H17.10. 4 札幌地方裁判所 平成15年(ワ)第2592号 損害賠償請求事件

 膵頭十二指腸切除術(本件第1手術)を受けた患者が,術後に縫合不全を起こしたため膵全摘術を受け,術後に感染症により死亡した事案において,被告の担当医師が本件第1手術において膵全摘をしなかったことにより縫合不全を生じさせた過失があるとして,不法行為に基づく損害賠償が認められた事例


主 文
1 被告は,原告Aに対して888万4189円,原告B,原告C及び原告Dに対してそれぞれ296万1395円並びにこれらに対する平成13年7月30日から各支払済みまでそれぞれ年5分の割合による金員を支払え。
2 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用はこれを3分し,その1を原告らの,その余を被告の各負担とする。
4 この判決は,原告ら勝訴部分に限り,仮に執行することができる。ただし,被告において,原告Aに対し533万0513円,原告B,原告C及び原告Dに対しそれぞれ177万6837円の担保を供するときは,それぞれ,その仮執行を免れることができる。
事実及び理由
第1 請求
  被告は,原告Aに対して1344万2418円,原告B,原告C及び原告Dに対してそれぞれ448万0472円並びにこれらに対する平成13年7月30日から各支払済みまでそれぞれ年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
本件は,亡Eが,被告の開設するF病院(以下「被告病院」という。)に膵癌の検査目的で入院し,同病院において超音波内視鏡検査を受けたところ,同検査の過程で胃に穿孔を生じ,そのためと膵癌であることが判明したことから膵頭十二指腸切除術を受け,術後に縫合不全が発生したため膵全摘術を受け,術後に感染症により同病院で死亡したことにつき,亡Eの相続人である原告らが,被告に対し,被告病院の担当医師には胃に穿孔を生じさせた過失及び膵頭十二指腸切除術後に縫合不全を生じさせた過失があるなどと主張して,不法行為(使用者責任)又は診療契約の債務不履行に基づく損害の賠償を請求した事案である。
1 争いのない事実等(証拠により認定した事実については,括弧内に証拠を記載する。)
(1) 当事者
ア 原告Aは,亡E(大正15年8月4日生)の妻であり,原告B,原告C及び原告Dは,いずれも亡Eの子である。
イ 被告は,国家公務員共済組合法に基づき,国家公務員の年金や福祉事業に関する業務を加入共済組合と共同で行うことを目的として設立された団体であって,札幌市内に被告病院を開設しているところ,同病院は,日本外科学会外科専門医制度修練施設及び日本消化器外科学会専門医修練施設として認定されている(乙C2,3)。
(2) 本件における亡Eの診療経過等
ア 亡Eは,平成12年11月1日,糖尿病及び高血圧のため被告病院を受診し,以後同病院に通院していたところ,平成13年5月14日の外来受診に際して受検した腹部超音波検査の結果,胆嚢内結石及び膵頭部腫瘍の疑いがあって,入院精査が必要であると指摘されたため,同月21日,精査目的で同病院に入院した。
イ 亡Eは,諸検査の結果,同月24日に膵管癌と診断されたが,この時点における癌の進行度は,ステージⅠであり,リンパ節への転移は認められなかった。
ウ 亡Eは,同月29日,被告病院において消化器内科の担当医師であったG(以下「G医師」という。)による超音波内視鏡検査を受けたが(以下「本件内視鏡検査」という。),その過程で消化管に穿孔が生じた(以下「本件穿孔」という。)。G医師は,穿孔に気づいた時点で直ちに内視鏡を抜去したが,穿孔を生じた箇所が十二指腸であると考えられたこと及び同検査により膵癌が確認されたことから,他の医師とも相談した結果,同日,穿孔の閉鎖術と膵癌摘出術を同時に実施することとした。
エ 亡Eは,被告病院外科の担当医師であったH(以下「H医師」という。)の執刀により,同日,幽門輪温存膵頭十二指腸切除術を行うこととして手術に取り掛かり,開腹したところ,穿孔は十二指腸ではなく,胃の幽門側にあったことが判明した。そこで,H医師は,幽門輪を温存することはできないと判断し,膵頭十二指腸切除術を行った(以下「本件第1手術」という。)。
オ 同年6月8日,縫合不全が原因と思われる膵液の漏出が判明し,同月12日には膵腸吻合部分の縫合不全が原因で同部位から大量出血を生じたため,同月13日に膵臓全摘出手術が行われた(以下「本件第2手術」という。)。
カ その後,同月25日に亡Eの腹部ドレーンからMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)が検出され,同年7月13日ころには亡Eの肺炎が重症化してARDS(成人呼吸窮迫症候群)様になり,同日24日には敗血症によりDIC(広汎性血管内播種性凝固症候群)となって,同日30日,亡Eは多臓器不全により死亡した(乙A61,62)。
キ 亡Eが被告病院に入院した後,同病院で死亡するまでの間の同人の状態等,これに対する検査,処置及び治療内容等の概要については,別紙診療経過一覧表に記載のとおりである。
(3) 膵頭十二指腸切除術その他の本件に関係する術式等
ア 膵頭十二指腸切除術は,膵頭部領域癌に対する代表的な切除術式であるところ,術後の合併症のうち,最も注意すべきものは,膵消化管吻合の縫合不全である。縫合不全は,一般的には手術手技,縫合する臓器の血流,吻合部の緊張等を原因として発生するが,膵頭十二指腸切除術においては,それに加えて残膵から蛋白質分解酵素,脂質分解酵素,糖質分解酵素等を含んだ膵液が分泌されて縫合部の癒着を妨げるという要因も加わるため,縫合不全が発生する可能性が高く,また縫合不全が発生した場合には,膵液が吻合部付近の組織を消化して大出血を生じさせるなどの危険性があるため,縫合不全の発生により患者が死亡することもある(甲B2,3,乙A124,乙B2,3)。
