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玄白派」(2005/08/04 (木) 14:19:47) の最新版変更点

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*玄白派  侠は白剣を佩び 志は天の星の如く   高くに登りて仙人と宴し 愁いを解く   酒を呷りては珠玉を数え 友と雲に舞う   宴の後仙人の行方を問う 仙人は仙境に有り  高祖が隋に代わって大唐帝国を建設したといっても、建国初年、群雄はあらゆるところで王を名乗り、これらの実力を持った群雄は、高祖李淵より名声と威勢が大きかったので、唐の朝廷は隱士侠客の力を借りなければならなかった。  太宗李世民は、江湖の志士と交流があり、これらの江湖の侠客が唐の基盤を安定させる立役者となった。玄白派の始祖―欧陽護は、高祖の次子であった李世民を助けて隋末群雄の中で最大の勢力であった宝建徳を倒した。高祖が群雄を統一した後、一貫して自由を好んだ欧陽護は山中へと身を退けた。太宗は何度か人を派遣して捜索させたが、ついに見つけることができなかた。  人が伝えるところによると、欧陽護は秦の始皇帝に別れを告げたのち江南衝山に旅行したが、このとき一人の仙人と出会った。彼はその仙人から仙術を伝授され、蓬莱仙境を訪れた。そして仙境から帰ってきた後、独自の玄陽剣法と白鳳刀法を身につけ、欧陽護はこの二つを張克宝と宋之蘭という二人の親友に伝授した。彼は二人の親友に、数十年後に神州に災難が降りかかることを告げ、さらに、彼が伝授した刀法と剣法は玄天大帝が自ら授けたもので、妖魔を絶ったり召還したりすることができるものなので広く伝えるように言った。二人が刀法と剣法をマスターすると、欧陽護は姿を消してしまったという。  玄陽剣法を学んだ宋之蘭と白鳳刀法を継承した張克宝は、師の言いつけ通りに、各地を旅して武芸を広く授けた。  この派の武功の独特な点は、刀剣と合わせて仙術を使うところにある。技の勢いは猛烈であるが、力に頼らず巧みさを重んじ、空を舞って護符を書いているような身のこなしであるので、人々は口々にその美しさを褒め称えた。  神秘的な境遇を持つこの独特の剣法は、玄白派の名声を非常に早く広め、他派に比べて後発であるにもかかわらず、田舎の一般民衆から富豪の子息まで、最も門徒を集める流派となった。彼らは刀法を使う玄白派の者を「刀客」、剣法を使る者を「剣侠」と称した。
*玄白派 刀客は刀、剣客は剣を用いて攻撃。 玄白派の特徴として、回復スキルが使える点である。 台湾のサイト上では、剣客は他人のHPを回復することができるが、刀客は自分のHPしか回復できないとも。 初期ステータス、習得スキルなどから考えて、もっとも平均的で、プレイヤーのステータス振りや プレイスタイルによって方向性をさまざまに選ぶことができると思われる。

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