H17.10.14 甲府地方裁判所 平成17年(ワ)第180号 損害賠償請求

判   決
主   文
1 被告は原告に対し113万4000円とこれに対する平成17年4月12日から支払いずみまで年5%の割合による金員を支払え。
2 原告のそのほかの請求を棄却する。
3 訴訟費用は20%を原告の80%を被告の負担とする。
4 この判決は第1項にかぎり仮執行をすることができる。
事実および理由
第1 請求
 被告は原告に対し141万7500円とこれに対する平成17年4月12日から支払いずみまで年5%の割合による金員を支払え。

第2 事案の概要
 1 基本的事実関係(当事者間に争いがないか,かっこ内の証拠等により認める)
 (1) 当事者
 原告は,建設コンサルタント,測量調査土木建築設計監理等を目的とする株式会社である。
 原告は,昭和53年にAが中心となって同族会社として設立した会社であり,その当時の代表取締役はAであった。現在の原告の代表取締役はBであり,AとBの間には原告の経営権をめぐって紛争が存在する。(甲5,乙7)
 被告は信用金庫である。

 (2) 普通預金口座の存在
 原告は,平成14年2月5日,被告北支店に普通預金口座を開設した(以下「本件口座」という)。原告はまた,同年6月10日,同支店に公共工事前払金専用の普通預金口座を開設した。いずれも開設の手続をしたのはBであり,通帳には「株式会社浅川工営代表取締役B様」と印字されている(甲1の1・2)。

 (3) 出金禁止
 平成16年2月23日,原告会長の肩書きのある名刺をもったAが,原告取締役の名刺をもったCとともに被告北支店を訪れ,原告において「株主の偽造」が発覚したなどとして,原告の普通預金口座からの払戻しを停止するよう要請した。Aが持参した同月16日付けの原告の株式会社登記履歴事項全部証明書の役員欄にはAでなくBが代表取締役と記載されていたが,北支店職員はAの申出に応じ,本件口座を出金禁止とした。なお,この出金禁止は,自動振替契約がされている公共料金等の出金やインターネットバンキングによる出金には及ばない。(甲7,乙1,2,3の1・2,4の1・2,16,弁論の全趣旨)
 Bは,3月1日,本件口座から払戻しをしようとしたができなかった。北支店職員に問い合わせ,Aの要請により出金禁止となったことを知った。

 (4) Aから被告へのはたらきかけ(乙5,6,弁論の全趣旨)
 AとCは,3月10日にも被告北支店を訪れ,役員欄に代表取締役A,取締役Cとの記載のある同日付けの原告の株式会社登記現在事項全部証明書を示して,原告の普通預金口座からの預金の払戻しを求めた。Aは3月15日にも北支店を訪れて同様の要請をした。北支店職員は,通帳と届出印の持参がないこと,原告に内部紛争が生じていることを理由にいずれもこれを拒絶した。

 (5) 仮処分決定(乙7)
 Bは,「Bは原告の議決権を有する唯一の株主であるが,Bの関与しないところで,平成16年2月23日に臨時株主総会,取締役会が開催されたことを前提に原告の株式会社登記簿の役員欄が変更された」などと主張して,原告を債権者,Aほか2名を債務者とする仮処分命令を甲府地方裁判所に申し立てた。Aとともに債務者とされたのはDとCであり,いずれもその当時原告の株式会社登記簿上取締役となっていた。その申立ての趣旨は,Aが原告の代表取締役の地位にないこと,DとCが原告の取締役の地位にないことを仮に定める,Aらは原告の代表取締役,取締役を称するなどして原告の業務を妨害してはならない,というものであった。
 甲府地方裁判所は,4月16日,原告の申立てをいずれも却下するとの決定をした。

 (6) 入金禁止(乙7,弁論の全趣旨)
 Aは,甲府地方裁判所の仮処分決定が出た後の4月19日,被告北支店を訪れ,仮処分決定正本を示して,原告の代表者をAに変更する手続をするよう求めた。被告は,検討の結果,同月22日,Aを原告の正当な代表者とあつかうものとし,ただ当面預金取引は新しい口座を開設して行い,既存口座の代表者変更手続については仮処分決定の抗告審の結果にしたがうこととして,それまでの間,既存口座の入出金を禁止することを決め,ただちに実行した。

