hanrei @Wiki H17.11. 9 広島高等裁判所 平成16年(う)第87号 業務上過失傷害



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業務上過失傷害被告事件について,被告人がハンドルを的確に操作しないで進行した過失により,自車を対向車線に進出させたとした点には合理的な疑いがあり,被告人に上記過失があるとした原判決には事実の誤認があり,原判決を破棄した上,無罪を言い渡した事案


              主       文
         原判決を破棄する。
      被告人は無罪。
               理       由
  本件控訴の趣意は,弁護人近藤幸夫作成の控訴趣意書(控訴趣意補充書(1)(2)を含む。)に記載されているとおりであるから,これを引用する。
  論旨は,要するに,事実誤認の主張であって,原判決は,被告人が,「業務として普通乗用自動車を運転し,岡山県浅口郡a町大字bc番地先道路を北方から南方に向けて」「進行するにあたり,」「ハンドルを的確に操作して道路左側を進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り,」「ハンドルを的確に操作しないで進行した過失により,自車を対向車線に進出させ」たと認定したが,「被告人がハンドルを的確に操作しないで進行した過失により,自車を対向車線に進出させ」た点については,合理的な疑いがあるというべきであるから,原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある,というのである。
  そこで,記録を調査し,当審における事実取調べの結果を併せて検討する。
  まず,本件事故における被告人の運転していた普通乗用自動車(以下「被告人車」という。)とBが運転していた対向普通乗用自動車(以下「B車」という。)の衝突態様についてみると,原判決が(事実認定の補足説明〔以下「補足説明」という。〕)第2項で説示するとおり,被告人車は車体前部がほぼ中央部を中心として大きく凹損し,B車は右前端部から右側面前部にかけて大きく凹損していることに照らし,被告人車の前部中央部とB車の右前端部が衝突したと推認することができる。
  原判決は,上記衝突態様を前提として,補足説明第3項において,本件事故の約50分後の警察の実況見分時における現場の状況について,「平成9年5月15日付け司法警察員C作成にかかる実況見分調書(原審検2)によれば,」「被告人車は,右前角を北行車線(注・B車走行車線)外側線の内側約0.7メートル,中電柱(b分26)から約6.4メートルの地点に位置させ,左側後部が南行車線(注・被告人車走行車線)にはみ出す姿勢で停止しており,B車は,右前角を北行車線外側線の外側約1.1メートル,前記電柱から約8.6メートルの地点に位置させ,法面及び側溝に車体を転落させ,車体を左に傾けながら北方に向けて停止していた」ところ,「この被告人車の位置関係について,証人Dの当公判廷供述によれば,」「被告人車後部を数人で持ち上げ,左前輪を軸にして移動させたこと,その際左前輪は1メートルも動いておらず,そのようにして同人らが移動させた後の被告人車の位置が上記実況見分時の位置であ」り,「前記実況見分調書(原審検2)等によれば,停止している被告人車の前部付近から転落しているB車の右前方付近の北行車線内を中心にして,両車両のヘッドライトやB車の運転席ドアのウィンドガラスの破片等が散乱している」と認定し,更に,補足説明第4項において,本件事故直後における上記移動前の被告人車の停止状況について,「①平成12年2月14日付け司法警察員E作成にかかる実況見分調書(原審検3)には,本件事故直後に南行車線を走行してきたFの」「指示説明による本件事故直後の被告人車の停止位置が記載されており,これによれば,同車両の右前角を北行車線外側線の内側約0.3メートル,中電柱(b分26)から約7.0メートルの地点に,左前角を前記外側線の内側約0.6メートル,左後角を南行車線外側線の内側約1.3メートルの地点に位置させていたものとされ」,「また,②上記Dは,当公判廷において,本件事故直後,被告人車はセンターラインをまたいで車道を塞ぐようにしてセンターラインに対してほぼ直角に近い角度で停止しており,被告人車を移動させる前に,被告人車に後続して走行してきた軽四自動車が路肩をまたいで被告人車の東側を通過した旨証言して」いることに照らし,「本件事故直後,被告人車は車体前部をほぼ上記実況見分調書(原審検3)に示された位置関係で北行車線内に停止していたものと認められるが,上記実況見分調書(原審検2)に添付された写真に写っているガラス片等の散乱位置との関係を見た場合,やはり被告人車前方にそれらのガラス片等が散乱していたとの状況は変わらない。」と説示した上,補足説明第5項(1)において,「散乱したガラス片等がほぼ北行車線内に集中していること及び(並びに)上記した被告人車とB車の各停止位置及び各損壊部位,その状況等を経験則に照らして考察すると,B車が北行車線を北進中,被告人車が同車線に進出し,被告人車の前部中央部をB車の右前端部に衝突させ,その結果被告人車にB車の進行方向である北方寄りの力が加わり,被告人車が右方向に転回して車体前部をほぼ西方向に向けて停止するとともに,B車を路外に押し出して転落させたと考えるのが合理的である。」と判断している。