イ 膵消化管吻合の縫合不全を防ぐための吻合方法としては,従前から様々な工夫がなされており,現在においても,大きくは膵空腸端端吻合(嵌入法)と膵管空腸粘膜吻合に分けられ,他方で膵管チューブを使用する方法と使用しない方法等が紹介され,文献ごとに推奨される方法が異なっているという状況である(甲B2,3,乙B2,3)。
ウ MRSAは,毒性が強く,腹部大手術患者や高齢患者等の抵抗力が弱い易感染性患者に,敗血症,肺炎等の重篤な感染症を発症させる危険があり,その危険性については医療従事者に広く知られている。
2 争点及びこれに対する当事者双方の主張
(1) 本件内視鏡検査に際して本件穿孔が生じたことについてのG医師の手技上の過失の有無(争点(1))
(原告らの主張)
ア 超音波内視鏡を操作する際には,内視鏡に内蔵されたカメラから得られる映像あるいは超音波画像等に基づいて内視鏡の位置や状態を把握することができるところ,G医師は,本件内視鏡検査を実施するに際し,内視鏡先端の角度を変える時などに消化管を穿孔する可能性があることを知りながら,内視鏡の位置及び状態の確認を十分行わないまま内視鏡の挿入と引抜きの操作を行った過失により,内視鏡の管の屈曲部分が胃内の前壁側を過伸展させて本件穿孔を生じさせた。
イ なお,本件穿孔と亡Eの死亡との間に因果関係が認められないとしても,本件内視鏡検査を実施するに際して本件穿孔を生じさせたこと自体,独立して亡Eに慰謝料を発生させる過失行為に当たるものである。
(被告の主張)
  内視鏡検査では,熟達した医師が慎重に操作を行ったとしても,ある程度の頻度で穿孔等の合併症を生じることは避けられない。
  内視鏡検査に際して消化管に穿孔が生じる原因としては,①内視鏡挿入時の壁伸展に伴う損傷,②内視鏡挿入時の先端での損傷,③十二指腸内で内視鏡を直線化した時に先端が進むことによる損傷などが考えられる。本件穿孔についてみると,③の場合であれば十二指腸第2部の穿孔となるところ,本件穿孔部位は胃であるから,③の場合とは考えられず,また,G医師は内蔵カメラにより視界を確実に捉えながら内視鏡を挿入していることから,②の挿入時の先端での壁損傷は起こりえない。よって,本件穿孔は,①の内視鏡挿入時に胃が伸展したことによって起こったと考えられる。そして,超音波内視鏡の先端硬性部は,内視鏡的逆行性胆道膵管造影(ERCP)用のスコープやパンエンドスコープと比べて硬く,太くできているため,無理な操作を行わなくても穿孔が生じうるところ,G医師は,本件内視鏡検査の際,慎重にかつ愛護的に操作を行ったが,それにも拘わらず胃に穿孔が生じてしまったのであって,本件穿孔は,G医師の過失によるものではなく,避けられない合併症として発生したものというべきである。
(2) 本件第1手術後に膵腸吻合部の縫合不全が生じたことについてのH医師の過失の有無(争点(2))
(原告らの主張)
ア 膵頭十二指腸切除術において膵腸吻合部の縫合不全を起こさないようにするためには,胃十二指腸動脈を始めとした動脈の確実な処理及び動脈の外壁を傷つけない郭清手技のほか,適切なドレナージが必要であり,特にドレナージについては,膵液を体外に排出する吻合部減圧ドレナージを行うべきところ,H医師は,ドレナージのため,切除後の残膵の膵管を拡張しようとして膵管を裂いてしまった過失により,当初予定していた膵管チューブを利用したドレナージを行うことができなくなり,縫合不全を生じさせた。
イ H医師は,膵管チューブを利用した吻合部減圧ドレナージを行うことができなくなった場合には,縫合不全の危険を避けるため膵臓の全部摘出手術を行うべき注意義務があったのに,これを怠り,縫合不全を生じさせた。膵全摘を行えば,インスリン注射による血糖値管理等が必要にはなるものの命には別状はなく,逆に膵全摘をしなければインスリン注射等は不要となるものの縫合不全の危険性が高くなり,縫合不全が発生すれば出血を来して死亡する危険性が高くなるのであるから,膵全摘を選択すべきは当然であり,医師の裁量によるべきものではないことは自明である。よって,H医師が膵全摘をせず,膵管チューブによるドレナージを伴わない嵌入法の術式を行ったことには過失がある。
(被告の主張)
ア 本件第1手術の際,H医師が膵管を裂いてしまった点については,亡Eの膵癌が術前の予想を超えて膵管内を広く進展していたところから,同医師は癌の根治性を確保するため膵を通常よりも大幅に末梢側へ切除した。そのため,残膵部分の膵管が極端に細くなり,一番細い膵管チューブでさえ挿入することができなかったため,同医師は,ドレナージを行うべく先の細いモスキート鉗子を膵管に挿入してゆっくり拡張していったところ,膵管が裂けてしまったものであって,過失はない。
  次に,ドレナージについては,H医師は原告らの主張する吻合部減圧ドレナージを行っていないが,一般に,①外瘻チューブを膵管に入れ,膵液を体外にドレナージする方法,②落下チューブを膵管に入れ,膵液を腸管内にドレナージする方法,③チューブを入れずに腸と膵を吻合する方法があるところ,H医師は,膵管内にチューブを挿入して膵管ドレナージを実施する方がより安全であると考えており,従前からその方法を採っていたが,前記のとおり膵管が裂けてしまったため,この方法を採ることができなくなった。しかしながら,もともと,上記3つの方法は,縫合不全の可能性の点では大きな差異はない上,文献(乙B2)によっては,膵管チューブの挿入・留置を全く行わず,膵断端と同じ大きさの全層切開を空腸壁に加え,膵断端と連続で一層縫合するのがよいとしているものもあるほどであるから,ドレナージを行わなかった点についても同医師に過失はない。
イ また,膵管ドレナージが実施できない場合に,膵腸吻合部の縫合不全を防止する方法としては,膵腸吻合そのものを必要としない膵全摘と空腸を膵断端に被せるようにして膵断端を空腸内腔に入り込ませて吻合する嵌入法とがあるが,その選択に関しては,膵頭十二指腸切除術における縫合不全は,10ないし20パーセントの割合で発生すると言われているところ,仮に縫合不全が起こっても必ずしも致死的になるものではないし,膵全摘を行った場合には,その患者には厳密な血糖管理が必要となり,頑固な腹痛,下痢に苦しむことになる上,患者の家族にも昼夜を問わず支援をしてもらう必要があることなどの事情があることから,H医師は,亡Eの年齢等を考慮し,同人のクオリティ・オブ・ライフ(QOL)の観点から,膵全摘術ではなく膵頭十二指腸切除術を行うとの判断をし,縫合不全の発生する割合が少ない方法である嵌入法を選択したものであって,同医師に過失はない。
