H17. 9.26 大阪地方裁判所 平成15年(ワ)第4986号等 福祉年金請求事件

判示事項の要旨:
 被告が,退職者との間で締結した福祉年金契約(本件契約)に基づいて支給する,退職金を原資とする企業年金の給付利率について,当該年金に関する定めである福祉年金規程(本件規程)に規定された,将来経済情勢等に大幅な変動があった場合には本件規程の全般的な改定または廃止を社長が行うとの規定(本件改廃規程)に基づいて,原告らを含む一部受給者の同意がなかったにもかかわらず,一律2%の引下げを(本件引下げ)実施したことについて,本件規程が本件契約の内容となっていたことを認定したうえ,経済情勢,被告の経済状態等に照らすと本件引下げの強い必要性が認められ,現役従業員との格差等を勘案すると2%の引下げには内容の相当性も認められ,本件引下げに際して被告が採った手続も不相当とまではいえないことから,本件引下げは本件改廃規程の要件を満たしており許されるとして,請求を棄却した事案




           主 文
   1 原告らの請求をいずれも棄却する。
   2 訴訟費用は原告らの負担とする。
           事実及び理由
第1 請求の趣旨
1 第1次訴訟
(1) 被告は,原告番号1番ないし59番の各原告に対し,別紙請求債権目録の「請求金額」欄記載の金員及びうち同目録①欄記載の金員に対する平成14年9月25日から,②欄記載の金員に対する平成15年3月25日から,③欄記載の金員に対する同年9月23日から,④欄記載の金員に対する平成16年3月23日から,⑤欄記載の金員に対する同年9月22日から,⑥欄記載の金員に対する平成17年3月23日からそれぞれ支払済みまで年5分の割合による金員をそれぞれ支払え。
(2) 被告は,原告番号60番ないし75番の各原告に対し,別紙請求債権目録の「請求金額」欄記載の金員及びうち同目録②欄記載の金員に対する平成15年3月25日から,③欄記載の金員に対する同年9月23日から,④欄記載の金員に対する平成16年3月23日から,⑤欄記載の金員に対する同年9月22日から,⑥欄記載の金員に対する平成17年3月23日からそれぞれ支払済みまで年5分の割合による金員をそれぞれ支払え。
2 第2次訴訟
被告は,原告番号76番及び78番ないし80番の各原告に対し,別紙請求債権目録の「請求金額」欄記載の金員及びうち同目録③欄記載の金員に対する平成15年9月23日から,④欄記載の金員に対する平成16年3月23日から,⑤欄記載の金員に対する同年9月22日から,⑥欄記載の金員に対する平成17年3月23日からそれぞれ支払済みまで年5分の割合による金員をそれぞれ支払え。
3 第3次訴訟
 被告は,原告番号81番ないし92番の各原告に対し,別紙請求債権目録の「請求金額」欄記載の金員及びうち同目録④欄記載の金員に対する平成16年3月23日から,⑤欄記載の金員に対する同年9月22日から,⑥欄記載の金員に対する平成17年3月23日からそれぞれ支払済みまで年5分の割合による金員をそれぞれ支払え。
4 第4次訴訟
(1) 被告は,原告番号93番及び94番の各原告に対し,別紙請求債権目録の「請求金額」欄記載の金員及びうち同目録①欄記載の金員に対する平成14年9月25日から,②欄記載の金員に対する平成15年3月25日から,③欄記載の金員に対する同年9月23日から,④欄記載の金員に対する平成16年3月23日から,⑤欄記載の金員に対する同年9月22日から,⑥欄記載の金員に対する平成17年3月23日からそれぞれ支払済みまで年5分の割合による金員をそれぞれ支払え。
(2) 被告は,原告番号95番の原告に対し,別紙請求債権目録の「請求金額」欄記載の金員及びうち同目録②欄記載の金員に対する平成15年3月25日から,③欄記載の金員に対する同年9月23日から,④欄記載の金員に対する平成16年3月23日から,⑤欄記載の金員に対する同年9月22日から,⑥欄記載の金員に対する平成17年3月23日からそれぞれ支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
5 第5次訴訟
 被告は,原告番号96番の原告に対し,別紙請求債権目録の「請求金額」欄記載の金員及びうち同目録③欄記載の金員に対する平成15年9月23日から,④欄記載の金員に対する平成16年3月23日から,⑤欄記載の金員に対する同年9月22日から,⑥欄記載の金員に対する平成17年3月23日からそれぞれ支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
6 第6次訴訟
(1) 被告は,原告番号97番の原告に対し,別紙請求債権目録の「請求金額」欄記載の金員及びうち同目録①欄記載の金員に対する平成14年9月25日から,②欄記載の金員に対する平成15年3月25日から,③欄記載の金員に対する同年9月23日から,④欄記載の金員に対する平成16年3月23日から,⑤欄記載の金員に対する同年9月22日から,⑥欄記載の金員に対する平成17年3月23日からそれぞれ支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(2) 被告は,原告番号98番ないし104番の各原告に対し,別紙請求債権目録の「請求金額」欄記載の金員及びうち同目録⑤欄記載の金員に対する平成16年9月22日から,⑥欄記載の金員に対する平成17年3月23日からそれぞれ支払済みまで年5分の割合による金員をそれぞれ支払え。
7 第7次訴訟
 被告は,原告番号105番及び106番の各原告に対し,別紙請求債権目録の「請求金額」欄記載の金員及びこれに対する平成17年3月23日から支払済みまで年5分の割合による金員をそれぞれ支払え。
第2 事実関係
Ⅰ 事案の概要
 原告らは,被告又はそのグループ会社の元従業員であって,その退職にあたり,被告との間で,退職金を原資として年金契約を締結したものである。被告は,上記契約の締結後,原告らに対して支給する年金の給付利率を引き下げる決定をし,その決定に基づいて,従来より少額の年金を原告らに支給した。本件は,被告がした上記の決定が原告らとの間で効力を生じないとして,原告らが,被告に対し,引下げがなければ各支給日に支給されたであろう金額と,各支給日に実際に支給された金額との差額の支払を求めたものである。なお,遅延損害金の起算日は各支給日の翌日である。
Ⅱ 前提となる事実(争いのない事実,括弧内に記載の書証により認められる事実)
1 当事者
