-蒋済、焦触、韓嵩、虞翻
-孫仲、呂拠、公孫度、郭奕、王修、許攸、陶濬(戦死)、董旻、忙牙長、董荼那、高定、胡班、霍峻、孟獲、阿会喃、鄂煥、花鬘、朱褒、木鹿大王、孟優、雍闓、劉璋、張梁、張緝、温恢
≪董卓軍武将リスト≫
-董卓、李儒、李傕(飛将)、郭汜、華雄、徐栄、樊稠、胡軫(疾走)、牛輔(疾走)、李粛(明鏡)、董白、成公英、陸凱(指導)、楼玄(繁殖)、張球、張承/胡遵(掃討)、閻圃、張衛(掃討)、張魯、徐質(猛者)、費耀(猛者)、楊昂(猛者)/胡車児、李通、于禁、邵悌(威圧)、張繍、賈詡(深謀)、鄒氏、張済(連戦)/桓範、蘇飛、国淵、韓忠、諸葛誕、蔡琰、臧覇、崔林、董昭、夏侯玄、太史慈、太史享(連戦)/杜預、楊阜(指導)、鄧茂、韓徳、張闓、朱異、謝旌、留賛、孫休(覇王)、鍾毓、張悌、王異(指導)、凌統、楊祚(築城)、蒋欽、文虎、賈範(火神)、牛金、孫魯班、周泰、何儀、程遠志、高昇、張曼成(掃討)、公孫恭、孫観、陳蹇、孫礼/賀斉、張郃、王双、黄蓋、鮑隆、管亥(連戦)/楽進、李典、曹仁/許褚
#ref(http://www4.atwiki.jp/sangokushi11?cmd=upload&act=open&pageid=2625&file=sangokushi114.png)
また今回も無駄な長文でありますが、お付き合い頂けたら幸いです。
*第5部「終焉の開演」
第10回
267年7月
南蛮での戦いが終わった頃、董卓軍本隊に出動がかかった。
濮陽の董卓軍精鋭部隊は兵を補充し、再度北海に攻め込む。
予想通り、途中の臨済港のあたりで呂布軍と戦闘になる。出てきたのは呂布の弩兵、顔良の騎馬、曹彰の騎兵、張宝の戟兵という顔ぶれ。
こちらは華雄、太史慈、張繍、張郃の各隊がそれぞれ11000、楽進隊が8000である。
同時に呂布軍の留守を狙って、平原の高唐港から賀斉隊と孫観隊が攻め入り、臨済港を陥落させる。ここで相性22の戯志才を登用する。
張繍隊の徐質の「猛者」により顔良がまた負傷し、最初に顔良隊が壊滅。
指揮官が張宝の戟兵部隊は敵ではなく、太史慈隊が撃破し、張宝を捕らえ、登用に成功。
曹彰隊は囲んで一斉で撃破し、曹彰を捕虜にして、副将の高覧を登用できた。
問題は呂布隊で、副将が知力87の張角と「威風」の張遼なので1発の乱射で酷いことになった。
だがこれも全部隊で囲んで撃破し、呂布と張遼は逃げたが張角を捕虜にした。
北海城には兵が8000しかおらず、いくら呂布とはいえ守りきれず呆気なく陥落。
またも呂布や張遼、朱桓などを逃すが、ここで閻柔、郝萌、蒋班、辛敞、眭固、諸葛靚、呂翔、呂玲琦を捕獲。
閻柔、郝萌、蒋班、辛敞が一気に登用に応じ、憧れの呂玲琦を捕虜にして、他3人を処断。
この戦いの間に登用したばかりの孫冀、張郃隊の副将厳畯が呂布軍に寝返っていた。
最近になって寝返る武将が増えてきたため、それを追って処断しようと殺伐としてきた感がある。
だが北海城の陥落後に曹彰の登用に成功した。曹彰と張宝は良い戦力になりそうである。
さらに在野の呂蒙も登用に成功していた。
267年8月
柴桑。周瑜の守る柴桑と我が軍の陸口港とは1年にわたり小競り合いをしていた。
柴桑の開発地を破壊したり、柴桑領内に連弩櫓などを作り、それを阻止しにきた敵部隊と度々交戦していた。
陸口の武将は胡遵、張悌と新たに現地で登用した凌操と留略のたった4人で、兵は30000であった。
柴桑には周瑜以下20名の武将が40000で籠っていた。
しかし1年が経った頃には、将の数にそれほど変化はないが兵数が10000まで減っていた。
こちらも兵は9000に減っていたが、ある時、敵の孫尚香隊が3000で櫓を壊しにきた。
我が軍は2部隊でこれと交戦。慌てて敵の増援3000が出てくる。両軍を撃破し、孫尚香と諸葛瑾を捕虜にして、張氏を処断した。
これを機にそのまま柴桑城に攻め込み、兵力を失った柴桑城を陥落させた。