 (7) 本件口座への振込みと返金(甲2,乙14の2,15の1)
 山梨県は,4月27日,同県富士北麓・東部振興局大月林務環境部から原告に対する測量設計業務委託料の支払いとして,141万7500円を本件口座に振り込んだ(仕向銀行は山梨中央銀行)(以下「本件振込金」という)。被告は,本件口座につき入金禁止の措置をとっていたため,本件振込金をいったん別段預金口座に入金したが,同日中に仕向銀行である山梨中央銀行に返却した。

 (8) 供託とAへの払渡し(甲3,4)
 山梨県(富士北麓・東部振興局)は,4月30日,「原告に対して141万7500円を弁済しようとしたが,指定口座であった本件口座が原告の都合により入金不能となっており,原告はこれを受領することができない」として,甲府地方法務局に対し,原告を被供託者として141万7500円を弁済供託した(以下この供託金を「本件供託金」という)。同地方法務局は同日,原告に宛てて供託通知書を発送し,Bはまもなくこれを受領した。
 Aは,本件振込金が返却された顛末を被告職員から聞き,5月6日,甲府地方法務局を訪れ,原告の代表取締役として本件供託金の還付請求をした。ただし,Aは供託通知書を入手できなかったので,「供託通知書が紛失したため添付することができない」と虚偽の申告をし,供託規則22条2項7号,30条の定める催告払い(※)によることを請求した。同地方法務局では,催告払いの手続をとったうえ,同月24日,本件供託金を原告代表取締役としてのAに払い渡した。

※ 供託規則30条の定める催告払いの手続は次のとおりである。
  供託官は,利害関係人に対し,供託物の払渡しに異議があればその理由を記載した異議申立書を一定期間内に提出すべきことを通知する。ただし,利害関係人が知れないときまたは利害関係人に対して通知をすることができないときは,通知に代えて,そのことを公告する。
  供託官は,異議申立書の提出がないときまたは異議の申立てを理由がないと認めるときは,供託物の払渡しの手続をする。

 (9) 仮処分決定に対する抗告とその結果(甲5,6,14,19,弁論の全趣旨)
 Bは甲府地方裁判所の仮処分却下決定に対して原告として抗告するとともに,申立ての趣旨を追加,特定した。
 抗告を受けた東京高等裁判所は,10月13日,次のとおり決定した(原文どおり)。

1 原決定を取り消す。
2 本案確定に至るまで,次のとおり仮に定める。
 (1) 申立外Bが抗告人の代表取締役の地位にあること
 (2) 申立外B及び同Eが抗告人の取締役の地位にあること
 (3) 相手方Aが抗告人の代表取締役の地位にないこと
 (4) 相手方A及び同Dが抗告人の取締役の地位にないこと
 (5) 相手方Cが,平成16年2月23日に開催されたとされる臨時株主総会において,取締役に選任されたことによる抗告人の取締役の地位にないこと
3 相手方らは,抗告人の代表取締役や取締役を称するなどして,抗告人の業務を妨害してはならない。
4 申立費用は,原審,抗告審とも相手方らの負担とする。

 Aらはこれを不服として特別抗告をしたが,最高裁判所は12月13日,抗告を棄却する決定をした。
 Bは,10月13日,甲府地方法務局に対し,抗告審決定のとおりに原告の株式会社登記簿の役員欄の抹消登記をすること(※)を申請し,同地方法務局登記官は同月18日,そのとおりの登記をした。

※ 正確にいうと,平成16年2月26日に登記された下記の就任登記の抹消と下記の退任登記の抹消
  取締役C,A,D
   代表取締役A
  取締役B,E,C
   代表取締役B

 2 原告の主張
 原告は被告に対し,債務不履行または不法行為に基づき,141万7500円の損害賠償とこれに対する訴状送達の翌日である平成17年4月12日から支払いずみまで民法所定の年5%の割合による遅延損害金の支払いを求める。この請求の根拠としては次のことがあげられる。
  被告北支店の職員は,平成16年2月23日,原告の金融情報(被告北支店に原告の普通預金口座が開設されていること,その口座番号と残高,原告のすべての売掛金はこの口座に入金されることなど)をAに漏らした。被告の協力を得たAは,原告の金銭をだましとるという目的で同月26日に原告の株式会社登記簿役員欄を改変した。被告はさらに,本件振込金をAが取得できるようにするため,本件口座に入金禁止措置をとったという理由でこれを仕向銀行に返却した。その結果Aは本件供託金の払渡しを受けた。
  本件振込金は平成16年4月27日に原告の預金として有効に成立している。
  被告は,本件振込金の振込みがあったこと,これを仕向銀行に返却したことを,Aには伝えたがBには伝えなかった。
 ④ 被告は,本件口座を出金禁止,入金禁止にしたことをBに通知しなかった。
  被告の主張する事実関係を前提にしても,本件口座を出金禁止にするだけならまだしも,入金禁止にする理由はない。
  平成16年5月当時,原告の株式会社登記簿上はAが代表取締役でBは取締役ですらなかったから,Bには,Aが本件供託金の払渡しを受けるのを阻止する手段がなく,原告には過失がない。

