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「プレイ日記/反董卓連合/馬騰/上級/馬騰騎馬隊の漢室復興記」(2014/01/20 (月) 09:17:32) の最新版変更点
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基本設定
上級
討死無し
能力変動、落雷無効
他史実設定
いにしえ、追加武将有り
縛りルール
漢室復興を目指すため漢室無視の将は登用不可
董卓、李儒の処断
使用できるのは騎兵のみ
* 第1章
先ずは、韓遂、梁興、成公英、成宜、馬玩を追放。
流石に四人では辛いので追加武将の後の馬超の奥様
楊氏を加入させときます。
能力研究は築城まで研究をしたら連戦獲得に向けて研究予定
最初のターンで劉ヨウ獲得に馬超を派遣。
残りの四名で内政しながらあのイベントを待つ。
三度のゲームオーバーを挟んで。
劉ヨウがなかなか獲得できないので最初は探索から試みる
石蹈、杜氏、贏政が見つかる
贏政は漢室無視なので獲得できないが石蹈、杜氏は有りがたく獲得
早速石蹈を軍師に任命。
4月21日都遷都イベントが発生
洛陽に在野が誰がいるのか確認してみると
司馬朗、廬植がいたので早速登用を試みる。
また、董承も獲れると言うので獲得を試みる。
司馬朗、董承は失敗、廬植は登用成功。
司馬は諦められないので再チャレンジ。6人目でようやく登用成功
季節はもう8月になってる。
前回、前々回は7月から董卓の進攻を受けていたが10月まで董卓軍の動き無しだった
しかし、遂に董卓軍が動き出す。
天水、安定から4部隊が出撃南の渡りは塞いでいるからだろう東の渡りからの進軍を狙っているようだ。
何とか間に合った築城を付けた司馬朗とホウ徳を副将にした馬超の部隊を向かわせて一安心
と思いきや南にも安定からの増援の騎兵隊が侵入をしようとしてくる。廬植をむかわせ撹乱一閃で
南に来た騎兵隊が混乱。流石は董卓軍、脳筋で助かる。
まあ、いつまでも撹乱できないので
早く東に回った董卓軍を倒さねば。
191年3月司馬朗に続いて築城を付けた劉ヨウをむかわせる。次のターンには東の迎撃も済んだので馬超を行かせる。
南は衝車、井闌を含め5部隊が渡りの前で立ち往生している。
192年1月
南の渡りの攻防戦が董卓軍の物量作戦で年が明けても終わらないなか馬休成人
これで、文官推挙で王異、在野にいた厳峻とで13人となった。
4月には在野にいた董和、楽毅を6月には捕虜の霍去病を獲得に成功。
かなり人材が充実してきた。この頃には南の渡りの攻防戦も一段落ついたので
武威に2ヶ所ある廟候補地に馬超に探索に行かせる。
残念ながら遺跡でした。
193年1月馬鉄成人
あれ以来董卓軍の進攻はなく平和。
董卓はいま、安定、天水、長安、漢中、上庸、宛、新野を治め
東は曹操の洛陽に南は劉焉の梓潼に侵攻中
劉焉軍はかなり厳しい模様。
曹操軍は洛陽他許昌、陳留を治め、董卓軍の侵攻を抑え逆に押し返して長安に侵攻
また、許昌の軍で宛に侵攻している。
7月21日遂に武威の兵力が最大値100000に達する。
馬超「父上軍備増強が終了いたしました。」
馬騰「霍去病はまだ戻らぬか?」
ホウ徳「ハッ劉曄登用から戻るのに後130日かかります。」
馬騰「そうか‥‥‥少し不安だが天水に向けて出撃しよう。」
*第二章天水攻防戦
馬騰(繁殖)+楽毅(心攻)10000
周泰(水神)+馬休(長駆)+王異(怒髪)5000
馬超(騎神)+ホウ徳(白馬)6000
閻行(繁殖)+馬鉄(親羌)+石蹈(規律)5000で出撃
ホウ徳が非常に勿体ないポジションだが馬超に付ける軍師が居なかったので仕方なし。
天水攻略部隊が武威領内から出ると安定から迎撃部隊が3部隊出撃してくる。
戦うポイントに太鼓台を1個設置し迎撃部隊との戦闘開始
馬騰、馬超の突撃で1800~2000の兵を削ってく。
胡車児を捕らえたので処断。処断第1号
続けて董旻も捕らえたのでこちらも処断。
一気に3部隊を片付け今度こそ天水へ
天水からは賈クを含む3部隊出撃。同じように太鼓台を作って戦闘開始
賈クは流石に硬く馬超、馬騰の突撃でも1000前後しか削れない。
何とか賈クら3部隊を撃破して天水包囲。
安定から安定近くに造った太鼓台を破壊しに部隊が出撃してきたので、
登用失敗で帰ってきていた霍去病を迎撃に向かわせる。
この迎撃初めは良かったのだが貂蝉の計略でボロボロにされて5000の兵が
2000を割るぐらいまで削られて天水へと逃げだすことに。
194年1月1日攻略軍が10000近く減ったものの何とか
天水攻略賈ク、鄒氏を捕らえる。
翌月、早くも長安から天水へと進攻する部隊が出撃してくる。
急いで防衛設備を作り始め
翌3月には成宜の騎兵隊が到着する前にある程度防衛設備が整い迎撃開始
また、この月に賈クを登用ようやく軍師が手に入る。
成宜の部隊は早々に袋叩きにして全滅させる。成宜を捕らえたので処断
賈ク軍師の判断力は優れ在野の劉曄を1発登用、天水へ侵攻していた
部隊の1部隊の廖化も見事に調略成功。その他武官推挙で張英、梁操を得る。
ホウ徳が岳飛も推挙してくれたが残念ながら返り討ちにあってしまった。
う~ん下手だなぁ。
安定からも楊秋騎兵隊が来たがさっさと迎撃全滅時楊秋を捕らえたので処断。
10月連戦を獲得したので馬騰、梁操に付ける
12月指導持ちの廬植死亡。
馬騰「悲しいなぁまた1人漢室復興の仲間が亡くなったかぁ。」
195年まだまだ天水攻防戦は続く今は、南の漢中から董卓軍が侵攻している。
東では曹操軍が宛を攻略し、今また新野も得ようとしていた。
長安洛陽の攻防も潼関まで曹操のものになっている。
南の梓潼はどうやら劉焉軍が防衛に成功したようだ。
1月
天水の在野費詩を発見し登用能力は中だが馬騰軍にとって政治70以上はありがたい
また、捕虜にしていた皇甫嵩を獲得。
残りわずかな人生馬騰と一緒に漢室の為に働いてもらおう。
天水攻防戦にて北から迫っていた董承も調略する。
董卓軍の最大の弱点は董卓に魅力無く部下に裏切られやすいところかもしれない。
技巧研究騎射獲得。
これで、弩兵を使えないので防衛戦にありがたい武器ができた。
2月頃
董卓、白起、馬玩の3部隊がようやく天水に迫ってきた。
今天水は40000を越え南の防衛設備として太鼓台を2台設置して迎撃準備はばっちし。
先ずは、董卓を馬騰、馬超、霍去病の突撃でガリガリ削り全滅させ、
白起は馬超突撃時に一騎討ちが発生し勝利して捕獲。馬玩もプチっと潰す。
3月
長安から安定を通るルートで天水進攻する部隊が出撃する。チャンス
漢中から来る閻圃への対策に霍去病を残して全員武威へ移動。さて、次だ
* 第3章董卓討伐
馬騰「まずは、ホウ徳、王異は結婚せよ」
ホウ徳「ハハッよろしく頼む王異。」
王異「末永く幸せにしてくだされホウ徳様。」
馬騰「では、安定攻略を開始する。」
馬超「お待ちください父上!
