問題解決のためのザ・バイブル①

問題解決のためのザ・バイブル ①

KOSTA-JAPAN講師として、ヨハン早稲田キリスト教会・ヨハン教会にきてくださった佐々木先生の原稿です。

渉外弁護士 佐々木 満男


■本稿は東京大学の学生・教職員・卒業生向け週刊新聞「東大新報・1999年4月15日新入生歓迎号」の原稿です。



はじめに


「問題のない人は、お墓の中にいる人である」と言った人がいる。確かに私たちには生まれてから死ぬまで、一日として問題のない日はない。受験・進学・就職などの進路の問題、恋愛、結婚、子供の教育などの家庭の問題、仕事や職場での人間関係の問題、病気・老後そして死の問題、その他に政治・経済・社会・国際問題など、数えあげれば際限がない。

最近の日本は、政治・経済・社会全般にわたって大きく揺れ動いている。この傾向は今後ますます大きくなって行くであろう。愛や正義に対する関心はどんどん薄らいでいる。すでに日本全体が、そして日本人の価値観そのものが、崩壊していくような危機感が、日本中にまんえんし始めている。これまでの常識では考えられなかったような問題が、今後多くの人々を襲ってくるであろう。

ここで永遠の世界的ベストセラー・聖書(ザ・バイブル)から、またさまざまな法律問題に取り組んでこれを現実に解決することを職業とする弁護士としての体験から、問題を解決するいくつかのキーポイントについて、具体的に述べてみたい。



ザ・バイブル


バイブルとは一般的に権威ある書物のことである。たとえば、六法全書が弁護士のバイブルであると言われたりするように。

「ザ・バイブル」とは権威ある数多くの書物のうちで最も権威ある書物・聖書(旧約・新約六六巻をまとめたもの)のことである。グーテンベルクの発明した活版印刷機による印刷第一号は聖書であるが、聖書の出版部数は増えつづけ、最近では分冊を含めると年間二億冊を越えるようになった。

それは聖書が、いかに多くの人々の人生の指針であり、問題を解決するための最も権威ある「ザ・バイブル」であるか、ということである。聖書は信仰書であると同時に、日々の生活のための実用書でもある。それゆえに、キリストを信じる信じないにかかわらず、幅広く世界中の人々に読まれている。世界の現実において、聖書は真のグローバル・スタンダードである。

聖書が世界の超々ベストセラーであるにもかかわらず、日本人はあまりにも聖書を読まないし、知らなすぎると思う。本稿をきっかけとして、ひとりでも多くの方々が聖書に親しむようになることを願っている。

私は弁護士になってからしばらくして海外に留学したときに聖書を学ぶ機会が与えられた。そして聖書の中に唯一の道、不変の真理、永遠の命を発見して、イエス・キリストを信じるに至った者である。熱烈な福音の伝道者であった故矢内原忠雄経済学部教授(元東大学長)の著書等からも大いに学んだ。

今、元首相を含む政治家や財界トップの方々が、定期的に集まって聖書を学び、日本の将来の方向性を探っていると聞いているが、まことに喜ばしいことである。最近は、ビジネスマンの間にも聖書に学ぼうという大きなムーブメントが起きつつある。



渉外弁護士とは

私が所属する事務所は、いわゆる国際的な法律問題を専門とする国際的法律事務所である。国際的法律問題を専門とする弁護士を一般に渉外弁護士と呼んでる。

その業務は、国際間における技術・販売提携、合弁会社、外国会社の子会社・支店設立、ダンピング問題、輸出入取引に関するクレーム処理、外国会社による株式上場、社債発行、海外資源開発、企業・不動産の買収・売却、航空機・船舶の売買・リース、墜落・沈没事故、金融・証券の諸問題、税務問題、会社のリストラ・倒産処理、労使問題、独禁法問題、特許・商標・ノーハウ・著作権侵害問題、外国人のビザ・入国許可の問題、麻薬密輸の刑事事件等、実に多岐にわたる。

