問題解決のためのザ・バイブル④

問題解決のためのザ・バイブル ④

渉外弁護士 佐々木 満男


■本稿は東大新報1999年8月25日号の原稿です。


知恵による解決


「鳴かなけりゃ鳴かせてやろうホトトギス」と豊臣秀吉は歌ったと、言われている。問題解決の第二の方法は、「知恵による解決」である。いろいろな創意工夫をこらして、ネガティブな状況をポジティブに変えていくのである。

「力による解決」の行き過ぎを防ぎ、その限界を超えるために、「知恵による解決」は非常に大切である。現代教育の主たる目的は、さまざまな問題を解決するための知恵と知識を授けることである。暴力による問題解決の弊害を避けるために、法秩序と裁判制度がある。武力衝突が起こらないように、外交や条約によって国家間の多くの問題が解決されている。


  • 神の偉大な知恵

天地万物の創造主の属性の一つは、その偉大な知恵(英知)である。神が創造した広大な宇宙や原子核分裂によって発生する巨大なエネルギーは、「神の偉大な力」の現れであるが、宇宙や原子の極大・極小の世界に共通して存在するその整然とした完璧な秩序(メカニズム)は、「神の偉大な英知」を現している。

太陽から一億五千万キロもの距離にある地球が正確に自転しながら規則的に太陽の回りを公転しつづけていることを考えただけでも、神の英知の偉大さに驚かされる。

人間の遺伝子(DNA)の構造とその能力も、私たちの想像を絶している。人間の体を構成する細胞は約六十兆個もあるが、そのひとつひとつの細胞の中に長さ一メートルのDNAが二本づつ23組も入っているのである。しかも一本のDNAに刻まれている情報量は約三十億文字、百科事典数巻分にあたると言われている。

このことだけからも、突然変異という偶然の積み重なりで、アメーバのような単細胞から人間が進化してきたなどとという進化論がいかに間違った仮説であるかがわかる。たった一本のDNAにも存在するような極めて精緻なメカニズムが偶然に出来上ることなどは、確率論からも絶対にあり得ない。

ちなみに、進化論の創始者であるチャールス・ダーウィン自身は、晩年イエス・キリストを信じた。そして「あれは若い者が考える未熟な論理であった」と告白して、進化論が全くの間違いであることを認めているのである。


  • 人間の知恵

神によって創られた人間にも、それぞれにふさわしい知恵が与えられている。聖書(特に旧約聖書の箴言)においては、人が知恵を得ることの大切さが繰り返し語られている。知恵は金銀財宝にまさる。なぜなら知恵はそれらを生み出したり、獲得することができるからである。それ以上に大切なことは、知恵はいのちを守るからである。

旧約聖書のみを神の書として信奉するユダヤ民族が知恵を最も大切にすることは有名である。その結果、ノーベル賞受賞者の三割がユダヤ人であり、世界の富の大半が直接・間接にユダヤ人の支配下にあると言われている。
世界の著名な科学者、思想家、法律家、政治家、実業家、作家、芸術家の中にいかに数多くのユダヤ人の名が連ねられているかを知ることは、大きな驚きである。このことからも、聖書に書かれているとおり、ユダヤ人(イスラエル民族)が神によって特別に選ばれた民族であることを認めざるを得ない。

聖書には、「知恵の不足している者があれば、その人はとがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に願い求めるがよい。そうすれば与えられるであろう」(ヤコブ一章五節)と書かれている。私は知恵に不足している者であるので、さまざまな難問解決のための知恵をいつも神に願い求めて与えられている。これはまことに大きな恵みである。


知恵による解決の限界



「ペンは剣よりも強し」という言葉は、言い換えれば「知恵は力よりも強し」ということである。私たちの人生の問題のほとんどは、知恵によって解決されている。しかし、知恵による解決にも大きな限界がある。なぜなら、人の知恵には限界があるからである。
人はその頭脳をいまだに五パーセントも使っていないと言われている。けれども百パーセント使い切ったとしても、すべてがわかるわけではない。被造物である人間は、どんなに頑張っても、創造主なる神にはなれないのである。有能な科学者ほど、人間の無知を悟り謙虚にさせられる。

また、人がその知恵を自分だけを利するために(利己的に)用いるならば、その弊害ははなはだ大きなものとなる。悪知恵を働かせれば、いくらでも道徳や倫理を無視し、いかに整備された法律や規則をもくぐり抜けていくであろう。

その智理・知略によって日本統一を成し遂げた豊臣秀吉の辞世の句は、「露と起き露と消えぬる我が身かな、浪花のことは夢のまた夢」である。秀吉の政権はわずか二代で絶えてしまった。聖書に「知識は人を誇らせ、愛は人の徳を高める」(Ⅰコリント八章一節)とあるが、自信過剰の高ぶりから朝鮮征伐を試みて大失敗してしまったのである。


待つという知恵


つづく徳川家康は、「鳴かなけりゃ鳴くまで待とうホトトギス」と歌ったと、言われる。総合的判断と長期的判断において家康の知恵は、こざかしい秀吉の「猿知恵」にまさっていたと、言うことができよう。しかし家康の人生は、「重い荷を背負って遠い山路を行くが如し」と自分で歌っているように、喜びのないものであった。

徳川幕府は、体制をおびやかすものとして、キリスト教を徹底的に迫害し弾圧した。知恵を働かせて士農工商制度などを作り、表面的な平和は長く続いたが、「生かさぬように、殺さぬように」された民衆にとっては決して真に幸福な時代であったとは言えない。その究極的目標はあくまでも徳川家の繁栄と徳川幕府の温存という利己的なものにすぎなかったからである。

どこまでいっても知恵そのものには本当の救い(解決)はないのである。宇宙工学や遺伝子工学などが限りなく発展しつつある今も、人類は幸福になっているどころか、真の意味ではますます不幸になりつつあることは、誰もが感づいていることではないか。

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最終更新:2012年05月24日 18:39
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