hanrei @Wiki H17. 5.10 佐賀地方裁判所 平成14年(わ)第194号,第197号,第222号 殺人



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平成17年5月10日宣告
平成14年(わ)第194号,第197号,第222号 殺人被告事件
判       決
被告人       甲
主       文
被告人は,本件各公訴事実について,いずれも無罪。
理       由
第1 公訴事実
 本件各公訴事実は,以下のとおりである。
1 平成14年7月2日付け起訴状記載の公訴事実
 被告人は,平成元年1月25日午後8時ころから午後9時ころまでの間に,佐賀県杵島郡北方町大字β地内の路上に停車中の軽四輪貨物自動車(佐賀40せ3735)内において,同乗中のX(当時37歳)に対し,殺意をもって,その頸部等を手で絞めるなどし,よって,そのころ,同所において,同女を窒息死させて殺害したものである。
2 平成14年7月7日付け起訴状記載の公訴事実
 被告人は,昭和62年7月8日午後10時ころから午後11時ころまでの間に,佐賀県杵島郡北方町大字γ地内の路上に停車中の普通乗用自動車(佐賀56ひ5107)内において,同乗中のY(当時48歳)に対し,殺意をもって,その頸部を手で絞めるなどし,よって,そのころ,同所において,同女を窒息死させて殺害したものである。
3 平成14年7月30日付け起訴状記載の公訴事実
 被告人は,昭和63年12月7日午後8時ころ,佐賀県杵島郡北方町大字β地内の路上に停車中の軽四輪貨物自動車(佐賀40せ3735)内において,同乗中のZ(当時50歳)に対し,殺意をもって,その頸部を手で絞めるなどし,よって,そのころ,同所において,同女を窒息死させて殺害したものである。
第2 当事者双方の主張及び本件の争点等
 被告人は,上記の各公訴事実について,いずれも自らの関与を否認し,第1の1記載のXに係る事実については,当時,Xと交際していたものの,同記載の日時には知人と会うなどしており,Xとは会っていない旨述べ,第1の2記載のY及び第1の3記載のZとはいずれも面識がない旨述べ,弁護人も,いずれの公訴事実についても被告人は犯人ではなく無罪であると主張するほか,本件各公訴提起は公訴権を濫用したもので違法である旨も主張する。
 これに対して,検察官は,被告人のアリバイ主張は虚偽であって,関係各証拠から認められる客観的事実により,被告人がX,Y及びZを殺害した犯人であると優に認定することができる旨主張する。
 本件において,各犯行と被告人とを直接結びつける証拠としては,平成元年10月から同年11月にかけて被告人が別件の覚せい剤取締法違反事件に関し佐賀県大町警察署留置場に起訴後勾留されていた際に取調べを受けて作成された,Xらの殺害を認める旨の自白(上申書・供述調書)以外に証拠が存在しないところ,当裁判所は平成16年9月16日付け証拠決定において,上記上申書等を証拠として採用しない旨決定していることから,上記上申書等(平成元年当時の取調官らの当公判廷における供述中に現れた被告人の自白等も含む。)以外の関係各証拠及びそれから推認される間接事実を総合することによってXらの死亡が他者の殺害行為によるものであること(事件性)及び被告人がXらを殺害した犯人であること(犯人性)を認定できるか否かが問題となる。
 なお,事実認定について検討する前に,その前提として弁護人の公訴権濫用の主張について考察する。
第3 公訴権濫用の主張について
1 弁護人の主張の要旨
 本件の捜査は,ずさんで,鑑定にも誤りがあり,犯人検挙の焦りから被告人に対し自白獲得のための強引な取調べがなされ,被告人の犯人性を裏付ける証拠の収集に終始し,被告人の犯人性を疑わせる事情についてはこれを捨象するなど,公正さのみならず,適法性も欠くものであった。その後も,取調べに関する記録の改ざんやずさんな資料管理がなされ,捜査自体も長期間放置された後,格別の新証拠もなく,被告人の犯人性に重大な疑いがあったのに,時効成立阻止という警察の面子維持のために本件各公訴提起がなされたものであって,恣意的で不当な起訴遅延といわざるを得ない。
 また,その後の検察官の訴訟遂行も,客観的な証拠と矛盾する主張を続け,Xの着衣に付着した精液のDNA型に関する鑑定書(甲436)といった被告人の防御にとって極めて重要な証拠を開示しないなど,全く公正さを欠き,公益の代表者のそれとはいえないものであった。
 その不当な起訴遅延及び不公正な訴訟遂行によって,被告人には時間の経過による記憶の欠落や調査の困難性という重大な不利益が生じている。
 したがって,本件各公訴提起は,公訴権の濫用に当たる。
2 当裁判所の判断
 検察官の公訴提起が,公訴権の濫用として無効となるのは,公訴提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合に限られると解されることからすると,本件捜査において,被告人の取調べに関し違法と評価せざるを得ない事情が認められるとともに,Xの膣内容物を拭き取ったガーゼ片が紛失するなど証拠資料の管理が甚だずさんであったといわざるを得ない事情も認められるが,そのような事情があるからといって,本件捜査全体が違法となるわけではなく,被告人の取調べ以外の捜査によって収集された証拠及びそれから推認される間接事実からも被告人の本件各殺人についての嫌疑がうかがわれるという事情にかんがみれば,本件各公訴提起が刑罰法規に触れるようなものであるとはいえない。
 また,事件発生から起訴までに長い年月を要し,被告人が時間の経過による不利益を被っていることは,弁護人指摘のとおりであるが,捜査機関において,被告人側の防御権を不当に侵害する意図を持って捜査を遅延させていたとの事情はうかがえず,検察官においても,被告人がそのような不利益を被ることを殊更意図して公訴提起を不当に遅延させていたとは認められない。
 さらに,公訴提起後の訴訟遂行の過程において,検察官が弁護人及び裁判所に対し当初提示していた証拠構造とは矛盾する客観的証拠の存在を認識しながら,この証拠を弁護人からの要求があるまで開示しなかった点は公正さに欠けるとの指摘についても,事後的な訴訟遂行の当否によって公訴提起がさかのぼって違法となることはないというべきである(なお,弁護人主張の上記鑑定書(甲436)は,平成14年7月15日付けの鑑定嘱託に基づいて,同年8月28日付けで作成されたものであり,本件各公訴提起時には存在しなかったと認められる。)。