周瑜は逃がしたが、伍延、沈瑩、張允、杜畿、麋氏、劉賢らを捕獲。
伍延、沈瑩、張允、劉賢が登用に応じ、杜畿を捕虜にして、麋氏を処断した。
さて、前々回、前回、そして今回は毎度恒例(?)の董卓様による軍議がなかった。
その理由は董卓様が未だに戦闘中で城に入っていないためであった。
董卓隊は張済、張燕、曹仁らの部隊と一緒に小沛を落とした後、寿春と下邳攻略のために施設建設をしていた。
しかしその途中で毎度妨害が入り、それらと戦闘していたため未だに入城していないのだ。
この間、張済隊や張燕隊も外にいるので副将の歩隲、陳矯が呂布軍に寝返ってしまっていた。
さらには後方で輸送部隊を率いていた厳政、劉度という2人も呂布軍に部隊ごと寝返っている。
はっきり言って、武将たちの忠誠度は半年に1度の褒賞ではどうにもならない状況になっていた。
明日は誰が董旻、張梁になっているかわからない。
それでも濮陽の留守の陳羣が曹叡、曹熊、傅嘏、龐娥という在野の武将を登用して補充していた。
裏切る者と新たに加わる者、どちらの数も増えてきたようだ。そして死ぬ者も。
267年9月
東での戦いが終わった次は西である。
大陸の西、漢中には襄陽などから集められた70000の兵がいた。
これを胡軫13000、樊稠12000、さらに臧覇12000、張曼成8000、管亥8000らに預ける。
彼らに加えて許昌太守の成公英を10000騎で参謀として久しぶりに出陣させる。
漢中太守の閻圃と5000騎を城に残し、補給隊として2000を董昭に預ける。
目指すは鄧艾勢力の江州である。江州には45000の兵がいるが目立った武将は特にいない。
漢中から騎馬で行軍して梓潼のあたりを過ぎると、同盟している鍾会軍も綿竹関へ出撃していった。
成都の鄧艾軍45000が鍾会軍に気をとられている間に成都領の東側を抜け、12月江州領へ到達する。
江州はこの頃、建寧の李傕らに向けて20000ほどが出撃していて城兵は25000であった。
先鋒の張曼成、管亥が迎撃に出てきた高翔の弩兵とぶつかる。さらに牽弘の槍兵も出てくる。
あの新野城を数刻で陥とした豪火球を放つも、江州城内に「火神」もちの郭馬がいるため効かない。
成都から援軍も来ており、軍容は名将鄧艾の10000、郝昭の10000、楊懐の8000、孟建の8000というもの。
我が胡軫軍団は江州城を前にして腹背に敵を受けることになる。幸いなことにこれらは全て戟兵であった。
さて、この後の戦いは簡単な文章にすると5行で終わるのだが、そうするには勿体ないのである。
せっかくなので胡軫軍の戦いぶりを詳しくご覧いただきたい。
「くそっ、ついに来たか」
江州の軍と戦いを初めてちょうど1か月、胡軫は焦り始めていた。
敵城に対して我が軍必殺の豪火球がまったく効果がなく、ほとんど城攻めが進んでいないからだ。
さらに成都から援軍も来たという伝令が斥候から入り、胡軫は作戦変更を迫られた。
「・・・なんだと?そうか、これならばいける」
援軍の軍容と大将の名前を聞いて胡軫にはひとつの案が浮かんでいた。
「樊稠、臧覇、張曼成、管亥たちに伝令だ!」
胡軫の号令で全軍が動き出す。
「いくぞ、左から突っ込め。樊稠の奴が押し込んだら反転するぞ」
まず胡軫隊が牽弘隊に突っ込む。「疾走」によって絶ち割られた敵軍へさらに樊稠が押し込む。
牽弘隊が混乱したのを見て、臧覇隊とやり合っている高翔の弓隊に横から突っかける。
弓兵の矢を払い落としながら敵兵を蹴散らしていく。
「よしっ、反転。もう1度向こうに突っ込んでやれ」
高翔隊も断ち割られたのを見て、胡軫は牽弘隊へ再び突っ込む。
樊稠も押し込んでおり、だいぶ崩れてきていて、揉まれて揺れる牽弘の旗が見て取れる。
あと少しで潰走させられるだろう、と胡軫が思ったとき戦場の反対の方で爆音がする。
この爆音はもちろん我が軍によるものである。
「予定通りだ、いけるぞ」
爆音が合図だったかのように樊稠隊が楔形になり、しゃにむに突っ込んでゆく。
