世に勝っている

「すでに世に勝っている」



弁護士 佐々木 満男

■本稿は〝恵みの雨"連載記事「あらゆる問題は解決できる」の2000年4月号の原稿です。



1.思い通りにいかない

人生はなかなか自分の思い通りにはいきません。あっちにぶつかり、こっちにつまずきながら、一歩一歩前進するのが常です。

私の知人に、弁護士、公認会計士、不動産鑑定士、通訳士その他の資格を取得して、その肩書きをずらりと並べている方がいます。いろいろな資格試験に挑戦して、次々に合格したことはすばらしいことです。その努力の結果が多くの人々に、「自分もできるかも知れない」という夢と希望を与えてくれます。

この方は、毎年四、五冊の本を書いて出版し、テレビやラジオのレギュラー番組に出演し、各種講演会でもひっ張りだこです。いったいいつ、本業の仕事をするのだろうかと思うほどです。いや、いったい何が本業なのだろうかと言った方がいいかもしれません。
このような方は、何でも自分の思い通りにいっているように見えます。しかし、忙しければ時間の配分・調整に苦しみ、収入が多ければ税金対策等に悩まされているに違いありません。

また熱心に勉強して、日本・アメリカ・オーストラリアの大学から三つの法学修士号(LL.M)を取得した知人もいます。今は大学の教授をしていますが、三つの法学修士号では足らず、いつも「やはり博士号がないとだめだ」と言っています。おそらく博士号を取ったら次にまた、「やはり○○がないとだめだ」と言うことでしょう。

このように、たとえ人の目には思い通りにいっているようでも、だれもが何らかの壁にぶつかって、それを乗り超えようと悩んでいるのです。


2.この世では悩みがある

「あなたがは、この世では悩みがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」と、イエスさまは語られました(ヨハネ十六章三十三節)。キリストを信じたら悩みがなくなるわけでありません。逆に、信仰を持つがゆえにこの世との摩擦が増え、悩みが増えることも多いでしょう。キリストへの信仰ゆえに、時の権力や戦争に反対して、左遷、解雇、迫害、投獄、拷問、処刑などの艱難に遭われた方は、大勢います。

故矢内原忠夫東大教授は、戦時中、日本政府の植民地支配(戦争推進)政策を批判して大学を追われ、投獄されました。戦後復職して東大総長になりましたが、キリストの信仰と大きな試練の体験から、「日本の国の果たす役割がある限り、日本は武装しなくても神は守られる。人も、神が必要とされる限り、生命を失うことはない」と語りました。この一言に、日本国憲法第九条の非戦、非武装の精神的(霊的)根拠が明快に言い尽くされています。

しかし神を信じなければ、このような確信を持ち続けることができません。「日本の敗戦は神の審判である。憲法第九条は神の恵みの賜物であり、世界の模範となるものである」という確信がないからです。時の流れと戦争未体験者の増大に伴い、憲法第九条はなし崩しにされ、空洞化しつつあります。日本は確実に、かつての軍国主義の道を歩みつつあるように思えます。ここにもまた、真の平和を守ろうとする人々の大きな悩みがあります。


3.すでに世に勝っている

しかし聖書には、「世に勝つ者は誰か。イエスを神の子と信じる者ではないか」(Ⅰヨハネ五章五節)とあります。すでに世に勝っておられるイエス・キリストを信じる者は、その人自身がすでに世に勝っているのです。それは、他の人や他の国と比較・競争して勝つ(相対的勝利)という意味ではなく、もっと根本的に、この世に生きることに勝っている(絶対的勝利)ということです。すなわち、「この世にどんなことが起こっても、私たちはすでに神によって永遠に生かされている」という自覚を持つことができるのです。

「これからがんばって世に勝つ」のではなく、「キリストを信じることによって、すでに世に勝っている」のです。ですから、目先の一時的な結果がどうなろうとも、なすべきこと(神から導かれたこと)を忠実に実行していけばよいのです。やがて神の勝利は現実となって現われるでしょう。

二千年前にイエス・キリストが十字架の上で勝ち取られた勝利の福音が宣べ伝えられて、今や世界中にキリストを信じる神の家族が増え広がっています。人々がキリストを信じ、その救いの恵みである永遠のいのちにあずかること、またキリストを信じる人々のうちに、信仰と希望と愛が増し加えられることが、真の意味における勝利です。勝利とは、必ずしも戦争に勝つことや、経済的に繁栄することや、資格・学歴を並べることではありません。

神の勝利は、イエス・キリストの再臨によって、完全に実現します。キリストが再びこの世に来られるとき、万物は復興し、聖徒は復活し、正義は勝利し、最後の審判が下され、神の支配が実現するのです。ここにこそ、キリストを信じる者がこの世に勝つ、最終的な勝利への希望と確信があります。
見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終わりである(ヨハネの黙示録二十二章十二、十三節)。

しかし感謝すべきことは、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜ったのである。だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである(Ⅰコリント十五章五十七、五十八節)。

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最終更新:2012年05月24日 18:19
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