(3) 被告の争点(1)及び(2)の各過失と亡Eの死亡との間の因果関係の有無並びに亡Eの延命の可能性及びその程度(争点(3))
(原告らの主張)
ア 亡Eは,G医師の前記手技上の過失により本件穿孔を生じ,緊急に穿孔の閉鎖手術を行わざるを得なくなって本件第1手術が行われ,その際のH医師による争点(2)の過失によりさらに本件第2手術を余儀なくされたため,後記イのとおり抵抗力が低下してMRSAに罹患し,それが原因となって肺炎や敗血症を引き起こし,死亡するに至ったものであるから,G医師の過失と亡Eの死亡との間には因果関係がある。
イ 亡Eは,本件第1手術当時74歳と高齢であり,糖尿病に罹患していたことで抵抗力が弱く,短期間に2度の大きな肉体的侵襲を伴う手術を受けてさらに抵抗力が低下すれば,MRSA等の感染症により死亡する危険性が高い状態であったところ,H医師による争点(2)の縫合不全を生じさせた過失のため本件第2手術を行わざるを得なくなったことにより,同手術の12日後にMRSAに感染するなどして死亡するに至ったものであって,争点(2)の同医師の過失と死亡との間には因果関係がある。
ウ 平成9年度の症例における膵癌全国登録調査報告によれば,ステージⅠの患者が外科的手術により1年以上生存する確率は8割以上,5年以上生存する確率は6割を超え,9年以上生存する確率も5割を超えているから,本件穿孔がない状態で亡Eが膵癌について膵頭十二指腸切除術を受けていれば,同人は更に5年程度生存することが可能であった。
(被告の主張)
ア 仮にG医師に過失があったとしても,単純に穿孔部位を修復する手術自体は容易であるから,上部消化管に穿孔が生じても,穿孔性腹膜炎が発生した直後であれば,これだけで生命に影響を与えるおそれはない。よって,穿孔が生じたからといって,亡Eが死亡することは通常あり得ないのであり,また,本件穿孔がなくても,本件第1手術には膵癌の摘出術が含まれていることから,穿孔があったのと同じ経過を辿った可能性がある。したがって,G医師が本件穿孔を生じさせた行為と亡Eの死亡との間には相当因果関係がない。
イ ステージⅠの膵癌の5年生存率は,全年齢の統計では56.7パーセントであり,さらに70歳以上の患者(高齢者)は非高齢者に比べて術前合併症として糖尿病等を合併していることが多い上,術後も合併症発生頻度が高く,また非高齢者では起こらないような合併症を起こす可能性も高いところ,亡Eは高齢であり,糖尿病・高血圧・胆嚢内結石で治療中であったことを考慮すると,膵癌摘出による延命の程度は相当低いものというべきである。よって,仮に被告に何らかの過失が認められるとしても,同過失と亡Eの死亡との間に因果関係はないし,原告ら主張のように安易に延命の程度を推定すべきではない。
(4) 損害
(原告らの主張)
ア 被告の不法行為又は債務不履行により,亡Eは,次のとおりの各損害を被った。
(ア) 慰謝料                 2200万0000円
(イ) 逸失利益                 244万0837円
  亡Eは,平成13年当時,年額283万0314円の年金を受給していたところ,生活費として50パーセントを控除し,前記(3)の原告らの主張のとおり更に5年間生存できたと考えられることから,5年間に対応するライプニッツ係数4.329を乗じて計算した612万6214円から原告Aが受給した遺族年金合計368万5377円を控除すると,上記金額となる。
イ 原告らは,亡Eの相続人として,亡Eの被った損害をそれぞれ法定相続分にしたがって相続した(その相続分の割合は,原告Aが2分の1,その余の原告らがそれぞれ6分の1である。)。
ウ 原告らは,本件訴訟の提起,追行を余儀なくされ,原告ら訴訟代理人らとの間で,原告Aにおいて122万2000円を,原告B,原告C及び原告Dにおいてそれぞれ40万7000円をそれぞれ弁護士費用として支払う旨の合意をした。
(被告の主張)
  相続関係は争わないが,原告ら主張の損害については争う。
第3 争点に対する判断
1 争点(1)(本件穿孔が生じたことについてのG医師の過失の有無)について
(1) 証拠(甲A3,4,乙A23,66,123,乙C4,5,証人G)及び弁論の全趣旨によれば,本件内視鏡検査の手技等に関して以下の事実を認めることができ,同認定を左右するのに足りる証拠はない。
ア G医師は,平成13年5月29日午前11時20分ころに本件内視鏡検査を開始し,まず,本件で用いた超音波内視鏡(乙C5に写っている器材は,同内視鏡と同型のもので,先端部の外径は約13ミリメートルである。以下「本件内視鏡」という。)を内蔵のカメラで視界を得ながら食道を経由して胃内に挿入し,さらに十二指腸球部,十二指腸乳頭部まで先端を進め,その後同内視鏡先端のバルーン内に水を注入し,これを直径3センチメートル程度に膨らませた上で超音波探査を開始し,順次引き抜きながら膵臓を観察した。その際,同日午前11時32分と33分に,十二指腸球部の写真2枚を撮影したが,その時点では,本件内視鏡の先端部分は十二指腸内にあった。G医師は,その後も,膵外浸潤の情報を得るため,十二指腸球部を中心として,バルーン内に水を注入したままの状態で本件内視鏡の挿入操作及び引抜き操作を行い,検査を終了する段階でバルーン内の水を抜いたところ,内視鏡の先端が腹腔内にあることが判明したため,直ちに本件内視鏡を抜去し,その後直ちに腹部X線写真を撮影して,同写真により穿孔を確認した。G医師は,穿孔を確認した時点では,直前に十二指腸内で本件内視鏡先端部の操作をしていたことから,十二指腸に穿孔を生じたものと考えていたが,実際には,本件穿孔は胃の幽門前庭部に生じていた。
