主の導きに従う No.2

主の導きに従う No.2



弁護士 佐々木 満男


■本稿は“恵みの雨”連載記事「あらゆる問題は解決できる」の98年10月号の原稿です。


1.「今すぐに」症候群

情報が洪水のように大量に流され、また光のように瞬時に届けられる時代にあって、私たちはとてもせっかちになっています。何でも「今すぐに」やらなければならないように習慣付けられてしまっています。落ちついて問題の本質を見通す余裕がなく、目に見える状況の外面的事実のみにとらわれてしまうのです。「今すぐに」やらないと大変なことになると思って、「大変だ、大変だ」という強迫観念にとらわれてしまっています。

しかし後になって振り返ってみると、それらのほとんどは、「今すぐに」やらなくてもよかったことに気が付きます。そして、問題そのものが実は、大変でも何でもなかったことを体験させられます。


2.家出少年救出事件

あるミッション・スクールのA先生から家出をした高校生(B君)の相談を受けました。B君は小さい頃から家族と一緒に教会へ通っていた模範的な生徒でした。B君の突然の家出による不登校にA先生は、自分の教育方法に問題があったのではないかと非常に心配していました。

クリスチャンであるA先生に、「B君が家に帰ってくるように、まず主に導きをいただきましょう」と言って、毎日祈ることをおすすめしました。ある朝出勤前に私は、いつものように喫茶店で聖書を読みながらB君のことを祈っていたところ、イザヤ書54章13節の「あなたの子らはみな主に教えを受け、あなたの子らは大いに栄える」の御言葉が示されました。

この御言葉から「主はB君を愛し守っておられ、最も良い時に家に戻して下さる」という確信が与えられました。しかも、「だから私はB君のことをもはや祈る必要はない」という確信まで与えられたのです。

数日してB君がある市民団体に入って駅前で街頭募金をしていることがわかりました。A先生は家出少年を使って募金をさせているような団体はいかがわしい団体にまちがいないと思って、早速警察に救出してくれるよう頼み込みました。

ところが警察は、「その市民団体は一応マークしているが、これまで不詳事を起こしていないので取り締まるわけにはいかない」と捜査をしてくれません。その後まもなく団体から、「B君はどこかへ行っていなくなってしまった」との連絡を受けたA先生は、ますます心配になりました。「きっとB君はこの団体の秘密を知ったために、どこかに拉致されたにちがいない。B君の命があぶない」と思ったからです。

A先生は私の所に「弁護士としてB君の救出に協力してくれませんか」と何度も頼みにきました。私はA先生に心から同情しました。しかしすでに主から明確な導きを与えられているので、それをお話ししてその都度お断りせざるを得ません。A先生には非常に冷たいように思われたかもしれませんが、私には何もしないで主の時を待つことに平安がありました。

「佐々木さんは主の導きを得られたからいいですが、私は心配で夜も眠ることもできません」

「万一のことがあったら大変ですし、何もしないでいて後で関係者に無責任な先生だと非難されるのが怖いのです」

B君がいないかと、A先生は毎日授業が終わると街頭募金をしていそうな駅を回って探し歩きました。それから毎晩教会に行って、牧師先生や信徒の方々にB君の救出を祈ってもらいました。心労と睡眠不足から体調をくずし、授業もほとんど手につきません。

3カ月ほどしたある日ひょっこり、B君が学校に現れました。事情を聞いてみると次のようなことでした。B君は近所の遊び仲間からいじめに会っていて、ついに耐えきれなくなって家出したのです。しばらく市民団体のお世話になりましたが、いやになって横浜のレストランで皿洗いのアルバイトをしていました。ところがそこもいやになって家に戻ってきたというのです。

両親はB君の家出の理由が全くわかりませんでした。しかし遊び仲間たちが反省して、「もしB君が戻ってきたら、これからは仲良くしよう」と話し合って決めたら、その直後に帰ってきたというのです。


3.「人の目」か「主の目」か

A先生の行動は「人の目」から見れば、責任感の強い大変立派な行動です。現に、校長先生からほめられ、両親から大いに感謝されました。

しかし、「主の目」から見れば、残念ながら全く無駄なことであったわけです。無駄であったばかりでなく、全くの見当違いで多くの人々を巻き込んで迷惑をかけてしまったことにもなります。

もし私がA先生に悪く思われたくないと考えて、B君救出のために調査会社を使って調査をしたりしていれば、それも全く無駄になったわけです。

しかし私がA先生の立場だったら、おそらく同じように行動していたことでしょう。私もまず落ちついてしっかり主の導きを求めないで、心配や恐れからすぐに行動してしまうことがよくあるのです。それはほとんどの場合、有害無益です。

この事件を通して、「人の目」を気にしないで、「主の目」を気にすること、すなわち「主の導きに従う」ことが、どれほど大切であるかを学びました。


人を恐れるとわなに陥る。主に信頼する者は安らかである(箴言29章25節)。

(注)文中の事件の事実関係はプライバシー保護のためフィクション化しています。



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最終更新:2012年05月24日 18:37
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