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基本設定PSPK
上級/討死無し/妖術、落雷無し/能力変動無し/いにしえ、追加武将有り
縛りルール
登用できるのは漢室が普通、重視の将のみ。/処断できるのは基本漢室無視の将のみ。
使用兵装は騎兵のみ。
プレイ年数205年5月1日からの新縛りルール
漢室普通、重視の敵将の扱い
捕まえるごとの捕虜期間は90日間としてそれ以上になる場合は解放。
漢室普通の敵将の扱い
統率、武力、知力の何れかが85以上ある武将は
最初の1回目の登用に応じなかった場合は次に捕虜に出来るまでは登用不可
所属勢力が滅びた場合は何時でも何度でも登用可能。
敵将の扱いに制限を入れることによって最後まで激闘になるかな
と思い新縛りルールを追加しました。では、プレイ日記再開します
* 第6章逆転
205年4月
長安、上庸より漢中に曹操軍が進攻する
非常に不味い江陵、柴桑攻略にほぼ戦闘系将は使ってしまって文官タイプしか移動させられるのがいない。
取り合えず時間稼ぎになるように文官と登用したばかりの馬忠を漢中に移動させる
黄祖が武陵の近くで廟を発見。劉曄に連環を付ける。
計略系で個人的には連環が一番のお薦めです。
2部隊同時に計略を仕掛けられるので実質計略の気力消費が半分だと考えて良いのではないでしょうか?
4月21日柴桑攻略
長沙の兵糧があまりなく180日分ずつしか兵糧を持たせず出撃させたせいで
馬騰、馬超等の数部隊が次のターンには兵糧が0になると言う状況でした。間に合ってよかった。
また、江陵を見ると敵将の人数が47に夏侯惇等も移動してきたようです。
柴桑攻略部隊は都市に入城すぐに漢中に移動させる、漢中へ移動していた文官たちを柴桑に移動させる。
7月孫堅軍と2年の停戦を結ぶのに成功。周瑜不在だったので楽勝でした。
また、柴桑攻略時に捕らえていた許靖等を登用した。
8月11日江陵攻略
周泰、張遼の部隊が撃破されるなど流石は曹操軍。
迎撃部隊が呂布、夏侯淵、夏侯淵、岳飛と超一流ばかり。
また、どの部隊も明鏡か洞察がいて計略の防御も完璧でした。今後の苦労が窺えます。
張魯、張衞、張衞、張燕、張南、郭氏、韓セン、曹休、藏覇、陳矯を処断。
この頃、漢中防衛戦は砦、土塁を挟み敵部隊へ間接攻撃。敵部隊の先陣は戟兵なので矢盾発動
が面倒です。まあ、弩兵と戦い兵を減らされるよりましなのかもしれませんが。
まだ、戟兵の後ろには甘寧丼蘭、趙雲衝車が続き(勿体ないなぁ)白起槍兵、顔良騎兵、蒙恬井闌が進攻中まだまだ、終わりが見えません。
11月1日江陵に城陽から曹彰騎兵、呂布戟兵が進攻してくる。まだ、内政途中だというのに‥‥
11月11日江陵攻略から90日登用できなかった
夏侯淵、夏侯惇、王翦、田豊、紀霊、関平ら数十名は解放。
潘璋、賈華、蒋欽、徐バク、崔州平を得る。
漢中防衛戦で趙雲、ホウガ、歩シツを捕らえる。90日以内に登用できるまで忠誠が下がってくれると良いが‥‥
11月21日呂尚、白起を捕らえたので処断。柴桑へ廬江から大軍が出撃。徐晃、典韋等がいる。
造幣を開発中だった藺相如を撤去で急いで呼び戻し停戦に行かせる。
206年
曹操軍
江陵が落ちても今だ都市数21武将数192と断トツ呂尚が死んでもまだ、張良がいる(論客で登場先程負けました。)
馬騰軍
江陵、柴桑を得て都市数16武将数は3桁に乗り武将数107何とか分散すれば3ヶ所の攻防戦が可能でしょうが
まあ、名将揃う曹操軍を相手にはできない作戦ですね。
1月
曹操軍と4ヶ月の停戦を結ぶ。柴桑の港前に人壁を並べて何とか凌ぐことができました。
趙雲獲得。馬超、張遼らのようにエースとして活躍してもらいましょう。早速馬雲リョクと結婚してもらいました。
2月
孫堅軍と停戦24ヶ月延長藺相如対戦相手にでた孫権を一撃粉砕。
馬騰「お主孫権を相手にしてストレス解消しなかったか?」
藺相如「さて、なんのことか私には解りかねます。」
馬騰「‥‥‥‥‥」
ホウガ、歩シツ解放。全く忠誠度が下がりませんでした。残念です。
3月
在野の李異、吾粲登用。
城壁強化の研究修了。
4月君主孫堅死亡孫策が後継。
また、1人漢室重視が亡くなってしまった。
馬岱が武官推挙で冷苞を連れてきてくれたので早速冷苞には後方の人材が1人しかいないところに送る。
5月
襄陽から敵部隊が江陵へ進攻する。廬江から柴桑へ上庸から漢中へ新野から北東港経由で江陵へと多方面から曹操軍がやって来る
やられっぱなしも芸が無いのでこちらからも仕掛けられるように武将を移動させる。
柴桑へは賈ク、劉曄、李カイ、貂蝉、荀攸ら計略部隊を送る。
漢中へは馬騰、馬鉄、馬休を。江陵へは張遼、呉懿、ホウ徳らを防衛部隊とし。
江州へ馬超、趙雲、馬雲リョク、馬岱を派遣する。
ちなみに5月11日現在の曹操軍の進撃部隊数
襄陽2部隊、新野10部隊、上庸9部隊、廬江4部隊が進軍中まだまだ、増えると思われる。
馬雲リョク「本当に大丈夫なのでしょうか?」
馬岱「我らが襄陽を陥落させるまでもってくれれば良いのですが‥‥」
馬超「ふん、襄陽など我が一撃をもって粉砕せん!」
趙雲「では、参りましょうか!」
5月21日江州から襄陽攻略作戦開始
馬超(騎神)+黄権(規律)+楊大眼(疾走)15000
馬岱(補佐)+王累(運搬)+霍峻(不屈)14000
馬雲リョク(騎将)+徐氏(跪計)+鄒氏(楽奏)11000
趙雲(洞察)+馬忠(踏破)11000
計51000で桟道から襄陽急襲を目論む
9月11日江陵防衛戦で捕らえた鮑叔牙を登用。知力が83と縛りルールセーフなので
忠誠が下がったところでいただきました。
どの防衛戦も辛いですが呂布の弩兵がいる江陵防衛戦となかなか計略部隊の連環が
うまくいかない柴桑防衛戦はかなり辛いです。呂布の弩兵応射がかなりのダメージです。
11月11日には新たに伊籍、全宗、関靖を登用。徐晃、典韋解放。また、会う日まで(出来れば戦いたくないが‥‥)
襄陽攻略成功。范増、韓玄、楊泊処断。だれも登用に応じなかったので牢屋へ90日ねな間に何人獲れるか
そして即座に藺相如に曹操軍との半年の停戦にいってもらう。しかし、曹操と会うまで60日って‥‥逃げたか?
12月21日曹操が移動したようで停戦交渉が早くも実現。対戦相手は曹操本人。張良でなくてよかった。
半年の停戦に成功。一番楽だと思われていた漢中も衝車、井闌に土塁、城塞を破壊され
かなりの危険な状態だったので1発の停戦成功ありがたい。
馬良を在野で発見。まだ、未発見ぶしょうでいたことに感謝しつつ登用。
207年未だ未だ終わりが見えない。
曹操軍
前年の攻防戦で武将が少し減り184人に総兵力が110万から97万に減少‥‥‥だから?って言うレベルか‥‥
許昌を落とす前に馬騰が死ななければ良いが‥‥‥
馬騰軍
都市数17武将数116人に曹操軍から後1つ都市を奪えば都市数が並ぶが
趙雲を得たことで戦術の幅が広がった。
1月
捕虜の岳飛登用。寿命的には後7年位だが間違いなくうちのエースの1人として活躍してくれるだろう。
早速岳飛、陳慶之、鄭成功の三人には義兄弟になってもらった。32歳トリオの結成
しかし、同年義兄弟は誰が長兄に設定されるのかな?