イ 本件内視鏡は,先端が超音波探触子になっており,そこにバルーンを装着し,超音波で観察する際にはバルーンに水を注入して,直径3センチメートル程度に膨らませて使用するものであり,さらに先端部分にはライト付きのカメラも内蔵されていて,肉眼で視野を確認することができる。ただ,超音波観察のためにバルーンを膨らませると,カメラによる視野が得られなくなるため,その後は超音波画像を中心に内視鏡の位置及び状態を把握することになる(乙C4,5)。
ウ 本件内視鏡は,他の種類の内視鏡と比較すると先端硬性部分が太く硬くなっており,かつ胴部分(屈曲部)が長くできている。また,本件内視鏡検査と同種の検査を行う場合には,内視鏡が胃を通って十二指腸側に挿入されるときに,内視鏡が胃を押し下げるように入っていくため,胃の下部にある屈曲部が伸展する。これらのことから,本件内視鏡検査の際には,本件内視鏡の先端硬性部分が胃の伸展した部分に当たる可能性があり,G医師は本件内視鏡検査前にその可能性を認識していた。
エ 「偶発症症例の頻度-消化器内視鏡関連の偶発症に関する全国調査の結果から-」と題する論文(乙B5)によれば,日本消化器内視鏡学会が平成5年から平成9年までの5年間に報告された消化器内視鏡関連の偶発症に関する全国調査の結果,側視型十二指腸スコープを用いて内視鏡検査を行った場合に穿孔等の偶発症が生じた例は,合計34万6297件の検査例のうち432例であり,このうち穿孔を生じたのが48例あったことが報告されており,これによると,同検査において穿孔を生じる頻度は約0.014パーセントということになる。そして,本件内視鏡検査は,側視型十二指腸スコープによる内視鏡検査の類型に相当する。なお,同論文は,穿孔につき,手技ミス等によるものと不可抗力によるものとを区別しておらず,上記48例のうち不可抗力によるものが何例であったかは不明である。
オ 側視型十二指腸スコープを使用した場合,一般的には十二指腸に穿孔が生じることが多いとされているところ,G医師は,内視鏡の先端付近の曲がった部分が胃の屈曲部と接触し,胃の屈曲部に圧が掛かって穿孔を生じたという機序につき,これまでに症例報告等を見たことはない。
(2) 以上に認定した事実によれば,本件内視鏡検査と同種の側視型十二指腸スコープによる内視鏡検査においてはそもそも穿孔が生じる頻度は極めて低いものであるところ,一般的には十二指腸内に穿孔を生じる事例が多いのに,G医師は胃に穿孔を生じさせており,また本件内視鏡検査の際には胃の伸展した部分に本件内視鏡の先端硬性部分によって圧が掛かる可能性のあることを認識していたのに,それにより穿孔が生じる危険性につき特段の注意を払っていた形跡は窺われず,さらに,穿孔を生じた部位については,検査中のG医師の認識と実際の穿孔の部位が全く異なっていたことからすると,同医師は,十二指腸球部を中心として本件内視鏡をバルーン内に水を注入した状態のまま(肉眼による視界が得られないまま)挿入及び引抜きの操作を行い,本件内視鏡のバルーン内の水を抜いた時点までの間,本件内視鏡の位置及び状態を十分確認しないまま操作を行い,その結果,本件内視鏡の先端硬性部分により胃に穿孔を生じさせたものと推認することができる。よって,G医師には本件内視鏡の位置及び状態を十分確認しないまま操作を継続して本件穿孔を生じさせた過失があるというべきである。
(3) これに対し,被告は,本件穿孔は避けられない合併症であって,G医師の本件内視鏡検査中の手技には過失がなかった旨主張し,これに副う書証として乙B1(「消化器内視鏡関連の偶発症に関する第4回全国調査報告-1998年より2002年までの5年間」と題する資料)及び前掲乙B5の論文を指摘するほか,同医師はその証人尋問において無理な操作は行っていない旨これに副う供述をする。
  しかしながら,被告が指摘する乙B1,5の各報告は,いずれも偶発症としての穿孔につき,手技ミス等に起因する事例と不可抗力によるものとを特に区別しないで紹介しているのであって,これにより直ちに本件穿孔が避けられない合併症であったことを窺わせる資料となるものということはできない。また,G医師は,前記認定のとおり,本件穿孔の部位を把握していなかった上,同医師作成の陳述書(乙A123)によれば,同医師は本件内視鏡を十二指腸球部まで挿入する際にはカメラにより視野を確保し,その後も内視鏡の挿入時に抵抗を感じた時は必ずバルーン内の水を抜いて視野を確保していた旨の供述記載があるが,同医師は内視鏡操作中必要な場合には視野を確保していたはずであるのに,検査が終了しバルーン内の水を抜いた時点まで,本件内視鏡の先端が本件穿孔部分を通って腹腔内に出ていたことを確認していなかったというのは不可解であると言わざるを得ず,同医師の前記供述記載をたやすく採用することはできない。
2 争点(2)(本件第1手術後に膵腸吻合部の縫合不全が生じたことについてのH医師の過失の有無)について
(1) 前記争いのない事実等,証拠(甲A3,甲B3,乙A5,67,69,75ないし77,80,124,乙B2ないし4,6,証人H)及び弁論の全趣旨によれば,本件第1手術及び本件第2手術の経過並びに膵腸吻合の手技等につき,以下の事実を認めることができ,同認定を左右するのに足りる証拠はない。
ア H医師ほか3名の医師(以下「H医師ら」という。)は,平成13年5月29日午後1時38分,H医師を執刀医,他の3名の医師を助手として,本件第1手術を開始した。同手術の主な経過及び手技については,次のとおりである。なお,本件第1手術の時点で,亡Eの膵外分泌機能が障害されていたり,膵液の分泌量が通常より減少していたことを窺わせるような事情はなかった。
(ア) 上腹部正中切開で開腹すると,腹腔内には遊離ガスが多量に認められ,汚染は見られなかったものの,術前の予想とは異なり,穿孔部位は十二指腸ではなく,胃の幽門前庭部に穿孔を認めたため,まず穿孔部を縫合閉鎖し,次いで胆嚢を摘出した。
(イ) その後,十二指腸を後腹膜から剥離して,授動し,胃を挙上しながら右胃大網動脈を根部で結紮切離するなどして,3分の2切除となる線で胃を切断した。