天水に向けて長安より董卓軍が侵攻中と聞きます
霍去病、賈ク軍師だけでは厳しいのでは?」
劉曄「若君、ご安心ください。
長安からの部隊は安定を通る道で進んでおりますので
武威から部隊を侵攻させれば道の途中で長安からの部隊と戦うことができます」
馬超「なるほど!流石は劉曄だ」
馬騰「よし、それでは、部隊を編成する。」
馬騰(連戦)+皇甫嵩(火攻)11000
馬超(騎神)+劉曄(射程)7000
周泰(水神)+石蹈(規律)+馬休(長駆)6000
ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)7000
楽毅(心攻)+馬鉄(親羌)7000
司馬朗(築城)5000
計43000で出撃
項籍、韓遂が安定より迎撃に出撃、次のターンには張遼も出撃してくる。
劉曄の撹乱で項籍を混乱させる。
司馬朗で太鼓台をガンガン作り、項籍隊から攻撃を加えていく。
敵迎撃部隊を全滅させる。項籍隊の副将にいた何儀、韓遂を捕らえ、処断。
長安より天水攻略に侵攻している華雄槍隊が馬騰らの部隊の南から上手くすり抜けて
天水へ向かおうとするので劉曄の偽報で呼び戻し太鼓台の範囲内で袋叩きにする。
天水攻略部隊に出撃した衝車隊の劉勳を捕らえたので捕虜に。
5月天水の牢屋にいた白起の登用に成功。
7月安定を攻略
樊調、楊松、侯選、項籍を処断
馬騰「‥‥しまった!」
馬超「どうしました父上?」
馬騰「項籍を複数一緒に処断してしまったのでセリフを見れなかった!」
馬超「‥‥‥‥‥」
10月曹操軍に長安が攻めこまれるなか
長安にて疫病発生。さて、どうしよう‥‥。
12月
馬騰「陛下は曹操殿に任せようとおもう。」
馬超「!?宜しいのですか父上?」
馬騰「曹操殿は漢の功臣夏侯嬰、曹参の一族である陛下を無下には扱うまい。」
賈ク「しかし、ここまで来てそれは‥‥‥」
馬騰「我らは董卓討伐を最優先させる。
漢中、上庸を落とし陛下に董卓の首を捧げようぞ」
馬超「ハハッ!必ず董卓らの首を討ち取ってご覧にいれましょう。」
賈ク「‥‥‥‥畏まりました。」
‥‥ということで長安は曹操軍に任せることにしました。
いやぁ悩みましたよ。
許昌遷都のイベントを見たいと思い最終的にこの決断に至りました。
そして、もう1つの大きなイベント二強開戦を見たいので袁紹軍を確認
案の定劉備と公孫讃、韓腹から勢力を継いだ王匡らに河北を荒らされ
薊、北平に風前の灯でいました。
‥‥何でいつも袁紹ってこんなに弱いんでしょうね。
編集を使い薊、北平を最大に強化。これでダメだったらもう知りません。
しかし、プレイ日記で編集機能使用は
例え自分の勢力に関わるような事でなくてもNGなのでしょうか?
どうかこの一回だけですのでお見逃し下さい。
ゲームを続けます。
196年
曹操軍強し、上庸も落とし今や10都市を支配長安も後1、2ターンで落ちそうなので
11ですか‥‥曹操は袁紹と真逆でどんな状況で始めても強いですね。
董卓は上庸を奪われ後は漢中のみしかも劉焉軍に攻めこまれる始末。
漢中攻略作戦急いだ方がいいですね。
我が馬騰軍は安定攻略で捕虜にした荀攸、貂蝉を登用。
知恵の部分でも大分強化された。
おそらく次に戦うことになるであろう劉焉軍は益州南蛮の生産力を得て
今は、孫堅、劉表と激しく江陵で激突。
孫堅は荊州南郡と柴桑を得ているが将の数が少なく伸び悩んでいる模様
1月11日曹操軍長安攻略献帝擁立
2月11日天水からの漢中攻略作戦開始
馬騰(連戦)+皇甫嵩(火攻)+董承(築城)11000
馬超(騎神)+凌操(連戦)+石蹈(規律)7000
霍去病(騎神)+馬鉄(親羌)+劉曄(射程)7000
ホウ徳(白馬)+馬休(長駆)+王異(怒髪)7000
楽毅(心攻)+荀攸(百出)+貂蝉(傾国)7000
賈ク(反計)+周泰(水神)+白起(闘神)6000
計45000で出撃
4月
難所行軍研究完了。これで、益州攻めの大きな武器をゲット。
陽平関を落とし漢中に迫る。
華雄、張遼、董卓が迎撃に出撃ちなみに呂布が居ないのは曹操軍に獲られてしまっているからだ。
中々厳しい戦いになり7000にた霍去病の騎兵隊が242まで減らされ撤退を余儀なくされた。
5月劉焉死亡。劉璋継承
許昌遷都のイベント発生。荀イクと曹操の微妙な食い違いが感慨深い。
6月漢中攻略成功。董卓滅亡
董卓、袁術、胡診、牛輔、張済、成公英処断
鄒氏、張繍、張遼、張勳、高順、楽就、侯成、宋憲、張既獲得。
蔡瑁、郭シ解放。←嫌いな武将なので別に処断しても良かったのですが‥‥
斬るには勿体ない中堅だったので解放してあげました。
次の章は益州攻めにするつもりではいますがさてはて。
* 第4章劉璋との戦い
馬騰「白起、お主、漢室無視だったのか?」
白起「は?漢室など古くさい」
馬騰「追放」
‥‥‥すみません白起漢室普通だと思ってました。
11月張遼が武官推挙で朱桓を連れてくる。
全能力80前後の優等生。ただ、槍将なので特技の付け替えが必要。
漢中に外交府を建て曹操に土下座外交をしながらこの年を終える。
197年
馬雲録、馬岱が成人
袁紹軍は強化のかいあり、公孫讃を滅ぼし今は、南皮奪還に激しく攻撃を加えていく
しかし、流石は劉備軍。関羽らの厳しい攻撃にかなりの被害が出ているようだ
江陵での戦いは孫堅が制したが劉璋もまだまだ、諦めておらず虎視眈々と江陵を狙っている。
曹操はいよいよ荊州城陽攻略へ乗り出したようだ。
馬騰軍は曹操軍の動きに焦りを感じつつ軍備増強を行う。そして‥‥3月
賈ク「劉璋軍の張任隊戟兵S 8000が剣閣に向けて進軍中との報告を受けました。」
馬騰「よし、少し早いが梓潼攻略部隊を編成する」
馬騰(連戦)+朱桓(槍将)+董承(築城)11000
ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)8000
馬超(騎神)+凌操(連戦)+馬休(長駆)8000
霍去病(騎神)+馬岱(沈着)+鄒氏(楽奏)8000
張遼(威風)+馬雲緑(騎将)+劉曄(射程)8000
楽毅(心攻)+華雄(猛者)+馬鉄(親羌)7000
高順(攻城)+荀攸(百出)+貂蝉(傾国)7000
計58000対する梓潼は張任合わせて65000
中々厳しい戦いになりそうだ。
7月21日梓潼攻略
予想外に楽な戦いだった都市の兵士数は多かったがそれを指揮する武将が四人しかいない
すぐに梓潼を囲んで太鼓台を2個造り一斉攻撃して兵士数を削ってから迎撃部隊を撃破
王甫、高沛を捕虜にした。
急ぎ漢中に治安維持担当の二人を残し残り全員を梓潼内政のため移動させる
10月内政の目処がたったため成都攻略作戦開始
馬超(騎神)+馬岱(沈着)+石蹈(規律)8000
ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)+馬雲録(騎将)8000
張遼(威風)+張繍(騎将)+朱桓(槍将)8000
霍去病(騎神)+華雄(猛者)+劉曄(射程)8000
高順(攻城)+馬休(長駆)+董承(築城)7000
計39000対する成都は2つの関を合わせても20000に
届かない。年内攻略できるか?
