日本化学工業
本店:東京都江東区亀戸九丁目11番1号

【商号履歴】
日本化学工業株式会社(1944年3月~)
日本製錬株式会社(1915年9月16日~1944年3月)

【株式上場履歴】
<東証1部>1949年5月16日~
<大証1部>1949年5月16日~2003年4月18日(上場廃止申請)
<名証1部>1949年7月 日~2002年12月 日(上場廃止申請)
<札証>1951年4月 日~2002年12月 日(上場廃止申請)
<新証>1949年7月4日~2000年3月1日(取引所閉鎖)

1944年3月 日 日本化学工業株式会社
1935年12月 日 日本化学工業株式会社

【沿革】
明治26年9月 創立者棚橋寅五郎は個人経営の棚橋製薬所を東京麻布において創業。
大正4年9月 株式会社組織に変更、社名を日本製錬㈱とする。当時主要製品はクロム塩、珪酸ソーダ、硫酸アルミニウム。
大正13年12月 子会社東洋電気工業㈱-現在の三春工場-を設立。黄燐、赤燐などの燐製品の製造を開始、親会社日本製錬㈱は順調に発展。
昭和10年3月 小松川第二工場の建設により苛性カリの製造を始める。
昭和10年12月 明治40年7月創立の日本化学工業㈱を合併。亀戸工場(顔料、バリウム塩)郡山工場(燐製品)の2工場を加える。この合併後、亀戸工場のみを独立させ、再び日本化学工業㈱の社名を継承させる。
昭和16年12月 日本化学工業㈱が東洋電気工業㈱、日本硫曹㈱を合併、三春工場、西淀川工場とする。
昭和19年3月 日本化学工業㈱を再び合併し5工場を統合。社名を日本製錬㈱から現在の日本化学工業㈱に変更。
昭和24年5月 当社株式を東京証券取引所に上場。
昭和24年6月 当社株式を大阪証券取引所に上場。
昭和24年7月 当社株式を新潟証券取引所、名古屋証券取引所に上場。
昭和25年3月 無機顔料製造販売の東邦顔料工業㈱(現・連結子会社)の株式を取得。
昭和25年4月 郡山工場に熔成燐肥製造設備を建設し、肥料部門を新設。三春工場で農薬の製造を開始。
昭和26年4月 当社株式を札幌証券取引所に上場。
昭和28年1月 村上工場を建設、熔成燐肥の製造開始。
昭和44年4月 旭電化工業㈱との共同出資により鹿島臨海工業地帯に関東珪曹硝子㈱を設立。
昭和45年4月 愛知工場を建設、燐酸を製造開始。
昭和45年5月 森村商事㈱、M.&T.Chemicals社(米)と共同出資により愛知県幸田に日本エムアンドティー㈱(平成3年3月日本エムアンドティー・ハーショウ㈱に社名変更)を設立。
昭和46年8月 徳山工場を建設、クロム塩を製造開始。
昭和48年5月 同和鉱業㈱との共同出資によりバリウム塩製造のバライト工業㈱を設立。
昭和60年12月 三井東圧化学㈱、ラサ工業㈱との共同出資により湿式精製燐酸製造の協同燐酸㈲を設立。
平成2年3月 村上工場を閉鎖。
平成4年8月 富士化学㈱との共同出資により珪酸ソーダ製造の京葉ケミカル㈱を設立。
平成4年10月 郡山工場、三春工場を統合し福島工場とする。旧郡山工場を福島工場第一工場、旧三春工場を福島工場第二工場と改称。
平成6年2月 日進ケムコ㈱との共同出資により亜酸化銅製造のエヌシー・テック㈱を設立。
平成6年4月 空調設備機器設計施工販売の日本ピュアテック㈱(現・連結子会社)を設立。
平成6年12月 亀戸工場を閉鎖。
平成7年7月 日本エムアンドティー・ハーショウ㈱の全株式を売却。
平成9年3月 日商岩井㈱、澄江燐業化工鳳麓有限責任公司(中)、澄江県水電開発公司(中)、香港時興投資有限公司(香)との共同出資により中国に黄燐製造の雲南盤橋燐電有限公司を設立。
平成12年6月 福島工場を組織分割し、旧福島工場第一工場を福島第一工場、旧福島工場第二工場を福島第二工場と改称。
平成14年12月 名古屋証券取引所、札幌証券取引所上場廃止。
平成15年4月 大阪証券取引所上場廃止。
平成16年3月 バライト工業㈱を清算結了。
平成16年6月 岩谷産業㈱他との共同出資により中国に電材用バリウム塩の製造販売の日化(成都)電材有限公司を設立。
平成17年2月 協同燐酸(有)を清算結了。
平成18年11月 日本ピュアテック㈱(現・連結子会社)が空調設備機器の設計施工及び販売のジャパンルーワ㈱(現・連結子会社)の全株式を取得。

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最終更新:2011年02月25日 03:52