(ウ) さらに,膵下縁で,上腸管膜静脈を露出し,膵と上腸管膜静脈の間を隔離して膵上縁の門脈前面へとつながるようにし(トンネリング),膵体部側に小児用腸鉗子をかけ,膵頭部側は糸で結紮して,その間をメスで切開し,膵管を露出してから膵を切断した。その際,切断した膵体部側の断端をメスで薄く切除し,迅速病理検査へ提出した。
(エ) 膵頭部を門脈から切離し,十二指腸をTreitz靱帯まで剥離し,十二指腸を切断して,胃・膵頭部・十二指腸を一塊に切除した。
(オ) 次に,膵管は拡張がなかったため,最も細い膵管チューブを挿入し,吸収糸で固定した後,膵断端と空腸断端を,吸収糸で端々吻合し,膵管チューブは空腸内を誘導し,腹壁に固定する予定の場所から空腸壁外に引き出すなどした上,胆管と空腸を端側で,吸収糸を用いて吻合し,さらに,胃と空腸を端側で吻合した(Child変法)。
(カ) 迅速病理検査の結果,膵管断端に癌細胞が認められたとの報告が入ったため,膵空腸吻合部の吻合を外し,膵を背側の脾動脈及び脾静脈から剥離して,2センチメートルほど追加切除した。
(キ) 残膵の膵管は,肉眼で1ミリメートル程度と細くなっており,先に使用した一番細い膵管チューブは,膵管から抜けないようにするため先が太くなっている(その外径は約2ミリメートル)ことから,同チューブを膵管に挿入することはできなかった。そこで,先の細いモスキート鉗子を膵管に挿入してゆっくりと拡張を試みたが,膵管が裂けたため,膵管チューブの挿入を断念した。
(ク) そこで,H医師らは,膵全摘術を行うか,膵管チューブを使用しない吻合を行うかにつき相談した。その際,H医師らは,同医師がかつて行った膵管チューブを使用しての膵頭十二指腸切除術の症例の中に,手術の翌朝にチューブが腸内に落下し,チューブを使用しないのと同様の状態となっていたが,その後縫合不全を生じることなく退院に至った例があったことから,膵管チューブを使用しなくても縫合不全を防ぐことはできると考えたこと,かつて同医師が膵全摘を行った40歳代の患者で,栄養障害や糖尿病の悪化等で術後の健康管理に非常に苦労した症例があったこと,亡Eは高齢であって上記患者と同様のリスクを負わせることは酷であると考えたことなどを総合考慮し,膵全摘を行うべきではないと判断した。
(ケ) そこで,H医師らは,膵断端と空腸断端を吸収糸で吻合し,さらに,吻合部よりも10ミリメートル近く離れた位置で空腸壁と膵を縫合し,吻合部が空腸内に嵌入するように吸収糸で空腸を被せた。この吻合の状態は,「膵空腸全層連続一層吻合」と題する文献(乙B2)の紹介する「膵管チューブ挿入・留置を行わず,膵断端と同じ大きさの全層切開を空腸壁に加え,膵断端と連続で一層縫合する」吻合方法と比較すると,膵断端が嵌入する形となる点及び連続縫合ではなく結節縫合となっている点が異なるものであった。
(コ) 上記吻合を行った時点で,膵と空腸の吻合部の直下には,脾動脈及び脾静脈が位置しており,同吻合部に縫合不全が生じた場合には脾動脈や脾静脈が膵液により消化されて多量の出血が生じるおそれのある状態となっていた。なお,通常の膵頭十二指腸切除術では,縫合不全が生じた場合に膵液により消化されるのは胃十二指腸動脈であることが多いが,この場合には,血管造影で出血血管を確認し,コイル等で止血できる場合が多いとされている。しかしながら,本件のような脾動脈・脾静脈からの出血であればコイル等による止血の方法によることはできない。
(サ) 腹腔内の止血を確認し,腹腔内を温生食で洗浄吸引した後,右腹部からwinslow孔及び膵腸吻合後面にドレーンを挿入し,左側から膵前面にドレーンを挿入した。最後に吻合部の補強を目的として生体糊であるベリプラストPを散布し,癒着防止用のセプラフィルムを腸管の上に載せ,閉腹した。
(シ) 手術が終了したのは同日午後7時3分で,この間の出血量は590ミリリットルであり,輸血は施行されていない。
イ 本件第1手術後,同年6月2日に膵背面に入れたドレーンに軽度汚染が出現し,同月7日には膵前面のドレーンにも汚染が認められ,同月8日には漏出液のアミラーゼが高値になったことから,縫合不全が生じていると診断された。その後,経過観察を経て,同月12日にドレーンから出血が認められたため,H医師は,脾動脈又は脾静脈からの出血と考え,止血剤・輸血で対応するとともに,再出血予防のための再手術として膵全摘を行うこととした。
ウ H医師らは,同月13日,本件第2手術を実施した。開腹すると,膵腸吻合部は完全に外れており,膵周囲を剥離すると,奥の方から湧き上がるような出血があった。そこで,止血措置をとりつつ,脾臓を摘出し,出血か所を確認すると,脾静脈に穴が開いており,同部位が出血場所であることが確認できたため,脾動静脈を結紮切離した。その後,残膵を摘出して同手術を終えた。その過程で,他に動脈が傷ついていたり,郭清手技に問題があったような形跡は窺えなかった。
  なお,H医師は,本件第2手術前の原告らに対する説明において,膵全摘術の術後管理につき,膵が残らないことにより糖尿病のコントロールが悪くなること,食物の消化が悪くなることなどがあるが,いずれも薬や注射で軽減できる旨述べていた。
エ H医師は,膵臓癌の外科手術について,本件以前に,執刀医及び第一助手として20例以上を経験しているが,このうち執刀医としての経験数は7,8例であって,このうちの3例ほどは今回と同様に膵と空腸の吻合について端端吻合かつ嵌入法という方法を採っていた。また,同医師は,上記執刀医としての経験に基づき,安全性が高いと考えられること及び自身が慣れていることを理由に,いずれも膵管チューブを使用している。
オ(ア) 平成14年10月発行の「膵空腸端々吻合1)」と題する文献(甲B3)は,膵空腸縫合不全につき,「特に膵管の拡張がなく膵組織が軟かい場合の吻合には注意を要する。吻合に際しては愛護的な操作を行うことが肝要であり,膵管ドレナージチューブの挿入は安全確保のために重要と考えている。膵空腸端々吻合である膵断端空腸内嵌入法は膵断端の膵組織が直接消化液にさらされて二次的被害を受けないように膵断端を空腸壁で十分に覆っている。」としている。