  しかしながら,当審において採用した鑑定の経過及び結論を記載した鑑定人G作成の工学鑑定書及びこれを補充する同人の当審公判供述(以下「本件鑑定書等」という。)によれば,原判決の上記判断を是認することはできない。その理由は以下に述べるとおりである。
  まず,本件鑑定書等の鑑定経過について検討すると,本件鑑定書等は,(1)被告人車とB車の損傷状況及び衝突態様,これらから推定される衝突時の角度について,被告人車は,前部ナンバープレート右側付近が最も著しく変形しており,左右のフロントフェンダーのうち,左フロントフェンダーには殆ど変形が観察されず,B車は,右前フェンダーが著しく押し込まれて変形し,運転席ドアからルーフが間接的に屈曲しているところ,被告人車とB車はそれぞれ最も変形の激しい箇所が衝突したと考えられることに照らし,被告人車から見て左斜め前方から,被告人車の前部ナンバープレート右側付近にB車の右前角部が衝突したと特定することができ,被告人車とB車が衝突時になす角度は,正面衝突を0度とした場合,概ね20ないし30度程度と推定されること,(2)推定衝突開始地点について,本件事故現場において,ほとんどのガラス片やプラスチック片が,移動したとされる被告人車の前方から転落しているB車までの間に散乱していることなどに照らし,本件事故地点が被告人車の進行車線上であったとするには無理があり,衝突開始地点はB車側の車線(北行車線)上であった可能性が高いこと,(3)被告人車とB車の本件事故後の最終停止位置について,被告人車は,本件事故後,交通の妨害にならないように移動されているため,本件事故直後の最終停止位置を明確に特定することはできないものの,道路上に最終停止しており,B車は,路肩から滑り落ちるように転落した状態で最終停止していることなどを考慮すると,被告人車がB車を押し戻すような衝突態様であった可能性が高いことなど,原判決の上記認定・判断とほぼ同様と考えられる諸事情を鑑定の前提事情として取り上げ,更に,(4)被告人車及びB車のハンドル及び前輪の転舵状況について,被告人車は,本件事故後,車両後部を持ち上げて移動させられているところ,前輪を接地させた状態で車両後部を持ち上げて右に移動させた場合,前輪がそのままの状態であったとしても不思議ではない上,原審検2号証の実況見分調書添付の本件事故直後の被告人車の写真(1ないし3)と原審弁11号証の写真報告書2丁目添付の本件事故現場から搬送された後の被告人車の写真を比較対照すると,右前輪は回転していないようにも観察されることなどに徴すると,被告人車は,本件事故直前に大きく転舵しておらず,ほぼ直進の状態であったと推定され,また,B車は,原審検29号証の捜査報告書添付の写真(特に甲26号証の22及び25と記されたもの。)において,その左前輪が左に切られているように観察されるところ,B車は右前輪がほぼ固定状態で破損していることから,左前輪の向きは本件事故時の操舵方向を保存している可能性がある上,上記捜査報告書添付の写真(甲26号証の21及び26と記されたもの。)によれば,B車のステアリングホイール(ハンドル)はかなり押し込まれて変形を呈しているものの,左へ90度程度回転した状態になっており,B車の場合,ステアリングの回転角度と左右車輪の平均的舵角は18:1程度であることに徴すると,B車は,本件事故の際,前輪及びハンドルを左に4,5度程切っており,明確に左へ転舵した状態であった可能性が高いと考えられること,(5)B車のフロントガラスは,右隅上側にBの頭部が衝突したような割れ方をしており(前記添付写真甲26号証の2),本件事故によるBの疾病名について,原審弁22号証の回答書に「頭部外傷(頭部打撲,脳しんとう)があったと思われます。」