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ペプシコ インク
本店:アメリカ合衆国 ニューヨーク州 10577、パーチェス、アンダーソン・ヒル・ロード 700

【商号履歴】
ペプシコ インク

【沿革】
1898年 カレブ・ブラッドハムがノースカロライナ州の薬局にて、「ブラッズ・ドリンク」の商品名で、コーラの実、バニラ、オイル等を原料にした飲料の販売を開始した。後に彼は商品名を「ペプシコーラ」へと変更した。
1903年 ペプシコーラの商標の申請が米国特許庁により受理される。
1919年 米国デラウェア州にてロフト社が設立される。1919年9月18日。
1931年 ロフト社がペプシコーラの商標を買収。
1941年 ロフト社の社名がペプシコーラ・カンパニーに変更された。
1951年 ペプシコーラが176のボトラーを通じて44か国で販売されるようになる。
1964年 マウンテン・デューがペプシコーラにより買収される。
1965年 ペプシコーラ・カンパニーとフリトレー・インク(以下「フリトレー」という。)が合併をしてペプシコ インクが設立される。フリトレーは、塩味スナック食品の製造・販売会社である(同社は、フリトス・ブランドのコーン・チップスの原製造者であるテキサス州ダラスのザ・フリト・カンパニーと、主要なスナックおよびコンビニエンス食品の製造会社であるジョージア州アトランタのザ・エッチ・ダブリュ・レイ・アンド・カンパニーの1961年の合併によりできた会社である。)。
1967年 ペプシコ株式につき1対1の株式分割が行われる。
1971年 ドナルド・M・ケンドールがペプシコの取締役会会長兼最高経営責任者に就任。
1977年 ペプシコ株式につき1対2の株式分割が行われる。
1986年 ノースカロライナ州法人として再設立。ペプシコ株式につき1対2の株式分割が行われる。D・ウェイン・キャロウェイが取締役会会長兼最高経営責任者に就任。
1990年 ペプシコ株式につき1対2の株式分割が行われる。
1993年 ペプシコは、ロジャー・エンリコを当社副会長に任命。
1996年 ウェイン・キャロウェイが、最高経営責任者の辞任を発表。ロジャー・エンリコが最高経営責任者に就任する。ペプシコが1対1の株式分割を行う。
1997年 69百万株の自己株式を取得した。
1998年 トロピカーナ・プロダクツ・インク(以下「トロピカーナ」ということがある。)をシーグラム・カンパニーLtd.から買収した。トロピカーナは、1947年にアンソニー・ロッシにより設立された。トロピカーナの主要なブランドは、「トロピカーナ・ピュア・プレミアム」ジュースである。59百万株の自己株式を取得した。
1999年 世界最大のペプシボトラーのペプシ・ボトリング・グループ(以下「PBG」ということがある。)は、PBGのシンボルのもとニューヨーク証券取引所で取引を開始。これにより4つのアンカー・ボトラーの内の第1番目が形成される結果となった。ペプシコはホイットマン社と一定のボトリング事業を統合してニューホイットマンを設立し、その38%の支配権を有しない持分を保持することとなった。ペプシコはペプシコーラのフランチャイジーであるポーラド社と合弁事業を設立し、その主要事業子会社の約24%の非支配的持分を有することとなった。トロピカーナは、スペインにおける冷蔵ジュースおよびスープの主導的な会社の1つであるアリメントス・デル・バレ・エス・エー(Alimentos del Valle S.A.)を買収。スティーブン・S・レインムンドがペプシコのプレジデントに指名される。
36百万株の自己株式を取得した。東京のサントリー株式会社が、1999年のドナルト・M・ケンドール国際ボトラー賞を受賞したペプシコーラを、国際的に最も優れたボトラーとして指名した。
2000年 ペプシコは第2番目および第3番目に大きいペプシコーラのボトラーであるホイットマン社およびペプシアメリカズ・インクを合併。ペプシコは株式購入プログラムを廃止した。ペプシコはユニ・プレジデント・エンタープライゼズ社から台湾のボトラーを買収した。
2001年 ペプシコはサウス・ビーチ・ビバレッジ社(SoBe)(以下「SoBe」ということがある。)の過半数の株式を取得した。スティーブン・S・レインムンドがペプシコの取締役会会長兼最高経営責任者に指名される。インドラ・K・ノーイがペプシコの取締役、プレジデント兼主席財務担当役員に選出される。
8月2日、ペプシコはクエーカー・オーツ社と合併し、これにより急速に増大する消費者の便利さへの需要に重点を置く250億ドルの食品および清涼飲料会社が誕生した。クエーカー・オーツ社は国際的にも有数のスポーツ・ドリンクであるゲータレードを有している。
2002年 ペプシコおよびテキサス州ダラスのクーパー・エアロビクス・センターの事業部門である、M.P.H.オブ・クーパー・コンセプツ・インク(CCI)の社長であるケネス・クーパーは、栄養、フィットネスおよびウェルネスを促進する契約を締結した。ペプシコは、ペプシコーラ、トロピカーナおよびゲータレードを含む、北米清涼飲料事業のすべてを統合し、1つの新事業部門、ペプシコ・ビバレッジズ・アンド・フーズに再編成した。ペプシコは50億ドルの自己株式取得を発表した。53百万株の自己株式を取得した。クエーカー・フーズは米国の袋入りシリアル事業を売却した。
2003年 ペプシコはペプシコ・インターナショナルを設立し、その事業は、世界での成長を加速させ、収益性を向上させる目的で、すべての国際的なスナック食品事業、清涼飲料事業、および食品事業を統合した。ペプシコーラの商標が100周年を迎えた。ペプシは「ペプシ、それこそコーラである。」という新しいキャッチフレーズを発表した。これは1999年以来「ペプシ」ブランドの初の主要なキャンペーンの変動であり、食品からファン(楽しみ)までにわたるすべてについてペプシが展開する事業の象徴となっている。
2004年 ペプシコは年間配当を44%引き上げた。ペプシコは以後3年間にわたる70億ドルの追加的な自己株式取得計画を許可した。ペプシコは、より健康的なライフスタイルに貢献する当社の100種を超える食品および清涼飲料水を消費者が見つけ出すことができるようにするため、「スマート・スポット」商標を登場させた。