(イ) 平成16年発行の「膵空腸全層連続一層吻合」と題する文献(乙B2)は,膵空腸吻合の方法について,「膵空腸端端吻合(嵌入法)と膵管空腸粘膜吻合に分けられる。それぞれの吻合法の利点をめぐって,縫合不全や膵瘻の頻度,膵管の開存性などを指標として優劣が検討されているが,いまだに,他を圧倒的に凌駕する吻合法はない。」とした上,膵空腸全層連続一層吻合法を紹介し,膵管からの膵液漏出については「我々の吻合は,空腸壁を全層切開し,膵断面と連続で縫合するのみであり,膵液は主膵管のみならず,断面の分枝膵管開口部からも空腸内へと漏出する。当然のことながら死腔は存在せず,膵管チューブを留置しなければ,膵液はすべて空腸内へと流出する。」「本吻合法は,分枝膵管からの膵液漏出を押さえ込む工夫ではなく,自然に腸管内へとドレナージする工夫である。」などとし,手術成績については,同吻合法を行った症例39例中,術後に膵瘻を合併し持続吸引を必要とした縫合不全は2例であること等から,縫合不全,膵瘻の頻度は他の吻合法と差はないとしているが,それ以外に同吻合の縫合不全に関する安全性を他の吻合法と比較して論じた部分はない。
(ウ) 平成16年に発行された「正常膵に対する膵腸吻合;No-Stent法」と題する文献(乙B3)では,冒頭で「従来,膵腸吻合部の開存性を保持し,万一縫合不全が発生した場合にも,膵液を体外もしくは腸管内へドレナージするステントチューブの留置が広く行われてきた。しかし正常膵においては,このステントチューブが細い正常膵管の内径をさらに狭める結果となっていることから,我々は膵管空腸の粘膜吻合が確実に行われていれば,無ステントのほうが十分な吻合径を保つことができ,かつ安全に行いうることを報告してきた。」とした上,膵管チューブを使用しない吻合について,一般に膵腸吻合を安全に行うためにステントチューブが用いられているが,膵管チューブの閉塞や屈曲,抜去時の吻合部損傷による膵炎などのトラブルが生じることや,膵管にチューブを留置することで吻合部近くの分枝膵管を塞ぐことになり,吻合部近傍の膵炎を生じさせて膵腸縫合不全を助長することになる可能性などを指摘し,「このような観点から,我々は粘膜吻合が確実に行えればあえてステントを留置する必要はないと考え,1992年以降,ステントを用いない膵管空腸粘膜吻合法(No-Stent法)を行っている。No-Stent法は粘膜吻合施行例についてのみ可能な手技であって,嵌入法や膵管固定法ではステントが必要であることはいうまでもない。」としている。
  なお,H医師が,本件で行った吻合法そのものについて,縫合不全に関し安全である旨を述べた文献を探したところ,そのような文献は発見できなかった。
カ 次に,膵全摘術の適応について,平成11年7月に発行された「膵全摘における術前術後の輸液管理」と題する文献(乙B4)は,膵全体に及ぶ癌で,肝転移などの遠隔転移がなく,腹膜播腫を認めず,治癒切除が可能な症例に適応があるとしており,平成14年10月発行の「膵全摘術」と題する文献(乙B6)は,絶対的な適応となるのは膵全体癌あるいはそれに準じるもので,相対的な適応となるのは,膵頭十二指腸切除術で切除可能であるが,膵消化管吻合が原因で重篤な合併症を起こす危険性の高い場合であるとしており,膵頭十二指腸切除術を行っても残膵が正常に近い場合には縫合不全を起こしやすく,そのような症例で徹底的な郭清を行った場合には露出した動脈が破綻する危険性が高いので,膵全摘術を採用した方がよい場合もありうるとしている。
  両文献とも,膵全摘術を行った場合には,術後の血糖管理が通常の糖尿病などと比較して困難であり,患者のクオリティ・オブ・ライフ(QOL)を損なうことから,近年では膵全摘術の実施回数は減少している旨を指摘している。
(2) 以上の認定事実及び前記争いのない事実等に基づき,H医師らの過失について判断する。
ア 膵管を裂いた過失について
(ア) H医師らは,縫合不全に関しては膵管チューブを使用したドレナージを行ったほうがより安全であると考えていたものの,膵の追加切除を行った後の残膵の主膵管が,膵管チューブの外径よりも細く,そのままでは挿入することができなかったことから,モスキート鉗子を使用して膵管を拡張しようとしたところ,膵管が裂けてしまったというのであって,1回目に切除した膵の断端に癌細胞が認められた以上,追加切除自体は,至極当然のことであるから,その結果,残膵の主膵管が更に細くなったことは致し方ないところであり,縫合不全との関係でより安全な方法を選択すべく,ドレナージのために膵管を拡張しようとしたこともまた相当な手段であったといえ,その結果,主膵管が裂けてしまったとしても,膵管拡張の手技について同医師らに過失があったということはできない。
(イ) これに対し,原告らは,本件第1手術前に亡Eの主膵管は拡張していたから,膵管チューブを挿入できないわけはないなどとして,H医師が膵管を裂いたことには過失がある旨主張する。確かに,平成13年5月14日に実施した腹部超音波検査の結果報告書(乙A13)及び同日31日に作成された病理組織検査報告書(乙A66)等には,主膵管が拡張している旨の記載があり,一般的には膵癌の診断がつく症例では手術になる時点で膵頭部の主膵管が挟窄して尾側の膵管は拡張していることが多いのであり(証人H,甲A3),G医師は,その証人尋問において,逆行性膵胆管造影検査の結果膵頭部膵管は著明に挟窄しているが,尾側の膵管は拡張していることが判明したと供述する。しかしながら,これらの証拠は,本件第1手術で追加切除した残膵の断端における主膵管の具体的な太さについてまで触れたものではないし,H医師は,その証人尋問において,主膵管は頭部のほうが太く尾部に行けば行くほど細くなること,当初に切除した残膵の断端に膵管チューブをやっと挿入することができたが,追加切除後の残膵の主膵管には膵管チューブを入れることができなかった旨具体的かつ詳細に供述しており,その信用性は高いものということができる。そして,他に膵管を裂いたことに関してH医師らの過失を基礎づける事実を窺わせるに足りる証拠はない。よって,この点に関する原告らの過失主張は理由がない。
