助けとなる聖書の名言1

祈りたい時
イエスは言われた。「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを 得ます。」
(ルカによる福音書10:28)
何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるとい うこと、これこそ神に対する私たちの確信です。 5:15 私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでに かなえられたと知るのです。
(ヨハネの手紙第一5:14,15)

疑いがおこった時
 イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上 がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。
(マタイによる福音書 8:26 )
信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられるこ とと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないの です。信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたと き、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の 罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。信仰によって、アブラハムは、 相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこ に行くのかを知らないで、出て行きました。信仰によって、彼は約束された地に他国 人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活を しました。彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を 設計し建設されたのは神です。信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であ るのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考 えたからです。_そこで、ひとりの、しかも死んだも同様のアブラハムから、天に星 のように、また海ベの数えきれない砂のように数多い子孫が生まれたのです。
(ヘブ ル人への手紙11:1,7~12 )

恐怖に襲われた時
 からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そん なものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさ い。
(マタイによる福音書10:28 )
「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。」
(イザヤ書41:10 )

失望した時
 わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口 雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。  喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。 あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。
( マタイの福音 書5:11,12)
 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれ ていますが、行きづまることはありません。迫害されていますが、見捨てられること はありません。倒されますが、滅びません。いつでもイエスの死をこの身に帯びてい ますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる 人は日々新たにされています。今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知 れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。私たちは、見えるものにではなく、見 えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつま でも続くからです。
(コリント人の手紙第二4:8~10,16~18)
いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。   あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。   何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによ って、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。   そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキ リスト・イエスにあって守ってくれます。
(ピリピ人への手紙4:4~7)
わがたましいよ。なぜ、おまえは絶望しているのか。なぜ、御前で思い乱れているのか。神 を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い、私の神を。
(詩篇 43:5)

信仰上の失敗があった時
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。こ れが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。(テサ ロニケ人への手紙第一5:16~18) 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべ てのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
(ローマ 8:28 )

感謝の思いがあふれる時
すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなた がたに望んでおられることです。
(テサロニケ人への手紙第一5:18)
ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるく ちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。
(ヘブル人への手紙第一13:15)

家を離れて遠くへ行った時
 いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなも のです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。人々には用 心しなさい。彼らはあなたがたを議会に引き渡し、会堂でむち打ちますから。また、 あなたがたは、わたしのゆえに、総督たちや王たちの前に連れて行かれます。それは、 彼らと異邦人たちにあかしをするためです。人々があなたがたを引き渡したとき、ど のように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、その とき示されるからです。というのは、話すのはあなたがたではなく、あなたがたのう ちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。
(マタイによる福音書10:16~20)

困難な状況になった時
あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わた しの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言って おいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが 行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎え ます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。わたしの行く道はあな たがたも知っています。」
(ヨハネの福音書14:1~4)

試練にあった時
あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方です から、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むし ろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。
(コリント人への手紙第一10:13)
 試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約 束された、いのちの冠を受けるからです。
(ヤコブの手紙1:12)
 ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔 はあなたがたから逃げ去ります。
(ヤコブの手紙4:7)
 愛する人たち。そういうわけですから、このことをあらかじめ知っておいて、よく 気をつけ、無節操な者たちの迷いに誘い込まれて自分自身の堅実さを失うことになら ないようにしなさい。
(ペテロの手紙 第二3:17)

堕落しそうな時
 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されま せんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですか ら、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受け るために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
(ヘブル人への手紙4:15~16)
 私たちがこれらのことを書き送るのは、私たちの喜びが全きものとなるためです。 神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリスト から聞いて、あなたがたに伝える知らせです。もし私たちが、神と交わりがあると言 っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであ って、真理を行なってはいません。しかし、もし神が光の中におられるように、私た ちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべ ての罪から私たちをきよめます。もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いて おり、真理は私たちのうちにありません。もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、 神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくだ さいます。
(ヨハネの手紙 第一 1:4~9)
からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなも のより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
(マタイによる福音書10:28 )
 神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みと の霊です。
(テモテへの手紙第二1:7 )
 金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご 自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨て ない。」 そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れませ ん。人間が、私に対して何ができましょう。」
(ヘブル人の手紙13:5,6 )
 しかし、この私は、あなたの力を歌います。まことに、朝明けには、あなたの恵み を喜び歌います。それは、私の苦しみの日に、あなたは私のとりで、また、私の逃げ 場であられたからです。 私の力、あなたに、私はほめ歌を歌います。神は私のとり で、私の恵みの神であられます。
(詩篇59:15,17 )

意気消沈した時
からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなも のより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
(マタイによる福音書10:28 )
神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの 霊です。
(テモテへの手紙第二1:7 )
金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自 身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てな い。」 そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れませ ん。人間が、私に対して何ができましょう。」
(ヘブル人の手紙13:5,6 )
 しかし、この私は、あなたの力を歌います。まことに、朝明けには、あなたの恵み を喜び歌います。それは、私の苦しみの日に、あなたは私のとりで、また、私の逃げ 場であられたからです。 私の力、あなたに、私はほめ歌を歌います。神は私のとり で、私の恵みの神であられます。
(詩篇59:15,17 )

悲しみで心がふさぐ時
悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。
(マタイによる福音書5:4 )

心がせめられる時
私たちがこれらのことを書き送るのは、私たちの喜びが全きものとなるためです。 神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリスト から聞いて、あなたがたに伝える知らせです。 もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるな ら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行なってはいません。 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私た ちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。 もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにあり ません。 もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を 赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
(ヨハネの手紙第一1:4~9 )
では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが 私たちに敵対できるでしょう。私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまず に死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んで くださらないことがありましょう。神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が 義と認めてくださるのです。罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった 方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たち のためにとりなしていてくださるのです。
(ローマ人への手紙8:31~34)

心配な時
 ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょう ど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。   あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを 心配してくださるからです。
(ペテロの手紙 第一5:6~7)
 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくだ さるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。 信仰の薄い人たち。そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、 などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めてい るものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であ ることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そ うすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのため の心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あ ります。
(マタイの福音書6:30~34)
 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによっ て、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考 えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってく れます。
(ピリピ人への手紙4:6~7)

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最終更新:2012年05月24日 18:15
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