佐々木満男のドント・ウォリー②


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ヨハン早稲田キリスト教会 文書宣教部

佐々木満男のドント・ウォリー ②

■本稿は月刊誌〝Sight21"(2000年1月号)記事の原稿です。



1.七年越しの裁判

最近七年越しの裁判に勝訴した。裁判にするかしないかで訴訟提起前に三年ももめていたので、足かけ十年になる。

これほど時間がかかった最大の理由は、かなりきわどいケースで、勝つか負けるかの見通しがはっきりしなかったからである。原告側としては訴訟に踏み切ったからには絶対に勝たなければならない。しかし被告側にとっては負けたら大変なことになる。お互いに必死の攻防を続けた。

裁判官としても、激しい攻防戦を見ながら、なかなか白黒の判定をつけにくい。もう一回、もう一回と、審理を繰り返しているうちに長期にわたってしまった。


2.結果がどうなるか

どんな裁判でも判決を聞くまでは、当事者にはどのような判定が下されるのかわからないものである。以前、ある事件の判決の言い渡しを聞きに行かなかった。絶対に負けると思っていたので、後日判決書だけをもらいに行くつもりでいた。翌朝依頼者から電話があって、各新聞の朝刊にデカデカと勝訴が報道されていると言う。あわてて裁判所に行って判決書をもらってきた。このような予想外のことがよくある。

ところが、今回の事件では勝訴を確信していたので、安心して判決言い渡し当日に行って判決書をもらってきた。それもそのはず、判決前に裁判官が当事者双方に事件の見通しについて話していてくれたからである。民事訴訟法が大幅に変わって、訴訟促進のために、裁判官が判決の見通しについてもかなり具体的に告知してくれるようになったのである。

「結果がどうなるか」がわからないことは、人に大きな不安を与える。勝つか負けるか、合格か不合格か、採用か不採用か、生きるか死ぬかが、わからないので不安になる。逆に言えば、はじめから結果がわかっていれば、安心していられる。


3.落ちどころ

そうは言っても、はじめから結果がわからないことがほとんどである。特に交渉事においては相手がどう出てくるかの予測が難しい。このような時は、どこまで譲れるかという「最大譲歩ライン」を事前にはっきり決めていれば、安心して臨める。いわゆる「落としどころ」をどこにするかを、決めるのである。

ところが人生においては、「落としどころ」を自分で決められらないことも多い。相手の出方や物事の進展によっては問題がどこまでもこじれて、自分は破滅させられてしまうのではないかという恐れに捕らわれてしまう。このような時は、どうしたらよいのだろうか。

聖書には、私たちの下には「神の永遠の腕」が置かれていると書かれている。(申命記三三章二七節)「神の永遠の腕」という、あらゆる問題の「落ちどころ」があるということである。すべては、天地万物の創造主であり全知全能の唯一・絶対・永遠・無限なる神の腕の中で起こっている。だから、どんなことがあっても絶対に大丈夫なのである。最悪の場合、死んでも大丈夫だということである。このように心から信じ切ることができれば、非常に幸いである。その人は、どんなことにもくよくよしないで、明るく生きていける。

だから、「落としどころ」をどこにするかよりも、「落ちどころ」がどこにあるかを見極めることが大切である。言うまでもなく、「落ちどころ」がどこにあるかを見極めるには、天地万物の創造主を信じる信仰が必要である。


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