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ヨハン早稲田キリスト教会 文書宣教部がセレクトして、歴史上のクリスチャンや聖書のご紹介を致します。

Merry Christmas! 「クリスマスとは神様のLove Story」

 今日は三種類の愛を紹介します。それは、「If~もしも」の愛、「Because~だから」の愛、そして「Inspite of~にもかかわらず」の愛です。三種類の愛を比較しながら、父なる神様の愛を分かち合ってみましょう。

1)「If~もしも」の愛  
「もしも」の愛というのは、「もしもあなたがお金持ちだったら」「もしもあなたが美しかったら」「もしもあなたが優しくしてくれたら」あなたを愛しましょうというものです。いうなれば条件付きの愛です。「もしも」の愛は、相手に条件を付けて、「こうでありなさい」「ああでありなさい」と要求していくことです。結局のところ「もしも…だったら」というのは、相手にはそれだけの条件が備わっていないのなら、「私はあなたを愛さない」ということになります。子どもに「もっと成績がよければ」、恋人に「もっと顔がよければ」「もっとお金持ちなら」愛してあげると言うのは、愛の言葉でなく、「今のあなたは駄目だから、私はあなたを愛さない」という残酷なメッセージになってしまうでしょう。

2)「Because~だから」の愛
「だから」の愛というのは「あなたは頭がいいから」「あなたは地位があるから」「あなたはみんなに人気があるから」愛するというものです。これは「もしも」の愛よりももっといいかもしれませんが、やはり、何らかの理由や根拠に基づいて、相手を愛しているのです。子供は、かわいいから誰もが愛するでしょう。しかし、「かわいいから」という理由や根拠は、いつまでも続くものではありません。成長するにつれて親に反抗し、ちっともかわいくなくなってしまいます。頭のいい人も、いつかアルツハイマーになるかもしれませんし、社会的地位はいつまでもキープできるものではありません。若さも、力も、お金も、みんな変化していくものなのです。変化するものを根拠にした愛は、うつろいやすい愛で、いつか破綻がやってくるのです。
 私たちは「もしも」の愛や、「だから」の愛によっては、本当に心安らぐことはできません。「もしも」の愛に応えるには、必死で努力しなければなりません。私たちは自分のうちに自分でも愛せない、いやなものを持っていますので、「だから」の愛によっては、自分が愛されているという確信を持てないのです。私たちに必要な愛は「にもかかわらず」の愛です。相手に条件を求めない、相手に理由や根拠を求めない愛、つまり、無条件の愛を、私たちは必要としているのです。

3)「Inspite of~にもかかわらず」の愛
神様の愛は「にもかかわらず」の愛です。キリストは、私たちがまだ罪人であった時に、私たちのために死んでくださったと教えています(ローマ5:6-8)。イエス・キリストは、十字架の上で「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのかわからずにいるのです。」と祈られました。イエス・キリストは、彼に背き、彼を苦しめ、彼を痛めつけている人々のために、その命を投げ出されたのです。もし、私たちが誰か他の人のために自分の命を投げ出すとしたら、それは、きっと、私たちに良くしてくれた人、愛してくれた人でしょう。誰も、自分に悪いことをした人、自分を苦しめた人のために死ぬことなどできません。しかし、イエス・キリストは、私たちが罪人であった「にもかかわらず」私たちを愛して、十字架の上で死んでくださったのです。これこそ本当の愛なのです。

人は誰しも「にもかかわらず」の愛を求めています。しかし、そのような愛は、どこにでもあるわけではありません。人の愛は、多くの場合「もしも」の愛や「だから」の愛です。それらは条件付きの、かけひきや条件付きの愛です。「まず、あなたが私を愛しなさい。そうしたら、わたしもあなたを愛してあげましょう。」と、常に相手から求める愛です。しかし、神の愛、キリストの愛は違います。まず神が私たちを愛してくださったのです。神は、私たちが神を愛したから、私たちを愛してくださるのではありません。神は、私たちが神の愛に感謝もせず、それに背を向けていた時から、なお、私たちを愛し続けていてくださったのです。神の愛は永遠の愛、無限の愛、無条件の愛です。2010年のクリスマスに、この愛を知り、受け取るみなさんになることを願います。


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