(1) 原告らは,いずれも被告又はそのグループ会社(以下「被告ら」という。)に永年勤務し,既に退職した者であり,被告との間で,被告の福祉年金制度(以下「本件制度」という。)に基づく福祉年金契約(以下「本件契約」という。)を締結した者である。
(2) 被告は,電気,通信,電子及び照明機械器具の製造,販売等を業とする株式会社である。
2 本件制度の沿革,目的,被告の福祉年金の内容
(1) 本件制度は,社員として永年勤務し退職した者の退職後の生活の安定を図る目的で,被告の創業者である松下幸之助が発案し,昭和41年1月21日に導入され,平成14年4月に現役従業員との関係では廃止された。(乙1の1ないし3,乙2,乙3の1)
(2) 被告は,被告の制定した福祉年金規程(以下「本件規程」という。)に基づいて本件制度を運営しているところ,本件規程によると,被告の福祉年金(以下「本件福祉年金」という。)の内容は,以下のとおり,基本年金(以下「本件基本年金」という。)と終身年金(以下「本件終身年金」という。)である。(本件規程第4条)
ア 本件基本年金(本件規程第2章(第5条ないし第13条))
 被告らの退職者は,その希望により,被告の社員退職金規程に基づいて受け取った退職金(退職慰労金,退職加給金,特別慰労金を指すが,これらのうち年金原資となり得るのは,後記のとおり,規程退職金とされる前二者の合計である。)の一部を年金原資として被告に預け入れ,被告は,その預入金に一定の利率(以下「給付利率」という。)による利息を付け,年2回ずつ,一定の支給期間,これを退職者に支給する。これが本件基本年金である。規程退職金以外に,本件基本年金の原資として予定されているものはなかった。本件基本年金は,預入金とこれに対する支給期間中の利息とを合算した額をもとにして,支給期間中の各支給日における支給額が均等になるように計算されており,被告は,これを,毎年3月21日と9月21日(ただし,その日が公休日である場合には翌日が支給日となる。)の年2回支給する。なお,3月21日支給分は前年9月21日から当年3月20日までの半期分として,9月21日支給分は当年3月21日から9月20日までの半期分としてそれぞれ支給される取扱いとなっている。(甲1,甲6)
イ 本件終身年金(本件規程第3章(第14条,第15条))
 本件基本年金の受給が完了した後,受給者が死亡するまでの間は,たとえ預入金がなくなっても,本件基本年金の最終支給日における支給額と同額を1回の支給額として本件終身年金が支給される。
(3) 本件規程の23条1項は「将来,経済情勢もしくは社会保障制度に大巾(以下「大幅」と表記する。)な変動があった場合,あるいは法制面での規制措置により必要が生じた場合は,この規程の全般的な改定または廃止を行う。」と,同条2項は「この規程の改廃は社長が行う。」とそれぞれ規定している(以下「本件改廃規定」という。)。本件改廃規定は,昭和41年の本件規程制定時から存在し,2項が「この規程は社長が改廃する」から「この規程の改廃は社長が行う」に変更された外は,その内容に変更はない。(乙19の5)
3 原告らに対して支給されていた年金
(1) 原告らに対して支給される規程退職金(退職慰労金及び退職加給金)の合計額のうち,50%相当額が松下電器厚生年金基金(昭和53年6月に設立された。以下「被告厚生年金基金」という。乙12)から,残りが被告からそれぞれ支給された。被告厚生年金基金からの支給分は,退職予定者の希望により,その全部又は一部を年金形式で受給することができるところ,この年金が下記の被告厚生年金基金の加算年金(以下「本件加算年金」という。)に当たり,一時金形式で受給する部分が被告厚生年金基金の選択一時金といわれるものであった。他方で,被告から支給される規程退職金(規程退職金の残り50%相当額)と選択一時金の合計額の中から被告に預け入れられた金員を原資とする年金が本件基本年金であった。(甲6)
(2) 原告らに対して支給され得る年金は,①国から支給される老齢厚生年金等の他に,②被告厚生年金基金から終身年金として支給される基本年金(国の老齢厚生年金の代行部分である。),③規程退職金合計の50%を限度に年金原資とし,昭和53年から昭和59年9月までは給付利率年5.5%で15年保証の終身年金として,同年10月から平成12年3月までは給付利率年7.5%で20年保証の終身年金として,被告厚生年金基金からそれぞれ支給される本件加算年金,④本件制度に基づいて被告から支給される本件福祉年金である。
なお,本件制度においては,制度が導入された昭和41年から昭和59年9月30日までは,規程退職金の70%ないし100%を年金原資とすることができたので,被告厚生年金基金が設立されてから昭和59年9月30日までの間は,退職者の希望により,預入限度額の範囲内で,自由に本件制度と本件加算年金制度を利用することができた。昭和59年10月1日以降は,本件制度の預入限度額が,段階的に規程退職金の50%以内かつ2000万円以内とされたので,退職者は,規程退職金の50%を本件基本年金の原資とし,残りの50%を本件加算年金の原資とすることができることとなった。平成11年3月21日以降は,本件制度の預入限度額が,規程退職金の50%以内かつ1800万円以内に変更されるとともに,本件契約を締結するためには,本件加算年金を100%年金選択することが前提とされることとなった。(乙3の3ないし5)
(3) 原告らと被告との間においては,それぞれ,別紙一覧表の「①年金証書」欄,「②契約年金額」欄,「③支給期間」欄に記載された内容の本件契約が成立しており,各原告には,各支給日に本件契約に基づき同一覧表の「②契約年金額 半期支給額」欄記載の金額の本件基本年金が支給されていた。
4 給付利率の引下げによる本件基本年金の減額支給
 (1) 本件基本年金の給付利率(以下「本件給付利率」という。)は,昭和41年の本件制度導入当時は年10%であったが,平成8年4月1日,労使合意により,平成9年3月21日以降の退職者については年9.5%,平成10年3月21日以降の退職者については年8.5%,平成11年3月21日以降の退職者については年7.5%とする旨の改定がされた。
(2) 被告は,原告らを含む既受給者(一部の既受給者については経過措置(以下「本件経過措置」という。)を設けたことから,経過措置の対象となった既受給者は除く。)について,平成14年9月21日の支給分(同年3月21日から9月20日までの半期分)から,従来の本件給付利率を一律2%引き下げた(以下「本件利率改定」という。)。その結果,原告らに適用される本件給付利率は,5.5%ないし8%となった。
