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ジェー・ピー・モルガン・チェース・アンド・カンパニー
本店:アメリカ合衆国 10017 ニューヨーク州 ニューヨーク市パーク・アベニュー270

【商号履歴】
ジェー・ピー・モルガン・チェース・アンド・カンパニー

2015/04/26上場廃止

【沿革】
ジェイ・ピー・モルガン・アンド・カンパニー・インコーポレイテッドの沿革
1838年:
アメリカ人実業家であるジョージ・ピーボディが、ロンドンでマーチャント・バンクを開業したのが、「ハウス・オブ・モルガン」のルーツである。
1854年:
ニュー・イングランドを拠点とする商家の子孫ジュニアス・S・モルガンがピーボディのパートナーとなり、1864年に同社を買収し、商号をJ.S.モルガン・アンド・カンパニーに変更した。
1861年:
ジュニアスの24歳の息子J.ピアポント・モルガンが、J.P.モルガン・アンド・カンパニーを設立した。当初、同社は、同氏の父の会社が引き受けた欧州証券のニューヨークにおける販売拠点を務めた。
1868年:
パリに拠点を置くドレクセル・ハージェス・アンド・カンパニーが設立され、1871年にピアポント・モルガンがパートナーとなり、同社の名称は後に、モルガン・ハージェス・アンド・カンパニーに変更された。
1895年:
父の死から5年後、ピアポントは、一族の銀行持分を統合し、ニューヨーク、フィラデルフィア、ロンドンおよびパリにある4つの関連会社のぞれぞれにおけるシニア・パートナーとしての地位を継承した。
1910年:
ロンドンで、モルガン・グレンフェル・アンド・カンパニーが投資銀行として設立され、J.S.モルガン・アンド・カンパニーに代わるモルガン系列企業の英国における中心拠点となった。
1913年:
ピアポント・モルガンが死亡し、J.P.(ジャック)モルガン・ジュニアが、会社のシニア・パートナーとなった。ニューヨーク・シティの金融街ウォール・ストリート23番地に、イタリア・ルネサンス様式の新本社ビルの建設が開始された。
1935年:
米国内における銀行業務と証券業務の分離を義務づける1933年銀行法に対応して、J.P.モルガン・アンド・カンパニーは、商業銀行業務を継続することを選択し、数名のシニア・パートナーと社員が退社後、モルガン・スタンレー・アンド・カンパニーを設立した。
1959年:
この時期までに公開会社となっていたモルガンは、資本基盤と融資能力を強化するために、ニューヨークに拠点を置く商業銀行ギャランティ・トラスト・カンパニーと合併し、モルガン・ギャランティ・トラスト・カンパニーを設立した。
1969年:
J.P.モルガン・アンド・カンパニー・インコーポレイテッドは、モルガン・ギャランティ、その主要子会社のほか、世界各地で増えつつあった中小子会社の持株会社となった。
1982年:
モルガンは、モルガン・グレンフェル・アンド・カンパニーに対する持分の残り3分の1を売却した。