2月在野の蒋エン、捕虜の呂威壙、王朗、張春華を獲得。
明鏡の蒋エンには是非馬超の副将を他三名はモブキャラとして大いに活躍してもらおう。
3月襄陽で捕虜にした文ペイ、満寵、楽進らを解放。
4月天水、零陵でイナゴ発生がっかり来たところに在野の徐庶が仕官しに着てくれる。塞翁が馬
7月停戦切れ曹操軍との戦いがまた始まる。
7月21日時点で上庸、甘寧槍兵、蒙恬騎兵等の七部隊、長安、張コウ戟兵、文シュウ騎兵ら八部隊が漢中へ
新野、張良、黄忠らの4部隊が襄陽へ2部隊が江陵へと。廬江から夏侯惇、王翦らの八部隊が柴桑へと進攻してくる。
柴桑は前回同様計略部隊に任せ江陵へは烏林港(孫策領)からの上陸だと思うので馬休、馬鉄で充分だろう
襄陽は中廬港を挟んでの戦いとなりそうなので3兄弟の岳飛、鄭成功、陳慶之+呉懿を派遣する。
漢中は馬騰、ホウ徳、張遼を起きあわよくば反撃して上庸を奪いたいところだ。
そして馬超、趙雲らを天水へ移動させる。
10月1日
廟3ヶ所目百出、神算で悩んだ結果神算を黄権に付ける。
240年死亡と長命な黄権ゲームクリアーまで活躍してくれるだろう。
3都市の防衛戦が続くなか天水より長安攻略作戦開始
馬超(騎神)+楊大眼(疾走)+王甫(明鏡)15000
馬岱(補佐)+霍峻(不屈)+蒋エン(明鏡)15000
馬雲リョク(騎将)+徐氏(跪計)+鄒氏(楽奏)12000
趙雲(洞察)+崔州平(指導)+馬忠(踏破)1000
黄権(神算)+徐庶(深謀)+王累(運搬)10000
計62000
お気付きかもしれませんが神算、深謀が同一部隊になってます。
まだこの時点では黄権の知力が83しかないので経験を稼がせる意味で同一部隊にしたのですが出撃させてすぐに失敗したと気づきました。
208年赤壁の年
各地の攻防戦は続く。
漢中防衛戦昨年10月に疫病が発生
昨年からの戦いで敵部隊を土塁、城塞越しに敵部隊を騎射で撃破先頭の部隊が衝車3部隊となった時点で土塁、城塞の前へと討って出るがそれが失敗に顔良の井闌の火矢攻撃、衝車曹否に撹乱で馬騰が混乱させられる。
それを何とかしようとホウ徳を突出させてしまい曹操部隊に包囲され袋叩きにあい撃破されてしまう。
王異を捕らえられてしまい今は、馬騰部隊も危機的状況。
柴桑防衛戦
賈ク(連環)+貂蝉(傾国)+荀攸(百出)部隊と劉曄(連環)+李カイ(機略)部隊で撹乱、偽報で防衛させるが敵部隊が多く厳しい
周泰、朱桓の部隊で水上戦を仕掛けるが夏侯惇、文ペイ、ホウガ、李典らの部隊に逆撃を受ける。文ペイ部隊は撃破出来たが
周泰、朱桓部隊の兵力もかなり減らされ撤退。
襄陽防衛戦昨年10月にこの都市も疫病発生。
鄭成功、岳飛、陳慶之で中廬港を挟んで新野からの曹操軍と戦う。
張良の部隊の神算で鄭成功が混乱させられ何も出来ないまま集中攻撃にあい撃破されてしまう。
敵部隊には関羽もおりかなり厳しい戦いとなった関羽は何とかようやく撃破し、張良の気力も尽き
鄭成功の2度目の出撃ができる兵力も整い反撃に討って出ようとしているところで208年を迎える。
江陵防衛戦
烏林港(孫策領)を挟んで馬鉄(補佐)、馬休(長駆)、鮑叔牙(補佐)、趙累(補佐)の騎兵隊の騎射で敵部隊を撃破していく。
こちらは烏林港周辺の森のお陰でたまに馬鉄の部隊が混乱させられる以外は被害無し、また、補佐がよく発動してくれてかなりの楽勝モード遠距離攻撃なので敵将が捕らえられないのが残念。
長安攻略戦
敵部隊の出撃は少なめで黄権の部隊で撹乱をかけ、馬超、趙雲、馬岱、馬雲リョクで多少の敵迎撃部隊を撃破していく。
長安包囲が完成した頃漢中へ進軍中だった長安からの部隊が戻ってきた処で昨年終了。
各戦線で捕らえた敵武将。
筰融処断。簡雍、程秉らを捕虜に残りの捕虜期間30日に登用できれば良いが‥。また、逢紀、文ペイ、李厳も捕らえたが縛りルールの能力のため残念だが解放せねば
208年1月襄陽在野のホウ統、黄月英を得る。
反董卓連合では諸葛亮は下ヒなんですよね、残念。
3月
在野の張翼を得る。中堅武将として防衛戦、攻略戦の補助として活躍してもらおう。
長安を攻略する。賈キ、郭奕処断。
4月には何時ものように曹操軍と停戦一息いれる
今回は江陵以外はかなりボロボロなので長めに一年停戦。
6月結局長安の捕虜で獲得できたのは張飛の奥様夏侯氏1人という寂しい結果に
7月梓潼、長安でイナゴ発生‥‥勘弁して次の月には陳登死亡とどうにも辛い月が続く。
こんなときはと孫策軍に停戦の名を借りた八つ当たりを実施
しかし、落雷を落とすまでには至らなかった残念。‥‥とまあ、こんなおバカなことをやっている間にも長安開発は進み
人材を次の戦いに備え適所に分けるとホウ統県令イベントが、適所に分けたのに勝手なことをまったく
10月カク昭が武官推挙で丁奉を連れてくる久しぶりの優秀な人材彼には柴桑防衛戦で戦ってもらおう。
武官推挙はこれまでも何回かあったのだがシャマカ、張横と漢室無視だったので登用できなかったのです。
209年1月張遼の子張虎、王朗の子王粛成人
張虎には張遼とともに一軍を率いてもらい親子の支援攻撃を期待したい。
在野の張嶷を得る。早速馬忠、張翼、張嶷で義兄弟になってもらう。しかし、3人とも仲良く騎馬適正Cというのは蜀軍の仕様ですかね?とりあえず張嶷は先ず騎馬適正を修業で上げておこう。
2月11日永安から新野攻略作戦開始
馬超(騎神)+楊大眼(疾走)+王甫(明鏡)16000
馬岱(補佐)+馬忠(踏破)15000
馬雲リョク(騎将)+鄒氏(楽奏)+黄月英(工神)13000
趙雲(洞察)12000
荀攸(百出)+黄権(神算)+ホウ統(連環)12000
徐庶(深謀)8000
2ターン遅れて
張翼(補佐)9000
計85000で出撃する。新野は森が多いので騎兵には戦いづらい徐庶隊、荀攸隊の計略部隊に頑張ってもらおう。
3月曹操軍が動きだす。
上庸から漢中へ。新野から襄陽、江陵へ。宛、落陽から長安へ。廬江から柴桑へ。進軍を開始する
廬江からは部隊数が少なく武将が逢紀、審配、簡雍、傅士仁と舐められているので
こちらからも賈ク、丁奉、朱桓、周泰、楽毅らで港より前へと迎撃に 出撃させる。
廬江を獲れればいいが
4月廬江から新たな部隊が出撃してくる。文シュウ、魏延、李カク、徐盛、曹真‥‥
泣く泣く柴桑からの攻略作戦を中止する。無念
5月存在を忘れていた在野の楊儀を得る。しかし、存在を忘れていたため馬謖獲得に失敗。
今回は各戦線で奮闘していて、今現在で五人の将を捕らえる。何人かは獲得できれば良いが‥
呉巨処断。捕虜の傅士仁、ウッ遅恭獲得。何故傅士仁のような雑魚をとお思いだろうがなんと傅士仁名声付きなのだ。
ウッ遅恭は秦瓊と義兄弟になってもらい活躍してもらおう。
8月1日新野攻略成功
