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第1話

覚醒と同時に、まだ見慣れぬ天井が真っ先に目に映った。
「あふ……ん、んんん~…」
手を真上に思い切りあげて、まるで猫のようにうんと背伸びをする。
枕元の小さな小さな天使の羽のついた目覚まし時計は、少女の『同居人』が、ここに来た初めの日に一緒に大型デパートに買い物に行ったときに可愛くてじっと見ていたら買ってくれたものだった。
「昴の羽に似てるな」
そう言って、遠慮する自分の頭を優しく撫でて、山と積まれた商品を前に忙しそうなレジに、「これも」と一緒に出してくれた。
なんだかとってもくすぐったかった。
「女の子だから色々必要だろうが、生憎今日はこれ以上荷物を持てそうに無い。すまないな、当分暮らし辛いかも知れない」
両手いっぱいに買い物袋やら、箱やらを抱えて同居人は言う。
「そんな……そんなことない! とっても嬉しい!」
自分でも少し荷物を持ちながら、少女は今どれだけ嬉しいか伝えようと、首をふるふると振った。
「ありがとう、ベア」
以前の『司』だったら、こんなに素直にお礼なんて言えなかっただろう。
でも今は、若干の照れはあるものの、きちんと表現できる。
「……その呼び方はちょっと」
「あ、ごめんなさい。でもなんか慣れちゃって」
ついうっかり、THE WORLD内での呼称が口をつく。
現実世界に戻ってきてからもまだ感覚が抜け切らないのは、それだけあの世界の存在感が生々しかったからだ。

ここにいるのが本当のボク……ううん、わたし。

柔らかな布団にお別れを告げて、少女――『司』はベッドから降りた。
部屋の壁にかかっている服を着た黒いハンガーをとり、オレンジのチェックのパジャマのボタンを上からひとつずつはずして、服に袖を通す。
この部屋に越してきたあの日、『ベア』にここが今日から君の城だと言われた。
あのときは気障な言い方だったとお互い笑ったものの、今は司自身本当にこの場所を自分の城のように思っていた。

今日は日曜日、学校は休みだ。
窓のカーテンを開けて天気を確認する。
この間の買い物の続きをすることになっていた。
あの家から持ってきた荷物もあるにはあったが、生活するには圧倒的に足りなかった。
それは、成長期の少女などはあちこちのサイズがすぐ変わるのに、司の父親がそういった配慮など最初からしていなかったせいもある。

リビングを覗くと、ベアはいなかった。
まだ寝てるのかな。
半分本に埋まったような彼の部屋は古臭いようなどこか懐かしい独特の香りに包まれていて、司は好ましく思っていた。
そっとドアを開けると、案の定彼は寝ていたが、それはベッドではなく書きかけの紙が開いてある机のほうだった。
突っ伏したまま眠る彼に司は近づいて、一瞬起こそうかどうか迷ったが、ベッドの上から毛布を一枚取ると彼の肩にそっとかけた。

もう充分、こんなによくしてもらっているんだから、ぼ……わたしのためにこれ以上迷惑をかけることなんて無い。

きっとベアも疲れてるんだ。
じゃあ、今日はわたしがご飯作ってあげよう。
司はベアの部屋を出るとキッチンへ向かった。
冷蔵庫から卵を取り出したり、鍋をガスコンロにかけたり、朝食の支度をはじめた。
とんとんと野菜を切る音が部屋に響く。
「なんか、新婚さんみたい」
ふとそう思ってなにげなく口に出したのだが、言ってから自分で気づいて赤くなる。
味噌汁の香が漂い始めた。
沸騰しかけたそれの火を慌てて止める。
ご飯は昨日炊いたものをレンジで温めた。
それら全てをテーブルに並べてしまってから、もう一度司はベアを起こしに行った。


一方ベアは鼻腔をくすぐる匂いで目を覚ました。
妻と別れてからは寝ているときに嗅いだことなど無かったはずの匂いだ。
「ん……あ? あ――」
額を抑えて頭を軽く降る。
はめっぱなしの腕時計を確認すると、針はすでに9時をだいぶ回っていた。
10時半には出かけると言っていたのに。
「まずい寝過ごした!」
慌てて椅子から立ち上がると、肩にかかっていた毛布がぱさりと落ちた。
ベアはそのとき初めて自分が毛布をかぶっていたことに気づいた。
「あ、起きた?」
折しもその毛布を彼にかけた少女がドアの向こうから顔を覗かせる。
「ちょうど良かった」
はにかむように笑うその顔を見ながらベアは言った。
「すまん、急いで支度する」
「ゆっくりでいいよ?」
「そういうわけにはいかない」
ベアは服を取り出そうとクローゼットを開けたが、気まずそうに司のほうを見た。
「その……着替えるから、出てくれないか」
司は一瞬きょとんとした表情を見せたが、
「えっ? あ、ああ! わかった、待ってるね」
パタンとドアが閉まってから、小さな息とともにベアはつぶやいた。
「どうもやりにくいなこういうのは……」


「うん、美味いよ」
「ほんと!」
冷めかけの味噌汁をすする。
期待と不安に胸膨らませる少女、という風の司にベアが感想を告げると司の顔がぱっと輝いた。
「へへ、良かったぁー」
ベアはその顔に一瞬どきりとさせられたが、そんな自分を隠しいつもの冷静な大人の顔を取り戻す。
「やっぱり娘はいいな」
誉めたつもりだったが、途端に司は顔をわずかだが曇らせた。
食卓の白米は時間を経て温もりを失っていた。
「娘……か」
おや、とベアは少し引っかかったが話題を変えた。
「やはり少し予定より遅れそうだな。すまん」
「ううん、気にしないで! 疲れてるんだからしょうがないよ」
司は手を振ると、玉子焼きに箸をつけた。
(ちょっと焦げちゃったかな……)
炎が強すぎたのだ。
燃える火は、加減が難しいものだから――。