ザ・チェース・マンハッタン・コーポレーションの沿革
1799年:
ザ・マンハッタン・カンパニーは、ニューヨーク・シティに水道を供給するために設立された。会社の創業者には、アレクサンダー・ハミルトンとアーロン・バーがいた。会社の基本定款の定めにより、銀行業務(ザ・バンク・オブ・ザ・マンハッタン・カンパニー)を開始することが認められていた。
1823年:
ザ・ニューヨーク・ケミカル・マニュファクチャリング・カンパニーが設立され、その後銀行業務を開始した。1844年には、同社は、ケミカル・バンク・オブ・ニューヨークとなった。
1851年:
ハノバー・バンクが設立された。
1853年:
この年、メカニクス・バンク・オブ・ウィリアムズバークとして設立され、5年後にマニュファクチャラーズ・バンク・オブ・ブルックリンに変更された。
1859年:
ザ・バンク・オブ・ザ・マンハッタン・カンパニーは、エリー運河の資金調達を支援するために、ニューヨーク州に385,000ドルの貸付を行った。
1865年:
ケミカルが、国法銀行の免許を取得した。
1877年:
ジョン・トンプソンが、前財務長官のサルモン・P・チェースの名にちなんでチェース・ナショナル・バンクを設立した。
1918年:
ザ・バンク・オブ・ザ・マンハッタン・カンパニーが、バンク・オブ・ザ・メトロポリスを買収し、以後37年間で20行以上の銀行を買収した。
1927年:
チェース・ナショナル・バンクの資産が10億ドルを超え、1年後には、米国最大の銀行となった。
1929年:
ケミカルは、ニューヨーク州の銀行免許を取得し、商号をケミカル・バンク・アンド・トラスト・カンパニーに変更した。ハノバー・ナショナル・バンクがセントラル・ユニオン・トラスト・カンパニーと合併し、セントラル・ハノバー・バンク・アンド・トラスト・カンパニーとなり、1951年には、商号をハノバー・バンクに変更した。
1930年:
チェースは、チェースの大株主であったロックフェラーからエクィタブル・トラスト・カンパニーを買収した。
1932年:
マニュファクチャラーズ・トラスト・カンパニーは、14年間で11回目の取引としてチャタム・フェニックス・バンクと合併し、2年後にはケミカルが、コーン・エクスチェンジ・トラスト・カンパニーと合併した。
1955年:
チェース・ナショナルは、ザ・バンク・オブ・ザ・マンハッタン・カンパニーを買収し、チェース・マンハッタン・バンクを設立した。
1961年:
マニュファクチャラーズ・トラスト・カンパニーは、ハノバー・バンクと合併し、マニュファクチャラーズ・ハノバーを設立した。同時に、ディヴィッド・ロックフェラーとジョージ・チャンピョンが、チェースの共同業務執行役員に就任した。
1969年:
チェースは、ニューヨーク証券取引所の株式発行業務を担当した。ニューヨーク州銀行法の改正により、ニューヨーク・シティ郊外に支店を開設できることになった。
1991年:
ケミカルが、マニュファクチャラーズ・ハノバーと合併した。
1996年:
米国の銀行史上最大の企業合併のひとつとして、チェースとケミカル・バンクが合併し、米国最大の持株会社が誕生した。


