レーナマリア


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1992年以降日本でも毎年公演していて、長野パラリンピックの開会式にも登場した人です。
 腕がないけれどゴスペル歌手として活躍している人、と言ってしまえば説明するのは簡単でしょう。
しかし、レーナ・マリアの障害を「けれど」という否定的な言葉でくくるより、障害ある故に神を讃美しつつ生きている、
という方がふさわしいかもしれません。
 1968年、スウェーデン中南部のハーボ村で、レーナ・マリア・キングヴァル(旧姓ヨハンソン)は、
両手がなく、左足も右足の半分の長さしかないというハンディキャップを持って生まれました。
しかし、厚い信仰をもつ両親は、その子を見た時心を決めました。「たとえ腕がなくても、この子に必要なのは家庭だ」と。
 両親は、レーナが一人で身の回りのことは何でもできるようにさせるために、本当に必要なとき以外は手を貸しませんでした。
ハンディキャップを隠さず、普通の子どもと同じように育てました。
レーナは自分で義足を作って歩くこと、転んでも起き上がること、服を上手に着ることなどを覚えました。
水泳が得意で、後に世界障害者水泳選手権やソウルパラリンピックにも出るようになりました。  
 小さい頃からレーナは讃美歌とゴスペルソングを聴いて育ちました。両親と共に教会に行き児童聖歌隊で歌い始めました。
小学生から中学生の頃は、自宅で電子オルガンを習ったり、音楽教室に通ったりしました。
高校に入学する時も音楽コースに入学した。青年聖歌隊の指揮もしました。
タクトを振ることはできませんが、頭や口、視線、ジェスチャーで指揮をしました。
 音楽大学に進学してからは、自分の信仰を歌を通して人々に伝えようと、あちこちの教会でコンサートを開きました。
大学の友人とは、人生についてよく語り合い、神に関わる様々なことを話し合いまし。
その中で自分自身に問いかけ、考え、神に祈り、聖書を読みまし。
時間が経つにつれ信仰が根をおろし、神に自分の心を示すために歌い続けることに確信を持っていったのです。
 1991年に大学を卒業した頃から、アメリカや日本でも公演旅行をするようになりました。
あまりのハードスケジュールに体調を崩した時、レーナは自分を見直す機会を得ました。
歌っていることが、果たして神の声に従った行動しているということなのか疑問を持ったのです。
そこで、休息期間としてインドの聖書学校に行くことにしたのでした。
インドでは施設の不便さや生命の危機に悩まされましたが、いつも共にいる神を感じていました。
信仰は更に深くなり、再び歌う意欲を得たのです。
 来日した時は、「ニュース・ステーション」に出演しました。
彼女がなぜいつも明るいのか、と聴かれた時に、レーナは自分の信仰について語らずにはいられませんでした。
「もし障害が取り除かれたらそれは奇跡だが、そのままの姿でも神と共にいることができるのも奇跡である」と彼女は語っています。
生まれる前から神がそばにいらして、ずっと自分を愛してくれているということは、
姿形はどうであろうと、人間としてすばらしい価値があることを示してくれる、
それこそレーナが人生を、前向きに見られる理由だったのです。
 参考図書:『レーナ・マリア フット・ノート 足で書かれた物語』小学館

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