日本板硝子
本店:東京都港区三田三丁目5番27号

【商号履歴】
日本板硝子株式会社(1931年1月~)
日米板硝子株式会社(1919年2月~1930年)

【株式上場履歴】
<東証1部>1950年6月28日~
<大証1部>1950年6月12日~
<名証1部>  年 月 日~2003年 月 日(上場廃止申請)
<福証>  年 月 日~2003年 月 日(上場廃止申請)
<札証>  年 月 日~2003年 月 日(上場廃止申請)
<京証>  年 月 日~  年 月 日(廃止)
<広証>  年 月 日~  年 月 日(廃止)
<新証>  年 月 日~  年 月 日(廃止)
<神証>1950年6月28日~1967年 月 日(取引所閉鎖)

【合併履歴】
1999年4月 日 日本硝子繊維株式会社
1999年4月 日 株式会社マイクロオプト
1970年10月1日 日本安全硝子株式会社
1941年3月 日 徳永板硝子製造株式会社

【沿革】
大正8年2月 日米板硝子株式会社を設立
大正8年5月 二島工場を設置(昭和25年7月 若松工場に改称)
昭和2年12月 イソライト工業株式会社設立
昭和6年1月 社名を日本板硝子株式会社に変更
昭和10年8月 四日市工場を設置(平成16年7月 四日市事業所に改称)
昭和14年6月 日本無機株式会社(現:連結子会社)設立
昭和16年3月 徳永板硝子製造株式会社を吸収合併し、尼崎工場を開設
昭和19年11月 尼崎工場を閉鎖し、住友化工材工業株式会社へ譲渡
昭和24年11月 尼崎に研究所を設置(昭和43年7月 伊丹市に移転)
昭和25年6月 東京、大阪、神戸の各証券取引所に株式上場
昭和26年3月 舞鶴工場を設置(平成15年10月 舞鶴事業所に改称)
昭和36年10月 イソライト工業株式会社、大阪・名古屋証券取引所第二部に上場。日本無機株式会社、東京証券取引所第二部に上場
昭和38年9月 千葉工場を設置(平成15年12月 千葉事業所に改称)
昭和40年2月 舞鶴工場にフロート方式によるガラス製造設備新設
昭和43年7月 伊丹市に新研究所を設置(平成17年4月 技術研究所に改称)
昭和45年10月 日本安全硝子株式会社を吸収合併し、川崎工場及び京都工場(平成15年10月 京都事業所に改称)を開設
昭和46年8月 千葉工場にフロート方式によるガラス製造設備を設置
昭和48年1月 日本スミサッシ株式会社からサッシ等に関する営業を譲受ける
昭和52年12月 若松工場閉鎖
昭和53年6月 舞鶴工場にフロート方式によるガラス製造設備を増設
昭和54年7月 日本硝子繊維株式会社の販売権を譲受け、硝子繊維製品の販売を開始
昭和54年12月 千葉工場土浦製造所を設置
昭和55年7月 川崎工場相模原製造所を設置(平成16年7月 相模原事業所に改称)
昭和58年10月 筑波研究所を設置(平成17年4月 筑波事業所に改称)
昭和62年5月 硝子短繊維の製造・販売に関する営業権を日本マイクロジーウール株式会社へ譲渡
昭和62年5月 千葉工場土浦製造所を廃止
昭和63年4月 環境事業部門の一部を日本板硝子環境アメニテイ株式会社(現:連結子会社)へ営業譲渡
平成2年6月 川崎工場閉鎖
平成3年9月 イソライト工業株式会社、大阪・名古屋証券取引所第一部に指定替
平成3年11月 愛知工場を設置(平成15年10月 愛知事業所に改称)
平成11年4月 連結子会社であった日本硝子繊維株式会社及び株式会社マイクロオプトを当社が吸収合併
平成11年10月 連結子会社であったエピタックスインコーポレーテッドを株式交換方式によりJDSユニフェイズコーポレーションへ譲渡
平成12年11月 日本無機株式会社の発行株式のうちの33.3%を、日立化成工業株式会社より譲受ける
平成12年12月 大阪本社ビルを売却
平成13年3月 日本無機株式会社、東京証券取引所第二部から上場廃止
平成13年4月 日本無機株式会社、株式交換により当社の完全子会社となる
平成13年10月 ピルキントン・ピー・エル・シー、持分法適用会社となる
平成16年8月 連結子会社であったイソライト工業株式会社を品川白煉瓦株式会社による公開買付けにより譲渡
平成16年9月 愛知事業所閉鎖
平成16年10月 日本無機株式会社のバッテリーセパレーター事業を、会社分割により継承し、垂井事業所を開設
平成18年6月 ピルキントン社、当社の完全子会社となる

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最終更新:2013年01月16日 04:59