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「なーんですってー!」
紗月の言葉に驚いた蘭は、電話口で思い切り叫んでしまった。
「そうよ。やっぱり驚くわよね。だから、私が積極的になれない理由ってわかるでしょ?」
半ギレの紗月は今にも泣き出しそうな声をあげる。
「8つ下って。紗月、あんたそれ自慢? なんか腹立つわ。電話切っちゃおうかな?」
「いいわよ、もう。切るなら切りなさいよ。蘭なんかに相談した私がバカだったわ!」
いつもどおりの軽口のつもりだったが、蘭は最悪のタイミングで地雷を踏んだ。
……わちゃ、調子に乗りすぎた。今日はそういうのはダメそうな雰囲気だったのに……
「あ、あ、ね、ねぇ紗月。そんなに怒んないでよ。私が悪かったからさ。でもなんでそのことを最初に言ってくれないのよ? 確かにそりゃ、迷うわよねぇ」
「もういいの、蘭。そうよね。誰が考えたって8歳の年齢差は大きいわよ。まして、女性の私の方が上なんだもの。最初から答えなんて分かってるじゃない。ごめんなさい、くだらない事聞いて!」
紗月は完全にキレて、涙声でヒステリックに叫んでいた。蘭は大きく一つ深呼吸をすると、受話器に向かって力いっぱい怒鳴ってやった。
「取り乱すな、紗月!」
蘭の厳しい怒りの声を聞いて、紗月は黙った。受話器からは、ただ鼻をクスンクスンと鳴らす音だけが聞こえてきた。
「だーから、もう、勝手に自己完結して泣き叫ばないでよね。もっと冷静になれ。あたしが知ってるあんたは、どんなに難しい問題でも、ちゃんとひとつひとつ分析して解決していく能力のある人だったよ」
蘭はそこまで言うとふんっと鼻から息を吐いた。
……紗月、もっと怒っちゃうかな? でもそんときはそんときね。そんならもう相談になんか乗ってやんないんだから……
「……ごめんなさい、蘭。そうよね。もう少し冷静に考えなくちゃね。でも、私、頭が真っ白で、なんにも思い浮かばないの。こんなこと、初めてで……」
反省したような紗月の言葉に、蘭は少しほっとした。
「ほら、泣かないで。そうやって紗月が悩んでるのは、こっちにも痛いほど伝わってるから」
「うん。うん。ありがとう」
「さっきは怒鳴っちゃってごめんね。冷静になれ! なーんて言っちゃったけど、それが出来れば相談なんかしないわよね。こればっかりはバカになるのも無理はないです」
「いまの私ってバカみたいかしら?」
「そりゃもう、大バカです。でも安心しなさいって。あたしなんか今の紗月よりもっとバカんなっちゃったこともあるもの。それに昔からね、どんな偉い人でもこの問題だけはバカになっちゃうものなの。わかるでしょ、大文豪が愛してるしか内容の無い手紙を何十通も書いちゃったり、英雄が恋焦がれて戦争に負けちゃったりするのよ」
「うん、今の私、バカなのね。バカになっちゃったんじゃ、仕方ないわ」
「うし。で、どこがバカかと申しますと、今の紗月の考えは、恐ろしく図々しい」
蘭は、会話の方向が考えたとおりの修正できたので、軽くガッツポーズをした。
「ず、図々しい?」
「そ。大方、恋人になっちゃうと、いっぱい問題が出てきていずれ別れなきゃならなくなるかもしれないから不安。だけど友達のままなら、このまま今の気楽で楽しい生活が続けられる、なんて思ってるんじゃないの?」
蘭の指摘に、紗月は沈黙した。
「図星?」
「わからない……いえ、多分そう。不安が大きすぎて、将来に悪いイメージしか浮かばないの。でも、彼と離れたくないし」
「はぁ。そこが図々しいって言うのよ。早くも将来とか言ってんのも含めて図々しい」
蘭はわざとらしく大きなため息をついて、紗月の注意をひきつけた。
「いい、紗月。まずあんたは、いまのまま友達同士なら彼を自分の一人のものに出来ると思ってるかもしれない。けどそれは、自分は彼氏にとって絶対唯一無二の女で彼は私以外の女なんかに興味は無い、っていうあんたの勝手な思い込みだぞ」
「そ、そんな。私、彼にとって自分が一番の女性だなんて……」
「そう? もしも彼氏が他の女と結婚したら、いくらあんたがただの友達だって言い張っても、2人きりで会うことなんて出来ると思う? ま、彼氏が奥さんと一緒に来ても自分は平気だって、胸張って言えるならいいけど」
「うぅ。全然考えてなかった」
蘭は、我ながら厳しい事を言っているなと感じたが、すっかり立ち直った紗月は、ひとつひとつ蘭の言葉を考えながら聞いてくれているようなので、安心した。
「その可能性を全然考えてないってことは、やっぱり彼が他の女に傾く事はないって確信してるってことでしょ? はい、そこが図々しい。ついでに言うと、気楽で楽しい友達のままお付き合いを続けたいっていうのも図々しいぞ。それは、乗り越えなきゃいけない壁がいっぱいあるから恋人にはなりたくないってことじゃない」
「う、うん。そうかも知れない」
「その困難を乗りこなきゃ、あんたが夢見る素敵なお嫁さんには絶対になれないのよ」