 よって,本件各公訴提起が検察官の公訴権を濫用してなされたものとは認められない。
第4 前提事実
   関係各証拠によれば,本件の事件性・犯人性を考察する上で前提となる事実として,以下の事実が認められる。なお,地名に関しては,特に断りのない限り佐賀県内のものである。また,年の記載のない月日は,平成元年のそれを意味する。
1 X,Y及びZの失踪前後の状況
(1) X関係
ア Xの失踪当時の生活状況
 X(昭和27年1月22日生)は,昭和53年9月にAと結婚して北方町大字βの通称α地区にあるAの実家で暮らしていたが,Aがくも膜下出血で倒れて以降,Aの家族との折り合いが悪くなったことから,昭和63年1月に長男Bを連れて同町大字γにある実家に戻り,両親(C,D)とともに生活していた。
 当時,Xは,北方町内の紳士服縫製会社で工員として働いており,毎朝,軽四輪貨物自動車(赤色のダイハツミラ。佐賀40け2039。以下「X車両」という。)で出勤していた。帰宅は午後6時ころで,残業のときは午後7時過ぎであった。Xは,帰宅すると自ら又はDが準備した食事をとり,全員の食器を流し台に運んでから風呂に入り,その後で流し台の食器を洗っていた。
 Xは,常日ごろ,財布,キャッシュカード,化粧品のほか,預金通帳や印鑑などの貴重品を自分のバッグなどに入れて持ち歩いていた。
イ Xの失踪以前の外出状況等
 Xは,昭和63年12月ないし平成元年1月当時,午後7時ころから午後7時30分ころまでの間の食事中に電話を受け,「会う約束をしていた。」,「友達が近くまで来ているので,ちょっと行ってくる。」などと言って,食事,片づけ,風呂,洗い物をすませ,服を着替えてでかけることがあり,週の半分くらいは外出していた。Xが外出する際に,Bが起きていることもあったが,Bがついていくと言っても,「友達の所へ行くけん。もう遅かけん連れて行かれん。」などと言って連れて行かなかった。また,午後9時30分ころにBに添い寝して寝かせつけた後に外出することもあった。Xの外出時間は大体1時間くらいであった。
 昭和64年1月1日午前中,Xは,北方町内の衣料品店において白色のカーディガン(以下「本件カーディガン」という。)を購入した。同日午後8時ころ,帰宅した際に,Xが電話を受けたが,この日は外出しなかった。翌2日午後8時ころ,男からXに電話があった。その男はXに「Aさんは元気ですか。Aさんと話ばしてみたいけど,あんまい分かいやらんけん何時か話ばしゆうかね。」と言っていた。Xはこの電話に出たときに「どちらさまですか。」と10回くらい言っていた。
 1月19日ころの午後6時ころ,XはBを連れて佐賀市内の化粧品店に行ったが,その日は午後10時ころに食事をし,夜の12時を過ぎて帰宅した。1月23日の夜もXは外出した。
 1月24日午後6時ころ,Xは帰宅後,Bからせがまれてお菓子を買いに行き,同日午後7時前に帰宅した。Xらが食事をしていると,テレビの「サザエさん」が終わるころ(午後7時30分ころ)に電話があって,Xが電話に出たが,小さな声でぼそぼそと話して電話を切った。その後,Xは,食事を終えて風呂に入り,パジャマに着替えて食器の後片づけをし,それから座敷で服を着替え,口紅や化粧をして,「友達ば送ってくっけんね。遅うなっけんね。」と言って,同日午後8時ころX車両に乗って外出した。
ウ Xの失踪当時の交際相手に関する供述状況
 昭和64年1月2日から同月8日にかけて,Xの実妹Eが北方町大字γの実家に戻ってきた際,Xは,Eに対し交際相手ができたことを打ち明け,その交際相手の氏名については明かさなかったものの,年齢二十六,七歳の男性であるなどと話した。その後の同月3日から同月8日までの間の夜に,Xは電話を受けて外出したが,帰宅後,Eに対し,「近くの畳屋の前の路上で交際相手と会って話をしたが,交際相手は,大町町でなく,αに住んでいることが分かって驚いた。以前,大阪にいたと言っている。家族は,母親と妹がいて,父はいない。家業は農業であるが,近所の人に任せている。派手な飾りの付いた軽トラックに乗っている。中肉中背で余り背が高くなくラフな感じの洋服が好みである。玄関から入らないで2階に上がれる家に住んでいる。」などと話した。さらに,同月15日過ぎに,Eが電話でXと話をした際,Xは,「交際相手に,もう会わない方がいいのではないかと言ったところ,交際相手から崖のようなところに連れて行かれ,成人の日に起きた小城町での交通死亡事故を引き合いに出されて脅かされた。」などと話していた。
エ Xの失踪直前の状況
 Xは,1月25日午前7時50分ころに出勤して同日午後6時55分に退社し,同日午後7時15分ころに帰宅した後,同日午後7時20分ころから着替えもせずにDが用意していたすき焼きを6畳居間で家族と一緒に食べた。同日午後7時25分ころに同居間の電話が鳴り,Xが受話器を取って応対した。電話の時間はおおよそ20秒くらいであったが,家族の者には相手の声は聞こえず,相手の名前も分からなかった。Xは,「今どけおっと。」,「はい」などと話していた。電話が終わった後,Xは食事をすませて全員の食器を流しに運んで片づけた。同日午後7時45分ころ,Xは,風呂にも入らず座敷で服をズボンからスカートに着替え,本件カーディガンを着て口紅や化粧をし,バッグを肩にかけて,「友達の車がパンクしたので,武雄の先の山内まで友達を送っていく。」旨家族に告げた。Bが自分もついて行くと言ったが,Xはこれを許さずにX車両に乗って外出した。その後,翌朝になってもXは帰宅しなかった。それまでにXが無断で外泊するようなことはなかった。失踪当時,Xが特に病気にかかっていたり,けがをしたりしていたということはなく,家出や自殺をするような事情もなかった。
オ X車両の目撃状況
 1月25日午後8時前後ころ,Fは,武雄市朝日町大字甘久所在の武雄ボウリングセンター西側駐車場において,帰宅するために自己の自動車に乗って後退しようとしたところ,自車後方に北向きに止まっていた赤色のダイハツミラに衝突しそうになった。その際,同車のライトはついておらず,エンジンもかかっていなかった。
 翌26日午前8時30分ころ,武雄ボーリングセンター支配人のGが,武雄ボーリングセンター西側駐車場の中央からやや北東よりの地点に赤色の軽自動車が北向きに駐車されているのを目撃している。