(3) 本件経過措置の内容は,満60歳未満で退職した既受給者については満60歳到達後の最初の支給分から本件利率改定後の本件給付利率を適用し,平成13年9月21日以降に退職した本件利率改定の直近の既受給者については,少なくとも1度は本件利率改定前の本件給付利率による本件基本年金を支給することにし,いずれにも該当する場合にはどちらか遅い新年金額の支給日から,本件利率改定後の本件給付利率を適用するというものであった。(乙59)
(4) 被告は,原告らに対し,平成14年9月ころ,本件利率改定により2%引き下げた本件給付利率に基づく福祉年金証書(以下「本件証書」という。)と「福祉年金年金額改定のご通知」という文書を送付した。(乙21の1ないし5,乙55)
(5) 本件利率改定による支給額の差額
 各原告についての,本件利率改定がなければ各支給日に支給されたであろう金額と,各支給日に実際に支給された金額との差額は,別紙請求債権目録の①ないし⑥欄にそれぞれ記載のとおりであり,平成17年3月23日支給分までのその合計額は,それぞれ別紙請求債権目録の「請求金額」欄記載のとおりであるところ,被告は原告らに対しこれらをいずれも支給していない。
 Ⅲ 本件利率改定が許されるかという点に関する当事者の主張
 (被告の主張)
  1 結論
本件改廃規定を含む本件規程は,本件契約の内容となっており原告らに対する拘束力を有するところ,本件では本件改廃規定に定める「経済情勢もしくは社会保障制度に大幅な変動」があった場合にあたり,本件給付利率を改定する必要性及び相当性が認められるから,本件利率改定は許されるというべきである。仮に本件改廃規定に基づく本件利率改定が許されないとしても,事情変更の原則により,本件利率改定は許されるというべきである。
2 本件制度の本質的特徴
 (1) 基本的視点
被告と原告らを含む既受給者との本件制度をめぐる関係は,たとえこれが「契約」であるとしても,一対一の無関係な当事者同士がその意思に基づき一回的,非継続的に締結する,典型的,伝統的な契約の解釈がそのまま妥当するような「契約」であるという次元で理解してはならない。このような「制度的契約」においては,個別の加入者ごとに議論を展開することは公平を失するから妥当でなく,そのような解釈は認められない。本件で,被告と既受給者との間で結ばれる関係を「契約」というとしても,その実体は本件制度という「制度」への「加入」に他ならないから,このような制度のあり方を規定する本件規程は,「制度加入者と制度運営者との関係性を規律するもの」との視点で解釈されなければならない。すなわち,本件契約は広い意味での「契約」であることを否定できないとしても,被告がその従業員のために実施する福利厚生制度としての年金制度であるために,そのような制度の本質的特徴が,不可避的に「契約」の内容に影響を及ぼすのである。
(2) 本件制度が被告の従業員に対する福利厚生制度であること
 ア 本件福祉年金は,被告がその従業員のために実施する福利厚生制度の一環であるから,もともと集団的,集合的な運用が予定されており,加入に際して従業員を一律に取り扱うべきことはもちろん,退職者である既受給者の間においてもできる限り公平に取り扱う必要がある(集団性・画一性)。
 イ 集団的,画一的な取扱いの要請は,従業員の加入資格取得時期(定年もしくは定年扱い到達時期)のわずかな相違による既受給者間の不均衡を可及的に回避すべきことを要請し,また,過去と将来の定年退職者同士の間でも処遇のバランスが要求されるから,本件制度は,これがいったん定着した後は,少なくとも現在及び将来の加入者に不利益となる方向での改廃は,極めて抑制的かつ慎重にならざるを得ず,下方修正に対しては強い硬直性が認められる(制度的硬直性)。
 ウ 被告は,従業員の入社から定年までのみならず,定年後の生活に至るまでをも対象にした一連の手厚い福利厚生制度を設けており,本件制度はその象徴ともいいうること等からすると,従業員と既受給者との間でも処遇のバランスが要求されてしかるべきである(従業員と既受給者との連続性)。
(3) 本件制度が年金制度であること
 ア 本件制度は,年金制度であるから,当事者間の関係は長期間継続することが予定されているところ,その長期性ゆえに途中でやむを得ず内容を変更する事態に至ることも容易に想定しうるところである(長期・継続的給付性)。
 イ 本件制度の内容が,受給者は全くリスクを負うことなく,市場金利を上回る利息部分を長年に渡って享受できるという点で,受給者に対して恩恵的(これは,給付の対価を具体的に観念できない無償性,福祉性を指している。)といってよいほどに有利な内容になっていることからすると,支給期間の途中における内容の変更がやむを得ないのはなおさらである(恩恵的給付性)。
3 本件規程の拘束力
 (1) 本件規程の拘束力が認められるための要件
ア 内容の合理性
本件制度への加入者は,加入者ごとに個別に被告と交渉して,その規程内容を改変したり,特約を付したりすることは予定されておらず,またそのようなことは一切許されない。本件制度において加入者は,画一的な制度内容を全面的に受け入れてこれに加入するか,これを拒絶して加入しないかの二者択一しか選択肢を有しない。すなわち,本件契約は被告とその退職者間で締結される,契約締結の相手方選択の自由や交渉による契約内容の変更の自由がいずれも認められない特殊な契約であるから,伝統的な契約理論に則って,契約内容を開示することにより,契約当事者に相手方選択の機会や交渉の機会を担保する必要はない。
したがって,本件制度への加入については,本件制度運営上の規程(本件規程)に従うとの意思を認めることができ,仮に当該規程があるならば,およそ本件制度への加入はしなかったということができるような事情(当該規程が不合理な場合が典型的と考えられる。)があれば格別,そうでない限り,本件規程はすべての加入者(既受給者)に対して拘束力を有すると解すべきである。
そうであるとすると,本件規程を既受給者に開示する意味は極めて乏しく,本件規程の内容に対する各既受給者の認識や同意を要求するのは現実的でないし,また意味を有するとも考えられない。むしろ,本件規程に拘束力を認めるためには,内容の合理性こそが最も重要というべきである。
イ 約款との類似性