また、漢中防衛戦では敵部隊を撃退その勢いで上庸に進軍するが迎撃に出た顔良にかなり痛い目にあわされる
しかし、このままでは終われないので襄陽より馬鉄、馬休、鮑叔牙、趙累を
また、漢中へ移動させた先ほど獲得したウッ遅恭を出撃させる。
10月11日上庸攻略成功
ホウ徳の部隊が撃破されてしまったが上庸を攻略。これで襄陽を生産都市に出来る
11月11日曹操軍と9ヶ月の停戦。
長安、柴桑防衛戦に一息いれる。長安は東が大都市落陽だけに少しずつ押し込まれていたので。
武将を再編成し直す、上庸、新野の内政、襄陽の宛、許昌攻略への軍備増強のための停戦である。
出来れば次の都市攻略で廬江も獲りたいが‥‥‥
* 第7章献帝擁立
210年
曹操軍
都市数17武将数159人兵数676719
馬騰軍
都市数20武将数137人兵数612467
曹操軍は呉を攻略した模様。柴桑、長安、漢中、江陵、襄陽の他に呉まで攻めていたとは‥‥
まあ、全ての戦場維持は無理だったようで結果上庸、新野を馬騰軍に奪われた訳だが‥‥‥。
都市数を逆転した馬騰軍武将も曹操軍からウッ遅恭の他に秦良玉、簡雍、王昶、高幹、李カク、傅トウを獲得した。
残念ながら縛りルールで徐盛、諸葛謹、張昭等を得ることが出来なかったが戦力差を少しずつ縮めることが大切。
ただ曹操軍は昨年諸葛亮を登用できているんですよね。張良、諸葛亮と神算武将が曹操軍に二人いる早く捕らえたいものです。
武官にも曹操軍には昨年は戦わずに済んだが関羽、張飛、夏侯惇、夏侯淵、徐晃がいる。攻めかたを間違えると逆襲されて大変な目に遭わされかねない。まだ、まだ厳しい戦いは続くと思われる。
1月
長安に在野で郭攸之がやって来たので登用。曹操軍に登用されてても仕方ないと思っていただけに喜ばしい。
また、在野の張南、陳式を得る。
魏延のプレイ日記面白かったなぁ。また、何処かでお目にかかりたいものです。
7月江州、成都で疫病発生。面倒だなっと思っていると左慈登場。ラッキー♪
文官推挙発生崔州平が張温を連れてくる。‥‥あれ?もしやこの日記初の文官推挙なのでは?
陳慶之と秦良玉を結婚させる同い年カップル仲良く次の戦いに活躍してもらいましょう。
8月11日停戦終了
曹操軍が早くも動きだす。許昌から新野奪還へ呂玲綺騎兵、関羽槍兵、文ペイ木獣が出撃してくる。
かなりの強敵である。ただしどの部隊も副将はついていないのでホウ統、徐庶、黄権、荀攸を新野に移動させる。
彼らなら森では騎兵は役に立たないし巧く戦えば時間稼ぎになるだろう。
蘭相如孫策軍に停戦の使者に出立相手は黄蓋きっちり勝たせていただきました。
次のターンには陸遜戟兵、黄忠投石が許昌より出撃、しかし、他は動きなし不気味だ早く動けよ。
しかし、願いむなしく次のターンも動きなし。
仕方ないとこちらからも動くことにした江陵から廬江へ出撃
岳飛(洞察)13000
鄭成功(水神)12000
秦良玉(強行)12000
陳慶之(白馬)11000
張嶷(踏破)8000
馬忠(踏破)8000
張翼(補佐)+張南()8000
計72000
また、新野へ援軍として馬超たちを送る。
9月11日になって落陽から長安へ曹操軍が出撃しか、ら廬江からは動きなし柴桑の武将も最小限残し襄陽へ移動させる。
10月許昌からの新野への攻略部隊が宛ルートを使い新野領内へとやって来る馬超、趙雲、馬岱、馬雲リョクらで迎撃
また、長安にも続々落陽からの曹操軍が領内へ侵入設置していた業火種でダメージを与えてから張遼らに迎撃させる
馬超騎兵隊は副将楊大眼が疾走もちなので次々曹操軍の部隊を混乱させられるだろう。
先ず早々に太史慈木獣を叩く副将に張良が居るので危険この上なし。疾走が決まり混乱させる
次のターンには潘ショウを副将に付けた部隊で全滅させ太史慈、張良を捕縛。1月11日までに張良獲得できるといいが
211年馬騰死亡年シナリオ初期年から21年経過
曹操軍
江東の会稽を落とし都市数を18に武将数154人に兵数は728217
馬騰軍
まだ、廬江落とせず都市数変わらず20のまま武将数は捕虜で呂範を獲得。しかし、二人死亡し
138人とプラス1名に留まる兵数は遂に曹操軍を逆転して770916
昨年からの戦いは新野が激戦関羽、陸遜。司馬懿を副将にした魏延、管仲を副将にした文シュウらが東のルートから新野領内へと侵入
消耗戦となり未だに戦いは目処がたたない。
長安防衛戦
騎兵の公孫サン、曹彰。投石の諸葛亮らが長安へ来襲。都市耐久8000が2200兵数が120000が83000にまで減らされながら何とか撃退に成功また、この防衛戦で先ほども書いたが呂範を得る。今落陽には17000陳留には18000しか兵が居ないため長安はしばらく安泰だろう。
廬江攻略戦
今は、都市を包囲途中1、2月には落とせるだろう
新野がちゃんと防衛出来るか‥‥‥?
211年1月11日ギリギリで張良獲得成功早速賈クから張良に軍師変更賈クも今の時点で知力100だがやはり漢室重視の人が軍師であってほしいですから。
2月新野防衛戦
新野の北ルートから劉封騎兵隊、徐晃槍兵、蒙恬投石が新野領内に侵入投石器を用意していたが一撃で蒙恬投石隊に粉砕される。
襄陽から60000を新野へ輸送開始遅いかも‥?
廬江攻略成功
連戦持ちの諸葛均が登用に応じてくれた。襄陽、柴桑の武将を廬江内政に送る。
新野では東ルート守備の趙雲隊が358まで減らされながら魏延隊を撃破魏延、関平、司馬懿を捕らえる。
魏延が何と登用1発OK助かる。
関羽を混乱させようと馬超隊が関羽に突撃すると一騎討ち発生。楊大眼、馬超の二人がかりで関羽を倒して捕らえる。
しかし、当然ながら登用には応じてくれないので5月11日まで牢屋行き
3月長安防衛戦で捕虜にした将を全員解放。にまた、新野で捕虜にした蘇由登用。張コウ解放
名称の解放はまた、敵として戦わなければならないと考えると頭がいたい。
3月11日黄忠を捕らえる。蜀将は漢室重視ばかりなのでじっくり登用できるから助かる。
翌3月21日には黄忠が早くも登用に応じてくれた。今回は弓神は役に立た無いのが残念。しかし、騎馬適正A なので
戦力として十分カウント出来る。
5月ギリギリで関平獲得。補佐もちで騎馬適正Aの優等生。
司馬懿、関羽、曹洪、呂玲綺を解放。一生牢屋に入れておきたかった‥‥。
5月11日漢中から宛攻略作戦開始
馬騰(連戦)+夏侯氏(明鏡)17000
馬休(長駆)+簫何(築城)+陳震(心攻)15000
馬鉄(補佐)+凌操(連戦)+韓信(強行)13000
鮑叔牙(補佐)+楊儀()10000
趙累(補佐)8000
計63000で出撃。武将たちは二流ばかりだがまあ、補佐の支援攻撃で何とかなるでしょう。
6月11日関平、張虎を義兄弟にする。父親同士は友人で息子たちが義兄弟になるってなんかかっこよくないですか?
