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「あらあら、いけませんわ。後輩にお小言なんて、まるでタラちゃんみたいですわね。気をつけませんと」
珠子の言葉に玄麻があからさまに首をひねる。
「……タラちゃん?」
「あ、設楽さんのことだよ」
「……えっ!?」
ささなの答えに玄麻は珍しく普通に驚いたような声をあげた。それを聞いた珠子は慈悲を含んだ優しい笑顔で答えた。
「あら、武蔵野さんはご存じなかったかしら?」
「……はい」
「私とタラちゃんとヒムヒム……わかりませんね。私と、同じ三年生の設楽かが美、緋邑刀萌は二年生のとき三人で総務部をしていましたの。武蔵野さんが入ってきた後も少しだけ任期が残っていましたから、ご存知よね?」
玄麻は無表情のまま、はいともいいえとも答えなかった。
「玄麻、失礼だよ」
「かまいませんわよ、ささな。そのとき、刀萌の提案で、お互いの交流を深めるべくあだ名で呼び合おうという決まりをつくりましたの」
「へぇ、それで。私もそこまでは知りませんでした」
「そうなんですのよ。それで、早く馴れるために、あだ名で呼ばなかったときは一回につき二百円取りましたの」
「ええ! そんなことを」
「タラちゃん……設楽さんは真面目だから今まで他人をあだ名で呼んだことなどなかったようで、これが面白いように引っ掛かりましてね。そのお金でよく三人でケーキなどをいただきましたわ。設楽さんは、成績は良いのですが、順応力に欠けますのよね」
珠子は少し真面目に考えるような表情をした。
「な、なんだか、設楽さん、かわいそうですね」
「……賭博は犯罪」
「この決まりのおかげで、今ではとてもうちとけて、仲良くさせていただいておりますわ」
珠子はお湯で泡を流すと、湯船に入ってきた。
「それでは失礼しますわね」
湯に身を沈め、最初は気持ち良さそうにしていた珠子だが、その肌はみるみるうちに赤くなっていった。
「さ、ささな、武蔵野さん。今日のお湯、すこし熱くありませんこと?」
その笑顔と静かな口調こそ崩さなかったものの、珠子の顔は既にゆでだこのようになっており、額には大量の汗が見られた。
「そ、そうですか? 割と普通だと思うんですけど……ねぇ、玄麻?」
「……常温です。……多分」
二人はただならぬ珠子の様子に少し焦った。実際、二人が言うように風呂の温度は特に高いということも無かった。
「そ、そうですの。これでも普通ですのね。お二人が言うのですからそうなのでしょうね。わ、わかりましたわ」
そう言った珠子だったが、一分も経たないうちに立ち上がった。見事なまでの茹で上がりっぷりだった。
「だ、大丈夫ですか?」
「ええ、これしきのこと。もちろん大丈夫よ。そ、それでは私、お先にしつ、失礼させていただきますわね。お二人ともごゆっくり。おほ、おほ、おほほほ……」
ふらつく足取りで風呂を出て行く珠子を、ささなと玄麻は心配そうに見送った。ガラス戸が閉まると、案の定、人が倒れる音がした。そして複数の妙に言葉遣いの丁寧な大人の女性が大騒ぎしている声が響いた。
「あの声、安璃葦さんの御付の人たちの声だね」
「……やっぱりダメでしたね」
「でも、あのメイドさんたち、いつも急に出て来るみたいだけど、普段どこに隠れてるのかな?」
「……高度な召還術かもしれません」
ささなと玄麻が上がってからしばらく経って後、浴室には別の少女二人の姿があった。
「ねぇねぇ、タラちゃん、シャンプー貸して」
やや色黒で丸っこい印象を与える小柄な少女が、隣に座って頭を洗っている細身の少女のわき腹をつついた。
「ヒャン! もう、トモ! 人が無防備なときにわき腹をつつくのはやめてください。泡が目に入るでしょう?」
タラちゃんと呼ばれた少女、設楽かが美は体をよじりながら本気で怒ったような声をあげた。しかし、怒られた方の少女、緋邑刀萌はまったく悪びれた様子が見えなかった。
「ごめんて。軽いイタズラじゃん。ねぇシャンプー貸してよぉ」
「そこにございますから、どうぞご勝手に!」
「だんけしぇーん」
刀萌がへらへら笑顔でかが美のシャンプーを手に取ったが、かが美は無視するかのように無言で一心不乱に頭を洗っていた。
「あんがとー。いやぁ、あたしって本当にうっかりさんだから。今日もさ、実習用の巫女服忘れちゃってさ、寮まで走って取りに着たのさ。で、部屋まで行ったは良いんだけど、袴を袋に入れるの忘れてて、結局下短パンさ。なによ、この萌えキャラは? って感じ。そいでね……」
「ふーん……」
刀萌は頭を洗いながら起用に口を動かし、かが美がちゃんと聞いているのかも気にせず、ペラペラと喋り続けていた。隣のかが美も全て承知しているかのように、特に嫌な顔もせず、時折相槌をいれつつ、髪を手入れしたり、体を洗ったりといった自分の作業を進めていた。