息にして3つほどの間に樊稠が牽弘に迫り、旗が倒れるのを見た。
胡軫は次へ駈け出した。
「曼成、火ぃつけるぞ」
僚将の管亥がこちらに向かって叫ぶ。戦場でも通るでかい声である。
「おうっ、こいや」
張曼成、管亥の二人は成都からの援軍を火計で足止めする役割を胡軫から任された。
敵の4部隊をどれだけ足止めできるかがこの戦いの分け目になるとも言われた。
長く黄巾で賊将と呼ばれてきた二人はそんな大事な所で自分たちが戦えることに喜びを感じていた。
管亥が火をつけた火球は転がっていき、うまく相手の進路を塞いだ。
しかしさすがは鄧艾、すぐに消火してこちらへ突破してくる。このままだとまともにぶつかることになる。
管亥と二人だけで増援の大軍を相手にする方法はない。いや、一つだけあった。
「管亥ぃ、俺らごと火を付けろ」
「な、なに言ってやがんだよ」
「ばか、せっかくの俺らの舞台だ。最後までやり遂げようぜ」
張曼成は豪火種を敵軍の真ん中に作り、あたりを火の海にすることを考えたのだ。
8000騎いた兵力も半分ちかくに減った今、鄧艾ら相手にはおそらくこの手しかないだろう。
「気合入れろよ、おまえらぁ」
今なら何でもできる気がする。張曼成は不思議な昂揚感に包まれていた。
予定外の二度目の爆発音を聞き、急いで胡軫は西の戦場に広がる火炎の中に躍り込んだ。
張曼成の軍が火炎の中央に陣取っているがどうやら部隊は混乱しているようだ。
管亥の部隊は孟建隊を突破しようとしているが難しい形勢だ。
さらに戦場を見回す。楊懐隊は消火をしている。
ここで胡軫は重大なことに気付いた。鄧艾の部隊も豪火種により混乱しているのである。
「費耀、ついてこい。ここが勝負だ」
副将で「猛者」もちの費耀に声をかけ、鄧艾隊へ馬を向ける。
敵の総大将の部隊が目の前で混乱しているというまたとない好機である。
後ろからは牽弘隊を破った樊稠の部隊が追い付いてきているのがわかる。
「いくぞっ、俺につづけっ」
胡軫は息を吸うと、鄧艾へ突撃を仕掛けた。一気に駈け、すぐに敵兵の顔が見えてくる。
敵が気付いた時には胡軫の剣は数人の敵兵を切り倒していた。さらに敵陣へ切り込んでいく。
「鄧」の旗の両隣に「王」の旗と「丘」の旗。副将の王頎と参謀の丘本のようだ。
胡軫はただ鄧艾の旗だけを目指して疾走していく。費耀もすぐ後ろについてきている。
横あいから「王」の旗。王頎は胡軫を遮ろうと出てくる。鄧艾はまだ全軍を立て直せていない。
王頎の手勢が突っかけてくるのを胡軫は回り込むようにかわし、王頎のいる真ん中に突っ込む。
剣を構える。そして、騎馬と騎馬がすれちがう。
いや、胡軫だけが走りぬけていく。
敵の隊列中央。剣を繰り出す敵将王頎と目が合う刹那。その剣をはじき、首を刎ねとばす。
敵が静まり返るとすぐに胡軫は鄧艾の旗の方へ向き直す。すると、費耀が肉薄しているところだった。
鄧艾はさすがに費耀の攻撃をかわした。が、費耀は振り向いて矢を放った。さすがの「猛者」だ。
矢は鄧艾の右肩に刺さり、怪我を負ったようであった。
「手負ったぞ。いける、いけるぞ」
費耀と時間差攻撃になり、まだ鄧艾は備えが出来ていない。
まばたきする間に胡軫と鄧艾の距離が近づく。胡軫は叫ぶ。
「鄧艾っ、背中を見せるは武官の恥だ。お前は文官かっ」
その声に反応したのか、瞬間的に鄧艾は馬を反転させる。胡軫も馬を駈けさせる。
鄧艾は胡軫の馬のすぐ横に並んで走り、大将同士の一騎討ちの格好となる。
鄧艾の馬槊槍は普段なら必殺の一撃であった。胡軫は確かに鄧艾の武技と気迫を感じた。
しかし肩の矢傷である。勝負はわずか数合であった。
胡軫は突き出された槊を剣で円を描くようにして弾き、剣を回した勢いそのままで斬りつけた。
剣は鄧艾の胴を袈裟に斬り、敵の総大将は馬から落ちた。
「やった・・・、やったぞっ。それ、全軍かかれっ」
戦場が粛と静まりかえる。そしてすぐに董卓軍から湧き上がる喊声。