 それぞれ目撃された車両の止まっていた地点は,いずれも1月27日にX車両が警察官によって発見された地点とほぼ同じであった。
(2) Y関係
ア Yの失踪当時の生活状況等
 Y(昭和14年3月10日生)は,昭和62年7月当時,武雄市武雄町所在の自宅で夫(H)とともに生活していた。Yは,昭和55年ころから武雄市内の割烹料理店「魚善別館」で仲居として働いていた。毎朝,午前8時30分ころ家を出て,徒歩で「魚善別館」に行き,午後7時から午後9時ころまでには帰宅していた。Yは,「魚善別館」での仕事を終えた後で同市内のスナック「綾」を手伝うことがあった。
イ Yの失踪直前の状況等
 昭和62年7月8日午前9時ころ,Hが起床したときには,既にYは「魚善別館」に出勤していた。その日は午後6時ころから午後8時ころまで宴会が入っていたことから,Yも仲居としてその宴会の仕事についていた。Yは,片づけ等の仕事が終わった後,午後9時過ぎに「魚善別館」を出て,同僚のIとともに「綾」に寄った。Yは,Iとともに「綾」を出た後,小料理屋「お俊」の前を通りかかった際に,「お俊」に寄っていかないかとIを誘ったが,同人が寄らないと答えたので,そうであれば自分も寄らないと言って「お俊」には寄らずに,同日午後9時35分ころ,「お俊」近くの歯科医院の前でIと別れた。Hが同日午後11時前に帰宅したときには,Yがまだ帰宅しておらず,翌9日午前零時を過ぎても同人が帰ってこなかったので,長女に電話をした。しかし,同人もYの行く先について心当たりがなかった。さらに,Yと同じく「魚善別館」で働いていたYの実姉やIにも電話をしたが,同人らも心当たりがなかった。また,長男にも電話をしたが,同人も心当たりがなかった。そこで,Hは,自宅から「魚善別館」までの経路を何回も回ってみたがYの姿はなかった。そのため,Hは警察にも届け出たが,それから平成元年1月27日に遺体で発見されるまでの間,Yの足取りはつかめなかった。
 Yの失踪時の服装は,上が白とグレーの横じまのサマーセーター,下が白のスカート,ビニール製白色ヒール靴であった。また,Yは,青色革製の財布(手のひら大)を持っており,「魚善別館」の日当はその中に入れていた。同財布や化粧品は布製黒色手提げ(30センチメートル四方の大きさで,ビーズの装飾があり,口のところをひもで絞るもの)の中に入れていた。
 失踪当時,Yが家出をするような理由は見当たらず,家庭や職場においてトラブルがあったとの事情もなかった。また,Yが当時重い病気にかかっていたとも認められない。
(3) Z関係
ア Zの失踪当時の生活状況等
 Z(昭和13年3月28日生)は,昭和63年12月当時,北方町大字β所在の自宅において,夫(J),次女及び三女とともに生活していた。Jが簡易郵便局の局長を務めており,長女も同局で働いていたことから,長女の子供の面倒をZが見ていた。
イ Zの失踪直前の状況等
 昭和63年12月7日午後7時10分ころ,次女が休憩のため仕事先から一時帰宅した際,Zは既に食事を終えて北方スポーツセンターで行われるミニバレーの練習に行く準備をしていた。同日午後7時20分ころ,Zは黄土色のセーターに横線模様が入ったカーディガン,紺色のジャンパーを着て,紺色のズボンをはいて,シューズを入れたバッグと会費1000円を持って徒歩でミニバレーの練習に出かけた。Zは常に眼鏡をかけており,この日も眼鏡をかけて出かけた。同日午後7時30分過ぎころ,北方町大字β所在の丸商ニット有限会社(以下「丸商ニット」という。)の前付近を自動車で走行していたKが,自転車から降りてハンドルを持った状態の女性とZが話しているのを目撃している。
 同日午後10時50分ころ,次女が帰宅したときにZはまだ帰宅していなかった。その日はミニバレーの忘年会の話合いがあるということを聞いていたが,余りに帰りが遅かったことから,次女がミニバレーの関係者に電話したところ,Zが練習に来ていないことが分かった。その後,帰宅したJが事情を聞いて北方スポーツセンターまでの経路を捜したが,Zの姿は見当たらなかったため,警察に届け出た。翌8日,警察犬によってZの足取りを追ったが,自宅から歩いて5分くらいのところにある丸商ニットの先で足取りをたどれなくなった。その後,平成元年1月27日に遺体となって発見されるまでZの行方が分かるような情報は得られなかった。
 失踪当時,Zの家族の中で問題はなく,借金や病気などといった家出をするような事情はなかった。また,Zが他人から恨まれるような事情も認められなかった。
2 X,Y及びZの死体等の発見状況等
(1) 死体発見の経緯
 1月27日午後5時35分ころ,Lが夫であるMの運転する自動車に同乗して北方町大字β所在の雑木林付近を通りかかった際,道路わきに供花となる枝花を見つけたため,同所で下車してそれを採っていたところ,崖下に死体が遺棄されているのを発見し,そのことをMに伝え,同人が警察に通報したことから,X,Y及びZの3名の死体が発見された(以下,Xらの死体が発見された場所を「本件死体遺棄現場」という。)。
(2) 本件死体遺棄現場の状況
 本件死体遺棄現場は,佐賀市から武雄市へ至る幹線道路である国道34号線から約2.2ないし2.3キロメートル北進した山中にある雑木林内で,町道α線沿いにある。同所は,緩やかに湾曲したカーブの南西側にある崖下の斜面で,α地区の集落の北側に位置する。平成元年当時,周辺に人家はなく,人や車の通行も閑散で,街灯も設置されていなかった。本件死体遺棄現場である雑木林内に通路はなく,雑木やかずら等が繁茂して昼間でも薄暗い状態であった。
(3) X,Y及びZの死体等の発見状況
 Xの死体は,上記町道α線の路肩縁より約1.4メートル下った崖縁から更に約4.6メートル下の斜面上に,ほぼあお向けの状態で発見された。Zの死体は,同崖縁から約3.75メートル下の斜面上にうつ伏せに倒れた状態で発見された。Xの死体は,Zの死体の西側やや下方に位置しており,両者の各腹部間の距離は約1.3メートルであった。白骨化したYの骨や衣類等は,ZとXの死体の南東側の斜面上に散乱していた。鎖骨1個がZの死体の頭部の下から発見された。同現場にあったブラジャーには肋骨,胸骨,膝蓋骨がついていた。ストッキング片方の中にはYの左足の骨16個が入っていたが,大腿骨,腓骨,脛骨は入っていなかった。また,スカート内又はその下の土砂内から上腕骨,鎖骨,腰椎,胸椎,肋骨が見つかった。