これらの仕事には、全く経験したことのない分野もあり、未知の新しい法律問題が次々と発生してくる。特に、私が個人的に専門としてきた人工衛星やスペース・シャトルの打ち上げ、宇宙基地建設等の字宙開発関係の法律の分野の仕事は、非常に興味深く面白い反面、ひとつひとつの問題解決のためには、大変な苦労を要してきた。

日本の国際化傾向に伴い、仕事はますます増大し、その内容は複雑となり、規模も一件数十億、数百億円という案件も増えている。
コンピューターやインターネット等の情報の処理・伝達能力の飛躍的発展に伴い、各事件処理のスピードも急速に早まってきている。国際間の時差を逆に利用してファックスや電子メールで通信していると、昨日の夕方または夜に送信した問い合わせが、今日の早朝には回答されているというように、国際事件の方が国内事件よりもかえって早く進むことが多いくらいである。

法律問題以外にも、人種、国籍、信条、宗教、商習慣、文化、言語の相異に常に直面しなければならない。日本人の常識としては、「これがベストの解決だ」と思っても、外国人にとっては「とんでもない」ということが多々ある。同じ英語でも、フランス人やインド人やオーストラリア人の英語はわかりにくく、国際電話で話した後にはいつも念のため確認のファックスをもらうことにしている。

さまざまな紛争事件を担当していると、依頼者の権利を守るためには、やくざや暴力団とも対抗しなければならないときもある。かつて、関西から数人の暴力団員が刀のような物を持って事務所に乗り込んできて、それで床を打ち鳴らして大声で騒ぎ出したため、警察署のパトカーが白昼、私共の事務所のあるビルに横づけされた、という事件があった。

さらに、人権の擁護と国際的社会の正義を実現するために、行政官庁(国)や大会社(大組織)と正面から対決していかなければならないこともある。


「動」かないで「静」まる

問題に直面したときにまず第一になすべきことは、静まることである。私たちの習性は、問題が起こるとすぐに解決しようとする。どうしたらこの問題を解決できるかと、方法や手段に思いを巡らしてしまうのである。問題解決の方法や手段を思いついてすぐに解決できればいいが、なかにはそう簡単に片づかない問題もたくさんある。

そうすると心の平安を失ってしまう。「ああ、大変なことになってしまった、どうしたらいいのだろうか」と思いあぐねる。そして「ああしてみよう」「こうしてみよう」と思いつくままにあせって動き回ってしまう。しかし、動き回れば、動き回るほど、問題にがんじがらめに縛られていく。ちょうど、水におぼれそうな人が、もがけばもがくほどおぼれてしまうのと同じである。その最悪の結果は自殺である。
そのようなときには、まず静まることである。聖書に、「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(詩篇46篇10節)とかかれている。何のために静まるのか。天地万物の創造者であり全知全能の唯一・絶対・永遠・無限なる愛の神がおられることを知るためである。

何のためにそのような偉大な愛の神の存在を知るのか。そのような偉大な愛の神が、私たちの避難場所であり、問題を解決していく力であるからである。(詩篇46篇1,2節)

それは、水におぼれかかっている人があわててもがくのをやめて、何もしないで静まるのと同じである。そうすれば水の浮力で自然に水面に浮かびあがってくる。そのようにして、問題に下敷きにされてこれに押し潰される状態から逆転して、問題を下敷きにしてこれを押し潰す立場に立つことができるのである。

聖書に、私たちの下には神の永遠の腕が置かれているとある。(申命記33章27節)すべては全知全能の愛の神の御手の中で起こっていることである。だから、どんなことがあっても絶対に大丈夫なのある。このような確信にもとづく絶対的な平安に支えられて問題に対処すると、問題は決してネガティブなものではなく、ポジティブな結果をもたらすものであることがわかってくる。
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最終更新:2012年05月24日 18:38
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