と記載され,救急部外来診療録には,傷病欄に,他の傷病名と共に「頭部外傷」「顔面擦過傷,額多数,左眼瞼割傷,左下顎から頸部にかけて割創あり」などと記載されていることを考慮すると,Bは本件事故によってその頭部が右へ振れたと考えられ,衝突開始時からコンマ数秒の間に,B車は,運転者であるBがハンドルよりも右側に振れるような姿勢の変化があった可能性が高いことをも鑑定の前提事情に加えた上で,被告人車とB車の衝突態様を,(1)直進中のB車へ被告人車が道路左寄りから一気に右へハンドルを切った状態で衝突したという可能性を示した岡山県警察本部科学捜査研究所技術吏員H作成の原審検47号証の「照会についての検討結果」と題する書面添付の図1に近い場合,(2)B車のハンドル・前輪の左転把状況を考慮し,センターラインを割ってきた被告人車に対して,B車がハンドルで左へ回避しようとしている最中に衝突したと仮定した場合及び(3)事故直前の被告人車の前輪が直進方向であり,B車の前輪が左方向であった可能性が高いこと,その他車両損傷状況並びにBの受傷状況を総合考慮し,B車が何らかの理由で被告人車線内へ進行し,それに気づいて慌てて左ハンドルを切って自車線側へ戻ろうとしている時に,自車線へ進行してきたB車に驚いた被告人が,右へハンドルを切ったまま衝突したと仮定した場合に分け,MSCソフトウェア社の「ワーキングモデル」と呼ばれる事故解析シミュレーションソフトを用い,上記(1)ないし(3)のそれぞれについて,別紙1ないし3の各1ないし3のとおりの条件設定をして本件事故の態様を推定している。上記(1)の場合のシミュレーション結果は別紙1の1ないし3のとおりであり,上記図1のような衝突時姿勢及び計算結果としての衝突時速度によっては本件衝突後の挙動の再現が非常に困難であり,上記図1に推測されているような衝突時角度は,被告人車が「比較的ゆっくりした速度でハンドルを大きく右に回さなければ達成できないような角度」であり,上記書面で提示されている速度(時速5キロメートル以上)では旋回できない結果となるところ,被告人車がかなり以前から右へ転舵した状態でB車車線へ向かって衝突したとすれば,本件事故の再現にもなり得るが,その場合,「何故,被告人がそのような行動をとったのか,またBはそのような挙動をする被告人車を何故ハンドルを回避することなく衝突したのか」という疑問が残ることを考慮すると,上記図1のような衝突時姿勢ではなかった可能性が非常に高いとし,次に,上記(2)の場合のシミュレーション結果は別紙2の1ないし3のとおりであり,さほど問題のない結果が得られたものの,B車が自車線中央部分を走行していたとすると,左ハンドル回避によって「衝突地点は西側の路側帯近辺であった可能性が高くな」り,ガラス片の散乱位置とB車の転落位置との間に幾分矛盾が生じる点が問題であり,上記結果が事実であったとすると,衝突直前にB車はセンターライン近くを走行していたことになるとし,更に,上記(3)の場合のシミュレーション結果は別紙3の1ないし3のとおりであり,両車両が衝突した後,双方の重量差,B車が相対的に低速度であったことから,B車は大きく変形しながら「ほとんど停止状態」になり(この際Bの頭部がフロントガラス右隅上側に当たった可能性が高い。),被告人車は右前面に入力があったことから,力学的に車両後部が大きくゆっくり旋回を開始し,B車は押し戻されながら,運転席窓ガラスを割ったか,もしくは被告人車と分離して路上外へ落下し始め,その後,被告人車は路面の抵抗で減速しながら旋回を継続し,B車は路側帯方向に押し戻されながら,ガラス片等を散乱させ,更に,被告人車は路面に落下しつつある上記ガラス片の中を「ほぼ停止に向かって旋回」し,B車は残存運動エネルギーによって路肩から滑り落ちていき,最終的にB車は側溝に転落し,被告人車はガラス片の上側に停止したと推定され,これが幾分なりとも鑑定人として納得できる再現であると評価し,結論として,上記(2)又は(3)の場合が本件事故における衝突態様として推定できるとの鑑定結果を導き出している。
  鑑定人による上記鑑定の前提事情の設定は合理的であり,過不足なく適切になされていると認められ,またコンピューターシミュレーションの条件設定に鑑定人の恣意・独断が混入した形跡も窺われず,本件鑑定が適正かつ妥当に実施されたと考えられることに徴すると,その鑑定結果には高度の信用性を肯認することができるというべきであり,本件鑑定書等によれば,被告人車とB車の衝突態様について,(1)東側路側帯近傍からB車側車線に向かって斜めに進行している最中の被告人車と,被告人車を見て,センターライン寄りに走行していたB車が衝突を回避しようと左へ転舵している最中に衝突したという態様,又は,(2)一旦被告人車側車線へ進入したB車が,自車線へ戻ろうとしている最中に,B車の行動を見て衝突を回避しようとわずかに右へ進行した被告人車と衝突したという態様がそれぞれ相応の根拠をもって推認されるところ,上記(1)の衝突態様は原判決の「B車が北行車線を北進中,被告人車が同車線に進出し,被告人車の前部中央部をB車の右前端部に衝突させ」との判断に沿うものであるが,事故後に保存された両車両の前輪の向き,前記シミュレーション結果に照らすと上記(2)の衝突態様も十分考えられ,これを排斥し得る証拠が存しないことに徴すると,原判決の上記判断には合理的な疑いが残ると言わざるを得ない。