198年後一撃で成都陥落というところで年明けを迎える。
曹操軍は城陽、北海、盧江を落とし今は、僕陽に部隊を派遣している。
袁紹軍は南皮を奪還しその勢いのまま平原を攻略しようとしたようだが
残念ながら返り討ちにされていた。しかし、北平には70000、南皮には40000の軍が在中し
すぐにでも劉備軍を攻める準備は出来ているようだ。
荊州江陵は今は、劉璋軍の支配下しかし、すぐ北の城陽には曹操軍70000が在中。
すぐにでも主交代となりそうだ。
1月成都攻略初の大都市ゲット。
また、楊昂を処断。梓潼には登用に成功した高沛を残して成都へ。
内政を始める。
内政をしている間に捕虜の韓信、張任、楊壊、王甫、また、武官推挙で謝旌を得る。
この頃曹操軍は江陵を支配下し永安にも手を伸ばす。
7月11日曹操軍に永安を獲られないよう
江州攻略作戦開始する。
馬騰(連戦)+賈ク(反計)+董承(築城)12000
馬超(騎神)+凌操(連戦)+劉曄(射程)9000
ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)+張繍(騎将)9000
霍去病(騎神)+韓信(強行)+馬雲録(騎将)9000
張遼(威風)+馬休(長駆)+石蹈(規律)9000
楽毅(心攻)+馬岱(沈着)+華雄(猛者)8000
計56000で出撃。
8月11日二強開戦イベント発生。
まあ、二強開戦と言っても力の差は歴然となってしまっているのだが‥‥
この後袁紹軍は果敢にも北海へ軍を出撃させる。‥‥‥やめとけばいいのに‥‥
21日江州からの迎撃部隊を全滅させ厳顔を捕らえ、捕虜にする
そういえば劉璋軍は初期配下に弓将が二人も居るんですよね。
そして補佐持ちの弩Sの呉懿と
技巧研究は弓を育てろと言わんばかりな布陣に見えるのは私だけでしょうか?
9月21日江州攻略。
雷同を捕虜にする
永安の戦局を窺いながら内政開始。
今回は長安のようなことはせず確実に永安は漁夫の利作戦決行させていただきます。
199年プレイは10年目
曹操軍は北海防衛戦。永安、ギョウ攻略戦と3ヶ所の戦線を抱える
北海の袁紹軍との北海防衛戦では徐晃、関羽の部隊がいる。
場所は違うが白馬の戦いのようでちょっと感動。
袁紹軍は北海に大部隊を派遣するが北海の臨済港の前をがっちり固められ上陸できない。
劉璋軍は永安防衛戦大善戦曹操軍を何部隊も追い返し永安への渡りを渡らせない。
しかし、孫堅軍も永安攻めを始め辛い局面を迎えはじめる。
韓腹軍を継承した王匡軍はギョウ防衛戦見事に曹操軍を追い返すが
陳留よりまた曹操軍がギョウへと進軍を始めている。
2月11日永安攻略作戦開始
馬騰(連戦)+賈ク(反計)+馬鉄(親羌)12000
馬超(騎神)+凌操(連戦)+劉曄(射程)9000
ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)+張繍(騎将)9000
張遼(威風)+司馬朗(築城)+馬雲リョク(騎将)9000
霍去病(騎神)+華雄(猛者)+韓信(強行)9000
楽毅(心攻)+荀攸(百出)+貂蝉(傾国)8000
計56000で出撃して一気に攻め落とす作戦
永安へは劉璋軍の武将、兵は全て東から来る孫堅、曹操軍の防衛戦で
馬騰軍に迎撃に向かってくる部隊はなくすぐに永安を包囲劉璋の部隊が全滅するのを待つ
4月11日永安攻略
蔡氏、孟達は処断。呉懿、呉班、秦フク、秦瓊は捕虜にした後登用
唐の名将門神秦瓊ゲット。門神だから特技は金剛何ですかね?
孫堅軍、曹操軍は獲るものなく退却していく。
在野楊阜、韓徳を得る。楊阜は馬超とは嫌悪だが馬騰なので関係なし
内政担当だから戦場に連れていくこともないだろう。
5月1日建寧から劉璋軍が成都に向けて進軍
距離もあるので無視して全員で永安で内政に着手。
8月21日長駆持ちの馬休で行っていた廟、遺跡探索で江州周辺に廟を発見。
張飛プレイの時になかなか役に立った連環を賈クに与える。
11月までに建寧からの成都攻略部隊を全滅させる。
呉起の衝車隊が先陣をきり、その少し後ろから英布の槍隊が続く
渡りのところで待ち伏せ呉起の衝車を壁にしてすぐ後ろに並んだ英布槍隊をまず
太鼓台で強化した騎射で削り頃合いを見計らって呉起の衝車隊を倒し、英布槍隊を倒す
その後から来た黄権の衝車隊も一気に全滅させる。その際黄権を捕らえたので捕虜にして
登用。
12月華雄死亡。
特技猛者全く発動を見ることなくお亡くなりになってしまいました。
建寧攻略作戦開始
馬騰(連戦)+董承(築城)+韓信(強行)12000
張遼(威風)+張繍(騎将)+馬休(長駆)10000
馬超(騎神)+劉曄(射程)+呉懿(補佐)10000
ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)+凌操(連戦)10000
霍去病(騎神)+馬鉄(親羌)+黄権(規律)10000
楽毅(心攻)+荀攸(百出)+賈ク(連環)9000
計61000で出撃。
200年
曹操軍
袁紹軍に北海を奪われるが王匡軍改め藩鳳軍のギョウを奪うが
袁紹軍の攻撃を受けギョウもまた奪われてしまう
と言うさんざんな一年
しかし、南は永安を馬騰軍が奪ったため北以外は全て同盟国となり
北へと兵力、人材を集中できるようになった。
袁紹軍
土地では北海、ギョウを得て、人材では曹操軍にいた高長恭、彭越を得て
昨年は飛躍の1年に。
今は、下ヒとの激しい攻防を繰り広げており何とかせいして河南の大都市を得たいところだろう。
6月永安に廖立が士官を求めてやってくる。まだまだ、文官が不足気味の我が軍にとってありがたい
建寧攻略
本道には連弩櫓を複数設置していたので森を通るルートから都市に接近する。
森ルートからだと内政地には兵舎があり破壊することで建寧の徴兵をストップ。
都市包囲して一斉攻撃にて陥落させる。
11月21日劉璋軍の最後の都市雲南の攻略作戦開始
馬超(騎神)+楽毅(心攻)+馬休(長駆)10000
ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)+凌操(連戦)10000
張遼(威風)+韓信(強行)+馬雲リョク(騎将)10000
霍去病(騎神)+呉懿(補佐)+馬岱(沈着)10000
計40000対する雲南には21000そして楊大眼、英布、呉起がいる
多少てこずるかな。
201年
曹操軍
北海を取り戻し、今は、ギョウ攻略へと大軍団をギョウへ進攻させている。
ギョウには24000にいるがその何倍もの兵がギョウへと接近しており
統率している将も徐晃、呂布、魏延、夏侯淵等と名将が揃う。
袁紹軍
北海を奪い返され今は、ギョウも危険な状態ギョウには30人の将がおりここが落ちれば
一気に体勢が決まりかねない。
孫堅軍
昨年は江夏を落とし今年は寿春へと進攻させている。
寿春の劉辟軍には岳飛、鄭成功、張良が居る劉辟軍には厳しいが
勝機は無くもないかな?
4月
建寧で疫病発生。ついてない‥‥
雲南攻略劉璋滅亡
非常に勿体ないが張松、呉起は漢室無視なので処断する
英布、王累、関寧、孔丘、呉蘭、ホウ義、楊大眼、劉カイ、劉循、劉璋
疾走持ちの楊大眼を誰と組ませたものか贅沢な悩みをかかえる。
何名か除いて中堅どころの者ばかりだが治安維持役として大いに活躍してもらおう。
劉璋は‥‥‥‥‥‥まあ、マスコットとして劉循とセットで何処かに置いておこう。
* 第5章荊南攻略
荀攸「若君どうされました?憮然として?」
馬超「父上は臆病風に吹かれたのではないのか?
何故曹操に闘いを挑もうとしないのだ?」
荀攸「さて、小人の私には解りかねますが‥‥。」
馬超「謙遜はいい、荀攸の考えを聞かせてくれ。」
荀攸「しからば
曹操軍は今袁紹軍との決戦の真っ只中でございます。」
馬超「だからこそ今こそ曹操軍を後方から襲うべきではないのか?
