主の喜ばれる祈り


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主が喜ばれる祈り

アメリカの南北戦争の時、リンカーンの有名な話があります。

北軍と南軍が分かれてアメリカで戦争をしていた時、南軍はこう祈りました。『主なる神様、どうか私達の側に立ってくださり、私たちに勝利を与えてください。』しかし、北軍はこう祈りました。『主なる神様、どうか私達が神様の側に立つことができるようにしてください。』本当にこう分かりやすく祈りが分かれていたとは思いません。しかし、私達は結果として勝利した北軍を知っているので、その理由を考えることができます。ほとんどの人々は南軍のように、神の力と栄光を自分のいるところに引き寄せようとします。『神よ、私のところへ来て、私を祝福してください』と祈ります。

しかし、リンカーンはそうではありませんでした。『神よ、私が神のところへ行き、祝福の場所に留まることができますように!』これが祈りの違いです。神を無理やりたぐり寄せることはできません。我々の側から行くのです。なぜ、私達は祝福されるのでしょう。神がおられる場所が祝福そのものです。そこにいるから、祝福されるのです。

なぜ勝利できるのでしょう。神がおられる場所が勝利の現場です。だから勝利の主がおられる所に行くだけであります。主が私達のいるところへ来て下さるのではありません。だからこそ、私達はいつも主の側に留まらなければなりません。

イエス・キリストがしていた事と同じ働きをしようとするならば、主が自然と供にして下さるのです。なぜペテロはイエス様と同じように働いたのでしょうか?それはイエス様と同じ働きをしようとしたからです。
私達は考えて見ましょう。私達は本当に、主と同じ働きをしているか。特に筍長や献身者は問い直してみるべきです。

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