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Queer


LGBTIAQsなど、性的少数者の総称。「オカマ!」「変態!」といった罵りの言葉でもあり、傷付けられた側がその言葉を逆手に取って自ら名乗り出る、という転倒の契機を記しざす言葉でもある。

日本の文脈で言えば、東郷健など一部の例外を除いて、性的少数者の左派の運動は近年まで存在しなかった。OCCUR(動くゲイとレズビアンの会)が、府中青年の家裁判闘争を提起して、初めて性的少数者の存在が政治的に可視化されたと言える。しかし、ここには以下に述べるような問題性が孕まれていた。(1) 政治的曖昧さ。OCCURは旧来の左翼運動から断絶した新たな社会運動、政治的立場を問わず同性愛者のアイデンティティを語り肯定する人達の組織として運営されたため、左派の解放主義的な実践から切れたところで展開されるようになってしまった。(2) LG民族主義。学問的・理論的言説を紡いで大学でも可視化を図ろうとしたが、その際「戦略的本質主義」(スピヴァグ)の語りを採用した。しかし、OCCUR内部ではその自覚は曖昧であり、むしろ自分達は「戦略的構成主義」なのだ、建前では構成主義を標榜するけれども本音は本質主義──性的少数者であることは生物学的・社会学的・心理学的に「決定」されたもので変えられないものだという考え──なのだという開き直りがあった。段階論的に、同性婚やパートナーシップの法的保護など平等主義的な原則が貫徹・実現していない段階では、LG民族主義とも言われる、強固な「同性愛者」としてのアイデンティティを持ったレズビアン・ゲイによる政治が必要だ、という語りもあるが、私達は、LG民族主義は終わりなき「分析」による乗り越えの対象であり、その立場に帰依すべきものではない、と考える。多数多様な生/性のあり様をまるごと肯定するような立場をこそ選択すべきで、他者の排除によって自らの存在の安定感を得るような擬似民族主義的心性は分析的に解消していくべきである。

作者不詳の『30億の倒錯者』(インパクト出版会)の訳者解説で市田良彦が言及しているように、ごく近年に至るまで、日本の性的少数者の典型的イメージといえば三島由紀夫であり、政治的に右翼のイメージが強かった。しかし、右翼ファシストの欲望と性的少数者の欲望がイコールであるわけではない。民主主義で解放主義的な左派の実践に加担する性的少数者もいるはずである。私達がQueers Associationで提起しようとしたのは、ラディカルに民主主義的で解放志向のQueerの結集である。固定的で凝固したものと考えられるアイデンティティや本質に依拠して語り行動するのではなく、生成に開かれた倫理=生態をもって差別や苛酷な力関係の現存するこの現実を変革していくことを志向すること、これこそ私達が目指すことである。

Linda