徐晃にも息子がいれば完璧なんですけどね。
そして同日長安からの落陽攻略作戦開始
張遼(威風)+馬良(能史)+張繍(騎将)17000
呉懿(補佐)+孔丘(仁政)+廖化(血路)16000
厳顔(弓将)+石蹈(規律)+張既(親羌)14000
黄忠(弓神)+蒋エン(明鏡)12000
カク昭(不屈)+閻行(繁殖)+関寧(発明)12000
関平(補佐)+王甫(明鏡)11000
張虎()+徐氏(跪計)9000
計91000で出撃予想以上に大部隊になってしまいました。
さあ、次々行こう
同月21日上庸から宛攻略+許昌攻略部隊出撃
ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)17000
秦瓊(金剛)+王朗(築城)+王累(運搬)14000
ウッ遅恭(槍神)+崔州平(指導)14000
計45000数は少ないが最強の武力揃い新野への攻略で兵の少ない許昌なら確実に落とすはず
宛より曹操軍の迎撃部隊が出撃。呂布副将に李勣騎兵、太史慈副将に審配戟兵、徐晃槍兵。‥‥‥何?この布陣‥‥
また、廬江に甘寧騎兵、楽進槍兵が接近岳飛、陳慶之、周泰を迎撃に出撃させる。
10月11日洛陽攻略成功
連弩櫓や迎撃隊との戦いに二万以上の兵を失いながらも何とか勝利。
捕らえた将のうち華キン、公孫康、焦触を処断。他は捕虜に
後1月11日までに楽淋、鐘ヨウ、辛評、秦朗、薛綜、孫ケン、丁義 、駱統、呂拠を獲得。
張コウ、王剪、郭淮らを解放。さらばバルログ張コウまた会おう。
11月21日宛攻略成功
呂布、徐晃、太史慈強し。秦瓊、ウッ遅恭が兵数半分以下になり6000を割っていた。
新野からホウ統、黄権の計略部隊を援軍に出撃させるなどして撹乱させ何とか迎撃部隊を全滅させ、都市を攻略
王忠処断。他は捕虜にして後2月21日までに太史享のみしか獲得できず
212年
曹操軍
都市数15武将数133兵数616941
今は、小沛から廬江攻略部隊を出撃させるなどしているが
鄭成功、岳飛、秦良玉、陳慶之の部隊で迎撃中
馬騰軍
都市数23武将数144兵数707335
宛、洛陽の激闘のかいあって遂に全てにおいて曹操軍を上回る。
さて、この年は何処まで行けるか‥‥。
3月楊儀が文官推挙で費偉を連れてくる。江夏が孫策領なので助かった。
梓潼在野の尹黙先生獲得。あの劉禅の先生かぁ………
6月廬江防衛戦がかなりウザくなったので蘭相如に久しぶりに停戦に行ってもらう
期間は最短の2ヶ月曹操相手にきっちり傷をおわせて停戦成功。
8月21日停戦終了と同時に曹操軍出撃陳留から投石隊3部隊をあわせて計六部隊が翌ターンには小沛から曹操を含む2部隊が出撃
また、停戦で都市に帰還途中だった3部隊も廬江へ向けて動きだす。
武将も曹操、徐晃、甘寧、楽進等中々見事なメンツ。なのでこちらは新野から許昌攻略部隊を出撃させることにした。
9月1日許昌攻略作戦開始馬超(騎神)+楊大眼(疾走)+魏延(連戦)17000
馬岱(補佐)+潘ショウ(捕縛)+傅トウ(連戦)16000
趙雲(洞察)+黄権(神算)14000
馬雲リョク(騎将)+黄月英(工神)+楊氏(繁殖)14000
徐庶(深謀)9000
荀攸(百出)+ホウ統(連環)+張良(神算)12000
計82000対する許昌は21236武将も怖いのは陸遜、于禁ぐらい
このままなら、楽勝ですかねぇ。
10月宛、漢中で疫病発生。陳留攻略で使うための兵がごっそり減らされる。何?このピンポイント攻撃?
11月許昌迎撃部隊孫礼騎兵の荀攸隊への突撃で張良と孫礼の一騎討ち発生。‥‥‥もう、好きにしてください‥‥
12月21日遅ればせながら宛から陳留攻略作戦開始
ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)+凌操(連戦)17000
馬休(長駆)+陳震(心攻)+夏侯氏(明鏡)16000
秦瓊(金剛)+費偉(能史)15000
馬鉄(補佐)+韓信(強行)+楊儀()14000
ウッ遅恭(槍神)+簫何(築城)14000
崔州平(指導)+趙累(補佐)+張良(神算)110000
鮑叔牙(補佐)+王累(運搬)+太史享(能史)10000
計97000で出撃。対する陳留は23000ちと張り切りすぎたかな
213年建業の程イクが滅び残りは3勢力
曹操軍
都市数16武将数128兵数614286
程イク勢力を滅ぼし建業を得る。今は、十万以上の大軍で廬江を激しく攻め立てる。
馬騰軍
都市数23武将数152兵数900102
廬江防衛でどれだけ粘れるかが勝負。許昌は後一撃で陥落するので長かった献帝擁立ももう、目の前。
孫策軍
都市数3武将数27兵数247807
曹操軍と同盟中馬騰軍と停戦中なので動けず将も増やせず。
1月廬江防衛戦
ようやく李典戟兵等3部隊を撃破したが曹操槍兵、徐晃戟兵、太史慈戟兵、劉備槍兵等が渡りにわらわらといる。
非常に不味い事態活路が見えない。
2月1日許昌攻略成功。少し火計で遊び時間をかけてしまった。
2月11日
張虎「父上!義兄貴!馬超隊が許昌を制圧したって報告が!」
張遼「いよいよ我らも動くべきかな関平?」
関平「ホウ将軍らの陳留攻略部隊も間もなく都市の包囲が始まるとのことです。」
張遼「廬江防衛戦はどうなっている?」
関平「岳将軍、陳将軍、鄭将軍らが奮戦しておりますが数が数だけに厳しいようです。」
張遼「急がねばならないかな?」
張虎「全く情けねぇなぁ!」
関平「賢弟、仕方あるまい曹操軍の主力のほとんどが廬江へ向かったのだから」
張遼「そのとおりだ虎自重!せよ岳将軍らだからこそ粘れているのだお前ではあっという間に廬江は陥落しているだろう。」
張虎「‥‥‥はい」
張遼「今回の攻略戦では父と戦わずに済みそうだな?」
関平「私も武人の端くれ父上を前にして臆することも剣を鈍らすこともありません。」
張遼「よくぞ言った!流石は雲長の子だ!虎よ、よく関平に見習え。」
張虎「よろしく頼むな義兄貴」
関平「こちらも賢弟。では、呉将軍、黄将軍らとギョウ攻略部隊編成を話し合って参ります。」
改めまして2月11日洛陽からのギョウ攻略作戦開始
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基本設定PSPK
上級/討死無し/妖術、落雷無し/能力変動無し/いにしえ、追加武将有り
縛りルール
登用できるのは漢室が普通、重視の将のみ。/処断できるのは基本漢室無視の将のみ。
使用兵装は騎兵のみ。
プレイ年数205年5月1日からの新縛りルール
漢室普通、重視の敵将の扱い
捕まえるごとの捕虜期間は90日間としてそれ以上になる場合は解放。
漢室普通の敵将の扱い
統率、武力、知力の何れかが85以上ある武将は
最初の1回目の登用に応じなかった場合は次に捕虜に出来るまでは登用不可
所属勢力が滅びた場合は何時でも何度でも登用可能。
敵将の扱いに制限を入れることによって最後まで激闘になるかな
と思い新縛りルールを追加しました。では、プレイ日記再開します
* 第6章逆転
205年4月
長安、上庸より漢中に曹操軍が進攻する
非常に不味い江陵、柴桑攻略にほぼ戦闘系将は使ってしまって文官タイプしか移動させられるのがいない。
取り合えず時間稼ぎになるように文官と登用したばかりの馬忠を漢中に移動させる
黄祖が武陵の近くで廟を発見。劉曄に連環を付ける。
計略系で個人的には連環が一番のお薦めです。
2部隊同時に計略を仕掛けられるので実質計略の気力消費が半分だと考えて良いのではないでしょうか?