 3 被告の主張
 (1) 入出金禁止措置についての正当な事由の存在
 ア 被告が本件口座に入出金禁止の措置をとった平成16年4月22日当時,以下の事実があった。
  原告の株式会社登記簿上はAが代表取締役とされており,被告はこれを了知していた。
  平成16年3月22日,被告北支店の原告の前払金専用口座に,山梨県(峡北地域振興局)から341万円の振込みがあった。被告は,事前に通知を受けていたため,前払金保証をしていた東日本建設業保証株式会社とあらかじめ協議し,さらに同社とBが協議した結果,振込みがあった後ただちにBが払戻しを受け,これを同社に振り込むという手続をとることにした。そして,3月22日,Bはこのとおりの手続をし,この振込金について実質的な組戻しが行われた。したがって,B自身,原告の代表者の地位をめぐる紛争中に原告口座への振込みがある場合,被告北支店に入金される以前の段階で支払元との話しあいにより処理すべきであること,少なくとも紛争発生前のように当然には入出金ができない状況にあることを認識していた。
  平成16年4月16日,甲府地方裁判所はBが原告としてした仮処分命令の申立てを却下し,同月19日に被告はこれを了知した。
 ④ Aは従前から被告に対し本件口座からの払戻しを要求していた。
 イ 甲府地裁の仮処分却下決定が出たことにより,本件口座が真に原告の口座であるという前提は崩れており,客観的にはこれが「原告ことB」個人の口座になっている可能性もあった。一方,本件振込金が法人としての原告に宛てられたものであることは従前の経緯や為替発信票から明らかであった。この場合,被告が漫然と本件口座への入金を許し,Bからの払戻請求に応じれば,その後Aを代表取締役とする原告からも請求を受け,二重の支払いを強いられる危険がある。このような二重払いの危険から自己防衛をするための手段のひとつとして,金融機関である被告は,信義則上,本件口座に入出金禁止の措置をとり,まずもって預金債権を成立させないようにすることができる。これは,普通預金契約約款11(2)の事由のうち「(この)預金口座
の名義人の意思によらずに開設されたことが明らかになった場合」に準じるものとして理由づけることができる(※)。

※ 本件口座の預金取引に適用される普通預金契約約款(乙8)11(2)は次のとおり定めている。「次の各号の一にでも該当した場合には,当金庫はこの預金取引を停止しまたは預金者に通知することによりこの預金口座を解約することができるものとします。(中略) この預金口座の名義人が存在しないことが明らかになった場合または預金口座の名義人の意思によらずに開設されたことが明らかになった場合」

 さらに,振込取引において,被仕向銀行たる被告は,委任契約の受任者として,委任者たる仕向銀行に対し,善良な管理者の注意をもって振込事務を処理する義務を負っている。仕向銀行およびこれに振込を委託した依頼人の意思が法人たる原告に本件振込金を交付することであることが明らかな以上,被告が上記各事情を認識しながら漫然とこれを本件口座に入金し,Bからの払戻請求に応じることは,この善管注意義務に違反する。入出金禁止の措置はこの善管注意義務に基づくものである。
 ウ 以上のとおり,被告のした入出金禁止の措置は正当であり,被告は原告に対して損害賠償義務を負わない。

 (2) 仕向銀行の追認による組戻し
 被告は本件振込金を直接Aに交付しておらず,Aの口座に入金してもいない。仕向銀行に返却したのであり,仕向銀行および振込依頼人である山梨県も,あらためて被告に資金の受入れを求めることなく,その返却を受けた。したがって仕向銀行の追認による組戻しが成立したと評価することができる。山梨県の供託の理由も「被供託者の都合により入金不能となって(いる)」ということであり,被告の入出金措置を問題にするものではない。

 (3) 因果関係の不存在または過失相殺
 Bは,本件供託金の存在を知りながら,20日あまりの間何の手段も講じずいたずらにAへの払渡しを許し,みずから原告の損害を招いた。万一被告のあつかいに過失があったとしても,これと原告の損害との間には因果関係がない。少なくとも相当程度の過失相殺をすべきである。

