hanrei @Wiki H17.10.14 東京地方裁判所 平成15年(ワ)第23416号 損害賠償請求事件



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耳鼻咽喉科に通院していた原告が、約1年間通院を中断していた間に喉頭癌が発症したことにつき、通院中断前の医師の検査義務違反又は説明義務違反等を主張してした損害賠償請求が棄却された事例



平成17年10月14日判決言渡
平成15年(ワ)第23416号損害賠償請求事件
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求の趣旨
 被告は、原告に対し、金3343万9110円及びこれに対する平成15年10月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
 本件は、原告が、平成13年1月25日から同年5月24日まで5回にわたり声枯れ(嗄声)を主訴として被告が開設する病院を受診していた後、一旦受診を中止し、その約1年後である平成14年6月6日に再び同病院を受診し、同病院及び都立A病院における検査の結果、喉頭癌を発症していたことが認められたところ、当初5回の受診時の担当医師が生検等の検査をせず、若しくは検査のための転院指示を怠った過失又は同担当医師が原告に対して十分な説明を怠った過失により癌の発見が遅れたと主張して、被告に対し、債務不履行又は不法行為に基づき、金3343万9110円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成15年10月25日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
1 争いのない事実及び証拠によって容易に認められる前提事実等
(1) 当事者等
ア 原告は、昭和6年生まれの男性である(争いのない事実)。
イ 被告は、その従たる事務所としての支部B会を東京都港区a,b丁目c番d号に置き、B会は、東京都墨田区e,f丁目g番h号において、B会C病院(以下「被告病院」という。)を開設している(争いのない事実)。
ウ D医師(本件当時はE姓を名乗っていた。)は、本件当時、B会F病院耳鼻咽喉科に勤務しており、毎週1回被告病院において耳鼻咽喉科の外来診察を担当していた医師であり、被告病院耳鼻咽喉科における原告の全ての診察に携わったものである(争いのない事実、乙A4、証人D)。
(2) 原告は、平成13年1月25日、嗄声を主訴として被告病院耳鼻咽喉科を受診してD医師の診察を受け、以後平成13年の間に、2月1日、同月15日、3月15日、5月24日の5回被告病院耳鼻咽喉科を受診した(争いのない事実)。
(3) 原告は、平成14年6月6日、再び被告病院耳鼻咽喉科を受診してD医師の診察を受け、同月20日、精査目的で都立A病院の紹介を受けた。
 原告は、同月26日、都立A病院を受診し、同年7月15日、生検を実施するための検査入院をし、それらの検査結果から、原告は喉頭癌であるとの確定診断がなされた(争いのない事実)。
2 争点
(1) 検査義務ないし転院義務違反の有無
(2) 説明義務違反の有無
(3) 損害論(判断の必要がなかった)
3 争点についての当事者の主張
(1) 争点(1)(検査義務ないし転院義務違反の有無)について
(原告の主張)
ア 原告の被告病院耳鼻咽喉科の受診経過に照らして、平成13年1月25日の段階では、その嗄声の程度は著しくひどかったことが明らかである。被告病院においては、風邪等の別の原因が考えられない場合の嗄声については、喉頭癌(声門癌)を直ちに疑い、喉頭内視鏡検査、喉頭ストロボスコピーを実施し、悪性腫瘍が疑われるようなときには組織検査(生検検査・実際に腫瘍を採取し検査する方法)をする義務がある。
イ しかし、被告は、平成13年1月25日から同年5月24日までの段階で、5回にもわたり原告を診察し、かつ、原告が一貫して嗄声を訴えているのであるから、喉頭癌を疑うべきであるし、喉頭腫瘍を疑っていたならば上記アの検査を早期に実施し、喉頭癌か否かの確定診断をすべき義務があったところ、その義務を怠った。
 また、被告病院において上記検査ができないのなら、検査施設がある病院への転院をさせるべきであったが、被告はこれらを怠った。
(被告の主張)
 D医師は、平成13年の段階では原告について直ちに生検を行う必要はないが、医師による経過観察は必要であると判断した。同判断は、次のアないしキの事情を総合すると、適切な判断である。
ア 喉頭癌の罹患年齢は60歳代にピークが見られ、男性が女性の10倍多く見られる。喉頭癌の発癌には長年の喫煙が深く関与していることは疫学的に明らかにされており、喫煙歴のある人が喉頭癌になる確率はかなり高く、吸っていない人はほとんどならないと言っていいぐらいである。