それでもすぐさま、敵の参謀、丘本は指揮を取ろうとする。
その瞬間に丘本の後方から樊稠が突っ込む。間髪入れずとはこのことである。
慌てふためく間もなく、馬群の前に丘本も樊稠に討ち取られるのが見えた。
さらに臧覇隊が高翔の隊を打ち破り、副将の郭馬を処断したという伝令が入った。
胡軫はそのまま樊稠と共に、管亥隊を押し込んでいる孟建隊と楊懐隊にぶつかる。
こんな爽快な気持ちで戦場を走るのは初めてであり、こんなに鋭い突撃も初めてであった。
最初の突撃で胡軫は敵陣中央まで突き抜けていく。
唖然とこちらを見ている楊懐に向けて剣を振る。あっけなく首を取った。
樊稠も孟建隊を蹴散らしていく。
自分ひとりで3人の大将を斃し、全体でも計6人の将を討ち取った。大勝利である。
「こんなことを、こんなことを俺がやり遂げるとは・・・うおおおっ」
胡軫はどこまでも駈けていたい気持ちであった。
はい。というわけですんごく無駄な長文で胡軫の活躍を書きました。ごめんなさい。まさか胡軫が鄧艾を討ち取るとは・・・。驚きました。
この戦いはこんな感じで久しぶりの騎馬戦死祭りでしたので長文にしてみました。
この後、一斉により江州城を陥落させ、尹黙、崔州平、董朝を捕獲して処断。
孟建隊は壊滅したが、孟建は逃げ、郝昭隊は交戦せず、成都へ帰っていった。
鄧艾の勢力の後継は何故か息子の鄧忠ではなく、呂伯奢であった。
鄧忠は何故か知らないうちに建寧の捕虜になっていた。
成都所属だったのだが、どうやら同一ターン中に建寧に計略をしかけて捕まったようである。(推測)
残念なことに、この戦いの間に陳留所属の陳羣と江陵所属の魯粛が裏切っていた。また在野の丁奉が仕官してきたので登用した。
陳羣と魯粛の離反は高政治力であるだけに痛手である。しかしもう政治も必要のない局面となってきた。
今回の犠牲者
-左奕、眭固、諸葛靚、呂翔、張氏、麋氏、牽弘、王頎(戦死)、鄧艾、丘本(戦死)、郭馬、楊懐(戦死) 、尹黙、崔州平、董朝
指名手配
-賈充、袁譚、淳于瓊、賈華、吾彦、金禕、孫冀、厳畯、歩隲、陳矯、厳政、劉度、陳羣、魯粛
新加入武将
-戯志才、高覧、閻柔、郝萌、蒋班、辛敞、張宝、曹彰、呂蒙、曹叡、曹熊、傅嘏、龐娥、伍延、沈瑩、張允、劉賢、丁奉
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ご無沙汰しております。わけあってネット環境が崩壊しまして復旧まで2か月近くかかりました。。。
前回の投稿から4か月も経っていたのですね・・・、申し訳ありません。正直、削除されないかヒヤヒヤしておりました。
また無駄な駄文長文ではありますが、更新させていただきますので、よろしくお願いいたします。(10/09董卓の日記著者)
第11回
董卓「ええい、まだか、まだワシは城に戻れぬのか!?」
張済「ははっ、まことに申し訳ございませぬ」
董卓「まったく、いったいどれほど城を留守にしていると思っておるのだ」
張燕「それはもう長いこと、でございますな」
董卓「だいたい戦をしようにも副官の張球はどうした!?顔が見えんぞ」
張済「ちょ、張球は敵方の呂布軍に寝返ってございます」
董卓「ぐぬぬぬぬ、ただでさえ気の抜けぬ敵軍だというに」
張燕「おう、敵将の張遼でございますな」
董卓「ううぬ、ここには張しかおらんのか!?」
張済「ははぁー」
董卓「李儒や李傕、郭汜、胡軫たちはどうした!?」
という感じで、董卓隊は張済らと共に張遼隊、朱桓隊と小競り合いをしている状況。
これは北海から下邳へ南下する部隊のための陽動である。
さて、董卓様の気にする李、郭、胡の3将はいよいよ大詰めに入っていた。
胡軫軍団は鄧艾を討ち取った勢いのまま成都へ向かう。
成都城の南の開発地に攻撃をかけたあたりで鄧艾の後継、呂伯奢の迎撃隊が出てくる。
出てきたのは郝昭、張任、孟達、冷苞、黄権らが率いる20000で、これも激戦となった。