 Xらの死体の周囲は雑木林で,死体を引きずった跡など人が立ち入った形跡が認められないことから,Xらの死体は崖上の町道α線の路肩から遺棄されたものと考えられた。
 本件死体遺棄現場の土砂内からYのサマーセーターが発見されたが,Yが失踪当日に所持していた黒色手提げ(帯,財布等が入っていたと思われる。)のほか,Yのパンティーやストッキングの片方も本件死体遺棄現場からは発見されなかった。
 Zに関しては,本件死体遺棄現場に布製手提げバッグとその内容品(運動靴,靴下片方,輪ゴム,ピンク色手袋,黒地手袋)が遺留されていた。なお,Zのズボンの左ポケットには1000円が入っていたが,Zの眼鏡は本件死体遺棄現場では見つかっていない。
 X及びZの各死体の衣類は,同人らが失踪時に着用していたものと同じものであると認められる。また,遺留されていた衣類等の中でサマーセーター,スカート,ビニール製白色ヒール靴,婦人用腕時計,指輪等については,Yの衣類等であると認められる。
3 Xの使用車両・所持品の発見状況等
(1) X車両
 死体発見後の1月27日午後7時35分ころ,X車両が上記武雄ボーリングセンター西側駐車場のほぼ中央で,北向きに駐車されているのを警察官が発見した。同車の施錠は全てなされており,窓も全て閉まった状態で,車内は特に乱れていなかった。
 同車の助手席フロントガラス内側に素足痕があり,同車両内で精液,尿,血痕付着についての予備検査を実施したが,いずれも陰性であった。
(2) メナードクレジットカード
 Nによって,1月26日午後零時ころ,北方町大字β所在の薬局東側角端付近路上においてX所有の日本メナード株式会社発行のメナードクレジットカードが拾得され,同日午後零時15分ころ,大町警察署β駐在所に届けられ,同日夕方,Cに返却された。翌27日,同カードはCから警察に任意提出され領置された。
(3) ショルダーバッグ
 Oが,1月26日午前8時ころ,北方町大字β所在のP方南方約110メートル先の町道牟田浦線上の西側有蓋側溝上に遺留されていたX所有のショルダーバッグを拾得し,上記Oの祖母であるQが上記β駐在所に連絡をした。翌27日午前9時ころ,上記β駐在所勤務のR巡査部長がQから同ショルダーバッグを拾得物として受け取った。その後,Rにおいて同ショルダーバッグやその内容物である現金2円,財布,健康保険証,車の鍵等の領置手続を行った。
(4) メモ帳等
 2月5日午後4時10分ころ,北方町大字β所在のかみや旅館前の自動販売機横に設置された空き缶入れ(赤色ポリ容器)内の左奥から,SがX所有のメモ帳を発見し,次いで,幾つか空き缶を取り除いた後で同容器の真ん中あたりに玉屋おたのしみ会お買物票と同会会員証を発見した。同日午後4時25分ころ,Sから大町警察署勤務のT警部補がこれを領置した。
(5) 運転免許証
 2月6日,機動隊によって北方町内の山林の検索が行われたが,同日午前10時7分ころ,北方町大字β所在の山林内において,機動隊員のUが運転免許証入れに入った状態のX名義の運転免許証を発見した。その場所は,町道から約6.9メートル離れた,町道の法面とその南方にある杉林との中間付近であった。その後,Tが運転免許証等の領置手続を行った。上記運転免許証入れには,上記運転免許証のほかに,千円札2枚,500円記念硬貨2枚,Xの源泉徴収票等が入っていた。
4 Xらの死体の司法解剖及び着衣等の鑑定の内容
 平成元年1月28日及び翌29日,当時の佐賀医科大学法医学教室解剖室において,同大学法医学教室V教授(その後,同人は和歌山県立医科大学法医学教室へ異動しているが,以下,所属にかかわらず「V教授」と表記する。)により,X,Y及びZの各死体の司法解剖が実施された。また,当時の佐賀県警察本部刑事部鑑識課科学捜査研究室(後に同部科学捜査研究所に改組)等において,Xらの着衣等に関しても各種の鑑定が行われた。
 なお,本件における各種鑑定(後述の第5の3(4)ないし(8)に記載した各鑑定も含む。)に関し,弁護人は,鑑定を行った技術吏員らが捜査機関から完全に独立して鑑定に当たっておらず,その内容も恣意的で不公正なものであると主張するとともに,鑑定を実施した技術吏員の能力の問題や鑑定嘱託書が複数存在するなど鑑定手続のずさんさ等を理由に,その適法性・正確性を弾劾する。しかしながら,関係各証拠からは,上記技術吏員らが捜査機関に偏した不公正な鑑定人であるとはいえず,恣意的な鑑定を行っていたとは認められない。また,弁護人指摘の諸点をもっても各鑑定の手続が違法であったと評価することはできない上,その鑑定手法も鑑定当時においてその科学性・信頼性が広く承認された一般的なものであったと認められることからすると,上記鑑定の内容には一定の信用性が認められるというべきである。
(1) X関係
ア 死体の司法解剖
 V教授の行ったXの死体の司法解剖の内容は以下のとおりである。
 Xの顔面には上口唇内側口腔粘膜に歯牙の形状が明瞭に印象され,鼻背部より右側顔面には小裂創を含む表皮剥脱が散在しており,これらは鼻口孔を強く圧迫することによって生じたものと思料される。カーディガンの正中よりやや左側上方に薄茶色のアイシャドーが付着していることから,被疑者がカーディガンをXの顔面まで持ち上げ,それで鼻口孔を閉鎖し,その時に被疑者の爪で小裂創及び表皮剥脱が生じたものと思料される。
 頸部においては,右前頸部に着衣の織目が明瞭に印象され,右下顎角の下方で皮膚に印象された織目の上縁直上方に左右径2センチメートル,上下径1センチメートルの帯状淡赤色変色部があり,その変色部皮下軟組織内に2×1センチメートル大の出血があるが,織目印象部内景には出血は認められない。前頸正中上部内景には約2.8×1.3センチメートル大の僅微な皮下軟組織内出血があり,同出血は外表における織目印象部上縁の上方約2センチメートルのところに位置している。これらの頸部の所見は扼頸によって生じたとして矛盾がないものと思料される。織目紋様(X着用のトレーナーの襟に相当)について,そのような織目を持った襟で右前頸部を圧迫したことは事実であるが,絞頸時に被害者が動いたりしたために生ずる表皮剥脱や皮下出血はない。その紋様の直上方で右下顎角の下方の変色(皮下出血を伴うもの)があるが,その大きさが2×1センチメートルであり,絞頸時索溝の上縁部に生ずる皮下出血にしてはその幅が大き過ぎ,圧迫部位の長さに比し短いので,この紋様は絞頸のため生じたとは考え難く,扼頸により生じたものとするのが妥当であると思料される。したがって,皮膚の織目紋様は扼頸時と同時的に襟を圧迫することにより印象されたものとして矛盾はないものと思料される。織目が明瞭に印象されているにもかかわらず,同部に表皮剥脱・皮下出血が存在しないことは極めて特徴的である。