曹操軍はこちらとはまともに闘えまい。」
荀攸「はい。その通りでございます。
その場合曹操軍は間違いなく停戦を申し込んで来るでしょう。」
馬超「そんなもの突っぱねれば良かろう?」
荀攸「はい。しかし、曹操軍は帝をおさえております。
帝の名で停戦の勅旨が出されればどうでしょう。」
馬超「!!!‥それは‥‥‥」
荀攸「たとえ曹操の意志で出された勅旨であっても
我らが漢室再興を掲げている以上無下に断ることはできませぬ。」
馬超「‥‥なるほど」
荀攸「‥‥と言うのが理由の1つです。」
馬超「1つ?まだあるのか?」
荀攸「はい。もう1つは猛将の血です。
曹操軍と智と智、武と武を真っ向から競いあいたいのでしょう。」
馬超「なるほど、確かに曹操軍は曹操を筆頭に多くの名将、猛将、知将がるというしな。」
荀攸「なので邪魔が入らぬよう先ずは公庫の憂いをたつ必要があります。」
馬超「解ったありがとう荀攸。では、私は来るべき決戦に向け腕を磨こう。」
‥‥‥と言う会話があったような気がしつつ次は孫堅軍との戦いを始めます。
202年
曹操軍
ギョウ、平原を奪い今は、大軍勢で南皮進軍中
袁紹軍は後何年持つのか‥‥
孫堅軍
劉辟軍より寿春を奪い今は、劉辟軍最後の都市汝南へ進行中
劉辟軍は後一年の命といったところだろう。
1月孫堅軍との同盟を破棄成都から荊南攻略軍を出撃させる。
馬超「これだけの軍勢をいただける以上
この軍勢を持って荊州南部四群を全て奪ってみせましょう。」
馬騰「うむ。よくぞ申した。頼もしいぞ。しかし、本当に大丈夫か?」
馬超「男に二言なしお任せを」
‥‥‥出撃部隊は下記の通り
馬超(騎神)+黄権(規律)+楊大眼(疾走)10000
ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)+凌操(連戦)10000
張遼(威風)+張繍(騎将)+馬休(長駆)10000
霍去病(騎神)+韓信(強行)+英布(威風)10000
楽毅(心攻)+徐氏(キ計)+秦瓊(金剛)9000
周泰(水神)+劉曄(射程)+劉表(心攻)9000
馬岱(沈着)+石蹈(規律)8000
賈ク(連環)+貂蝉(傾国)+荀攸(百出)7000
馬鉄(補佐)+司馬朗(築城)8000
馬雲リョク(騎将)+王甫(待伏)+鄒氏(楽奏)7000
呉懿(補佐)+厳顔(弓将)+張既(親羌)8000
40日遅れで輸送隊楊氏1000
計94000で兵糧以外の補給なしで戦います。
四群各都市20000前後の兵がいますが
各都市に武将は3人~4人しか居ないのでおそらくいけるでしょう。
荊南四群攻略部隊が武陵の港に近づく頃には17名の孫堅軍の武将が武陵に入場
兵数は35000に(後に長沙より15000の増援兵が入城)孫堅の戟兵、朱然の弩兵、程普騎兵
陳武戟兵、黄蓋弩兵、もう一回程普騎兵の6部隊の迎撃部隊が出撃してきた。
先ずは孫堅の戟兵から急ぎ倒しにかかる。
また、迎撃部隊を賈クの連環+貂蝉の傾国で2部隊ずつ計4部隊を撹乱で混乱させる。
孫堅の戟兵撃破時に孫堅を捕らえたが漢室重視の将なので解放。
アイテム一定数越えたので左慈登場。馬騰の能力がちょいアップ。
迎撃部隊との戦いで霍峻、蕭何を捕虜にして登用。
9月11日武陵攻略
何人か孫堅軍の将を捕らえたので捕虜に厳白虎のみ漢室無視なので処断。
この戦いで94000いた兵数は73000になっていた。
11月1日気力を全快の120にして零陵攻略作戦開始。
天水で徴兵などをさせていた馬騰ら留守番の将たちに武陵内政をさせる
73000を11部隊に分け1部隊6500で出撃。
孫策戟兵、韓当槍兵、呉景弩兵が迎撃に向かってくる。
前回の武陵攻略戦の反省を生かし太鼓台を3設置して迎撃部隊の接近を待つ
孫策戟兵、韓当槍兵が隣接して接近してきたので賈クの連環+貂蝉の傾国で
撹乱一閃混乱させる。心攻を持つ楽毅、劉表を副将にした周泰の部隊で迎撃部隊を攻撃させる。
12月
黄権「霍去病将軍が陣中に没したと報告が入りました。
馬超「なに!?霍去病が‥‥‥」
黄権「霍去病将軍の部隊は副将の韓信が引き継ぎました、」
馬超「‥‥そうか‥‥‥俺と騎神で大暴れしていた仲だったのだが‥‥哀しいなぁ」
203年
曹操軍
河北は晋陽、襄平を残すのみ河北統一恐らくは後一年か
江東にも兵を繰り出し始めていた。
1月11日零陵攻略残兵71494
敵部隊がすぐに混乱してくれたことや
都市攻めを火計のみにしたことであまり兵を損なわずに済む。
3月11日桂陽攻略作戦開始
約70000で出撃。霍去病の部隊は張遼の副将をしていた馬休を主将にする。
馬休(長駆)+韓信(強行)+英布(威風)
また、馬鉄は特技を補佐に変更。対する桂陽21000
長沙から孫堅軍の武陵攻略部隊が出撃してくる。
まだ内政途中で兵士数も1300しかいないが距離もあるので何とかなるだろう。
桂陽から孫堅槍兵、鄭成功槍兵が出撃してくる。
隣接してるので何時ものように2部隊一気に混乱していただきました。
5月桂陽攻略残兵69698
恐らくはまだ、長沙攻略を行ってないが荊南四群で一番楽な攻略戦だろう。
8月精鋭騎兵獲得。
一度研究したですが研究途中で武将が亡くなって失敗今ようやく獲得出来ました。
10月21日長沙攻略作戦開始
桂陽内政を行い少し間が空いてしまった。
11月
長沙攻略部隊が長沙から出撃してきた迎撃部隊と戦うなか
孫堅軍の蔡桑より武陵攻略部隊が出撃。武陵には治安維持に将が二人いるだけだが、
まあ、距離もあるので長沙を攻略してからでも充分間に合うだろう。
204年プレイ開始15年目都市数は14武将87
曹操遂に河北統一都市数は21となり武将数は180となる。
そろそろ曹操軍と闘う時か‥‥‥
1月1日長沙攻略これで四群全て獲得。
この四群制圧のお陰で
孫堅軍から陳慶之、鄭成功、孔丘等多くの人材を得ることができた。
孫堅軍を滅亡させようとすると蔡桑、江夏、汝南、寿春を攻め落とさなければならないとなれば‥‥
- 張飛の人かな? -- 名無しさん (2014-01-12 18:40:54)
- ↑はい、そうです。前回に続き今回もお付き合いいただき有り難うございます -- 筆者 (2014-01-13 04:06:57)
#comment
基本設定
上級
討死無し
能力変動、落雷無効
他史実設定
いにしえ、追加武将有り
縛りルール
漢室復興を目指すため漢室無視の将は登用不可