頼みの「疾走将軍」胡軫隊の気力は突撃1回分まで使い切っており、兵力の削り合いとなりそうである。
それでも胡軫、樊稠、臧覇、管亥、成公英で35000騎は残っていた。
が、敵軍のほうが良将が幾人もいるので削り合いでは負けてしまう。
そのため、まず火計で時間稼ぎを行なって、その間に軍楽台で気力を回復させる持久策をとった。
これであとはもう時間次第で勝負はついたと思った矢先、古株の智将、成公英が呂伯奢軍に寝返ってしまう。
これにより形勢逆転してしまい押され気味に、と思いきやここで援軍である。
著者は、江州戦で胡軫がこんな完勝すると思ってなかったので建寧から成都を衝く部隊を既に送っていたのだ。
3か月かけてちょうど良いところに到着したのは「偽飛将」李傕と郭汜(能力はまだない)である。
ここからは逆襲の董卓軍である。
偽飛将の疾走った後を郭汜たちが粉砕していく形で次々と敵を撃破していった。
その中で、
「殿、横です、横から敵がっ」
呼び掛けられた男、成公英は今度の戦の前から決意と覚悟はしていた。
戦から離れた許昌太守から一転、益州攻め要員に加えられた。勿論はじめは喜んだ。
しかしすぐに彼の頭には攻略後の成都太守という安穏の図が浮かんだ。
彼も「北の男」である。戦わずして平穏に生きて何が男か、という気持ちはある。
それ以上にあの董旻さえ戦って死んだことが大きかった。
もっと戦いたい。それが成公英が長く仕えた軍を離反する理由であった。
「我らは騎馬だ。止まるな、動けっ」
下知しても味方は浮き足立つばかりである。
我らが寝返れば勝てるはずの戦だった。だがそれが覆った。
「これが戦。これが戦なのだ」
成公英は呟いた。と、同時に右方より衝撃を感じ即座に振り向く。
たなびく「胡」の旗。向かってくる「樊」の旗。
成公英は馬首を向け、愛槍を構え、一気に走り出す。
「樊」の騎馬隊とぶつかって息をできたのはひと呼吸だけだった。
「これだ、この騎馬隊だ、私はこの軍にいたのだ」
ぶつかってくる騎馬の奔流に飲み込まれていく自分の騎馬隊。
遮二無二突き進んでくる。まるできらめく槍の穂先のような突撃。
その光を身に受けながら成公英は思った。
最期に董旻の奴も見たのだろうか、騎馬たちのきらめくこの光景を、と。
という流れで樊稠の突撃で成公英が戦死。さらに冷苞隊の副将の韓馥を捕らえて処断した。
このまま成都城に取りつき、一斉攻撃をかける。
張任らの奮闘もむなしく、267年12月の暮れに成都城は陥落。
呂伯奢以下、
-張任、黄権、袁渙、鄧忠、孟達、孟建、高沛、冷苞、師纂、寧隋、高翔、劉循、王忠、馬均、徐邈、申耽、党均、楊欣、丘建
これらを捕らえ、相性と捕虜枠の都合、全員を処断。
ここに呂伯奢軍は滅亡した。
さて、喜びもつかの間、ここで急報が入る。
先に戦死した成公英が治めていた許昌の太守は人員の関係上、輸送部隊の隊長あがりの楊醜という武将だった。
こいつが太守不在をいいことに配下の曹熊と共に呂布軍に寝返ったのだ。
許昌には兵こそ5000しかいないものの、たくさんの物資があった。
既に北海から下邳に華雄軍が南下しているが、ここで下邳を落とすと呂布軍の武将たちが許昌に入ってしまう。
北海城の華雄の軍団は人材登用と徴兵、訓練に励んでいた。
268年6月
下邳侵攻軍が進発。華雄、太史慈、張郃、張繍ら55000の主力部隊が呂布軍60000とぶつかる。
迎撃には呂布や張遼も出てきているものの敵軍は兵装がしっかり整っておらず剣兵であった。
それでも敵将の質は良いため、激戦は4か月続き、迎撃軍を退ける。
この戦いで捕らえた陳羣、公孫康、魏諷を処断。
11月、下邳の城へ向かう。
しかし、この時既に下邳にいた呂布軍の武将のほとんどが許昌へ移っていることに気付く。
仕方なく攻城を始めるが、華雄が間違えて水門を壊してしまう。
これにより先に下邳城に到着していた董卓様の部隊が全滅し、16000騎を失う。(何やってる自分!?)