バンク・ワン・コーポレーションの沿革
1812年:
ウェスタン・リザーブ・バンク・オブ・ウォーレン(オハイオ州で営業していた最も古い前身会社で、バンク・ワンの系譜上最初の銀行)が、オハイオ州ウォーレンで開店した。この会社は後に、ユニオン・セービングス・アンド・トラスト・カンパニー・オブ・ウォーレン(1984年にバンク・ワンと合併)となった。
1831年:
カナル・アンド・バンキング・カンパニー(ルイジアナ州で最も古い前身会社)が、ニューオーリンズで開店した。この会社は、後にファースト・コマース・コーポレーション(1998年にバンク・ワンと合併)となった。
1834年:
セカンド・ステート・バンク・オブ・インディアナ(インディアナ州で最も古い前身会社)が、インディアナポリスで開店した。この会社は、インディアナ州で州の銀行免許を取得した最古の銀行であり、後にインディアナ・ナショナル・バンク(1992年にNBDと合併)となった。
1851年:
スピリングフィールド・マリン・アンド・ファイヤー・インシュアランス・カンパニー(イリノイ州で最も古い前身会社)が、船舶および商品を対象とした保険業務および各種銀行業務の提供を目的として、スプリングフィールドで開店した。
1860年:
ストラウス・ブラザーズ・アンド・カンパニー(シカゴを拠点とする最も古い前身会社で、ファースト・シカゴの系譜上最初の会社)が、業務を開始した。ストラウス・ブラザーズは、シカゴでも有数の、しかも全米でも有名な銀行に発展した。
1863年:
ザ・ファースト・ナショナル・バンク・オブ・シカゴ(国法銀行法可決後米国内で8番目に通貨監督官の承認を得た金融機関)が、業務を開始した。この会社は、ファースト・シカゴの最初の前身会社である。
1929年:
オハイオ州コロンバスを拠点とする2つの銀行(コマーシャル・ナショナル・バンクとシティ・ナショナル・バンク・オブ・コマース)が合併し、シティ・ナショナル・バンク・アンド・トラスト・カンパニー(後のバンク・ワン)が設立された。
1933年:
NBDバンコープの前身会社ザ・ナショナル・バンク・オブ・デトロイトが、ミシガン州デトロイトで開店した。同行は、大恐慌で全国的に金融が崩壊していたさなかに設立されたものである。
1984年:
ファースト・シカゴは、82年の歴史のなかで最初の大型合併を実行し、シカゴを拠点としていた同業者のアメリカン・ナショナル・コーポレーション(シカゴで5番目に大きな銀行の持株会社)を買収した。バンク・ワンは、インディアナ州ラファイエットのパーデュー・ナショナル・コーポレーションを買収したが、これはオハイオ州以外の銀行持株会社との最初の合併であり、インディアナ州に始めて進出したことになった。
1986年:
NBDバンコープは、ミッドウェスト・コマース・コーポレーションを買収したが、これはミシガン州以外の銀行持株会社との最初の合併であり、インディアナ州に始めて進出したことになった。これは、1980年台と1990年代に行われた数件の州をまたぐ銀行合併の最初のものであった。
1992年:
バンク・ワンは、イリノイ州スプリングフィールドを拠点とするマリン・コーポレーション(1851年設立)、ファースト・イリノイ・コーポレーションおよびアフィリエーテッド、バンクシェアズ・オブ・コロラド・インク(1974年設立)の買収によりイリノイ州とコロラド州に参入し、積極的かつ急速な事業拡大を開始した。
1995年:
ファースト・シカゴ・コーポレーションは、NBDバンコープと合併した。新会社の名称はファースト・シカゴNBDで、資産額で中西部最大、全米第7位の銀行となり、ミシガン州、インディアナ州、イリノイ州およびフロリダ州の顧客にサービスを提供している。
1998年:
バンク・ワン・コーポレーションは、ファースト・シカゴNBDと合併した。新会社の名称はバンク・ワン・コーポレーションで、シカゴを本拠地とした。その後ルイジアナズ・ファースト・コマース・コーポレーションと合併し、米国第4位の銀行となり、世界最大の「ビザ」クレジットカード発行会社となった。

ジェー・ピー・モルガン・チェース・アンド・カンパニーの沿革
2000年:
同年9月13日、チェースとJPモルガンは、両社の合併計画を公表した。同年12月22日、両社の株主が合併を承認し、合併取引が実行された12月31日に、JPモルガン・チェースが設立された。
2004年:
2004年1月14日付合併契約・計画に基づき、同年7月1日付で、バンク・ワン・コーポレーションは、ジェー・ピー・モルガン・チェース・アンド・カンパニーと合併した(「本件合併」または「合併」)。本件合併により、バンク・ワンの発行済普通株式1株は、株式交換により、ジェー・ピー・モルガン・チェース・アンド・カンパニーの普通株式1.32株と交換された。本件合併は、パーチェス法により会計処理された。本件合併を実行するための買収価格は、585億ドルである。