董卓、李儒の処断
使用できるのは騎兵のみ
* 第1章
先ずは、韓遂、梁興、成公英、成宜、馬玩を追放。
流石に四人では辛いので追加武将の後の馬超の奥様
楊氏を加入させときます。
能力研究は築城まで研究をしたら連戦獲得に向けて研究予定
最初のターンで劉ヨウ獲得に馬超を派遣。
残りの四名で内政しながらあのイベントを待つ。
三度のゲームオーバーを挟んで。
劉ヨウがなかなか獲得できないので最初は探索から試みる
石蹈、杜氏、贏政が見つかる
贏政は漢室無視なので獲得できないが石蹈、杜氏は有りがたく獲得
早速石蹈を軍師に任命。
4月21日都遷都イベントが発生
洛陽に在野が誰がいるのか確認してみると
司馬朗、廬植がいたので早速登用を試みる。
また、董承も獲れると言うので獲得を試みる。
司馬朗、董承は失敗、廬植は登用成功。
司馬は諦められないので再チャレンジ。6人目でようやく登用成功
季節はもう8月になってる。
前回、前々回は7月から董卓の進攻を受けていたが10月まで董卓軍の動き無しだった
しかし、遂に董卓軍が動き出す。
天水、安定から4部隊が出撃南の渡りは塞いでいるからだろう東の渡りからの進軍を狙っているようだ。
何とか間に合った築城を付けた司馬朗とホウ徳を副将にした馬超の部隊を向かわせて一安心
と思いきや南にも安定からの増援の騎兵隊が侵入をしようとしてくる。廬植をむかわせ撹乱一閃で
南に来た騎兵隊が混乱。流石は董卓軍、脳筋で助かる。
まあ、いつまでも撹乱できないので
早く東に回った董卓軍を倒さねば。
191年3月司馬朗に続いて築城を付けた劉ヨウをむかわせる。次のターンには東の迎撃も済んだので馬超を行かせる。
南は衝車、井闌を含め5部隊が渡りの前で立ち往生している。
192年1月
南の渡りの攻防戦が董卓軍の物量作戦で年が明けても終わらないなか馬休成人
これで、文官推挙で王異、在野にいた厳峻とで13人となった。
4月には在野にいた董和、楽毅を6月には捕虜の霍去病を獲得に成功。
かなり人材が充実してきた。この頃には南の渡りの攻防戦も一段落ついたので
武威に2ヶ所ある廟候補地に馬超に探索に行かせる。
残念ながら遺跡でした。
193年1月馬鉄成人
あれ以来董卓軍の進攻はなく平和。
董卓はいま、安定、天水、長安、漢中、上庸、宛、新野を治め
東は曹操の洛陽に南は劉焉の梓潼に侵攻中
劉焉軍はかなり厳しい模様。
曹操軍は洛陽他許昌、陳留を治め、董卓軍の侵攻を抑え逆に押し返して長安に侵攻
また、許昌の軍で宛に侵攻している。
7月21日遂に武威の兵力が最大値100000に達する。
馬超「父上軍備増強が終了いたしました。」
馬騰「霍去病はまだ戻らぬか?」
ホウ徳「ハッ劉曄登用から戻るのに後130日かかります。」
馬騰「そうか‥‥‥少し不安だが天水に向けて出撃しよう。」
*第二章天水攻防戦
馬騰(繁殖)+楽毅(心攻)10000
周泰(水神)+馬休(長駆)+王異(怒髪)5000
馬超(騎神)+ホウ徳(白馬)6000
閻行(繁殖)+馬鉄(親羌)+石蹈(規律)5000で出撃
ホウ徳が非常に勿体ないポジションだが馬超に付ける軍師が居なかったので仕方なし。
天水攻略部隊が武威領内から出ると安定から迎撃部隊が3部隊出撃してくる。
戦うポイントに太鼓台を1個設置し迎撃部隊との戦闘開始
馬騰、馬超の突撃で1800~2000の兵を削ってく。
胡車児を捕らえたので処断。処断第1号
続けて董旻も捕らえたのでこちらも処断。
一気に3部隊を片付け今度こそ天水へ
天水からは賈クを含む3部隊出撃。同じように太鼓台を作って戦闘開始
賈クは流石に硬く馬超、馬騰の突撃でも1000前後しか削れない。
何とか賈クら3部隊を撃破して天水包囲。
安定から安定近くに造った太鼓台を破壊しに部隊が出撃してきたので、
登用失敗で帰ってきていた霍去病を迎撃に向かわせる。
この迎撃初めは良かったのだが貂蝉の計略でボロボロにされて5000の兵が
2000を割るぐらいまで削られて天水へと逃げだすことに。
194年1月1日攻略軍が10000近く減ったものの何とか
天水攻略賈ク、鄒氏を捕らえる。
翌月、早くも長安から天水へと進攻する部隊が出撃してくる。
急いで防衛設備を作り始め
翌3月には成宜の騎兵隊が到着する前にある程度防衛設備が整い迎撃開始
また、この月に賈クを登用ようやく軍師が手に入る。
成宜の部隊は早々に袋叩きにして全滅させる。成宜を捕らえたので処断
賈ク軍師の判断力は優れ在野の劉曄を1発登用、天水へ侵攻していた
部隊の1部隊の廖化も見事に調略成功。その他武官推挙で張英、梁操を得る。
ホウ徳が岳飛も推挙してくれたが残念ながら返り討ちにあってしまった。
う~ん下手だなぁ。
安定からも楊秋騎兵隊が来たがさっさと迎撃全滅時楊秋を捕らえたので処断。
10月連戦を獲得したので馬騰、梁操に付ける
12月指導持ちの廬植死亡。
馬騰「悲しいなぁまた1人漢室復興の仲間が亡くなったかぁ。」
195年まだまだ天水攻防戦は続く今は、南の漢中から董卓軍が侵攻している。
東では曹操軍が宛を攻略し、今また新野も得ようとしていた。
長安洛陽の攻防も潼関まで曹操のものになっている。
南の梓潼はどうやら劉焉軍が防衛に成功したようだ。
1月
天水の在野費詩を発見し登用能力は中だが馬騰軍にとって政治70以上はありがたい
また、捕虜にしていた皇甫嵩を獲得。
残りわずかな人生馬騰と一緒に漢室の為に働いてもらおう。
天水攻防戦にて北から迫っていた董承も調略する。
董卓軍の最大の弱点は董卓に魅力無く部下に裏切られやすいところかもしれない。
技巧研究騎射獲得。
これで、弩兵を使えないので防衛戦にありがたい武器ができた。
2月頃
董卓、白起、馬玩の3部隊がようやく天水に迫ってきた。
今天水は40000を越え南の防衛設備として太鼓台を2台設置して迎撃準備はばっちし。
先ずは、董卓を馬騰、馬超、霍去病の突撃でガリガリ削り全滅させ、
白起は馬超突撃時に一騎討ちが発生し勝利して捕獲。馬玩もプチっと潰す。
3月
長安から安定を通るルートで天水進攻する部隊が出撃する。チャンス
漢中から来る閻圃への対策に霍去病を残して全員武威へ移動。さて、次だ
* 第3章董卓討伐
馬騰「まずは、ホウ徳、王異は結婚せよ」
ホウ徳「ハハッよろしく頼む王異。」
王異「末永く幸せにしてくだされホウ徳様。」
馬騰「では、安定攻略を開始する。」
馬超「お待ちください父上!