 以上により,被害者の死因は,顔面うっ血,眼瞼結膜の溢血点等いわゆる急性窒息の所見の存在を考慮に入れ,鼻口孔閉塞兼扼頸に基づく窒息であり,他為によるものと思料される。
 左下腿下部から足部にわたる範囲の損傷部の着衣には血液が付着しており,同部やその周辺には枯れた木の小枝が多く付着していることから,これらの損傷は発見現場に遺棄されたとき,その現場に存在する小枝等により生じたものと思料される(鑑定人は解剖後死体発見現場に出かけ観察した。)。また,これらの損傷は表皮剥脱部位から出血し得る時期,すなわち不可逆的死への過程中あるいは死後まもなく(数分以内)の時点で生じたものと思料され,そのような時期に遺棄されたものと思料される。その他の損傷は用器的特徴を具備しないが,窒息経過中に同人が暴れたり痙攣することにより何らかの鈍体での打撲擦過作用により生じたものと思料される。したがって,鼻口孔閉塞や扼頸を受けた場所は身体を少し動かすことによって何らかの物に身体が当たるようなところ,すなわち,かなり狭い場所と推測される。
 同人の死から解剖着手時である平成元年1月28日午前零時までに経過した時間は,死体現象から約2日くらいと推測される。さらに,同人の胃内容の消化程度,腸内容の程度から食後約1時間以内に死亡したものと推定される。
 薬物検査をしたところ,薬物は検出されなかった。
 血中アルコール検査をしたところ,アルコールは検出されなかった。
 同人の血液型は,「O-M型」に属する。
(なお,弁護人は,Xの死亡時期について,鑑定書には十二指腸内容物の欄に「黄褐色粥状少量」との記載があるところ,消化内容物が胃から十二指腸に移行し始めるのは食後1ないし2時間程度であることからすると,Xの死亡推定時間は夕食後1ないし2時間程度とも考えられる旨主張する。しかし,V教授は上記の事情を前提に十二指腸内容物が胃内容物と同じものであったとしてもその量が少量であったことから,食後約1時間以内に死亡したものと推定する旨の判断を行ったものであり,その判断が不自然・不合理とはいえない。また,弁護人は,V教授がXの殺害方法は「鼻口孔閉塞兼扼頸」であって,鼻口孔閉塞と扼頸の2つの行為を同時に行ったと考えられる旨証言しているが,鑑定書にはこの点に関して全く触れられておらず,V教授がいつの時点でどのような経緯から,加害者が鼻口孔閉塞と扼頸の2つの行為を同時並行的に行ったと判断したのか全く不明であり,その証言は信用できない旨主張する。しかし,V教授は,ほぼ同時的に行ったと思われる旨供述しているのであって,必ずしも2つの行為が同時に行われたと断定しているわけではなく,上記の「兼」の意味についても鼻口孔閉塞と扼頸のいずれが先であるか判断が付かないためにそのように表記した旨供述している。しかも,Xの死体や衣類からうかがわれる各所見からすれば,鼻口孔閉塞と扼頸のいずれについてもその存在を合理的に推認することができ,そのいずれもが窒息死という結果発生に寄与したことも合理的に推認することができるのであるから,殺害方法に関する上記の鑑定結果は合理的で十分信用に値するというべきである。)
イ Xの着衣の付着物の鑑定
 科学捜査研究室法医係によって,Xの着衣に関し,人血及び体液等の付着の有無及びその血液型についての鑑定が実施された。その鑑定の内容は以下のとおりである。
①本件カーディガンにはヒト血痕及びヒト血痕とだ液の混合斑が付着し,血液型はO型と判定された。精液,尿の付着は認められない。
②クリーム色スカートには血痕,尿,精液の付着は認められない。
③白色トレーナーにはヒト血痕及びヒト血痕とだ液の混合斑が付着し,血液型はO型と判定された。精液,尿の付着は認められない。
④長袖シャツには血痕,尿,精液の付着は認められない。
⑤パンティーの前面のほぼ中央部から左右臀部相当部にかけて淡黄色の汚斑がみられ,人尿の付着が認められた。血液型はO型と判定された。SMテスト試薬を用いた酸性フォスファターゼ試験を行ったところ,陰部相当部のほぼ中央部が中程度の陽性反応を示し,その周辺部及び臀部相当部にいくに従って弱い陽性反応を示した。この陽性部の一部を切り取り,バェッキー染色後に顕微鏡で検査したところ,ヒト精子が検出されヒト精液の付着が認められた。精液付着部位はヒト精液と人尿との混合斑と判断され,その血液型はO型と判定された。精液の付着していない対照部位の血液型もO型と判定されたことから,精液付着部位のヒト精液の血液型はいずれもO型と判定された。
⑥ガードルの陰部相当部位に淡黄褐色の汚斑が見られ,人尿の付着が認められた。血液型はO型と判定された。SMテスト試薬を用いた酸性フォスファターゼ試験を行ったところ陰部相当部のほぼ中央部に母指頭大,それよりやや後方に小指頭大(臀部寄り)のやや弱い陽性反応を示した。陽性部について一部を切り取り,バェッキー染色後,顕微鏡で検査すると精子が検出され,ヒト精液の付着が認められた。精液付着部位はヒト精液と人尿との混合斑と判断され,その血液型はO型と判定された。精液の付着していない対照部位の血液型もO型と判定されたことから,精液付着部位のヒト精液の血液型はいずれもO型と判定された。
⑦パンティーストッキングには人尿の付着が認められた。血液型はO型と判定された。SMテスト試薬を用いた酸性フォスファターゼ試験を行ったところ弱い陽性反応を示した部位があり,その一部を切り取り沈降電気泳動法による検査を行ったところ,沈降線がすべてに認められ,ヒト精液の付着が認められた。精液付着部位はヒト精液と人尿との混合斑と判断された。血液型はすべてO型と判定された。赤褐色の血痕様付着物はいずれもヒト血痕で血液型はO型と判定された。
⑧ブラジャーの表面及び裏面の任意の場所から,その一部を切り取り,ブルースターチ・アガロース平板法によるだ液定性試験を行ったところ,裏面に陽性反応を示した部位があり,その部位について残存澱粉検査,生成糖検査によるアミラーゼ試験を行うと,すべて陽性であったことから,ブラジャーにだ液が付着しているものと判断された。血液型について解離試験を行ったところ,1か所だけがA型と判定され,ほかは判定困難であった。だ液の付着していない対照部位に型活性は認められなかった。
