【テモテⅡ】

【テモテⅡ】


テモテへの手紙第二は、パウロが書いた最後の手紙です。なぜなら、パウロは間もなく皇帝ネロによって死刑に定められるからです。使徒行伝の最後の部分、28章を思い出してください。パウロはローマで、自費で家を借りて、ローマの看守によって鎖につながれていました。彼は、エルサレムにおいて、主イエスが自分を異邦人に遣わすと言ったときにユダヤ人が半狂乱状態となり、それがきっかけで、囚人となりました。ローマまで来て、そして彼はこの家の中で神の国を宣べ伝えました。ローマで、パウロはネロの前で弁明しました。この時は、彼は釈放されたようです。
 しかし、皇帝ネロは、この時ぐらいを境に、クリスチャンに対する迫害を始めました。パウロは、言い伝えによれば釈放されてのち、再びまた捕らえられます。今は自費の家ではなく、牢獄の中にいます。初めに弁明したときにそれがうまく行かず、死刑宣告が出ることがはっきりとしました。その時に、パウロとともに労していた人が、なんと1章15節を読みますと、アジヤからの人は全員、彼を離れてしまったのです。クリスチャンに対する迫害がひどくなったからでしょう、しかし、それは信仰を貫いていることにならず、信仰の戦いの中で敗北してしまったのです。パウロは、4章16節で、「どうか彼らがそのためにさばかれることのありませんように。」と言っています。

 これまでローマ人への手紙からずっとパウロの手紙を読んできましたが、そこには順番がありました。初めに、救いについて語られ、そしてエペソ書からは「教会」について語られ、そしてテサロニケ人への手紙には、主の再臨について語られました。そして、この主の再臨のことを思いつつ、パウロは牧会書簡であるテモテへの手紙で、しっかりと忠実に、みことばを教えることを命じています。イエスさまがオリーブ山にて、弟子たちに語られたことを思い出せるでしょうか。イエスさまは、何度も何度も、忠実さが再臨に備える者の特徴であることをお話になりました。忠実に食事を与えている思慮深いしもべのたとえなどであり、その忠実さにしたがって、主は大きな報いをお与えになります。ですから、テモテへの手紙でも、主からゆだねられたものをしっかりと守ることが強調されています。
 そして、テモテへの第一の手紙では、すでに信仰から離れていく者たちがいた話が出てきました。ここでの戦いは、エペソ書6章に書いてあるような霊の戦いではなく、信仰そのものから離れていく者たちがたくさん出てくる中での、信仰の戦いです。偽りの教えをする者が一部いるというものではなく、教会そのものが偽りの教えの中に入っていくような状況です。これが「終わりの時」に起こることをパウロは語っており、テモテへの第二の手紙ではこの「背教」について語っています。第一の手紙では、ある者たちが信仰を捨ててしまったことが書かれていますが、第二の手紙では、すべての者が捨ててしまったという中で書いています。

 聖書では、終わりの時には背教が起こることを預言しています。黙示録にある7つの教会では、最後のラオデキヤの教会には、キリストがおらず、外で戸を叩いておられました。私たちも同じです。終わりの時に目をさましていなければ、信じている信仰そのものの内容が変わり、多くの者が離れていくことでしょう。その中で、私たちが、とくに牧者や教会奉仕者がどのようにして、この信仰の戦いを勇敢に戦うべきなのか、いや、もはや戦う勇気さえ失いかけているときに、どのように主によって支えられていくべきなのかを考えていきたいと思います。
テモテは、母がユダヤ人で父がギリシヤ人の両親を持っていました。父がユダヤ人の時のみ、子がユダヤ人なので、テモテは異邦人でした。けれども、祖母と母は、テモテが幼いころから聖書を教えていました。それゆえ、テモテには、純粋な信仰が宿っていました。疑うことのひとかけらもない、神のみことばを信じる信仰です。


 そこでパウロは、テモテを強く励まし、勧めます。それですから、私はあなたに注意したいのです。私の按手をもってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。

 テモテには、預言のことばが与えられていました。長老たちが手を置いていたとき、預言のことばがあり、その時に聖霊の賜物が与えられていました。パウロは、テモテへの手紙第一で、「あなたがたのうちにある聖霊の賜物を軽んじてはいけません(4:14)」と言いました。けれども、今は、「再び燃え立たせてください」と言っています。おそらくテモテは、伝道者としての賜物が与えられていたかもしれません。第二の手紙4章には、「伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい」とパウロはテモテに言っています(5節)。神のみことばを宣べ伝え、教え、勧めていくのが、彼の務めでした。その賜物が、長老たちに按手を受けていたときに与えられていたのです。
 テモテは、若くおとなしい性格の持ち主だったかもしれません。エペソの教会において、年長の者たちから軽んじられて、また違ったことを教えている者たちがいるのに、牧者としての権限によって、はっきりと責めることもできなかったのかしれません。人々は彼を利用していたのでしょう。そして今、皇帝によるクリスチャン迫害が始まっており、みことばを宣べ伝えるものなら、パウロのようにいのちを落とすかもしれません。そして、アジヤにいる人々はみな、パウロを離れています。その中でテモテは、その内が疲れ、おびえ、もう自分にはこの務めを果たすことはできない、と思ったかもしれません。
 けれどもパウロは、「神の賜物を、再び燃え立たせてください」と言っています。これが、終わりの時における困難な中においても自分を信仰の中に保つ方法です。神の賜物を燃え立たせるのです。自分に与えられた賜物を、威厳をもって用いていくのです。みなさんに与えられている、神の賜物はありますか。それを以前は用いていたのだか、いろいろな困難があって、それを用いなくなっていき、今はもう用いていない、ということはないでしょうか?パウロは励ましています。「再び燃え立たせてください」
 テモテは、おそらくユダヤ人ではないということで、彼を軽んじ、反対する者がいたかもしれません。しかし、テモテは、使徒パウロと同じように、母親と祖母からしっかりとユダヤ人の聖書を教えられており、みことばを教える素地ができているのです。これをしっかりと用いていかなければいけません

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最終更新:2012年05月24日 18:16
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