イ 風邪などの急性上気道炎では声帯の発赤や腫脹は左右同等になることがほとんどであるが、原告の声帯発赤は右側のみに見られた。
ウ 平成13年1月25日及び同年2月1日の診察時に炎症止めを処方し、同年1月25日にはネブライザーも行ったところ、同年2月15日の診察において、原告の右声帯発赤の軽減が確認されたが(乙A1・6頁、同年2月15日の項の図-赤色が薄く塗られている)、次の同年3月15日の診察では再び平成13年1月25日及び同年2月1日と同程度の右声帯発赤が見られるようになり、同年5月24日にも同様の状態が継続していた。
エ 原告の喉頭の状態は、平成13年段階の各診察日を通して、いわゆる白板病変(乙B7・137頁上部写真c)や声帯麻痺などの病変は全く認められず、右声帯に発赤が見られるのみであった。
オ 声帯から生検を行うとどうしても声帯に傷がつき、結果的に良性であったとしても生検の後遺症として嗄声が長く残ってしまうことが懸念されることから、生検はある程度癌の疑いが濃くなった時点で行うものである。
カ 前癌状態に移行した時に患者本人に痛みなどの自覚症状が新たに生じることはなく、結局医師が見なければ状態の悪化は分からないものである。
キ 経過観察の基本は視診であり(甲B2-「まず視診により評価されます。」「喉頭癌が疑われると・・・組織診断(生検)をします。」との記載)、D医師が喉頭ファイバー又は間接喉頭鏡を用いて喉頭を視診する方法により経過観察を継続したこともまた適切であった。
(2) 争点(2)(説明義務違反の有無)について
(原告の主張)
ア 原告については、平成13年1月から同年5月までの間、嗄声が消えず、平成14年6月の段階で喉頭癌であったことは、当事者間に争いがない。これらのことからすると、都立A病院のG医師が指摘しているように、原告には平成13年5月段階で喉頭癌が存在したものと推定できる。そうすると、被告には、そのころ原告に対し、「喉頭癌の疑いがあること」、「近い将来声帯から生検する必要があるかもしれないこと」を明確に説明すべき義務があった。
イ しかし、被告は、原告に対し、全くそうした説明はせず、「老人性の声枯れでしょう」などと説明しているのであるから、診療契約上の説明義務違反は明らかである。被告は、「悪い病気の可能性がある」と告知したなどとも主張するが、仮にその主張に沿ったとしても、上記アに指摘した説明義務は全く履行されていない。原告の場合、癌である。癌は生死に関わる病気である。癌が問題になっている事案において、単に「悪い病気の可能性がある」などという説明では、その病の重大性が患者である原告に伝わるはずがない。
ウ なお、原告は、D医師から「老人性の声枯れでしょう」という説明しか受けていない。というのは、もともと、原告は、被告病院耳鼻咽喉科以外の診療科への診察、親族の被告病院への付き添いなど、被告病院への通院は頻繁に行っており、その中で耳鼻咽喉科だけは、平成13年6月以降、通院していない。この事実は、何よりもD医師が原告に対し明確な説明をしなかったことの証左なのであって(もし、原告への説明がなされていれば、原告は間違いなく被告病院耳鼻咽喉科に通院している)、上記アに指摘する説明義務の履行がなされていないのはもちろんのこと、「悪い病気の可能性がある」という説明すらしていない。
(被告の主張)
ア D医師は、原告に対して、平成13年1月25日、「声帯といって、声を出すところがあるんだけれども、そこの右側が赤くなってる」、「たぶん炎症によるものだとは思うけれども、喫煙歴もあるし、右だけ赤いっていうのもちょっと気になるので、悪いものの可能性もあるから、まず炎症どめのお薬を飲んで経過を見ましょう」と説明し、次は1週間後に来なさいと指示した。
 同年2月1日は、「1週間お薬を飲んでもらったけれども、やっぱり右の声帯は赤い」、「なので、前回とかわらず、経過を見たほうがいい」と説明し、次は2週間後に来院するようにと指示した。
 同年2月15日は、「声帯の発赤はお薬を3週間飲んでよくなってる」、「声帯のやせがあって、すき間ができているので、声枯れはそれによるものだろう」「ただし、声帯が片方だけ赤かったということは、声とは関係なく変わりないことなので、経過を見ないといけないですね」と説明し、次は1ヶ月後に来なさいと指示した。
 同年3月15日は、「また声帯が赤くなっている」、「ただ、最初から比べて悪くはなっていない。で、やっぱりお薬やめると赤くなってしまうので、引き続き悪いものの可能性を考えて経過を見ないといけないですね」と説明し、次は2ヶ月後に来なさいと指示した。
 同年5月24日は、「お薬なしで2ヶ月経過を見たわけだけれども、特に変化はない」、「ただ、右の声帯は赤い。なので、今後も、これからも悪いものの可能性を考えて、定期的に経過を見たほうがいい」と説明し、次は2ヶ月後に来なさいと指示した。