4月21日柴桑攻略
長沙の兵糧があまりなく180日分ずつしか兵糧を持たせず出撃させたせいで
馬騰、馬超等の数部隊が次のターンには兵糧が0になると言う状況でした。間に合ってよかった。
また、江陵を見ると敵将の人数が47に夏侯惇等も移動してきたようです。
柴桑攻略部隊は都市に入城すぐに漢中に移動させる、漢中へ移動していた文官たちを柴桑に移動させる。
7月孫堅軍と2年の停戦を結ぶのに成功。周瑜不在だったので楽勝でした。
また、柴桑攻略時に捕らえていた許靖等を登用した。
8月11日江陵攻略
周泰、張遼の部隊が撃破されるなど流石は曹操軍。
迎撃部隊が呂布、夏侯淵、夏侯淵、岳飛と超一流ばかり。
また、どの部隊も明鏡か洞察がいて計略の防御も完璧でした。今後の苦労が窺えます。
張魯、張衞、張衞、張燕、張南、郭氏、韓セン、曹休、藏覇、陳矯を処断。
この頃、漢中防衛戦は砦、土塁を挟み敵部隊へ間接攻撃。敵部隊の先陣は戟兵なので矢盾発動
が面倒です。まあ、弩兵と戦い兵を減らされるよりましなのかもしれませんが。
まだ、戟兵の後ろには甘寧丼蘭、趙雲衝車が続き(勿体ないなぁ)白起槍兵、顔良騎兵、蒙恬井闌が進攻中まだまだ、終わりが見えません。
11月1日江陵に城陽から曹彰騎兵、呂布戟兵が進攻してくる。まだ、内政途中だというのに‥‥
11月11日江陵攻略から90日登用できなかった
夏侯淵、夏侯惇、王翦、田豊、紀霊、関平ら数十名は解放。
潘璋、賈華、蒋欽、徐バク、崔州平を得る。
漢中防衛戦で趙雲、ホウガ、歩シツを捕らえる。90日以内に登用できるまで忠誠が下がってくれると良いが‥‥
11月21日呂尚、白起を捕らえたので処断。柴桑へ廬江から大軍が出撃。徐晃、典韋等がいる。
造幣を開発中だった藺相如を撤去で急いで呼び戻し停戦に行かせる。
206年
曹操軍
江陵が落ちても今だ都市数21武将数192と断トツ呂尚が死んでもまだ、張良がいる(論客で登場先程負けました。)
馬騰軍
江陵、柴桑を得て都市数16武将数は3桁に乗り武将数107何とか分散すれば3ヶ所の攻防戦が可能でしょうが
まあ、名将揃う曹操軍を相手にはできない作戦ですね。
1月
曹操軍と4ヶ月の停戦を結ぶ。柴桑の港前に人壁を並べて何とか凌ぐことができました。
趙雲獲得。馬超、張遼らのようにエースとして活躍してもらいましょう。早速馬雲リョクと結婚してもらいました。
2月
孫堅軍と停戦24ヶ月延長藺相如対戦相手にでた孫権を一撃粉砕。
馬騰「お主孫権を相手にしてストレス解消しなかったか?」
藺相如「さて、なんのことか私には解りかねます。」
馬騰「‥‥‥‥‥」
ホウガ、歩シツ解放。全く忠誠度が下がりませんでした。残念です。
3月
在野の李異、吾粲登用。
城壁強化の研究修了。
4月君主孫堅死亡孫策が後継。
また、1人漢室重視が亡くなってしまった。
馬岱が武官推挙で冷苞を連れてきてくれたので早速冷苞には後方の人材が1人しかいないところに送る。
5月
襄陽から敵部隊が江陵へ進攻する。廬江から柴桑へ上庸から漢中へ新野から北東港経由で江陵へと多方面から曹操軍がやって来る
やられっぱなしも芸が無いのでこちらからも仕掛けられるように武将を移動させる。
柴桑へは賈ク、劉曄、李カイ、貂蝉、荀攸ら計略部隊を送る。
漢中へは馬騰、馬鉄、馬休を。江陵へは張遼、呉懿、ホウ徳らを防衛部隊とし。
江州へ馬超、趙雲、馬雲リョク、馬岱を派遣する。
ちなみに5月11日現在の曹操軍の進撃部隊数
襄陽2部隊、新野10部隊、上庸9部隊、廬江4部隊が進軍中まだまだ、増えると思われる。
馬雲リョク「本当に大丈夫なのでしょうか?」
馬岱「我らが襄陽を陥落させるまでもってくれれば良いのですが‥‥」
馬超「ふん、襄陽など我が一撃をもって粉砕せん!」
趙雲「では、参りましょうか!」
5月21日江州から襄陽攻略作戦開始
馬超(騎神)+黄権(規律)+楊大眼(疾走)15000
馬岱(補佐)+王累(運搬)+霍峻(不屈)14000
馬雲リョク(騎将)+徐氏(跪計)+鄒氏(楽奏)11000
趙雲(洞察)+馬忠(踏破)11000
計51000で桟道から襄陽急襲を目論む
9月11日江陵防衛戦で捕らえた鮑叔牙を登用。知力が83と縛りルールセーフなので
忠誠が下がったところでいただきました。
どの防衛戦も辛いですが呂布の弩兵がいる江陵防衛戦となかなか計略部隊の連環が
うまくいかない柴桑防衛戦はかなり辛いです。呂布の弩兵応射がかなりのダメージです。
11月11日には新たに伊籍、全宗、関靖を登用。徐晃、典韋解放。また、会う日まで(出来れば戦いたくないが‥‥)
襄陽攻略成功。范増、韓玄、楊泊処断。だれも登用に応じなかったので牢屋へ90日ねな間に何人獲れるか
そして即座に藺相如に曹操軍との半年の停戦にいってもらう。しかし、曹操と会うまで60日って‥‥逃げたか?
12月21日曹操が移動したようで停戦交渉が早くも実現。対戦相手は曹操本人。張良でなくてよかった。
半年の停戦に成功。一番楽だと思われていた漢中も衝車、井闌に土塁、城塞を破壊され
かなりの危険な状態だったので1発の停戦成功ありがたい。
馬良を在野で発見。まだ、未発見ぶしょうでいたことに感謝しつつ登用。
207年未だ未だ終わりが見えない。
曹操軍
前年の攻防戦で武将が少し減り184人に総兵力が110万から97万に減少‥‥‥だから?って言うレベルか‥‥
許昌を落とす前に馬騰が死ななければ良いが‥‥‥
馬騰軍
都市数17武将数116人に曹操軍から後1つ都市を奪えば都市数が並ぶが
趙雲を得たことで戦術の幅が広がった。
1月
捕虜の岳飛登用。寿命的には後7年位だが間違いなくうちのエースの1人として活躍してくれるだろう。
早速岳飛、陳慶之、鄭成功の三人には義兄弟になってもらった。32歳トリオの結成
しかし、同年義兄弟は誰が長兄に設定されるのかな?