「……でもさ、姫とかタラちゃんみたいなしっかりした人が一緒にいてくれて助かるよ。うん、本当に感謝してるよ」
突然、刀萌は声のトーンを少し低めて、ぽつりと呟いた。
「なんですか、急に?」
先ほどまでおざなりな相槌を打っていたかが美が手を止めて刀萌の顔を見た。
「えへへ。やっぱりちゃんと聞いてくれてんだね。タラちゃんのそういうとこ、好きさ」
刀萌はにっこりと微笑むと頭から豪快にお湯をかぶった。そしてあっという間に体を洗い、流すと、体を軽く拭いて立ち上がった。
「もう出るんですか? 相変わらず早いですね」
かが美は刀萌の顔を見上げて、少し呆れたように言った。
「少しくらい湯船にもつかっていったらどうですか? 部活などで疲れているでしょうに」
「んー、逆に疲れすぎててね、面倒臭いんさ」
「カラスの行水は今に始まったことではないでしょう? まぁ、別に良いのですが。たまには一緒にお風呂に入ろうと誘ってきたのは、トモ、あなたの方ですよ? あまりそそくさと上がってしまうのもどうでしょう?」
「あはは、ごめん、ごめん。またゆっくり語り合おう。お先にー!」
刀萌はまったく悪びれていないのんきな声を残し、体型の割には軽い動作で浴室を出て行った。その後ろ姿を目で見送り、かが美はひとつため息をついた。そして、体を流してから湯船に身を沈めた。
「まぁ、トモのああいうところは前からですが。もう少し落ち着いていられないのかしら?」
かが美は天井を見上げた。当然、眼鏡は外しているので、周囲は薄ぼんやりとしか見えていなかった。かが美は紗月と違い本当に近視なのだ。眼鏡の無い生活はなにかと不便ではあるが、もう慣れたとは言え顔の前に常に異物がある感覚から開放されるのは快感でもあった。
「でも、コンタクトレンズはなんだか怖いんですよね……」
かが美は手でお湯をすくうと、顔をザブンと洗った。雫がほとんど落ちて、目を明けられるようになった頃、ガラス戸が開いて人が入ってきた。かが美は、どうせ見てもわからないので顔を向けなかったが、代わりに声は慎重に聞こうとした。
「二年、御影さらな、入ります。あ、やっぱり。こんばんは、設楽さん」
浴室に入ってきたのはさらなだった。
「あら、こんばんは、さらな。やっぱりっていうのはどういうことですか?」
「いえ、さっき食堂で緋邑さんからそう聞きまして」
さらなはそう言いつつ、洗い場に座った。
「なんだか、設楽さんのシャンプーは高級で凄く使い心地がいいから借りて使うといいよってアドバイスを受けました。どういうことでしょうか?」
さらなの言葉を聴いて、かが美はイラッとしたように頭をかいた。
「トモのヤツ、最初からそれが狙いでしたか」
「で、緋邑さんの話は本当なんでしょうか?」
さらなは少しだけ興味ありげにかが美の洗面器を覗き込んだ。
「え? まぁ……そうですね。ちょっと高価でしたけど。さらなも使ってみますか?」
いかにも仕方ないというふうに答えたかが美の様子に気にしながらも、さらなは目を輝かせていた。
「え、いいんですか?」
「どうぞ」
「それでは、失礼します。……これ、どこかで見たことありますね」
さらなはシャンプーの瓶をじっくりと見つめた。
「ああ、それは御影先生が使用してらっしゃるのと同じものだから、さらななら見たことあるかもしれませんね」
「へぇぇ、どうりで。多分何回も見たことあるんでしょうけど、全然覚えてませんでした。良くご存知ですね。姉さんから直接聞いたんですか?」
「直接なんてそんな」
顔を赤くして首を振るかが美を見て、さらなは不審の目線を送った。
「え? じゃ、どうしてわかったんです?」
「え、いえ、それはちょっと……色々と調べたんです、自分なりに」
「調べたんですか。どうやって?」
「そうですね。その、先生のお買い物の後を着いて行って、買っている銘柄をメモしたりとか……」
じっとりしたさらなの目線から逃れるように、かが美は目線をそらした。その表情を見て、さらなも何か感じとったようだ。
「あ、そうですか。ま、まぁ、姉さん、髪の毛きれいですもんね。興味もわきますよねぇ……設楽さん」
「はい? なにかしら」
「ほどほどにしておいた方が良いと思いますよ。あの張り紙の件といい。みんな怒ってるんですからね」
「そうですね。あれについては素直に反省します。ところで……」
かが美は強引に話題をそらしにかかった。
「珍しいわね。さらな一人?」
「いやですねぇ、私だって一人でいる事くらいありますよ?」
「そうですよね。……でも、あなたたち、やっぱり双子だわ」
かが美は保健室の一件でのささなの言葉を思い出した。
「どういう意味ですか?」
「こっちの話です。気にしないで」
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