 以上の通り、D医師は原告に対し、右声帯が赤くなっていること、悪いものの可能性があり通院の必要性があることを説明し、次に来院すべき日を必ず指定しており、適切に説明義務を履行していた。
イ 原告は、D医師の説明を受けて、老人性のものとされた嗄声の他に何らかの通院を継続しなければならない理由があることを認識し、そのためにD医師の来院指示に従って通院を続けたものであり、D医師の説明は十分なものであった。
(3) 争点(3)(損害論)について
(原告の主張)
ア 都立A病院の治療費
20万0910円
イ 同病院での入院雑費(平成14年7月15日から同月24日)
1万5000円
ウ 通院交通費
22万3200円
エ 慰謝料
3000万円
 被告の過失により原告の喉頭癌の発見が遅れ、現在も再発の可能性が否定できない状態である。また、発見の遅れによって現在もなお治療継続状態になるとともに、再発した場合の治療方法も大幅に限定された。これらの精神的損害は、どう少なく見積もっても、金3000万円は下らない。
オ 弁護士費用
300万円
カ 合計
3343万9110円
(被告の主張)
 争う。
 原告は、都立A病院において放射線治療及び抗癌剤の投与を受け、これらの治療によって原告の喉頭癌は治癒した。したがって、原告には何らの損害も生じていない。
第3 当裁判所の判断
1 事実認定
(1) 被告病院における診療経過等
 被告病院における診療経過については、各項目掲記の証拠(証拠に付記した〔〕内の数字は、当該証拠の頁数を示す。)並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められ、これに反する原告の陳述(甲A2、原告本人)は、下記ケで詳述するとおり採用できない。
ア 平成13年における被告病院耳鼻咽喉科受診の経緯
 原告は、平成2年ころ、難聴のため、被告病院耳鼻咽喉科を受診して治療を受けていた(争いのない事実)。
 原告は、平成12年10月ころから嗄声が生じていたため、家族からの指摘を受けて、被告病院耳鼻咽喉科を受診することとし、平成13年1月25日、同病院においてD医師の診察を受けた(原告本人〔3、16ないし17〕)。
 原告がD医師の診察を受けるのは、同日が初めてであった(便宜上、同日の受診を「初診」と称することとする。)(弁論の全趣旨)。
イ 平成13年1月25日の診察結果等
(ア) 原告の嗄声は、粗造性及び気息性がごく軽くみられ、無力性及び努力
性の所見はないという状態であり、嗄声の程度は軽度であった(乙A4〔2〕、証人D〔1〕)。
 D医師は、原告が過去20年前まで喫煙歴があったことを確認し、喉頭ファイバーを用いて喉頭を観察したところ、原告の声帯の動きは両側とも良好で、右声帯に軽度の発赤があったが、粘膜面の不整や腫脹はみられなかった。頸部のリンパ線や甲状腺を触診したが、異常所見は認められなかった(乙A1〔5〕、4〔3〕、証人D〔1ないし2〕、弁論の全趣旨)。
(イ) D医師は、右声帯の発赤は炎症によるもので、嗄声もこれによって生じている可能性があると考えたが、原告が喫煙歴のある高齢の男性であること、風邪などの場合には両方の声帯が赤くなることが多く声帯の右側だけに発赤が生じていたことなどから、その時点で喉頭癌が生じている可能性は低いとしても、将来喉頭癌に移行する可能性があると考えたので、発赤部分を経過観察する必要があると判断し、右声帯の発赤に対する治療のため喉ネブライザーを行った(乙A1〔5〕、4〔3〕、証人D〔16、33ないし35〕)。
(ウ) D医師は、原告に対し、右声帯が赤くなっており炎症によるものが考えられるが、喫煙歴もあるし、右側だけが赤いというのも気になるので、悪いものの可能性もあると説明し、炎症止めの薬を飲んで経過を見るように告げ、抗炎症剤としてトランサミンとダーゼンを7日分処方して、1週間後の受診を指示した(乙A1〔5、6〕、4〔2、3〕、証人D〔2、16〕)。
ウ 平成13年2月1日の診察結果等
(ア) D医師は、喉頭ファイバーを用いて喉頭を観察したところ、右声帯
に発赤が認められたが、声帯の動きは良好であり、その他異常所見は認められなかった。また、原告の嗄声の程度も初診時と変わらなかった(乙A1〔6〕、4〔3〕、証人D〔3〕、弁論の全趣旨)。
(イ) D医師は、1週間の抗炎症剤の投与によっても右声帯の発赤は残っていたので、引き続き発赤部分の経過観察を継続する必要があると判断した(乙A4〔4〕、証人D〔3〕)。
(ウ) D医師は、原告に対し、1週間薬を飲んでもらったけれども右の声帯がまだ少し赤いのでもう少し薬を出して様子をみるが、やはり悪いものの可能性があると告げた。そして、前回に引き続き抗炎症剤としてトランサミンとダーゼンを14日分処方して、2週間後の受診を指示した(乙A1〔6〕、4〔4〕、証人D〔3〕)。
エ 同年2月15日の診察結果等