天水に向けて長安より董卓軍が侵攻中と聞きます
霍去病、賈ク軍師だけでは厳しいのでは?」
劉曄「若君、ご安心ください。
長安からの部隊は安定を通る道で進んでおりますので
武威から部隊を侵攻させれば道の途中で長安からの部隊と戦うことができます」
馬超「なるほど!流石は劉曄だ」
馬騰「よし、それでは、部隊を編成する。」
馬騰(連戦)+皇甫嵩(火攻)11000
馬超(騎神)+劉曄(射程)7000
周泰(水神)+石蹈(規律)+馬休(長駆)6000
ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)7000
楽毅(心攻)+馬鉄(親羌)7000
司馬朗(築城)5000
計43000で出撃
項籍、韓遂が安定より迎撃に出撃、次のターンには張遼も出撃してくる。
劉曄の撹乱で項籍を混乱させる。
司馬朗で太鼓台をガンガン作り、項籍隊から攻撃を加えていく。
敵迎撃部隊を全滅させる。項籍隊の副将にいた何儀、韓遂を捕らえ、処断。
長安より天水攻略に侵攻している華雄槍隊が馬騰らの部隊の南から上手くすり抜けて
天水へ向かおうとするので劉曄の偽報で呼び戻し太鼓台の範囲内で袋叩きにする。
天水攻略部隊に出撃した衝車隊の劉勳を捕らえたので捕虜に。
5月天水の牢屋にいた白起の登用に成功。
7月安定を攻略
樊調、楊松、侯選、項籍を処断
馬騰「‥‥しまった!」
馬超「どうしました父上?」
馬騰「項籍を複数一緒に処断してしまったのでセリフを見れなかった!」
馬超「‥‥‥‥‥」
10月曹操軍に長安が攻めこまれるなか
長安にて疫病発生。さて、どうしよう‥‥。
12月
馬騰「陛下は曹操殿に任せようとおもう。」
馬超「!?宜しいのですか父上?」
馬騰「曹操殿は漢の功臣夏侯嬰、曹参の一族である陛下を無下には扱うまい。」
賈ク「しかし、ここまで来てそれは‥‥‥」
馬騰「我らは董卓討伐を最優先させる。
漢中、上庸を落とし陛下に董卓の首を捧げようぞ」
馬超「ハハッ!必ず董卓らの首を討ち取ってご覧にいれましょう。」
賈ク「‥‥‥‥畏まりました。」
‥‥ということで長安は曹操軍に任せることにしました。
いやぁ悩みましたよ。
許昌遷都のイベントを見たいと思い最終的にこの決断に至りました。
そして、もう1つの大きなイベント二強開戦を見たいので袁紹軍を確認
案の定劉備と公孫讃、韓腹から勢力を継いだ王匡らに河北を荒らされ
薊、北平に風前の灯でいました。
‥‥何でいつも袁紹ってこんなに弱いんでしょうね。
編集を使い薊、北平を最大に強化。これでダメだったらもう知りません。
しかし、プレイ日記で編集機能使用は
例え自分の勢力に関わるような事でなくてもNGなのでしょうか?
どうかこの一回だけですのでお見逃し下さい。
ゲームを続けます。
196年
曹操軍強し、上庸も落とし今や10都市を支配長安も後1、2ターンで落ちそうなので
11ですか‥‥曹操は袁紹と真逆でどんな状況で始めても強いですね。
董卓は上庸を奪われ後は漢中のみしかも劉焉軍に攻めこまれる始末。
漢中攻略作戦急いだ方がいいですね。
我が馬騰軍は安定攻略で捕虜にした荀攸、貂蝉を登用。
知恵の部分でも大分強化された。
おそらく次に戦うことになるであろう劉焉軍は益州南蛮の生産力を得て
今は、孫堅、劉表と激しく江陵で激突。
孫堅は荊州南郡と柴桑を得ているが将の数が少なく伸び悩んでいる模様
1月11日曹操軍長安攻略献帝擁立
2月11日天水からの漢中攻略作戦開始
馬騰(連戦)+皇甫嵩(火攻)+董承(築城)11000
馬超(騎神)+凌操(連戦)+石蹈(規律)7000
霍去病(騎神)+馬鉄(親羌)+劉曄(射程)7000
ホウ徳(白馬)+馬休(長駆)+王異(怒髪)7000
楽毅(心攻)+荀攸(百出)+貂蝉(傾国)7000
賈ク(反計)+周泰(水神)+白起(闘神)6000
計45000で出撃
4月
難所行軍研究完了。これで、益州攻めの大きな武器をゲット。
陽平関を落とし漢中に迫る。
華雄、張遼、董卓が迎撃に出撃ちなみに呂布が居ないのは曹操軍に獲られてしまっているからだ。
中々厳しい戦いになり7000にた霍去病の騎兵隊が242まで減らされ撤退を余儀なくされた。
5月劉焉死亡。劉璋継承
許昌遷都のイベント発生。荀イクと曹操の微妙な食い違いが感慨深い。
6月漢中攻略成功。董卓滅亡
董卓、袁術、胡診、牛輔、張済、成公英処断
鄒氏、張繍、張遼、張勳、高順、楽就、侯成、宋憲、張既獲得。
蔡瑁、郭シ解放。←嫌いな武将なので別に処断しても良かったのですが‥‥
斬るには勿体ない中堅だったので解放してあげました。
次の章は益州攻めにするつもりではいますがさてはて。
* 第4章劉璋との戦い
馬騰「白起、お主、漢室無視だったのか?」
白起「は?漢室など古くさい」
馬騰「追放」
‥‥‥すみません白起漢室普通だと思ってました。
11月張遼が武官推挙で朱桓を連れてくる。
全能力80前後の優等生。ただ、槍将なので特技の付け替えが必要。
漢中に外交府を建て曹操に土下座外交をしながらこの年を終える。
197年
馬雲録、馬岱が成人
袁紹軍は強化のかいあり、公孫讃を滅ぼし今は、南皮奪還に激しく攻撃を加えていく
しかし、流石は劉備軍。関羽らの厳しい攻撃にかなりの被害が出ているようだ
江陵での戦いは孫堅が制したが劉璋もまだまだ、諦めておらず虎視眈々と江陵を狙っている。
曹操はいよいよ荊州城陽攻略へ乗り出したようだ。
馬騰軍は曹操軍の動きに焦りを感じつつ軍備増強を行う。そして‥‥3月
賈ク「劉璋軍の張任隊戟兵S 8000が剣閣に向けて進軍中との報告を受けました。」
馬騰「よし、少し早いが梓潼攻略部隊を編成する」
馬騰(連戦)+朱桓(槍将)+董承(築城)11000
ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)8000
馬超(騎神)+凌操(連戦)+馬休(長駆)8000
霍去病(騎神)+馬岱(沈着)+鄒氏(楽奏)8000
張遼(威風)+馬雲緑(騎将)+劉曄(射程)8000
楽毅(心攻)+華雄(猛者)+馬鉄(親羌)7000
高順(攻城)+荀攸(百出)+貂蝉(傾国)7000
計58000対する梓潼は張任合わせて65000
中々厳しい戦いになりそうだ。
7月21日梓潼攻略
予想外に楽な戦いだった都市の兵士数は多かったがそれを指揮する武将が四人しかいない
すぐに梓潼を囲んで太鼓台を2個造り一斉攻撃して兵士数を削ってから迎撃部隊を撃破
王甫、高沛を捕虜にした。
急ぎ漢中に治安維持担当の二人を残し残り全員を梓潼内政のため移動させる
10月内政の目処がたったため成都攻略作戦開始
馬超(騎神)+馬岱(沈着)+石蹈(規律)8000
ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)+馬雲録(騎将)8000
張遼(威風)+張繍(騎将)+朱桓(槍将)8000
霍去病(騎神)+華雄(猛者)+劉曄(射程)8000
高順(攻城)+馬休(長駆)+董承(築城)7000
計39000対する成都は2つの関を合わせても20000に
届かない。年内攻略できるか?
198年後一撃で成都陥落というところで年明けを迎える。
曹操軍は城陽、北海、盧江を落とし今は、僕陽に部隊を派遣している。
袁紹軍は南皮を奪還しその勢いのまま平原を攻略しようとしたようだが
残念ながら返り討ちにされていた。しかし、北平には70000、南皮には40000の軍が在中し
すぐにでも劉備軍を攻める準備は出来ているようだ。
荊州江陵は今は、劉璋軍の支配下しかし、すぐ北の城陽には曹操軍70000が在中。
すぐにでも主交代となりそうだ。
1月成都攻略初の大都市ゲット。
また、楊昂を処断。梓潼には登用に成功した高沛を残して成都へ。
内政を始める。
内政をしている間に捕虜の韓信、張任、楊壊、王甫、また、武官推挙で謝旌を得る。
この頃曹操軍は江陵を支配下し永安にも手を伸ばす。
7月11日曹操軍に永安を獲られないよう
江州攻略作戦開始する。
馬騰(連戦)+賈ク(反計)+董承(築城)12000
馬超(騎神)+凌操(連戦)+劉曄(射程)9000
ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)+張繍(騎将)9000
霍去病(騎神)+韓信(強行)+馬雲録(騎将)9000
張遼(威風)+馬休(長駆)+石蹈(規律)9000
楽毅(心攻)+馬岱(沈着)+華雄(猛者)8000
計56000で出撃。
8月11日二強開戦イベント発生。
まあ、二強開戦と言っても力の差は歴然となってしまっているのだが‥‥
この後袁紹軍は果敢にも北海へ軍を出撃させる。‥‥‥やめとけばいいのに‥‥
21日江州からの迎撃部隊を全滅させ厳顔を捕らえ、捕虜にする
そういえば劉璋軍は初期配下に弓将が二人も居るんですよね。
そして補佐持ちの弩Sの呉懿と
技巧研究は弓を育てろと言わんばかりな布陣に見えるのは私だけでしょうか?
