具体的に求める

具体的に求める


ヨハン早稲田キリスト教会・ヨハン教会 文書宣教部セレクト

弁護士 佐々木 満男


■本稿は〝恵みの雨〟連載記事「あらゆる問題は解決できる」の1999年9月号の原稿です。




1. 総論と各論


物事は、総論と各論によって、動いていきます。「総論賛成・各論反対」では動きませんし、「総論反対・各論賛成」でも動きません。「総論賛成・各論賛成」になってはじめて、物事は強力に動いていきます。

ですから、問題の解決を祈り求めるときは、「主の御心が成りますように」という総論的な祈りと、「ぜひ○○が実現しますように」という各論的な祈りを、併行的にしていくべきであると思います。

「父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。だからあなたがたはこう祈りなさい…」(マタイ6章8,9節)を引用して、私たちは何も具体的に祈り求める必要はない、ただ「主の祈り」だけをしていればよい、という考え方もあります。

しかし、主はここで、「異邦人のように言葉数を多くしてくどくど念仏や呪文を唱えるような祈りをしてはならない」と言われたのです(マタイ6章7節)。そのような祈りは、聞いている方もいやになってしまいます。

「主の祈り」は最も基本的で最も大切な祈りです。けれども、毎日「主の祈り」だけをして、具体的に求める祈りが全くないなら、なんとさみしい神と子の関係でしょうか。

父なる神と神の子の関係は、人間の父と子の関係と本質的に同じであると思います。親子の関係は、親を全面的に信頼しなさい、欲しいものがあるならなんでも具体的に親に求めなさい、そうすれば与えられるよ、という関係です(マタイ7章7節)。ヤコブも「あなたがたは、求めないから得られないのだ」(ヤコブ4章2節)と言っています。



2.理想の結婚相手と出会った!


私の事務所の近くで、ビジネスマンのクリスチャンたちが、福音を伝えるために定期的な昼食会を行っていました。あるとき、私の秘書が海外旅行をして休暇をとったために臨時に秘書をしてもらったK子さんを誘ったところ、昼食会に来てくれました。

聖書に興味を持ったK子さんは、別の集会にも出るようになり、ある女性のクリスチャンの導きでキリストを信じるようになったのです。そして住まいの近くの教会にも行くようになりました。

間もなく、同じ教会のM君にデートに誘われて、喫茶店でコーヒーを飲みながら、おしゃべりしていました。すると、突然M君はびっくりした顔をして、「君は僕と結婚しなければならない!」と叫んだのです。もちろん、もっと驚いたのはK子さんです。初めてのデートで、「結婚していただけませんか?」ではなく、「僕と結婚しなければならない!」と大声で言われたのですから。

M君はその理由を話してくれました。大学生のときにキリストを信じて、卒業後高校の先生をしていたM君は、教会の先輩から、「君、将来結婚したいなら、良い奥さんが与えられるように早いうちに神に祈り始めた方がいいよ」とすすめられました。

そこで良い結婚相手に出会うことができるように祈りました。けれどもいくら祈っても出会いがありません。何年かして先輩から「君、まだ結婚相手見つからないの?いったいどんなふうに祈っているんだい?」と聞かれました。

「えーと、『誰でもけっこうですから、御心にかなう人とめぐり合いますように』と祈っています」と答えると、「そんな一般的な祈りだけじゃ、神さまも選ぶのに困ってしまうよ。もっと具体的に条件を言って、『どうか、こういう人をお願いします』と祈らなくちゃだめじゃないか」と言われました。

M君は家に帰ってさっそく、自分の理想とする結婚相手の条件を書き出してみました。クリスチャン、ミッション系女子大卒、九州出身、身長は一五五センチ以下、かわいいタイプ、外向的、等の一三もの条件がでてきました。そうしたら、理想の結婚相手が明確になったことにより、M君の結婚したいという願いが非常に強くなってきたのです。

「いくら神さまでも、こんな都合のいい条件を満たす女性と出会わせてくれるはずがない」と思いつつも、先輩の指導に忠実に従って熱心に祈りつづけました。

そのような時機に、コーヒー・ショップでK子さんと話しているうちに、M君の結婚相手の一三の条件が全部満たされた人であることがわかって驚いてしまったのです。K子さんは半信半疑でしたが、数ヶ月の間祈ってみて、この結婚が神の御心であることを確信することができました。

M君とK子さんの結婚式は、私がこれまで出席した数多くの結婚式の中でも、最も感動的なものでした。M君の喜びようが、天にも昇るようでしたから。


3.喜びが満ちあふれる

「今までは、あなたがたはわたしの名によって求めたことはなかった。求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。そして、あなたがたの喜びが満ちあふれるであろう」(ヨハネ16章24節)とありますように、具体的に祈り求めたことが、そのとおりにかなえられたときの喜びは、非常に大きなものです。父なる神は、神の子どもたちが喜ぶのを見て、大いに喜んでおられるのです。

私たちは神の子どもとして、父なる神にどんなことでも願い求めることができます。ただし、願い求めたことが「神のみこころにかなっている」ものであることが条件です(Ⅰヨハネ5章14節)。自分の快楽を満たすために悪い動機で願っても、かなえられません(ヤコブ4章3節)。それは、父なる神は、私たちに真の幸せを与えようと願っておられるからです。

ですから、私たちはいつも「みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように」と祈り、これを大前提としつつ、なんでも望むものを具体的に父なる神に祈り求めていくべきです。祈り求めたことがかなえられたときに、私たちの喜びが満ちあふれるためです。そのようにして、父なる神と神の子の間の生き生きとした愛の関係が、ますます深められていくのです。
あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば与えられるであろう(ヨハネ15章7節)。


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最終更新:2012年05月24日 18:21
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