様々な取引契約において用いられている約款は,たとえ詳細な内容を認識していなくても,当事者に約款によって契約するという意思があり,かつ,必要があれば内容をチェックできるように約款内容が開示されていれば,拘束力が肯定されている。その根拠は,約款に基づく取引の画一的,統一的な処理の要請に求めることができるところ,このような画一的,統一的処理という点においては,本件契約についても同様の要請がある。もっとも,本件規程は,取引的契約を律する単なる約款にとどまらず,本来的には法律上の制度として運営されるべき社会保障的給付を私的契約により提供する本件制度を規律するものである。この点で,本件契約は,単なる契約とは大きく異なる本件制度への加入契約としての性格を有している。このような契約において個別の当事者の意思を問題とすることは,約款による取引のようにそれが事実上困難であるというにとどまらず,容認しがたい不平等,不公正を生み出すのでむしろ許されるべきではないのである。この場合,個々の既受給者が現実に本件規程を認識していたか否かを検討し,かつその認識内容いかんによって本件規程の拘束力の有無を判断するのは妥当ではなく,本件規程が一企業内の福祉制度を定めるものとして合理性を有する範囲では,制度に加入する意思が認められる以上,個々の既受給者に対して一律に拘束力を認めてよいというべきである。そして,このような規程の合理性は,それが制定あるいは改定されたときにどのような手続が履践されたかを重視して評価すべきである。したがって,本件規程については,一般の契約などと比べると,開示の持つ意味は遙かに軽く,加入希望者が内容を知り得る状態に置かれれば足りると解すべきである。
ウ 就業規則との類似性
  加えて,本件規程が就業規則と類似性を有していると考えられることからすると,判例が,就業規則について,その内容が合理的である限り,個別労働者の認識や同意を問わずに,労働契約の内容となることを認め,さらには,就業規則の不利益変更法理として,いったん労働契約の内容となったはずの就業規則を,使用者が個別の労働者の同意を得ることなく,労働者の不利益に変更することを認めた考え方は,本件規程にも妥当するというべきである。すなわち,就業規則に関する上記判例の考え方は,法令上の明文がなくとも,一方当事者の集団性や画一的取扱いの必要性,関係の長期継続性等の観点から,一定の場合に個別の当事者の意思を問わずに契約の拘束力を及ぼすことや,一方当事者の同意を得ることなくして,当該当事者の不利益に変更することも認められ得ることを示唆しているところ,上記のとおり,本件規程と就業規則とが類似性を有していることからすると,本件制度への加入意思を疑う余地のない個々の既受給者に対し,本件規程の内容が合理的である限り,各既受給者の現実の認識や同意の有無を問わず,一律に拘束力を認めてよいというべきである。
エ 認識可能性,アクセス可能性
本件規程の内容を従業員や既受給者が知り得る状態にない場合には,既受給者の本件制度への加入意思に,本件制度運営上の規程(本件規程)に従うとの意思まで認めてよいかとの疑念もあり得るので,従業員や既受給者において,本件規程の存在に対する認識可能性があり,かつ,本件規程へのアクセス可能性があることが必要というべきである。
(2) 本件への適用
 ア 本件改廃規定は本件制度の制度変更の余地を明示したものであるが,先に述べた本件制度の本質的特徴に合致する合理的な規定である。
 イ 本件制度が導入された際も,その後の実質的内容に関わる数次の改定がされた際も,いずれも労使間の協議がされ,両者の合意の下で改定が行われている。すなわち,本件規程は,その制定時から今日まで,一貫して従業員の代表者との協議とその同意を経つつ維持されている。したがって,本件規程の制定時,改定時の手続については,手続的な合理性がある。
 ウ 福祉年金受給申込書(以下「本件申込書」という。)には「貴社の福祉年金規程を了承の上」との文言が記載されていたことから,退職予定者は本件規程の存在自体を認識できたはずである。また,そもそも,本件制度の存在は,被告の従業員にとって周知の事実であるところ,多数の退職予定者を画一的,公平に取り扱うためには,統一基準としての規定を設ける必要があり,この規定に基づいて制度が運営されるのは当然のことであるうえ,被告は,従業員に対する各種説明会等で本件規程の内容にそった本件制度の概要を繰り返し説明していたのであるから,定年に至るまで被告に永年勤務した退職予定者においては特に,本件制度にその運営の基礎となるべき本件規程が存在することを容易に想起できたはずである。さらに,本件制度の改定に関する労使協議による協定書(乙20)にも「なお,条文については,別途整備するものとする。」との文言が記載されていたことからすると,本件制度に統一基準としての本件規程が存在すること自体は,被告の従業員において認識可能であったはずである。
 エ 被告は,本件規程を,本件制度が開始された昭和41年から昭和58年末までは本社総務部,本社人事本部人事二部(昭和48年以降「労政部」に名称変更),各事業場の人事担当部署に,昭和59年以降は本社労政部(平成13年以降「労政グループ」に名称変更)に備え置いていた。そして,被告の従業員(特に被告に永年勤務した定年退職予定者)にとって,福利厚生制度に関する問合せは自らが所属する事業場の人事担当部署にすべきことは常識であったのである。そうであるとすると,退職予定者は,人事担当部署に問合せをすることにより,本件規程を直接閲覧するか,又は写しを取り寄せて閲覧することが可能であったというべきである。
4 本件改廃規定の解釈指針
 (1) 本件改廃規定に基づく本件利率改定は,既に発生した既受給者の既得権益を一方的に不利益に変更するものであるが,労働契約上従業員に集団的,画一的に発生している既得権益を,一方的に不利益に変更するいわゆる就業規則の不利益変更との間で,その利益状況に大きな類似点を見出すことができる。そして,就業規則の不利益変更が合理性のあるものとして許容される要件として,判例(最高裁判所第二小法廷平成9年2月28日判決・民集51巻2号705頁・第四銀行事件)は,①変更の必要性と,②変更の相当性(内容の相当性,手続の相当性)を挙げているところ,これらの要件は本件改廃規定に基づく本件利率改定においても斟酌されるべきである。