それでも城を囲み、一斉をかけて下邳を陥落させる。
呂布と張遼を逃したものの、陳琳と呉綱を処断し、魏続と荀攸を捕縛した。
喜びもつかの間、ここで更に2つの急報が入る。
濮陽太守の傅嘏が、配下の曹奐と共に呂布軍に寝返ったのだ。
濮陽は兵2000ではあるが北からの物資集積基地であった。
さらにもう1つ。江夏太守の杜預まで寝返ったのである。江夏は兵5000のみである。
対応として濮陽には小沛から董卓隊を、江夏には江陵から徐栄隊と李通隊を向かわせる。
269年2月
まず董卓隊が守兵2000の濮陽城に攻撃。太守の厳政を蹴散らして濮陽を奪還する。
傅嘏と曹奐は逃したが、裏切り者の厳政を捕らえて処断。
次に江夏。杜預が抵抗を試みるも徐栄隊、李通隊が蹴散らして奪還を果たした。
最期に許昌。ここには呂布軍の武将20人ほどが所属し、兵10000で籠っていた。
これを于禁隊10000と朱異隊8000で急襲し、豪火球を浴びせる。
朱桓、高順、顔良、文醜などが妨害迎撃にくるもなんとか陥落させる。
城将の多くを逃したが、楊醜、焦彝と李勝を処断した。
また、寿春の北で築城をしていた荀彧隊を小沛から張燕隊が急襲する。
「捕縛」もちの龐娥がいることもあり荀彧を討ち取る。
しかし援軍にきた呂布隊と曹操隊にやられ、龐娥と張燕が捕らえられてしまう。
先に捕虜にしていた荀攸と魏続と交換をした。
呂布軍の最後の城郭である寿春が王朗軍に攻められていることに気付く。
両軍を一網打尽にすべく、董卓軍本隊は準備にかかった。これが呂布軍との最後の戦いとなるだろう。
今回の犠牲者
-成公英(戦死)、韓馥、呂伯奢、張任、黄権、袁渙、鄧忠、孟達、孟建、高沛、冷苞、師纂、寧隋、高翔、劉循、王忠、馬均、徐邈、申耽、党均、楊欣、丘建、陳羣、公孫康、魏諷、陳琳、呉綱、厳政、楊醜、焦彝、李勝、荀彧
指名手配
-賈充、袁譚、淳于瓊、賈華、左奕、吾彦、金禕、孫冀、厳畯、歩隲、陳矯、劉度、張球、曹熊、傅嘏、曹奐、杜預、陳蹇
新加入
-張角、郝昭、(まだいるので確認中)
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数年ぶり?の更新になります。遅くなりまして申し訳ありません。
ここまで読んで下さった方、ありがとうございます。
もう少しで終わると思いますので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
第12回 「大董帝国 三面六騎」
タッタッタッタッ
「おう、どけ、どいてくれ」
小沛城の狭く短い廊下を飛燕将軍こと、張燕が素早く駈けてゆく。
行き先はもちろん董卓の居る宮城の広間である。
「大変だ、大変な報せだ」
目を丸くする周囲の兵たちの間を通り抜ける。
張燕はそれこそ飛燕のように広間へ飛び込んでいった。
張燕「董太師!董太師!」
董卓「なんじゃ、張燕。ワシは今方ようやく城に戻ってきて、ひと段落したというに」
張済「鄴を出て、平原、濮陽、小沛とずいぶん長うございましたな」
張燕「大変な報せでございます!だれか文官も呼んだ方がよろしいかと」
董卓「何を言っておる。我が軍に文官など数えるほどしかおらんわ」
張郃「それで、報せとはどのようなもので?」
張燕「それは、長安からの!」
一同「!?」
張燕「帝からの使者で!」
一同「まさか!!?」
張燕「禅譲の報せにございますっ!」
一同「うわぁぁあ!!(椅子から転げ落ちながら)」
董卓「ふははは、ついに来たか。さっさと2回断らんか!」
張燕「1度に2回断るのですか!?」
董卓「そうじゃ、帝位とは再三乞われて承諾するものなのじゃ。おう、はやくしろ」
張燕「ははっ」
董卓「まったく、こんなときに李儒も賈詡もいないのがつらいのう」
張済「董卓様、国号は何としましょう?」
董卓「ふむ、そうじゃな、では、涼としよう。我ら出発の地じゃ」
華雄「おう、涼国!」
臣下一同「涼国ばんざい!董卓様ばんざい!」
董卓「ははは、ははははははっ!」
269年3月
こうして董卓軍は禅譲を受け、国号を「涼」として、太師董卓は帝位に就いた。
丞相は李儒、大将軍は華雄である。