(ア) D医師は、間接喉頭鏡を用いて喉頭を観察したところ、右声帯の発
赤は軽減しており、声帯の動きも良好であったが、左右の声帯間に間隙が認められた。また、原告の嗄声の程度も初診時と変わらなかった(乙A1〔6〕、4〔5〕、証人D〔3ないし4〕)。
(イ) D医師は、同日の時点で右声帯の発赤が軽減していたにもかかわらず、原告の嗄声自体は変わらなかったことから、声帯間の間隙が嗄声の原因であると認めた。また、発赤が抗炎症剤で軽減したことから、発赤は炎症によるものであるとも考えたが、片方の声帯だけ赤いということは癌ないし前癌状態へ移行する可能性があると考え、引き続き発赤部分の経過観察を継続する必要があると判断した(乙A4〔5〕、証人D〔4、16、55、59〕)。
(ウ) D医師は、原告に対し、年齢的な原因から声帯のやせがあって隙間ができており、嗄声はこれによるものと考えられるから治療は難しいこと、声帯の赤みは初診時から薬を3週間飲んでよくなっているが、片方だけが赤いので、悪いものである可能性も捨てきれないから経過を見ると告げた。
 そして、抗炎症剤の投与をしないで様子を見ることとし、1ヶ月後の受診を指示した(乙A1〔6〕、4〔5〕、証人D〔4、15、53〕)
オ 同年3月15日の診察結果等
(ア) D医師は、間接喉頭鏡を用いて喉頭を観察したところ、前回の受診時に軽快していた右声帯の発赤は、初診時と同程度になっていたが、声帯の動きは良好であり、その他異常所見は認められなかった。また、原告の嗄声の程度も初診時と変わらなかった(乙A1〔7〕、4〔6〕、証人D〔4ないし5〕)。
(イ) D医師は、いったんは減少した原告の発赤が再び生じていたことから、引き続き発赤部分の経過観察を継続する必要があると判断した(乙A4〔6〕、証人D〔5〕)。
(ウ) D医師は、原告に対し、まだ声帯が赤くなっており、最初から比べて悪くはなっていないが薬を止めると赤くなってしまうので、悪いものである可能性が捨てきれないので引き続き経過を見ると告げた。そして、発赤が悪化したことはなかったことから経過観察期間を長めにとることとし、抗炎症剤の投与をしないで、2ヶ月後の受診を指示した(乙A1〔7〕、4〔7〕、証人D〔5〕)
カ 同年5月24日の診察結果等
(ア) D医師は、間接喉頭鏡を用いて喉頭を観察したところ、右声帯の発赤は前回受診時のままであり、その他異常所見は認められなかったので、発赤治療のため喉ネブライザーを行った。また、原告の嗄声の程度も初診時と変わらなかった(乙A1〔7〕、4〔7〕、証人D〔5〕)。
(イ) D医師は、同日の時点で生検を行っても癌細胞が発見される可能性は低く生検を行う必要はないが、癌が生じているか、前癌状態ないし癌に移行する可能性があると考えていた(証人D〔17、59ないし60〕)。
 そして、発赤の所見が継続して得られていたため、引き続き発赤部分の経過観察を継続する必要があると判断した(乙A4〔7〕)。
(ウ) D医師は、原告に対し、薬なしで2ヶ月経過を見たところ、特に悪化はないが、やはり右声帯の赤みが消失しておらず、悪いものである可能性を考えて経過を見た方がいいと告げ、前回受診時と比べて客観所見の悪化が認められなかったことから経過観察の期間として2ヶ月という期間が適当であると考え、抗炎症剤の投与はしないで、2ヶ月後の受診を指示した(乙A1〔7〕、4〔7〕、証人D〔5〕)。
キ 原告は、同日、D医師から二、三ヶ月に一度受診するように指示されたと認識しているものの、それまで発赤の所見を指摘されたとは認識しておらず、自らの嗄声が老人性のものであって治療し難く、その他特に自覚症状も現れていないことから、上記受診の指示も気になるようなら受診してもよいとの趣旨に理解し、あえて被告病院耳鼻咽喉科を受診する必要はないと判断し、同日以降の受診を取りやめた(甲A2〔2〕、原告本人〔4、24、25、27、28〕)。
ク 平成14年段階の診療経過
(ア) 平成14年6月6日の受診の経緯
 平成13年5月24日の被告病院耳鼻咽喉科受診後、原告の声の状態は変わらず、1年ほど経ったころから家族から受診を勧められたので、再び被告病院耳鼻咽喉科を受診することとした(甲A2〔3〕、原告本人〔8、19〕)。
(イ) 同年6月6日の診察結果等
 D医師は、まず、原告が同医師の指示に反して1年以上も受診しなかったことを強くたしなめ、原告の嗄声が平成13年段階とは異なり粗造性及び気息性が増大していると判断し、次にD医師は、喉頭ファイバーを用いて観察したところ、原告の左声帯の動きは良好であったが、右声帯は麻痺が生じて動かず、右声帯及び披裂部は柔らかく腫れていた(乙A1〔7〕、4〔8〕、証人D〔5ないし6〕、原告本人〔8、19〕)。