2月在野の蒋エン、捕虜の呂威壙、王朗、張春華を獲得。
明鏡の蒋エンには是非馬超の副将を他三名はモブキャラとして大いに活躍してもらおう。
3月襄陽で捕虜にした文ペイ、満寵、楽進らを解放。
4月天水、零陵でイナゴ発生がっかり来たところに在野の徐庶が仕官しに着てくれる。塞翁が馬
7月停戦切れ曹操軍との戦いがまた始まる。
7月21日時点で上庸、甘寧槍兵、蒙恬騎兵等の七部隊、長安、張コウ戟兵、文シュウ騎兵ら八部隊が漢中へ
新野、張良、黄忠らの4部隊が襄陽へ2部隊が江陵へと。廬江から夏侯惇、王翦らの八部隊が柴桑へと進攻してくる。
柴桑は前回同様計略部隊に任せ江陵へは烏林港(孫策領)からの上陸だと思うので馬休、馬鉄で充分だろう
襄陽は中廬港を挟んでの戦いとなりそうなので3兄弟の岳飛、鄭成功、陳慶之+呉懿を派遣する。
漢中は馬騰、ホウ徳、張遼を起きあわよくば反撃して上庸を奪いたいところだ。
そして馬超、趙雲らを天水へ移動させる。
10月1日
廟3ヶ所目百出、神算で悩んだ結果神算を黄権に付ける。
240年死亡と長命な黄権ゲームクリアーまで活躍してくれるだろう。
3都市の防衛戦が続くなか天水より長安攻略作戦開始
馬超(騎神)+楊大眼(疾走)+王甫(明鏡)15000
馬岱(補佐)+霍峻(不屈)+蒋エン(明鏡)15000
馬雲リョク(騎将)+徐氏(跪計)+鄒氏(楽奏)12000
趙雲(洞察)+崔州平(指導)+馬忠(踏破)1000
黄権(神算)+徐庶(深謀)+王累(運搬)10000
計62000
お気付きかもしれませんが神算、深謀が同一部隊になってます。
まだこの時点では黄権の知力が83しかないので経験を稼がせる意味で同一部隊にしたのですが出撃させてすぐに失敗したと気づきました。
208年赤壁の年
各地の攻防戦は続く。
漢中防衛戦昨年10月に疫病が発生
昨年からの戦いで敵部隊を土塁、城塞越しに敵部隊を騎射で撃破先頭の部隊が衝車3部隊となった時点で土塁、城塞の前へと討って出るがそれが失敗に顔良の井闌の火矢攻撃、衝車曹否に撹乱で馬騰が混乱させられる。
それを何とかしようとホウ徳を突出させてしまい曹操部隊に包囲され袋叩きにあい撃破されてしまう。
王異を捕らえられてしまい今は、馬騰部隊も危機的状況。
柴桑防衛戦
賈ク(連環)+貂蝉(傾国)+荀攸(百出)部隊と劉曄(連環)+李カイ(機略)部隊で撹乱、偽報で防衛させるが敵部隊が多く厳しい
周泰、朱桓の部隊で水上戦を仕掛けるが夏侯惇、文ペイ、ホウガ、李典らの部隊に逆撃を受ける。文ペイ部隊は撃破出来たが
周泰、朱桓部隊の兵力もかなり減らされ撤退。
襄陽防衛戦昨年10月にこの都市も疫病発生。
鄭成功、岳飛、陳慶之で中廬港を挟んで新野からの曹操軍と戦う。
張良の部隊の神算で鄭成功が混乱させられ何も出来ないまま集中攻撃にあい撃破されてしまう。
敵部隊には関羽もおりかなり厳しい戦いとなった関羽は何とかようやく撃破し、張良の気力も尽き
鄭成功の2度目の出撃ができる兵力も整い反撃に討って出ようとしているところで208年を迎える。
江陵防衛戦
烏林港(孫策領)を挟んで馬鉄(補佐)、馬休(長駆)、鮑叔牙(補佐)、趙累(補佐)の騎兵隊の騎射で敵部隊を撃破していく。
こちらは烏林港周辺の森のお陰でたまに馬鉄の部隊が混乱させられる以外は被害無し、また、補佐がよく発動してくれてかなりの楽勝モード遠距離攻撃なので敵将が捕らえられないのが残念。
長安攻略戦
敵部隊の出撃は少なめで黄権の部隊で撹乱をかけ、馬超、趙雲、馬岱、馬雲リョクで多少の敵迎撃部隊を撃破していく。
長安包囲が完成した頃漢中へ進軍中だった長安からの部隊が戻ってきた処で昨年終了。
各戦線で捕らえた敵武将。
筰融処断。簡雍、程秉らを捕虜に残りの捕虜期間30日に登用できれば良いが‥。また、逢紀、文ペイ、李厳も捕らえたが縛りルールの能力のため残念だが解放せねば
208年1月襄陽在野のホウ統、黄月英を得る。
反董卓連合では諸葛亮は下ヒなんですよね、残念。
3月
在野の張翼を得る。中堅武将として防衛戦、攻略戦の補助として活躍してもらおう。
長安を攻略する。賈キ、郭奕処断。
4月には何時ものように曹操軍と停戦一息いれる
今回は江陵以外はかなりボロボロなので長めに一年停戦。
6月結局長安の捕虜で獲得できたのは張飛の奥様夏侯氏1人という寂しい結果に
7月梓潼、長安でイナゴ発生‥‥勘弁して次の月には陳登死亡とどうにも辛い月が続く。
こんなときはと孫策軍に停戦の名を借りた八つ当たりを実施
しかし、落雷を落とすまでには至らなかった残念。‥‥とまあ、こんなおバカなことをやっている間にも長安開発は進み
人材を次の戦いに備え適所に分けるとホウ統県令イベントが、適所に分けたのに勝手なことをまったく
10月カク昭が武官推挙で丁奉を連れてくる久しぶりの優秀な人材彼には柴桑防衛戦で戦ってもらおう。
武官推挙はこれまでも何回かあったのだがシャマカ、張横と漢室無視だったので登用できなかったのです。
209年1月張遼の子張虎、王朗の子王粛成人
張虎には張遼とともに一軍を率いてもらい親子の支援攻撃を期待したい。
在野の張嶷を得る。早速馬忠、張翼、張嶷で義兄弟になってもらう。しかし、3人とも仲良く騎馬適正Cというのは蜀軍の仕様ですかね?とりあえず張嶷は先ず騎馬適正を修業で上げておこう。
2月11日永安から新野攻略作戦開始
馬超(騎神)+楊大眼(疾走)+王甫(明鏡)16000
馬岱(補佐)+馬忠(踏破)15000
馬雲リョク(騎将)+鄒氏(楽奏)+黄月英(工神)13000
趙雲(洞察)12000
荀攸(百出)+黄権(神算)+ホウ統(連環)12000
徐庶(深謀)8000
2ターン遅れて
張翼(補佐)9000
計85000で出撃する。新野は森が多いので騎兵には戦いづらい徐庶隊、荀攸隊の計略部隊に頑張ってもらおう。
3月曹操軍が動きだす。
上庸から漢中へ。新野から襄陽、江陵へ。宛、落陽から長安へ。廬江から柴桑へ。進軍を開始する
廬江からは部隊数が少なく武将が逢紀、審配、簡雍、傅士仁と舐められているので
こちらからも賈ク、丁奉、朱桓、周泰、楽毅らで港より前へと迎撃に 出撃させる。
廬江を獲れればいいが
4月廬江から新たな部隊が出撃してくる。文シュウ、魏延、李カク、徐盛、曹真‥‥
泣く泣く柴桑からの攻略作戦を中止する。無念
5月存在を忘れていた在野の楊儀を得る。しかし、存在を忘れていたため馬謖獲得に失敗。
今回は各戦線で奮闘していて、今現在で五人の将を捕らえる。何人かは獲得できれば良いが‥
呉巨処断。捕虜の傅士仁、ウッ遅恭獲得。何故傅士仁のような雑魚をとお思いだろうがなんと傅士仁名声付きなのだ。
ウッ遅恭は秦瓊と義兄弟になってもらい活躍してもらおう。
8月1日新野攻略成功
また、漢中防衛戦では敵部隊を撃退その勢いで上庸に進軍するが迎撃に出た顔良にかなり痛い目にあわされる
しかし、このままでは終われないので襄陽より馬鉄、馬休、鮑叔牙、趙累を
また、漢中へ移動させた先ほど獲得したウッ遅恭を出撃させる。
10月11日上庸攻略成功
ホウ徳の部隊が撃破されてしまったが上庸を攻略。これで襄陽を生産都市に出来る
11月11日曹操軍と9ヶ月の停戦。
長安、柴桑防衛戦に一息いれる。長安は東が大都市落陽だけに少しずつ押し込まれていたので。
武将を再編成し直す、上庸、新野の内政、襄陽の宛、許昌攻略への軍備増強のための停戦である。
出来れば次の都市攻略で廬江も獲りたいが‥‥‥
* 第7章献帝擁立
210年
曹操軍
都市数17武将数159人兵数676719
馬騰軍
都市数20武将数137人兵数612467
曹操軍は呉を攻略した模様。柴桑、長安、漢中、江陵、襄陽の他に呉まで攻めていたとは‥‥
まあ、全ての戦場維持は無理だったようで結果上庸、新野を馬騰軍に奪われた訳だが‥‥‥。
都市数を逆転した馬騰軍武将も曹操軍からウッ遅恭の他に秦良玉、簡雍、王昶、高幹、李カク、傅トウを獲得した。
残念ながら縛りルールで徐盛、諸葛謹、張昭等を得ることが出来なかったが戦力差を少しずつ縮めることが大切。
ただ曹操軍は昨年諸葛亮を登用できているんですよね。張良、諸葛亮と神算武将が曹操軍に二人いる早く捕らえたいものです。
武官にも曹操軍には昨年は戦わずに済んだが関羽、張飛、夏侯惇、夏侯淵、徐晃がいる。攻めかたを間違えると逆襲されて大変な目に遭わされかねない。まだ、まだ厳しい戦いは続くと思われる。
1月
長安に在野で郭攸之がやって来たので登用。曹操軍に登用されてても仕方ないと思っていただけに喜ばしい。
また、在野の張南、陳式を得る。
魏延のプレイ日記面白かったなぁ。また、何処かでお目にかかりたいものです。
7月江州、成都で疫病発生。面倒だなっと思っていると左慈登場。ラッキー♪
文官推挙発生崔州平が張温を連れてくる。‥‥あれ?もしやこの日記初の文官推挙なのでは?