 血痕,尿,精液の予備検査はいずれも陰性で,これらの付着は認められなかった。
⑨ヘアーバンドには血痕,尿,精液の付着は認められなかった。
ウ Xの死体の膣内を拭き取ったガーゼ片の鑑定
 Xの死体の膣内を拭き取ったガーゼ片(入口)1片(資料1)とXの死体の膣内を拭き取ったガーゼ片(奥)1片(資料2)について,上記科学捜査研究室法医係により鑑定が行われた。その鑑定の内容は以下のとおりである。
 SMテスト試薬を用いた精液の酵素反応である酸性フォスファターゼ試験を行ったところ,資料1に弱い陽性反応が,資料2にごく弱い陽性反応が認められた。その陽性反応部位について,バェッキー染色後,顕微鏡で検査したところ,資料1,2とも膣扁平上皮細胞を認め,資料1については精子の頭部をわずかに検出し,資料2については精子の頭部をごくわずかに検出した。次に,抗ヒト精漿抗体を用いて沈降電気泳動法により検査を行ったところ,そのSMテスト試薬陽性反応部位の資料1については明瞭な沈降線を,資料2については弱い沈降線を認め,資料1,2ともヒト精液の付着が認められた。以上のことから,資料1,2のSMテスト試薬陽性反応部位はヒト精液と膣液の混合斑と認められる。資料1,2のヒト精液と膣液の混合斑痕部について,それぞれ4箇所を任意に選び血液型検査を行ったところ,吸収試験,解離試験ともすべてO型と判定された。資料1,2の対照試験部位として付着物のない部位を選び,吸収試験,解離試験を行ったところ,型活性は認められなかった。また,フォスフォグルコムターゼ(PGM1)型の検査を行ったが,判定できなかった。なお,血痕検査を行ったところ,陰性であった。
エ Xの膣内及びパンティーに付着した精液の付着時期の鑑定
 上記イ及びウの鑑定からXの着衣等に精液の付着が認められるところ,その付着時期について,V教授に鑑定嘱託がなされた。その鑑定の内容は以下のとおりである。
 剖検時,Xの膀胱は空虚であり,Xのパンティー等に広範囲に尿斑が認められることから,Xは殺害時の死戦期に失禁したとしても矛盾はない。行方不明から発見までの間は時々雪が降り,寒い天候であり,解剖時にもパンティーの陰部相当部はまだ湿った状態であった。さらに,胃内容物の消化程度からXの死亡時期は食後1時間以内と推測され,解剖着手時である平成元年1月28日午前零時までに約2日経過していることになる。
 仮に被害者が外出して死亡するまでの1時間足らずの間に性行為を行ったとすれば,精液が完全に乾燥しない時期に死戦期での失禁が起こったことになり,精液は尿斑が認められる範囲近くまで浸潤したと思料される。しかるに,SM試験陽性部は尿斑陽性部内に島嶼状に存在するにすぎないことから,Xのパンティー等に付着した精液は乾燥して硬くなり,失禁や降雪による湿りによっても浸潤し難い状態になっていたとして矛盾はない。すなわち,同精液はXが外出する際には既に付着していたものと思料され,外出から死亡までの1時間の間に性行為はなかったものと思料される。
 Xの膣内容物の鑑定書(上記ウの甲62)及びXのパンティー等の鑑定書(上記イの甲60)の結果を検討するに,膣内容物のSM試験の呈色程度は膣入口では弱い陽性を,膣奥部ではごく弱い陽性を示すことは,X生存中24時間弱,精液が膣内に存在していた所見であり,死体膣内では2ないし3日で呈色は陰性化することからも,SM試験での陽性程度はX死亡の約24時間前に性行為を行ったことを示すものとして矛盾はない。上記の推定は,本件精液が約1日間生体膣内に,次いで2日間死体膣内に存在することにより,精子の検出が一部陰性化し,精子頭部のみがわずかに検出されたという膣内容物の顕微鏡による検査結果とも矛盾しないことなどから,Xの膣内,パンティー等に精液が付着した時期は,同人死亡の約1日前と推定される。
オ Xのパンティーに付着した精液のDNAに関する鑑定
 平成14年7月15日,佐賀県警察本部長から科学警察研究所長あてに,Xのパンティーに付着した精液のDNA型と被告人のDNA型の異同識別に関して鑑定嘱託がなされた。同所警察庁技官Wらが鑑定した結果は以下のとおりである。
 鑑定資料として,平成14年6月16日にXのパンティーから採取された布片(資料1),資料1の対照部位として同様に採取された布片(資料2),平成元年2月1日にXのパンティーから採取された布片(資料3,4),資料3,4の対照部位として同様に採取された布片(資料5),Xの血液(資料6)及び被告人の頭毛(資料7)について,外観検査,精液予備検査(酸性ホスファターゼ検査),細胞学的検査,血清学的検査,血液型検査,DNA型検査を行った結果,Xのパンティーから採取された布片(資料1)から精子のDNA型を検出し,その型が被告人の頭毛(資料7)のDNA型と一致した。
カ Xの乳頭部に付着しただ液及びXのブラジャーの付着物に関する鑑定
(ア) 上記イのとおり,Xのブラジャーには血液型A型のだ液の付着が認められた。また,司法解剖の際にXの乳頭部を拭き取ったガーゼ片の鑑定を科学捜査研究室において実施した。上記イ同様にブルースターチ・アガロース平板法によるだ液定性試験,その陽性部位について残存澱粉検査,生成糖検査によるアミラーゼ試験を行ったところ,同女の乳頭部にだ液の付着が認められ,解離試験によるとその血液型は被告人と同じA型であるとの結果になった。
(イ) 次いで,平成14年にXのブラジャー,Xの血液及び被告人の頭毛を鑑定資料として,Xのブラジャーの付着物について核DNA型の鑑定を科学捜査研究所において行ったが,十分な型判定ができず,被告人のそれとの異同識別はできなかった。
(ウ) そこで,同年,同様にXのブラジャー,Xの血液及び被告人の頭毛を鑑定資料として,ブラジャーの付着物のミトコンドリアDNAについて,当時の宮崎医科大学法医学教室のa助教授に鑑定嘱託がなされ,その結果,Xのブラジャーにはヒトに由来する何らかの細胞が付着していたことが認められ,Xと同じ型のミトコンドリアDNAとともに被告人と同じ型のミトコンドリアDNAが検出されたが,X及び被告人以外の人物のミトコンドリアDNAも検出された。
(2) Y関係
ア 死体の司法解剖
 V教授の行ったYの死体の司法解剖の内容は以下のとおりである。
 検査結果によれば,完全に白骨化しており,骨に損傷は全く認められなかった。性別は女性で,年齢は約50歳前後であり,死因,自他殺の別は不詳である。身長は145センチメートル前後と推測する。死後約1.5年と推測する。姦淫の有無は不詳であり,血液型は判定できなかった。薬物服用の有無も不詳である。アルコール含有の有無も不詳である。
