正しいセルフ・イメージを持つ②

正しいセルフ・イメージを持つ②

弁護士 佐々木 満男


■本稿は"恵みの雨"連載記事「あらゆる問題は解決できる」の2000年3月号の原稿です。



1.「古い人」と「新しい人」

ある方からこう言われました。「人は自分が生きるために環境を破壊し、動植物を犠牲にし、他の人々にいろいろな迷惑をかけて、神の御心を痛めている。だから人間の存在自体が罪である」、「それにもかかわらず、神は人を愛し、人を救ってくださった。だから、人は常に自分の罪深さを意識し、神の愛に感謝しなければならない」。

確かにこれは、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く「古い人」(エペソ四章二二節)に関しては、真理を突いていると思います。しかし、キリストを信じてキリストと結ばれることによって、私たちの内なる「古い人」はキリストと共に十字架につけられました(ローマ六章六節)。そして私たちの内なる「新しい人」がキリストとともによみがえらされたのです(コロサイ二章一二節)。この「新しい人」は、真の義と聖を備えた神にかたどって造られています(ローマ四章二四節)。ですから、私たちが持つべき正しいセルフ・イメージの対象は、「古い人」ではなく、「新しい人」であると思います。

親は自分の子どもを無価値だと思うでしょうか。存在自体が罪だと思うでしょうか。あるいは、そのように思う場合もあるでしょう。子どもは親にいろいろ面倒をかけて困らせたり、親の意に反することをしたりします。中には、親を憎んで殺そうとするような子どももいるかも知れません。しかしそれでも、愛のある親は子どもの内にある「本来あるべき人」を見て、その「本来あるべき人」に期待をかけつづけるのではないでしょうか。


2.セルフ・イメージによって

ある方のお嬢さんは、誰が見てもとてもきれいで優秀です。ところが子どものころ、意地の悪い友だちからいつも「あなたは醜くてばかね」と言われて、そう思い込んでしまいました。親がいくら、「あなたは美人で優秀なのよ」と言っても、信じようとしません。「どうせ私なんか、ぐずでだめよ」というのが口癖になって、結婚も就職も交友も拒絶して閉じこもっています。

ところが妹さんは外見的にはそれほど美しくも優秀でもなく、子どものころはお姉さんに劣等感を持っていました。しかし親の言うことを素直に信じるようになって、自分の個性に自信を持ち、こつこつ勉強して看護婦になりました。そして同じ職場の医師と結婚して、自分の子どもたちを養育しながら、大勢の患者さんのお世話をしています。

このような例は、たくさんあるのではないでしょうか。子どもが自分でゆがんだセルフ・イメージを持っているために、恵みを拒絶していることは、親にとっても神にとっても、大きな悲しみです。他人との比較ではなく、一人ひとりがそれぞれすばらしい個性を持つ神の最高の作品であることを信じられる人は幸いです。このような人は、親にとっても神にとっても、大きな喜びです。


3.「VIP」の自覚

聖書が一貫して語っている真理は、神は人を「高価で尊い存在」すなわち「VIP」として見ておられるということではないでしょうか(イザヤ四三章四節)。神は、価値がないのに人を愛してくださっているのではなく、非常に大きな価値があるからこそ愛してくださっているというのが、より深い真理であると思います。本当は価値があるのに、人は罪によってその価値を台無しにしているのです。

私たちの本当のセルフ・イメージは、自分や他人が勝手に決めるものではありません。それは、造り主なる天の父がお決めになるものです。天の父が私たちの「新しい人」を「VIP」であると見ておられるならば、自分がどう思おうと、他人がどう評価しようと、それが自分の正しいイメージではないでしょうか。

キリストを信じるということは、神によって私たちの内に「新しい人」が造られたということです。この「新しい人」は、神のために環境を整備し、動植物を生かし、他の人々にいろいろな善を行って、神の御心を喜ばせようとします。この「新しい人」が真の意味での「VIP」です。事実、究極的には神は私たちを、「王の王であり大祭司」であるイエス・キリストに仕える、「王であり祭司」であると見ておられます(黙示録五章十節、キング・ジェームス訳)。

この世の「VIP」は、それぞれの分野のトップにいる人、すなわち「ナンバー・ワン」の人です。これは他人との比較における相対的な意味での「VIP」です。しかし、神の国の「VIP」は、誰もがそれぞれかけがえのないすばらしい個性を持つ人、すなわち「オンリー・ワン」の人です。これは他人と比較することのできない絶対的な意味での「VIP」です。
この世のさまざまな問題に対処し、これらを解決していくうえで、私たちが「オンリー・ワン」の「VIP」としての正しいセルフ・イメージを持っているかいないかで、大きな違いがでてきます。
神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された(創世記一章二七節)。

あなたがたは、古き人を先の行いと一緒に脱ぎ捨て、造り主のかたちに従って新しくされ、真の知識に至る新しき人を着たのである(コロサイ三章九、十節)。

すべて神から生まれた者は罪を犯さない。神の種が、その人のうちにとどまっているからである。また、その人は、神から生まれた者であるから、罪を犯すことができない(Ⅰヨハネ三章九節)。


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最終更新:2012年05月24日 18:20
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