第3 当裁判所の判断
 1 前提となる事実
 法律上の問題を検討するに先立ち,当裁判所は以下の事実を前提事実として認定する(基本的事実関係として摘示した事実のほか,かっこ内の証拠等による)。

 (1) 原告の内部事情
 ア Bは,平成13年11月までに原告の株主となり,以後,原告の議決権を有する唯一の株主かつ代表取締役として原告の経営にあたってきている(甲5,乙2)。
 イ 平成16年2月23日当時,原告の取締役はB,E,Cの3人であり,代表取締役はBのみであった(甲5,乙2)。
 ウ Aは,平成16年2月23日に原告の臨時株主総会と取締役会が開催され,B,E,Cが取締役を退任し,A,D,Cが新たに取締役に選任され,Aが代表取締役に選任されたとする書類をBに無断で作成し,これを使って登記申請をした。その結果,同月26日,この書類どおりに原告の株式会社登記簿役員欄が変更された。(甲5,乙2,5)
 エ Bは3月1日以降このことを知り,甲府地裁に対して原告を債権者として仮処分命令を申し立てた。甲府地裁は申立てを却下したが,抗告審である東京高裁は10月13日,Bの言い分を全面的に採用して申立てを認容する決定をした。
 オ Bは同日この決定を添付して登記抹消申請をし,2月26日にされた原告の株式会社登記簿役員欄の登記は抹消された。

 (2) 本件口座の帰属
 本件口座は,平成14年2月,原告の代表取締役であるBが原告のために開設した口座であり,普通預金契約は原告と被告の間で成立しており,この口座の預金債権は原告に帰属する。

 (3) 被告の認識
 ア 被告北支店職員は,平成16年2月23日,原告の経営権をめぐってBとAの間に紛争が存在することを知った。
 イ Bは,3月1日,本件口座が出金禁止となったことを被告北支店職員から説明されると,これに対し,Aがした登記は不実の登記であり,近いうちに甲府地裁に仮処分命令の申立てをするので,被告がAの利益を図り原告に損害を与えた場合は被告を訴えるという趣旨の話をした(争いがない)。
 ウ 被告北支店職員は,本件口座の通帳と届出印を所持しこれを管理しているのはBであると認識していた。しかし,入金禁止の措置をとったことをBには伝えなかった。(弁論の全趣旨)
 エ 4月27日に本件振込金が着金した後,被告北支店職員はただちにAに連絡し,新口座を開設して振込先をそちらに変更する手続をとるよう伝えた。Aからは,山梨県は従前の指定口座以外の口座には振り込めないとの返答があった。同支店のF支店長は,山梨県土木総務課に電話してそのことを確認した後,本件振込金を仕向銀行である山梨中央銀行に返却した。山梨県富士北麓・東部振興局大月林務環境部の職員から入金不能の理由につき問い合わせの電話があったため,F支店長は経緯を説明した。(弁論の全趣旨)
 翌28日,山梨県出納局職員から被告北支店に電話があり,県としては,供託をするか戻入事故繰越により処理するとのことだった。以後県からの連絡はなかった。(弁論の全趣旨)
 被告北支店職員は,本件振込金を返却したことをAには伝えたがBには伝えなかった(弁論の全趣旨)。

 2 被告の債務不履行について
 (1)「入出金禁止」の意味
 原告が問題とするのは被告が本件振込金を本件口座に入金しなかったことである。本件口座の預金取引に適用される普通預金契約約款3(1)は,「この預金口座には,為替による振込金を受入れます」と定めている(乙8)。一方,同約款11は,被告が「預金取引を停止(すること)」ができる場合を定めている。ここに「預金取引の停止」とは,被告が普通預金契約上の諸債務の履行から一時的に解放されることをいうものと解される。普通預金契約は,金銭消費寄託を中心とする役務の提供を目的とする期間の定めのない継続的契約であり,この契約に基づく個別取引(預入れ,証券類の取立てなど)を行うための枠組みを設定する「枠契約」とみることができるから,「取引停止」も,枠契約としての普通預金契約上の債務についての停止と,すでに発
生した普通預金債権の弁済の停止に分けて考えることができる。前者を「口座利用の停止」,後者を「払戻しの停止」と呼ぶことにする(以上につき中田裕康「銀行による普通預金の取引停止・口座解約」金融法務事情1746号16頁参照)。本件において被告のいう出金禁止は「払戻しの停止」に,入出金禁止は「口座利用の停止」に該当するということができ,本件で問題となるのは,払戻しの停止ではなく口座利用の停止である。
 被告の主張は,本件では約款11(2)の「(この)預金口座の名義人の意思によらずに開設されたことが明らかになった場合」に準じる事由が存在するから,口座利用の停止をする要件がそなわっており,本件振込金を本件口座に入金しなくても債務不履行にはならないというものである。普通預金口座が各種取引に利用されていることからすると,口座利用の停止がその預金者に重大な経済的不利益を生じさせることは十分考えられるのであり,これを発動するためには,約款11(2)に明確に該当する事由か,これに準じるやむをえない事由が存在することが必要であると解すべきである。以下,この観点から検討する。