イ 膵全摘術を行わなかった過失について
(ア) 本件第1手術の際,亡Eの膵の外分泌機能は障害されていなかったため,術後の縫合不全が生じる危険性は高かったというべきところ(なお,膵頭十二指腸切除術における縫合不全は,10ないし20パーセントの割合で発生するとされており,それ自体かなり高率で発生するということができる。),本件第1手術においては,当初に切除した膵の膵体部側の断端を迅速病理検査に出した結果,膵管断端に癌細胞が認められたため,残膵を追加切除する必要が生じ,いったん吻合を外した上で2センチメートルほど追加切除し,その上で再度嵌入法により吻合を行った。そのため,通常の膵頭十二指腸切除術の場合とは異なり,吻合部の直下に脾動脈及び脾静脈が位置することになったことから,同吻合部に縫合不全が生じた場合には,吻合部の直下にある脾動脈又は脾静脈が膵液の漏出によって消化されるに至り,同部分から多量に出血する危険性が高い状態であったということができる。その意味で,通常の膵頭十二指腸切除術の場合と比較して,本件第1手術においては,吻合部の縫合不全が生じた場合の危険性はより高いものとなっていたということができる。そして,膵の追加切除後の吻合部の直下に脾動脈及び脾静脈が位置するに至っていたことは,本件第2手術の執刀医であったH医師は十分これを認識していたものである。もともと,H医師自身,縫合不全の危険性に関しては,膵管チューブを使用したドレナージを行った方がより安全であると考えていたのであるから,膵管を裂いてしまったことによりこのより安全と考える方法をとることができなくなった以上,より慎重に適切な対処方法を考えるべきであったということができる。加えて,H医師らが行った吻合法は,術後に医学文献を検索しても,その安全性につき直接言及した論文等を発見することができなかったというのであって,その安全性に疑問がないわけではなく,他方で,膵全摘を行うことにより縫合不全が生じて多量の出血が生じるおそれは全くなくなるし,厳重な血糖コントロール等は必要となるものの,糖尿病のコントロール等を適切に行うこと自体は十分可能であったことを考慮すると,H医師らが,本件第1手術において膵全摘を選択せず,膵と空腸の吻合を嵌入法により行ったことは,医師に認められた裁量の範囲を超えたものというべきであるから,本件第1手術において膵管チューブを使用できなくなった時点で同医師が膵全摘をしなかったことに過失が認められるというべきである。
(イ) これに対し,被告は,H医師の行った吻合方法は縫合不全に関して安全である旨及び亡EのQOLの観点から膵全摘術を行わなかったことは医師としての適切な裁量の範囲内である旨主張し,H医師はその証人尋問においてこれに副う供述をする。確かに,文献上,膵全摘術につき,その適応は限定され,近年では術後のQOLの観点から施行数が減少している旨指摘するものがあり,また,一方で,膵頭十二指腸切除術における吻合方法については,文献上,様々な方法が紹介され,膵管チューブを使用しない吻合方法についても他の吻合方法と比較して縫合不全に関する安全性に差はないという報告も存在していることが認められるものの,他方で,H医師自身,膵管チューブを使用した方が安全であると考えている旨及び嵌入法を使用した場合に膵管チューブを使用しなくても安全であると報告した文献は見つからなかった旨を供述していること(証人H),同医師の原告らに対する術後の説明でも,「膵液が漏れるのが一番怖い。」「膵液が漏れた場合は膵全摘しないと助けられないことが多い。」などと話していること(乙A69)に加え,前記認定のとおり,本件においては,亡Eの膵外分泌機能が障害されておらず,H医師によれば,早い段階であったため外分泌機能も盛んであったと推測していたというのであり,また縫合不全が生じた場合には漏出した膵液によって脾静脈等が消化されるおそれがあり,その場合には多量の出血が予想されるという,通常の膵頭十二指腸切除術とは異なるより高い危険性があったのであり,また膵管チューブを使用しない吻合方法を紹介している文献の一つ(乙B3)は,「No-Stent法は粘膜吻合施行例についてのみ可能な手技であって,嵌入法や膵管固定法ではステントが必要であることはいうまでもない。」としていることなどを併せ考慮すると,H医師が供述する点を斟酌してもなお,本件においては,同医師が膵全摘術を採用しなかったことには過失があるというべきである。
3 争点(3)(争点(1)及び(2)の各過失と亡Eの死亡との間の因果関係の有無並びに亡Eの延命の可能性及びその程度)について
(1) 本件穿孔と亡Eの死亡との間の因果関係の有無
  証拠(証人H)及び弁論の全趣旨によれば,本件穿孔については,適切に穿孔の閉鎖術を行えばほぼ完治していたと考えられ,本件穿孔が直ちに亡Eの死亡に結びつくような事情はなかったことが認められ,他に本件穿孔と亡Eの死亡との間に相当因果関係があると認めるべき証拠はない。
(2) 縫合不全を生じさせた過失と亡Eの死亡との間の因果関係の有無
ア 前記争いのない事実等,証拠(甲B1,乙A62,69,94,123,124)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められ,同認定を左右するのに足りる事実及び証拠はない。
(ア) 本件第2手術後12日目の平成13年6月25日,同月20日に採取した腹部ドレーンの排液の培養の結果MRSAが検出され(なお,このMRSAは,被告病院で同時期に発生した他のMRSAとは異なるタイプであった。),同年7月13日には急に酸素飽和度(SaO2)が低下し,検査の結果亡Eが重症肺炎に罹患していることが判明し,同月14日にその症状が悪化して気管挿管を行うなどしたが,その後,DICを併発し,MRSA肺炎からMRSA敗血症となって,同月30日に亡Eは多臓器不全により死亡するに至った。