 (2) 本件改廃規定が定める「経済情勢もしくは社会保障制度に大幅な変動があった場合」との要件については,比較の基準時の特定が必要とも思われる。しかし,前述した本件制度の本質的特徴からすると,既受給者の処遇は画一的,公平であることが要請され,また,本件福祉年金の既受給者は昭和41年から平成14年に至るまで継続的に発生しているのであるから,いずれかの時点を特定して,事情の比較を行うことは許されないし,また不合理であるというべきである。そうであるとすると,上記要件については,制度変更が必要な程度に経済情勢や社会保障制度が変動したということができれば足りると解すべきである。
 (3) 本件改廃規定が定める本件制度の改廃についての要件は,規程変更の必要性について,特に経済情勢や社会保障制度の変動を重視して判断すべきことを示したものと理解することができ,そうである以上,上記要件は,単に客観的な経済情勢や社会保障制度が変動したということに止まらず,それが被告の経済状態に与えた影響をも含んだものというべきであり,社会保障制度の変動という点についても,その変動によって,被告における本件制度がいかなる影響を受けたのかが検討されなければならないというべきである。
5 信義則,公序良俗,消費者契約法10条に反しない。
原告らは,本件改廃規定を既受給者にする給付利率引下げの根拠規定と解する場合には,本件改廃規定は信義則,公序良俗又は消費者契約法10条(又はその趣旨)に反して無効であると主張する。
しかし,本件改廃規定は,「経済情勢もしくは社会保障制度に大幅な変動があった場合」という明確かつ限定的な要件のもと,改定の必要性と相当性とがある場合にのみこれを許すものと解釈するのであるから,信義則,公序良俗又は消費者契約法10条に違反するものではない。
6 本件利率改定の必要性
本件利率改定の必要性としては,まず,本件制度に関する被告の負担が年々増大していたこと,被告が未曾有の業績悪化という経済状態にあったことから,あらゆる局面において経費削減,負担の圧縮を図らざるを得なくなり,聖域なき改革が求められたことが挙げられる。また,本件給付利率の水準と世間一般の水準との乖離が大きくなり,その程度が,株主,現役従業員,関係取引先等の既受給者以外の利害関係人に対して説明可能なレベルを超え,社会的に容認されない水準まで達したと判断されたことも本件利率改定の要因である。上記の危機的な経済状態から脱却すべく,被告が様々な利害関係人に負担を迫っていたことからすれば,本件制度を既受給者についてのみ既得権益として保護することは,およそ是認されないと考えられたのである。とりわけ,本件福祉年金の既受給者と現役従業員との格差は看過できない程度に至っており,現役従業員との公平感の欠如は,被告の存続にとって重大な問題であった。その詳細は,以下のとおりである。
(1) 客観的な経済情勢,社会保障制度の変動,被告の経済状態,本件制度に与える影響
 ア 客観的な経済情勢の変動
市場金利,年金資産の運用利回りは,昭和60年以降,劇的に低下し続けている。
イ 社会保障制度の変動
近年,公的な社会保障制度が充実する一方で,規制緩和と法改正に伴って,予定利率や給付利率の引下げを行う厚生年金基金が続出し,解散に至るものも急増している。
ウ 被告の経済状態,本件制度に与える影響
上記のような低金利状況により,本件基本年金の利息相当分及び本件終身年金に関する被告及び現役従業員の負担が増大し,それが金額及び被告の純利益に占める割合の増加が顕著である。この間,被告の業績は悪化し,近年の落ち込みは激しい。他方で,公的な社会保障制度が次第に整備拡充されたのに伴い,本件制度からの受給金額の比重が年々低下してきている。
エ 本件制度の変質
本件制度は,その導入以来,既受給者において自ら退職金を運用するよりも有利な運用先としての機能を果たしていたが,昭和60年以降の経済情勢の劇的な変化に伴い,現実にはあり得ない運用益を,被告の企業活動で得られる利益(現役従業員の労務が生み出した利潤)により補填する制度へと変質し,しかもその補填幅は年々大きくなっている。このような状況下においては,本件制度は被告にとって経済的合理性を欠いた制度になってしまっている。
(2) 経済状態の改善のために被告の採った方策
前記のような経済状態の中で,被告は,雇用,賃金,退職金,年金等の各種制度の見直しを余儀なくされ,労使で壮絶な議論を重ねた。具体的には,地域限定社員制度の導入,特別ライフプラン支援の実施,全社特別緊急経営施策の実施,退職金制度・本件制度の抜本的見直し等を行った。
   (3) なお,「変動」の比較の基準時を,本件各契約締結時であるとか,平成8年の労使合意時であるというように特定する解釈は適切でないが,仮に,平成8年以降に限っても,以下のとおり,経済情勢の変動,社会保障制度の変動のいずれもが認められる。
    ア 経済情勢の変動
      平成8年以降の中国を中心とするアジア諸国の台頭は,製造原価の低い電気製品が市場に多数流通してきたことを意味し,電気製品の著しい価格下落の要因となった。これにより,平成12年以降,日本の電子工業生産額は極端に減少し,被告もこのような経済情勢の大幅な変動に飲み込まれた。また,グローバル競争も激化し,例えば,平成6年以降,韓国のサムスン電子と被告との力関係が劇的に変化し,その差は年々広がる一方である。
    イ 社会保障制度の変動
      平成9年には,厚生年金基金の規制緩和がされた。すなわち,それまで予定利率が5.5%と一律であったのを弾力化し,予定利率を基金が決定することが認められたほか,それまでほとんど不可能であった給付水準の変更も,労使合意と認可を経ることで可能となった。また,平成13年には確定給付企業年金法が成立し,キャッシュバランスプランが新設される等した。さらに,平成8年ころを境に,厚生年金基金の解散数が急増し,給付額を減額する基金も出ている。なお,本件利率改定後ではあるが,平成15年には,国民年金,厚生年金の給付水準について,初めてマイナス物価スライドが実施され,前年である平成14年との比較で,0.9%給付水準が引き下げられている。
   (4) 原告らの主張に対する反論
    ア 原告らは,平成13年度における被告の経済状態の悪化は,計画的な経営政策に基づく一時的要因によるものと主張するが,被告は,同年度,特別損失の計上以前に営業損益において約929億円もの赤字を出していた。そして,平成12年以降,構造改革を実施しなければ,被告の損益は,平成13年度のみならず,その後も現在に至るまで営業赤字が継続していたと想定される。