陳慶之と秦良玉を結婚させる同い年カップル仲良く次の戦いに活躍してもらいましょう。
8月11日停戦終了
曹操軍が早くも動きだす。許昌から新野奪還へ呂玲綺騎兵、関羽槍兵、文ペイ木獣が出撃してくる。
かなりの強敵である。ただしどの部隊も副将はついていないのでホウ統、徐庶、黄権、荀攸を新野に移動させる。
彼らなら森では騎兵は役に立たないし巧く戦えば時間稼ぎになるだろう。
蘭相如孫策軍に停戦の使者に出立相手は黄蓋きっちり勝たせていただきました。
次のターンには陸遜戟兵、黄忠投石が許昌より出撃、しかし、他は動きなし不気味だ早く動けよ。
しかし、願いむなしく次のターンも動きなし。
仕方ないとこちらからも動くことにした江陵から廬江へ出撃
岳飛(洞察)13000
鄭成功(水神)12000
秦良玉(強行)12000
陳慶之(白馬)11000
張嶷(踏破)8000
馬忠(踏破)8000
張翼(補佐)+張南()8000
計72000
また、新野へ援軍として馬超たちを送る。
9月11日になって落陽から長安へ曹操軍が出撃しか、ら廬江からは動きなし柴桑の武将も最小限残し襄陽へ移動させる。
10月許昌からの新野への攻略部隊が宛ルートを使い新野領内へとやって来る馬超、趙雲、馬岱、馬雲リョクらで迎撃
また、長安にも続々落陽からの曹操軍が領内へ侵入設置していた業火種でダメージを与えてから張遼らに迎撃させる
馬超騎兵隊は副将楊大眼が疾走もちなので次々曹操軍の部隊を混乱させられるだろう。
先ず早々に太史慈木獣を叩く副将に張良が居るので危険この上なし。疾走が決まり混乱させる
次のターンには潘ショウを副将に付けた部隊で全滅させ太史慈、張良を捕縛。1月11日までに張良獲得できるといいが
211年馬騰死亡年シナリオ初期年から21年経過
曹操軍
江東の会稽を落とし都市数を18に武将数154人に兵数は728217
馬騰軍
まだ、廬江落とせず都市数変わらず20のまま武将数は捕虜で呂範を獲得。しかし、二人死亡し
138人とプラス1名に留まる兵数は遂に曹操軍を逆転して770916
昨年からの戦いは新野が激戦関羽、陸遜。司馬懿を副将にした魏延、管仲を副将にした文シュウらが東のルートから新野領内へと侵入
消耗戦となり未だに戦いは目処がたたない。
長安防衛戦
騎兵の公孫サン、曹彰。投石の諸葛亮らが長安へ来襲。都市耐久8000が2200兵数が120000が83000にまで減らされながら何とか撃退に成功また、この防衛戦で先ほども書いたが呂範を得る。今落陽には17000陳留には18000しか兵が居ないため長安はしばらく安泰だろう。
廬江攻略戦
今は、都市を包囲途中1、2月には落とせるだろう
新野がちゃんと防衛出来るか‥‥‥?
211年1月11日ギリギリで張良獲得成功早速賈クから張良に軍師変更賈クも今の時点で知力100だがやはり漢室重視の人が軍師であってほしいですから。
2月新野防衛戦
新野の北ルートから劉封騎兵隊、徐晃槍兵、蒙恬投石が新野領内に侵入投石器を用意していたが一撃で蒙恬投石隊に粉砕される。
襄陽から60000を新野へ輸送開始遅いかも‥?
廬江攻略成功
連戦持ちの諸葛均が登用に応じてくれた。襄陽、柴桑の武将を廬江内政に送る。
新野では東ルート守備の趙雲隊が358まで減らされながら魏延隊を撃破魏延、関平、司馬懿を捕らえる。
魏延が何と登用1発OK助かる。
関羽を混乱させようと馬超隊が関羽に突撃すると一騎討ち発生。楊大眼、馬超の二人がかりで関羽を倒して捕らえる。
しかし、当然ながら登用には応じてくれないので5月11日まで牢屋行き
3月長安防衛戦で捕虜にした将を全員解放。にまた、新野で捕虜にした蘇由登用。張コウ解放
名称の解放はまた、敵として戦わなければならないと考えると頭がいたい。
3月11日黄忠を捕らえる。蜀将は漢室重視ばかりなのでじっくり登用できるから助かる。
翌3月21日には黄忠が早くも登用に応じてくれた。今回は弓神は役に立た無いのが残念。しかし、騎馬適正A なので
戦力として十分カウント出来る。
5月ギリギリで関平獲得。補佐もちで騎馬適正Aの優等生。
司馬懿、関羽、曹洪、呂玲綺を解放。一生牢屋に入れておきたかった‥‥。
5月11日漢中から宛攻略作戦開始
馬騰(連戦)+夏侯氏(明鏡)17000
馬休(長駆)+簫何(築城)+陳震(心攻)15000
馬鉄(補佐)+凌操(連戦)+韓信(強行)13000
鮑叔牙(補佐)+楊儀()10000
趙累(補佐)8000
計63000で出撃。武将たちは二流ばかりだがまあ、補佐の支援攻撃で何とかなるでしょう。
6月11日関平、張虎を義兄弟にする。父親同士は友人で息子たちが義兄弟になるってなんかかっこよくないですか?