 (2) 口座利用を停止する理由の有無
 平成16年4月22日に被告が本件口座の口座利用を停止した際,被告は, 原告の株式会社登記簿上Aが代表取締役となっておりBは取締役にすらなっていないこと, Bが原告を債権者として申し立てた仮処分命令の申立てが甲府地裁で却下されたことを知っていた。被告の主張の根拠はおもにこの2点にあると解される。しかし,基本的事実関係として摘示した事実と上記1の事実によれば次のことを指摘することができる。
 本件口座はBが原告のために開設したものであり,その管理もずっとBが行ってきた。そして,平成16年2月23日にAが持参した原告の株式会社登記履歴事項全部証明書でも,原告の代表取締役はBであった。したがって,少なくとも平成16年2月以前の段階では,本件口座が法人としての原告に帰属することに疑いを抱く事情はなかったのである。Aはこれを全面的に否定する主張をしたかもしれないが,一方,Bも,3月1日,被告職員に対して自己の立場の正当性を主張し,仮処分等の法的手段によってその主張を貫くことを宣言していたのであり,それまでの預金取引の実績も考慮すれば,Bの主張を軽くあつかうことはできなかったというべきである。Aはその後役員欄が変更された株式会社登記現在事項全部証明書を被告に示しているが,
登記が真実を反映しない場合のあることは被告も承知していたはずである。したがって,Aが代表取締役となった登記が存在するということだけでは,Aの主張の正当性を認めるには不十分である。ましてや,本件口座がその開設当初から法人としての原告に帰属しないものだったと断定することはとうていできない。むしろ,上に述べたような事情によれば,本件口座は真に原告の口座として開設されたが,その後BとAの間で紛争が生じたと考えるのが自然である。そうであれば,それは原告の内部で紛争が生じたというにすぎず,これを「(この)預金口座の名義人の意思によらずに開設されたことが明らかになった場合」に準じるものと評価することはできない。
 甲府地裁が仮処分命令の申立てを却下したことは,たしかにBの立場を弱めるものであったが,地裁の決定ですべてが決まるのではなく抗告審の審理の結果これがくつがえされる可能性があることは被告も当然承知すべきことである。したがって,甲府地裁の仮処分却下決定の存在も,本件口座が法人としての原告に帰属するか否かを判断する決め手にはならない。
 被告は二重払いの危険を指摘するが,二重払いの危険を避けるためには払戻しの停止をすれば足りる。口座利用の停止までする必要はない。被告の主張の真意は,いったん本件振込金が本件口座に入金されてしまえば,払戻しを停止しているため,BもAも払戻しをすることができず,その結果,原告の正当な代表取締役であると主張するAから被告が非難される危険がある,ということなのかもしれない。しかし,本件口座が山梨県からの支払いの振込口座に指定されたのは原告側の事情であり,BとAの間で紛争が生じたのも原告側の事情である。本件振込金を本件口座に入金したことをもって被告が原告を名乗る者から非難されるいわれはない。被告の主張する二重払いの危険によって口座利用の停止を正当化することはできない。

 (3) 被告のその他の主張について
 被告の主張するその他の正当化事由については次のとおり判断する。
 被告は,Bは平成16年3月の段階でAとの紛争発生前のように当然には本件口座に入出金できない状況にあることを認識していたと主張するが,3月当時はまだ口座利用の停止までは行われていなかったのであり,Bがそのことを知ったということもないから,この主張は理由がない。
 被告は,仕向銀行に対する善管注意義務からも本件振込金を本件口座に入金しなかったことを正当化できると主張するが,振込取引における被告の義務をいうならば,依頼どおりの口座に入金するのがその中心的な義務というべきだから,この主張も理由がない。
 被告はまた,本件振込金については仕向銀行の追認により組戻しが成立したと評価できることをもって原告に対する義務違反はないとも主張する。たしかに仕向銀行との間で被告の行為が不当と評価されることはないかもしれないが,本件で問題となっているのは原告と被告の間の預金契約上の義務であり,仕向銀行との関係とは異なるから,この被告の主張も理由がない。