    イ 本件福祉年金の利息相当分を填補するために必要なのは現金であるところ,原告らが指摘する貸借対照表上の純資産額や利益剰余金は,実際にそのような金額の現金が被告にあることを意味しないから,これらの多寡を持ち出しても正しい財務状態の把握とはいえない。本件福祉年金の給付利率を維持するために被告が負わなければならない負担の程度は,その原資となるべき実質資金(現預金から社債,借入金,諸預り金を控除した,被告が実質的に使用することができる金融資産のことをいう。)との相関関係で検討すべきである。
      この点につき,被告の実質資金は,平成12年度には前年度の1168億円から966億円も減少して202億円となり,被告の規模の企業にとっては危機ラインというべき水準にまで低下していた。そして,平成13年度にはそこからさらに2341億円減少して2139億円ものマイナスを計上することになった。また,連結ベースでは,平成11年度以来マイナスが続く惨状であった。
      なお,付言するに,平成11年以降,被告の信用格付けは急激な下方トレンドにあった。例えば,スタンダード&プアーズによる格付けは,それが投資不適格とされるBB(ダブルB)以下になった場合には,基本的に社債発行が困難となり,少額の社債発行が可能な場合であっても相当な金利の上乗せが必要となるので,資金調達に深刻な影響を及ぼすところ,被告の格付けは平成14年に引き下げられ,被告が構造改革を断行し,収益力の回復を目に見える形で実践しなければ,格付けの下方トレンドに一層拍車がかかったものと想定された。
    ウ 原告らは,本件利率改定による経費削減効果のみを取り上げ,被告が巨大な企業であることとの単純な規模の比較を行い,ごく短期的な考察により,本件利率改定をしなかった場合とした場合との被告負担額の差額は,経費削減により十分吸収可能であるとして,本件利率改定の必要性を否定する。しかし,規模の大きさは,何ら経営危機と無縁であることを意味しないし,被告は聖域なき構造改革なくして生き残ることはできなかったのであるから,このような単純な規模の比較や短期的な考察は,本件利率改定の必要性の検討としては公正さを欠くというべきである。
    エ 原告らは,被告の業績はV字回復をしており,業績の悪化は一時的なものにすぎないと主張するが,前記のとおり,平成13年度ころの被告の業績悪化は単なる一過性のものではなく,被告の体質により慢性化したものであり,大幅な抜本的構造改革なくしては,株式会社としての存続自体が危ぶまれたのであるから,そのような評価は適切でない。例えば,近年,市場で重要視される経営指標であるROE(株主利益率)は,平成16年度実績でみても1.7%であって,上場企業(製造業)平均の8.5%を大きく下回っている。
7 本件利率改定の相当性
 (1) 内容的な相当性
本件利率改定による年金額の減少について,原告らを例に見てみると,平成14年9月時点で,年額にして約17万円ないし約19万円,月額にして約1万4000円ないし1万6000円であって,既受給者全員の平均値では,年額にして約16万円,月額にして約1万3000円である。他方で,公的年金による受給を含めた年金受給総額を見てみると,相当高額を維持しており,世帯の平均消費支出の統計,被告の労務構成表,賃金センサスと比較しても,既受給者は1か月あたり何ら遜色のない金額の年金の支給を受けており,特段生活上の困難を招来しないということができる。また,被告と並ぶ規模,類似業種の他企業における年金制度と比較すると,本件利率改定後においてもなお,本件制度をはじめとする被告の年金制度が,退職者にとって極めて有利なものであることは明らかである。
(2) 手続的な相当性
 ア 前記のとおり,被告は,平成14年4月から,被告社長名,副社長名などによる6通以上の書簡,全国35地区で行われた松愛会定期支部総会後の会社説明会,全国延べ81地区における事業場別説明会,フリーダイヤル設置による個別説明等を通じ,原告らを含む本件福祉年金の既受給者に対し,本件利率改定について説明し,理解を求めてきた。また,本件利率改定の直近の退職者に配慮して,本件経過措置を設けた。その結果,約1万7000人の既受給者のうち約95%の既受給者が本件利率改定に同意した。この点,民間企業の企業年金制度として広く導入されている厚生年金基金では,利率の変更など給付設計の変更にあたって,全既受給者の3分の2以上の同意を得ていることが認可基準の重要な要件の1つとされているところ,本件利率改定に対する既受給者の同意は3分の2をはるかに上回っている。
 イ 原告らは,就業規則の不利益変更においては,変更過程,具体的には労働組合との合意が重視されているところ,本件利率改定に際しては,既受給者には労働組合も利益代表者も存在しないから,本件利率改定は,手続的な相当性を欠いているかのように主張する。しかし,労働組合のない会社でも就業規則の不利益変更は当然に行い得るのであって,その場合には,会社が従業員集団の意向を汲み上げ,従業員が不利益変更に同意しているのか反対しているのかを検討すればよいとされている。本件において,被告は,上記のとおり既受給者の意向を汲み上げる努力を鋭意行っているのであり,その結果として95%もの同意を得たのであるから,相当な手続を踏んだものと評価することができる。
8 事情変更の原則による本件利率改定
事情変更の原則は,客観的にみて事情の変更が信義衡平上当事者を該契約によって拘束することが著しく不当である場合に認められるべきであるとされている(最高裁判所第二小法廷昭和29年2月12日判決・民集8巻2号448頁)。そして,その効果は,事情変更の原則が「元来正当に発生した法律関係につき後発的事情のために生じた不衡平な結果を排除することを目的とする規範であるから,第一次的にはなるべく当初の法律関係を存続させ,ただその効果につき内容の変更を主張する権利を認める程度にとどめ,これに対して相手方が拒絶する等この方法ではなお不衡平な結果を除去することができない場合に初めて第二次的に当初の法律関係全体を解除する権利等を認めてこれを解消させうるものと解すべき」(神戸地方裁判所伊丹支部昭和63年12月26日判決・判例時報1319号139頁等)とされている。
本件利率改定においては,前記のとおり,経済情勢,社会保障制度に関する事情の変更があり,少なくとも本件給付利率を2%引き下げるという本件利率改定の効果を認める程度の事情の変更があったと評価できるから,本件利率改定は事情変更の原則によっても,その正当性が認められるべきである。