9月21日江州攻略。
雷同を捕虜にする
永安の戦局を窺いながら内政開始。
今回は長安のようなことはせず確実に永安は漁夫の利作戦決行させていただきます。
199年プレイは10年目
曹操軍は北海防衛戦。永安、ギョウ攻略戦と3ヶ所の戦線を抱える
北海の袁紹軍との北海防衛戦では徐晃、関羽の部隊がいる。
場所は違うが白馬の戦いのようでちょっと感動。
袁紹軍は北海に大部隊を派遣するが北海の臨済港の前をがっちり固められ上陸できない。
劉璋軍は永安防衛戦大善戦曹操軍を何部隊も追い返し永安への渡りを渡らせない。
しかし、孫堅軍も永安攻めを始め辛い局面を迎えはじめる。
韓腹軍を継承した王匡軍はギョウ防衛戦見事に曹操軍を追い返すが
陳留よりまた曹操軍がギョウへと進軍を始めている。
2月11日永安攻略作戦開始
馬騰(連戦)+賈ク(反計)+馬鉄(親羌)12000
馬超(騎神)+凌操(連戦)+劉曄(射程)9000
ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)+張繍(騎将)9000
張遼(威風)+司馬朗(築城)+馬雲リョク(騎将)9000
霍去病(騎神)+華雄(猛者)+韓信(強行)9000
楽毅(心攻)+荀攸(百出)+貂蝉(傾国)8000
計56000で出撃して一気に攻め落とす作戦
永安へは劉璋軍の武将、兵は全て東から来る孫堅、曹操軍の防衛戦で
馬騰軍に迎撃に向かってくる部隊はなくすぐに永安を包囲劉璋の部隊が全滅するのを待つ
4月11日永安攻略
蔡氏、孟達は処断。呉懿、呉班、秦フク、秦瓊は捕虜にした後登用
唐の名将門神秦瓊ゲット。門神だから特技は金剛何ですかね?
孫堅軍、曹操軍は獲るものなく退却していく。
在野楊阜、韓徳を得る。楊阜は馬超とは嫌悪だが馬騰なので関係なし
内政担当だから戦場に連れていくこともないだろう。
5月1日建寧から劉璋軍が成都に向けて進軍
距離もあるので無視して全員で永安で内政に着手。
8月21日長駆持ちの馬休で行っていた廟、遺跡探索で江州周辺に廟を発見。
張飛プレイの時になかなか役に立った連環を賈クに与える。
11月までに建寧からの成都攻略部隊を全滅させる。
呉起の衝車隊が先陣をきり、その少し後ろから英布の槍隊が続く
渡りのところで待ち伏せ呉起の衝車を壁にしてすぐ後ろに並んだ英布槍隊をまず
太鼓台で強化した騎射で削り頃合いを見計らって呉起の衝車隊を倒し、英布槍隊を倒す
その後から来た黄権の衝車隊も一気に全滅させる。その際黄権を捕らえたので捕虜にして
登用。
12月華雄死亡。
特技猛者全く発動を見ることなくお亡くなりになってしまいました。
建寧攻略作戦開始
馬騰(連戦)+董承(築城)+韓信(強行)12000
張遼(威風)+張繍(騎将)+馬休(長駆)10000
馬超(騎神)+劉曄(射程)+呉懿(補佐)10000
ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)+凌操(連戦)10000
霍去病(騎神)+馬鉄(親羌)+黄権(規律)10000
楽毅(心攻)+荀攸(百出)+賈ク(連環)9000
計61000で出撃。
200年
曹操軍
袁紹軍に北海を奪われるが王匡軍改め藩鳳軍のギョウを奪うが
袁紹軍の攻撃を受けギョウもまた奪われてしまう
と言うさんざんな一年
しかし、南は永安を馬騰軍が奪ったため北以外は全て同盟国となり
北へと兵力、人材を集中できるようになった。
袁紹軍
土地では北海、ギョウを得て、人材では曹操軍にいた高長恭、彭越を得て
昨年は飛躍の1年に。
今は、下ヒとの激しい攻防を繰り広げており何とかせいして河南の大都市を得たいところだろう。
6月永安に廖立が士官を求めてやってくる。まだまだ、文官が不足気味の我が軍にとってありがたい
建寧攻略
本道には連弩櫓を複数設置していたので森を通るルートから都市に接近する。
森ルートからだと内政地には兵舎があり破壊することで建寧の徴兵をストップ。
都市包囲して一斉攻撃にて陥落させる。
11月21日劉璋軍の最後の都市雲南の攻略作戦開始
馬超(騎神)+楽毅(心攻)+馬休(長駆)10000
ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)+凌操(連戦)10000
張遼(威風)+韓信(強行)+馬雲リョク(騎将)10000
霍去病(騎神)+呉懿(補佐)+馬岱(沈着)10000
計40000対する雲南には21000そして楊大眼、英布、呉起がいる
多少てこずるかな。
201年
曹操軍
北海を取り戻し、今は、ギョウ攻略へと大軍団をギョウへ進攻させている。
ギョウには24000にいるがその何倍もの兵がギョウへと接近しており
統率している将も徐晃、呂布、魏延、夏侯淵等と名将が揃う。
袁紹軍
北海を奪い返され今は、ギョウも危険な状態ギョウには30人の将がおりここが落ちれば
一気に体勢が決まりかねない。
孫堅軍
昨年は江夏を落とし今年は寿春へと進攻させている。
寿春の劉辟軍には岳飛、鄭成功、張良が居る劉辟軍には厳しいが
勝機は無くもないかな?
4月
建寧で疫病発生。ついてない‥‥
雲南攻略劉璋滅亡
非常に勿体ないが張松、呉起は漢室無視なので処断する
英布、王累、関寧、孔丘、呉蘭、ホウ義、楊大眼、劉カイ、劉循、劉璋
疾走持ちの楊大眼を誰と組ませたものか贅沢な悩みをかかえる。
何名か除いて中堅どころの者ばかりだが治安維持役として大いに活躍してもらおう。
劉璋は‥‥‥‥‥‥まあ、マスコットとして劉循とセットで何処かに置いておこう。
* 第5章荊南攻略
荀攸「若君どうされました?憮然として?」
馬超「父上は臆病風に吹かれたのではないのか?
何故曹操に闘いを挑もうとしないのだ?」
荀攸「さて、小人の私には解りかねますが‥‥。」
馬超「謙遜はいい、荀攸の考えを聞かせてくれ。」
荀攸「しからば
曹操軍は今袁紹軍との決戦の真っ只中でございます。」
馬超「だからこそ今こそ曹操軍を後方から襲うべきではないのか?