 D医師は、腫瘤は腫瘍様ではなかったものの、前回の受診時から1年以上経過しており、右声帯に麻痺があることから、喉頭癌の精査の必要があると判断した。原告には脳梗塞(陳旧性)の既往症もあったことから、中枢性声帯麻痺も鑑別診断の視野に入れて神経内科に診察を依頼し、頸部エコーの予約を平成14年6月17日に入れた(乙A1〔7〕、4〔8〕、証人D〔6〕)。
 D医師は、原告に対し、これまでとは違って声帯が腫れて動かなくなっており、悪いものの可能性が非常に高いので、すぐに検査をしないといけないと告げた(証人D〔6〕)。
(ウ) 同年6月17日に実施された、頸部エコー検査の結果、甲状腺の異常やリンパ腺の腫脹はなく、概ね正常とされた(乙A2)。
(エ) 同月20日、原告の嗄声は前回受診時と変わっておらず、右声帯の麻
痺、腫脹が認められた。
 D医師は、神経内科における診察の結果中枢性声帯麻痺の可能性が否定され、上記頸部エコー検査の結果甲状腺悪性腫瘍の可能性も否定されたことなどを総合して、喉頭癌の可能性が高く、顕微鏡下喉頭手術による生検が必要と判断した。
 被告病院には生検を行う物的及び人的体制が整っていなかったので、D医師はB会F病院の受診を勧めたところ、原告は都立A病院の受診を希望したので、都立A病院への紹介状を作成した(乙A1〔10ないし12〕、3〔33〕、4〔9ないし10〕、証人D〔6ないし7、10〕)。
ケ 原告の陳述ないし供述について
(ア) 原告は、D医師から発赤があることや悪い病気の可能性があることは一切告げられておらず、むしろ平成13年1月25日の時点から、老人性のものであり悪い病気ではないとの説明を受け(原告本人〔4ないし8、14、24〕)、被告病院耳鼻咽喉科の受診は被告病院神経内科を受診したついでに自らの判断で行ったことで、次回の受診を指示されたことは一切ない(原告本人〔6ないし7、24、26〕)と陳述する。
(イ) しかし、D医師は視診によって発赤を発見し、初診時及び2月1日の受診時には発赤に対する抗炎症剤の処方を行っているところ、その際には原告の右声帯に発赤が生じていることを当然に告げていると認めるのが相当である。
 また、被告病院の診療録には、各受診日ごとに「1W后」(平成13年1月25日)、「2W后」(同年2月1日)、「1M后」(同月15日)、「2M后」(同年3月15日)、「2M后」(同年5月24日)と記載されており(乙A1〔5ないし7〕)、原告は概ねこれらの記載どおりに被告病院耳鼻咽喉科を受診しており、原告も上記5月24日の受診時に二、三ヶ月に1度受診するように言われたと認識していることからすれば、D医師は原告に対し、各回の受診ごとに期間を定めて次回の受診を指示し、原告はそれに従っていたことが優に認められる(なお、原告は、上記各受診はそれ以前から続いていた被告病院神経内科への通院のついでにしたものにすぎず、D医師の指示によるものではないと主張し、原告本人の供述中にはこれに沿う部分もあるが(原告本人〔26〕)、乙A第5号証によると、少なくとも上記2月1日の受診の際には、原告は被告病院の神経内科を受診していないことが認められるから、原告の主張は採用できない)。
 さらに、被告病院の診療録には、平成13年2月15日付けの記載中に声帯の間隙について記載されているところ、嗄声が加齢現象によるものであるとの判断は同日の診察時に初めてなされたと認められることなどからすれば、原告が初診時から、声枯れが老人性のものであると告げられ、そのまま受診を継続していたとは考え難い。
(ウ) 以上のとおり、原告が陳述ないし供述する診療経過には不合理な点が認められることからすれば、D医師から受けた説明に関する原告の陳述ないし供述は、原告が当時どのような認識を有していたかについてはともかく、被告病院耳鼻咽喉科において現に行われた診療の経過を認定するためには、そのほとんどが採用できないといわざるを得ない。
 そして、その他被告病院の診療録及びD医師の供述(乙A4、証人D)の信用性を疑わせるに足りる的確な証拠は認められないから、平成13年段階の被告病院における診療経過は、被告病院の診療録(乙A1)及びD医師の陳述ないし供述(乙A4、証人D)などに基づき、上記アないしキのとおりであると認められる。
(2) 都立A病院における診療経過等
 同年6月26日、原告は都立A病院耳鼻咽喉科を受診した(乙A3〔20〕)。
 原告に対し、都立A病院において、同年7月1日にCT検査が実施され、同月15日、生検目的で耳鼻科入院となり、同月16日、全身麻酔下での喉頭微細手術(ラリンゴマイクロサージェリー)により生検が実施された(乙A3〔63〕、弁論の全趣旨)。
 上記生検により採取した組織の病理組織検査の結果、原告の右声帯に扁平上皮癌の病変が認められ、病期はⅢ(病気の進行を示す4段階中の3番目)、TNM分類はT3(喉頭内に限局しているが声帯運動が固定しているもの)、N0(リンパ節転移なし)、M0(遠隔転移なし)と診断された(甲A3の1、B6〔176〕、乙A3〔54、57、58、60〕、弁論の全趣旨)。