ついでに董卓帝がたまたま小沛にいたこともあって、イベント「封禅の儀」も発生。
董卓帝の能力が大きく上がり、騎馬適性もSになった。
そして何より大きいのは、帝位イベントにより武将たちの忠誠が大幅に上がったことである。
これにより、忠誠が100に上がり、今後の裏切りの心配はまずなくなったと言える。
しかし、ここで長い付き合いの同盟軍、鍾会軍が同盟を破棄。
鍾会軍の虎将厳顔の隊8000が守兵3000の漢中へ侵攻してきたのだ。
漢中には太守の閻圃しか武将がおらず、迎撃軍を編成できないため、速攻の作戦をとる。
それは成都を胡軫に任せ、李傕と郭汜、管亥の3将で梓潼を衝く作戦である。
成都の北、涪水関に45000の兵を集め梓潼攻略の準備をする。
一方、同じ頃、江陵の徐栄軍団は永安の劉備軍へ侵攻を開始していた。
軍容は徐栄隊15000騎、賈詡隊15000騎、周泰隊12000騎、蒋欽隊12000騎、李通隊12000騎である。
対する劉備軍の兵は30000で、迎撃に来たのは25000ほど。
やはりと言うか、関、趙、張の3将が討って出てくる。さすがの将たちであるが寡兵である。
白帝の渡しを敵軍が越えたところで全軍がぶつかる。
劉備軍の迎撃部隊が城を出払ったところで、江州城から本命の部隊が出撃する。
これを率いるのは智将李儒で、軍容は牛輔と新規登用の郝昭、呂岱を連れて4部隊20000騎である。
永安の施設を破壊しながら北上して城に攻めかかる。
そして最後に東部方面、寿春の呂布を攻める董卓帝国軍本隊。
寿春城は呂布軍最後の城郭であるが、江東の王朗軍と戦闘を繰り返しているせいで疲弊している。
張遼と高順の双壁、軍師陳宮、そして曹操一味など将はいるが、兵力と兵装がない。
城の兵力は20000を切り、兵装も騎馬と弩が少し残っており、あと1度迎撃できる程度。
此方は皇帝陛下以下、華雄、張郃、張燕、太史慈、張繍、張済、楽進、高覧など総勢12万騎
呂布軍から迎撃の兵は来ないため、騎馬大行軍は淮水を渡ったところで二手に分かれる。
本隊は城攻めをし、半分は堤防の決壊を狙う王朗軍を駆逐しに行く。
華雄「おう、おう、おう、涼軍六騎のひとり、華雄様だ!」
呂布軍の陳蹇隊、鮑信隊と、王朗軍の胡奮隊と趙弘隊が堤防近くで小競り合いをしている。
その中に突っ込んでいく狼腰将軍の華雄隊、そこに張繍隊、張郃隊が続く。
寿春付近は騎兵の戦法が使えない地形であるが、尖鋒のような攻撃で敵を打ち倒していく。
第二軍の太史慈隊、楽進隊などが騎射を浴びせてさらに兵力を削る。
もう一度そこへ華雄たちがぶつかり、鮑信隊、陳蹇隊を続けて撃破。
ここで鮑信と副将の陳矯、陳蹇と副将の謝旌を捕らえ、帝国後初の処断をした。
緒戦を圧勝した勢いのまま先鋒部隊は王朗軍の部隊を潰しにかかる。
しかしここで下邳の太守である張角から報せが入る。
呂玲琦が牢から逃亡したというのだ。
続く
犠牲者
鮑信、謝旌、陳蹇、陳矯
指名手配
-賈充、袁譚、淳于瓊、賈華、左奕、吾彦、金禕、孫冀、厳畯、歩隲、劉度、張球、曹熊、傅嘏、曹奐、杜預
新加入
-確認中
- 新たにページを作らせて頂きました。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします。 -- 董卓の日記著者 (2012-05-05 20:27:30)
- 処断と殺戮の天下取りまであと4歩…ぐらいですかね? しかしこれと似たようなことをやったら最後は雑魚しか残らなかったんですよね そのあたりどう調整してますか? -- 名無しさん (2012-05-06 01:49:08)
- はい、ありがとうございます。あと少しって所まできました。調整というか、騎馬で戦い易い所から攻めていたらこのように残った感じです。 -- 董卓の日記著者 (2012-05-06 19:52:00)
- ああっ!なるほど -- 名無しさん (2012-05-15 18:49:40)
- なんかやけに敵将を登用できたのは、北海と柴桑は金不足で俸給が払えてなかったためのようです。 -- 董卓の日記著者 (2012-05-16 00:42:08)