イ 歯牙の鑑定
 当時の佐賀医科大学口腔外科講師bが死体上下歯牙と歯科医院で保管されていたYのレントゲン写真とを対照したところ,死体の上下歯牙はYのものと一致した。
ウ サマーセーターの損傷の鑑定
 本件死体遺棄現場において発見され,Yが失踪時に着用していたと認められるサマーセーターについて,平成14年に科学捜査研究所において鑑定を行ったところ,鋭利な幅のある刃物等による損傷は発見されなかった。
(3) Z関係
ア 死体の司法解剖
 V教授の行ったZの死体の司法解剖の内容は以下のとおりである。
 外表検査においては,全身腐敗高度で蛆虫が多数付着していた。
 内景検査においては,内臓が蛆虫に蚕食されていた。
 損傷検査においては,外表上に損傷は認められないが,内景においては頸部正中中央部,すなわち甲状軟骨上縁に相当する部位にほぼ母指頭面大の皮下筋肉内出血があり,その左やや上方約2センチメートルのところに小指頭面大の皮下出血がある。また,前頸中央下部,すなわち胸骨上縁の直下部にもほぼ二倍母指頭面大の皮下出血がある。前頸部深層においては,甲状軟骨の上甲状切痕部に小線状骨折があり,さらに,輪状軟骨は正中のわずか右方で完全に骨折し,骨折部には筋肉内出血が認められる。頸部内景にある損傷の性状,程度,配列(指頭面大の損傷が印象されていること)から,同人は手指により扼頸されたものと思料される。したがって,同人の死因は扼頸に基づく窒息であり,他為によるものと思料される。
 同人の身体の腐敗変化は高度であり,気候,遺棄場所を考慮すると,同人の死から解剖着手時である平成元年1月28日午前4時までに経過した時間は約2か月くらいと推測される。
 胃内容物がほとんど消化されていない状態であったことから,Zの死亡推定時間は食後1時間ないし2時間以内であったと思料される。
 本件被解剖者の死後経過時間は約2か月くらいと推測され,精液の経時的検出限界を超えていることから精液検査は行っておらず,被害当時の姦淫の有無については不詳である。
 また,剖検所見上,胃内容中には薬剤等は認められず,積極的に薬物服用を証明する所見は認められない。
 前記のように,被解剖者の死後経過時間が長いため,採取する血液はなく,アルコール検査は行っていない。
 血液型検査においては,毛髪,指爪を採取し,それらから解離試験によりO型と判定された。
 被解剖者の年令は,頭骨の縫合程度,歯牙の咬耗度から約50歳前後と推測される。
5 本件当時の被告人の生活状況等
(1) 被告人の生活状況
ア 昭和62年7月当時の被告人の生活状況
 被告人は,昭和59年7月20日に,窃盗,覚せい剤取締法違反(使用)の罪により,懲役1年6月・3年間執行猶予・付保護観察の有罪判決を受けた後,北方町大字βのα地区にある自宅に戻り,農業の手伝いをしていたが,同年12月ころから,c商店で働くようになった。c商店は,d生コン株式会社等の生コン会社に運転手を派遣しており,被告人も主にd生コンで運転手をしていた。被告人は,昭和62年10月に逮捕されるまでc商店で稼働していた。
 上記のとおり,被告人は,昭和62年7月当時も,d生コンにおいて生コン車の運転手として稼働していたところ,被告人の稼働状況を記した輸送一覧表によれば,昭和62年7月に被告人が休んだのは,5日,12日,19日,26日の日曜日のほかに,3日,9日,16日,21日,28日,29日,30日であり,同月8日はd生コンに出勤している。
 その当時,被告人は,d生コンの仕事仲間らと仕事帰りに飲みに行くことがあった。被告人がよく行っていたのは北方町の焼鳥屋「石松」であり,そのほかに「はまゆう」,「つゆ」,「ドリーム」,「桂」にも行っていた。また,c商店のcに連れられて「お俊」に行ったこともあった。
 被告人は,昭和61年9月にeと婚姻し,被告人夫婦は,上記自宅において,母親f及び実妹gと生活するようになった。ところが,翌10月にeが死産し,それから徐々に夫婦仲が悪くなり,被告人の帰宅が遅いことや女性関係を理由に,被告人はeとけんかをするようになり,その際にeを何度かけったことがあった。また,eの勤務先の女性が自宅に来た際に肉体関係を持ったことがあり,そのことがeに分かって,けんかになったこともあった。
 昭和62年5月ないし6月ころから,被告人は,自宅で飲酒したときなどに,知っている女性に誘い出しの電話をするようになった。
 同年7月当時,被告人が外泊をしたり夜遅く帰ったりするので,fが女性との交際について被告人に注意をしたところ,被告人が家でも何でも燃やしてしまうというようなことを怒鳴ったことがあった。そのころ,被告人は,何でもないことにカッとなって,くそみそに暴言をはき,fの注意も聞かず,家の農業の手伝いも全くしないようになった。被告人がfを殴ったことはなかったが,物を投げつけたことはあった。また,覚せい剤を注射しているのではないかとfが尋ねたところ,被告人が口出しするなと怒ったことがあった。その上,被告人はeに給料を同年7月分から渡さず,反対にeから金をせびりとるようになり,eはその都度殴られたりするので,言われるたびに1万円くらいずつを被告人に渡していた。なお,eは,被告人から殴られたり,物を投げつけられたりされていた旨をfに話していた。
 被告人は,昭和60年ころから覚せい剤の使用を再開させ,白石町や武雄市の暴力団から覚せい剤を購入しては北方町の山中に止めた車両内で使用していた。昭和62年の盆のころ,eが実家に帰ってしまったことにいらつき,被告人の覚せい剤の使用回数が増えた。
 昭和62年10月,被告人は,覚せい剤使用の容疑で逮捕され,同年12月16日,覚せい剤取締法違反(使用)の罪により懲役1年2月の実刑判決を言い渡され,服役した。昭和63年3月に被告人はeと離婚した。
イ 昭和63年9月から平成元年10月までの被告人の生活状況
 被告人は,昭和63年9月に上記刑を仮出獄後,αの上記自宅に戻り,再びc商店で稼働するようになり,運転手として砂等を運搬していた。被告人のc商店での給料は日給7000円で毎月5日に支給されていた。被告人は,昭和63年12月いっぱいはh商店に派遣され,平成元年1月からは,d生コンにおいてダンプで砂を運搬する仕事をしていた。c商店に出勤するときは午前7時すぎころに自宅を出ていた。仕事時間は,午前8時から午後5時までであったが,大体午後6時前にc商店に戻ってから帰宅していた。d生コンに行くようになってからは午前7時20分から午前7時30分ころには自宅を出ていた。帰りは午後6時ころで,遅いときは午後7時すぎころに帰ったこともあった。fが夕食を作っておくと,被告人は勝手に炊事場で食べたり,居間でテレビを見ながら食べたりしていた。