 同年7月22日、G医師は、原告及びその家族に対し、病期Ⅲの喉頭癌であることを告げた上で、治療方法としては、手術(喉頭全摘術)、放射線治療及び抗癌剤があり、放射線治療と抗癌剤を併用する方法が望ましいが、その効果がなかった場合には手術を行うことを説明した(乙A3〔57〕)。
 翌23日、原告から都立A病院の医師に対し、放射線治療を希望するとの申入れがなされたため、同年7月23日から9月2日にかけて(7月24日に退院し、その後は外来受診)、放射線治療が実施され、その間に抗癌剤であるパラプラチンの点滴投与が併用された(乙A3〔14ないし18、22ないし23、42ないし45、50〕、弁論の全趣旨)。
 上記放射線治療及び抗癌剤の投与は成功し、同日以降も原告は経過観察のため都立A病院の受診を継続しているが、異常は発見されていないし、嗄声の状況は、平成13年ころよりもかなり軽減しており、原告は、当裁判所における本人尋問において、健常者とそれほど変わらない発声をしていた(乙A3〔23ないし29〕、原告本人〔15〕、弁論の全趣旨)。
2 争点(1)(検査義務ないし転院義務違反の有無)について
(1) 喉頭疾患に対する検査について
 各項目掲記の証拠によれば、喉頭疾患に対する検査について、以下の事実が認められる。
ア 喉頭癌について
 喉頭癌の罹患年齢は、大部分が50歳以降に見られ、罹患率は、50歳以降年齢とともに高率となる傾向が見られ、性差は男性が女性の約10倍多くみられる。また、喉頭癌の発癌には長年の喫煙が深く関与していることが疫学的に明らかにされている(乙B5〔724ないし725〕)。
イ 嗄声について
 喉頭癌のうち、声門癌においては早期に嗄声が生じ、声門上癌及び声門下癌においては、声帯へ浸潤して嗄声を来す。年齢、性別、喫煙歴を参考にして、風邪をひいたわけではないのに嗄声が続くときは精密検査が必要とされる(甲B1〔1〕、6〔175〕)。
ウ 喉頭の視診について
(ア) 間接喉頭鏡検査とは、喉頭鏡を喉頭内に挿入して、そこに映る反射像
によって、間接に喉頭を見る検査方法である。間接喉頭鏡に映る像は反射像であり、鏡像の上下は、被検喉頭の前後に相当する。すなわち鏡の上側には舌根部、喉頭蓋等の喉頭の前部が、鏡の下側には披裂部及び食道入口部など後ろの部分が映る。左右は被検者の左右に一致する(甲B6、乙B6〔550〕)。
(イ) 喉頭ファイバースコピーは、喉頭ファイバースコープを鼻腔から声門付近まで挿入し、先端部の対物レンズを通じて喉頭の像を観察する方法である(甲B6、乙B6〔557ないし558〕)。
(ウ) 喉頭ストロボスコピーは、定常的に振動している声帯に対し、ストロボを用いてその振動周波数と同じ頻度で閃光を当てて、これを内視鏡によって観察することにより、声帯の振動をスローモーションまたは静止状態に見せて声帯の粘膜変動を克明に観察できるようにする方法である。これにより得られる画像を記録に残すのにはビデオが最も適している(甲B6)。
 被告病院には、ストロボは備えられていない(証人D〔10〕)。
(エ) 癌に移行しやすい前癌状態においては、声帯に白色の粗造性の病変が
生じ、悪化すると、病変部が盛り上がったり、潰瘍ができたり、声帯に麻痺が生じたりする(乙A4〔10〕、乙B7、8、証人D〔12、17、43〕)。
(オ) 発赤は喉頭癌の典型的な所見ではなく、通常は風邪による炎症や咳などによる物理的な刺激による炎症を考える。もっとも、炎症による発赤は数週間ほどで軽快することが多いため、声帯の片側だけの発赤が続く場合には、喉頭腫瘍の疑いが濃くなる(甲A3の1、証人D〔12、16、41〕)。
エ 病理組織検査について
(ア) 悪性腫瘍を疑う場合には、試切による病理組織検査が必要となる。視
診によって明らかに癌と確信できないものの癌の可能性を疑う場合には、最も癌が疑われる部位から確実に組織を採取することが望ましい(乙B4〔399ないし400〕)。
(イ) 病変部位の観察は、ラリンゴマイクロサージェリー(金属管からなる直達喉頭鏡を経口的に挿入し、手術用顕微鏡を併用して病変部を直接観察する方法)により行うのが一般的である(甲B6、乙B6〔554〕)。
(ウ) ラリンゴマイクロサージェリーによる生検は、全身麻酔下で行われるのが一般的である(甲A2〔2〕、3〔2〕、証人D〔58〕)。
(エ) 声帯の生検は麻酔のリスクに加え、声帯に傷を付けることによって嗄
声が悪化する可能性があるというリスクがあるから、生検は癌の疑いが濃くなった時点で行う(甲A3の1、証人D〔42ないし43〕)。
(2) 検討
ア まず、視診の義務について検討する。