徐晃にも息子がいれば完璧なんですけどね。
そして同日長安からの落陽攻略作戦開始
張遼(威風)+馬良(能史)+張繍(騎将)17000
呉懿(補佐)+孔丘(仁政)+廖化(血路)16000
厳顔(弓将)+石蹈(規律)+張既(親羌)14000
黄忠(弓神)+蒋エン(明鏡)12000
カク昭(不屈)+閻行(繁殖)+関寧(発明)12000
関平(補佐)+王甫(明鏡)11000
張虎()+徐氏(跪計)9000
計91000で出撃予想以上に大部隊になってしまいました。
さあ、次々行こう
同月21日上庸から宛攻略+許昌攻略部隊出撃
ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)17000
秦瓊(金剛)+王朗(築城)+王累(運搬)14000
ウッ遅恭(槍神)+崔州平(指導)14000
計45000数は少ないが最強の武力揃い新野への攻略で兵の少ない許昌なら確実に落とすはず
宛より曹操軍の迎撃部隊が出撃。呂布副将に李勣騎兵、太史慈副将に審配戟兵、徐晃槍兵。‥‥‥何?この布陣‥‥
また、廬江に甘寧騎兵、楽進槍兵が接近岳飛、陳慶之、周泰を迎撃に出撃させる。
10月11日洛陽攻略成功
連弩櫓や迎撃隊との戦いに二万以上の兵を失いながらも何とか勝利。
捕らえた将のうち華キン、公孫康、焦触を処断。他は捕虜に
後1月11日までに楽淋、鐘ヨウ、辛評、秦朗、薛綜、孫ケン、丁義 、駱統、呂拠を獲得。
張コウ、王剪、郭淮らを解放。さらばバルログ張コウまた会おう。
11月21日宛攻略成功
呂布、徐晃、太史慈強し。秦瓊、ウッ遅恭が兵数半分以下になり6000を割っていた。
新野からホウ統、黄権の計略部隊を援軍に出撃させるなどして撹乱させ何とか迎撃部隊を全滅させ、都市を攻略
王忠処断。他は捕虜にして後2月21日までに太史享のみしか獲得できず
212年
曹操軍
都市数15武将数133兵数616941
今は、小沛から廬江攻略部隊を出撃させるなどしているが
鄭成功、岳飛、秦良玉、陳慶之の部隊で迎撃中
馬騰軍
都市数23武将数144兵数707335
宛、洛陽の激闘のかいあって遂に全てにおいて曹操軍を上回る。
さて、この年は何処まで行けるか‥‥。
3月楊儀が文官推挙で費偉を連れてくる。江夏が孫策領なので助かった。
梓潼在野の尹黙先生獲得。あの劉禅の先生かぁ………
6月廬江防衛戦がかなりウザくなったので蘭相如に久しぶりに停戦に行ってもらう
期間は最短の2ヶ月曹操相手にきっちり傷をおわせて停戦成功。
8月21日停戦終了と同時に曹操軍出撃陳留から投石隊3部隊をあわせて計六部隊が翌ターンには小沛から曹操を含む2部隊が出撃
また、停戦で都市に帰還途中だった3部隊も廬江へ向けて動きだす。
武将も曹操、徐晃、甘寧、楽進等中々見事なメンツ。なのでこちらは新野から許昌攻略部隊を出撃させることにした。
9月1日許昌攻略作戦開始馬超(騎神)+楊大眼(疾走)+魏延(連戦)17000
馬岱(補佐)+潘ショウ(捕縛)+傅トウ(連戦)16000
趙雲(洞察)+黄権(神算)14000
馬雲リョク(騎将)+黄月英(工神)+楊氏(繁殖)14000
徐庶(深謀)9000
荀攸(百出)+ホウ統(連環)+張良(神算)12000
計82000対する許昌は21236武将も怖いのは陸遜、于禁ぐらい
このままなら、楽勝ですかねぇ。
10月宛、漢中で疫病発生。陳留攻略で使うための兵がごっそり減らされる。何?このピンポイント攻撃?
11月許昌迎撃部隊孫礼騎兵の荀攸隊への突撃で張良と孫礼の一騎討ち発生。‥‥‥もう、好きにしてください‥‥
12月21日遅ればせながら宛から陳留攻略作戦開始
ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)+凌操(連戦)17000
馬休(長駆)+陳震(心攻)+夏侯氏(明鏡)16000
秦瓊(金剛)+費偉(能史)15000
馬鉄(補佐)+韓信(強行)+楊儀()14000
ウッ遅恭(槍神)+簫何(築城)14000
崔州平(指導)+趙累(補佐)+張良(神算)110000
鮑叔牙(補佐)+王累(運搬)+太史享(能史)10000
計97000で出撃。対する陳留は23000ちと張り切りすぎたかな
213年建業の程イクが滅び残りは3勢力
曹操軍
都市数16武将数128兵数614286
程イク勢力を滅ぼし建業を得る。今は、十万以上の大軍で廬江を激しく攻め立てる。
馬騰軍
都市数23武将数152兵数900102
廬江防衛でどれだけ粘れるかが勝負。許昌は後一撃で陥落するので長かった献帝擁立ももう、目の前。
孫策軍
都市数3武将数27兵数247807
曹操軍と同盟中馬騰軍と停戦中なので動けず将も増やせず。
1月廬江防衛戦
ようやく李典戟兵等3部隊を撃破したが曹操槍兵、徐晃戟兵、太史慈戟兵、劉備槍兵等が渡りにわらわらといる。
非常に不味い事態活路が見えない。
2月1日許昌攻略成功。少し火計で遊び時間をかけてしまった。
2月11日
張虎「父上!義兄貴!馬超隊が許昌を制圧したって報告が!」
張遼「いよいよ我らも動くべきかな関平?」
関平「ホウ将軍らの陳留攻略部隊も間もなく都市の包囲が始まるとのことです。」
張遼「廬江防衛戦はどうなっている?」
関平「岳将軍、陳将軍、鄭将軍らが奮戦しておりますが数が数だけに厳しいようです。」
張遼「急がねばならないかな?」
張虎「全く情けねぇなぁ!」
関平「賢弟、仕方あるまい曹操軍の主力のほとんどが廬江へ向かったのだから」
張遼「そのとおりだ虎自重!せよ岳将軍らだからこそ粘れているのだお前ではあっという間に廬江は陥落しているだろう。」
張虎「‥‥‥はい」
張遼「今回の攻略戦では父と戦わずに済みそうだな?」
関平「私も武人の端くれ父上を前にして臆することも剣を鈍らすこともありません。」
張遼「よくぞ言った!流石は雲長の子だ!虎よ、よく関平に見習え。」
張虎「よろしく頼むな義兄貴」
関平「こちらも賢弟。では、呉将軍、黄将軍らとギョウ攻略部隊編成を話し合って参ります。」
改めまして2月11日洛陽からのギョウ攻略作戦開始
張遼(威風)+石蹈(規律)17000
呉懿(補佐)+蒋エン(明鏡)16000
厳顔(弓将)+馬良(能史)15000
カク昭(不屈)+呂範(造船)13000
黄忠(弓神)+駱統(強襲)12000
関平(補佐)+王甫(明鏡)12000
張虎()+呂拠(操舵)10000
計95000対するギョウは87000と兵数だけ見れば大変そうだが武将数が二人しか居ないため楽勝のはず
後は時間との勝負。
3月1日馬騰が皇帝になる。ならないパターンが欲しいです。必ず校庭に成らなければならないって‥‥なんか嫌です。
とりあえず建国名は羌が良かったのですが無いので涼に。
4月21日陳留攻略成功。甘寧、劉邦それに僕陽からの援軍の満寵らに苦しみましたが張良の神算で甘寧部隊は沈黙させ続け何とか迎撃部隊を全滅させ攻略。
捕らえた張儀、婁圭は処断。他は捕虜に
翌ターンに僕陽、小沛から陳留攻略部隊が出撃。なんの準備も出来てないギョウを早く落とさねば
5月1日孫策死去孫権が後継。その際に法政が在野になってくれたので確実に獲得。
6月11日ギョウ攻略成功。迎撃部隊はガン無視で都市を急ぎ集中攻撃。そうしないと廬江が死ぬ
捕らえた将のうち公孫恭が捕虜にした翌ターンに登用に応じてくれました。
6月21日急いで一年の停戦相手は陸遜。1回失敗したものの何とか停戦。十万いた廬江の兵数が三万にまで減らされた。
7月ことのついでに孫権とも2年の停戦。対戦相手は孫権本人‥‥そう言えば未だに1度も周瑜が舌戦に出てこないなぁ?
まあ、良いけど。
洛陽でイナゴ発生。昨年宛に疫病今年洛陽イナゴって何?この仕打ち。
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