日本との関係
(ⅰ)チェース
チェースの日本における歴史は、チェース・ナショナル・バンクが、第二次世界大戦後米国の銀行としてはじめて東京支店を開設した1947年に始まった(大阪支店の開設は1949年3月)。
1955年3月に、チェース・ナショナル・バンクはザ・マンハッタン・カンパニーと合併し、チェース・マンハッタン銀行が設立され、東京支店と大阪支店は、チェース・マンハッタン銀行の国際ネットワークの一部となった。当時の取扱業務は、主に商業銀行業務、貸付業務および貿易金融業務であった。1974年9月には、チェース・マンハッタン・コーポレーションの株式が東京証券取引所に上場されたが、1994年6月に同社がケミカル・バンキング・コーポレーションと合併した時点で上場廃止された。チェースは、1985年11月には信託銀行子会社を、また1987年9月には証券子会社を設立した。
ケミカル銀行は、1972年4月に東京支店を開設した。チェースと同様、ケミカル銀行は、1985年にはケミカル信託銀行株式会社を、1988年にはケミカル証券会社を設立した。ケミカル銀行は、1992年6月に、マニュファクチャラーズ・ハノバー・トラスト・カンパニーと合併し、両行の東京支店も同時に統合されたため、貸付、貿易金融および投資銀行業務が拡大した。
1996年7月には、チェース・マンハッタン銀行とケミカル銀行が合併し、両行の東京支店のオフィスが、現在の赤坂パークビルヂングに統合された。また、両行の大阪支店も、現在のニチメンビルに統合された。合併に伴い、チェースの事業は、その子会社であるチェース証券会社とチェース信託銀行の事業と合わせて、規模・勢力ともに拡大した。
(ⅱ)モルガン
2000年のチェースとの合併前のモルガンと日本との長期にわたる関係は、モルガンの前身である旧ジェイ・ピー・モルガン・アンド・カンパニー(以下「旧モルガン」という。)およびギャランティ・トラスト・カンパニー・オブ・ニューヨークが日本にとって国際的な主要銀行であった1920年代に遡る。当時旧モルガンは、米国市場における日本政府のための主要引受け業者であった。旧モルガンは、1924年に日本政府発行の最初のドル建て債の引受けを行い、1930年には2度目のドル建て債の引受けを行った。関東大震災後、旧モルガンは1926年と1927年の東京市および横浜市の「地震公債」として有名な震災復興のための政府保証債を引き受けた。ギャランティ・トラスト・カンパニー・オブ・ニューヨークの日本におけるコルレス銀行業務関係は、横浜正金銀行(現在の株式会社東京銀行)との19世紀終わりから20世紀初頭にかけての関係に遡る。また、ギャランティ・トラスト・カンパニー・オブ・ニューヨークは、その引受子会社を通じて、1925年と1928年の東京電灯株式会社(現在の東京電力株式会社)と東邦電力株式会社の主要な社債発行の引受けを行っている。1925年の発行は、日本の民間企業初の米国における公募であった。
日本におけるモルガンの公式な駐在活動は、1961年にモルガン銀行の東京駐在員事務所の設置により開始された。同駐在員事務所は1969年に支店に昇格し、それ以来日本において当社は同支店を通じてホールセール商業銀行業務全般を行っている。当社は、1979年にロンドンを本拠としてマーチャント・バンキング業務を営むモルガン・ギャランティ・リミテッドの東京駐在員事務所を設置し、日本における業務分野の拡大を開始した。1985年には、モルガンは、新たに設立した子会社モルガン信託銀行株式会社を通じて日本において信託銀行業務に従事する最初の外国会社となった。1987年に、モルガンは、米国の商業銀行としてはじめて、日本国内での証券業免許を取得した。この証券業免許は、ジェイ・ピー・モルガン・セキュリティーズ・アジア・リミテッド(旧モルガン・ギャランティ・パシフィック・リミテッド。ベクテル・インベストメンツ・インコーポレイテッドが同社の持分の50%を取得した。)の東京支店に対して付与されたものである。ジェイ・ピー・モルガン・セキュリティーズ・アジア・リミテッドは、1988年9月に東京証券取引所の国債証券先物取引等特別参加者となり、さらに1991年7月には大阪証券取引所の会員となった。
1987年9月には、持株会社であるJPモルガン・アンド・カンパニーの普通株式が東京証券取引所に上場されたが、チェースとの合併により、2001年1月1日付で上場廃止された。
(ⅲ)JPモルガン・チェース・アンド・カンパニー
2001年6月20日に、JPモルガン・チェース・アンド・カンパニーの普通株式が東京証券取引所に上場された。
2002年、JPモルガン・チェースは、日本における信託銀行であるチェース信託銀行をソシエテ・ジェネラール・エス・アーに売却した。
(ⅳ)バンク・ワン
バンク・ワンは、日本において過去に重要な関係を有したことがない。