 証拠(証人D〔49〕)及び上記(1)ウ(ア)ないし(ウ)に認定したところによれば、間接喉頭鏡と喉頭ファイバースコピー及び喉頭ストロボスコピーとは、具体的な手技ないし実施手順や観察される像の違いこそあれ、いずれも声帯を視診するための手段という点において異なるものではないと解されるところ、本件では、上記1(1)イないしカに認定したとおり、D医師は平成13年の診察時において間接喉頭鏡や喉頭ファイバーによる視診を行い、その結果、原告の右声帯に発赤を発見するとともに、喉頭癌の徴候とされる白色の粗造性の病変などの症状は生じていないことを確認したのだから、このような場合に、重ねてファイバースコープによる検査を継続したり、別の病院に転院させてまで喉頭ストロボスコピーによる視診を行う義務があるとはいえず、その他これらの義務を認めるに足りる的確な証拠はない。
イ 次に、生検の実施義務の有無について検討する。
(ア) 上記(1)エ(エ)に認定したとおり、声帯の生検は麻酔に伴うリスクに加え、声帯に傷を付けることによって嗄声が悪化する可能性があるというリスクがあるから、視診により癌の疑いが濃くなった時点で実施するとされているところ、本件では、上記1(1)イないしカに認定したとおり、D医師による視診の結果、原告の右声帯には継続的に発赤が生じていたものの、喉頭癌の徴候とされる白色の粗造性の病変などの症状は生じていない。かかる視診の結果によれば、平成13年段階では喉頭癌の発症はもちろん前癌状態を疑うべき所見も確認されていないから、被告病院としては将来的に癌が発現する可能性を考慮して経過観察を指示するにとどまり、この段階で喉頭癌の発症を強く疑うことは困難であったといわざるを得ず、この点については原告が依拠するA病院のG医師も同様の意見を述べている(甲A3の1)。したがって、平成13年段階では、原告の発赤の変化を見逃さないよう経過観察を継続する必要があったということはできても、生検を実施する義務があるということはできないし、生検を前提とした転院義務の存在も認められない。
(イ) なお原告は、平成13年段階における原告の嗄声が著しくひどかったことをもって生検などの検査の必要があったと主張するが、嗄声は喉頭癌の初発症状であって、その原因が癌であるか否かを診断するために視診を行うのであるから(甲B6、証人D〔22、24、38、40、43、47〕)、視診の所見が上記(ア)のとおりであり、D医師は原告に嗄声が生じていることを認識した上で視診を行っている以上、嗄声の程度如何は上記判断に影響を及ぼすものではない。したがって、この点に関する原告の主張は採用できないし、これと同じ理由で、嗄声についての発音機能検査をする義務があるということもできない。
(3) 以上によれば、D医師の診察に不適切な点があったということはできず、この点に関する原告の主張はいずれも理由がない。
3 争点(2)(説明義務違反の有無)について
(1) 喉頭癌の可能性に関する説明義務について
 原告は、喉頭癌の可能性があることを説明すべきだったと主張するが、上記1(1)イないしカに認定したとおり、D医師は原告に対し、初診時以降毎回、悪いものの可能性があると告げて受診を指示していたことが認められるし、上記2(2)イ(ア)に判示したとおり、平成13年段階における原告の声帯の状態は癌を強く疑うべき状態にはなかったのであるから、これらの点において原告の主張はその前提を欠いており、採用することはできない。
(2) 経過観察の必要性に関する説明義務について
ア 原告は、近い将来声帯の生検を行う必要があるかもしれないことを明確に説明すべきと主張しているところ、平成13年段階の被告病院における診療期間中、原告の声帯の発赤は右側のみに生じたままであり、抗炎症剤の投与にも関わらず完全に治癒することはなかったのであるから、被告病院としては、原告の発赤の変化を見逃さないよう経過観察を行う義務を負っていた。そして、D医師も経過観察の必要があると判断して、各回の診療が終了するたびに、原告に対し次回の受診を指示していたものである。
 これらの事情に鑑みれば、D医師は、原告主張のように生検を行う必要性についてまで言及する必要があったか否かはともかくとして、原告の右声帯に対する経過観察が途切れることのないように、経過観察の必要性を認識させるための適切な説明をすべき義務を負っていたというべきである。
イ 以上のような観点からD医師の説明の適否を検討するに、D医師のした説明の内容は、前記1(1)イないしカで認定したとおり、平成13年2月15日以降はおおむね嗄声の原因は年齢的な原因による声帯のやせにあるから、嗄声の治療は困難であることと、嗄声とは別に右声帯に発赤があり、これが悪いものである可能性もあるので受診を継続することの2点に集約できる。
 この説明内容からすると、嗄声の点はもはや治療が困難であるから、その点のために通院する必要はなく、もっぱら右声帯の発赤の状況を継続して観察するために通院の必要があるということとなる。