曹操軍はこちらとはまともに闘えまい。」
荀攸「はい。その通りでございます。
その場合曹操軍は間違いなく停戦を申し込んで来るでしょう。」
馬超「そんなもの突っぱねれば良かろう?」
荀攸「はい。しかし、曹操軍は帝をおさえております。
帝の名で停戦の勅旨が出されればどうでしょう。」
馬超「!!!‥それは‥‥‥」
荀攸「たとえ曹操の意志で出された勅旨であっても
我らが漢室再興を掲げている以上無下に断ることはできませぬ。」
馬超「‥‥なるほど」
荀攸「‥‥と言うのが理由の1つです。」
馬超「1つ?まだあるのか?」
荀攸「はい。もう1つは猛将の血です。
曹操軍と智と智、武と武を真っ向から競いあいたいのでしょう。」
馬超「なるほど、確かに曹操軍は曹操を筆頭に多くの名将、猛将、知将がるというしな。」
荀攸「なので邪魔が入らぬよう先ずは公庫の憂いをたつ必要があります。」
馬超「解ったありがとう荀攸。では、私は来るべき決戦に向け腕を磨こう。」
‥‥‥と言う会話があったような気がしつつ次は孫堅軍との戦いを始めます。
202年
曹操軍
ギョウ、平原を奪い今は、大軍勢で南皮進軍中
袁紹軍は後何年持つのか‥‥
孫堅軍
劉辟軍より寿春を奪い今は、劉辟軍最後の都市汝南へ進行中
劉辟軍は後一年の命といったところだろう。
1月孫堅軍との同盟を破棄成都から荊南攻略軍を出撃させる。
馬超「これだけの軍勢をいただける以上
この軍勢を持って荊州南部四群を全て奪ってみせましょう。」
馬騰「うむ。よくぞ申した。頼もしいぞ。しかし、本当に大丈夫か?」
馬超「男に二言なしお任せを」
‥‥‥出撃部隊は下記の通り
馬超(騎神)+黄権(規律)+楊大眼(疾走)10000
ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)+凌操(連戦)10000
張遼(威風)+張繍(騎将)+馬休(長駆)10000
霍去病(騎神)+韓信(強行)+英布(威風)10000
楽毅(心攻)+徐氏(キ計)+秦瓊(金剛)9000
周泰(水神)+劉曄(射程)+劉表(心攻)9000
馬岱(沈着)+石蹈(規律)8000
賈ク(連環)+貂蝉(傾国)+荀攸(百出)7000
馬鉄(補佐)+司馬朗(築城)8000
馬雲リョク(騎将)+王甫(待伏)+鄒氏(楽奏)7000
呉懿(補佐)+厳顔(弓将)+張既(親羌)8000
40日遅れで輸送隊楊氏1000
計94000で兵糧以外の補給なしで戦います。
四群各都市20000前後の兵がいますが
各都市に武将は3人~4人しか居ないのでおそらくいけるでしょう。
荊南四群攻略部隊が武陵の港に近づく頃には17名の孫堅軍の武将が武陵に入場
兵数は35000に(後に長沙より15000の増援兵が入城)孫堅の戟兵、朱然の弩兵、程普騎兵
陳武戟兵、黄蓋弩兵、もう一回程普騎兵の6部隊の迎撃部隊が出撃してきた。
先ずは孫堅の戟兵から急ぎ倒しにかかる。
また、迎撃部隊を賈クの連環+貂蝉の傾国で2部隊ずつ計4部隊を撹乱で混乱させる。
孫堅の戟兵撃破時に孫堅を捕らえたが漢室重視の将なので解放。
アイテム一定数越えたので左慈登場。馬騰の能力がちょいアップ。
迎撃部隊との戦いで霍峻、蕭何を捕虜にして登用。
9月11日武陵攻略
何人か孫堅軍の将を捕らえたので捕虜に厳白虎のみ漢室無視なので処断。
この戦いで94000いた兵数は73000になっていた。
11月1日気力を全快の120にして零陵攻略作戦開始。
天水で徴兵などをさせていた馬騰ら留守番の将たちに武陵内政をさせる
73000を11部隊に分け1部隊6500で出撃。
孫策戟兵、韓当槍兵、呉景弩兵が迎撃に向かってくる。
前回の武陵攻略戦の反省を生かし太鼓台を3設置して迎撃部隊の接近を待つ
孫策戟兵、韓当槍兵が隣接して接近してきたので賈クの連環+貂蝉の傾国で
撹乱一閃混乱させる。心攻を持つ楽毅、劉表を副将にした周泰の部隊で迎撃部隊を攻撃させる。
12月
黄権「霍去病将軍が陣中に没したと報告が入りました。
馬超「なに!?霍去病が‥‥‥」
黄権「霍去病将軍の部隊は副将の韓信が引き継ぎました、」
馬超「‥‥そうか‥‥‥俺と騎神で大暴れしていた仲だったのだが‥‥哀しいなぁ」
203年
曹操軍
河北は晋陽、襄平を残すのみ河北統一恐らくは後一年か
江東にも兵を繰り出し始めていた。
1月11日零陵攻略残兵71494
敵部隊がすぐに混乱してくれたことや
都市攻めを火計のみにしたことであまり兵を損なわずに済む。
3月11日桂陽攻略作戦開始
約70000で出撃。霍去病の部隊は張遼の副将をしていた馬休を主将にする。
馬休(長駆)+韓信(強行)+英布(威風)
また、馬鉄は特技を補佐に変更。対する桂陽21000
長沙から孫堅軍の武陵攻略部隊が出撃してくる。
まだ内政途中で兵士数も1300しかいないが距離もあるので何とかなるだろう。
桂陽から孫堅槍兵、鄭成功槍兵が出撃してくる。
隣接してるので何時ものように2部隊一気に混乱していただきました。
5月桂陽攻略残兵69698
恐らくはまだ、長沙攻略を行ってないが荊南四群で一番楽な攻略戦だろう。
8月精鋭騎兵獲得。
一度研究したですが研究途中で武将が亡くなって失敗今ようやく獲得出来ました。
10月21日長沙攻略作戦開始
桂陽内政を行い少し間が空いてしまった。
11月
長沙攻略部隊が長沙から出撃してきた迎撃部隊と戦うなか
孫堅軍の柴桑より武陵攻略部隊が出撃。武陵には治安維持に将が二人いるだけだが、
まあ、距離もあるので長沙を攻略してからでも充分間に合うだろう。
204年プレイ開始15年目都市数は14武将87
曹操遂に河北統一都市数は21となり武将数は180となる。
そろそろ曹操軍と闘う時か‥‥‥
1月1日長沙攻略これで四群全て獲得。
この四群制圧のお陰で
孫堅軍から陳慶之、鄭成功、孔丘等多くの人材を得ることができた。
孫堅軍を滅亡させようとすると柴桑、江夏、汝南、寿春のみ。
10月11日柴桑攻略作戦開始
馬騰(連戦)+韓信(競合)+朱桓(心攻)10000
馬超(騎神)+黄権(規律)+楊大眼(疾走)10000
馬休(長駆)+英布(威風)+陳慶之(白馬)10000
馬岱(補佐)+王累(運搬)+霍峻(不屈)10000
馬鉄(補佐)+凌統(掃討)+司馬朗(築城)8000
馬雲リョク(騎将)+徐氏(キ計)+鄒氏(楽奏)7000
荀攸(百出)+賈ク(連環)+貂蝉(傾国)8000
計63000馬一族で出撃。長沙から南のルートを使う
韓当騎兵、孫堅戟兵、黄蓋弩兵等が迎撃に出撃してくる。
205年遂に決戦
曹操軍
江東に軍を繰り出すが距離があるのでなかなか攻めきれない。
領地数はかわらず。武将数は212名となる。
馬騰軍
都市数14武将数96名
しかし、益州などこれから新しい武将が登場し始めるのであっという間に数が100越えるだろう
孫堅軍
防衛中の柴桑を合わせれば都市数4武将数29名と終わりが見えはじめてきたかな。
他江東に2勢力あるが
恐らくは後一年か二年でいなくなるような勢力なので割愛
1月11日曹操軍との同盟を破棄
在野で劉巴を得、3月は馬忠を得る。
2月21日柴桑攻略が続くなか武陵より江陵攻略作戦開始
ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)+凌操(連戦)12000
張遼(威風)+カク昭(不屈)+陳登(キ計)11000
楽毅(心攻)+秦瓊(金剛)+張繍(騎将)12000
呉懿(補佐)+高順(攻城)+石蹈(規律)11000
閻行(繁殖)+陳震(心攻)+鄭成功(水神)11000
張任(連戦)+王甫(待伏)+李カイ(機略)10000
周泰(水神)+劉曄(射程)+趙累(補佐)10000
厳顔(弓将)+張既(親羌)+劉キ(心攻)9000
計86000対する江陵は兵力33168
武将数は24名呂布、夏侯淵、于禁、曹真となかなかの顔触れ。
さて、これからの曹操との戦いは新たな縛りルールの本行いたいと思いますので
新しいページを作ります。
- 張飛の人かな? -- 名無しさん (2014-01-12 18:40:54)
- ↑はい、そうです。前回に続き今回もお付き合いいただき有り難うございます -- 筆者 (2014-01-13 04:06:57)
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