【テモテⅠ】


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【テモテⅠ】


そしてパウロはテモテのことを、「信仰による真実のわが子」と呼んでいます。テモテは、おそらくパウロの宣教の働きで救われた人であり、またパウロの宣教旅行の同行者、かつ同労者であり、そしてパウロは、ピリピ人への手紙において、彼のことを「私と同じ心になって」いると言っています(2:20)。霊的に、パウロはテモテにとっての父親のような存在でした。
 テモテは、小アジヤのルステラという町に住んでいました。彼はギリシヤ人の父を持っていましたが、母はユダヤ人であり、祖母もそうでした。祖母は聖書を母によく教え、また母もテモテに聖書をよく教えました。幼いことから聖書に親しんできたと、テモテへの手紙第二には書いてあります。パウロが第一回目の宣教旅行においてルステラに来たときに、祖母も母も信仰を持ち、またテモテも信仰を持ったと考えられます。そして、パウロが第二回目の宣教旅行にルステラに来たときには、彼はその地域で評判の良い信者となっていました。パウロとシラスは、テモテを加えて、宣教旅行を続けます。そして、パウロがローマにて第二回目に、皇帝の前の法廷に立つ前に手紙を書く時にも、テモテはずっとパウロとともにいました。彼は、パウロの手紙の中で、受取人ではなく差出人として連名で出て来ていました。
 そして、父なる神と私たちの主なるキリスト・イエスから、「恵みとあわれみと平安とがありますように。」とパウロは書いています。他の教会宛ての手紙では、「恵みと平安とがありますように」というあいさつでしたが、ここでは、その間に「あわれみ」があります。あわれみとは、受けるに値する者を、受けないで済むようになっている状態です。神のさばきを受けなければいけないのに、受けないでいる。これが「あわれみ」です。パウロは、自分自身が福音宣教者として、使徒として生きていくために、もっとも必要に感じていたのはこの「あわれみ」だったのです。神の深いあわれみが、主の奉仕者を奉仕者として立たせてくれる源泉があります。
 パウロが「マケドニアに出発するとき」に、テモテに、エペソにとどまっているようにと命じています。パウロは、第三回目の宣教旅行で、エペソに長期間滞在しました。その後、エルサレムにある教会が経済的に窮していたので、醵金のためマケドニヤとアカヤの地域を回りました。その時に、パウロが、テモテに頼んで、エペソにとどまっているように教えたのかもしれません。あるいは、パウロは囚人として、ローマ皇帝の前に立ちましたが、一回目の審問では彼は無罪にされたようです。その後、パウロは比較的自由に動くことができました。エペソにも戻って、その後、マケドニヤに行き、そしてテモテをそこにとどまらせたのかもしれません。
 テモテをそこに置いたのは、ある者たちがパウロが教えていることと「違った教えを説い」ていたからだ、と言っています。パウロは、エルサレムに行く途中に、港町ミレトにて、エペソにいる長老たちをミレトに呼び寄せたことがあります。エルサレムへと急いでいたので、自分がエペソに行かずに、彼らを自分のところに呼び寄せたのです。そして、パウロは、自分が出発した後に、凶暴な狼があなたがたの中にはいり込み、群れを荒らし回ることを予告しました。また、長老たち自身からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分たちのほうに引き寄せる者たちが起こるとまで言っています(使徒20章)。はたして、その通りになったようです。テモテは、この違った教えを説く者たちに、どのように対処すればよいか苦慮していたのです。
 彼らが教えていたものとは、「果てしのない空想話」とありますが、これは律法の教えに関わることのようです。4章には、「ある人たちが惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。それは、うそつきどもの偽善によるものです。彼らは良心が麻痺しており、結婚することを禁じたり、食物を絶つことを命じたりします。(2-3節)」と書いてあります。他のパウロの手紙にも、これと類似する教えについて言及しているので、パウロがいた当時、この種の律法主義が教会の中ではびこっていたことが想像できます。また、「系図」とありますが、聖書の系図を利用して、変てこな教えを広げていたようです。

テモテは今、エペソにいます。パウロがテモテを、エペソにとどまらせて、そこの教会で起こっている問題に対処するように命じました。エペソは、パウロが長いこととどまって、みことばを教えた結果、多くの信者が与えられ、数々の不思議や奇蹟が行なわれたところです。けれども、その教会に狼がやって来ること、また、長老たちの中からも曲がったことを教えることを、パウロは予告しました。はたして、そのとおりになってしまったようです。そこでテモテがエペソにとどまって、牧会者として、みことばを教える奉仕を行なっていました。
 エペソでは、律法について曲がったことを教えている者たちがいたようです。これこれは食べてはいけない、飲んではいけない、結婚してはいけないことや、また、系図などで、変てこな教えをしていたと考えられます。律法を教えていて、あたかも律法を大事にしているかのように見えて、実は、パウロが宣べ伝えていた福音から反れていたことを教えていました。
 そのために、論争が起こりました。というよりも、そのような輩が論争をけしかけたと言ったほうがいいです。そしてこのテモテへの手紙は、こうした言い争いを避けて、教師たちの目標である「きよい心と正しい良心と偽りのない信仰とから出て来る愛」に焦点を当てるよう、テモテに命令しています。
テモテよ。ゆだねられたものを守りなさい。そして、俗悪なむだ話、また、まちがって「霊知」と呼ばれる反対論を避けなさい。
 これが、テモテへの手紙のまとめです。一つは「ゆだねられたものを守る」です。パウロが、主イエス・キリストの直接の啓示を受けましたが、それをテモテにゆだねようとしています。この啓示は、取捨選択できるようなものではなく、絶対真理ですから、パウロはテモテに何度も、「あなたに命じます」と命令として語っていました。これは、キリスト教会の牧会者すべてに当てはまるでしょう。パウロが語っていること、つまり聖書の教えを忠実に、しっかりと説き明かしていく務めにたずさわっています。そこに私的解釈はいっさい行なってはいけません。
 次に、「霊知」と呼ばれる反対論を避けます。これがグノーシス主義であると考えられますが、自分たちだけに霊的な知識が与えられていると彼らは考えていました。人々には隠された神の計画があり、それを自分たちだけが示された、と考えます。今でも、似たような主張はキリスト教会の中にあります。しかし、それを避けなさいとパウロは命じました。
 こうしてテモテへの手紙第一を読み終えましたが、牧会書簡は、「敬虔に生きる」ということが一つのテーマになっていました。敬虔というのは、この世にはもっとも受けない生き方ですが、けれども大きな利益をもたらします。金銭を追い求れば、大変なことになりますが、今の衣食に満足すれば、とても豊かな生活をすることができます。そして信仰の戦いを勇敢に戦わなければいけません。まことしやかな、人々を説得させる主張や論理が教会の中でさえ吹き荒れます。しっかりと、健全な教えの中にとどまっていなければいけません。
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