 しかし、前記2(1)イのとおり、嗄声は喉頭癌に随伴する症状であり、G医師も発赤の存在と嗄声が続いていることの2点を根拠に経過観察の必要性を認めており(甲A3の1)、被告もまた平成17年7月8日付け準備書面(7)においてD医師の説明内容を第2、3(2)のように整理する以前は、嗄声が年齢的な原因によるものとの主張をしていなかったことからすると、嗄声の点については通院の必要がないかのような説明をすることの適否には疑問が残るところである。その上、A病院における治療後、原告の嗄声が軽快し、原告本人尋問の時点においては健常者とそれほど変わらない発声をしていたことからすると、嗄声の原因が年齢的なもので治療が困難なものであるとの説明の正確性にも疑問が生ずるところである。
 もっとも、D医師は、少なくとも継続して経過を観察する必要性を指摘し、原告に対し引き続き通院するよう指示しており、原告がこれに従って通院を継続しさえすれば喉頭癌の発生を適時に発見できたと考えられるのであるから、この経過観察の必要性と通院継続の指示とが原告の理解可能な程度に説明されたと評価できるならば、D医師は必要最小限の説明義務を果たしたと認められることとなる。
ウ そこで、まず原告の認識状況をみると、原告は嗄声のみを主訴として被告病院を受診し、一方で右声帯の発赤については原告の自覚症状が現れていなかったのであるから、かかる原告が、嗄声に対する治療が困難であるとの説明を受けた場合、被告病院を受診する必要がないと誤解して受診を打ち切るという事態も十分想定し得るところである。
 したがって、D医師は、原告に対し、嗄声が加齢現象でありこれに対する治療は不要であることを説明するに際しては、説明を受けた原告が受診を打ち切ることのないよう、嗄声に対する治療が不要であることとは関わりなく発赤に対する経過観察が必要であることを認識させるべく、この点に配慮した説明をする必要があったというべきである。
 そして、上記1(1)キに認定したとおり、原告は、発赤の所見を指摘されたとの認識を欠き、平成13年5月24日以後の受診については、自ら気になれば受診してもよいとの指示を受けたものと理解し、結局もはや受診する必要性がないと考えるに至ったのであり、このことから翻って考えると、少なくとも原告はD医師の説明を十分に理解していなかったものとうかがわれるのであって、そうするとD医師の説明は上記の配慮を欠いていたのではないかとの疑いが生じないでもない。
エ しかしながら、そもそもD医師は原告に対し、原告の右声帯に発赤が生じていることに加え、それが悪いものの可能性があることについても説明しており、このような説明を受けた一般的な患者としては、自己の声帯に異常が生じていること及びこれに対する受診の必要があることについて認識するのが通常であるから、患者の行状からして上記の説明を患者が理解していないことがうかがわれない限り、医師にそれ以上の説明を要求することは困難である。
 そして原告は実際に、D医師から、同年2月15日に声枯れが老人性のものであり治療は難しいとの説明を受けたが、その後はD医師が指示したとおりに、同年3月15日及び同年5月24日の2度にわたり被告病院を受診していることからすれば、D医師において、原告が自己の説明を理解して受診しているものと考え、原告が同日以降の受診を取りやめることについて予見できなかったのも無理からぬところといえる。
 そのほかに、原告の側に医師の説明を理解する妨げとなり得る具体的事情は見当たらないし、D医師もそのような事情があったとの認識を有していない(証人D〔52〕)。
 これらの事情に鑑みると、原告が受診の必要性を認識していなかったことがD医師による説明に起因するとまではいい難いから、D医師の説明が上記配慮を欠いていたとまでは認めることができず、この点に関する被告の説明義務違反は認められない。
(3) 以上によれば、喉頭癌の疑いの告知の点はもとより、経過観察の必要性に関する説明の点においても、被告の説明義務違反の事実を認めることはできず、この点に関する原告の主張は理由がない。
4 前記2及び3によると、D医師には原告主張の過失はいずれも認められないから、損害の有無に関する争点(3)については判断の必要がないこととなる。
 もっとも、被告は、原告の喉頭癌が治癒したことにより原告には何らの損害も生じていないと主張しているので、念のため付言すると、仮にD医師に原告主張の過失があったとすると、原告は現に発見される以前に癌の発生を発見され、より早期の治療が可能となったと認められ、癌の診断を受けたことやその治療の成否についての精神的な負担はより軽減されたと考えられるから、少なくともより病期の進行した段階で発見されたことによって増大した精神的苦痛に見合った慰謝料を請求し得たと考えられる。
5 よって、原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第34部


裁判長裁判官   藤  山  雅  行



裁判官   大須賀 綾子



裁判官   筈  井  卓  矢