- そういう「運」も持ってらしゃるんですね うらやましいです。 -- 名無しさん (2012-05-16 08:59:54)
- ↑遅くなりましたがコメントありがとうございます。運といっても配下に裏切られまくりなので何とも言えないですねw -- 董卓の日記著者 (2012-06-04 21:19:22)
- 更新しました。また長文な駄文を書かせていただきました。内容は濃かったけどあまり進展はなかったので、つい・・・。胡軫かっこいいよ胡軫 -- 董卓の日記著者 (2012-06-04 21:20:45)
- 確かに少し長いですが内容は面白いですよ こちらもコメント遅くなってすみません -- ちょっと体を悪くしたもので… (2012-06-17 01:52:26)
- 呂玲埼が御好きとは良い感性をされてますね そして呂蒙とは…ほんとにうらやましい -- もはや小説の (2012-06-17 01:58:17)
- 途中で送ってしまいました 本当に文で「胡軫」の活躍が際立ってます -- 名無しさん (2012-06-17 02:08:26)
- コメントいつもありがとうございます!(同一の方でしょうか?) 今回のプレイ中も玲琦ちゃんが脱走しないかハラハラしながら遊んでいましたw 胡軫の長文、読んでくださりありがとうございました。思わぬ活躍をしてくれていますw -- 董卓の日記著者 (2012-10-10 00:28:45)
- 張任が亡くなったのは惜しいですが縛りであるなら仕方がない いよいよ大詰めですね 「成公英」殿、戦とは無常です -- 名無しさん (2012-10-16 12:30:25)
- 別ゲームに浮気しまして、だいぶ間が空いてしまいました。ぬるぬると更新していきたいと思います。 -- 董卓の日記著者 (2013-05-25 11:28:56)
- お久しぶりです、楽しみにしており期待しております -- 名無しさん (2013-05-25 16:08:38)
- 文章上手ですね -- 名無しさん (2013-05-29 13:15:19)
- ↑2の方へ。(いつもの方かな?)コメントありがとうございます。ちょいちょい更新していきますので最後までよろしくどうぞ! ↑の方へ。ありがとうございます、頑張ります。 -- 董卓の日記著者 (2013-05-31 00:35:43)
- 昨年より別ゲームに浮気し続けていまして、そちらが落ち着き次第、去年の書き溜め分ですが更新したいと思います。宜しくお願いします。 -- 董卓の日記著者 (2014-08-17 00:22:40)
- 荀彧・陳羣・魏諷・陳琳ら後方で有能な文官がなくなったのは痛いですが、張角・郝昭ら名将が加入したことは非常にありがたいですね。落雷は除かれて無いようですのでこれから、遠距離の落雷からの火計や削りあいも有利かと思います。寝返りが祭り状態ですが・・・それでも含めて統一の時は近く、次作を楽しみとしています。あと、 -- 名無しさん (2014-08-17 12:33:27)
- 途中で送りましたねすいません、現在の勢力地図をお願いします。 -- 名無しさん (2014-08-17 12:34:23)
- お久しぶりでございます。昨年より別ゲームに浮気しておりましたがようやく磯風も落ち着いたので、書き溜め分ですが更新させていただきました。 -- 董卓の日記著者 (2014-10-05 23:11:30)
- ついに皇帝即位しました。忠誠激上げが嬉しいですね。現在の勢力図は次回に更新いたします。 -- 董卓の日記著者 (2014-10-05 23:13:06)
- 久しぶりに見たが相変わらず鬼畜で楽しい -- 名無しさん (2014-10-12 07:28:19)
- 即位おめでとうございます。こうしたイベントは縛り(半年に一回のみ褒賞の点)から考えて非常にありがたいですね。あと一息です頑張ってください -- 名無しさん (2014-10-13 13:49:13)
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