助けとなる聖書の名言2


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神に守られた時
彼はこう言った。主、わが力。私は、あなたを慕います。 主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救 いの角、わがやぐら。 ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は、敵から救われる。
(詩篇18篇1~3 節)
主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。
(詩篇 34篇7節)

愛する者が亡くなった時
悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。(マタイによる福音書5:4) 私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえ られますように。神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。 こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中 にいる人をも慰めることができるのです。それは、私たちにキリストの苦難があふれ ているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。
(コリント人への手紙第二 1:3~4)

危機に直面した時
イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上が って、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。
(ヘブル人への手紙4:16)

孤独な時
金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自 身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てな い。」そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れ ません。人間が、私に対して何ができましょう。」 (ヘブル人への手紙13:5~6)

疲れた時
 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 (マタイによる福音書11:28~30)
 ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主の わざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。 (コリント人への手紙 第一15:58)
 善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行ないましょう。ご覧のとおり、私は今こんなに大きな字 で、自分のこの手であなたがたに書いています。 (ガラテヤ人への手紙6:9~10)

心配事で不安にさいなまれる時
 ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょう ど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。あなたがたの思い煩いを、い っさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。 (ペテロの手紙第一5:6~7)

途中で失敗した時
 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれ が私たちに敵対できるでしょう。  私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうし て、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありまし ょう。
  神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。  罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた 方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてく ださるのです。
 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、 迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
 「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる 羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。
 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの 中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。
  私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるも のも、後に来るものも、力ある者も、  高さも、深さも、そのほかのどんな被造物 も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできま せん。 (ローマ人への手紙8:31~39 )

非難され、ひどい仕打ちを受けた時
わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴 びせるとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなた がたの報いは大きいから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように 迫害したのです。 (マタイによる福音書5:11~12 )
 たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいど らや、うるさいシンバルと同じです。また、たとい私が預言の賜物を持っており、ま たあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っ ていても、愛がないなら、何の値うちもありません。また、たとい私が持っている物 の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛が なければ、何の役にも立ちません。愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみ ません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を 求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをが まんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶える ことがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならば すたれます。というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預言すること も一部分だからです。完全なものが現われたら、不完全なものはすたれます。私が子 どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じま したが、おとなになったときには、子どものことをやめました。今、私たちは鏡にぼ んやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。 今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じよ うに、私も完全に知ることになります。こういうわけで、いつまでも残るものは信仰 と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。 (コリント人への手紙 第一13:1~13)

病気または苦痛の時
  • それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。で きますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うよ うにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」 (コリント人への手紙 第二12:9~10 )

  • たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいど らや、うるさいシンバルと同じです。また、たとい私が預言の賜物を持っており、ま たあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っ ていても、愛がないなら、何の値うちもありません。また、たとい私が持っている物 の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛が なければ、何の役にも立ちません。愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみ ません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を 求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをが まんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶える ことがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならば すたれます。というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預言すること も一部分だからです。完全なものが現われたら、不完全なものはすたれます。私が子 どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じま したが、おとなになったときには、子どものことをやめました。今、私たちは鏡にぼ んやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。 今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じよ うに、私も完全に知ることになります。こういうわけで、いつまでも残るものは信仰 と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。 (コリント人への手紙 第一13:1~13)

  • それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。で きますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うよ うにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」 (コリント人への手紙 第二12:9~10 )
 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからで す。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊 によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。 (ローマ人への手紙5:3 ~5)

  • しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力 は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、 キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。   ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじて います。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。 (コリント人への手 紙第二12:9,10)

  • あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それ は、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。  あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがありません。  そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れてい ます。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果てて はならない。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからで ある。」  訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。 父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。
 もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であ って、ほんとうの子ではないのです。
 さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私た ちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して 生きるべきではないでしょうか。
  なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめる のですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようと して、懲らしめるのです。
  すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われ るものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせま す。
  ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。
 また、あなたがたの足のためには、まっすぐな道を作りなさい。足なえの人も関節 をはずすことのないため、いやむしろ、いやされるためです。 (ヘブル人への手紙 12:3~13)

  • 愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、 何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キ リストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです。
 ですから、神のみこころに従ってなお苦しみに会っている人々は、善を行なうにあ たって、真実であられる創造者に自分のたましいをお任せしなさい。 (ペテロの手紙 第一4:12,13,19)

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