野口英世


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今の千円札の顔といえば、野口英世ですね。彼は明治から昭和の初めにかけて、世界の舞台で活躍した日本の代表的な医学者として名を馳せています。黄熱病の研究は誰もが知っていますが、それだけではありません。ヘビ毒の研究、梅毒の研究、トラコーマの研究、小児麻痺の研究、狂犬病の研究などなど・・・彼の残した業績は計り知れないものがあります。そんな生涯にわたり研究し続けた医学者、野口英世の背景に注目してみたいと思います。

野口英世は、福島県の農家の長男として生まれました。1歳の時に囲炉裏に落ち、左手を大火傷し、その障害から農作業は難しく学問の力で身を立てることを決心します。その後会津若松で開業していたアメリカ帰りの医師・渡部鼎の下で左手の手術を受け、不自由ながらも左手の指が使えるようになったことに医学のすばらしさを知り、医師を目指すようになりました。

そんな彼はクリスチャンでした。18歳の時の4月7日に会津若松でバプテスマを受けています。彼は貧しさやハンディーを抱えながらも、学び続けて、医学の道に進み、世界中の人々の命を救うことに専念しました。明治33年の冬、生活費も学費もほとんど持たずに渡米し、フィラデルフィアでモリス夫妻と出会います。この夫妻は、熱心なクエーカー教徒で、日本人留学生の面倒を熱心にみていました。内村鑑三や新渡戸稲造、津田梅子もモリス夫妻の助けをもらっています。彼もまたモリス家で孤独な心を癒され、人類のために生きる魂を植えつけられました。

ペンシルベニア大学医学部を経て、ロックフェラー医学研究所研究員となり、細菌学者として数々の論文を発表し、ノーベル生理学・医学賞候補に3度選ばれるという実績を残しています。彼は長年にわたり黄熱病の研究をしていましたが、その研究の中で自身が黄熱病にかかり、死んでしまいます。自分の命の危険をかえりみず、人の命を救おうと、黄熱病の研究をあきらめなかったのは彼の強い精神以外に神様から与えられた使命感だったのではないでしょうか。

同じように神様から与えられた使命が私たちにもあると信じて、野口英世のようにその使命のために努力する人生を送りたいですね。

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