 被告人は,c商店での稼働状況を運転日報(甲530)に記録していたが,それによると,被告人は,昭和63年12月7日もc商店に出勤し,同日午後5時過ぎには仕事を終えている。
 被告人は,仕事帰りに酒屋等でワンカップの酒一,二本を買ってきたり,会社帰りに北方町の焼鳥屋「石松」に飲みに行くこともあった。また,パチンコをしに行くこともあった。被告人は電話をするときはほとんど2階の自分の部屋に電話機を持って行って使用していた。その当時,被告人は週に3度は外出していたが,外出先は家族に話さなかった。外出するときは,午後7時すぎくらいに出て午後10時か11時ころに帰宅していた。
 被告人は,1月27日から連続して4日間大町警察署において佐賀県警察本部刑事部捜査第一課強行犯係長であったi警部補(以下「i取調官」という。)らから取り調べられたが,その間に自宅2階の被告人の部屋にfが来たことがあった。fが,被告人に対して1月25日のことを尋ねると,被告人は,自分は人を殺していない,友達のうちに行っていた旨答えた。fがその日に何をしていたのか尋ねても,被告人は答えなかったが,警察には話をしていると言った。fが,(殺人を)しているのなら一緒に死のうと言ったところ,被告人は,してもいないのに何で死ななければならないのかと答えた。被告人が使用していた車両と同様の飾りを付けた軽トラックが1月25日武雄ボーリングセンター駐車場に止まっていた旨の新聞報道があったことから,fが被告人にそのことをただすと,被告人は「おれは行っていない。」と答えた。
 被告人は,4月17日ころまでc商店で稼働し,5月ころには自宅を出て福岡で生活するようになった。
 平成元年10月,被告人は覚せい剤使用の罪で逮捕された。同年11月,fが佐賀少年刑務所に面会に行った際に,被告人は,fに対し,「1月25日の外出先は嬉野の友達のところだった。」と話した。
(2) 本件当時の被告人の女性関係
ア 乙との交際状況
 被告人は,昭和62年5月ころ,d生コンの同僚らと,スナックドリームという店に初めて行ったとき,アルバイトをしていた乙と知り合い,それから1か月くらいたって交際するようになった。被告人は,仕事が終わった後に乙とドライブなどをし,ホテル等で肉体関係を持っていた。同年10月に被告人が覚せい剤で逮捕されて服役した後も交際を続け,被告人が昭和63年9月に仮出獄した後,再び頻繁に会うようになった。
 平成元年(昭和64年)1月に被告人が乙と会ったのは,1日,8日,10日,15日,17日,21日,23日であり,21日と23日は,被告人が午後8時ころ乙の家に行き,午後10時ころまで同女の部屋で話をした。
 1月24日,被告人は,乙と会わなかったが,その日の電話で,被告人が,乙の1月25日の都合を尋ねたところ,同女が会社の新年会があるなどと答えて,被告人とけんかになって電話を切るということがあった。
 1月25日昼ころ,被告人は,乙に電話し,すぎやデパート近くのガソリンスタンドで乙と会って,午前中に接触事故を起こしたことを話した。同日午後10時ころ,乙は,被告人方に電話をかけて,被告人と1時間くらい話をした。
イ Xとの交際状況
 被告人は,Xがα地区のA方で生活していたことから,Xの顔を知っていたが,顔を合わせれば会釈する程度であった。
 被告人は,乙とは結婚を考えて交際していたが,他方で乙以外の女性と付き合って肉体関係を持ちたいと考え,昭和63年12月当時も乙以外の女性に電話をかけて誘ったりしていた。
 被告人は,XがA方を出て実家に戻っていることを聞いていたことから,Xに電話をして誘い出し,肉体関係を持ちたいと考えた。そこで,被告人は,昭和63年12月上旬ころの午後8時すぎころ,Xに電話をかけたつもりで間違ってj方に電話をかけてしまったが,同人からX方の電話番号を教えてもらうことができた。早速,X方に電話をかけ,Xに出てくるように誘ったところ,Xがこれに応じて待ち合わせ場所まで出てきたので,以後被告人はXと交際するようになった。Xと会うときには,被告人がX方に電話をかけて,会う時間・場所を決めていた。XはX車両に乗って待ち合わせ場所までやってきて,被告人運転の車両に乗り換えてホテルに行っていた。
(3) 被告人の使用車両
 被告人は,昭和59年9月ころ,白色の軽四輪貨物自動車(スバルサンバー。佐賀40せ3735。以下,「被告人車両」というが,関係者の供述中では「軽トラック」と表記されることもある。)を,北方農協から新車でローンを組んで購入した。また,被告人は,昭和60年9月ころに軽四輪乗用自動車(ダイハツミラ)の新車を購入した。さらに,被告人は,昭和62年4月ころ,上記ダイハツミラを下取りしてもらって,新たにグレーの普通乗用自動車(スターレット。佐賀56ひ5107)の中古車をk板金からローンを組んで購入したが,同年7月20日k板金に売却した。その後,被告人は,上記スターレットを売却した直後の同年7月下旬ころ,紺色の普通乗用自動車(マークⅡ)の中古車をk板金からローンを組んで買ったが,同年10月に被告人が覚せい剤使用の罪により逮捕されたので,同年11月か12月にfが上記マークⅡをk板金に処分した。
 昭和62年6月ころ,被告人は,d生コンの同僚に福富町の鉄工所を紹介してもらい,そこで被告人車両の運転台の上部等に魚の鱗に似た紋様のステンレス製バイザー(以下「鱗ステンレス製バイザー」という。)を付けた。被告人は,通勤用にはほとんど被告人車両を使っていた。被告人車両には被告人のほか,f,g,e,乙も乗車したことがあった。また,被告人が服役中に,fがd生コンの運転手仲間や被告人の叔父に被告人車両を貸したことがあった。
 平成元年2月ころ,d生コンの同僚が被告人車両の鱗ステンレス製バイザーを取り外した後,被告人は,同バイザーを友人に売却した。さらに,4月23日ころ,被告人は,株式会社l商会に被告人車両を売却したが,被告人車両は,4月26日に同社から警察に任意提出され,同日,領置された。
(4) 平成元年1月25日の被告人の行動状況
 1月25日午前7時30分ころ,被告人は被告人車両を運転