 (原告らの主張)
  1 結論
    「契約は守られなければならない。」というのは,近代法の基本原則である。本件契約は,本件福祉年金の受給を希望する被告らの従業員が,退職に際し,退職金を年金原資として預入限度額の範囲内で預入額を決定し,それを被告が預かり,契約締結時に定まった給付利率で計算された金額を定額の年金の形式で一定期間支給することを内容とするものである。本件契約は,このように各原告と被告との間で個別に成立した契約であり,被告が主張するような「制度」への「加入」ではない。したがって,契約理論によれば,本件利率改定が許されるためには既受給者である各原告の個別の同意が必要であるところ,本件利率改定について各原告の個別の同意がないのであるから,本件利率改定により本件給付利率を改定することは許されない。本件利率改定に先立ち,被告が既受給者の個別同意を求め,当初の回答期間を延長してまで,既受給者の個別同意を得ようとしていたことからしても,本件改廃規定による本件利率改定が許されないことを被告自身が認識していたことは明らかである。
  2 本件規程は被告の事務処理上の内部準則にすぎず,本件契約の内容とはならない。
 本件規程は,約款や就業規則のように契約内容となりうる性格のものではなく,単に,被告が大量の福祉年金契約を統一的・画一的に処理するための内部準則にすぎない。これは,(1)本件規程の存在が周知されていなかったこと(本件規程の備置きの事実を従業員に対して周知せず,従業員に配布した印刷物類にも,本件規程の内容はもちろん,本件規程の存在を示す記載すらなかった。),(2)本件規程が本件契約締結に際し交付されていないこと,(3)本件規程の原本の一部が不存在であること,(4)本件規程の改定は,そのほとんどが被告のみの判断によってされていること,(5)改定結果の記録も,本件規程の原本に手書きがされたものもあるなど,杜撰であることから,明らかである。
  3 仮に,本件規程が一種の約款であるとしても,それが現実に本件契約の内容となるためには,以下のとおり,本件契約の締結に際し,受給申込者に対する個別の開示,告知が必要であるところ,本件では後記のとおり,受給申込者に対する個別の開示,告知はなかったのであるから,本件規程は本件契約の内容とはならない。
   (1) 意思主義の原則を貫徹するならば,約款が現実に契約内容となるためには,契約当事者の一方が相手方に約款を示し,相手方は当該約款の各条項の内容を逐一確認し,了解することが必要となるはずである。ところが,もともと約款は,不特定,多数人との契約を前提としたものであり,個別の条項に対する了解がなければ約款が契約内容になることはないと解するならば,現実には約款による取引を行うことができなくなってしまう。このような現実のもとで,意思主義の要請を満たしたうえで約款を契約内容とするためには,「約款を契約に組み入れる合意」(「約款に従う意思」と言い換えることもできる。)が必要であり,その合意を認めるためには,前提として,契約締結に際し,約款が契約当事者に対し,個別に開示,告知されていなければならないのである。
     被告は,本件契約が本来的には法律上の制度として運営されるべき社会保障給付を私的契約により提供する制度であること等を根拠として,本件契約が「制度」への「加入」に他ならないとし,制度運営上の規程である本件規程に従うとの意思を認めることができれば,本件規程が合理性を有する範囲で,本件規程は本件契約の内容となり,本件規程に従う意思を認めるには,本件規程の存在に対する認識可能性があり,かつ,本件規程へのアクセス可能性があれば足りると主張する。しかし,本件制度が公的社会保障制度を補完するものであるとしても,だからといって,本件制度運用の結果として被告と受給申込者との間で成立する本件契約が通常の契約と異なる契約であるという結論が導かれるわけではない。本件規程が現実に開示,告知されておらず,したがって,その存在も内容も知らされていないのであるから,本件規程の存在の認識可能性と本件規程へのアクセス可能性があるからといって,本件規程に従う意思が受給申込者にあるはずはない。
     また,被告は,本件規程の合理性は,その制定時,改定時の手続の相当性を重視して評価すべきであり,一般の契約などと比べると開示の持つ意味は遙かに軽く,加入希望者が内容を知り得る状態に置かれれば足りると解すべきであると主張する。しかし,本来,開示,告知の要件と合理性の要件とは別個のものであり,規程の制定及び改定の手続は合理性の要件を基礎づけるものにしかなり得ないはずである。
(2) 原告らは,本件契約締結に際し,本件規程の開示,告知を受けていない。原告らのうち,平成11年4月以降に退職した74名に対しては,退職にあたり,参考資料としての本件規程(乙22,以下「本件参考規程」という。)が配布されているが,本件参考規程には「参考」と記載されており,本件規程の原本と完全に同じものではなく,また,本件参考規程によっては各自の年金額の計算ができず,給付利率改定の処理もできないのであるから,本件参考規程は参考資料にとどまるもので,その配付をもって本件規程の配布と同等に扱うことは到底できないのはもちろんのこと,これをもって,上記原告らが本件規程に従う意思を有して本件契約を締結したものと解することもできない。
(3) 原告らの在職時に原告らに配布された印刷物類には,本件制度の概要や本件契約内容の基本的事項についての記載はあったが,本件規程の内容自体が記載されていたことはなく,本件規程の存在を示す記載もなかった。それは,各事業場において実施される退職予定者に対する説明会においても同様であり,その場で配布された「定年ご退職にあたって」と題するテキストには,本件福祉年金の年金額及び申込手続に関する記載がされているのみで,本件規程の存在を窺わせる記載はなかったのであるから,本件規程の存在について,原告らに認識可能性はなかった。また,本件規程の存在について認識可能性があったというためには,本件契約の申込みの誘引から申込みに至るまでの過程において,本件規程が存在し,本件規程に基づいて本件契約を締結するものであることを,被告において客観的かつ明白に示したといえる行為が必要であるが,そのような行為はなかった。なお,本件申込書には,「私は,貴社の福祉年金規程を了承の上,下記により福祉年金の受給を申し込みます。」との文言が記載されている。しかし,上記文言は不動文字として印刷されており,本件申込書の記載上,重要なものとしての位置づけは全くされておらず,指摘されて,そのような記載があったことに気づく程度である。また,前記のとおり,本件規程の周知も本件契約締結に際しての開示,告知もないもとでは,規程の了承という実態もなく,そうであるとすると,上記文言が予め印刷されていたからといって,退職予定者において本件契約の内容となる本件規程の存在の認識可能性があったということはできない。