「そのとおりよね。やっぱり、大変なのね……」
「あー、そこは心配しなくて良いわよ。あたしや鳳でも解決できる程度の困難だから。それに、つらい事ばっかりじゃないわよ。恋人になるとね、友達のときでは絶対味わえない感じとかもあるのよ、これが」
「友達では味わえない感じ?」
「そそ。楽しいとか、うれしいとか、安らぐとか、そんなのが混ざったような幸せな感じよ。アレが愛しいって言うのかな?」
「愛しい、ね」
「それに、……うふふふふ」
蘭の突然の笑いに紗月は何かを感じ取った。
「な、なによ。そのイヤらしい笑いは?」
「友達ではしてもらえないような、気持ちいいこともしてもらえるわよ♪ 想像してみなさいな、愛しの彼氏とあんなことしたり、こんなことまでしちゃったりなんかして」
……調子乗りすぎかも。だけど、あたし今、なんかハイだ。紗月、怒るか? もーいいやー。恋愛談義の合間の下ネタトークって、やっぱたーのしー……
蘭は楽しくなっている自分を止められず、紗月との会話では大敵となる下ネタを口にした。
「き、気持ちいいことって。あんなことやそんなことなんて。そ、そんな……や、やだ」
そう言うと、紗月はしばらく黙ってしまった。すっかり怒られる気満々だった蘭はまたも肩透かしを食らった形だ。
……お、紗月のやつ、妄想が逞しすぎて、怒るのも忘れてるな……
紗月の沈黙が長引くにつれ、握っている受話器の温度が上がっていくように感じられた。
「どう? 少しは彼氏にイエスって言ってあげる気になった」
「う、うん。ちょっと。うう、でも、やっぱり年齢のことだけは気になるわ」
「そこなんだけどさ、大丈夫だって。彼氏だってそんなの覚悟の上で告白してるくれてるわよ」
「うん。でも、私、彼に自分の年齢のこと、ちゃんと話したこと無いんだけど」
「……それは、んー、どうだろーねー。コラ、それくらいちゃんと教えといてやれ!」
「そういう話題になった事ないし、自分で言うのも恥ずかしいし。あ、でも、会話の端々の情報で、大体想像はついてるかも」
「彼氏の方から話題に出来るわけ無いでしょ! 逆に不確定要素が増やしてんじゃないの!」
「うう。そうよね。弁解の余地も無いわ。やっぱり、ダメかしら……」
「バッカ。それでも告白してくれたんだから、相手はもっと本気だってことでしょ? 年齢なんて関係ないと思ってるのか、問題と思っていても乗り越える自信があるのか。とにかく、あんたがかぐら学園でぱつんぱつんの女子高生してた時に、まだランドセルしょってた男の子がありったけの勇気を振り絞って好きだって言ってくれてんのよ。あんたも勇気を出しなさい。お姉さんなんだから!」
「そ、そういう論法になるのかしら?」
「うーん、ごめん。ちょっと勢い。でも、紗月は彼氏が好きで、彼氏も紗月のことが好きって、最後はそれが一番大事なことじゃない? そうよ。愛があれば乗り越えられないものなんて無いの!」
蘭はおたまを振り上げて、ハイテンションでそう言いながら、無難かつ乱暴にまとめてしまったなと少し後悔した。しかし、思った以上に紗月は納得したようだった。
「蘭……」
「ほえ?」
「ありがとう。あなたのおかげでやっと吹っ切れたわ。私、彼にちゃんと会って答えてくる」
「ふふん。がんばってね。そん時はちゃんと年齢のことも言うのよ。隠し事は後の災いの種ですからね」
「わ、わかってるわよ。今は、彼に、もっと色々と私のことを知ってもらいたいって思う」
「当たり前でしょ? 彼の前で全部さらけ出してきなさいな。生まれたままの姿で彼の胸にドーンとぶつかって、ついでにそのままベッドに押し倒しちゃえ!」
「……蘭、さっきからあなた、少し下品な話が多すぎるわよ! いくら2人だけの話でも、もう少し自重しなさい」
紗月の口調がさっきまでと一変し、いつものようなお小言口調になった。いつもの紗月に戻ってくれたのが、蘭はたまらなく嬉しかった。
「そう、そう、それよそれ。待ってたのよ、紗月のお小言! 言われた瞬間ゾクゾクしちゃったぁ! いやー、それがないと下ネタも口にし甲斐が無いのよ」
「あなた、変わってるわね」
身悶えて喜ぶ蘭に、紗月はあきれた。
「んふふふ。いやぁ、なんにせよ、良かった、良かった。あたしったら有能なキューピッドなんだから」
「まだ成就はしてないんだけど」
「絶対うまく行くってば。また何か行き詰まったらなんでもお聞きなさいな!」
「うふふ。おねがいするわね、愛の女神様」
「もっとほめてぇ! はぁはぁ、なんかすごくハイになっちゃった。ハイになりすぎてなにか忘れてるような……あー、あー!」
蘭が突然慌てたように大声をあげた。
「ど、どうしたの、蘭?」
「……紗月、今度はあたしのお悩み聞いてくれるかな?」
「いいわよ」
「長電話で焦がしてしまった煮物はどうしたら誤魔化せるかしら?」
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