 これに対し,検察官は,被告人は,「相手の車は突然目の前に来た。相手の車がセンターラインを越えて私の車線に来るのは見ていない。」旨供述し(原審検17),原審証人Dは,本件事故後,被告人に声を掛けた際,被告人が「どうなったんですか。」と聞いてきた旨供述していることからすると,被告人はB車の動静を全く認識していなかったのであり,被告人が「B車の行動を見て回避しようとして右へ進行した」とは認められない旨主張するが,被告人は,上記原審検17号証の警察官調書において,「突然目の前に相手の車の前部全体が見えたのです。私はとっさにブレーキを踏んだのです,ブレーキを踏んだ時か,衝突後の衝撃によるものかはわかりませんが,両手でハンドルの上部を持っていた内の右手が下に動き,ハンドルを少し切ったのを見ました。私はハンドルを切ったという意識はないのですが,とっさに右手が動いたのです。」などと供述していることに徴すると,被告人は,B車の動静を終始注視していなかったものの,本件事故直前においては,B車の接近を認識していたことは明らかであり,危険を感じて右へハンドルを切って事故回避の措置を取った蓋然性も十分窺われるから,上記主張を採用することはできない。
  また,検察官は,自車線に進行してくる相手車との衝突を回避する措置としては,急制動の措置を講じるか,左に転舵して回避するのが通常であり,被告人が自車線に進行してきたB車を避けるために右にハンドルを切るというのは,衝突回避措置として極めて不自然である上,B車が自車線に戻ろうとしているのであれば,被告人車としては,急制動の措置を講ずるか,左に転舵することによりB車との衝突を回避することは十分可能であるから,敢えてB車との衝突の蓋然性が高くなる右方向へ転舵するのは尚更不自然というべきであるなどとも主張するが,被告人が,突然B車が接近してくることを認め,咄嗟に衝突を回避しようとしていたことに徴すると,予期せぬ状況に突然直面した運転者が上記のような不適切な回避措置を取ることが全く有り得ないとは言えず,これが極めて不自然であるとまでは認められない。
  次に,原判決は,被告人車が対向車線に進出したと考えることは,前記Hも,一般的にはB車の走行車線(北行車線)で衝突したと考えられると述べていること(原審検12Hの警察官調書)とも符合し,また,本件事故をたまたま目撃し,赤い車(被告人車のこと)が対向車線に出たとのIの公判証言とも符合するなどと説示するが,上記技術吏員Hは,上記供述に引き続き,「しかし,ガラス片の飛散方向は,割れたガラスの落下時の当該車両の進行方向に慣性の法則により飛散する訳ですが,今回の事故においては,衝突後の両車の動きが特定できない部分があること,両車の速度もはっきりしないことなどから,被告人車走行車線上で衝突した可能性が全くないということは言い切れません。」「したがって,一般的には,B運転車両の走行車線上で衝突したと言えるが,断定するまでの証拠はないというのが検討結果です。」などと供述しており,また,Iの原審公判証言についてみても,同人は,雨の降る中で,242.1ないし255.9メートル離れた地点から,一瞬の内に生起した本件事故を偶然目撃したものであり,必ずしも観察条件が良好であったとは言い難い上,仮にIの供述する目撃状況が正確であったとしても,本件鑑定書等によれば,同人は,B車が被告人車走行車線に進入し,慌てて自車線に戻ろうとしたところ,B車の挙動を見て慌てた被告人が,右へハンドルを切ろうとした瞬間を目撃した可能性があるとされていることに徴すると,上記両名の各供述を被告人車が対向車線に進出したと認定する根拠とすることは相当ではない。
  以上の検討結果によれば,被告人が,「ハンドルを的確に操作しないで進行した過失により,自車を対向車線に進出させ」たことについては,合理的な疑いが残ると言わざるを得ず,被告人に上記過失があるとした原判決には事実の誤認があり,これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。
 論旨は理由がある。
 よって,刑訴法397条1項(382条)により原判決を破棄し,同法400条ただし書により当裁判所において無罪の言渡しをすることとし,主文のとおり判決する。
  平成17年11月9日
     広島高等裁判所岡山支部第1部

           裁判長裁判官    安原 浩


              裁判官    河田充規


              裁判官    吉井広幸