 (4) まとめ
 上に述べたところによれば,本件において約款11(2)に明確に該当する事由が存在しないことは明らかであるし,これに準じるやむをえない事由があったということもできない。被告が本件口座について口座利用を停止し,本件振込金を本件口座に入金しなかったことを正当化することはできない。したがって被告が本件振込金を本件口座に入金せずに返却したことは原告に対する債務不履行になる。

 3 損害と過失相殺
 (1) 損害
 Aは,原告の真の代表取締役であるBに無断で,原告を名乗って本件供託金の払渡しを受けた。その結果,原告は,本来取得できたはずの本件供託金を取得することができなくなり,この金額に相当する損害を被った。
 山梨県が弁済供託をしたのは,被告が本件振込金を返却したためである。この山梨県のとった行動は,債務を弁済しようとする者の行動として通常ありうる行動であり,被告はこのことを当然予測することができた。また,被告は,それまでのAとのやりとりの中で,Aが本件振込金を取得したいという希望を有していたことを承知していたはずであり,本件振込金を返却した場合,Aがそれを取得するための行動にでるであろうことも当然予測できた。したがって,原告に生じた損害は被告が予見することができたものであるから,被告は債務不履行に基づきこの損害を賠償する義務を負う。

 (2) 過失相殺
 Bの行動については,以下の点を指摘することができる(上記認定事実のほか,原告代表者Bの尋問結果により認める)。
 ア Bは,平成16年4月22日すぎ頃,山梨県(富士北麓・東部振興局)からの通知により,山梨県から本件口座に対して本件振込金が振り込まれることを知った。
 イ Bは,そのときまでに,Aが2月下旬以降被告北支店に対して預金払戻要求をするなど本件口座に入金される資金を取得しようとして種々画策していること,原告の株式会社登記簿が勝手に変更されたこと,原告を債権者とする仮処分命令の申立てが甲府地裁で却下されたことを知っていたが,本件振込金について被告北支店に対し何らかの行動を起こすことはしなかった。
 ウ Bは,5月初め,供託通知書を受領し,山梨県が甲府地方法務局に本件供託金を弁済供託したことを知ったが,同地方法務局に対して何らかの行動を起こすことはしなかった。
 もし,Bが,4月22日の直後に被告北支店を訪れていれば,被告が本件口座について口座利用の停止をしたことを知ることができたのだから,すぐに山梨県(富士北麓・東部振興局)に対してはたらきかけをするなどして,本件振込金の返却,その後の弁済供託という事態にいたることを防止できた可能性がある。また,Aは供託通知書を入手することができなかったため,本件供託金の還付請求をするに際し,催告払いの請求をし,同地方法務局はこれに応じて催告払いの手続をしている。そのため,Aが還付請求をしたのは5月6日であるのに,実際に払渡しがされたのは同月24日になったのである。もし,Bが同地方法務局に出頭し,供託通知書を示して,仮処分の手続をしていることなどの事情を説明していれば,Bは利害関係人としてあつかわ
れ,催告払いの手続において異議申立書を提出することができたはずである。そうすれば,本件供託金がAに払い渡されることはなかったであろう。このような事情を前提にすると,損害の発生についてはBの側にも落ち度があったといわざるをえず,Bは原告の代表取締役であるから,このBの落ち度は原告の過失と評価される。
 一方,被告は,本件口座の管理をBがしていることを知りながら,本件口座について口座利用の停止をしたことも,本件振込金を返却したことも,すぐにはBに伝えなかった。被告がこれらを伝えていれば,Bの行動もまた違ったものになった可能性がある。
 これらの事情を総合的に考慮し,原告に生じた損害について20%の過失相殺をする。

 (3) まとめ
 被告の債務不履行により原告には141万7500円の損害が発生した。これに20%の過失相殺をすると113万4000円である。原告は被告に対し債務不履行に基づきこの金額とこれに対する請求(訴状送達)の翌日である平成17年4月12日から支払いずみまで民法所定の年5%の割合による遅延損害金を請求することができる。原告の請求はこの限度で理由がある。

   甲府地方裁判所民事部

 裁判官  倉 地 康 弘

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最終更新:2005年10月25日 14:50
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