(4) 本件規程の内容についてアクセス可能性があるというためには,少なくとも,本件規程がどこに保管されており,どのような手続を経ることによって本件規程の閲覧又は入手ができるのかが明示され,告知されていることが求められるというべきである。ところが,被告が原告らに対し,そのような明示,告知をしたことはないのであるから,原告らに,本件規程の内容についてのアクセス可能性はなかった。
   (5) 本件規程の制定時,改定時に労使協議がされて合意に達したのは,預入限度額,適用利率,支給期間等年金支給に関する基本的事項についてだけであって,本件改廃規定の制定,それを根拠に既受給者に対して支給期間中に本件給付利率の引下げがあり得ることなどが労使協議の対象になったことすらない。そのことは,労働組合が本件制度に関する到達点をまとめた文書に,本件規程の全文が掲載されず,支給に関する基本的事項のみが示されていることからも明らかである。このように,本件規程については,その合理性を担保するための手続的要件も履践されていないのであるから,この点からみても,本件規程が本件契約の内容となることはない。
  4 被告は,本件規程が就業規則と類似性を有すると主張するが,以下のとおり,本件規程が就業規則と類似性を有するとする根拠は全くない。
   (1) 就業規則が規律する雇用契約と,被告の主張によれば本件規程が規律するとされる本件契約との間には何ら類似性はない。労働契約においては,従業員は日々継続的に雇主に対して労務を提供し,雇主はこれに対する対価として従業員に対し賃金を支払うというのが基本的な関係であるのに対し,本件契約においては,既受給者の債務の履行は退職金の一部預入れで終了しており,あとは被告から既受給者に対して年金を支給する義務が継続的に残っているのみである。そして,契約関係の内容はもっぱら金銭のやりとりのみである。また,就業規則は,労働力の円滑かつ合理的活用を目的として,職場秩序を規律する職場規範であるのに対し,本件規程にそのような要素は全くない。
   (2) 就業規則は,労働基準法に明文の根拠を有しており,その作成・届出義務(89条),作成・変更についての意見聴取義務(90条),備付け等の周知義務(106条1項),義務違反に対する罰金(120条)など法律による規制が及んでいるのに対し,本件規程についてはこのような規制は一切ない。
   (3) 就業規則については使用者に周知義務が課されていて,判例(最高裁判所第二小法廷平成15年10月10日判決・判時1840号144頁)も,就業規則が拘束力を有するためには,その内容を適用を受ける事業場の労働者に周知させる手続が採られていることを要するとしており,周知の方法としては,労働基準法上,掲示,備付け,交付等とされている(106条1項)が,本件規程について,このような周知手続が採られた事実はない。
  5 本件改廃規定は,以下のとおり,既受給者の権利内容を変更することを予定した規程ではなく,したがって,本件改廃規定によって本件利率改定をすることはできない。
(1) 本件改廃規定の文言からすると,本件改廃規定は,既受給者との関係での本件契約の改定又は廃止を問題としているのではなく,将来の退職者との関係で本件規程自体の改定又は廃止を問題にしているに止まると解すべきである。すなわち,本件改廃規定は,規定の文言上,既受給者との関係で本件契約の内容を変更すること(給付利率の引下げを含む。)を予定しておらず,既受給者の給付利率を引き下げるための根拠規定たり得ないのである。
また,本件規程のうち,原本が現存する最新のものである平成12年4月1日改定のものを例にとれば,本件改廃規定は,附則として取り扱われている。附則とは,用語の示すとおり,本件規程の本文に付随するものにすぎないのであって,その形式に鑑みても,既受給者との関係で本件契約の内容を変更することを予定しているものと解することはできない。
(2) 本件福祉年金の未受給者(現役従業員)は,本件福祉年金について期待を有しているにすぎないから,未受給者(現役従業員)との関係で給付利率の引下げを行うことはもとより,本件制度の全般的な改定又は廃止を行うことにも何ら支障はない。しかし,既受給者との関係においては,本件規程の改廃を行ったとしても,本件契約内容の変更は許されない。すなわち,各原告の被告に対する年金請求権は支給総額を含め確定的に発生しており,その支払について履行期限が付されているにすぎないのであって,このような原告らに対し,本件規程の全般的な改定又は廃止によって,本件契約の内容の変更の効力を認めることは,契約法理に照らして不可能である。
(3) 本件改廃規定の文言からすると,支給期間途中に既受給者の同意なくして給付利率の引下げができることは何ら明らかではなく,その要件,効果も不明確である。このような不明確な規定によって,本件利率改定を行い,既受給者において既に発生している権利を消滅させることは許されない。
6 仮に,本件改廃規定が本件利率改定の根拠規定となり得るのであれば,支給期間中の本件給付利率の引下げは,本件契約の締結時に合意した給付利率を引き下げるという点で,契約法理の例外であり,既受給者にとっては一方的に不利益な規定ということになる。このように,既受給者にとって一方的に不利益な規定が本件契約の内容となるためには,単なる開示,告知では足りず,実質的,直接的な告知が必要と解すべきである。すなわち,約款が契約内容となるための要件としての開示,告知は,通常は,約款の交付で足り,個別条項の逐一の説明まで要求されているわけではない。しかし,一方的に不利益な条項がある場合に,その条項に何ら注意を喚起することなく契約を締結し,その後,当

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最終更新:2005年10月06日 15:47
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