(イ) G医師は,本件内視鏡検査後,原告らに対し,亡Eに二度の手術を行うことは負担が大きいなどの理由から,穿孔閉鎖術のみを行うのではなく,穿孔部の閉鎖と膵癌の手術を同時に行う方針としたい旨を説明していた。
(ウ) 平成9年度の症例における膵癌全国登録調査報告によれば,ステージⅠの患者が外科的手術により1年以上生存する確率は8割以上であり,5年以上生存する確率は6割以上,8年以上生存する確率は5割以上とされている。
イ 以上の認定事実によれば,亡Eの膵腸吻合部に縫合不全が生じていなければ,脾静脈からの多量の出血があったとは考えられず,したがって,本件第2手術を受けることはなかったと解されるところ,亡Eの年齢及び同人がステージⅠの膵癌に罹患していたこと等の事情に照らせば,上記出血及び近接した時期に2度にわたって行われた手術による体力の低下及び感染への抵抗力の低下は多大なものであったと考えられ,これに本件第2手術から7日目に亡Eの腹部ドレーンから採取された排液の培養の結果MRSAが検出されたことを併せ考慮すると,縫合不全を生じさせた過失と亡EがMRSAに罹患したこととの間には相当因果関係があるというべきである。そして,その後に亡Eの状態が次第に悪化し,MRSA肺炎,MRSA敗血症と進んで多臓器不全により死亡したこととの間にも相当因果関係があると認めるのが相当である。
ウ 亡Eの延命の可能性及びその程度
  以上に認定,説示したところを総合すると,縫合不全を生じさせた過失がなかったとしても亡EがMRSAに罹患していたことを窺わせるような事情は見当たらず,また,本件第1手術による膵癌の摘出自体に問題があったことや膵癌の転移を窺わせるような事情も見当たらないことに照らすと,縫合不全を生じさせた過失がなければ,亡Eは,少なくとも,死亡日である平成13年7月30日においてなお生存していたことを是認しうる高度の蓋然性が認められる。
エ 以上によれば,被告は,被告病院の医師であるG医師及びH医師の使用者として,亡E及びその相続人である原告らに対し,本件により亡E及び原告らが被った損害を賠償する責任がある。
4 争点(4)(損害)について
(1) 慰謝料                        1600万円
  亡Eは,享年74歳で,糖尿病等の既往症があったことに加え,ステージⅠの膵癌に罹患していたとはいえ,超音波内視鏡検査の過程でG医師の過失により胃に穿孔を生じさせられ,また,そのために緊急手術を余儀なくされた上,H医師の過失により縫合不全が生じて結局死亡するに至ったのであり,これらにより多大な精神的苦痛を被ったことは明らかである。これらの諸事情を総合考慮すると,亡Eの被った精神的苦痛を慰謝するには,1600万円の慰謝料の支払をもってするが相当である。
(2) 逸失利益                     16万8378円
  証拠(甲C1)及び弁論の全趣旨によれば,亡Eは,死亡当時,年額283万0314円の厚生年金を受給していたこと及び原告Aは,亡Eの死亡に伴う遺族年金として合計368万5377円を受給していることが認められる。そして,ステージⅠの膵癌につき外科的手術後の5年生存率が6割程度であることに加え,亡Eの年令及び糖尿病等の既往症の存在を考慮すると,亡Eの具体的な生存期間は必ずしも明確とは言い難いものの,少なくとも3年程度は生存できたと認めるのが相当である。
  以上によれば,亡Eの逸失利益については,283万0314円を基礎収入とし,生活費控除割合を5割と評価して,ライプニッツ式計算方法により年5分の割合で中間利息を控除し(3年間のライプニッツ係数は2.7232である。),さらに遺族年金は損益相殺の対象になるというべきであるから368万5377円を差し引くと,16万8378円となる。
(計算式)
 2,830,314×(1-0.5)×2.7232-3,685,377=168,378(小数点以下切捨て)
(3) 上記(1),(2)の合計金額は,1616万8378円となり,原告らは,これを法定相続分に応じて原告Aが808万4189円,原告B,原告C及び原告Dが各269万4729円を承継した(小数点以下切捨て)。
(4) 弁護士費用                     合計160万円
  弁論の全趣旨によれば,原告らは,本件訴えの提起,追行を原告ら訴訟代理人らに委任し,相当額の報酬の支払を約束したことが認められるところ,本件事案の内容,主な争点,難易度,審理経過,認容額等の事情を総合考慮すると,本件における被告の不法行為と相当因果関係のある損害として被告に請求しうる弁護士費用としては,上記認容額の約1割に相当する160万円と認めるのが相当であり,弁論の全趣旨によれば,そのうちの80万円については原告Aが負担し,残額80万円については原告B,原告C及び原告Dがそれぞれ26万6666円ずつ負担したものと認められる(小数点以下切捨て)。
第4 結論
  以上によれば,原告らの被告に対する不法行為に基づく損害賠償請求は,原告Aにつき888万4189円,原告B,原告C及び原告Dにつきそれぞれ296万1395円及びこれらに対する不法行為の後の日である平成13年7月30日から各支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める限度で理由があるからこれらを認容し,その余の請求はいずれも理由がないからこれらをいずれも棄却することとし,訴訟費用の負担については民事訴訟法61条,64条本文を,仮執行宣言及び仮執行免脱宣言については同法259条1項,3項をそれぞれ適用して,主文のとおり判決する。
札幌地方裁判所民事第2部

裁判長裁判官  奥  田  正  昭
裁判官  鈴  木  秀  行
裁判官  金  田  健  児

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最終更新:2005年12月05日 11:41
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