ペプシコの日本での沿革

スナック

ペプシコは日本で1968年にマイクス・ポップコーン・カンパニーを買収してスナック事業を始め、1977年以降は、株式会社不二家と50対50のジョイント・ベンチャーであるジャパンフリトレー株式会社(以下「ジャパンフリトレー」という。)を通じて事業を行っている。1990年1月、当該ジョイント・ベンチャーはペプシコの完全子会社となった。現在、ジャパンフリトレーにより、「チートス」ブランドのチーズ味スナック、「マイクス」ブランドのポップコーン、「ドリトス」ブランドのトルティラ・チップスを含む製品が市場で売出されている。

清涼飲料

ペプシコは1954年に日本でソフト・ドリンク事業を開始した。
1997年、ペプシコは日本におけるペプシコ所有のボトリング事業をサントリー株式会社へ売却した。かかる契約の条件に基づき、サントリー株式会社は日本におけるマスター・フランチャイジーとなり、ペプシコブランドの日本での販売、製造および流通すべてを行っている。日本における製品には、「ペプシコーラ」、「ダイエット・ペプシコーラ」、「セブンアップ」、「マウンテン・デュー」および「ゲータレード」が含まれる。キリン・トロピカーナ株式会社(以下「KTI」という。)は、トロピカーナ・プロダクツ・インクとキリン・ビバレッジ・カンパニーとの50対50の合弁事業であり、日本におけるトロピカーナブランドのジュースの開発および販売に従事している。1997年より、KTIは、100%ジュース部門において上位3位の業界大手の1つであり続けている。KTIの「ホーム・メイド・スタイル」ジュースは、「トロピカーナ・ピュア・プレミアム」に代わるプレミアム市場部門に焦点を絞って導入された。2001年に、KTIは、ペットボトル入りの天然素材のジュースを発売し、これはKTIの流通媒体に成功裏に広まった。2001年に、KTIは、キリンビール・グループの「ファイティング・スピリット・マネジメント・アワード」を受賞し、2002年に、販売量および収益の連続年間2桁台の成長により、キリンビール・グループの「トップ・マネジメント・アワード」を受賞した。

食品

2001年に、ペプシコ インクは、日本においてクエーカー・オーツ・ジャパン(以下「クエーカー・ジャパン」という。)を運営していたクエーカー・オーツ社と合併した。クエーカー・ジャパンは、1975年にクエーカー・オーツ社の化学部門として始まり、産業化学製品の輸入および流通を行っていた。1979年に化学部門は廃止された。1976年から1995年まで、クエーカー・ジャパンは、東京の日清製粉株式会社との製造契約のもとペット食品事業を運営していた。ペット食品事業は1995年で中止された。1980年より、雪印乳業株式会社がクエーカー・ジャパンとの契約のもと、オートミール製品の流通および再包装を行っている。